Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (101)
ルッツの家出
「トゥーリ、どういうこと? 何があったの? ルッツは大丈夫なの?」
ばたりとベッドに伏せたまま、わたしが矢継ぎ早に尋ねると、トゥーリは失敗したという表情になった。困ったように眉を寄せて、わたしの頭を何度も撫でる。
「ごめんね、マイン。熱が下がってから言わなきゃダメだったのに……。マインは興奮しちゃダメだよ。また熱が上がっちゃう」
「トゥーリ、教えて」
わたしがトゥーリの手を握って、何度も教えてほしいとお願いすると、トゥーリは仕方なさそうに溜息を吐いた。
「……ラルフを呼んでくるから、マインは寝てて。いい?」
わたしがコクリと頷くと、トゥーリは身を翻して部屋を出て行った。玄関のドアが開閉され、鍵がかかる音がして、トゥーリの足音が小さくなっていく。それをへにょりとベッドに伏せたまま、わたしは耳を澄まして聴いていた。
早く戻ってこないか、とじりじりとした気持ちでトゥーリの帰りを待っていると軽い足音が近付いてくるのが聞こえ始めた。玄関の鍵が開いて、ドアが開閉する。
「……ラルフ、ルッツは?」
トゥーリに連れて来られたラルフは、熱が下がっていなくてベッドから動けないわたしの状況を見て、溜息を吐いた。
「てっきりマインが匿っていると思っていたのに……」
「さっきも言ったでしょ? マインはもう三日寝込んでいるもの。昨日の夕方に家を飛び出したルッツのことなんて知ってるわけないわ」
プンプンと憤慨してトゥーリが言う。ラルフは「疑って悪かったって」とトゥーリに謝りながら、わたしの方を向いた。
「昨日、帰ってくるなり、ルッツが親父に怒鳴ったんだよ。なんで、オレの邪魔をするんだ!? って。ずっと我慢してたけど、もうこんな家、出て行ってやる! って、すごい勢いと顔つきでさ」
ラルフの言葉でルッツが家出した原因がわかった。きっとベンノから余所の街に連れていけない理由を聞かされたのだろう。それで、少しだけホッとした。多分、ルッツはベンノのところで保護されているはずだ。すぐに養子縁組とはならなくても、それに準じるような扱いはしてくれているだろう。
「お袋はオロオロしているけど、親父はどうせすぐに帰ってくるだろうから放っておけ、って言ってるんだ。オレ達も腹が減ったら帰ってくると思ったけど、朝になっても昼になっても帰ってこねぇから、さすがに心配で。マイン、ルッツの居場所、わからないか?」
ラルフの言葉を聞いて、じわりと胸に不安が押し寄せてきた。ベンノところで保護されていれば、仕事をしているはずだ。ルッツの居場所がわからないはずがない。
「居場所がわからないって……ルッツ、仕事にも行ってないの?」
「それが……アイツの勤め先がわからなくて……」
わたしの質問にラルフが困ったように視線を彷徨わせる。
勤め先がわからないという言葉がすぐには理解できなかった。洗礼式から二月半ほどだが、ギルベルタ商会は見習いになる前から出入りしている店なのだから、すでに一年近くルッツは係わっている。
「わからないって、なんで? ギルベルタ商会だよ?」
「……名前はわかったんだ。ジークの工房に来たことがあったんだろ? でも、ジークも店がどこにあるのか知らねぇんだ」
「ジークの工房にルッツとわたしが行かなかったら……もしかして、今でも知らないままだったの?」
恐る恐る確認したわたしの言葉にラルフが気まずそうに顔を背ける。そんなラルフの様子にトゥーリが「信じられない!」と声を上げた。
「ちょっと、ラルフ! 兄弟の勤め先も知らないの? 家族で仕事場の話くらいするでしょ?」
同じ兄弟でも、女同士と男同士では口数も話す内容も違うとは思うけれど、これはちょっとひどくないだろうか。相手に無関心なのか、意地でも聞いてやるか、という感じなのか、わたしにはわからないけれど、家出しても探せないというのは問題だろう。
わたしはラルフに手を伸ばし、服の裾をきゅっとつかむ。
「……ねぇ、ラルフ。余計なお世話かもしれないけど、もうちょっとルッツと話してあげてよ」
「ルッツが喋らないんだよ。大体、我慢してるのはオレの方じゃないか。どれだけ家族に反対されたところで、ルッツは自分のやりたい仕事に就いたし、休みの日だって森へ採集にも行かずに好き放題してるじゃないか。一体ルッツが何を我慢してるって言うんだよ?」
パシッとわたしの手を振り払うと、ラルフはくわっと目を見開いて、怒鳴った。
「ラルフ、マインに乱暴しないで! 熱も下がってないんだよ!」
「わ、悪い……」
大声は頭にガンガン響くなぁ、と思いつつ、休日のルッツを振り回している自覚があるわたしは、ルッツのフォローをする。
「ルッツが休みの日に出かけるのは、仕事だけど? ベンノさんに呼ばれた時も、わたしが振り回しちゃってる時もお給料は出てるでしょ? 別に遊んでるわけじゃないよ」
本当に兄弟間の会話がないようで、ラルフは少し驚いたように目を見張った後、軽く頭を振った。
「……そんなの、知らねぇよ」
ほとんど会話がないせいで、こじれているようだけれど、ラルフは帰ってこないルッツを心配している。それに間違いはない。そして、ラルフと会話しなければならないのはわたしではなくて、ルッツだ。
「トゥーリ」
わたしはトゥーリを見上げた。トゥーリは一緒に服を買いに行ったことがあるので、ベンノを初め、従業員の数人と顔を合わせたことがある。ラルフが一人で突然乗り込むよりはマシだろう。
「ラルフをギルベルタ商会に連れて行ってあげて。ルッツが元気そうなら無理に連れ帰らなくても良いから、無事だけでも確認してきてほしいの。お願い」
「わたしもルッツが心配だからいいよ。行こう、ラルフ」
トゥーリに手を引かれて寝室を出て行こうとするラルフが、わたしの様子を気にするようにちらりと一度振り返った。心配そうにこちらを見たラルフに力の入らない笑みだけ返しておく。
ラルフは昔から面倒見の良いお兄ちゃんで、今だってルッツが好き放題していると思いながらも、心配はしているのだ。
ルッツもラルフも根本的なところではどっちも悪くないのに、兄弟仲が完全にこじれている。様子を見に行ったラルフとルッツがきちんと向き合って話ができればいいな、と思いつつ、わたしは目を閉じた。
起きた時には夕暮れに差し掛かっていた。目を射るような眩しい光が窓から真っ直ぐに伸びて顔に当たったことで、わたしは目が覚める。
すでにトゥーリは店から帰ってきているようで、夕飯の準備をする音が台所でしていた。喉が渇いていたので、木のコップを手に取って喉を潤していると、動く気配を感じたのか、開け放たれたドアの向こうからトゥーリがぴょこりと顔を出した。
「マイン、起きた? 食べられそう?」
わたしが頷いてもぞりと起き上がると、トゥーリはパン粥をベッドまで持ってきてくれる。わたしがもそもそと食べている間に、トゥーリは店に向かってからの事を教えてくれた。
「お店にルッツはいて、ちゃんと仕事をしていたよ。元気そうだった」
「そっか。よかった」
家を出た後で事件に巻き込まれたとか、ベンノに保護されていなくて居場所がなかったとか、そういう最悪の事態はなかったことに、胸を撫で下ろす。
「ルッツの姿を見つけたラルフが、さっさと帰るぞって、力ずくで連れ戻そうとしたんだけど、仕事中に邪魔をするなって、ルッツに言われてね。ラルフまで頭に血が上っちゃったみたいで口喧嘩になった後、勝手にしろ! って、怒鳴って店を出てきたの。……ラルフのお父さんも仕事場にいる以上は放っておけって、言ってるみたい」
ルッツの家族にあった小さなひびが取り返しのつかない亀裂となり、壊れて行くのを見せられているようで、ギュッと心臓が締め付けられるような気がする。
「心配なのはわかるけど、マインは早く体調を治さないと、様子も見に行けないよ?」
「……うん」
次の日、わたしを迎えに来たのはルッツではなく、ギルだった。ルッツにしばらく代わりに行って欲しいと言われたらしい。せっかく来てくれたが、まだ熱が下がっていないので、神殿には行けないのだけれど。
ベッドで寝たままのわたしを見て、ギルが心配そうに覗きこむ。
「マイン様、まだ熱が下がらないのか?」
「うん。下がっても一日は様子を見るから、三日後にまた来てくれる?」
心配そうに頷いたギルがわたしの枕元に跪いて、わたしの右手を取ると、まるで甲に口づけるように顔を近付けた。コツンとわたしの甲に当たったのはギルの額で、流れるように祈りの文句が出てくる。
「マイン様に癒しの女神 ルングシュメールの加護がありますように」
「ありがとう。ギルにも神の祝福がありますように」
後ろ髪を引かれるような顔で帰って行ったギルは約束通り、三日後に迎えに来てくれた。
熱が下がって、家族からも外出許可が出たので、ギルと一緒に家を出る。ルッツがいないのは、何だか変な感じがして落ち着かない。
階段を下りて建物を出ると、井戸の広場でルッツの母親であるカルラおばさんが洗濯をしているのが見えた。パタパタと駆け寄って、わたしは尋ねる。
「カルラおばさん、ルッツはまだ?」
カルラおばさんは無言で首を振った。恰幅が良くて、お喋りで、迫力がある快活なおばさんの姿はなく、やつれて疲れきっているように見えた。
「マインは……ルッツの様子を知らないのかい?」
「ラルフとトゥーリから話は聞いたけど、わたし、熱出してずっと寝てたから。今日、これからお店の方へルッツの様子を見に行こうと思ってたんだけど……」
「そう。じゃあ、元気かどうか、知らせてくれないかい?」
「うん、わかった」
その時は自分で見に行けばいいのに、と思いながら了承して、わたしはギルと一緒に広場から出た。
「ギル、ルッツの様子が見たいから、お店に寄るね?」
「マイン様が行きたいなら、いいけど。あのおばさんだって、あんなに心配しなくても大丈夫なんだけどな。親なんていなくても生きていけるぜ。孤児院には親なんていねぇし」
「……そうだね」
わたしが初めて孤児院に踏み込んだ時は、生きていけない子供達がいたじゃない、という言葉は呑み込んだ。親も無しに生きて行く孤児院の子供達は「いなくても平気だ」と思わなくては、生きていけないような気がしたからだ。
ギルベルタ商会に着くと、マルクがニコリとした笑顔で迎えてくれる。その後ろにはルッツがいて、書字板に何か書きこんでいた。
「おはようございます、マイン。もう体調はよろしいのですか?」
「おはようございます、マルクさん。やっと熱が下がりました。それより、ルッツが家出したって聞いて……」
「そのお話は奥でお願いしますね。ここ数日、ルッツの関係者が店を騒がせていて、従業員も少し気が立っているのです」
やんわりとした笑顔でマルクが言葉を遮った。どうやら、ラルフ以外にも店にやってきてルッツを連れ帰ろうとしたようだ。
貴族相手の品質と高級さが売りの店に、身形を構わない貧民がやってきて連日騒ぎ立てれば、イメージは良くないだろう。このままでは、店におけるルッツの立場も良くないものになってしまう。わたしは口を噤んで頷いた。
「旦那様、マインがルッツと話をしたいそうなので、こちらに入れますね」
「……ここは談話室でも、相談室でもないんだが?」
「承知の上です」
笑っているが、有無を言わせない雰囲気のマルクに押される形でベンノが溜息混じりに了承した。
「ごめんなさい、ベンノさん。外に行ってもよかったんだけど……」
「いや、中で話せ。昨日の夜は店じゃなく、ウチにルッツの母親が来て、ルッツを返せ、とこちらを誘拐犯扱いで怒鳴り散らしてな。マルクがぶち切れて追い返したんだ」
「すみません、旦那様」
カルラおばさんのいつもの迫力で怒鳴りこまれたところを想像して、わたしはげんなりとした。直後に、マルクがぶち切れたという言葉に戦慄する。カルラおばさんを追い返せるなんて、一体何があったのか。人が変わったように疲れきってやつれていたのは、もしかしたらマルクの怒りが原因だろうか。
詳しくは聞かない方が良いような気がして、わたしはルッツに向き直った。
「ルッツは今どうしてるの? ベンノさんのところにいるの?」
「どうって、荷物置きにしてる屋根裏部屋で住んでるけど? だから、今朝まで母さんが来たこと知らなかったし……」
カルラおばさんはルッツに会えないまま、マルクに追い払われたらしい。わたしに様子を見てきてほしいと言った理由がわかって、複雑な気分になる。
「……って、え? 屋根裏部屋?」
「だって、オレ、それ以外に行くところないだろ?」
ルッツは物置にしていた屋根裏部屋で生活していると言った。それは住み込み見習いと全く同じ扱いだ。養子縁組を考えていると言ったはずのベンノが何の援助もしていないことになる。
「どういうことですか、ベンノさん!? ルッツを養子にするんじゃなかったんですか!?」
「……オレが旦那の養子? え? どういうことだよ?」
戸惑うルッツの様子から察するに、ベンノはルッツに何も話していないようだ。
わたしがベンノを睨み上げると、ベンノも怒りに満ちた目でわたしを見下ろして、「この阿呆!」と雷を落とした。
「養子縁組したくても、親の許可もなく勝手に縁組できるわけがないだろう! これはルッツに事情を説明した結果、ルッツが選んだ道だ。それより、考え無しに物を言うのを止めろと何度言ったらわかるんだ!? 親の許可が取れない状況で、養子の話なんぞ聞かせやがって!」
「……あ」
しまった、と口を押さえても、もう遅い。
ルッツの目が暗く光った。家出してから、一人で生活する厳しさがひしひしと迫っているのだろう。不満の矛先を向ける相手を見つけたように、いつも前向きだったルッツの目が、荒んでいる。
「もしかして、マインは知っていたのか?」
「俺が話した。お前の環境や親の情報を得るために、な」
「旦那様……」
ベンノの言葉にルッツの目が少し揺らぐ。自分の居場所を探す迷子のような目でルッツがわたしを見た。
「でも、だったら……知ってるなら、なんで、教えてくれなかったんだよ?」
「ルッツがこうやって飛び出すと思ったから。家族に背を向けちゃうと思ったから。わたしは自分の家族が大事だから、ルッツの家族を壊すようなことしたくなかったの」
ルッツの家族を壊すようなことはしたくなかったが、それでも、家の中の居心地が悪くて、ベンノさんがルッツを受け入れてくれるなら……養子縁組してくれるなら、ルッツの望むようにすればいいとは思っていた。
ベンノがいれば、住み込み見習いになって、親からの干渉なく自分で自由に動ける成人まで、過酷な環境で我慢するような状況になるはずがないと思っていた。
だが、現実にはルッツは家を飛び出し、親の許可なく養子縁組もできず、住み込み見習いとして屋根裏で過ごすことになっている。たった5日ほどの生活でも子供の一人暮らしは厳しいのだろう、ルッツの目は暗くなっていた。
「マインもオレが悪いって言うのか? 飛び出したオレが悪いって……」
多分、連れ戻しに来た家族がラルフと同じような事を言ったのだろう。「我儘を言わずに帰って来い」「勝手な事ばかりするな」「店に迷惑をかけているのはお前だ」「もう気は済んだだろう」というようなことをラルフが言っていたことはトゥーリに聞いた。
ルッツが謝って家に帰れば、また以前と同じような生活はできるはずだ。「ほら、見ろ。やっぱり住み込み見習いなんて無理だった」と家族に言われ、自分が我儘だったんだ。自分が我慢するしかないんだと不満を胸に溜めながら生きて行くことはできる。
そんなルッツを見たくなかったから、わたしは即座に否定した。
「ルッツが悪いなんて言わないよ。言うわけがないでしょ? わたしはルッツがどれだけ頑張ってきたか知ってる。いっぱい我慢したことも知ってるもん」
「そっか……」
ホッとしたようにルッツが小さく息を吐いた。そんなルッツの翡翠のような瞳を覗きこみ、じっと見つめて、わたしは続ける。
「わたしは何があっても、ルッツの味方だよ。わたしがわたしのまま、ここにいてもいいって、ルッツが言ってくれたから、わたしは今ここにいるの」
わたしにも周りに本当の味方がいないように感じて、自分の殻に閉じこもったようになった経験がある。不安で居場所がないような気分で、生活していても落ち着かなかったわたしを「オレのマインはお前でいいよ」と言って繋ぎとめてくれたのはルッツだ。あの時わたしが感じた安心感の、ほんの少しでもルッツが感じてくれればいい。
「だから、わたしもルッツに言ってあげる。ルッツはルッツのままでいればいいよ。わたし、絶対に応援する。ルッツがわたしを助けてくれたように、わたしも全力でルッツを助けてあげるから、辛い時は寄りかかって」
翡翠の瞳が潤んで、泣き笑いのような顔のルッツがわたしに抱きついた。
「ハハッ……。頼りねぇ味方だな。オレが寄りかかった時点でマインの方が潰れそうだ」
涙声のルッツに押しつぶされそうになりながら、わたしはむむっとした脹れっ面でルッツの背中をポンポンと軽く叩く。
「……ちょっとくらいは助けになれるもん」
「例えば?」
ぐすっと鼻をすする音が耳元で聞こえる。それでも、ルッツの声がずっと明るくなっている気がする。
「お昼ご飯を一緒に食べるとか……? 屋根裏は炊事場がないからご飯作れないんでしょ?」
「……一緒に食べるって、作るの、マインじゃねぇし」
「そこは、とても助かります、マイン様って言うところでしょ?」
ルッツがくくっと笑って顔を上げた。いつもの前向きな笑顔が戻っていることに安堵する。ちょっとはルッツの役に立てたかもしれない。
「……おい、もういいか?」
ものすごく呆れたような嫌そうな顔で、執務机に頬杖をついたベンノが声をかけてきた。わたしはルッツの背中をポンポンしたまま、首を傾げる。
「……いいですけど、何ですか?」
「いや、気が済んだなら仕事に戻れ」
さっさと散れ、と手を振るベンノの言葉にルッツがわたしから慌てて離れて、部屋を出て行く。
わたしも挨拶してお暇しようとしたら、ベンノがルッツの出て行ったドアを見据えながら口を開いた。
「マイン、早くルッツの環境を何とかしてやりたいと思うのは同感だが、養子縁組の件は、昨日の母親の剣幕を考えても、もうちょっと頭が冷えんことには話し合いの余地もなさそうだ」
冷静に状況を判断しているベンノ言葉に、苦い物を呑みこんだように喉の奥が引きつった。
「しばらくはこのままの生活になりそうだし、今は良くても生活が荒めば心も荒む。ルッツの家族に、誘拐だの、騙しただの、言われれば店の評判にも係わるから、今の俺には手出しできん。ルッツの味方だというなら、できるだけ助けてやれよ」
「……はい」
ルッツは家を出てもベンノの養子になって、仕事に打ち込むことができるはずだった。植物紙を作る工房を立ちあげるために余所の街に行って、自分の夢を叶えるはずだった。
住み込み見習いになって、今まで以上に苦労するなんて……。
ベンノが言うように、厳しい生活が続けば、ルッツは荒れるだろう。自分が悪かったのか、と自分を責めて、どうして受け入れてくれないんだと、家族を恨むことになるかもしれない。
ルッツがわたしを支えてくれたように、わたしにできることがあるだろうか。有効な手段が何一つ思い浮かばず、わたしは重い溜息を吐いた。