Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (103)
神殿での家族会議
隣に立つ神官長が挨拶するのを聞いている間、わたしは手の中の小さな魔術具を見つめていた。特定の相手にしか声が通じなくなる盗聴防止用の魔術具で、本日の会談においてはわたしの声が神官長以外の人には聞こえないようにするために使われている。
要は、余計な事を言わずに黙って見ていろ、という神官長の指示である。ルッツのフォローをしたいと訴えたら、「私が
詳
らかにしなければならないのは、ここに集う当事者の思惑や意思だ。第三者が口を挟むと混乱する。特に、君は中立ではなく、ルッツの味方だと公言している。邪魔だ」と、言われた。
いつもの回りくどさはどこに行ったのか、とツッコミを入れたいレベルだ。
わたしが会談の場に同席する条件がこの魔術具を握っていることだったので、今日のわたしはお人形のように座っていることしかできない。腹立たしいことに、ベンノもマルクも神官長の意見に賛成した。
席はテーブルを真ん中に、椅子が四角に設置されている。わたしと神官長が入室して一番奥の位置に座り、ルッツがわたし達の正面、そして、左右にルッツの両親とベンノとマルクという位置取りだ。
挨拶と簡単な自己紹介が終わると、最初はルッツの主張について神官長が述べる。これはルッツから神官長が直接聞いたもので、わたしも知らなかった家庭での出来事がまとめられていた。
「……以上がルッツの訴えだ。ルッツ、これで間違いはないか?」
「はい」
神官長に視線を向けられたルッツは、両親の様子を気にしながらコクリと頷く。わたしは心の中で精一杯ルッツの応援をする。
小さく震える拳をきつく握って、ルッツは口を開いた。
「どんなに頑張っても、オレは認めてもらえないんだ。オレの望みはことごとく父さんに反対されて……」
「甘ったれるな!」
ルッツの父ディードおじさんが膝の上で拳をきつく握り締めて、ルッツを一喝した。
突然の大音声にビクッとして、わたしの身体が椅子の上でぴょこんと浮く。普段、職人達を相手に指示を出していることで、慣れているのだろう。神官長の部屋どころか、貴族区域に響き渡りそうな野太い大声に、わたしの心臓が縮みあがった。
怖いっ! すごいびびったから! 心臓に悪いから!
だが、心臓が縮みあがったのはわたしだけではなかったようだ。その場にいたみんなが顔を強張らせて、一斉にディードおじさんを見た。
わたしはベンノからよく雷を落とされているが、外で常に張り上げているディードおじさんの迫力と声量は段違いだった。
「頑張った? 認めてもらえない? 甘ったれたことを言うな」
いかつい肩をグッと動かし、身を乗り出すようにしてルッツに顔を向けると、ギョロリとした迫力ある目でルッツを睨む。怒声でなくても声が大きいし、低くて野太いので傍で聞いているだけでも十分に怖い。
全員の前で怒鳴られて青ざめたルッツが、泣きそうなところを必死に奥歯を噛みしめて堪えているのが、正面から見ればわかった。声を掛けたくてもかけられないもどかしさに、わたしも唇を噛みしめていると、わたしの隣に座っていた神官長が立ち上がる。
ディードおじさんの野太い大声とは違う、低くてもよく通る声が静かに問いかけた。
「ディード、貴方は甘ったれるな、と言ったが、それはどういう意味だ? それを説明しなさい」
「ハァ? 甘ったれるな、と言った意味? ルッツは甘ったれたことを言っているだろう?」
ディードおじさんはわけがわからないと言うように、腕を組んで首を傾けた。おじさんの中では、一言で済むはずのことをほじくり返されて困惑しているような顔になった。
「頑張ったが認められないことが悔しいと訴えるルッツに、甘ったれるなと、貴方は言ったが、どの辺りが甘えているのか、私には理解できない。職人や下町の常識には疎いからな。私にわかるように説明しなさい」
「あぁ、アンタにはわからんか。……説明、説明……難しいな」
ルッツ相手なら、なんでわからないんだ、と済ませてしまえても、貴族相手には済ませられない。基本的に短い命令文句で仕事も済んでしまうのだろう。ディードおじさんは眉を寄せて言葉を探す。
「親の反対を押し切って、就いた職業だ。頑張るのは当たり前。洗礼式を終えてまだ季節さえ変わっていないのに、認めるも何もあるか? 後ろ盾も何もない仕事を選んで突っ込んでいったのは、そこのバカ息子だ。血反吐吐くほど努力しても、一人前にさえなれるかどうかわからんのに、何を言ってるんだ、という意味だが……今度はわかるか?」
「あぁ、理解できた。そういう視点で見ると、甘ったれている、になるな。ルッツ、君にも理解できたか?」
ディードおじさんの指摘にルッツがグッと言葉を呑んで、悔しそうに歯を食いしばって、俯く。逆に、ディードおじさんは自分の主張を理解してもらえたことに、少しばかり安堵の色を見せた。
貴族という神官長の地位を完全に利用した会合だが、こうして詳しく聞きだしてみると、おじさんの言葉にはきちんと意味があったことがわかる。ルッツの言葉を聞いただけではわからなかったことだ。
「ルッツ、反論はないのか? ディードの意見が正しいと認めてしまって良いということか?」
神官長が静かな口調で促すと、ルッツはゆっくりと顔を上げて、両親を見た。
「オレは成果を認めてほしいなんて言ってない。せめて……。せめて、商人見習いになることを認めてくれたっていいだろう!?」
「……俺は勝手にしろ、と言っただろうが」
意味がわからないとばかりに。眉間の皺を深くして目を細めたディードおじさんが、ガシガシと頭を掻いた後、くいっと顎を上げてルッツを見た。その様子からは、未だに反対しているようには見えない。
「勝手にって……え? それって……?」
混乱したようにルッツが首を傾げると、カルラおばさんが溜息混じりに解説してくれる。
「父さんは父さんなりに認めてたってことだよ」
「ちょ、母さん!? 知ってたんなら、教えてくれよ!」
「アタシだって、この人の言葉を聞いたのは、今日が初めてだから知るわけないよ」
カルラおばさんが肩を竦めて首を振った。親子間、兄弟間だけではなく、夫婦間でも言葉が足りないらしい。「言葉にしなきゃわかるかよ……」とルッツは力が抜けたようにガックリと項垂れたが、わたしはルッツの意見に賛成だ。
よく考えてみれば、ルッツも家ではあまり自分の意見を言わなかったようなので、似た者ばかりが集まった家族なのかもしれない。
「ディード、それはルッツが商人見習いとして働くこと自体には異議がないということで良いか?」
神官長の質問にディードおじさんは、いちいち聞くなと言わんばかりの面倒くさそうな顔で頷いた。
「俺は商人が好きなわけじゃないし、何を好き好んでなるのか全くわからんが、親の反対を振り切って男が一度選んだ仕事なら、住み込み見習いだろうが、何だろうが、根性でやりきればいい。泣き事をぬかして、孤児院に逃げ込むな。みっともねぇ」
ハッと嘲笑うように言いながら、ディードおじさんは言いたいことを言い終わったように乗り出していた身体を起こして、腕を組んだ。
わたしは思わず「おじさん、違う! それ、わたしのせいだから! ルッツは逃げてなんてないから!」と叫んだけれど、誰にも聞こえなかったようだ。こちらを向こうとする人が誰もいない。
唯一聞こえるはずの神官長を見てみれば、手首に鎖で魔術具を引っ掛けているだけで、握っていない。最初からわたしの声なんて聞く気ゼロだったらしい。ひどい。
「孤児院に逃げ込むって、それはマインが……」
わたしと同じように反論しかけたルッツが慌てたように口を噤む。むぐぐっと一度唇を引き結んだ後、グッと顔を上げて、おじさんを睨んだ。
「だったら、どうして仕事で余所の街に行くのに許可してくれねぇんだよ!?」
今回、ルッツが家を出ることになった直接の原因は外に出るための許可が出ないことだった。街の外に出ることを目標に商人見習いになったルッツにとって一番耐えがたいことだったが、それも一言で切り捨てられる。
「考えればわかるだろうが!」
ディードおじさんが怒鳴るが、わからないからルッツは家出したのだ。やれやれ、と肩を竦めた神官長がまた口を出した。
「わからないので、理由を述べなさい」
「……またかよ」
げんなりとした顔でおじさんは、あ~、と唸る。こういうのは苦手だと言いながら、眉を寄せて口を開いた。
「ルッツが商人になるのと、街を出るのは完全に別問題だろうが。街の外は危険だ。凶暴な獣もいるし、盗賊もいる。子供を連れて行くようなところじゃねぇ」
「そのとおり! 危険すぎるよ」
ディードおじさんとカルラおばさんの言葉にわたしはハッとした。わたしは近くの森に行くくらいしか街から出たことがないので、全く実感などなかったけれど、街の外は危険でいっぱいらしい。
ここでは子供達だけで門を出て森へ採集に行くのが当たり前だ。街の中と同じように出て行っていたので、街の外が普通の親なら反対して当然の危険なところだとは思わなかった。
それに、この街にはルッツが話を聞けるくらい普通に吟遊詩人や旅商人がいて、東門の方にある宿屋には旅の人が出入りしている。だから、旅をするのが大変だと言っても、徒歩だったり、馬や馬車を使ったりで交通の便が悪いくらいの認識でしかなかった。
おまけに、いちばん身近な大人になるベンノが別の街に工房を作ると言って、余所の街に行って帰ってきたのを目の当たりにしていたから、大した危険を感じていなかった。
……わたし、まだここの常識が全然わかってないんだなぁ。
そろそろ二年になるけれど、知らないことばかりだ。わたしが溜息を吐く横で、神官長は軽く眉を寄せて首を傾げた。
「全く危険がないというわけではないだろうが、ベンノが向かう先は東門を出て、馬車で半日も行けば着くところだ。徒歩ならともかく、馬車ならば心配いらないだろう?」
「必要ない」
ディードおじさんはハッキリとそう言いきる。ルッツはカッとしたように顔を紅潮させて、おじさんを睨んだ。
「仕事だって言ってんだろ!」
「落ち着きなさい、ルッツ。ディード、必要ないと言うのはどういうことだ?」
手でルッツを制止し、神官長はディードおじさんに説明を促す。さすがにおじさんも神官長に問われることを予想していたらしく、視線をベンノとマルクに向けた。
「そこの男は余所に工房を作るのに、ルッツを連れて行きたいと言ったんだ」
「それが?」
「あのな、たった3年契約のダルアの、しかも、見習いに何の勉強が必要だと言うんだ?」
ダルア契約した見習いは日本で言うと3年契約の見習いアルバイトのようなものだ。基本的にさせるのは単純作業で基礎を叩きこむのがメインだ。店や工房ができあがった後、オープン作業に駆り出されることはあっても、出店のための契約や工事に携わることはない。
わたしはルッツの夢が余所の街に行くことだと知っていたから、夢が叶ってよかったね、と思っていたけれど、これも普通に考えるとダルアの仕事ではない。ダプラや後継ぎの仕事だ。ルッツがしなければならない仕事ではない。
必要ない仕事のために危険な街の外に行く必要はないと言うディードおじさんの意見は、筋が通っている。
わたしと神官長が揃ってベンノに視線を向けると、ベンノは軽く溜息を吐いて、ディードおじさんを見た。
「ですから、先日もお話させていただいたように、私は、今後の店の展望とルッツの能力を考えた結果、ルッツを跡取りとして教育したいと考えています。余所の街での工房開設を見せるのもその一環であるし、そのための養子縁組を望んでいるのです」
「フン、話にならんな」
ディードおじさんはベンノの申し出をぴしゃりと撥ね退けた。そう言った後、周りを見回して、「これも理由が必要か?」と呟く。
神官長は「もちろんだ」と答え、申し出を断られたベンノも、ディードおじさんを見据えて頷いた。
「理由があるならぜひともお伺いしたいです。失礼ながら、商売をしているわけでもない貴方ではルッツの後ろ盾にはなれない。養子縁組は店だけではなく、ルッツにとっても利になる契約のはずですから」
ベンノの言葉にディードおじさんは軽く一度目を伏せる。その後、ギョロリとした目をベンノに向けた。
「アンタ、子供がおらんだろう?」
「……ですから、後継ぎとしてルッツを考えているのですが?」
子供がいないことが断る理由になるのか、と訝しげにベンノが眉を寄せる。ベンノの場合、子供がいないから養子縁組を考えているのだ。
しかし、ディードおじさんは「そういう意味ではない」と言った後、ゆっくりと息を吐いた。
「アンタの言うとおり、俺ではルッツの後ろ盾にはなれんし、アンタがルッツの能力を買ってくれるのはありがたいとは思う」
言葉を探すように視線を彷徨わせた後、ルッツとベンノを交互に見た。
「アンタは経営者としては立派だろうし、商売人としても有能だろうよ。ルッツのことで面倒をかけても、それに付き合うだけの度量も寛大さもある。だが、親にはなれん」
ベンノのことを罵るわけでも不当な評価をしているわけでもなかった。それでも、駄目だと言う。「親にはなれん」と言う意味がわからない。
「ベンノが親になれないというのはどういう意味か、説明しなさい。何か悪い評判でもあるとでも言うのか?」
神官長の言葉にディードおじさんは、う~ん、と唸った。「悪い評判があれば楽なんだが」と言いながら、息を吐いて、真っ直ぐにベンノを見る。
「いくら仕事の評判が良くても、養子にする理由の一番に店の利益を上げるようなヤツが親にはなれん。親になるというのは利益で考えることじゃない。違うか?」
ベンノがハッとしたように軽く目を見張った後、苦い笑みを浮かべた。
「なるほど。おっしゃるとおり、確かに、私にとって最優先するのは店の利益だ」
ルッツを確保することが、店にとって、ベンノにとって一番利益になるから養子縁組を考えた。もちろん、ルッツの性格や有能さもそこには加味されているだろうけれど、店を継がせるための後継ぎだから、利益が最優先だ。
商人ならば当たり前の姿勢だが、それが親の姿勢ではないと糾弾されれば、ベンノには反論できないに違いない。
「養子縁組を拒否された理由はわかりました。だが、私は真剣にルッツの将来性を買っています。養子縁組ではなく、ダプラ契約なら、頷いて頂けるのでしょうか?」
ダルアがアルバイトや契約社員なら、ダプラは店を任される幹部候補生のような扱いだ。店からの保障も待遇も仕事内容も全く変わってくる。
「ずいぶんと気が早いとは思うが?」
「気が早いとはどういう意味だ?」
神官長の言葉に、ディードおじさんは面倒そうな表情を隠そうともせずに肩を竦めた。
「普通はダルア契約で仕事する様子を数年間見た後で、ダプラとして契約するかどうか考えるもんだ。洗礼式から季節も変わってないような見習いだぞ、ルッツは」
ディードおじさんが難色を示すと、ベンノは意外そうに眉を上げた。
「洗礼式からは季節も変わってませんが、私がルッツと係わるようになってからは一年ほどたっていますが?」
「そうなのか?」
「えぇ。見習い一人を抱え込むのは店側に負担となるのはご存知でしょう? 縁も義理もないルッツを当初は採る予定がなかった。私はルッツを見習いにするに当たって、すぐには達成できないような課題を与えました。しかし、ルッツは私の予想以上の結果を残しました」
「ほぉ……」
初めて聞いたと言わんばかりの顔でディードおじさんがベンノの話を聞いている。
わたしの記憶が確かならば、あの頃は紙を作る職人にならなっても良いとおじさんが言っていたはずだ。もしかしたら、紙を何のために作っていたかということは聞いていなかったのだろうか。ルッツが言っていなかったのだろうか。
「ルッツには商人の家で育っていない不足分を必死に埋める努力も、忍耐力もあります。余所に取られる前に手元に置いておきたいと考えていますし、真剣に教育するなら、なるべく早くしなければならないのです。努力は買っていますが、ルッツには基礎がないので」
「よかろう」
そう言った後、ディードおじさんは神官長が立ち上がりかけたのをちらりと見て、自分から付け加えた。
「……いくら力になってやりたくても俺では商売人の後ろ盾にはなれん。いずれ店を任されるほど立場を見込まれているなら、その契約はルッツのためになるだろう」
「では、商業ギルドで早速手続きいたしましょう」
マルクがニコリと笑って言い添えると、ディードおじさんはものすごく嫌そうに顔をしかめた。
「これだから商人は……」
「……父さん」
ルッツの口から小さな呟きが漏れた。
切り上げ口調で言葉を断ち切っていた父親の言葉の意味を知って、自分にかけられていた愛情を知って、感極まったのだろう。ディードおじさんとよく似た色合いの翡翠のような目から、ほたりほたりと涙を落とす。
カルラおばさんも静かに泣いていたが、間に挟まれた形になってしまったディードおじさんはものすごく居心地悪そうに二人から視線を逸らして、ガシガシと頭を掻く。普段は言わずに済ませていることを全部喋らされてしまった照れくささが、今になって込み上げてきたような顔になった。
「ルッツ! 謝れ!」
日に焼けてわかりにくいが、多分赤くなっている顔で、突然そう叫んだ。
「……ディード、それではわからない」
溜息混じりの神官長の指摘に、おじさんはうぐぐっと一瞬言葉に詰まった後、ルッツに向かって怒鳴った。
「お前の勝手な誤解で暴走したせいで、これだけの人数を振り回したんだ。誠心誠意謝れ!」
ディードおじさんの言葉がぐさっと胸を突いた。これだけの人数を振り回したのは、ルッツではなく、むしろ、わたしだ。
「す、すみませんでした!」
声が届かないまま、わたしはルッツと一緒に謝った。ルッツの両親はルッツを見ているが、神官長とベンノとマルクの視線はわたしの方を向いている。
「ほれ、帰るぞ、バカ息子」
ルッツが駆け寄っていくと、ディードおじさんがゴンと一発ルッツの頭にゲンコツを落とす。殴られて「いてぇ」と言って涙を拭いながらも、ルッツはちょっと嬉しそうにおじさんの隣に並んだ。
「俺も言葉が足りなかったようだ。……その、助かった」
ディードおじさんは照れくさそうな顔で神官長にそう言った後、くるりと背を向けて部屋を出た。カルラおばさんがルッツの手を取って、手を繋いで歩いていく。
「旦那様、私達も商業ギルドへ参りましょう」
「神官長、本日は誠にありがとうございました。お陰さまで、無事に解決したようです」
たらたらと長い口上と共に、ベンノは退室の挨拶をして部屋を出て行った。ルッツ達を追いかけて、商業ギルドでダプラ契約をするのだろう。
ベンノとマルクが退室してしまうと、部屋に残されたのはわたしと神官長だけになり、灰色神官が椅子の片付けなどをするために出入りし始めた。
「必ず全ての言い分を詳らかにするように。片方の言い分だけ聞いていたのでは見方が歪む」
「はい」
わたしが声にならない声を発して頷くと、神官長は鎖で繋がっていた魔術具を手の平に握りこんだ。
「あの家族が壊れなくて良かったな」
「え?」
突然の言葉にわたしが目を瞬かせて見上げると、神官長は「君が言ったことだろう?」とあまり感情を感じさせない無表情の中、少し嫌そうに眉を寄せる。
「家族と和解させて、ルッツを家に戻す。それが君にとって最良の結末だったのだろう?」
神官長の言葉に、わたしはルッツの嬉しそうな泣き顔を思い出した。家族に理解されないと歯を食いしばっていたルッツが嬉し涙を流しながら、おじさんとおばさんと一緒に帰っていった姿に、わたしも目の奥が熱くなってくる。
「うん、よかった。……ホントによかった……」
誰も彼も言葉が少なすぎるせいで、こじれにこじれていただけで、家族として、親子としての情がなかったわけではない。ルッツが家族の元に戻れてよかった。
「泣き止みなさい。……これでは私が泣かせたようではないか」
灰色神官がチラチラと様子を伺ってくる視線に気付いた神官長が苦い顔になる。
「これは、嬉し涙だからいいんです」
「まったく君は……」
わたしが青の衣の袖で涙を拭こうとすると、神官長はものすごく困った顔でハンカチを貸してくれた。
ハンカチには名前が刺繍されていて、わたしは神官長の名前がフェルディナンドということを知った。