Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (108)
閑話 前の主と今の主
私はヴィルマと申します。秋には17歳になりますので、今は16歳ですね。
青色巫女見習いのマイン様の側仕えとして、数日前から洗礼前の子供達の世話をお仕事として賜りました。
「みなさんに行き渡りましたか? では、神の恵みに祈りと感謝をして、頂きましょう。幾千幾万の命を我々の糧としてお恵み下さる高く亭亭たる大空を司る最高神、広く浩浩たる大地を司る五柱の大神、神々の御心に感謝と祈りを捧げ、この食事を頂きます」
私に続いて、幼い子供達が声を揃えて唱和し、一斉に昼食を食べ始めました。みんな、お腹が空いているようで、一心不乱に食べています。私は先に終えているので、子供達の食事中は食べ方を教えたり、食べこぼしを片付けたりするだけですが、6人の子供達の面倒を一度に見るのは意外と大変なのです。
「今日のご飯もおいしいですね」
「そうですわね」
孤児院に運びこまれる食事は成人した神官や巫女が食べ、次に見習い達が食べ、最後に残ったものを洗礼前の幼い子供達が食べることになるので、子供達の食事は最後になります。
ずいぶん待たせることになるので、お腹が空いていることが可哀想になる半面、ほとんど残らない食事を持っていくことさえ、あまりなかった頃に比べれば、必ず食事が食べられるようになっただけ幸せではないでしょうか。
「スープがおいしい」
「今日は野菜が揃っているから、リジーがいたかも?」
神の恵みが多い日も少ない日も、テーブルの上に必ず並ぶようになったスープを見ると、私はいつもマイン様を思い浮かべます。孤児院の在り様を変えてくださった全てがこのスープに詰まっていると思うのです。
「このスープはマイン様が作り方を教えてくださり、みんなが森で採ってきた食材や作った紙を売ったお金で材料を買って作っているのですよ」
「ヴィルマはいつもそればっかり。その後はこうでしょ? マイン様に感謝なさい」
私を茶化すように子供達が声を揃えてそう言って笑うけれど、一番マイン様に感謝しているのは他でもないこの子供達でしょう。清められ、食事を与えられ、森という外の世界に連れだしてくださるのですから。
青色神官や巫女が通るところは毎日丁寧に清めることが下働きの仕事ですけれど、青色神官が入ってこない孤児院は今まできっちりと清める対象ではありませんでした。あまり周囲が汚いと自分を清めるのに時間がかかるので、自分の周辺だけを時折清める程度でした。
だからこそ、見習い以上の部屋や食堂は顔をしかめるほど汚れることもありませんが、洗礼前の子供達とその周辺を清めるという考えはございませんでした。洗礼前の子供達を世話するのは子を産んだ灰色巫女と決まっていたので、自分達の視界にも意識にも幼い子供達の姿が映ることはなかったのです。
マイン様の側仕えであるフランから、洗礼前の子供達の様子を聞いて驚いたのは私だけではなかったと思います。世話をする巫女がいなくなっていたことも、見習いが食べてほんの少し残った分だけを皿に入れて置いてくるだけしか世話がされていなかったことも、孤児院の外からやってきた者に知らされたのですから。
「ヴィルマ、終わったから工房に行っても良いですか?」
「えぇ、自分の食器を片づけて、手と顔を清めてからですよ。紙を汚すとギルに叱られますからね」
「ギルよりルッツの方がおっかないんだよ」
マイン工房を預かっているギルに叱られたとか、摘まみだされたという話はよく聞きますけれど、工房に出入りしている商人見習いのルッツについてはマイン様の信頼厚い少年だとしか存じませんでした。
「そうそう。この一枚にどれだけの日数と手間がかかっていると思っている!? って、怒鳴るんだよね?」
「あ、ボクは、これがいくらで売れると思っている!? 汚い手で商品に触るな! って、触る前に怒られたよ。汚しちゃったら、その後はしばらく森に連れていってくれなくなるんだ」
「この間は暴力を振るっていたのよ。暴力はいけませんよ、と注意したら、言われてもわからないヤツが悪いんですって、すまして言うのです」
私は殿方が苦手で工房へはほとんど顔を出さないのですが、マイン工房の中は神殿の中であっても、まるで神殿ではないようです。商人と神殿の規則を程よく混ぜたマイン様独自の規則で動いているそうです。
……最近では孤児院も院長であるマイン様独自のやり方で動く部分が多々見受けられますけれど。
神殿と同じように孤児院の中も清めること、全員がある程度満たされるように食事を自分達で作ること、神の恵みを待つだけではなく自分達でお金を稼いで食材を得ること。
マイン様が私達に教えてくださったことは、全て平民ならば当たり前にしていることだそうです。
マイン様は「わたくしは教えただけです。生活をより良くできたなら、わたくしではなく、みんなの努力です」とマイン様はおっしゃいますが、貴族と孤児しかいない神殿で、他の誰がそれを私達に教えることができたでしょうか。私は神殿にマイン様を使わしてくださった神様に感謝しているのです。
子供達の面倒をみる私を聖女のようだと、マイン様は褒めてくださいましたが、私にとってはマイン様の方が聖女に見えます。……見た目から考えると、聖女というよりは神の御子でしょうか。
クスリと笑った後、私はお昼前にいらっしゃったマイン様のお話を思い出しました。私と一緒に側仕えとなったロジーナのお話です。
クリスティーネ様とマイン様では側仕えに対する認識が違いすぎます。クリスティーネ様を第一の主と仰ぐロジーナがマイン様の側仕えになれるとは思えません。私の願いを聞き届け、「考慮する」とおっしゃってくださったけれど、ロジーナは孤児院に戻されるような気がいたしました。
ロジーナは本当に美しい少女です。大人びた顔もふわりとした栗色の髪も、宝石をあしらったような青の瞳も、美しいものがお好きだったクリスティーネ様のお気に入りでした。
そして、美しいだけではなく、同じ年で、同じように芸事に興味と才能を持っていました。だからこそ、家族と離されて神殿に入れられたクリスティーネ様は、ロジーナを自分の友人のように扱っていらっしゃったのです。
同じ扱いをマイン様に求めても、マイン様が受け入れてくださるはずがありません。
「……そろそろかしら?」
昼食の後、側仕え全員から意見を聞いて、話し合いをするとマイン様はおっしゃいました。クリスティーネ様の側仕えであった頃とロジーナの考えが変わっていなければ、ロジーナにとっては辛い時間になるでしょう。
昼食を終えた子供達を工房へと送りだした私は、自分の部屋でカルタを作るための板を取り出しました。マイン様から子供達への贈り物になるカルタです。丁寧に描かなければなりません。腕が鳴ります。
ギルが字を覚えるためにマイン様が考えたカルタは素晴らしいものでした。ギルが時々食堂に持ってきては自慢して一緒に遊ばせてくれますが、遊んでいる間に子供達が字や神々の名前を自然と覚えているのです。そして、私の絵を神々の姿だと覚えるので、カルタの絵を描くのは、少しだけ緊張します。
丁寧に磨かれて表面が滑らかになった板に、マイン様から贈られたインクとペンで神や神具の絵を描いていきます。もう何度もカルタの読み札を読まされているので、読み札はほとんど覚えています。私にわからなくても、子供達に聞けば誰かが教えてくれるので、何の絵を描けばいいかはわかるでしょう。
子供達の面倒を見る時間も楽しいものですが、やはり、絵に没頭している時の高揚感はまた特別なものです。自分がどれだけ絵を描くことに飢えていたのか、思い知らされる心地がいたします。
何枚かの絵を描いた後、コンコンと軽く部屋の扉が叩かれました。あぁ、やはり。そう思いながら、私が促すと、案の定、ロジーナが入ってきました。部屋に入ってドアを閉めた瞬間、青い瞳に涙をいっぱいに溜まり始めます。一体どれだけ我慢したのでしょう。
「ヴィルマ、マイン様はひどいのです。私に灰色神官のような仕事をするように、とおっしゃるの!」
「ロジーナ、それだけではわからないわ。一体何があったのか、教えてくれないかしら?」
「えぇ、聞いてちょうだい。私の心をわかってくれるのは、同じクリスティーネ様の側仕えだったヴィルマだけですわ」
手を止めて、私は椅子をくるりとベッドの方へと向けます。向かい合うようにベッドへ腰掛けたロジーナは、ほろほろと大粒の涙を流して、訴え始めました。
「一番ひどいのはデリアなのです」
「ロジーナ、私はデリアを存じません。マイン様の側仕え全員を知っているわけではないから、どんな方がいらっしゃるのかも教えてくださらない?」
マイン様の側仕えとなって、孤児院から碌に出なくなった私には、食事時に交わされる会話や子供達からの情報以外に外から入ってくる情報はございません。フランとギルは孤児院を清める時にマイン様の側仕えとして動いていたし、それぞれ以前から有名人なので顔も名前も知っているけれど、デリアという名前は初めて聞きました。
「デリアは元々神殿長のところにいた巫女見習いなのですって。紅の髪が印象的な気の強い子ですわ」
8歳ということは、私達が孤児院に戻された時は地階にいたはずです。けれど、印象的な紅の髪という特徴を持っているのに、私の記憶にそのような見習いの姿はありません。
「8歳の見習いなら見たことがあるはずですけれど、私、全く覚えていないようだわ」
「デリアは洗礼式の直後に神殿長に引き取られたので、孤児院の一階に上がることなく、貴族区域に行ったのですって。私も記憶にないと思って質問したら、誇らしげにそう言っていましたわ。いずれ愛人になると恥ずかしげもなく言い切るなんて、クリスティーネ様が聞けば何とおっしゃるでしょう」
花捧げは女性であるということ以外に取り柄のない者がすることだとクリスティーネ様は花捧げをする灰色巫女を嫌悪しておられました。ですから、私達は青色神官に召されたいとは思えません。
けれど、孤児院にいる灰色巫女は花捧げを厭ってはいないようです。神の恵みも少なく、厳しい下働きの生活をするくらいならば、花捧げであろうとも、愛人であろうとも構わないので、満足できるだけのご飯を食べられる生活がしたいと言っていました。
「デリアが世話をする灰色巫女もなく、地階にいた子供だったならば、孤児院から抜け出し、安定した生活を得たいと思うことに不思議はないと思いませんか? もし、仮に、ロジーナ、貴女があの地階に閉じ込められていたら?」
「やめてちょうだい、ヴィルマ。気持ちが悪くなってしまうでしょう」
地階の子供達を洗うことを命じられたにもかかわらず、ロジーナは女子棟の清掃をすると言って、一番に逃げ出していました。美しい物しか目に入れたくないのよ、とよくおっしゃっていたクリスティーネ様の影響がとても大きいのでしょう。
偶然とはいえ、子供達を見つけ、何とか救おうとギルを遣わしたマイン様との違いに私は溜息を禁じ得ません。
「デリアは教養の欠片もなく、芸術を解することもなく、フェシュピールの音をうるさいと表現するのです。もー! もー! と騒がしいのはデリアの方なのに、マイン様は少し困ったように笑うだけで、叱ることもなさらない……」
神殿の下働きをすることなく、貴族区域に移ったという意味では、ロジーナとデリアは同じだと思います。しかし、一般的に側仕え見習いの仕事は、主の世話を中心とする下働きなので、ロジーナと違って、デリアの心証は悪くないようです。
「それに、デリアがマイン様に私のことを悪く訴えたのです」
ロジーナはデリアが会議の間に言った文句を次々と並べてくれました。重複していることも多く、それが尚更デリアの苛立ちや怒りを表しているように私には感じられます。
「デリアに対して、他の人は何とおっしゃったのかしら? デリアが正しいと言ったのですか? ロジーナの味方をしてくださった方はいらっしゃらなかったの?」
「えぇ。ギルはデリアの味方でしたわ。働かざる者、食うべからずとか、夜は楽器を弾かないでほしいとか、そのようなことを乱暴な言葉で……」
クリスティーネ様の時と同じ時間までフェシュピールを弾いているならば、嫌がられるのも無理はないでしょう。デリアもギルもまだ見習いで、孤児院の子供達と同じように寝るのも早いに違いありません。
「その年頃の子供達に夜遅くの楽器は迷惑でしょうね。孤児院の子供達の部屋で弾かれたら、私も困ってしまうわ」
「ヴィルマ!?」
「クリスティーネ様のお部屋では朝がゆっくりでしたけれど、孤児院と同じように、マイン様のお部屋も朝早いのでしょう?」
ほんのわずかにロジーナが目を伏せました。おそらく同じことを言われたのではないでしょうか。
「それにしても、ギルはやんちゃで悪戯っ子で手がつけられない悪童だった記憶しかないのですけれど、ずいぶん印象が変わりましたね?」
神殿の下働きを統率している灰色神官によく反省室に入れられていた記憶しかありません。ギルが青色巫女の側仕えになると聞いた時には孤児院中が耳を疑ったものです。
「マイン様の前に跪いて、褒めてもらっているギルの様子を見れば、ヴィルマはもっと驚きますわよ」
久し振りに見たギルはマイン様に心酔している様子が見受けられました。ご褒美にカルタを贈られるくらいなのですから、ギルはよく仕え、マイン様とはよい主従関係を築いているのだと思います。
「フランは何と言いましたの? 元々神官長の側仕えでしたし、まだ幼い子供達とは違って、公正な目で物事を見ているのではありませんか?」
フランは孤児院の誰もが知っている通り、元々神官長の側仕えで、平民であるマイン様を助け、教え、導く存在です。マイン様の側仕えの中で唯一成人している灰色神官でもあります。マイン様が信頼し、頼りにしているのは見ていればわかります。
「フランは灰色神官なのに、指示しても動いてくれないのです。力仕事もしてくれない方ですわ。何かと私に命令するのです」
「……フランがロジーナに命令するのは当たり前でしょう?」
「まぁ、何故?」
本当にわからないというように、ロジーナがきょとんとした表情で首を傾げました。これでは、マイン様の側仕えから反感を買って、マイン様が私のところへ相談に来るのも頷けます。
「フランはマイン様の筆頭側仕えで、ロジーナは新入りの見習いですもの」
「でも、私はフェシュピールの……」
「ロジーナ、マイン様とクリスティーネ様は違うのですよ。同じことを望んでも、受け入れられるはずがありません」
「……マイン様も同じことをおっしゃったわ」
マイン様は「わたくしでは貴女のクリスティーネ様になることはできません」と、ロジーナにおっしゃったらしい。
「他には何とおっしゃったのかしら?」
「夜遅くの楽器はみんなの迷惑になるから、7の鐘が鳴ったら終わりにするように、ということと、楽器を扱うのに手が大事なのは理解できるから、下働きをしたくないならば、実務をしてほしい、ということですわ」
「実務?」
私が聞き返すとロジーナは大きく頷きました。
「マイン様のお部屋には側仕えが少なすぎるのです。ですから、実務全般をフランが、工房と孤児院の男子棟に関することはギルが、部屋の中に関する仕事はデリアが取り仕切っているのです」
「……確かに少ないですわね」
本来なら生活の面倒を見るだけの側仕えですが、マイン様は孤児院の院長であり、マイン工房の工房長でもあります。仕事内容が多岐に渡っていて多いけれど、手伝える人数は、仕事量に比べて少なすぎると思われます。
「ヴィルマは孤児院の女子棟の仕事と絵の仕事をしているのでしょう? 私にも音楽と他の仕事をするように、とおっしゃるの。音楽だけをさせる余裕はないのですって」
本来側仕えがするべき仕事ができないのは困る。ロジーナはもうじき成人なのだから、フランの仕事の一部をこなしてほしいと思っている、とおっしゃられたらしい。人手が足りないならば、それは当然のことでしょう。そして、仕える主によって必要とされる能力は違うのです。
「実務とは何かしら?」
「書面の代筆、それから、部屋や工房や孤児院の帳簿の計算などだそうですわ。フランの負担を減らしてほしいとおっしゃったの」
「それは……。側仕えになったばかりで、読み書きできないギルやデリアには難しいでしょうね。成人が近く、教養があるロジーナならばできると思われたのでしょうけれど……」
ハァ、と私は溜息を吐きました。
側仕えになると読み書き計算は教えられますが、クリスティーネ様の側仕えの場合、字の美しさを競ったり、詩を書いたりすることができても、実務的な書面の代筆は経験がありません。計算は苦手で、ほとんど戦力にはなりません。本当に芸術だけに特化した側仕えなのです。
今までは見えていなかった自分達の欠点がよく見える気がいたしました。
「負担を減らしたいのならば、側仕えを増やせばよろしいのに、私に覚えてほしいとおっしゃるの。……知らない、できないことはこれから覚えればいいけれど、仕事をしないと言い切る側仕えは必要ないとマイン様はおっしゃったわ」
「えぇ、そうでしょうね。マイン様はクリスティーネ様と違って、平民です。貴族ではありませんし、10人以上も側仕えを召し抱えることができるほど財力もないでしょう?」
まだ洗礼式も終えていない子供達に「お腹いっぱい食べたかったら、孤児院の費用は自分で稼ぐように」とおっしゃる方です。必要なだけ側仕えを召し抱える財力はないと思われます。
「マイン様は青色巫女ですのよ? そんなはず……」
「神殿にいる青色神官も側仕えは5人ほどでしょう? クリスティーネ様が特別だったのです」
側仕えが3~5人ほど、それから、料理人や助手を召し抱えるのが普通でございます。
実家から派遣された侍女が2人、芸術を楽しむための灰色巫女を6人、下働きや実務のために灰色神官を4人、料理人や助手がいて、家庭教師を数人雇えたクリスティーネ様を基準に考えてはならないのです。
「ロジーナ、貴女にマイン様の側仕えは合わないのではないかしら? お互いに不満を持って生活をするのは大変でしょう?」
「ヴィルマも私に孤児院に戻れとおっしゃるの?」
「ここまで考えることの基準が違っていては、マイン様に選べる選択肢は一つしかないと思えたのです」
あぁ、やはり、という思いが胸を占めました。マイン様はロジーナに孤児院へ戻るように、とおっしゃったのでしょう。
「……マイン様は明日までに考えなさいとおっしゃったわ。孤児院に戻るか、クリスティーネ様の時と違う環境を受け入れるか、好きな方を選びなさいと」
「そう。では、後はもうロジーナの問題ですわね」
ロジーナに時間を与えてほしいと願った私の言葉を受けて、そこまでマイン様が譲歩してくれているならば、私から言うことはもうありません。ロジーナが選ぶだけです。
「ヴィルマは……灰色神官の仕事を巫女にさせるなんて、間違っているとは思わないの?」
絵を描き始めた私を見て、ロジーナが不安そうに声をかけてきます。クリスティーネ様の側仕えであった私の賛同が得られずに戸惑っているように見えました。
「えぇ、クリスティーネ様以外のお部屋では当たり前のことですから」
「……では、私が間違っているのですね」
ロジーナがポツリとそう零しました。ロジーナにとってはクリスティーネ様が全てでした。孤児院を出てからその生活しか知らず、戻ってからもクリスティーネ様との生活を乞い続けてきました。そこで培ってきたものが否定されるのは辛いでしょう。
しかし、もうその生活がないことを、クリスティーネ様の常識が余所では通用しないことを知らなければなりません。
「ロジーナ、貴女が間違っているのではありません。クリスティーネ様の決めたことはクリスティーネ様のところでしか通用しないだけなのです。逆にマイン様の決められたことはマイン様の元でしか通用しないでしょう」
「通用、しない……?」
「ねぇ、ロジーナ。よく考えてみてちょうだい。マイン様ではなく、他の青色神官の側仕えに召し上げられたなら、楽器がなかったかもしれません。花捧げも仕事だったかもしれません。それに不満を漏らしますか?」
青色神官を前に、「楽器がないところに行きたくない」とか「花捧げは教養ある巫女のすることではない」などという灰色巫女見習いの主張が通るわけがないのです。
「マイン様は音楽をしてはならないとはおっしゃらなかったのでしょう? 一日中音楽をさせる余裕はないし、他の側仕えがしている仕事をしてほしいとおっしゃっただけ。指を傷めたくないと言ったロジーナの言葉を汲んでくださって、実務を覚えてほしいと言ってくださっているではありませんか。ロジーナはマイン様に心から仕えると言っていたと思うけれど、それは口先だけの言葉だったのかしら?」
自分の意に沿わない側仕えなど必要ないと切り捨てるのは簡単でしょう。けれど、マイン様はできる限りの譲歩をしてくださっているように私には見えます。
「仕えるべき主に譲歩させておいて、まだ不満ならば、ロジーナにはクリスティーネ様の側仕え以外は無理だということです。周りに迷惑をかける前に孤児院に戻った方がよろしいでしょう」
何もかもを諦めたような、呆然とした顔でロジーナは静かに涙を流して、ゆっくりと長い睫毛を伏せました。
「……巫女見習いの側仕えになっても、もう、あの頃には戻れないのですね」
「えぇ、クリスティーネ様はもういらっしゃらないもの。他の誰もクリスティーネ様にはなれませんから」
私が数枚の絵を描き上げる間、ロジーナはベッドに座ったまま、項垂れて静かに泣いていました。色々湧きあがる感情を押し流すように泣き続けるのを、涙が自然と枯れるまで私はそっとしておきます。
「……ヴィルマ」
ロジーナが顔を上げた時には、決意を目に秘めていました。
ずっとしがみついていた過去と決別して、先を見据えたロジーナの表情は殊の外美しく、手元に画材がなかったことが悔やまれるほどでした。
「私は少しでも音楽に係わっていたいと思います。ですから、マイン様の元に戻ります。そして、実務を覚えます」
「マイン様は努力すれば認めてくださるわ。初めて孤児院でご褒美を下さった時のように……。私には話を聞くことしかできませんけれど、頑張って」
数日後、マイン様が嬉しそうに笑いながら、孤児院へやってきました。巫女見習いではあるけれど、マイン様は洗礼前の子供達と比べても、そう変わらない体格をしています。
「ヴィルマが口添えしてくれたのでしょう? ロジーナ、苦手そうだけれど、計算も頑張ってくれているのです。ありがとうございます、ヴィルマ」
へにゃりと金色の目を細めて笑うマイン様は無邪気で、とても可愛らしく、子供達と同じように抱き上げてしまいたくなりますが、マイン様は主です。
平民だからこそ、物腰が丁寧でも親しみがございます。マイン様に気品がないわけではございませんが、生粋の貴族であったクリスティーネ様に比べると、主らしい威厳や品格は足りません。
「神官長がロジーナを側仕えとして付けるのは、マイン様に教養を身につけさせるためだと伺いました。手本となる青色巫女が神殿内にいない以上、一番の手本となるのは、クリスティーネ様の友人のような扱いで一緒に教育を受けていたロジーナでございます。ロジーナが努力して苦手を克服しているように、マイン様も努力して教養を身につけなければなりませんよ?」
うっ、とマイン様は言葉に詰まられ、困ったように視線をうろうろとさまよわせます。しかし、本来、上に立つ者は、そのようにうろたえたところを見せてはならないのです。
「マイン様、側仕えを集めて話し合いを行った時、ロジーナは視線を逸らしましたか? 誰も味方がいない状態で俯いて泣きだしましたか?」
「……真っ直ぐに顔を上げて、自分の意見を曲げずに述べていましたけれど?」
マイン様はよく理解できないと言わんばかりに、首を傾げます。幼子としての仕草は可愛らしいですが、それではいけないのです。
「それが正しい貴族の在り方なのです。……ロジーナは私のところへ来て泣きました。それまでは我慢し続けていましたよ」
「……わたくし、ロジーナのようにならなくてはダメなのね?」
きゅっと唇を引き結び、マイン様が私を見上げました。その瞳はロジーナが決意した時のものによく似て見えます。
「孤児院育ちの灰色巫女でも立ち居振る舞いを身につけることができるのですから、マイン様にできないはずがございません。ロジーナの立ち居振る舞いをよくお習いください」
「……はい」