Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (11)
石板GET!
冬支度で何より大事なのは食料だ。
日本と違って、年中無休で開いているスーパーがあるわけではない。採れる野菜もほとんどなくなって、市場が立つことさえ、天候によってはどうなるかわからない。飢え死にしたくなければ、事前準備は必須だ。
そんなわけで、わたしはただいまドナドナ状態で荷車の上で大量の荷物の間に乗せられている。
真っ暗で夜明けも程遠い時間にわたしを叩き起こす父の言葉が発端だった。
「さぁ、今日は農村だ! 準備はいいか?」
いいわけがない。
何を言っているんだ、と眠い目を擦りながら、わたしは父を睨んだが、母とトゥーリは「もちろんよ」と笑顔で大きく頷いていた。
どうしよう。話の流れについていけないのはわたしだけだ。
「そういえば、マインが熱の時に決まったから、聞いてなかったのかもしれないわね」
ポンと手を打った母の言葉に、父もトゥーリも納得してしまったが、わたしは家族内で仲間外れにされているようで、ちょっとばかり面白くない。
むうっと脹れっ面をしてみるが、家族はさっさと準備を始めてしまい、わたしに構っている余裕など全くないようだ。
「とにかく温かくしていないとダメよ。マインは去年も熱を出したんだから!」
バタバタと荷物を下に運びながら、母は着替えるわたしに声を飛ばす。一人で留守番をさせてもらえないので、おとなしくついて行くしかできない。
……それにしても、農村に何しに行くんだろう?
最初は体力づくりも兼ねて自分の足で歩くつもりだったが、あまりに遅いあたしの速度に頭を抱えた父がわたしを荷車にペイッと乗せたのだ。
大小いくつかの大きさの樽やたくさんの空ビン、紐、布、塩、木材など、今日これから行く農村で必要になるだろう荷物が荷車に乗っている。
あれ? もしかして、わたしって荷車に乗っている中で一番役に立たないお荷物じゃない?
わたしはほとんど余分のスペースがないところに、なるべく小さく収まるようにして座った。
父が前で荷車を引木、母とトゥーリは荷車を後ろから押していく。何と言うか、自分のお荷物具合が際立って、ちょっと切ない気分になった。
「ねぇ、母さん。なんで農村なの?」
「街にはたくさんの煙が出る燻製小屋がないでしょ? だから、一番近い農村で小屋を借りるのよ」
「燻製作り? そういえば、この間、市場でお肉いっぱい買ったもんね」
塩漬けにしたり、湯がいたりして、処理していたような気がするけれど、まだ残っていたってこと? もしかして、結構痛んでない? 大丈夫なの?
指折り日数を数えて、どんどん不安になっていくわたしに、母は呆れたような目を向けた。
「何言ってるの? 今日は豚肉加工の日よ。農村で豚を二頭買って、みんなで手分けして作って、分け合うんじゃない」
「え?」
耳が一瞬、母の言葉を拒絶した。脳に届くまでに明確な時間差があり、到達した時には身体が小刻みに震えだした。
「ぶ、ぶぶぶ、豚肉加工の日って何!?」
「ご近所さんで集まって、豚を解体して、塩漬けや燻製、ポットミート、ベーコン、ソーセージなんかを作る日よ。マインだって、去年……そういえば、荷台で熱出してたわね」
できることなら、今年も熱を出したかった。そうしたら、少なくとも目にすることは避けられたかもしれないのに。
「母さん、この間、市場でお肉買ってたじゃない……」
「たったあれだけで足りるわけないでしょ? みんなで加工しても足りない分を買い足した程度よ?」
大量に買い込んだと思っていたのに、足りない分の買い足し程度の量だったとは思わなかった。冬支度に必要な肉というのが、一体どれだけの量になるのか見当もつかない。
豚の解体に行くのが避けられないようで、憂鬱な気分になってきたわたしと違って、トゥーリは荷車を押しながらも満面の笑顔だ。
「お手伝いの途中で味見したり、できたてのソーセージが夕飯になったり、楽しみもいっぱいあるんだよ。マインは初めてのお手伝いだけど、みんなでわいわいするのって、ちょっとしたお祭りみたいなの。今年は一緒にできるから楽しみだね」
「みんなって?」
わたしがトゥーリの言葉に思わず首を傾げると、母が「当たり前のことを聞くな」と言わんばかりの表情で口を開いた。
「ご近所で一緒にやらなきゃ誰とするの? 豚の解体は大仕事なんだから、大人が10人はいないとできないでしょ?」
ぅあぁ、ご近所さんかぁ……。
マインの記憶は曖昧なものも多いから、向こうが知っていてもわたしが知らない人がたくさんいるに違いない。
対処することを考えると面倒くさい上に、今日やることは豚の解体だ。市場での光景を思い出すだけで背筋が震える。
「……行きたくない」
「何言っているの? 行かなきゃ冬のソーセージもベーコンもないのよ?」
冬の食料がなくなるのだから、わたしが嫌だと言っても許されるわけがない。行かなかったら冬の食料がないなら、どんなに嫌でもわたしだって参加するしかない。
わたしが陰鬱な気分で溜息を吐いていると、荷車は外壁の南門を通過しようとしていた。
「おはようございます。あれ? 班長、遅くないですか? もうとっくにみんな門をくぐって行きましたよ?」
「あぁ、だろうな」
門をくぐろうとしたら、父の同僚と思われる兵士が声をかけてきた。どうやら、ご近所さんはもうとっくに農村に向かって出発したらしい。
「いってらっしゃい」
子供好きそうな門番のにいさんに手を振られて、わたしも振り返す。何事にも愛想は必要だ。
わたしがマインになってから、街から出るのは初めてだ。
荷車がゴトゴト音を立てながら、短いトンネルのようになっている門を出た瞬間、驚きが素直に声となって出てきた。
正直、門の中と外でここまで景色が変わると思っていなかった。
「うわぁ」
まず、家がない。
街の中はせまい中にひしめき合っているような状態なのに、門を一歩外に出ると、街道と呼ばれるちょっと太めの道から少し引っ込むようにして、10~15軒くらいの集落がぽつぽつと見えるだけだ。
そして、空気が良い。
広く開けている分、汚物の匂いも分散されているのか、空気がおいしいものだと実感した。高い壁に阻まれるように籠った匂いがしない。
あとは、一面が緑だ。
広く開けている薄い緑は畑で、こんもりと大きく高くなった濃い緑は森。ものすごく長閑な風景が広がっていた。
「マイン、口を閉じないと舌を噛むぞ」
「へっ!?」
父の忠告の直後、ガクンと大きく荷車が揺れて、荷車の揺れが街の中よりずっとひどくなった。街道が石畳ではなくなり、土が丸出しになった道になったせいだ。
荷物も飛び出しそうに揺れているが、ロープで固定されているだけマシだ。固定されていないわたしが一番危険だった。
晴れたら、ぼこぼこのがたがたで、雨が降ったら、ぐっちゃぐっちゃのでろんでろんになる道なんて最悪だ! アスファルト見習え!
口を開けることもできず心の中で悪口雑言を並べ、わたしは振り落とされないように荷車の縁にがっちりとしがみついた。
「そろそろ着くからな」
目的地の農村は門を出て15分くらいのところだった。農村の入り口にさしかかると、人がたくさんいるざわめきが伝わってくる。
豚の解体は基本的に男の仕事だ。100キロ以上あるような豚を押さえつけたり、紐で縛って釣り上げたり、何をするにも力が必要だからだ。
その間、女性は燻製小屋の準備をしたり、大量のお湯を沸かしたり、道具や塩の準備をしたりと加工のための準備をする。
農村にたどり着いた時には、先に解体が始められようとしているところだった。解体作業に参加できなければ、当然肉は当たらない。
「まずい! もう始まるぞ!」
「大変! トゥーリ、走るわよ!」
「うん!」
三人とも慌てて荷車から手を離して、荷車の中からぶ厚い素材で作られて、表面に蝋を塗り込んであるエプロンを引っ掴んだ。
母とトゥーリはエプロンを身につけながら、燻製小屋の方の女性がたくさんにいる方へ向かって走っていく。
父はその場でエプロンを身につけると、仕事道具でもある槍を持ちだして駆けていった。
速っ!
呆然としているうちに、家族はわたしを置いてみんな行ってしまった。
母を追いかけることもできたけれど、これだけの集団の中で、何をどうすればいいのか全くわからないのは不安で仕方ない。毎年恒例の行事ということは、暗黙の了解という常識が存在するのだ。せめて、マニュアルが欲しい。
何をするにも足手まといであることを自覚しているわたしは、誰かに呼ばれるまで荷車の番をすることにした。
これだって重要な仕事だ、と自分に言い聞かせながら、置き去りにされた荷物と一緒に荷台の上でぼーっと座り込んでいた。
しかし、父が荷物を放置したここは、豚が解体される広場の真ん前だった。少し距離はあるけれど、追いまわされ、悲痛な声で叫びながら逃げようともがく豚が丸見えだ。
木の杭にロープが括りつけられていて、そのロープのもう片方は豚の右後ろ足と繋がっている。杭の回りをぐるぐる回るように逃げる豚を男達が押さえつけようと必死になっている。
その中には見覚えのあるピンク頭が見えた。多分、あの周辺にラルフやルッツがいるに違いない。
「行くぞ! うらぁっ!」
そう叫びながら、到着したばかりの父が参戦した。
ものすごい勢いで手にしていた槍を構えたかと思ったら、豚をブスッと一突き。
たった一撃で豚はぴくぴくと何度か痙攣した後、動かなくなった。
ひぃっ! と、わたしの血の気が引くと同時に、広場では父の働きに、わぁっと歓声が上がる。
そこへ母さんが金属のバケツのようなものと少し長い棒を持ってきた。別の奥さんが豚のところにボールのようなものを持っていく。
何をするのだろうと思わず身を乗り出してみた。次の瞬間、周囲に少しばかり血が飛び散って、何人かのエプロンが赤く染まった。
血を受け止める準備ができたので、槍が引きぬかれて、血がドバッと吹き出したに違いない。思わず口元を押さえて、乗り出していた身を引いた。
奥さん方のスカートに隠れて豚が見えないけれど、大量の血が抜かれているのはボールを運んではバケツに入れていく奥さんの仕事っぷりでわかる。
一方、母は眉間に皺を刻んで、次々と血が流し込まれるバケツを一心不乱にかき混ぜる。
……母さんが怖い。
その後、数人がかりで準備されていた木に豚を逆さ吊りにした。逆さにされた豚から搾り切れてなかった血がじわりとにじんで滴り落ちる。
本格的な解体が始まるのだろう。厚みのある大きな解体用ナイフを手にした男の人が豚の腹にナイフを当てた。
そこまでしか記憶がない。
気が付いたら、わたしは農村ではなく、石造りの建物の中にいた。寝かせられてた様で石造りの天井が見えるけれど、ウチではない。
寝転がったまま何度か目を瞬くと、気絶する寸前の最後に見た光景が思い浮かんでしまって気持ち悪くなった。
でも、何故だろうか。何となく見覚えのある光景に酷似していたような気がして仕方ない。
何だったっけ?
ほら、引っかけて吊るして、解体していく感じ……。
喉元まで出かかっているのに、出てこない。多分、マインの記憶ではない。麗乃の記憶の方だ。日本でも似たようなものを見たはずだ。
わかった! 茨城の港近くの市場で見たアンコウの吊るし切りに似てたんだ!
すっきり!
そう考えれば、豚の解体もマグロの解体ショーと似たようなもので、新鮮でなければ食べられない物があること、みんながきゃあきゃあと楽しそうにその様子を眺めている心境も理解できた。
まぁ、理解できただけで、精神的には全くついていけないけど。
だって、マグロの解体はあんな悲痛な声で鳴かないもん。あんなにドッパドッパ血が出ないもん。
うぅ、やっぱり気持ち悪……。
口元を押さえて寝返りを打った瞬間、ゴロンとそれまで寝ていたところから落ちた。
「いったぁ……」
手をついて起き上がりながら辺りを見回すと、それほど大きくはない木のベンチのようなところに寝かされていたようだ。
近くに暖炉があり、火が入っているから、それほど寒さは感じない。けれど、誰もいないし、声も聞こえない。
……そういえば、ここどこ?
やっと現状把握に思考が回ってきた時、わたしが落ちた音が響いたのか、兵士が一人、顔を覗かせた。
「お、気がついたみたいだな」
「オットーさん?」
覚えのある顔に安心して、ホッと息を吐く。オットーさんがいる石造りの建物ということは、門の待合室か宿直室に違いない。場所もわかったことで、現状がわからなかった不安がすぅっと消えていった。
「俺のこと、覚えてくれてたんだ?」
わたしが覚えていたことで、オットーの顔にも明らかな安堵が見える。わたしの見た目が幼女なので、きっと知らない人だと思われて泣かれたらどうしようとか考えていたに違いない。
「忘れませんよ」
この世界の貴重な文明人で、わたしに字を教えてくれる先生(予定)ですから。
わたしが敬礼のマネをして、トントンと胸を叩いてそう言うと、オットーが苦笑しながら頭を撫でてきた。そのまま、現状の説明をしてくれる。
「班長が血相を変えて、連れてきたんだよ。荷車の中で倒れていたんだって。やることが終わったらすぐに迎えに来るって」
豚の解体にどれくらいの時間がかかるのか知らないが、解体の後で加工もするのだから、すぐに終わるものではないだろう。
……そういえば、トゥーリはできたてが夕飯に出てくると言ってたっけ。
自分が持っている情報から、しばらくこの待合室で待つことになるとわかった。
どうせ時間を持て余すとわかっていたので、荷台の荷物にはパピルスもどきの原料である繊維も乗せていたのに、今のわたしの手元にはない。
「どうした、マインちゃん? お父さんやお母さんがいなくて寂しい?」
「……ううん、時間潰しどうしようかな? って」
首を振って、ついつい本音を口にしてしまったわたしをオットーはまじまじと見つめた後、「そういえば、見た目ほど幼くないって言ってたな」と呟いた。
「ちょうどいいや、マインちゃん。これ、時間潰しにならないか?」
「わぁ! 石板!」
オットーさんが差し出したのは石板だった。今日は絶対に門を通る日だから、手渡そうと思って、仕事場に持ってきてくれていたらしい。
文明人で、気配りできて、親切なんて、良い人すぎるっ!
「オレは門のところに立たなきゃいけないから、練習でもしていてね」
オットーはそう言って、石板の上の方にマインの名前を書いて、石筆と布を置いて、部屋を出ていった。
わたしは片腕で石板を抱きしめたまま、これ以上ない笑顔で大きく手を振ってオットーを見送ると、石板に視線を落とした。
石板はA4くらいのサイズのミニ黒板と説明すればいいだろうか。木枠の中に黒くて薄い石がはめ込まれている。石板は両面になっていて、裏と表の両方に書くことが出来るようで、片面には字の練習のための基準線が引かれていた。
そして、石筆は石板に書くための道具で、触ってみると固くてひんやりとした石の素材だけれど、見た目は完全にちょっと細長い白チョークだ。
ちょっと薄汚れている布は消しゴムの代わりだろう。抱きしめただけで、オットーが書いてくれた字が少し薄くなってしまったから。
「うわぁ、すごいドキドキする」
机の上に石板を置いて、石筆を手に取った。
鉛筆を持つように石筆を握るだけで、心臓が高鳴る。
最初は、せっかくなのでオットーの字を手本に、全く見覚えのない字を書いてみる。
緊張と初めて書く文字だからか、ちょっと震えて歪んだ。これが日本だったら舌打ちしながらさっさと消して、書き直しただろう。
でも、今は消すのがもったいないと思うほど、久し振りに字を目にしたことが嬉しい。
ゆっくりと息を吸って、吐いて、石板の左側に置いてあった布で擦って消して、もう一度書いてみた。 先程よりはマシに書けた。
自分の名前を書いては消して書いては消して……。
それに飽きたら、覚えている短歌や俳句を日本語で書いては消して書いては消して……。
ハァ、幸せすぎる。
文字を書いて読めることが、こんなに幸せなことだとは思わなかった。
暖炉の近くとはいえ、隙間風の吹きぬける待合室で、家族が迎えに来るまで何時間も石板で遊んでいたわたしは、病弱の名に恥じないスピードで風邪を引いて、熱を出した。
「今日もまだ熱が下がってないんだから、マインはベッドでいなさい。出ちゃダメよ!」
「……わかった」
両親が家を出入りする足音は慌ただしく、二人で日持ちする根菜を冬支度部屋に詰め込んでいる。
トゥーリは台所で、自分が採ってきた木の実を煮詰めて、ジャムを作っている。この世界では嗅いだ事がない甘い匂いが家中に漂っているだけで、ちょっと幸せな気分になれる。
お酒を仕込んだり、豚の加工品が運び込まれたりするなか、トゥーリがお昼のスープを持ってきてくれた。
わたしは石板を置いて、お盆ごと受け取る。
「ごめんね、トゥーリ」
「ホントだよ」
「えぇ? それは言わない約束だよって言ってよ」
「そんな約束してないでしょ!」
そりゃ、約束はしてないけどさ。
お約束なんだよ?
家族みんなが冬支度にバタバタしている間、わたしはベッドでゴロゴロしながらオットーにもらった石板で名前の練習をしたり、日本語の文章を綴ったりして遊んでいた。
やっぱり保存できる本が欲しいなぁ。
字が書けるだけで、こんなに嬉しいんだから、本が読めたらもっと嬉しいだろうし。
早く体調戻して、紙作らなきゃ。