Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (121)
神官長への献本とシンデレラ
わたしは神殿の自室に着くと、青の衣に着替えるためにまず二階に上がる。すると、デリアがすでに青の衣を準備して待っていてくれて、着替えを手伝ってくれるのだ。一人で勝手に着替えたら、デリアに「もー!」と怒られるので、いつも通り腕を曲げたり、伸ばしたり、デリアの動きに合わせなければならない。
最初は息が合わず、自分で着替えた方がよほど速いと唇を尖らせたくなるくらい動きが噛み合わなかった。けれど、最近では結構自然に着替えさせてもらうことができるようになってきた。
ちょっとはお嬢様っぽくなってきたかな、と思いながら、軽く俯いてデリアが髪を整えてくれるのを待っていると、デリアがぼそっと呟いた。
「予想以上に素敵でしたわ」
「え? 何?」
いきなり何の話をされたのかわからなくて、わたしが首を傾げると、デリアは薄い水色の瞳を強く光らせてキッとわたしを睨んだ。
「もー! 一番に読ませて頂いた絵本ですわよ! 感想が聞きたいと、マイン様が言っていたではありませんか!」
「あ、絵本の話ね。何の話か一瞬わからなかっただけです。デリアの感想が聞けて嬉しいわ。……きちんと最後まで読めたのね? ずいぶん字が読めるようになっているんじゃない?」
デリアは一人で勉強しているのでギルより進度が遅かったはずだ。全部読めるとは思っていなかった。
「……ギルに少し教えてもらったのです。カルタも見せてもらって」
「そう。勉強になっているなら、よかったわ」
ギルをライバル視していたデリアが、本を読みたくてギルに教えてほしいとお願いするところを想像すると、とても微笑ましい気分になる。
わたしがニヨニヨしていると、少しばかり厳しい表情でロジーナがわたしとデリアのお喋りを遮った。
「マイン様、お話はそれくらいにして、フェシュピールの練習をいたしましょう。時間がございません」
「ロジーナ、どうしたの? 顔がちょっと強張っているけれど?」
「神官長から、面会時に第二課題を披露するように、と返事が来ております」
ロジーナの言葉に、あぁ、とわたしは納得した。神官長の前でお披露目しなければならないなら、ロジーナの緊張もわかる。
「では、頑張って練習しなければなりませんね。神官長の指定はいつですか?」
「昼食後でございます」
日付をすっ飛ばした答えに嫌な予感を感じながら、わたしはゆっくりと首を傾げた。
「……ねぇ、ロジーナ。いつの、昼食後かしら?」
「本日の、昼食後でございます」
「えぇ!?」
手紙を預かってきたフランが言うには、神官長も近くの農村で行われる収穫祭に向かわなければならなくなったらしい。しばらく時間が取れなくなるため、出発前に面会を終わらせたいようだ。手早く処理してくれるのは嬉しいけれど、いきなりフェシュピールのお披露目まで付けられると、心臓の準備ができない。
「慌てるのは優雅ではございません、マイン様。決して神官長に悟られないようにお気を付けくださいませ」
「……はい」
3の鐘まで必死に練習して、その後、神官長のお手伝いを平然とした顔でこなす。急なお披露目でも慌ててませんよ、という無言のアピールをして、昼食を手早く済ませると、出発時間ギリギリまでロジーナと特訓する。
真面目に練習させられているので、上達はしているが、誰かに聴かせるのはどうしても緊張する。特に、今回は自作の歌――麗乃時代に覚えていた曲――のお披露目まである。
自作の歌は、映画の主題歌だったラブソングは止めて、無難な学校唱歌に変更した。直訳ならともかく、適当な替え歌を作るのが難しすぎた。毎回、ちょっとずつ歌詞が変わったり、気が付いたら英語の歌詞を口ずさんでいたりするので、ロジーナに呆れられてしまったのだ。
「落ち着いて弾けば大丈夫ですわよ。あたしよりは上手なんですもの」
「ありがとう、デリア。頑張ってきますね」
デリアの激励を受けて、わたしは子供用聖典やシンデレラの文章を持ったフランと小さい方のフェシュピールを持ったロジーナと一緒に神官長の部屋に向かった。
「急な指定ですまない」
大してすまないとは思っていないような無表情でそう言うと、神官長は部屋のほぼ中央にある応接用椅子を勧めてくれる。
「では、あれからどのくらい上達したか、聴かせてもらおう」
わたしはロジーナからフェシュピールを受け取って、太股の間に挟むようにして構えると、深く呼吸した。ドクンドクンと鳴る鼓動を耳の奥で聞きながら、ピィンと弦を弾いた。
課題曲に続けて、学校唱歌「大きな栗の木の下で」を歌う。栗ではなく、胡桃のような木の実の名前を入れて、違和感がないようにしてある。
神官長も満足そうに頷いて「大変結構」と褒めてくれた。
「なかなか上達が早いな、君は。これが次の課題曲だ。それから、君が作る曲は興味深い。次も何か作ってくるように」
「……はい」
受け取った楽譜に目を通して、次の課題曲がちょっと難しいことにげんなりしながらも、無事に切りぬけられたことにホッと胸を撫で下ろす。
「ロジーナ、これを」
ロジーナにフェシュピールを手渡し、わたしはアルノーが入れてくれたお茶に手を伸ばした。緊張の時間を切り抜けた後のお茶はとてもおいしく感じる。
神官長はわたしと逆で、フェシュピールを聴きながら飲んでいたお茶をコトリとテーブルに戻した。
「それで、君の用件は子供用の聖典ができたという話だったな?」
「はい。こちらが子供用聖典の絵本です」
わたしがフランに視線を向けると、フランは軽く頷いてスッと神官長に絵本を差し出した。神官長は差し出された本を見て、眉を寄せながら手に取る。
「これが本だと? この表紙は何だ?」
隠し部屋にいる時と違って、神官長の表情がほとんど変わらないのでわかりにくいけれど、口調が咎めるようなものになっている。何故、表紙を見ただけでそんな尖った声を出されるのか、わからなくて、わたしは首を傾げた。
「何と言われましても、紙ですけれど?」
「それは見ればわかる。何故、紙の間に花が入っているんだ?」
「え? 入れたからです」
「それもわかる。どうして入れたのか、聞いているんだ」
苛立たしげに神官長の声がどんどん尖ってくる。どうしてそんなに機嫌が急降下しているのか、全くわからない。ベンノは貴族の令嬢に受けそうだと喜んでくれたけれど、紙の間に花を漉くのは禁じられているのだろうか。
「どうしてって、花が入っている方が可愛いと思ったからです。何か問題がありましたか?」
「……可愛いから? いや、そうではなく……もういい。行くぞ」
理解不能だと言いたそうに、むむっと眉を寄せた神官長が立ち上がって、寝台の奥の隠し部屋へと向かい始めた。わたしも神官長のことが理解不能で、同じようにむむっと眉を寄せながら、神官長の後を追う。
「マイン様、これを」
慌てた様子のフランがわたしにシンデレラの文章を書いた紙を差し出してきた。わたしは「ありがとう」と受け取ると、神官長が開けているドアをくぐった。
相変わらず雑然とした隠し部屋に入って、わたしはいつもの長椅子に向かう。長椅子を占領している資料を退けようとして、これが魔術の資料かもしれないと思い出した。
「こら、見てはならないと言ったはずだ」
「はぁい」
覗きこむより先に気付いた神官長がわたしの手にある資料を取り上げて、机の上に積み重ねた。あの机の資料が魔術関係の資料に違いない。そう思って部屋を見回すと、今までと違った感じに見えるから不思議だ。
神官長は自分の座る椅子を引き寄せながら、ぐぐっと眉間に皺を寄せる。
「きょろきょろしないように」
「申し訳ございません。……それで、何のお話でした?」
「どのようにすれば、紙の間に花が挟めるのか、と聞いてるのだ。工房独自の秘密というなら、無理には聞かぬが、紙の間に花が挟まっているなどおかしいだろう?」
「おかしくないですよ? 紙を漉く過程で、パラパラと入れればできます」
「……パラパラだと?」
簀桁の上で花を散らすように指をひらひらさせながら説明したけれど、神官長には全く通じなかったようだ。
神官長が基本的に知っている紙が羊皮紙だけであることに気付いて、わたしはポンと手を叩いた。確かに、羊皮紙の作り方しか知らなかったら、花が間に挟まるわけがない。繊維に絡めとられたようにうっすらと浮かび上がるなんてあり得ないだろう。
「えーと、植物紙と羊皮紙は作り方が根本から違うので、どうしても気になるなら、今度工房まで見学に来てください」
「そうだな。君の説明ではさっぱりわからぬ」
自分の意図する答えを得ることを諦めたらしい神官長は、足を組んで膝の上に子供用聖典を置いて、パラリと開く。扉のページをめくり、本文と絵を目にした途端、目を細めてわたしを睨んだ。
「本というのは芸術品だ。表紙が皮張りで、宝石や金があしらわれていて、絵には色がふんだんに使われていて、鮮やかで美しいものでなければならぬ。この本では芸術的な価値が低いぞ。せっかく良い絵なのだから、色を付けなさい。もったいない」
美しい字を書く者に本文を書かせ、芸術家や絵の工房に挿絵を頼み、皮の職人に表紙を作らせるのが、神官長にとっての本らしい。図書室に置かれていた本を思い出して、わたしはふるふると頭を振る。
「色を付ける方がもったいないですよ。どれだけお金がかかると思っているんですか? 孤児院の子供達に字を教えるために使うので、一冊にお金をかけるより、複数準備してあげたいんです」
「本は芸術品であり、一点物だ。何を言っているんだ、君は?」
その言葉、そっくりそのまま神官長にお返ししたい。そう思っていたら、勝手に口から言葉が漏れていた。「何を言っているんですか、神官長は?」と。
「本は芸術品というよりは、知識と知恵の結晶ですよ。わたくしは芸術品を作りたいのではなくて、皆が読めるように、安価な本を量産したいのです」
「量産? 大勢に書かせるということか? 孤児院の子供たち全員が字を覚えればそれも可能かもしれないが、気の遠くなるような時間がかかるぞ?」
神官長はよくわからないと言いたげにこめかみを押さえて、節の目立つ指でトントンと軽く叩いた。
わたしの場合、最初から印刷方法ばかりを考えていたので、そんな気の遠くなるような量産方法は考えたこともなかった。
「違います。印刷で量産するんです。これと同じ絵本がすでに30冊ありますけれど……」
「ちょっと待ちなさい」
神官長がピクリと眉を動かして、わたしの言葉を遮った。オレンジに近い金の瞳が軽く見張られて、信じられないと言いたげにわたしを見つめる。
「すでに30冊も同じ物があるとはどういうことだ?」
「だから、印刷したんですよ」
「印刷とは?」
神官長が聞いていなかったのか、フランもあまり工房へ行かないので理解できていなかったのか、業務内容には詳しくないらしい。利益報告はきっちりとさせて、神殿にお金を納めているので、フランから報告が入っていると思っていたが、そうではなかったようだ。
神官長のあまりにも根本的な質問に、わたしはどこから説明すればいいのか迷う。
「マイン工房で植物紙を作っているのはご存知ですよね?」
「あぁ」
「そこで少し厚めの紙を作って、文字の形や絵の黒い部分を切り抜くんです。カッター……えーと、ナイフのような刃物で。これを版紙と言います」
「紙を切り抜くだと?」
神官長が少し裏返ったような声を出したことから、かなり常識はずれなことをしてしまったことを悟った。後の祭りなので、見なかったことにしよう。
「そして、本にする紙の上に版紙を重ねて、上からインクを付けると、切り抜いている部分だけにインクが付きます。できあがった紙を退けて、新しい紙の上にまた版紙を置いてインクを付けます。そうしたら、全く同じ2枚目ができます。それを各ページにつき、30回繰り返すと、30冊の本になるんです」
途中から、処理落ちしたパソコンのように神官長の反応がなくなった。わたしは何となく神官長の目の前で軽く手を振ってみる。
「神官長、聞こえていますか?」
「……聞いている。聞いてはいるが……」
再起動した神官長が、きつく目を閉じて、深い溜息を吐いた。ベンノの時にも見られなかった反応にわたしの方が戸惑ってしまう。
「えーと、大丈夫ですか?」
「……君は、ずいぶんと思いきったことをしたな」
「思いきったこと、ですか?」
何か思いきったことがあっただろうか、とわたしは絵本作りの過程を思い返した。一番思いきったのは、「木版画はダメだ」と見切りを付けて、版紙を作ることにした時だったと思うが、神官長が示すものではないだろう。
神官長が言う「思いきったこと」に該当するものがわからなくて、わたしが首を傾げていると、神官長は何度目かの溜息を吐いた。
「つまり、印刷というのは紙を切り刻んで、インクを塗るのだろう?」
「はい」
「紙を切り刻むというのもあり得ないが、惜しげもなくインクを塗るというのも信じがたい」
羊皮紙は高くて希少価値が高いので、切り刻むなんてもったいない使い方は誰もしなかったようだ。植物紙も同じくらいの値段がするけれど、マイン工房で自作しているということと、孔版印刷の存在をわたしが知っていたので、それほどもったいない使い方だとは考えていなかった。
わたしと神官長では、本に求めるものが違うのだから、不毛な言い争いにしかならないけれど、絶対に表紙をごてごて飾るよりは、版紙を作って印刷する方が、お金の有効な使い方だと思う。
「惜しげもなく、と言われても……表紙だけに惜しげもなく金額をかける方が、わたくしには信じられないのですけれど。神官達が集めてくれた煤からインクを作ったので、売られているインクよりは安上がりでしたし……」
「インクも……本当に煤から作れたのか」
煤集めを不審がられた時に、一応インクを作るためだと説明したはずだけれど、どうやら本当に完成するとは思っていなかったようだ。
呆気にとられた神官長の顔に、わたしは不思議な気分になる。
「……そんなに驚くことですか?」
「当たり前だろう」
「でも……、その、先にお渡ししたベンノ様も、頭が痛いとはおっしゃっていましたけれど、すぐに原価計算や新作絵本の話に移ったので、そこまで驚くようなことではないと思っていました」
ベンノはもうわたしとの付き合い方を心得ているし、商人としての利益計算をすることで衝撃を上手く緩和しているだけで、実は神官長くらい驚くのが普通なのかもしれない。
むーん、とわたしが考え込んでいると神官長は、ゆっくりと頭を振って、少しばかり遠い視線で窓の方を見遣った。
「……ベンノは意外と苦労人ではないのか? 君が作るものがこのように規格外の物ばかりならば、彼の心労は相当だと思うぞ?」
「ぅえっ!? 商人なので売れる商品が欲しいんですよ。確かに、苦労はしてますけれど、自分から首を突っ込んでいるせいもあると思います。わたくしだけの責任ではないはずです。……多分」
植物紙協会を作って羊皮紙協会と対立したのも、イルゼの喧嘩を高額で買ってイタリアンレストランを始めたのもベンノだ。わたしの主張に神官長はフンと肩を竦め、結果はわかっていると言わんばかりの顔で唇の端を上げた。
「君ではなく、ベンノの話を聞いてみなければわからぬな。……ところで、マイン。先程、君は新作絵本と言わなかったか?」
「言いましたけれど、それが何か?」
「作る前に必ず報告するように。何度もこのように驚かされるのはごめんだ」
作るものは一緒だから、いつ報告しても驚くと思うけど、と心の中で呟きながら、わたしはフランから受け取った紙を神官長に差し出した。
「次の絵本はこのシンデレラにする予定なんですけれど、これで作っても大丈夫ですか?」
昨日書いたシンデレラの文章を神官長に見せると、それに目を通した神官長がこめかみを押さえた。
「富豪の娘が王子と結婚などできるわけがないだろう? 君は馬鹿か? それとも、貴族間の身分差というものがわかってないのか?」
「えーと、じゃあ、どのくらいの貴族だったら、皆が羨ましがる玉の輿で、神官長が許せるお話になるんでしょう?」
バカか、と言われるほど、ひどい話ならば、もうちょっと妥協点を探した方が良いかもしれない。わたしの譲歩に神官長は、顎に手を当ててしばらく考え込む。
「……王子の結婚相手ともなれば、上級貴族の中でもよく教育された淑女でなければ、許されぬ。玉の輿などあり得ない。結婚ではなく、愛妾にしなさい。それでも十分に玉の輿だろう?」
「いやいや、愛妾では全く夢がないですから! お話になりませんから!」
「夢より現実を見なさい」
話の筋が玉の輿なので、身分差を乗り越えてくれなければ話にならないのだが、神官長は断固とした口調で却下する。現実ではなくて、夢を見たいから本の読むのにひどすぎる。
「あの、王子様ではなくて、辺境の領主様辺りなら、どうですか? ちょっとは玉の輿が存在しますか? お話レベルなら許して頂けますか?」
「ふーむ、領地の大きさにもよるが、多少の身分差があっても何とかなるかもしれないな。周囲の反対は多いだろうが……」
多少の身分差があっても、周囲の反対を乗り越えて、ハッピーエンドなら、お話としては成立する。妥協点が見つかったことに、わたしはホッと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、王子様ではなくて、領主の息子にしましょう」
「それから、シンデレラも富豪ではなく、中級貴族の娘にしておきなさい。この魔法使いというのは何だ? 一体どうすればこのような妙な呪文で魔術が使えるというのだ? 君に魔術の知識がないにしてもひどすぎる」
シンデレラは、神官長の数々のツッコミにより、中級貴族の娘が後妻に苛められ、魔法使いが出てくるくだりは全て却下され、亡き母に連なる貴族の援助により舞踏会へと赴いて、領主の息子に見染められる話となった。
もうシンデレラではないが、主な読者層になる貴族視点の意見はありがたく頂いておこう。
「しかし、この最後に、二人は幸せに暮らしました、とあるが、この二人が幸せに暮らすことはできぬぞ?」
「はい?」
結婚を貫いた後は、父である領主に追放されるか、寛大に許された場合でも次期領主の座を追われて、弟の補佐につくことになるだろうと、教えてくれたけれど、そんなところまで書くつもりは全くない。
後日談まで知ってしまったせいで、これから作るシンデレラはわたしにとって妙な現実感のある夢のない話になってしまった。