Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (125)
冬支度の終わり
さて、青色神官が戻ってくるまでに、一気に臭いのする仕事を終わらせてしまおう。
豚肉加工の次の日、
膠
作りと
蝋燭
作りをメインに、チーズも作るとルッツは言っていた。
わたしの家では牛を飼っている家から買ってきた牛乳にお酢を入れて作るカッテージチーズしか作ったことがないけれど、ルッツの家は卵と交換することで牛乳が良く手に入ることもあり、発酵熟成させるナチュラルチーズも作っているらしい。
「保存に向くから、孤児院はそっちの方が良いだろ?」
「……なんかよくわかんねぇけど、冬の食べ物が増えるのは良いと思う」
ルッツとギルがそんな話をしながら、今日の作業をしているのが見える。わたしは3の鐘が鳴るまではフェシュピールの練習があったので、工房への到着は遅くなってしまったけれど、順調に作業は進んでいるようだ。
フランを従えてやってきた工房の中は色々な作業を分担して行っている神官や見習い達の姿がある。普段は神官長のお手伝いに行くので、あまり工房の中を見回ることはないので、ちょっと新鮮で楽しい。
「ルッツ、ギル、進み具合はどう?」
「マイン様!?」
「一応順調だぞ。豚の皮はここ、蝋燭作りはあっちで、一回溶かして
濾過
して肉のかすを取り除いているところ。エンセキ? って、いうのはまだしていない」
ルッツとギルの目の前にある鍋の中にはすでに表皮を剥がれた内皮が石灰水の中に漂っているのが見えた。まだ石灰水につけ始めたところなのか、ぶよぶよには程遠い。ルッツが指差した方では灰色神官が三人がかりで溶かした牛脂を濾過していた。
「皮はもう少し放置だね。『塩析』はちょっと面倒かもしれないけど、臭さがかなりマシになるし、質が良い油になるから頑張ってほしいな」
ルッツの家ではわざわざ塩析などしないらしい。ウチでもわたしが口を出して、本当に臭いが減ったことから採用されるようになったので、この辺りではあまり一般的ではないようだ。
多分、わたしの知っている周囲が基本的には貧民街で、他の香辛料よりマシだとはいえ、塩が決して安価ではないせいもあると思う。
「あとね、ディエンブとルモザーの薬草は細かく刻んで溶かした蝋に混ぜておくと臭い消しになるよ。でも、ギエリーとサルコレロは使っちゃダメ。臭さが倍増しちゃうからね。気を付けて」
わたしが蝋燭の獣臭さを少しでも軽減する方法を教えると、ルッツは少し目を丸くした後、クックッと肩を揺らして笑いを漏らした。
「あぁ、マインの失敗談か」
「うぐぅ……。失敗は成功の母だから。たくさんの失敗の中から成功が生まれるんだよ」
「へぇ、なるほど。すげぇな、マイン様」
わたしの言葉にギルは目を輝かせて素直に頷いている。ウチの側仕えは可愛い。このまま素直に育ってほしいものだ。
「ところで、マイン様。エンセキって何だ? 難しいのか?」
「手間が増えて面倒だけれど、難しいことではないわ。簡単に言うと、塩水入れて、しばらくの間弱火で煮込んで、ゴミを何度か漉して取るの。そうして放っておいたら、そのうち冷えてくるから、上に油だけ、下に塩水って感じで分かれて固まるでしょ? 真っ白に固まったら、下の水は抜いて、上澄みの油だけ使うのよ」
わたしが手順を簡単に説明すると、ギルはフンフンと頷いている。ルッツも頷きながら、聞いていたが、ふと目を瞬かせた。
「なぁ、マイン。ここは石鹸の分は考えなくていいのか?」
「神の恵みで来るから、全部蝋燭に回しちゃって大丈夫だよ」
わたし達の家では春に石鹸作りをするので、油の一部を取っておくのだが、ここでは石鹸は神の恵みとして支給される。灰色神官が服や身を清めることは大事な事なので、石鹸はかなり余裕を持って与えられていた。石鹸より食料が欲しいが、青色神官にとっての優先順位は違うようだ。
「あぁ、そうだ。ギル、今漉している布の中には多分油についていたお肉の小さい固まりがたくさんあるから、今夜のスープに入れるとおいしくなるわ。灰色神官に教えてあげてちょうだい」
ギルが大きく頷いて、濾過していた神官のところへと走っていく。漉した布を一度開いて中を覗きこんだ神官が「肉か!」と嬉しそうに声を上げているのがわかった。わたしとルッツは顔を見合わせて小さく笑いを零す。
「まぁ、肉は大事だよな」
うん、と頷いた後、わたしはぐるりと工房の中を見回した。膠と蝋燭以外の作業では、紙の水分を絞るための圧搾機で木の実の油を絞っている灰色神官や見習いがいるのも見える。ランプの油はもちろん料理にも使えるので、たくさん欲しい。孤児院では基本的にスープしか作らないから、料理に使うことはないけれど。
そして、普段の主役が今日は工房の隅に寄せられていた。作り途中で水分を絞っている途中の紙や乾かしている途中の白皮や黒皮が端の方に見える。わたしは、完成して積み上げられている紙に視線を止めた。
「どうした、マイン?」
「ねぇ、ルッツ。今、工房の紙ってどれくらいできてる?」
ルッツはわたしと同じところを見て、目を細めた。
「この間、絵本を刷ったところだし、今は300枚もなかったと思う。水を切っている分を乾かしてみないと正確な数字はわかんねぇよ。いるのか?」
「うん、子供用聖典の第二弾を印刷したいんだけど、版紙がダメにならないように一気に量を刷りたいの。だから、紙が大量に欲しい。……今から作るとして、どのくらいできる?」
版紙を無駄にしないためには、紙とインクが大量に必要だ。インクは冬の手仕事でも使うので、ベンノに亜麻仁油の追加は注文している。煤もまだ大量に残っているので問題ない。
必要なのは紙だ。
「フォリンはあんまり薪に向く木じゃねぇけど、そろそろ皮が硬くなってくる季節だからな。材木屋には確認してみるよ。今ここにある白皮と黒皮を全部使っても750ってところじゃないか?」
「そう、じゃあ、できるだけたくさんお願いね」
「任せとけ」
ルッツが請け負ってくれたので、紙の件はルッツに任せることにしよう。
「マイン、まだ皮がふやけるまでに時間があるなら、チーズ作りの方を見に行くか?」
ルッツの言葉にわたしは頷いて、フランを引きつれたまま一緒に女子棟の地階へと移動する。
「チーズは女子棟で作ってるの?」
「あぁ、鍋がさ。……さすがに紙を作る鍋とチーズを作る鍋は別の方が良いだろ?」
「そうだね」
灰と木の皮を煮込む鍋で保存食を作るのは止めてほしいとわたしは考えてしまうけれど、この辺りでは洗っていれば問題ないと言う人が多い。ちょっとくらい灰が交じっていたところで食べられるらしい。食べられるけれど嫌だ、とわたしは思う。
ただ、孤児院の子供達は貴族の余り物を食べるのが普通なので、分けられるだけ鍋の数があるなら分けた方が無難だ。
「できたよ!」
「次はこれを干してちょうだい」
女子棟へ行くと、子供達が森で採ってきた果物や茸を干していて、巫女や巫女見習い達がチーズ作りとスープ作り、森で拾ってきた果物と蜂蜜を煮詰めて作るジャム作りに精を出していた。甘い匂いが漂っていて、男子棟の獣臭さとは全く違う。
「これだけ作ってもお昼にはなくなっちゃうわね」
「収穫祭が早く終わればいいのに。一日に何度もこれだけたくさんのスープを作るのも大変だもの」
青色神官から下げ渡される神の恵みが少ない収穫祭の間は、料理係が大忙しのようで、普段の倍近くの量のスープを作らなければならないようだ。唇を尖らせながら野菜を切ったり、苦笑しながら鍋をかきまぜたりしている少女達の姿に頬が緩む。
「まぁ、マイン様!?」
わたしの姿を見つけた子達が慌てて手を止めて、胸の前で両手を交差させて腰をかがめた。
わたしが「作業を続けてちょうだい」と声をかけると、先程とは違う、緊張しきったぎくしゃくとした動きで、作業を再開する。
……めっちゃ怖がられる。
工房で働いている神官達はルッツとの打ち合わせや新しい作業を見るために時々出入りしているので、まだ緊張が解れてきている。けれど、女子棟のスープ作りには顔を出すことがないので、ガチガチに緊張しているのがわかる。
「ルッツからチーズ作りをしていると聞いて、見に来ただけですわ。順調ですの?」
「牛乳はまだやっと温まってきたばかりですわ」
くるくると少し大きめの木べらでゆっくりと鍋をかき混ぜながら、ぎこちなく少女が笑う。ルッツは鍋の中を覗き込んで、軽く頷いた。
「温めるのはゆっくりでいいから、鍋の縁にブツブツの小さい泡が付き始めたら呼んでくれよ」
「はい」
鍋と火の様子を見れば、大体の時間は計算できるのか、ルッツは「これなら大丈夫そうだな」と呟いた後、果物を干している子供達に声をかける。
「おーい、チビ達。店に荷物を取りに行くから工房の方へ来てくれ」
「はーい!」
子供達は果物を干す手を止めて、籠を女子棟の地階へと片付け始めた。
「次々と荷物が来てるから、余裕があるうちに取ってこないと。マインは部屋に戻ってろ。お前がいると周りが緊張するから」
「うん、わかった」
わたしは作業が順調に進んでいることに安堵の息を吐きながら、部屋に戻る。この分なら青色神官が戻ってくるまでに大事な作業は終わりそうだ。臭いが出る作業さえ終わってしまえば、後はゆっくりやればいい。
ウチの部屋の厨房では、普段の食事作りと並行して、昨日薄切りにして燻されなかった分の大量の豚肉が塩漬けやコンフィにする作業も行われているようで、料理人は大忙しだ。
バタバタとしている厨房を横目で見ながら、二階に上がると、デリアは子供用聖典を見ながら字の練習に励み、ロジーナはフランが残していった課題と向き合っていた。
「版紙の続きでも作ろうかしら?」
二人と一緒にわたしも作業をしようかと考えていると、フランがニコリと笑って、木札を持ってきた。わたしに向かって、木札を差し出しながら首を振る。
「いいえ、マイン様。版紙より先に、いつ騎士団の要請があっても対処できるよう、お祈りの文句を復習しましょう」
騎士団は当然貴族の集まりなので、要請があって出動した時には些細な失敗もするわけにはいかないらしい。フランが一番心配しているのは孤児院の冬支度よりも騎士団からの召集だ。
「……騎士団の要請はいつ来るのですか?」
「はっきりとは決まっておりません。ですが、冬に入る前に毎年一度か二度はございますので、もう少しすれば来るでしょう」
「そう……」
本来ならば、儀式に見習いが姿を現すことはない。誰だって未熟な見習いに大事な儀式を執り行われたくはないはずだ。だからこそ、神殿で行われる洗礼式や成人式、星結びの儀などにわたしが青色巫女として参加することはなかった。
当然のことながら、騎士団からの要請も通常は成人した青色神官が向かう儀式であるとフランは言う。騎士団は男の集団になるので、悪い噂を避けるためにも青色巫女は近付けないものらしい。
しかし、今は儀式を行えるだけの魔力がある青色神官がいないため、青色見習い巫女という、本来なら神殿の中で一番役目から遠いはずのわたしがその役目を負うことになってしまったそうだ。
「でも、フラン、おかしいわ。神官長は魔力が多いのではないですか?」
わたしでなくとも、適任者はいる。神官長は今神殿に残っている青色神官の中では飛び抜けて魔力も多かったはずだ。
「……はい。ですが、神官長は時と場合により、神官としての業務より貴族としての業務を優先させなければなりませんので」
貴族の人数が不足しているのは神殿ばかりではなく、騎士団も同じ状態らしい。優秀な騎士ならば、神殿同様に中央に引き抜かれた者も多く、本来の魔力の量から考えると入団できないくらいの貴族が騎士団に入っているような現状だとフランはこっそりと教えてくれた。
そんな中、貴族院を卒業している立派な貴族である神官長は、騎士団のフォロー役をこなさねばならない可能性があるため、わたしが巫女としてきっちり仕事することを求められているとフランは言う。
……巫女らしい初任務が騎士団の要請って、もしかして責任重大ではないですか?
迫りくる要請に冷や汗をかく思いで、お祈りの文句を唱えていると、フランがハッとしたように顔を上げた。
「……マイン様、儀式用の衣装はどうなりましたか?」
「仮縫いが終わって、本縫いに入っているから、もうじきできると思うけれど?」
仮縫いの後、コリンナからは体調が良ければ四日、悪くても十日もかからずできると言われている。わたしがフランにそう伝えると、フランは安堵したように胸を撫で下ろした。
「そうですか。では、要請があればすぐに出られるように、なるべく早目に神殿にお持ちください」
そうして、わたしとフランが祈りの文句を復習しているとギルが箱を抱えて部屋に戻ってきた。ギルベルタ商会からの荷物が届いたらしい。
「フラン、手伝ってくれないか? 大きな荷物もあるんだ」
「わかりました。今行きます。デリア、ロジーナ、開封を頼みます。マイン様は動かずここで復習していてください」
ギルの頼みに答えるように立ち上がったフランに続いて、ロジーナとデリアも階下へと下りていく。小ホールに置かれる荷物をデリアとロジーナが解いていき、フランとギルは工房の方へと荷物を取りに行く。
「まぁ! 敷物が届きましたわ!」
部屋の模様替えや飾り立てるが好きなデリアの弾んだ声が階下から響いてきた。
「これでこの部屋も冬のお支度ができるのね。 早速……」
「デリア、もうじき昼食ですわよ。模様替えはお昼からのお仕事にいたしましょう」
デリアの暴走を止めたロジーナの言葉により、昼食後は部屋の大掃除と模様替えが決定してしまったようだ。
「さぁ、マイン様はギルと一緒に工房にでもお出かけくださいませ」
昼食後、わたしはデリアから笑顔で部屋から追い出されてしまった。
神官長が収穫祭で不在のため、わたしはフランが一緒でも図書室には入れない。図書室に行けないわたしは、部屋にいられなくなったら工房へ行くしかないのだ。
そして、フランは貴重な男手なので、連れていかれると困るとデリアに言われたため、工房へのお伴はギルである。
「皮がかなり膨れてきたから、見てほしいってルッツも言っていたんだ。マイン様、一緒に工房に行こうぜ」
「ギルは優しいね」
工房に行くと、孤児院での食事がまだ終わっていないのか、人がいなくてガランとしている。止める人がいないので、わたしは遠慮なく鍋に近付いて中を覗きこんだ。
「もう良さそう。石灰を落とすためによく洗ったら、グツグツ煮込んでいってね」
「わかった」
「……あれ? マイン、来ていたのか?」
ベンノのところで昼食と報告を終えたルッツが工房にいるわたしを見て、目を丸くする。基本的に働いてはいけないわたしが一日に何度も工房に足を運ぶことは珍しいのだ。
「敷物が届いたでしょ? デリアがお部屋の模様替えをするって、張り切っちゃって……。邪魔だから追い出されたの」
「へぇ。じゃあ、ちょうど良かったかな?」
「え?」
わたしが首を傾げると、ルッツは軽く肩を竦めた。
「儀式用の衣装ができたから、時間があったらコリンナ様のところへ行ってほしいって、旦那様からマインへの伝言を頼まれたんだ。部屋にいられないなら、コリンナ様のところへ行ってくればどうだ? 帰りはそっちへ迎えに行くから」
ルッツの提案にわたしはコクリと頷いた。寒くなってきている秋の日に、わたしが外で突っ立っているのは危険だ。避難できるところがあるなら、行った方が良い。
「そうする。コリンナさんのところにはロジーナを連れていくから、ルッツが迎えに来る時にはフランを一緒に連れて来てね。ロジーナ一人では帰せないから」
「わかった」
「ルッツ、先に皮を洗っててくれ。オレ、マイン様を送ってくる」
わたしがギルと一緒に部屋へ戻ると、大きな家具を退け始めたデリアに「もー!」と怒られた。荒れた部屋を見せるわけにはいかないので、掃除が終わるまで、主は戻ってきてはならないらしい。
「儀式用の衣装ができたのですって。ギルベルタ商会へ行って、本日はそのまま帰宅します。着替えだけさせてちょうだい。それから、コリンナ様のところへ向かうお伴はロジーナに任せて良いかしら?」
「かしこまりました」
ロジーナは外出用の服に着替えに行き、デリアは「明日までには部屋を整えておきます」と楽しそうに言いながら、手早くわたしを着替えさせた。
買ったばかりの臙脂のワンピースに袖を通したロジーナと一緒に一階へと降りていく。
「フラン、悪いけれど、ルッツが店に戻る時には呼びに来ると思うから、一緒に店まで来てくれるかしら? さすがに日が暮れてからロジーナを一人で帰せないもの」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ、マイン様。お早いお帰りをお待ちしております」
フランに見送られて、日差しは温かいけれど風が冷たくなってきた街の大通りをロジーナと二人で歩く。わたしと一緒に店まで歩いたり、家までの送り迎えをするフランや森まで出かけるギルと違って、ロジーナが外を出歩く機会はあまりない。珍しそうに周りを見ているロジーナの様子が可愛らしい。
「ヴィルマともこうして外を歩けたら、絵に描けるものも増えると思うのだけれど……」
「そのうち、出かける気になるかもしれませんわ。最初は地階でスープを作る時に灰色神官が水運びを手伝うだけでも、遠目に見てビクビクしていたヴィルマが、今では指示を出せるようになっているのですもの」
孤児院と子供達を任せられるようになったヴィルマは、ちょっとずつ強くなっているらしい。ロジーナからの報告にヴィルマの変化が少しずつ見えてきて、わたしは嬉しくなった。
「こんにちは、マルクさん。ベンノさんに呼ばれたので、早速やって来ました」
「今、旦那様は商談中ですので、直接コリンナ様に伺ってまいります。こちらでお待ちくださいませ」
マルクに勧められて椅子に座ると、ロジーナはわたしの後ろにそっと立つ。マルクに指示された見習いがお茶を運んでくれた。わたしはそのお茶を飲んで、ふぅと一息吐いた。
「マイン様、こちらからどうぞ」
ロジーナがいることと、今日のわたしがコリンナの客であることから、マルクが様付けでわたしを呼んだ。店を出て、表の階段から三階へと上がる。
「コリンナ様、マイン様でございます」
「いらっしゃい、マインちゃん」
マルクがノックするとコリンナがおっとりとした笑顔で迎えてくれる。そして、ロジーナに視線を止めて、軽く目を見張った。
「今日は側仕えがいらっしゃるのね? マイン様と呼んだ方が良いかしら?」
「わたし個人としてはどっちでもいいんですけど、ロジーナの心証を考えると、その方が良いかもしれません」
「ふふっ。では、マイン様。こちらへどうぞ」
案内されたいつもの応接室に入ると、普段はハンガーラックとして使っている家具を着物をかける
衣桁
のように使って、正面に儀式用の衣装が大きく広げてかけられていた。
「わぁ!」
窓から入ってくる光が当たる位置に設置されているようで、同色の糸で刺繍された流水紋と季節を代表する花が浮かび上がって見える。光でわずかに糸が白く光って見える様子が本当に水のようで、一瞬言葉を失った。
「……見事ですわね」
ロジーナの感嘆が籠った声に、わたしもハッとする。
「コリンナさん、本当に素敵です。ありがとうございます」
「こちらこそありがとう存じます」
ふわりと笑ったコリンナが少しずつ大きくなっているお腹を押さえるようにして、そっと丁寧な仕草で衣装を外す。
「試着してみてくださる? 申し訳ないのですけれど、このようなお腹ですので、手伝っていただいてもよろしいですか?」
「えぇ、もちろんですわ」
ロジーナはコリンナから受け取った青の衣をわたしに着せていく。青色巫女見習いに仕えていたロジーナの手には一切の迷いがない。
青一色に染められた衣装に同色の刺繍、縁取りには袖と裾が銀糸で、首元には金糸で刺繍がされている。そして、首周りの刺繍で、正面から見た時にちょうど真ん中に見える位置にはマイン工房の紋章が金糸で刺繍されている。
……緊張する。
まるで成人式の振り袖を着せられているような気分だ。お淑やかにしなければならない。汚してはならない。そんな強迫観念に駆られてしまう。
「帯はこちらですわ」
儀式用の衣装に合わせる帯は、見習いは白に銀の刺繍、成人すると白に金の刺繍と決まっているらしい。この刺繍も聖典の祈り文句を縫い込んだものだとコリンナが説明してくれた。
「あの、布がずいぶん厚く感じられるのですが……?」
着付けをしていたロジーナが帯を整えながら、コリンナを見上げた。コリンナはニコリとした笑顔を崩さずに、儀式用に衣装に取り入れた揚げの説明をする。
「こうして予め生地を折って縫い込むことで成長に合わせて、大きくできるのですわ。……元々マイン様にお願いされて、こういう形にしたのです。珍しいですが、滅多に使わない儀式用の衣装ならば合理的でございましょう?」
「……マイン様にはいつも驚かされますわね」
コリンナの独創ではなく、わたしの提案だと説明されたところで、ロジーナは納得の息を吐いた。そして、着付けを終えたロジーナが立ち上がり、衣装を着たわたしを様々な角度から見て、コクリと一つ頷いた。
「とても良い衣装ですわ、マイン様。動きに合わせて水と花の刺繍が浮かび上がり、周囲の方の視線を引き付けるでしょう」
クリスティーネ様に仕えていたロジーナからの太鼓判をもらったことで、儀式用衣装に新しいことを取り入れたコリンナが安心したように胸を撫で下ろしていた。
儀式用の衣装が調い、部屋が冬仕様に模様替えされ、保存食が次々と作られていく。蝋燭が作られて、薪と共にそれぞれの地下室へ運び込まれていく。膠は木箱に流し込まれて、涼しい風が通る場所に置かれて乾燥されはじめた。
工房では二回目の印刷を行うため、紙が大量に作られ、インクが作られていく。そして、冬の手仕事に必要な道具の数が確認されて、足りないものは買い足されていった。
こうして、わたしが係わらなくてはならない孤児院の冬支度はほとんど終わった。