Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (127)
トロンベの討伐
空へ駆けあがり、小さくなっていく騎士団を見上げていると、背後からバカにするようにフンと鼻で笑った声が聞こえてきた。
「意味がない祝福だったな。何てバカな事をするんだ」
「シキコーザ、何を言っているんです!?」
兜を付けたままなので、違いがよくわからないけれど、仁王立ちしているのがシキコーザで、押さえようとしているのがダームエルだろう。声の感じから考えると二人ともまだ若い感じだ。成人したばかりか、もしかしたら、していないかもしれない。
「だが、そうだろう? ただでさえ、魔力が少なくて足りない状況で、騎士団への祝福に力を使うなんてバカじゃないか。愚か以外何者でもない」
ダームエルの手を払いのけるようにして、シキコーザがわたしを指差した。
「確かに、祝福がなくても騎士団はトロンベなんかに負けはしませんが、武勇の神アングリーフの御加護があると無いでは大違いではないですか。今回は人数も少ないし」
二人の意見をわたしは冷や汗をかく思いで聞いていた。あれはただ巨大トロンベと戦う神官長達の武運を祈りたくて、貴族の前で口にしてもおかしくないような言葉を選んで発したら、勝手に祝福になってしまっただけだ。
指輪からいきなり光が溢れて驚いたのはわたしの方である。神官長から指輪を借りていなかったら、祝福にはならなかったはずの偶然の産物だ。
……多分、神官長も驚いていたと思うけどね。
シキコーザは魔力がもったいないと言うけれど、指輪の石に魔力を吸われているのに気付いて急いで止めたから、それほどたくさんは放出していない。ほんのちょっとだけだ。だから、この後の儀式には何の問題もないと思う。
「御不快な思いをさせてしまったのでしたら、申し訳ございません。以後、気を付けます」
騎士団は貴族だ。反論は心の中に留めておいて、面倒くさいことにならないようにわたしはすぐさま詫びを入れた。返ってきたのは、フン、という鼻息一つだったけれど、これで話が終わるならそれでいい。
「シキコーザの言うことは気にしなくていい。人数が少ない分、魔力の上乗せをしてくれる祝福はありがたいんだ。……ほら、ご覧。始まるよ」
わたしに気を使うようにそう言いながらダームエルが空を指差した。ダームエルの指先には、木々の間から空を旋回する騎士団の姿がちらちらと見える。
トロンベのような化物を一体どのようにして倒すのか、わたしは少し背伸びするようにして騎士団に目を凝らした。
「――!」
空の上で、くわんと何か号令のような声が響いた。わたしには、何か叫んでいるな、としかわからなかったけれど、その号令と同時に全員が闇のように黒く光る武器を手にする。
「あれは何でしょう? フラン、わかりますか?」
「いいえ、残念ながらこれほど近くで見るのは私も初めてなので、存じません」
本来は、神具を持って儀式をメインで行う神官と魔力的な意味で補佐できる神官の二人が騎士に相乗りして、現場に赴くらしい。騎士団からの要請に側仕えが同行することはないとフランは言った。
今回の要請に赴くメンバーは、儀式をメインに行うわたし、トロンベを討伐した上で魔力の補助を行う神官長、大事な神具を管理するアルノー、わたしの体調管理を行うフランで構成されている。
神官長が騎士団と共に戦うこと、わたしが自分の身長の二倍ほどある神具を移動中、待機中に持っていられないこと、フランはわたしが体調を崩さないように見張っている役目を負っていることを考慮したため、側仕え二人が同行することになったらしい。
「巫女見習い、あれは闇の神の御加護を賜った武器だ。魔力を込めて攻撃すれば、その倍ほどの魔力を奪うことができる。トロンベ討伐には必須なのだ」
まさか貴族がわざわざ解説してくれるとは思っていなかったので、少し驚いて全身金属で覆われたダームエルを見上げた。兜の隙間から口元しか見えないけれど、平民であるわたしを忌避している様子は見られない。
「騎士の戦いをその目で見られる者は少ない。よく見ておくと良い」
「ありがとう存じます」
「最初は矢で勢いを削いでいくんだ。ほら、あの青いマントはフェルディナンド様だ」
ダームエルの指差す先には、ライオンに跨ったまま弓を引き絞る騎士の姿があった。騎乗したまま弓を引く姿は流鏑馬に似ているように見える。上空の風を受けてぶわりと翻るマントの色は青だ。
……神官長だ! すごい! 頑張れ!
声に出すわけにはいかず、わたしは心の中で一生懸命に応援する。
遠すぎて弦が見えないけれど、腕の動きと黒い矢が飛び出したことで、神官長が矢を放ったのがわかった。
ヒュンと弓を離れた矢は、空中で黒くて細い矢に分裂しながら、巨大トロンベに雨のように降り注いでいく。矢が当たったところが小さく光って、ボン! ボン! と小規模な爆発が起こった。
しかし、この程度の攻撃では何ともないのか、巨大トロンベは変わらずに枝を振り回して大暴れしている。
「射た矢をあれほど分裂させるには、かなりの魔力が必要だ。それを何度も射ることができるフェルディナンド様はすごいだろう?」
ダームエルは神官長をとても尊敬しているようだ。得意そうにそう言って、神官長のどこがどのようにすごいのか、語ってくれる。
よく知っているなぁ、とわたしが感心していると、ダームエルは軽く溜息を吐いた。
「早く騎士団に戻られればいいのに……」
ポロリと零れた言葉を耳にして、わたしは何度か目を瞬いた。見上げるわたしに気付いたのか、ダームエルは気まずい沈黙の後、ぼそりと呟く。
「……これは口外法度だ」
「かしこまりました。口外法度で」
元々神殿育ちではないと聞いていたが、なんと神官長は騎士団にいたらしい。道理で、カルステッドと知己のような会話をしていて、お揃いのような鎧を持っているわけだ。細身で神経質で事務仕事に適しているから、まさか騎士団にいたなんて想像もしていなかったが、今の戦う姿を見るとあまり違和感はない。
……文官武官の両方がこなせる芸達者な貴族だなんて、神官長、マジ万能。
少しくらい能力を分けてほしい。そう思いながらわたしは神官長を見上げた。青いマントをはためかせながら、神官長は次々とトロンベに向けて矢を降らせている。
「効果が出てきたな。トロンベが黒くなっていくのが見えるかい?」
ダームエルの言うとおり、神官長が次々と放つ矢の当たったところから、トロンベに小さな黒い点が付いていくのが見えた。染みのように見える小さな黒い点は、降り注ぐ矢が当たるごとに増えていく。
「見えます。……あ、枝が」
まるでその黒い部分から腐っていくように、ブルンブルンと勢い良く振り回されていたトロンベの枝がボキリと折れて、折れた先がドスンと落ちた。落ちた枝はキラキラと光って消えていく。
巨大トロンベはまだ元気な枝を精一杯に伸ばして、空中を駆けまわる騎士達を何とか叩き落とそうとしているが、自在に逃げる騎士達には当たらない。逆に騎士達が持っている、斧と槍と鉾が組み合わさったような黒いハルバートで枝を撃たれ、払われ、突かれ、そこからどんどんと黒くなっていく。
どれくらいの枝が落ちたのか、気が付いた時にはトロンベのクレーターの成長が止まっていた。
振り回される枝が減ってくると、枝の攻撃をくぐりぬけて、今度は直接トロンベの幹に騎士団の攻撃が加えられる。ずいぶんと大きな幹だが、いたるところに黒い斑点が増えていった。攻撃を受ける度にトロンベの元気がなくなっていくのが、よくわかる。
「もうじき終わるな」
ダームエルが少し目を細めたまま、そう呟いた。
巨大トロンベの危険さに一時はどうなる事かと思ったけれど、予想外に早く片が付いてくれそうで、わたしはそっと胸を撫で下ろす。
「あのような化物と戦うなんて一体どうなることかと思いましたけれど、こちらにはほとんど被害がないようで、安心いたしました」
「毎年のことだから、いくら人数が少ないとはいえ、負けるようなことはない。今回は特にフェルディナンド様がいらっしゃったから、枝を払うのが楽だったようだ」
連続して大量の矢を振らせることができる神官長がいるといないでは、効率が全く違うらしい。射る矢が少ないと、なかなか弱らせることができなくて、トロンベの枝にぶっ飛ばされる騎士が毎回数人はいると言う。
「それに巫女見習いの祝福もあったからな」
「お役に立てたのでしたら、嬉しく存じます」
兜を被ったままなので、表情はわからないけれど、ダームエルの声は優しい。わたしがニコリと笑って見上げていると、背後から忌々しそうな舌打ちが聞こえた。振り返った先にいるのはもう一つの鎧だった。
「ダームエル、何を平民と慣れ合っている? お前は知らないのか? それは平民だ。平民の分際で、貴族にのみ許される青の衣をまとう思い上がった愚か者だ。いくら貴族が減ったからとはいえ、平民風情に青の衣を与えるなんて、フェルディナンド様も一体何を考えているのか」
「シキコーザ、一体何を……」
動揺したようなダームエルの声から、彼はわたしが平民であることを知らなかったことがわかる。優しく解説してくれたのも、青色巫女見習いだったからなのだろう。
わたしが平民であることは神殿内では当然のように知られていても、貴族達の間では知られていないのだろうか。
悪意を撒き散らすシキコーザからもダームエルからも、わたしはそっと距離を取る。わたしが平民だと知った貴族がどのような態度を取るのか、わからない。神殿長の時のようになったら、厄介だ。
「適当な事を言わないでください」
「本当のことだ。星結びの儀の折り、我が家にいらっしゃった神殿長が嘆いておられた。神殿の秩序がたった一人の平民のために狂っていくと、な」
……犯人はお前か、神殿長!
神殿は全く顔を合わせないし、特に何もされていないので記憶の隅に追いやられていたが、神殿長は貴族達に愚痴を垂れて回っていたらしい。
まずい。非常にまずい状況だと思う。
わたしが平民である以上、いくら反論したいと思ったところで反論が許されるはずがないし、神殿長は自分に都合が良いように話を膨らませたり、多少歪曲させたりしているに違いない。
貴族ばかりで構成された騎士団と行動しなければならない時に、こういう悪意を帯びた噂話というのは非常に厄介な敵になる。
「何か言えよ、平民」
「……」
何か言えと言われても、何を言えばいいのかわからない。貴族相手に下手な事を言えば、その場で何をされるかわからないのだから。
ただ、口を噤んでいるだけでもシキコーザの勘気に触れているようで、ニィッと嗜虐的に歪む口元が兜の隙間から見えた。
「何だ、フェルディナンド様がいなければ、その生意気な口も動かせないのか?」
「止めてください、シキコーザ! 彼女は護衛対象です!」
役目を終えるまで、身分は関係ない、とダームエルがシキコーザからわたしを守るように背に庇ってくれる。
しかし、それはシキコーザの怒りに油を注いだ結果になったようだ。
「黙れ、ダームエル! 身分を弁えろ! 俺に命令するな!」
ぐっと歯を食いしばったダームエルが一歩横にずれた。開けた視界の中、シキコーザが一歩ずつ近寄ってくる。でっかい金属鎧に包まれた男が悪意を持ってガシャガシャ音を立てながら近寄ってくるのは恐怖以外の何物でもない。
……怖い。
足が震えて、歯が小さく鳴る。その場から逃げ出したいのに、足が竦んで動けない。
わたしの怯えを見てとったのか、クックッと笑いながら、シキコーザは金属で固められている手を拳のように握って、振り上げた。
「マイン様!」
「退け! 邪魔だ!」
わたしを庇うように間に入ったフランがドンと突き飛ばされた。
「フラン!」
わたしが思わずフランに駆け寄ろうとすると、シキコーザにガシッと髪を掴まれた。ブチブチと何本かの髪が抜ける音がして、側頭部が引きつる。
「いっ!」
「マイン様!」
素早い動きで身体を起こしたフランにアルノーが厳しい声をかける。
「フラン、動いてはなりません! 貴方が動いたことで主が叱責を受けているのです。これ以上、事を荒立ててはなりません」
アルノーはそう言ってフランを叱りつけた。
フランが悔しそうに唇を噛むのを見たシキコーザが愉しくて仕方がないような笑みを浮かべる。わたしの髪を掴んだまま、乱暴に引っ張った。
「教えてやろう、平民。こういう時はお前が側仕えの非礼を詫びるんだ」
フランが唇を噛んで我慢している時にわたしが暴走するわけにはいかない。貴族相手に反論するな、と言われているわたしは、ひとまず謝罪する。
「……わたくしの側仕えが大変失礼いたしました」
しかし、謝罪もまたシキコーザの気に障ったらしい。わたしはドンと突き飛ばされて、尻餅をついた。お尻は痛いし、頭もズキズキ痛んでいるが、解放されただけでもマシだと思うしかない。
「何だ、その生意気な目は!? 抉り取ってやろうか!?」
シキコーザはそう怒鳴りながら、左の手甲の石に手を当てて、淡く光るタクトを取り出した。タクトをくるくる回しながら、シキコーザが「メッサー」と呟くと、細長い棒のようだったタクトが小ぶりなナイフへと形を変える。
鋭く尖った刃の先がギラリと光った。
自分に向かって突きつけられている刃物にゴクリと喉が鳴った。背中を冷たい汗が流れ、心臓が不自然なほど早く鼓動を打つ。恐怖に腰が抜けて、立ち上がることもできないまま、わたしは刃のきらめきを見つめる。
「シキコーザ、それは駄目です! 彼女は護衛対象で、儀式を行う巫女見習いではないですか!」
取り出された武器を見て、慌てふためいたようにダームエルがシキコーザに手を伸ばしたが、シキコーザはダームエルの忠告と腕を振り払い、ナイフを振り上げた。
「うるさい! 目が見えなくても儀式には何の支障もないだろうが!」
わたしは自分に向かって振り下ろされようとするナイフを目にして、尻餅をついた状態のまま、頭を抱えるようにして、亀のようにうずくまる。
「平民はそうやって、貴族を恐れ敬って、小さく丸まっているのが似合いだ!」
ギュッと閉じた視界の中、シキコーザの怒声の向こうで、バサリと羽が空を叩く音がした。
上を見上げると、ナイフを振りかざした鎧の向こう、上空に青いマントが見える。
「神官長!」
シキコーザを何とかしてくれそうな保護者の姿を見つけて、わたしはすぐさま助けを求めて立ち上がった。
わたしが立ち上がるのと、「神官長」という言葉にシキコーザが慌ててナイフを引っ込めようとするのがちょうど同時だったようで、頭を抱えていたわたしの左手の甲に熱い痛みが走った。
「いたっ!?」
「いきなり立ち上がるな、この愚か者!」
頭から手を下ろして見れば、勢い良く切ったようで、傷が深いことが一目でわかった。血が止まるまでに時間がかかりそうだ。
貴族に文句を言っても黙殺されることはわかりきっているので、せめて儀式用の衣装が汚れないように袖を捲くる。左腕を真っ直ぐに伸ばして、右手で左の袖を汚さないように押さえた。
「マイン様、今布を……」
ハッとしたようにフランが腰につけていたウェストポーチのようなカバンへと手を突っ込む。怪我をした時の準備があるらしい。ウチの側仕えは本当に優秀だ。
「助かるわ、フラン」
真っ直ぐにぱくりと開いた傷口から流れ出した血が手首の方へと垂れていき、ポタリと落ちる。赤い血が地面に染みを作った途端、ボゴボゴと地面が蠢いた。
「……え?」
何だろうと、わたしが下を向く間にもポタポタと音を立てて、血が滴り落ちていく。泡立つように地面が動いたかと思うと、ポコ、ポコポコ、ポコポコポコと瞬きをする間にトロンベの芽がいくつも出てきた。
「わ!?」
わたしの血が落ちた場所から芽吹いたトロンベは、わたしが知っているトロンベよりずっと速い成長速度で伸びて行き、わたしの足に巻きついてくる。
「ひっ! やっ!」
慌てて足を振ってトロンベを振り払おうとするが、高速成長している朝顔の茎のようにトロンベが足に巻きついて来る。一つの茎を取り除くより速く、何本もの茎が伸びて足首に絡まってきて動けなくなった。
その間も手から滴る血によって、トロンベはますます活性化しているようで、わたしを中心に次々と芽吹き続ける。
「こ、これは俺が悪いんじゃない! お前がいきなり立ち上がったのが悪いんだからな!」
ハッとしたようにそう言い捨てて、シキコーザは手にしていたナイフでトロンベを切りながら、わたしから距離を取っていく。
「嫌っ!」
トロンベが足首から膝、膝から太ももへとするする伸びてくる。緑の芽が伸びて、白っぽい茎が巻きついてくる。伸びていくうちにだんだんと根元の色は茶色に色づいていき、木の色を見せ始めた。
ほんの少しずつだけれど、巻きついてくる茎が太く、その戒めがきつくなっていき、新しい芽がまたわたしを捕らえようと伸びてくる。
「マイン様!」
刃物を持っていないフランが素手でトロンベを引きちぎろうとするが、少し成長した枝は素手で引きちぎることができない。
「巫女見習い!」
ダームエルは左の手甲から光るタクトを取り出した。それに魔力を与えて、「メッサー」と呟き、ナイフの形に変形させる。
その間にもトロンベの枝はぐんぐん伸びて、十重二十重にわたしに巻きついてくる。
「闇の神の御加護を賜るまで少し待ってください」
ダームエルが祈りの文句を唱え始めた。それはわたしが儀式で捧げる祈りの文句によく似ている。神様を称え、加護を願う祈りの文句だ。つまり、暗記するために練習するのが必要なくらい長い。
祈っている間にどれだけトロンベが成長するのか考えるだけで、身が竦む。
……怖い!
歯がカチカチと鳴る。
巨大トロンベのクレーターに倒れ込み、根に生気を吸われて朽ちていった大木の姿が脳裏を過った。
……怖い! 怖い!
トロンベに絡め取られる恐怖に涙が浮かんでくる。手を振って、トロンベを追い払おうとしても、血が飛んだ場所から次から次へと芽吹き始める始末だ。
……怖い! 怖い! 怖い!
太股に巻きついていた茎が、あっという間に腰からお腹へと伸びてくる。
動くこともできない恐怖に駆られて、わたしは大声で助けを求めた。
「ルッツ! ルッツ! ルッツ! 助けて!」