Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (129)
癒しの儀式
「マイン、薬が効いているうちに儀式を終わらせるぞ」
一通りの叱責を終えた後、神官長はそう言って、バサリとマントを翻した。右の手甲に触れて、白いライオンもどきを出す。
神官長の動きに合わせて、騎士団も立ち上がり、それぞれ騎乗するための動物を出していく。
「来なさい」
手を差し出す神官長のところへ優雅に見えるように歩き、わたしは手を差し伸べる。神官長に抱き上げて乗せられると、今度はバランスを崩さないように最初から手綱を握った。
わたしの後ろに軽い動作で飛び乗ると、神官長が片手を上げる。
「行くぞ!」
神官長が手綱を握ると、彫刻のようだった白いライオンもどきが命を得たように動きだす。大きく羽を震わせて、上空へと駆け上がった。木々の上を悠然とした足取りで駆けて、先程の巨大トロンベが暴れていた跡地へ向かう。
わたしの血を吸って魔力で伸びたトロンベは、周囲の土地の魔力をあまり吸収していなかったため、魔力を満たすための癒しの儀式は必要ないらしい。けれど、巨大トロンベの跡は広大なクレーターになっていて、魔力を満たさなければ草も生えないままになるらしい。
「君には悪いことをしたと思っている」
上空を移動する間は、他人から聞かれる心配がないためか、背後から神官長の低い声が囁くような調子で響いてきた。振り返りたくても上空で姿勢を変えるのが怖くて、わたしは前に向いたまま、少し首を傾げる。
「怪我をさせるつもりもなかったし、あのような悪意に晒すつもりもなかった。まして、薬で無理やり体調を整えなければ儀式が行えないような状況になる予定ではなかった。騎士団が私の命に背くようなことをするとは考えてもみなかった私の落ち度だ」
神官長の声には後悔と口惜しさがにじんでいた。神官長にとっては万全の態勢を取るための護衛が、全てをめちゃくちゃにしたようなもので、護衛を付けた事自体を後悔しているようだ。
だが、護衛が暴走したのも、悪意ある噂が広がっているのも、わたしが身食いなのも、虚弱なのも、神官長が責任を感じなければならないようなことではない。
「神官長の責任ではないですよ?」
「いや、君に関することは私の責任だ」
きっぱりと神官長はそう言った。平民であるわたしを上手く使わなければ、神殿が立ち行かない以上、わたしを上手く使うのは上司である神官長の仕事だと言う。
神官長はなまじ有能なせいで、人に任せることができず、自分から仕事を抱え込むタイプだ。
「マイン、薬は効いているか?」
「はい」
「ならば、良い。儀式が君の身体に負担をかけることは重々承知している。だが、君に青色巫女見習いとしての仕事ができることを騎士団に知らしめなければならない」
ただの平民ではなく青色巫女見習いだ、と神官長に庇われたのだから、わたしはその地位にふさわしい仕事ぶりを見せなければならない。
「私が庇い、青の衣をまとうに相応しい存在であることを、見せつけろ。君が神殿にとって、この地を守る騎士団にとって必要な存在であると突きつけてやれ。……騎士団が必要性を認めれば、それは君を守る力になる」
「はい。……でも、緊張しますね。初めてだから、本当に成功するか、心配です」
やらなければならないことはわかるけれど、本当にわたしにできるか不安で仕方ない。儀式というものを行うのが初めてなのだ。
そんなわたしの心配を神官長は鼻で笑い飛ばした。
「フン、心配する必要はない。騎士団が認めざるを得ない引き立て役は準備する」
「……え?」
「私は勝てない勝負はしない主義だ」
ひやりとした声音にぶるりと身震いする。どうやら、自分の計画を壊された神官長のお怒りは全く解けていないようである。
「……ダームエルは親切にしてくれましたし、一応助けようとしてくれたり、シキコーザを諫める言葉をかけたりしてくれましたから、手加減してあげてくださいね」
巨大トロンベが育った場所は大きな円形に土の部分が露出して、森の中に巨大な赤茶のお皿が置かれているように見えた。
「儀式をして、魔力を満たして、植物が育つようになったら、農村の一つくらいできそうじゃないですか?」
「これが森の奥でなければ、農地にしただろうが、ここでは祈念式や収穫祭に赴く神官や貴族が大変になる」
祈念式が行わなければ、いずれ土地が力を失うからな、と神官長が呟いた。確かに、こんな森の奥では移住する農民も、儀式のために移動する神官や貴族も大変だ。
そのクレーターのちょうど真ん中辺りにライオンもどきは降り、わたしは神官長にエスコートされる形でその地に立った。次々と騎士団の面々が降り立って、動物達はすぅっと手甲へと戻っていく。
騎士団の全員が整列した後、兜を外して跪いた。兜を被ったまま儀式に参列するのは、神に対して不敬だそうだ。神官長も兜を外して足元に置いた。
足元の土が森で良く見るしっとりとした黒い土ではなく、学校の運動場のような赤茶の乾いた土になっている。
「神官長、これを」
アルノーが差し出した成人男性の身長より少し長いくらいの杖を神官長が受け取った。
この杖は今回の儀式に必要な神具で、水の女神の象徴である。金で作られた杖の先には大人の手の平くらいはあるだろうか、緑に透き通った大きな魔石が太陽を照り返して光っていた。
持ち手の部分には小さな魔石が並んで埋め込まれていて、ほとんどの魔石の色が変わっている。魔力が十分に蓄えられていることがわかった。
「シキコーザ」
「はっ!」
神官長が騎士団の方へと声をかける。呼ばれたシキコーザはガシャガシャと鎧を鳴らしながら早足でこちらに向かってくる。
神官長はシキコーザに向かって、神具の杖を差し出した。
「そなたが儀式を行いなさい」
「フェルディナンド様?」
よくわからないと言うように、シキコーザが目を瞬く。神官長は冷めた目でシキコーザを見下ろしながら、わざとらしく溜息を吐いた。
「任務も放棄していたくらいだ。魔力は余っているだろう? 本来ならば、私が先だって手本を見せる予定だったが、君が余計な仕事を増やしてくれたお陰で、私には余計な魔力が残っていない」
嘘だ。余裕綽々に決まっている。
神官長が調合した舌が痺れるような極悪な苦みの薬は、味を犠牲に効果を上げたと本人が言っていたように、ものすごく良く効く薬だった。それを飲んだ神官長に魔力がないわけがない。
「君は神殿育ちだ。まさかできないわけではないだろう? マインに手本と格の違いを見せてやってくれ」
神具の杖を神官長は差し出し、半強制的に握らせる。予想外の事態に動揺していたらしいシキコーザだったが、わたしの視線に気付いた途端、キッとわたしを睨んで、ぐっと背筋を伸ばした。
「癒しと変化をもたらす水の女神 フリュートレーネよ 側に仕える眷属たる十二の女神よ」
朗々とした声でシキコーザが祈りの文句を唱え始める。
杖の大きな魔石が輝き、杖をついた部分からシキコーザを中心にゆっくりと土が黒く染まっていった。土が黒く変化した後、新芽の緑がポコリポコリと顔を出し始める。
「わぁ……」
わたしは思わず感嘆の声を上げた。まさか神具を握って、暗記させられていたお祈りの文句を唱えるだけで、本当に土の様子が目に見えて変わるとは思っていなかったのだ。
まるで麗乃時代の理科で見た教育番組の一部分のようだ。「時間を縮めて見てみよう」という司会者の声が脳裏に響く。
魔力が満たされることで、じわじわと土が色を変え、少しずつ植物が芽吹いていく。しかし、それは半径10メートルほどの円で止まった。
「まだだ。全く足りていない」
止めようとしたシキコーザを叱責し、神官長は杖から手を離すことを許さなかった。
握っている限り、杖は勝手に魔力を引き出していく。どんどんと杖に魔力を吸収されていったシキコーザは、意識が朦朧としてきたようで、その場にガクリと崩れ落ちて膝を付いた。
「フン、偉そうに威張っていたが、この程度か。騎士団の人材不足も深刻だな」
その場に倒れるシキコーザには目もくれず、神官長がぐらりと揺らいだ神具の杖を掴んだ。杖を支えたまま、神官長がわたしを指名した。
「残りはマイン、君の仕事だ」
「はい、神官長」
気合を入れて、両足を肩幅に開き、気を抜けば倒れそうになる大きな杖をわたしはグッとつかんだ。シキコーザがお手本を見せてくれたので、安心して儀式に取り組める。
……神官長からは見せつけろ、って言われたし、できるだけいっぱい魔力を流し込んだ方がいいんだよね?
杖を握る手に力を入れると、わたしはゆっくりと深呼吸して、目を伏せた。普段は魔力を詰め込んで、溢れてこないように固く閉めてある蓋を開放し、自分の内にある魔力を動かしていく。奥の方から溢れてきた魔力が出口を求めて杖へと流れ込んでいくのがわかった。
「癒しと変化をもたらす水の女神 フリュートレーネよ 側に仕える眷属たる十二の女神よ 我の祈りを聞き届け 聖なる力を与え給え 魔に属するものの手により 傷つけられし御身が妹 土の女神 ゲドゥルリーヒを 癒す力を我が手に」
杖にはめ込まれた大きな緑色の魔石がカッと強い光を放った。魔力が渦巻き、自分を中心に風が起こる。髪が風に揺られて舞い上がり、衣装の袖や裾がぶわりと翻った。
「御身に捧ぐは聖なる調べ 至上の波紋を投げかけて 清らかなる御加護を賜わらん 我が望むところまで 御身が貴色で満たし給え」
一気に魔力が杖へと流れていき、その魔力が魔石を通じて土へと浸透していった。黒い土の部分がザアッと音を立てるような勢いで広がっていき、見る見るうちに新緑が芽生えて広がり、伸びていく。
あっという間にクレーターと化していた土地に足首ほどの丈の草が生え揃った。
「……もう良い。十分だ」
「あ、はい」
神官長の言葉にわたしは放出していた魔力を押さえて、閉じ込める。それと同時に杖の光が収まった。
「神官長、これで大丈夫なのですか?」
「あぁ、全体に魔力が満ちている。……正直やりすぎだ」
「……え?」
最後の言葉はとても小さくて低い呟きだった。聞こえなくて首を傾げたが、神官長は軽く首を振って、騎士団が整列した方へと身体ごと、くるりと向きを変える。
つられてわたしがそちらを向くと、信じられないものを見たように呆然とした顔がずらりと並んでいた。目が見張られ、ぽかんと口を開けている者が多い。
……あれ? 何、この顔? 見せつけてやれ、って言われてたから、頑張ってみたけど、もしかして……やりすぎた?
愕然とした表情を向けられていることが非常に居心地悪く、わたしはじりじりと神官長の後ろに隠れるように移動する。
神官長もわたしの前へと一歩出て、コホン! と一つ咳払いした。
「これが神殿と領主の承認を得た青色巫女見習いだ。異論のある者は?」
ハッとしたように騎士団の者が一斉に目を伏せて、沈黙する。誰もが下を向いたまま、姿勢を崩そうとしない。
これは異論がないことを示す姿勢なのだろうか。首を傾げるわたしの前で、神官長が軽く頷く。
「……異論はないようだな。よろしい」
神官長がフッと笑うと、ようやく騎士達が顔を上げた。しかし、その上げられた顔は先程までの驚きに見開かれた目と違い、獲物を見つけた肉食獣のようなギラリとした目に変わっていた。
「っ!?」
思わず叫びそうになった声をゴクリと呑み込んで耐える。一斉に強い視線を向けられて全身が固まった。何と言うか、獲物認定されているような気分だ。気を抜いたら噛みつかれそうな、蛇に睨まれた蛙の心境である。
ガクガク震える足で、わたしは騎士達の視線から逃れるために一歩動いて神官長の背後に隠れる。
「あぁ、言い忘れていたが、この巫女見習いは私の庇護下にある。それがどういう意味か、わかるな?」
神官長の一言で、瞬時に肉食獣のような視線が収まった。安堵に胸を撫で下ろすが、わたしだけにはどういう意味か、わからない。
「わかれば良い。では、帰還するぞ」
わからないまま瞬きしているわたしと違って、他の者は即座に帰還準備を始めた。アルノーが神官長から神具を受け取り、フランがわたしの体調を確認する。騎士団は兜を被り直し、動物達を取り出して、騎乗の準備を始めた。
「マイン、来なさい」
神官長とカルステッドが倒れたままのシキコーザのところでわたしを呼んだ。駆け寄りたいのを抑えて、わたしはゆっくりと歩みよる。
「マイン、君から本日の騒動に関して要求はあるか?」
神官長は視線だけをシキコーザに向けた。一応被害者であるわたしに確認の形を取っているが、表情は「ないと答えろ」と言っているのがわかる。
だがしかし、それは通じなかったことにする。
「ございます」
答えた瞬間、神官長が眉を寄せてわたしを睨んだ。「空気を読め!」と睨まれているのがわかったけれど、敢えて空気は読まない。
「儀式用の衣装を要求いたします」
「……は?」
わたしの要求は二人にとって予想外のことだったようで、目を丸くして、わたしを見下ろしてきた。
わたしは二人によく見えるように腕を広げて衣装を見せる。大きく穴が開いて、向こうの景色が見える袖が風に揺れた。
「これと全く同じ物をあつらえてください。できたばかりの新品で、すごく高かったのです。わたくしのような平民には、もう儀式用の衣装を整えるお金がありませんもの」
「なるほど。これはひどいな」
カルステッドは苦笑しながら即座に理解を示したけれど、神官長はわたしの言葉に引っ掛かりを覚えたように、すぅっと目を細めた。
「……全く同じ物というのはどういう意味だ?」
「特注品だったのですよ、この衣装。成長しても着られるようにと思って、特別にあつらえたのに、成長どころか、儀式を行う前にボロボロだなんて……」
わたしが少し大袈裟に嘆いて見せると、カルステッドは「女の衣装にかける情念は幼くても変わらぬか」とカラカラと笑った。
「わかった。儀式用の衣装をあつらえよう」
シキコーザとダームエルと自分への罰として、衣装を新調してくれることをカルステッドが約束してくれた。それだけ確約してくれれば、わたしは満足だ。
「恐れ入ります。ギルベルタ商会に注文してくだされば、同じ物をあつらえてくださると思います。それに、儀式用の衣装ができるまで、わたくし、儀式には出られませんから、急いで冬までに整えてもらってくださいね」
「冬? 何かあるのか?」
カルステッドが首を捻ると、神官長がこめかみを押さえた。
「神殿では奉納の儀式が冬に行われるのだ。……確かに、奉納の儀式に衣装がなければ、神殿長や他の青色神官に、平民は儀式用の衣装もあつらえられない、などと嫌味を言われるであろうな。マインに落ち度がなかったとしても」
神官長の言葉にわたしは神妙な顔で頷いた。それが一番面倒で、わたしが恐れていることである。またトロンベが出現したとしても、事情を知っている騎士団相手ならば、この穴だらけの衣装でも問題ないかもしれないが、冬の儀式はきちんとした衣装が欲しい。
「了解した。衣装に関しては何とかしよう。他には?」
「儀式用の衣装さえ整えてくだされば、それ以外は基本的には騎士団の規則に沿った罰で結構ですわ。これ以上、妙な恨みを買いたくございませんもの」
「ふむ。賢明な判断だな。では、後のことは騎士団で決定する」
満足そうに頷いたカルステッドの言葉にわたしは跪いて頭を下げた。
神殿へと戻ると、ボロボロになった衣装にデリアが悲鳴を上げ、ロジーナが口元を押さえてよろめいた。
「もー! なんでこんな大きな穴が開きますの!? 仕立てたばかりの新品ですのに!」
「フラン、マイン様の身に一体何がございましたの!?」
「色々ありましたが、騎士団に係わることですから、他言無用を命じられております」
フランはそう言って、二人の追及をかわす。
わたしはルッツに見られる前に急いで着替えたけれど、ルッツにはピンチに陥ったことが知られていた。
「マイン! 無事で良かった」
迎えに来たルッツがわたしを見た瞬間、そう言って駆け寄ってきたのだ。すぐさま手の甲を確認されて、熱や他に怪我がないか確認される。どう考えても、わたしの身に起こったことを知っているような行動に、わたしは首を傾げた。
「ルッツ?」
「いきなり頭の中に、ルッツ、助けてって声が響いて、マインの様子が目の前で見ているように流れてきたんだ。……助けに行きたくても、どこにいるのかわからないし、すげぇ焦った」
しかも、わたしがトロンベに巻きつかれていた映像は、神官長が黒い矢から光るタクトに持ち替えて、治療を始めたところで途切れてしまったらしい。助かったのか、どうなのかわからなくて、ルッツは焦燥感に苛まれ、悶々とした時間を過ごしていたと言う。
「心配かけてごめんね、ルッツ」
「怖い目にあったのはマインだから、オレはいいけど……あれ、何だったんだろうな」
ルッツが経験した不思議現象は、間違いなくあの時の青い光が原因だろう、とわたしは見当をつけた。
神官長に返して、すでに何もなくなっている自分の指を見る。それと同時に、今日あった様々な出来事が一気に脳内を流れていった。
「マインが無事で本当に良かった」
ギュッと抱きしめられたことで、ルッツの声が耳に直接流れ込んでくる。
身分とか、
柵
とか、魔力とか、何の関係もなく自分の安否を心底心配してくれるルッツに、わたしの緊張の糸も解れていった。甘えたい時に甘えても、振り払われることはないとわかっているから、わたしもルッツには素直に甘えられる。
「……貴族社会、怖かったよ」
わたしはルッツにギュッとしがみついて、そう呟いた。