Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (138)
冬の日常
護衛であるダームエルをつけることで、わたしはやっと神殿内で行動することが許可された。毎日貴族街から通ってくるダームエルは大変そうだが、魔石を変化させる天馬を使ってくるので、ルッツやトゥーリと違って、雪に埋もれるようなことはないらしい。
……魔術って便利。
ダームエルが来てくれたお陰で、わたしは孤児院や図書室に行くことができるようになり、気を紛らわせることができるようになった。
深い雪に神殿が閉ざされ、家族の来訪も少なくなってきたけれど、図書室に籠ることができるようになったので、わたしの寂しさは少し和らいだ。本を読んでいる時だけは、寂しさを感じずにいられる。
ただ、図書室はものすごく寒いので、いくら服を着こんでも長時間は籠っていられないし、ダームエルやフランも行くのを嫌がる。
「巫女見習い、図書室に籠るのではなく、フェルディナンド様に本を自室へ持ちこめるようにお願いした方がよいのではないか?」
「ダームエル様のおっしゃる通りでございます、マイン様。頻繁に図書室に通っていては体調を崩されます」
意外とフランとダームエルは仲が良い。意見が合うというか、フランが貴族のやり方に慣れているので噛み合うというか、うまくやっているようだ。
「……神官長。そういうわけで、図書室から本を持ち出しても良いですか?」
「私の持ち込んだ私物だけならば構わぬ。奉納の儀式を控えているのに、君に風邪を引かれる方が困るからな。……フッ、これで私の勝ちだ」
予想通り、あっという間にリバーシのセオリーを覚えた神官長がわたしを見てニヤリと笑った。見た目幼女に本気を出すなんて、大人としてどうかと思う。
「子供相手に本気を出す神官長はひどいと思います」
「初心者相手に本気を出す君に言われたくはない。負け惜しみか?」
神官長は時々大人げないことをするが、人が良い。本も貸し出してくれるし、どうしても寂しさに耐えられなくなって、神官長の部屋に押し掛ければ、書類の整理や大量の計算などの仕事と引き換えに、甘えさせてくれる。
大抵の場合、ものすごく嫌そうな顔をされるけれど、わたし自身が周りを気にする余裕などない状態になっているので、神官長はともかく、わたしには問題がない。
「マイン、おはよう。元気にしてる?」
「寝込んでないか?」
吹雪がそれほどひどくない日にはトゥーリがルッツと一緒に来てくれる。トゥーリは目下、字を覚えようと奮闘中だ。神殿教室の教科書にしている子供用聖典と石板と石筆を持って行って、孤児院の子供達と一緒に勉強しているのだ。
文字も計算も問題なくできるルッツは手仕事の進行状況を確認したり、灰色神官と一緒に子供達に文字を教えたり、ギルに報告書の書き方を教えたりしているらしい。
「誰だ、巫女見習い?」
「ダームエル様、こちらの二人はわたくしの姉のトゥーリと友人のルッツです。ここにはよく顔を出すので覚えておいてくださいね」
わたしはダームエルにトゥーリとルッツを紹介し、ダームエルを見上げてポカンとしているトゥーリとルッツにダームエルを紹介する。
「トゥーリ、ルッツ。これからわたしの護衛をしてくれることになったダームエル様。騎士団の一員なの」
「……騎士団? すげぇ!」
「お貴族様がマインの護衛っ!?」
二人からキラキラに輝く期待と羨望の眼差しを向けられたダームエルが少しばかりたじたじとした表情になる。
「巫女見習い、こういう時はどうすればいい?」
「ニッコリ笑っておけばいいと思います」
引きつった笑みを浮かべて、ダームエルが二人に応じる。
後で聞いたところによると、貴族街からほとんど出ることなく育ったダームエルは、平民と接することがなかった上に、貴族社会ではヒエラルキーの下だったため、羨望の眼差しを向けられることもなかったらしい。兄はいても、下の兄弟がいないので、幼い子供にどう接して良いのかわからないと言った。
「じゃあ、マイン。わたしとルッツは孤児院に行ってくるね」
べったりと引っ付いているわたしの手をポンポンと軽く叩きながら、トゥーリがそう言った。わたしはしがみつく手に力を入れたまま、首を振った。
「今日はわたしも一緒に行く。ダームエル様がいる時は神殿内を歩いても良いって、神官長に言われたし、神殿教室の進度も気になってるから」
これまでは二人が来てもずっとお部屋にお留守番だったが、今日はダームエルがいるので、わたしも孤児院に行くことができる。ロジーナとダームエルをお伴に連れて、わたしは二人と一緒に孤児院の食堂へと向かった。
「巫女見習いが孤児院の院長をしているのか?……ずいぶんと人材不足なのだな」
「えぇ、人材不足は深刻なのです。神官長も大量のお仕事を抱えて大変そうですし、少しでもお手伝いするためですから。わたくしの場合、孤児院長とは言っても肩書だけですけれど」
自分から首を突っ込んで、色々しでかしたということは、わざわざ説明する必要もないだろう。実際、孤児院で何か重要な案件が起こった時に、書類にサインするのは神官長だ。わたしは孤児院の日常を管理する中間管理職にすぎない。
「フェルディナンド様の書類仕事の手伝いもしていたし、巫女見習いは優秀なのだな」
ハァ、とダームエルが溜息を吐いた。騎士団にいた時の神官長は、努力しない無能が殊の外嫌いで、能力が劣る者には他の者の倍以上の課題を与え、努力しない者はどんどん切り捨てる鬼上司だったらしい。神官長の側仕えになれば嫌でも一流になれるという評判があることを考えても、熱血教育を行うところは全く変わっていないと思う。
「神官長は努力してもできない課題は出さないと、フランは申しておりましたが?」
「……フェルディナンド様の課題についていけるのが、優秀な証だ。私は直々に課題を与えられたことさえない」
神官長からの課題が欲しいとぼやくダームエルのために、今度神官長に「課題を与えてあげてください」とお願いしてみようか。神官長はきっと嬉々として課題を与えてくれると思う。
「ルッツ、トゥーリ、いらっしゃい。あら、ロジーナ。今日はマイン様もご一緒ですの?」
ふんわりとした笑顔で迎えてくれたヴィルマが視界にダームエルを捉えた途端、ぴきりと固まった。小さく震えながら、泣きそうな目でわたしを見る。
「マイン様、こちらのご立派な身なりの殿方はどちら様でしょう?」
「わたくしの護衛をしてくださる騎士です。とても親切ですし、職務に忠実ですわ。子供達に無体な真似は致しません。ねぇ、ダームエル様?」
「あぁ、無体な真似などするつもりはない。騎士としての誓いにもとる」
基本的に横暴な青色神官や花捧げを目当てにやってくる貴族しか知らないヴィルマは、ダームエルを警戒した雰囲気のまま、わたし達を中に招き入れてくれた。
「温かいな」
ダームエルが驚いたように目を見張ってそう言った。
孤児院の食堂は、しっかり冬支度をしていたので、赤々と暖炉を燃やすことができて温かい。そして、少しでも薪を節約するため、男子棟には人がおらず、日中は全員が食堂で過ごすことになっている。人口密度が高いので、必然的に温かくなる。
「冬支度を頑張りましたし、人が多いですから」
食堂の一角では文字を教えるための神殿教室が開催され、すでに文字を覚えている見習いは別の一角で冬の手仕事に精を出している。
「あ、もう始まってる。マイン、わたし、行くね」
「オレもあっち見てくる」
トゥーリは神殿教室の方へと向かい、ルッツは手仕事をしている一角へと向かっていく。わたしは神殿教室が見やすい位置で、邪魔にならない程度の距離があるテーブルに向かった。
「巫女見習い、あれは一体何をしている?」
ダームエルが不思議そうな顔で神殿教室をしている一角を指差した。
「子供達に文字を教えているところです」
「……孤児に文字を? 一体何のために?」
ここでは字の読み書きができるのは特権階級の者だけだ。孤児が字を読めるなど、考えられないのだろう。
だが、孤児院の子供達は側仕えになる者がいることを考えれば、下町の職人より、読み書きを覚えさせられる確率が高い。職人の子供達に文字を教えるより、必要になりそうなところから識字率を上げる方が効率が良い。
「神殿の孤児達はいずれ側仕えになったり、貴族街で下働きをしたりするようになりますから、今から文字と数字を教えておくのです。そうすれば、お仕事が捗りますから」
「なるほど。教育係の手間が省けるというわけか」
先生役の灰色神官が子供用聖典を読んで、石板に一つずつ基本文字を書かせていく様子を見ながら、わたしはヴィルマと次の絵本の話をした。
季節ごとに神の眷属に関する本を作るため、ぶ厚い聖典の中から記述を抜き出し、まとめたものをヴィルマに見せる。その文章をところどころ直してもらい、詩的な表現を追加してもらう。
「巫女見習い、これは何だ?」
「文字を覚えるために作った子供用の聖典です。これで神様の名前や神具を覚えられるのです」
「……ほぉ」
興味深そうにダームエルが子供用聖典をパラパラとめくる。
「今あるのは、最高神と五柱の大神について書かれた物だけですけれど、これから、眷属に関する本を作る予定なのです。祝福を与えるにも神の名は必要ですもの」
「それはあると確かに便利だな。私も覚えるのに苦労したものだ」
魔術を扱う際にも神の名前をたくさん知っている方が有利だとダームエルが漏らした。ならば、わかりやすい神様辞典のような絵本を作れば、貴族に売れるに違いない。貴重な貴族側の意見に、わたしは脳内で利益計算をして、むふっと笑った。
「ヴィルマ、一緒にカルタをやりましょう」
「マイン様もご一緒いたしませんか?」
本を読んだ後はカルタで遊ぶのが通例となっているようで、床にはカルタがバラバラに並べられている。それをトゥーリがしかめ面になって、じっと見ていた。
「トゥーリ、怖い顔になっていますよ?」
部屋から出ている間は、ルッツやトゥーリが相手でも言葉遣いを崩してはならない。フランとロジーナに言われ、わたしはむず痒い思いをしながら、丁寧な口調でトゥーリに話しかけた。
トゥーリが少し眉を下げて、そっと溜息を吐いた。
「……わたしね、カルタ、この中で一番弱いの」
孤児院の子供達は皆で遊びながら覚えたし、ギルに与えた時から一緒に使っているので、字を覚えていなくても、絵を見ればすぐに取れる子も多い。
しかし、まだ字が覚えられていなくて、神様に馴染みが薄いトゥーリにはかなり難しい。毎日カルタで遊んでいる子達と雪が弱まった時しか来られないトゥーリでは基礎が全く違う。
「慣れが大事ですから、何度も挑戦するしかありませんね。まずは、教科書の神様だけでも取れるようにすればどうかしら?」
絵を描いたのはどちらもヴィルマなので、神様の顔や特徴は完全に一致している。読み札と絵札を覚えなければ勝てないので、覚えた物だけでも確実に取れるようになるしかない。
「頑張ってみる」
わたしもカルタを頑張ってみたけれど、毎日遊んでいる子達は強い。全く勝負にならない。あと、成人近い見習いもいて、腕の長さが違うのはずるいと思った。
午後からはトゥーリの裁縫教室だ。これは女の子を中心に簡単な補修の仕方を教えている。すでに数回目なので、トゥーリの先生姿も様になっているし、自分達で裾の解れを直せるようになってきたので、中古服とはいえ、見た目がかなりマシになっていた。
「ギル、防寒具を着ているけれど、どこに行くのかしら?」
男の子はルッツを中心に、防寒具を着こんでいるのが見えた。吹雪ではないとはいえ、雪はまだちらちらと降っている。
「工房で準備するって、ルッツが言ってたぜ」
「ギル、何の準備をするのかわかる?」
「パルゥ採りの準備だってさ」
冬の晴れた日はパルゥ採りと決まっている。晴れた日の朝早くに準備をするのは大変だから、今から準備をしておくらしい。
「では、しっかり準備して、当日はたくさん採ってきてくださいね」
「おぅ!」
孤児院の子供達は当然、パルゥ採りも初めてだ。だが、人数が多いのだから、たくさん採れるに違いない。今からどれだけ取れるか楽しみだ。
「今年は母さんが行けないから、パルゥ採りは難しいかもね」
準備のために工房へと駆けていく男の子達を見送っていると、トゥーリがハァと溜息を吐いた。
わたしは常に戦力外だし、母も妊娠中なので、とても木登りなんてできるわけがない。父は仕事の可能性が高いので、完全には当てにできない。今年は冬の甘味が手に入らないかも、とトゥーリが嘆く。
「トゥーリは孤児院の子供達を連れていってくれるのではないの? そのお礼に家族分のパルゥを渡すつもりだったのだけれど……」
さすがにルッツ一人で子供達を率いていくのは大変だ。トゥーリにも手伝ってもらって、そのお礼として、ウチの分のパルゥを確保するつもりだったわたしの言葉にトゥーリは目を輝かせた。
「それ、いいね。よかった。今年はパルゥケーキが食べられないかと思ったよ」
パルゥを採ったら、果汁を取って、油を絞って、搾りかすでパルゥケーキを焼くのが、我が家のお約束になっている。今年は孤児院で同じことをするつもりだ。そのために、大きめの鉄板も買ってある。
「巫女見習い、パルゥとは何だ?」
「冬の晴れた日にしか採れない木の実で、とても甘いのです」
貴族達は多分パルゥ採りなどしないのだろう。ダームエルは思い当たる物がないと言うように眉を寄せる。
「マイン様、パルゥは甘いのですか?」
ヴィルマの周りを囲んでいた子供達がわたしの言葉を耳に留めたようで、期待に目を輝かせて近寄ってきた。孤児院は人数が多いので、普段の生活で甘味は滅多に食べられない。甘味の話に今にも涎を垂らしそうな顔になっている。
「えぇ、とても甘くておいしいのです。わたくしも大好きなのですよ」
「わぁ、楽しみ」
「トゥーリ、絶対に連れていってくださいね」
森に連れて行ってくれるのはトゥーリとルッツだと子供達にはすりこまれている。数人の子供達に取り囲まれたトゥーリがニッコリと笑った。
「うん、一緒に行こうね。その代わり、パルゥ採りはすごく早く森に行かなきゃダメだから、晴れた日は早起きして準備しなきゃならないの。できる?」
「できるー!」
それから、数日後、待ち望んでいた晴れ間がやってきた。朝から眩しい光が差し、雪に反射して空気がキラキラと輝いているのが、天蓋から垂れるカーテン越しにもわかる。
デリアが起こしに来るより先にベッドから飛び降りたわたしは、手摺から身を乗り出すようにして二階から下に向かって声をかけた。
「ギル! ギル! 今日はパルゥ採りの日よ! 孤児院の子供達に知らせて、急いで準備をさせてちょうだい」
すでに起きて着替えを終えていたらしいギルが「おぅ!」と叫んで部屋を飛び出していき、部屋の準備をしていたデリアが憤怒の形相でわたしの腕をガシッとつかんだ。
「マイン様! 起こしに行くまで寝ていてくださいませ! それから、寝間着姿のまま、階段の方へと身を乗り出すような真似をなさってはなりません! もー! 何回言ったらわかるんですか!?」
「デリア、今日はパルゥ採りの日だから、すごく早い時間にルッツとトゥーリが来るわ。すぐに着替えなくては」
2の鐘の開門に合わせて、下町の人達はパルゥ採りのために動き始めるのだ。ルッツやトゥーリが孤児院にやってくるのも早いに違いない。
わたしの言葉にデリアは目と声を尖らせた。
「そんなの、予定にありませんわ!」
「吹雪がいつ晴れるかは命の神 エーヴィリーベの御心次第ですもの。わたくしにもわからないわ」
わたしは急いで着替えて、トゥーリとルッツが来るのを待った。朝食は皆を見送ってからでもいいだろう。わたし達が上でバタバタしていることに気が付いたのか、フランも客を迎えるための準備を始める。
「マイン、おはよう! 今日は父さんが休みだから一緒に行ってくれるって」
わたしの予想は正しく、普段は朝食を食べているような時間にトゥーリが駆けこんできた。その後ろには父の姿もある。
「父さん、久し振りっ!」
ホールへと入ってきた父に、わたしは階段を駆け下りて、とぉっ! と飛びつく。父はガシッとわたしを一度抱きとめて、ぐいっと抱き上げてくれた。じょりじょりする髭の辺りを撫でて、高さが同じくらいになった顔を見合わせる。
「元気そうだな、マイン。熱は出していないのか?」
「うん、体調が悪くなりそうな時はフランがすぐにベッドに連れていってくれるし、下手に寝込んだら、すごく苦いお薬を飲まされるし、熱が上がる隙がないの」
「そうか」
ニコニコとした笑顔で聞いてくれる父に近況を報告しながら甘えていると、トゥーリが懐から瓶を取り出した。
「マイン、これがなくなったって言ってたでしょ?」
父に下ろしてもらって、わたしは瓶に手を伸ばす。天然酵母の入った瓶だった。家にいないわたしの代わりにトゥーリが天然酵母の世話をしてくれているのだ。わたしはほんのりと温かい瓶を受け取って抱きしめる。
「ありがと、トゥーリ」
「これを渡そうと思ったのと、マインの顔を見に寄っただけだから、すぐにパルゥ採りに出かけるね。ルッツはもう孤児院に行ってるの」
「うん、いっぱい採ってきてね。お昼には焼き立てのふんわりパンを準備して待ってるから」
二人を見送って、わたしはホッと息を吐いた。ほんの一時でも家族と触れあうと嬉しくなる。そして、今日の午後はパルゥの加工とパルゥケーキ作りだ。
「フラン、エラにこれを届けてくださる? それから、今日のお昼は父さんとトゥーリとルッツも一緒だと伝えて。ふんわりパンを焼いてほしいの」
「かしこまりました」
フランに天然酵母の入った瓶を渡した後は、ロジーナに声をかける。
「ロジーナ、フェシュピールの練習が終わったら、ヴィルマのところに行って準備を始めるように言っておいてちょうだい」
「かしこまりました」
3の鐘までフェシュピールの練習をして、神官長のお手伝いに行った。神官長には不気味なほど機嫌が良いと言われながら、お手伝いをこなす。今日のお昼はパルゥ採りから帰ってきた父とトゥーリとルッツも一緒なので、それを考えるだけでも心が弾む。
あっという間に4の鐘が鳴り、お昼の時間となった。
「では、私は昼食に行くので、戻るまで部屋から出ないように」
「かしこまりました、ダームエル様」
ダームエルの昼食は神官長の部屋で準備されることになっている。わたしの部屋の蓄えでは成人男性一人分を賄うことはできないからだ。
エラから昼食の準備ができたという連絡を受け、わたしはそわそわしながら皆が帰ってくるのを待っていた。
「マイン、ただいま。いっぱい採れたよ」
「おかえりなさい」
昼過ぎに三人とも大満足の笑顔で帰ってきた。やはり人海戦術は強かったようで、かなりたくさんのパルゥが採れたらしい。
トゥーリが持ってきてくれた天然酵母を使ったふわふわパンを味わいながら、午後からの予定について話し合う。
「午後からは加工だね。工房でする? それとも食堂?」
「果汁を取るのは食堂でできるけど、油を絞るのは工房にある圧搾機を使った方が早いんじゃない?」
紙の水を絞るための圧搾機が工房にはある。父や灰色神官に手伝ってもらえば、ハンマーでちまちま絞る必要はない。わたしの提案にルッツがうーん、と難色を示した。
「……でも、工房は寒いからなぁ。寒いとパルゥが硬いから、温かい食堂でハンマーを使った方が多分簡単だと思う」
「人数が多いから、ハンマーの数があるなら、食堂でやればいいんじゃないのか?」
父の言葉にパルゥの加工は食堂でやることになった。パルゥの加工よりもその後の方が気になっているらしいトゥーリは、そわそわとしながらわたしに尋ねる。
「パルゥケーキはどこで焼くの? 女子棟の地階? ここの厨房?」
「女子棟の地階の予定。……厨房で作ってエラから街に広がったら、搾りかすを家畜の餌にしている人が困るでしょ?」
「困るな」
鶏を飼っているルッツが顔をしかめた。冬の餌にパルゥの搾りかすはとても良いのだ。無料同然で手に入る搾りかすが手に入らなくなると、家畜を飼っている人達はとても困ることになる。
パルゥケーキは自分達だけでこっそりと楽しめばいい。孤児院で作る分が下町に広がることはないはずだ。
「午後からは、パルゥをウチとルッツの取り分と孤児院の分を分けた後、加工作業を食堂でしようね」
「じゃあ、わたし、女子棟の地階で女の子達にパルゥケーキの焼き方を教えるよ」
昼食を終えた後、早速三人は作業をするために孤児院へと向かっていった。わたしはダームエルが戻ってくるのを待って、孤児院へと移動する。部屋に残るのはやはり孤児院に行きたくないと言うデリアだけだ。
「巫女見習い、これは一体何をしている?」
ダームエルは孤児院の状態を見て、顔を引きつらせた。
食堂の一角では穴を開けた木の実を持って、とろりと落ちる白い果汁をカップに取っている子供達がいて、別の一角ではハンマーを構えた何人もの男性がダンダンと大きな音を立てながら実を叩き潰している。パルゥを知らない人が見れば、異様な光景に見えるかもしれない。
「こちらではパルゥの実から果汁を取っていて、あちらでは果汁を取り終わった実を叩いて絞って、油を絞り取っています。最後に残った搾りかすはおいしいお菓子になるので、地階で女の子達が頑張ってくれているはずですわ」
トゥーリが頑張ってくれているようで、地階からふんわりと甘くて良い香りが漂い始めていた。
ヴィルマに頼んで、午前中に確保してもらっていたヤギの乳と卵と搾りかすとパルゥの果汁を混ぜ合わせ、バターで焼いてパルゥケーキを作っているはずだ。うっとりするような匂いを軽く目を閉じて胸一杯に吸い込む。
ロジーナとフランにお皿の準備を頼んでしばらく経つと、お皿にパルゥケーキを積み重ねたトゥーリが地階から上がってきた。
「あ、マイン。来たのね? ちょうど良かった。どんどん焼き始めているよ」
トゥーリの後ろにはもう一人の見習いがいて、同じようにパルゥケーキを重ねたお皿を持っている。二人はそのお皿をわたしの前に並べていった。
「マインは見張り役ね。つまみ食いされないように、よく見てて」
トゥーリの言葉にわたしは小さく笑いながら頷いた。少なくとも、青色巫女見習いであるわたしの目の前にあるパルゥケーキをつまみ食いして、以後お預けを食らいたい物好きはここにはいない。
「わぁ、いい匂い」
「おいしそう~」
甘い匂いと共に現れたパルゥケーキを見て、果汁を取っていた子供達が仕事を放り出して、駆け寄ってくる。
「ダメです。お仕事が終わらなければ、食べられませんよ? 働かざる者食うべからずです」
わたしの言葉に、子供達は慌てた様子で自分の持ち場へと戻っていく。
その足音に交じって、ゴクリと唾を呑みこんだような音が背後から聞こえた。思わず振り返ると、ダームエルの視線がパルゥケーキをがっちりと捉えていた。
「……巫女見習い、これは?」
食べたいとダームエルの顔に大きく書いている。貴族ならば、砂糖が手に入るだろうから、甘味など珍しいものではないと思うけれど、初めて見るものだから興味深いのだろうか。
「パルゥで作るパルゥケーキです。パルゥをご存じなかったようですし、初めて見る、珍しいものですものね。皆と一緒に召しあがられますか?」
「コホン! そうだな。孤児院に来ることが多くなる以上、ここでどのような物が食べられているか、少し興味はある」
たくさんあったパルゥの加工を終わらせると、パルゥの果汁や油や搾りかすを女の子や子供達が女子棟の地下室へ運んでいき、男達は加工に使った道具を男子棟の方へと片付けに行く。
フランとロジーナはパルゥケーキを切り分けていき、皿を持って並び始めた子供達に配っていった。わたしはギルに頼んで、お留守番しているデリアにパルゥケーキを届けてもらったり、部屋の厨房でエラの助手をしている子達の分を取り置いてもらえるように指示を出す。
食堂に全員が勢揃いし、皆の前にお皿が並ぶ。フランによって部屋から持ちこまれた食器がわたしとダームエルの前に並べられた。
「では、お祈りをいたしましょう」
わたしの言葉に、子供達は両手を胸の前で交差して、食前のお祈りをする。
「幾千幾万の命を我々の糧としてお恵み下さる高く亭亭たる大空を司る最高神、広く浩浩たる大地を司る五柱の大神、神々の御心に感謝と祈りを捧げ、この食事を頂きます」
つらつらと祈りの文句が出てくる皆を父とトゥーリが呆然とした顔で見ているが、わたしもここで食事を取るうちに覚えた文句だ。ちらりと見ると、ダームエルも当たり前の顔で祈り文句を唱えているのがわかった。貴族も同じようにお祈りをするようだ。
お祈りを終えると、子供達は先を争うようにパルゥケーキを口に入れた。わたしはその様子を見ながら、一口食べる。
「すごい! おいしい!」
「甘い!」
子供達の喜びの声の中、隣で食べているダームエルが目を見開いて固まっていた。
「巫女見習い、これは下町の者が当たり前に食べている物か?」
「当たり前ではありません。わたくし達がこっそりと楽しんでいる物です。お気に召しまして?」
わたしが尋ねると、ダームエルはゆっくりと息を吐いた。
「うますぎる。……ここの子供達は貴族並みの生活をしているのではないか? 読み書きを学び、このような甘味を取れるなど」
「ここは孤児院でございます。おそらく貴族の生活とは全く違いますわ。このパルゥも朝早くから雪深い森へ行って自分達の手で採ってきたものです。冬の晴れた朝にしか採れないパルゥは売り物ではございませんから」
釈然としないような顔でダームエルはパルゥケーキを食べていたけれど、それから先も、冬の晴れた日は孤児院へ向かうことを催促するようになった。どうやらかなり気に入ったらしい。
パルゥケーキを気に入ったのはダームエルばかりではない。孤児院の面々も同じだ。
「マイン様、これはとてもおいしいですね」
「今度はいつ晴れるでしょう?」
「パルゥの搾りかすはまだたくさんありますから、また作りましょうね。搾りかすは他の料理にも使えますから、楽しみにしていてくださいな」
わたしがルッツの家に譲ったレシピを孤児院の食事を作るヴィルマ達に公開した結果、孤児達のパルゥ争奪戦には更に熱気がこもることになった。