Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (151)
青色神官の贈り物
見学自体は何事もなく終わった。
ベンノと商談を終え、工房へと戻ってきたジルヴェスターが紙漉きをやりたがったり、紙を板に張り付けようとして数枚破ったりしたけれど、それは予想の範囲内だ。道具類に被害が出ることなく、ジルヴェスターには満足してもらえたようなので、良い結果に終わったということにしておこう。
神官長から後で怒られたり、尋問されたりしそうな予感だけはひしひしと感じているけれど、ひとまず終わった。
ただ、一体どんな商談があったのか、ジルヴェスターと一緒に戻ってきたベンノの顔にははっきりと疲労の影が色濃く落ちていた。
見学を終えた後、わたしの部屋へとやってきたベンノは、ぐったりとした様子で項垂れた。少し休憩しなければ、帰る気力も残っていないらしい。
「ベンノさん、ジルヴェスター様に何を言われたのですか? あんまりひどいことを言われたのなら、神官長に言いつけるくらいですけど、協力できますよ?」
わたしにできることはほとんどないが、あまりひどいと神官長がスパーンとお仕置きしてくれるはずだ。そう思って善意で申し出たはずなのに、ベンノはむっつりと押し黙ったまま、わたしの頭を拳骨でぐりぐりし始めた。
「いだい、いだいっ! いきなり何ですか!?」
「……お前が悪い」
ベンノが凶悪な表情で静かにそう言いながら、再度拳骨を構える。わたしは自分の頭を庇いながら、涙目でベンノを睨んだ。
「わたしの何が悪かったんですか!?」
「言えん。言えんが、お前のせいだ」
「もしかして、料理人交換をしなかったことで難癖付けられたんですか?」
わたしのせいで、ジルヴェスターからベンノが難癖を付けられるとすれば、それしか思い浮かばない。けれど、ベンノは軽く目を見張った後、大きく溜息を吐いて首を振った。
「全く違う」
「じゃあ、何ですか?」
ベンノは恨みがましいような顔でわたしを見た後、ビシッと固めてあった髪をガシガシと掻き乱して、「あ~」と呻き声を上げた。
「……もういい。とんでもない機会が巡ってきたことだけは間違いないんだ。これを生かせるかどうかは、わからんが」
「はぁ、何が何だかよくわからないけど、頑張ってください」
わからないなりに激励したけれど、何が気に入らなかったのか、ベンノは両手でぐにっとわたしの頬をつねる。
「……ベンノさん、こちらでお昼ご飯、食べていきますか?」
「いや、帰って頭を整理したい」
ベンノはそう言うと、ガタリと立ち上がって、疲れきったサラリーマンのような足取りで帰って行った。本当にジルヴェスターから何を言われたのだろうか。
その日の午後、わたしの部屋には二通の手紙が届いた。
一通目は神官長からお説教部屋への招待状だった。日付は明後日の午後、帰宅前の呼び出しである。お説教のあとに家族に甘えられると思えば、何とか耐えられるだろう。すぐに了承の返事を書いた。
そして、もう一通はジルヴェスターからで、本日の見学に対するお礼と明日は森に連れて行けという命令が書かれている。簡単に命令してくれるが、わたしが森に行くのは簡単な事ではない。体力的にも、護衛が必要という点でも。
「ダームエル様、わたくしが森に行くのは無理ですよね?」
わたしがピンと指先で手紙を弾いて呟くと、護衛として同行しなければならないダームエルは呆れたような顔で軽く肩を竦めた。
「巫女見習いは、まず、森まで歩けないだろう?」
「歩けます。洗礼前は森まで歩いていたのですよ。……時間はかかりましたけれど」
わたしのスピードに合わせられる気の長い成人男性は滅多にいないようで、ここ最近は抱き上げられてしまうことが多いけれど、歩けないわけではない。ちょっと遅いだけだ。
「歩けるか否かは、置いておこう。警護することを考えても、巫女見習いが森へ行くのは勧められることではない。誰かに案内してもらうのが良いのではないか?」
相手はあの自由奔放なジルヴェスターだ。父が休みならば、父に頼むけれど、父の休みは明後日だ。わたしを迎えに来られるように休みを調節したとトゥーリが言っていた。トゥーリも一緒にお迎えに来てくれるので、明日はお仕事で間違いない。
「ルッツに頼むしかないのでしょうけれど、負担は大きいでしょうね」
明日は晴れたら、子供達を連れて森へ行くという話だったので、ルッツにお願いするしかない。
ジルヴェスターへの対応を考えたら、成人近いレオンにお願いしたいところだが、レオンは商人の息子で、森へあまり出かけていないので詳しくないのだ。
「マイン様、もう青色神官が工房で待ってるんだけど!」
2の鐘が鳴ったら、朝食を取って、ギルは工房を開けることになっている。そして、孤児院での朝食を終えた灰色神官がやってくるまでに、本日の準備を行うのだ。
しかし、今日は工房を開けに行ったら、すでにジルヴェスターが小汚い中古服を着て、意気揚々とした様子で工房前で待っていたらしい。
一体どれだけ楽しみにしているのか。遠足に向かう子供のようだ。
ギルが泡を食ったように報告に来たので、わたしはフェシュピールの練習を止めて、ダームエルとギルと一緒に工房へと向かうことにした。
わたしが工房へと到着した時には孤児院の方でも朝食が終わる時間だったようだ。恐縮しまくっている灰色神官達や森に行くために籠を背負って準備をした子供達が工房に集まり始めている。その中にやたら立派な弓矢を持ったジルヴェスターの姿があった。
「おはようございます、ジルヴェスター様」
「遅いぞ、マイン」
不満そうに睨まれても困る。
「ジルヴェスター様は早すぎます。まだ全員揃っていないではないですか。……それに、わたくしは森には行けません。足手まといですから」
「確かにお前は足手まといだな。では、案内は誰がするのだ?」
わくわくした様子の深緑の目でジルヴェスターが辺りを見回せば、一つにまとめられた青味の強い紫の髪が背中の中ほどで揺れる。銀細工の髪留めが中古服と全く釣り合っていない。
「ギルベルタ商会のダプラであるルッツやレオンがいつも子供達を森へと連れて行ってくれます。今日もルッツにお願いするつもりなので、彼らが到着するまではお待ちください」
工房にある木箱に座るように言ったけれど、ジルヴェスターは落ち着きなく歩き回る。わたしはゆっくりと溜息を吐いた。
「ジルヴェスター様は本当に森へ行かれるのですか?」
「あぁ、そのために小汚い服も準備してもらったのだからな。ほら、見ろ。意外と似合うだろう?」
ニッと笑いながら、ジルヴェスターが手を広げて中古服を見せる。似合っていない。小汚い服だけが浮いている。どこからどう見ても、金持ちがお忍びにならないお忍びを楽しんでいるようにしか見えない。
ただ、狩りを楽しみたいというのだけはよくわかった。森に行くための中古服。そして、靴は少しくたびれている皮のショートブーツだ。多分、木靴では動きにくいと判断したのだろう。手に持っているのは、この辺りでは滅多にお目にかかれない綺麗で豪華な弓。本当に狩りのことしか考えていないよう見える。
「ジルヴェスター様、本当に森で狩りをされるなら、ルッツの言うことを聞くとお約束してください」
「うん?」
ジルヴェスターがほんの少し顔を引き締めて、わたしを見た。
貴族と平民と言う身分差はあるが、同じ青色神官ということで、神殿内では建前上わたし達は対等だ。神官長がこの場にいない今、ジルヴェスターに意見できるのはわたしだけしかいない。
「貴族の森に決まり事があるように、下町の森には下町の森の決まり事があります。採集を行う場所と狩りを行う場所は離れておりますし、他に狩りをする者との決まりもございます。決まりを守れず、何か起こった時に貴族の権利を振りかざすならば、最初から貴族の森で狩りを行っていただきたいのです」
下町の森には皆が利用できるように、洗礼前の子供達もお手伝いで採集に行けるように、暗黙の了解となっている決まり事がいくつもある。それを守らずに狩りをするのは、誰に怪我をさせるかわからない危険行為だ。下町のルールなど知ったことか、と言うならば、神官長にお願いして止めてもらうしかない。
わたしの説明に、ジルヴェスターは真面目な顔で「なるほど」と頷き、了承した。
「初めて行く場所だからな。先達の言葉は聞くのが当然であろう」
ジルヴェスターが鷹揚にそう言って頷いた時、ルッツとレオンがやってきた。今日は二人とも森へと向かう恰好をしている。
「おはよう、マイン。工房にいるなんて珍しいな」
「おはよう、ルッツ。おはようございます、レオン」
「おはようございます、マイン様」
挨拶をすませた二人は仁王立ちしているジルヴェスターに気付き、慌てて挨拶した。
なんでこの場に昨日の青色神官がいるんだ、と目を白黒させている二人に、今日、森へ狩りに行きたいと言うジルヴェスターの希望を伝える。
「ルッツ、本当に悪いのだけれど、ジルヴェスター様をお願いね。レオンとギル、今日は二人が子供達の採集組をよく見ていてください。……もう任せても大丈夫でしょう?」
「あぁ、大丈夫です」
「かしこまりました」
ジルヴェスターは小汚い服には不釣り合いな豪華な弓矢を持って、孤児院の子供達を率いるルッツ達と一緒に森へと行ってしまった。
「不安ですね」
「何かお考えがあるのだろう。部屋に戻るぞ、巫女見習い」
ジルヴェスターに考えがあるようには見えないけれど、と心の中で呟きながら、わたしは部屋に戻った。
「マイン、料理人を借りても良いか? 獲物が大量なんだ」
そう言ってルッツが部屋に駆けこんできたのは、もうじき6の鐘が鳴るのではないかという日が暮れ始めた時間だった。
もうそろそろ帰るという時間の料理人に仕事を頼むのは気が引けるけれど、獲物を捌くのは慣れた人間の方が圧倒的に速い。包丁を握り始めたばかりの孤児院の子供達に下処理を全て任せるのは無理だ。
「フラン、フーゴ達に頼んでくださる? ダームエル様、工房へ参りましょう」
ダームエルとわたしが工房に到着した時に目にしたのは、辺りに散らばるむしられた羽と、ところどころに血が落ちた工房前、そして、一心不乱に羽をむしる子供達の姿だった。
包丁を持って駆け付けてくれたフーゴとエラが工房前の状況を見て、目を丸くする。
「……すげぇな」
その呟きを耳にしたのか、ジルヴェスターが得意そうに胸を張って近付いてくる。
「どうだ、すごいだろう? 私が仕留めたのだ」
「お帰りなさいませ、ジルヴェスター様」
「マイン、見ろ! 大量だ」
ビックリするほどジルヴェスターがご機嫌だった。4羽の鳥と小鹿を仕留めたようで、フーゴとエラは台に転がされている小鹿から、早速解体に取り掛かる。
「血抜きはある程度終わっているみたいだから、傷みやすい内臓だけ取ってしまえ。今日は時間がないから、肉を料理するのは明日だな」
二人が鮮やかな手つきで解体していくのを少し遠目で見ていると、子供達は満面の笑顔でブチブチと羽をむしりながら、わたしに今日の報告をしてくれる。
料理された肉しか知らなった子供達も、震えずにこの状況で話ができるようになったわたしも、ずいぶん成長したものだ。
「マイン様、すごいのですよ。高い空を飛ぶ鳥が突然落ちたと思ったら、ジル様の矢が当たっていたのです」
「枝に下げられて、血抜きされる鳥がどんどん増えていったのです」
「辺りが真っ赤になるくらいでした」
「鳥を狙ってやってきた獣も、やっつけたのですよ。硬くてまずい肉だとおっしゃったので、置いてきましたけれど」
子供達が興奮した口調で口々にジルヴェスターの武勇伝を語ってくれるが、森の様子を想像するとちょっと怖い。
けれど、ジルヴェスターは子供達の称賛を浴びまくって、とても楽しそうに笑っている。
「本当に一日でこれだけ狩れるなんてすごいですね。これ、どうするおつもりなのですか? ジルヴェスター様の厨房に運んだ方がよろしいのではございませんか?」
ジルヴェスターのところの料理人に任せた方が良いのではないか、と提案すると、ジルヴェスターはまるで厨房に運び込まれると困るとでも言うような速さで急いで首を振った。
「いや、私はいらん。これは、そう、孤児達に食わせてやれば良かろう」
「わぁい! ジル様、ありがとうございます!」
「ジル様、すごいです! また森にご一緒させてくださいませ」
普段、それほど肉が多くは当たらない子供達は、大量の肉が手に入って大喜びだ。食欲でキラキラに輝いた目で、ジルヴェスターを称賛する。
「……あの、ジル様とは?」
子供達があまりにも自然に口にしているが、その呼び方は不敬ではないのか。わたしは恐る恐るジルヴェスターに尋ねた。
「あぁ、ジルヴェスターが言いにくそうだったのでな。言いやすくした。だが、お前は呼ぶなよ」
「どうしてですか?」
わたしが首を傾げると、ジルヴェスターはわたしをからかうように見下ろして、フンと鼻を鳴らした。
「孤児院の子供とは私がここに赴く以外で会うことはないが、お前は祈念式のように余所で会うだろう。お前のような粗忽者はその時に呼び間違えそうだからだ」
付き合いの浅いジルヴェスターにまで、粗忽者扱いされるとは心外だったが、間違いではない。わたしはやや項垂れながら同意するしかなかった。
「その通りですね」
わたしの同意に笑いながら、ジルヴェスターが頬を突く。
「今日は久し振りに楽しかった。マイン、礼にこれをやろう」
グッと握った拳をジルヴェスターがわたしの目の前に突きだした。森で拾った木の実や虫でも持っているのかと思えば、その手にあったのは、まるでオニキスのように真っ黒の石がはまったネックレスだった。
「はぁ、ありがとうございます。……何ですか、これ? 魔術具ですか?」
「魔術具の一種ではあるが、これがあっても魔術が使えるわけではない。神に祈ったところで何も起こらん」
盗聴防止の魔術具のように用途が決まっているタイプの魔術具か、と納得しながら、わたしはジルヴェスターを見上げた。
「これは何に使う物ですか?」
「私はしばらく留守にするからな。いざという時のお守りだ。まずい状況に陥ったら、この宝石部分に血判を押せ。助けてやる」
ジルヴェスターの助けが必要になることがあるのかどうか全くわからない。神官長に泣きつけば、ある程度何とかなると思う。だが、くれるという物はもらっておこう。
「後ろを向け。つけてやる」
わたしが言われるままに、くるりと背を向けたら、ジルヴェスターに舌打ちされた。
「髪を退けろ。つけられないだろう。お前は男から装飾品をもらったことがないのか!?」
「髪飾りをつけてもらった事ならありますよ」
ベンノに髪飾りをつけてもらったことがあった気がする。
だが、ネックレスを男から贈られるような状況は、麗乃時代を含めてもない。いや、麗乃時代は家族以外に装飾品をもらったことがなかった。
そう考えると、まだ8歳になってもいないのに、髪飾りやネックレスを贈られるとは、マインって、すごい。
……やっぱり顔か。顔が大事なのか。マインとして生きれば、「その残念思考の本狂いにモテ期なんか来るわけないだろう」と言われたわたしにも今度こそモテ期が来るのだろうか。
「似合いますか?」
「お守りに似合うも何もない。外さなければ、それでいい」
子供相手でも、そこは褒めてくれればいいのに。
ジルヴェスターの身も蓋もない意見にわたしがむぅっと頬を膨らませていると、ジルヴェスターは膨らんだ頬を両手で挟んでぐっと押した。
プッと口から空気が抜ける。それでも、ジルヴェスターは手を離さない。むしろ、頬を挟む手に力が込められた。
「マイン、肌身離さず身につけているんだ。いいな?」
「はひ」
わたしを見据えるジルヴェスターの深緑の目は今まで見たことがないほど真剣だった。