Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (153)
新しい家族
夜が明け始める頃、母の呻き声に、まず、父が飛び起きた。
「トゥーリ、マイン、母さんが産気づいた。産婆を呼んでくる! お前達も着替えて動け」
「うん、わかった」
わたし達に着替えるように言いながら、父は手早く着替えて、産婆を呼ぶために家を飛び出して行った。わたし以外の家族の中では、すでに役割分担ができていたのか、トゥーリも手早く着替えると玄関に向かって駆けだす。
「わたし、カルラおばさんを呼びに行くから、マインは着替えて母さんについてて」
「うん!」
勢いに流されて、大きく頷いて、着替えたものの、陣痛に苦しむ母の側にいて、わたしに一体何ができるというのか。パニックを起こしている頭には咄嗟に何も思い浮かばない。
「え、えーと……」
「マイン、お水を、ちょうだい」
息も絶え絶えというような苦しそうな状況の母に頼まれて、わたしは慌てて台所へと向かう。
「わかった」
母が望むとおり、コップに台所の水瓶の水を汲んで持って行く。陣痛の合間に母に渡すと、母はコクリと飲んだ。額に大粒の汗を浮かべた母の姿に、わたしは布を準備しようとして、ハッとした。
……清潔! 消毒! 絶対必要!
家の中は外に比べると清潔な方だ。わたしが掃除を徹底的にする綺麗好きだと思っている母やトゥーリも周囲を綺麗にしてくれるし、手洗いも結構習慣づいている。
けれど、手伝いに来てくれる産婆やご近所の奥さんはそうではない。
「ど、どどど、どうしよう!?」
せめて、手を洗ってもらって、アルコール消毒してほしいけれど、消毒用のアルコールがウチにあるわけない。
「あ、アルコール消毒できそうなお酒……え、えぇーと……」
消毒用に代用するならば、ウォッカのようなお酒があれば良かったが、ウチにはない。ルムトプフに使っていたお酒ならばアルコール度数は高いはずだ。けれど、多分消毒用として使うには不純物が多いと思う。わたしがもっと早く神殿から帰っていれば、ベンノに掛け合って、アルコール度数の高い蒸留酒を探してもらったのに。
「……でも、何もしないよりはマシだよね?」
お酒の不純物より、周囲の不潔さの方が問題だ。わたしはお酒と清潔な布を探して、消毒の準備をする。
「ただいま。わたし、水を汲んでくるからね」
トゥーリは戻ってきたかと思うと、桶を持って、また出ていった。トゥーリと入れ替わるように、カルラおばさんが数人の近所の奥さん達を呼び集めてきた。手に手に桶を持っているおばさん達により、井戸から大量の水が汲んでこられ、鍋にお湯を沸かされ始める。
わたしは水を運ぶため、また家を出ようとするトゥーリに飛びついた。
「トゥーリ、皆の手を全部清潔に綺麗にして、使う道具は煮沸消毒して、それから……」
「うん、うん。清潔ね。わかった、わかった。わかったから、マインは母さんについていて」
労働面では全く役に立たないわたしは、トゥーリによって、寝室へと押し込められた。
ふーふーと息を荒げながら苦しそうに呻く母の近くへと寄って、手を握る。母が陣痛に苦しみ始めると、骨が折れるかと思うくらいグッと力いっぱいにきつく手を握られた。
「母さん、出産の時は、ヒッヒッフー、だよ。『ラマーズ法』がいいんだって」
「何、それ?」
痛みの合間に母がわずかな笑顔を見せる。
「えーと、確か、痛いのをマシにする呼吸法だったと思う。ごめん、あんまりハッキリ覚えてない」
麗乃時代は自分が妊娠したり、出産したりする予定なんて全くなかったし、自分の周囲にも妊婦がいなかったので、その辺りの知識はあまりない。ラマーズ法が取り上げられているのは知っているが、どうしてそれが良いのか、どのように良いのか、説明できるほどは覚えていない。
「ヒッヒッフーね」
クスと母が笑って、二人でヒッヒッフーと言いながら、陣痛の時間を過ごしていると、産婆やご近所の奥さん方が寝室に入ってきた。
彼女達の姿を見たわたしは、うひっ、と大きく息を呑む。母に近付けまいとベッドの前に手を広げて立った。
「まず、手を洗って清潔にしてください!」
「あぁ、マインは病的な綺麗好きだったね」
カルラおばさんが呆れたように言いながら、他の奥さん方にも手を洗うように言ってくれる。その後で、わたしは酒を含ませた布で、手を拭いてもらった。これで少しはマシなはずだ。
水で手を洗ったはずの皆の手を拭いて薄汚れた布を、わたしが顔をしかめながら見ていると、カルラおばさんに寝室から摘まみだされた。
「マインは邪魔だから寝室から出てな。あのうろうろとするだけで役に立たないギュンターにさっさと椅子を組み立てな、と伝えてやって。出産なんてもう何回も経験しているだろうに、全く言うことを聞きやしない」
産婆を連れてきた後、台所をうろうろしている父にカルラおばさんの言葉を伝えて、わたし達は椅子を組み立てることにする。
「父さん、この椅子みたいなの、何?」
ところどころ汚れが残る板を、わたしが不審そうに見ていると、父が出産する時に座るのだと答えてくれた。昔の分娩台のようなものか、と理解した瞬間、わたしは布とお酒を手に取った。
「……消毒しなきゃ」
「マイン、こら、お酒で何をするつもりだ!?」
「母さんが使うんでしょ? アルコール消毒で綺麗にする」
父の悲鳴を無視して、ダパッと布にお酒を含ませてゴシゴシ拭いて磨きあげていると、どこかのおばさんが椅子を取りに来た。わたしが必死で磨いている姿を見て、苦笑する。
「おや、これも綺麗にしたのかい? 本当にアンタは病的な綺麗好きなんだね。ギュンター、もうここでやることはおしまいだ。さっさと下へ行きな」
お産をする場所は男子禁制であるらしい。父はこの場でできる男親の仕事を終えたので、下へ行けと追い払われる。
「わたし、母さんのところへ……」
「マインも下だ。アンタがいると清潔、消毒とうるさくて邪魔だからね」
「でも、ホントに大事で……」
「はい、はい。行った、行った」
トゥーリはお手伝いのために出入りしているが、わたしはぺいっと外に追い出されてしまった。バタンと玄関の扉を閉められてしまったので、もう中には入れない。
「母さん……」
わたし程度の清潔を求めるだけで、病的だと言われるのだ。産褥死の確率を考えただけで、ぞっとする。あのおばさん達を全身消毒したいくらい母が心配で仕方ないのに、わたしにできることはもう何もない。
母が産気づいたのは明け方でうっすらと日が差し始めた時間だったが、今は日が昇ってきて、井戸の広場が明るさを増していた。
とぼとぼと井戸の広場へと出てみると、広場ではご近所のおじさんたちによって、鳥が捌かれ始めている。
「父さん、皆、何しているの?」
一人だけ井戸の周りを落ち着きなくうろうろと歩きながら回っている父のところへと行き、わたしは父と一緒に井戸の周りを回りながら、問いかけた。
「……命名会の準備だ」
「命名会って何?」
洗礼式まで子供は神殿に入れないはずなので、ここには多分宗教的な儀式はないはずだ。ただ、命名会という名前からも、ご近所へのお披露目があるのではないか、と思う。
「お産のところに男は入っちゃいかんからな」
そう言いながら、父は説明してくれた。お産の時、女性は手伝いに駆り出され、男性は鳥を買ってきて、捌いて焼き、命名会の準備をするらしい。普段料理を作る女性がいないので自分達の腹を満たすため、お産の手伝いを終えた女性を労うため、そして、生まれた子供の誕生を祝い、名付けを披露するための準備だと言う。
「ギュンターおじさんとマインは一体なんで二人して井戸の周りをぐるぐるしてるんだよ?」
呆れたような声に振り返ると、ギルベルタ商会の見習い服を着たルッツが笑いを堪えたような顔で立っていた。
「ルッツ!」
「……エーファおばさんは? まだ?」
ちらりとわたしの家の方へと視線を送ったルッツに、わたしはコクリと頷いた。
「マイン、今日は神殿に行けなそうだな。オレ、連絡してくるから」
「ありがとう、ルッツ」
「ついでに、オレも店を休むって言ってくるよ。今日は命名会だろ?」
子供は無事に産まれてくるに決まっているから仕事を休む、とルッツが笑うと、父が力強く頷いた。
「もちろんだ!」
駆けだしていくルッツを見送ったわたしは、また井戸の周りを回り始めた父に尋ねる。
「父さんは門に休むって、報告しなくていいの?」
「アルが買い物のついでに報告に行ってくれた。父さんはここから動けんからな」
「そっか」
わたしと父が井戸の周りを回っていると、ルッツの父であるディードおじさんが大声を張り上げた。
「ギュンター、マイン! ちょっとはこっちを手伝うか、せめて、じっとしてろ。毎回毎回鬱陶しいぞ!」
わたしと父は野菜を洗えと言われて、井戸の前にしゃがみこんで二人でジャボジャボと野菜を洗いながら、ボソボソと話を続ける。ここのお産がどのくらい危険な物かなのかわからないわたしは、何かしていないと不安が大きくなって、家に飛び込みたくなるのだ。
「父さん、お産ってどのくらい時間がかかるの?」
「トゥーリの時もマインの時も待っているのが、長かった記憶しかない」
「お前のとこは比較的早かったじゃないか。アルのところの方がよっぽど時間がかかったぞ」
井戸の水を汲みに来たディードおじさんが肩を竦めた。父の主観ではものすごく長かったらしいが、他人の意見を聞けば、母のお産は比較的軽い方だったらしい。その意見にわたしはホッと安堵の息を吐いたけれど、父はギュッと眉を寄せて、泣きそうな顔になった。
「早いとか、遅いとか、そんなのはどうでもいいんだ。今度は無事に産まれてくれれば、それで……」
「今度はって?」
わたしみたいな虚弱ではなく、健康な子が生まれてほしいということだろうか。何となく聞いてみると、父は溜息と共に思わぬ言葉を吐きだした。
「最初の子は流れた。その次に生まれた男の子は生まれて一年ともたずに死んだ。トゥーリとマインは無事に育ったが、次の子供も冬を越えられなかった。その次は生まれることなく流れたんだ。今度は無事に産まれて育ってほしい」
過酷な出産状況に、わたしはあんぐりと口を開けた。麗乃時代の記憶から、中世辺りの出産が過酷で、子供が育たないという話は本で読んだことがあったけれど、目の前の現実とはあまりハッキリと結びついていなかった。実際に子供を見送ってきた父の口から聞くと、出産に対する恐怖や不安が全く違って聞こえる。
怖くなって、わたしはウチがある5階を見上げた。あそこで母が今頑張っているはずだ。
「母さん、大丈夫だよね?」
「……マインからも神様に祈ってくれよ」
「うん」
わたしはビシッと手を上げて、心から神に祈る。
「母さんに水の女神の眷属たる出産の女神 エントリンドゥーゲの祝福と加護があらんことを」
ギルベルタ商会と神殿へ連絡に行ったルッツが大きな籠を背負って帰ってきた。わたし達の前にドンと籠を置くと、中の物を取り出していく。
「マイン、これ、旦那様からの祝いの布だ。それから、工房とマインの部屋へ伝えたら、昨日ジル様が狩った肉の一部をフーゴが工房からの祝いとしてくれた」
「……まだ生まれてないのに」
それでも、皆の気持ちが嬉しくて、わたしの顔は歪んでいく。
「こっちの鳥肉は母さんに食べさせたいから、家に持って帰るね。こっちの鹿肉は命名会で食べようか。……でも、出すのは、お産が終わって、功労者のおばさん達が出てきてからね。ルッツがもらってきてくれたから、ルッツが一番に食べていいよ」
そう言って、肉の固まりをルッツに渡すと、父も嬉しそうに目を細めて頷く。
その時、トゥーリが満面の笑みを浮かべて井戸の広場へと飛び出してきた。
「父さん、マイン! 生まれたよ! 男の子!」
「おおおぉぉ! おめでとう!」
広場に歓声が上がった。無事に生まれたので、ここから命名会の始まりとなり、お酒が解禁となる。おじさん達は我先にお酒へと手を伸ばし始めた。準備された鉄板で次々と肉が焼かれ始める。
「家族は入っていいって。行こう」
生まれた赤子にまず会うのは家族だ。ルッツが持って帰ってきた籠を背負った父がわたしを抱き上げて、階段を一段飛ばしで駆けあがって行く。5階まで駆けあがれるくらい喜びで興奮しているらしい。
父は家の中に飛び込むと、後片付けを終えかけているおばさん達に感謝と労いの言葉をかけた。逆におばさん達からは「おめでとう」「元気な男の子だよ」と声をかけられる。
「父さん、外の『バイキン』を寝室に持ちこんじゃダメ!」
寝室に向かおうと気が急いている父に、籠を下ろさせて、手洗いうがいをしっかりとさせる。自分もしっかりしていると、おばさん達が目を丸くして「病的」とまた言われたけれど、そんなのは無視だ。
「母さん、入っていい?」
「ギュンター、マイン、男の子よ」
「エーファ、よくやった! 二人とも無事でよかった!」
父は母の枕元に座りこんで、母の手を握って、指先や甲に口付けを繰り返す。
ぐったりとした母の胸の上に抱かれたままの赤ちゃんは本当に赤くて小さくてくしゃくしゃしていた。産湯で清められて、トゥーリが作った産着を着ている小さな存在に、ハァ、と感嘆の溜息が出てくる。
「赤ちゃんの名前はどうするの?」
「もう決まってるんでしょ? なんて名前にしたの?」
トゥーリがわくわくしたように両親の顔を見る。両親は揃って頷いた。そっと赤ちゃんを撫でながら、顔を見合わせてフッと笑みを浮かべる。
「カミルという名前にするつもりなの。どう?」
「カミル、カミルかぁ」
トゥーリはフフッと笑いながら、ツンとカミルの頬を突く。母はその様子を笑ってみていたが、すいっとわたしに視線を向けた。
「マイン、抱っこしてみる? トゥーリはもうしたから」
それはものすごくしてみたい。でも、落としそうで怖い。確か、新生児の平均体重は3キロくらいだったはずだ。わたしに抱けるのだろうか。
悩んでいると、母が少し顔を曇らせた。
「嫌?」
「ううん、嫌じゃない。……抱っこの仕方がわからないし、落としそうで怖いだけ」
わたしの言葉に父が吹き出した。笑いながら、わたしを抱き上げて、靴を脱がせると、ベッドへと上げた。
「そこで座って抱っこすれば、落としても大丈夫だ」
母の隣に座りこんだ状態で、わたしはそっとカミルを抱き上げた。わたしでも抱き上げられるくらいに小さくて軽いのに、口元がうにうにと動いて、目が開く。きょとんとした視点の合っていない目がわたしの方を向いた。しっかりと生きていることに、胸がいっぱいになる。
「カミル、カミル、お姉ちゃんだよ」
わたしが話しかけると、カミルはしわしわの顔を更にくしゃくしゃにし始める。そして、細く小さな声を上げて、泣き始めた。
「か、母さん。泣きだしたよ。カミルが、ど、どうしたら……」
「うろたえなくても大丈夫よ。赤ちゃんは泣くものなんだから」
そんなことを言われても困る。おろおろしながら、泣いているカミルを母の胸元へと下ろした。
「じゃあ、カミルをお披露目に連れていくか」
わたしを笑ってみていた父がそう言って、カミルを抱き上げた。か細い声で抗議するように泣いているが、お構いなしだ。
「え? 生まれたばっかりの赤ちゃんを外に出すの?」
「お披露目しなければならないんだから、当然だろう?」
抵抗力もない新生児を生まれてすぐに外に出せば、死亡率が上がるのも当然だ。わたしは、ひいぃっと息を呑んだ。
「父さん、お披露目って絶対にしなきゃダメなの?」
「あぁ、何を言っているんだ?」
「まだ寒いのに、生まれたばかりの赤ちゃんを『バイキン』だらけの外に出すなんて、危険すぎるよ」
わたしが必死で言うと、父は少し顔を厳しくした。抱いているカミルとわたしを見比べる。
「危険なのか?」
「病気になる可能性がすごく高くなる」
しばらく考え込んでいた父が険しい目で首を振った。
「だが、カミルをお披露目しないわけにはいかん」
「どうしても出さなきゃダメなら、絶対に寒くないようにして、皆の泥だらけの手に触られないように、抱いたまま皆の周りをぐるりと回ったら、すぐに帰ってくるくらいじゃなきゃダメだよ。それでも、わたしは心配だけど……」
「マインは神経質すぎるよ」
トゥーリは軽く肩を竦めたけれど、生まれたばかりの赤ちゃんは本当に死にやすいのだ。ここのような環境なら尚更である。
今度は無事に育ってほしいと井戸のところで呟いていた父は決意したように顔を上げて、カミルを温かそうな布でぐるぐるに巻いて、寒くないようにしていく。
「すぐに帰ればいいんだな?」
「うん。他の人に渡さないように気をつけて」
「父さんもマインも過保護すぎだよ」
呆れたようにトゥーリは言うけれど、このような環境で無事に育てようと思ったら、過保護なくらいでもまだ足りないくらいだ。
カミルを抱いた父とトゥーリと一緒に、もう一度井戸の広場に下りると、井戸の広場は命名会という名のバーベキュー大会になっていた。
この命名会は手伝ってくれたご近所の奥さん方を労い、赤ちゃんを披露する会である。ご近所さんと一緒にどこのだれと同じ年に生まれたとか、誰が洗礼式の年だとか、こういうことがあった春だとか、確認し合うのだ。記録には残せないので、こうして多くの人に披露して覚えてもらって、記憶に残すしかない。
「皆、今日は朝早くからありがとう。無事に息子が誕生した。名前はカミル。新しい仲間として可愛がってやってほしい」
父はカミルの名前を発表し、皆にぐるりと見せて回ると、「マインと同じであまり身体が丈夫ではないかもしれない」と言い訳して、すぐさまトゥーリにカミルを連れて帰るように言った。いつ死んでもおかしくないくらい身体が弱くて熱を出しているわたしの存在に、ご近所は納得したように頷く。
「マインに続いて、カミルまで病弱だったら大変だな」
「よく熱を出すけれど、マインは少し元気になってきたんじゃない? 洗礼式も終わったし、このまま育つといいわね」
何度も死にかけていて洗礼式までもつと思わなかったと、口々に言われながら、わたしはカミルを抱っこしたトゥーリと一緒にさっさと家に引っ込んだ。
誰がどの手で触った肉だろうと、戦々恐々としながら広場で食べるよりは、家でゆっくり食べる方がいい。それに、わたしは護衛も無しに外に出てはならないと言われている。家に入れなかったお産の間はともかく、あまり外でうろうろしない方がいいのだ。
「トゥーリ、母さんのご飯はどうするの?」
「下でもらってくるよ」
トゥーリは下の集まりに参加したいようで、カミルを母のところに置くと、すぐさま家を飛び出して行った。
わたしは竈に火をつけて、昨夜の残りのスープを温めていく。その間に、投げ出されたままの籠の中身を片付けた。フーゴによって下準備されている鳥肉は冬支度部屋へ、ベンノにもらった布は物置へと置いておく。
「母さん、お腹空いてるなら、スープ温めているけど、いる? 栄養つけないと母乳の出が悪くなるんだよ」
「そうね、食べようかしら?」
ベッドに座った母にわたしはスープよそって持って行く。自分の分もよそって、ベッドの隣に椅子を置いて、一緒に食べることにした。
「マインは下へ行かないの?」
「うん、ダームエル様がいない状態で外に出ない方がいいから」
「そう」
母はわたしがあまり近所と付き合いを持たないことを心配している。それをわかっていても、衛生観念が違いすぎて、わたしが辛い。
「あ、そうだ。ルッツが持ってきてくれたんだけど、ベンノさんから布を、神殿の工房や側仕えからはお肉をお祝にもらったよ。お返しとか、何かしておくことってある?」
こちらの習慣に疎いわたしが尋ねると、母は緩く首を振った。お祝をくれた人に子供ができた時にお祝をすれば良いらしい。独身主義のベンノも神殿関係者も結婚しなさそうだけど、いいのだろうか。
「あとは、そうね。マインがカミルについて、報告しておいてちょうだい。なるべくたくさんの人に覚えてもらわなければならないから」
「わかった」
わたしは大きく頷きながら、母の隣で眠る小さな弟を見た。風邪を引かないように温かい布でぐるぐるにされたまま眠っているカミルを見ていると、自然と目尻が下がって行くのがわかる。
「カミル、可愛いね」
「そうね」
わたしがカミルと一緒にいられる時間はそう長くない。二歳の頃に離れなければならないのだから、下手したら、カミルの記憶には残らないかもしれない。だったら、カミルの将来に役立つように、少しでもカミルの記憶に残るように絵本やおもちゃを色々作りたい。
絵本しか作れないなら、可愛い弟のために子供向けの絵本をがっつり作ればいい。二、三カ月から半年くらいまでは白黒絵本で良いが、その後はカラフルな絵本が欲しい。そのためには色インクを開発しなければならない。
……あれ? もしかして、絵本しか作れない二年の間って、結構やることいっぱいで忙しくない?
カミルの成長に間に合うように子供用の絵本を作ろうと思ったら、字だらけの本を印刷している余裕なんてないかもしれない。活版印刷が禁止なら、ガリ版印刷を向上させればいいじゃない。
……時間は有効に。お姉ちゃん、頑張るよ!