Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (154)
身食いの捨て子
カミルの夜の授乳にも気付かず、ぐっすり眠れるようになったのは、カミルが生まれて三日がたった頃だった。家や近所でやる誕生祝いのイベントらしきものを全て終えて、家族も日常へと戻っていく。わたしも、今日からまた神殿へと行くことになった。
わたしは迎えに来てくれたダームエルとフランを連れて、ギルベルタ商会へと向かう。お祝いのお礼として、ベンノにカミルの可愛さを伝えなければならないのだ。ついでに、印刷関係のお話もしなければならない。
「ホントにね、生まれたばかりで、すごくちっちゃくて、泣いたら赤くて、くちゃくちゃで、可愛いんです。まさか弟がこんなに可愛いものだと思いませんでした」
道中でルッツとフランとダームエル相手に延々と語っていたことをベンノにも語る。ベンノはものすごく嫌そうにこめかみを押さえた。
「もういい。ウチの子自慢はオットーで聞き飽きているんだ。さっさと印刷の話をしろ」
「え? コリンナさんのところ、生まれてたんですか? わたし、聞いてませんよ!?」
いつの間に!? とわたしが目を丸くすると、ベンノはむむっと眉を寄せた。
「言っていなかったか? お前が神殿に籠っている間だったからな。オットーがあまりにもうるさいから、お前の父親から話が流れているか、ルッツかレオンから聞いているものだと思っていたが……」
そう言いながら、ベンノはルッツに視線を向ける。視線を受けたルッツは困ったように肩を竦めた。
「旦那様から話をするのが筋だとレオンから聞いたので、敢えて言いませんでした」
「まぁ、確かに俺が言うのが本来だし、生まれてからマインと顔を合わせたが……。そんな話をする余裕がなかったな」
金属活字の完成の時も、青色神官の見学で呼び出された時も、と言いながら、ベンノは少し遠い目をした。思い返してみれば、確かに、バタバタしていて、とてもそんなほのぼのした話題が出せる状況ではなかった気がする。
「冬の終わりに生まれたんだ。名前はレナーテ。ギルベルタ商会の跡取り娘だ。今後よろしく頼む」
ウチの父が周囲に言いふらしている様子と比べるとあまりにも淡々とした紹介に、わたしは首を傾げた。
「ベンノさんはあまり舞いあがっていないんですね。待望の跡取りなのに……」
「あぁ。オットーが俺の分も舞いあがっているからな。アイツは阿呆のように甘やかしそうだ。俺が厳しく教育しなければ、ギルベルタ商会が潰れる」
苦虫を噛み潰したようなベンノに苦笑が漏れる。厳しくしなければ、と言いつつ、甘いことを言うベンノが容易に想像できた。
「何だ?」
「いえ、何だかんだ言っても、ベンノさんは結構甘いですから」
「あぁん?」
じろっと赤褐色目で睨まれたが、わたしは肩を竦めた。
「コリンナさんに教育を任せておけば大丈夫ですよ。ニッコリ笑って穏やかに優しく甘く、しっかり利益を確保できる跡取りに育ちますって」
コリンナのおっとりほやほやしている雰囲気に騙されるが、後で思い返してみると、貴重な情報をベラベラ喋っていたことに気付いて、ガックリしたことが何度かある。
ベンノは指摘してくれたり、わたしが情報を垂れ流していることに気付くようにヒントをくれたりするが、コリンナは一切しない。商人として考えるなら、ベンノの方が甘いくらいだ。多分、ベンノの場合は、商人の見習いとしてわたしを育てようとした時の保護者感覚が今でも続いているせいで、わたしへの対応が甘いのだと思うけれど。
「そのコリンナを育てたのは俺だぞ」
「……じゃあ、ギルベルタ商会はしばらく安泰ですね」
わたしの言葉にベンノは「当然だ」と頷いた。
「それで、印刷に関する話とは何だ?」
「活版印刷はしばらくするな、と神官長から止められました。このまま突き進むと、対立する既得権益が貴族になるそうです。わたし達に勝ち目がありません」
「……貴族が既得権益? それは逃げるが勝ちだな」
既得権益に喧嘩を売るのが好きなベンノも、さすがに貴族相手に喧嘩を売るつもりはないようだ。わたしは少し安心しながら、神官長に言われたことをベンノに伝える。
「具体的には、大人向けの字がびっしり詰まった本を作ってはならないということでした。子供向けの本を作る分には対立しないだろうと言っていたので、これから数年間は子供向けの絵本作りに全力で取り組みたいと思います」
「全力……だと? 具体的に言え」
ベンノが目を険しくして、わたしを睨んだ。わたしは大きく頷いて、これからのマイン工房の事業計画を発表する。
「具体的には、絵に色付けができるように、色付きインクの開発です。それから、ロウ原紙の開発をして、ガリ版印刷の技術を向上させたいと思います。結構大急ぎでしないと間に合いません」
「……間に合わない? 何に?」
怪訝そうに首を傾げるベンノに、わたしは胸を張って答えた。
「ウチの可愛いカミルの成長に合わせた絵本が必要なんです。カミルのためにも全力で取り組みますので、近いうちに蝋の工房に紹介してくださいね」
「それは、神官長からの許可は取っているのか?」
ものすごく疑わしそうに顔を歪めながら、ベンノはわたしに問いかけた。神官長からもベンノからも許可を取れ、報告しろ、としつこく言われているのに、はみ出たことをするわけがない。
「神官長は子供用の絵本なら、既得権益とぶつからないから構わないって言っていましたし、絵本に色を付けるのは、もともと神官長の注文なんです。ヴィルマの絵は白黒ではもったいないとか、本には色が付いているべきだ、って……」
「許可を得ているなら、良い。近いうちに蝋工房の親方と会えるように手を回そう」
蝋の工房へと連れて行ってくれる約束をして、わたしはギルベルタ商会を出た。
「おはようございます。ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ、マイン様」
デリアとロジーナに迎えられ、わたしは青の衣に着替えた。着替えながら、二人にカミルが生まれた話をする。
「先日、わたくしの弟が生まれました。名前はカミル。生まれたばかりで、すごくちっちゃくて、泣いたら赤くて、くちゃくちゃで、可愛いんです」
「マイン様、その言い方ではあまり可愛いようには聞こえませんわ」
クスクスとロジーナが笑いを零す。赤くてくちゃくちゃしたところも可愛いのだが、あまりうまく伝わらないようだ。
「マイン様の弟が可愛くても可愛くなくても、あたし達には関係ないですけれど、どうしてあたし達にそんな話をするのです?」
「たくさんの人に話して、覚えておいてもらうためですって。カミルが誕生したことをたくさんの人に知らせてほしいと言われましたの」
ひとしきりカミルの可愛さについて話をし、満足したところで、フェシュピールの練習を始める。
ロジーナの指導を受けていると一階で、ノックと扉を開く音がした。しばらくすると、フランが階段を上がってきて、少しばかり困惑した顔で声をかけてくる。
「練習中、申し訳ございません。マイン様、ヴィルマが火急の用があるそうです」
「通してちょうだい」
ヴィルマの火急の用となれば、孤児院関係のことに決まっている。わたしはフェシュピールをデリアに片付けてもらって、ヴィルマを迎え入れるため、テーブルの方へと移動した。
二階へと上がってきたヴィルマは腕に赤子を抱いていた。カミルよりは少し大きい赤子を腕に抱いて上がってきたヴィルマも、案内してきたフランも助けを求めるような顔でわたしを見てくる。
「ヴィルマ、その子、どうしたのかしら?」
少なくとも、妊娠した灰色巫女が神殿にいるという話は聞いていない。青色神官の側仕えになっていたとしても、妊娠すれば孤児院に戻されるのが常だと言うから、ここで生まれた子供でないことだけは確実だ。
「捨てられたそうです。門番に預けられたというか……」
ヴィルマの話によると、門番をしている灰色神官がいつも通りに門のところへ立っていると、一人の女性が足早に近付いてきた。そして、「これを神様に捧げます」と言って、布に包まれた丸い固まりを渡されたのだそうだ。
時折、神に祈ってほしいと捧げ物を持ってやってくる人や、神に助けてもらったから、と言って、奉納する物を持ってくる人がいるので、それほど疑問に思わず、門番は受け取ったらしい。
「青色神官に渡す前に品物を改めようと布を解いたら、この子がいたのだそうです」
下町からもたらされる物は一体何が入っているかわからないので、青色神官に渡す前に必ず中を改めることになっている。
「子供を神様に奉納って……」
親が殺すこともできず、育てることもできず、神様にその先を託すということで、連れてこられるのが孤児院だ。カミルよりちょっと大きくて、首は座っているけれど、まだ這うこともできないくらいの大きさの赤子を前に、わたしは捨てた母親に対する怒りを募らせる。
「マイン様が孤児院の院長ですから、まず、ここに連れて来たのです。どうすればよいのでしょう、マイン様?」
孤児院に入れるならば、院長の許可が必要だ。だが、わたしが孤児院の院長に就任してから、子供が増えるのは初めてなので、どのような手続きをすれば良いのかわからない。
「どうしましょうと言われても、孤児院に子供が増えるのは、初めてですもの。神官長に相談しなくてはわからないことばかりだわ。フラン、火急の用件ということで、神官長に面会をお願いしてくれるかしら?」
「かしこまりました」
フランも初めての案件なので、困ったように眉を寄せながら、足早に部屋を出ていった。こちらの困惑など全く知らぬように、赤子はヴィルマの腕でぐっすりと眠っている。
「よく眠っていますね」
眠っている赤子を見ていると、カミルを思い出して、顔が緩んでいく。この子も可愛いけど、ウチのカミルの方が断然可愛い。
「……今は眠っているから良いのですけれど、起きたらどうすれば良いのかわかりませんの。子供を産んだ女の人が誰もいないから、誰もお乳をあげることができなくて、どうすればいいのか……」
これまでは、外から赤子が連れてこられても、地階に連れていけば、妊娠中や産後すぐで子供を育てている灰色巫女がいた。小さな赤子でも彼女達が我が子と一緒に面倒を見てくれていた。
けれど、今は孤児院から母となった灰色巫女が消え、地階だけで共有されてきた育児についての知識が完全に途絶えてしまった。残っている灰色巫女や見習いは、花捧げさえ係わったことがないような女の子ばかりだ。
洗礼式と共に地階から出て、親から完全に離されて育つ孤児院の子供達は、妊娠、出産、子育てについての知識は全くなく、赤子をどうすれば良いのか、全くわからないらしい。
「母のない子をどのように育てれば良いのか、マイン様は何かご存じないでしょうか?」
「母乳の出なくなった母親がヤギの乳を代用したという話は読んだことがあります。牛の乳より子供に良いそうです。時間はかかりますが、小さな匙で少しずつ含ませれば、飲ませることができるはずです」
戦争中を舞台にした物語で読んだだけの知識だが、全くわからなかったヴィルマには光明が差した気分になったらしい。わたしを称賛するように顔を輝かせた。
「ありがとう存じます、マイン様。すぐに準備いたします」
「おむつや服も準備しなくてはなりませんわね」
カミルの世話をするために必要な物を頭に思い浮かべていると、ヴィルマは緩く首を振った。
「いくらか昔の分も残っておりますので、少し増やさなくてはなりませんが、今すぐのことでなくても大丈夫ですわ」
「そう」
神官長のところから戻ってきたフランに頼んで、ヤギの乳を準備した頃に、目を覚ました赤子が自分の手をしゃぶりながら泣き始めた。
「お腹が空いたのだと思うわ」
わたしの言葉に、ヴィルマが少しずつ小さな匙でヤギの乳を飲ませていく。最初は母親と違うことに気付いたのか、嫌がって首を振っていた赤子も空腹の方が優先されたのか、ピチャピチャと少しずつヤギの乳を飲み始めた。
ホッと安堵の息を吐く。これで少なくとも食べられる物がなくて、飢え死にするような事態だけは回避できたようだ。
3の鐘が鳴り響いた。
鐘の音にビクッとなった赤子だったが、すぐに食欲を優先させる。
「フラン、神官長のところへ行きましょう。ダームエル様、お願いいたします」
二人と一緒にやや早足で神官長のもとへと向かった。カミルが生まれて、お姉ちゃん意識が高まっているせいだろうか、早急にあの子の環境を整えなければ、と気が急いてしまう。
「神官長、お話がございます」
わたしは神官長に面会し、赤子が捨てられていたことを告げた。孤児院に子供が増えた時の手続きについて質問し、どのように面倒を見れば良いのか、相談する。
「どのように? 今まで通りで良かろう?」
「子を成して、育てていた灰色巫女がいないから、相談しているのですけれど?」
わたしの言葉を聞いて、神官長はハッとしたように目を見張った。
「そうだったな。だが、いないものはどうしようもない。乳母でも雇うか? 残念ながら、私には子育ての経験がない」
「乳母って、雇えるのですか?」
それができるとずいぶん楽になるのではないか、とわたしが目を輝かせると、神官長は緩く首を振った。
「……孤児院に来たがる奇特な者が見つかれば、の話だ」
「それは難しそうですね」
孤児院へ来てくれるような奇特な者がいるとは思えない。わたしは無理そうだと結論付ける。ひとまず、わたしの側仕えで何とかするしかないということだろう。負担はかなり大きいと思うが、死なせたくなければやるしかない。
「名前はどうしましょう? 布にも服にもそれらしいものはなくて……」
「そちらで付ければ良い。今、孤児院にいる者と同じ名前にならなければ、構わない」
「かしこまりました」
一通りの相談を終えると、わたしはすぐに部屋へと戻った。赤子はお腹が満たされて、おむつも変えてもらったようでご機嫌だ。おむつを替えたヴィルマによると、この赤子は男の子だったらしい。
「交代で面倒をみなければならないわね。ヴィルマ一人で見ていたら、ヴィルマが倒れてしまうわ」
何人もの妊婦と母親が世話していた時ならば、地階の灰色巫女に任せておいても問題なかっただろう。けれど、今の孤児院に残っている灰色巫女は、乳児を扱ったことなどない。世話の仕方も知らない。誰にも質問できない。そんな状況では、いくら子供達の面倒を見るという役目をしていても、ヴィルマ一人には任せられない。世話をする方が倒れてしまう。
「夜中も授乳が必要だもの。夜遅くまで起きている人と、早く起きて世話する人で眠る時間もずらしあわなくてはダメね」
昼間は孤児院でヴィルマが面倒を見て、夜はわたしの部屋で側仕えが総出で面倒をみることに決めた。
もともと夜遅いのが苦手ではないロジーナが夜半まで面倒を見て、代わりにフランは早目に寝て起きて、面倒をみる。デリアが起きたら、ヴィルマが迎えに来るまで面倒を見るのはデリアに交代する。
「もー! どうしてあたしがそんなことをしなければなりませんの!?」
主であるわたしの面倒を見るならばともかく、毎日、捨て子の面倒を見る意味がわからない、とデリアが怒った。デリアの気持ちもわからないわけではないけれど、面倒を見ずに赤子を死なせるわけにはいかない。
わたしはじっとデリアを見つめる。何か効果的な言葉はないだろうか。デリアが進んでこの子の面倒を見たくなるような、そんな言葉が必要だ。
そう考えていると、ふっと思い出した。家族がわからないと言っていたデリアが、羨ましそうな目をしていたことを。デリアは強烈に家族への憧れを持っている。
「面倒を見るのは当然ですわ。デリアはこの子のお姉ちゃんですもの」
「え? お姉ちゃん?」
デリアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔でわたしと赤子を見比べた。
「デリアの年を考えると、お母さんではないから、お姉ちゃんでしょう? この子をデリアの家族だと思って可愛がってあげてちょうだい」
「あたしの家族……?」
デリアは不思議な言葉を聞いたように首を傾げて、「家族」「お姉ちゃん」と何度か口元で呟きながら、しげしげと赤子を見つめた。
「わたくしは先日お姉ちゃんになったばかりですけれど、デリアも今日お姉ちゃんになったのです。どちらが良いお姉ちゃんになれるか、競争しましょう」
「それはあたしの勝ちに決まっています!」
自分の胸を叩いて、デリアが得意そうに胸を張った。
わたしはデリアの様子に小さく笑う。これで、デリアは良いお姉ちゃんになるために一生懸命に面倒を見てくれるだろう。基本的にデリアは努力家で、勤勉で、真っ直ぐなのだ。
すっかり乗せられた様子のデリアに、周囲の側仕えも生温かい目になる。けれど、まだ幼いデリアが一生懸命に世話をする様子を見れば、ロジーナもフランも負担に思いながら、世話してくれるに違いない。
「まず、この子の名前を決めましょうか。孤児院にいる子と同じはダメだけれど、こちらで自由に決めて良いそうよ。何か希望はあって?」
「あたしと似た名前が良いわ。家族って感じですもの」
ヴィルマの腕に収まっている赤子を興味深そうに見ながら、デリアがそう言った。それで愛着が増してくれるなら良いか、と思って、わたしはデリアに近い響きの名前を考える。
「デリアに似た名前……。ディータやディルクではどうかしら?」
「ディータ……ディルク……。ディルクがいいですわ」
デリアはわかりやすく顔を輝かせて、「ディルク、お姉ちゃんですわよ」とディルクの頭にそっと手を伸ばす。撫でられたディルクは、へにゃりと笑顔を浮かべた。
「マイン様、ご覧になった? 笑いましたわよ!」
「……すごいわね、デリアは。わたくし、カミルに泣かれてばかりだわ」
いきなりお姉ちゃん力の差を見せられて、わたしはほんの少し落ち込んだ。
その日は早目に帰宅して、わたしはお姉ちゃん力を上げるため、カミルの面倒を見ようと張り切った。けれど、母とトゥーリで大体のことが終わってしまい、わたしはほとんど何もさせてもらえない。
おむつを替えるにもコツがあるのか、わたしが替えようとすると、何故かカミルが変えている途中でオシッコして、辺りが大変なことになるのだ。
「そう、捨て子が孤児院に……。面倒を見られる女性がいないんじゃ大変ね」
母はカミルに乳を与えながら、わたしの話を聞いてくれる。
「わたしにできることはあると思う?」
「そうね。……お昼寝ができるだけで、夜の授乳がぐっと楽になるわ。睡眠時間をなるべく確保してあげるのはどう?」
子育て経験者からの貴重なアドバイスを得て、わたしは大きく頷いた。
「じゃあ、わたし、母さんや皆がお昼寝できるように、カミルやディルクのおむつ替えを頑張るよ」
「早くできるようになってちょうだい」
あんまり期待はしていないけれど、と言いながら、母は嬉しそうに笑った。
次の日、神殿へ行くと、フランとロジーナが疲れた顔をしていた。やはり、生活リズムを崩して、夜にヤギの乳を準備して、与えるのは大変らしい。二人には本格的にお昼寝が必要そうだ。
「フランとロジーナは昼食の後、鐘一つ分くらいの間、お昼寝をしてください。夜中に起きるのは大変ですから、午後に身体を休めてくださいね」
「恐れ入ります」
「助かりますわ」
ホッとしたようにフランとロジーナがそう言った。母親が我が子の面倒を見るのも大変なのだ。突然孤児院に入ってきた子供の面倒を見るのは、かなり大変に違いない。
「それより、マイン様。ディルクは何だか変なのです」
デリアが心配そうにディルクを見ながらそう言った。今はすやすや眠っていて、どこにも変なところは見られない。
「今朝早くのことなのですけれど、ディルクが泣きだしても、まだヤギの乳が準備できていなくて、仕方なく泣かせておいたのです。そうしたら、泣いているうちに、突然熱が上がってきて、顔の頬がぼこぼこになったのです。乳をあげれば、すぐにおさまったのですけれど」
フランも見たというけれど、ディルクの顔には何の跡もない。二人が言っている意味がよくわからなくて、皆で首を傾げた。
「ヤギの乳を準備したまま、ちょっと泣かせてみましょう。どのようになるのか、少し見てみなければ、わかりませんもの。赤子によくあることなのか、母さんに聞いてみることもできませんし」
空腹で泣き始めたディルクを皆で見つめる。しばらくすると、金切り声をあげるような泣き声になり、本当に一気に熱が上がってきた。
「ほら、マイン様。すごく熱いのです」
わたしが触るとピリッとまるで静電気が走ったように、反発するような感触がして、ディルクがより激しく泣きだした。
「マイン様、頬の皮膚がぼこぼこになってきましたわ」
「デリア、すぐに乳をあげて」
「はい。ディルク、お待たせ」
デリアが小さな匙を口に当てる。口の中にヤギの乳を流し込むと、ピタリと泣き止み、夢中で飲み始める。すると、すぐに頬のぼこぼこはおさまり、熱が下がった。今度はわたしが触っても何ともない。
「フラン、神官長に面会を申し込んでちょうだい。……できるだけ、早く」
少し尖ってしまったわたしの声に、フランはすぐさま部屋を出ていった。
不安そうにデリアがわたしを見つめる。
「マイン様、何かわかったのですか?」
「確定していないから、この場では言えません」
デリアの問いかけにわたしは目を伏せて首を振った。
わたしの予想が違えばいいと思う。けれど、多分、間違いない。ディルクは身食いだ。それも、赤ちゃんの時に死んでしまうくらいの魔力を持った身食いだと思う。
はっきりと答えなかったわたしに、デリアは不安そうに瞳を揺らし、ディルクを守るようにぎゅっと抱きしめた。