Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (155)
ディルクについての話し合い
ディルクが大きな魔力を持つ身食いならば、魔力を吸い取る魔術具を借りられるまでに、危険になる可能性がある。一つでも危険を回避できる術が欲しい。
「ルッツ、お願い。森へ行って、タウの実を取ってきてほしいの。工房の下が土になっているところに置いておけば、しばらくもつでしょ?」
わたしは工房にいたルッツを自室の二階に呼びだして、扉の辺りに立っているダームエルには聞こえないように小さな声でそう頼んだ。タウの実の存在は、貴族に知られない方が良い。
わたしがちらりとディルクを見ると、それだけである程度の事情を察したらしいルッツは小さく頷いて、すぐさま森へ向かって走ってくれた。これで、いきなり魔力を暴走させて、ディルクが死ぬような事態は回避できるはずだ。
「マイン様、面会許可が下りました」
フランが疲れた顔で戻ってきた。昨日の今日でまた火急の面会依頼をしたため、神官長にもアルノーにも嫌な顔をされたらしいが、本当に急用なのだから仕方がない。
ディルクが身食いかどうか、そして、どの程度の魔力を持っているのか、どのように対処すれば良いのか、神官長に話さなければならないことはたくさんあるのだ。
「神官長の部屋にディルクを連れていくなら、今日はヴィルマに預けるのは止めておいた方が良いかしら? フランがディルクを連れてくださる?」
わたしは話題の当人であるディルクを連れて、神官長の部屋へと行くつもりだったけれど、デリアはディルクを守るように抱きしめ、フランがゆっくりと首を振った。
「マイン様、洗礼を終えていない孤児を孤児院から出すことはできません」
わたしの部屋は孤児院長の部屋なので、孤児院の一部とみなすことができるけれど、神官長の部屋に連れていくことはできないらしい。森へ連れ出しているので、すっかり忘れていたが、そういえば、青色神官の目に触れないように、洗礼前の子供達は孤児院に閉じ込められているはずなのだった。
「……神官長と話し合うならば、ディルクを連れて行った方が良いと思ったのですけれど、仕方がないですね」
わたしはいつも通りフランとダームエルを連れて、神官長の部屋へと向かった。
入室したわたしを見て、神官長は少しばかり面倒そうな顔になる。
「マイン、今度は何だ?」
「とても重要なお話になると思うのですけれど、この場でお話してしまっても大丈夫でしょうか?」
わたしは少し声を潜めて、そっと部屋に視線を向ける。神官長はわずかに眉を上げて、盗聴防止の魔術具を差し出してきた。
「君が周囲の視線を気にするほど、重要な話か?」
「……はい。昨日の赤子、ディルクのことですけれど、身食いと思われます」
「何?」
わたしは朝見たディルクの様子を伝えた。神官長はきつく眉を寄せて、重い溜息を吐く。
「魔力の量によるが……赤子の状態で、それだけ症状が出るならば、魔力量がそこそこ多いことは間違いないだろう」
「身食いで間違いないですよね?」
「あぁ」
神官長が眉を寄せながら、重々しく頷いた。トントンと指先で軽くこめかみを叩きながら、わたしを見る。
「魔力量にもよるが、早急に貴族と契約させた方が良いかもしれぬ」
「契約……」
「そうでなければ、生きられぬ」
神官長の言葉にわたしは強く盗聴防止の魔術具を握りしめる。
貴族と契約するというのは、生きていくための魔術具を与えられる代わりに、貴族に隷属して魔力を絞りとられ、飼い殺しの一生を送るということだ。自分の弟と同じ赤子であるディルクの行く末を考えると、身体が震える。
「神官長、わたくしのように魔力を提供する青色神官にしたり、貴族の養子にしたりするわけにはいかないのでしょうか?」
「その赤子を青色神官として育てるには金がかかるが、その金額は一体誰が払う?」
青色巫女見習いになったわたしは嫌というほど知っている。この生活にどれだけお金がかかるのか。マイン工房を動かしていても、冬籠りの前には危うく赤字に足を突っ込むかと思った。服や靴、身の回りの物がいちいち高価なのだ。
「君の場合は、必要な費用を自力で稼げたが、孤児の赤子に同じことを求められるか?」
「……いいえ」
「君が二人分の費用を賄うのか? それは、一人の孤児だけを優先することに繋がるのではないか?」
わたしは言葉に詰まる。ずっと二人分の費用を払えるかどうかわからないし、一人だけ優先することに躊躇いを覚えて、言葉にならなかった。
神官長はわたしの躊躇いを見てとったようで、ゆっくりと息を吐く。
「貴族との養子縁組についてだが、養子縁組には領主の許可が必要だ。誰とでも好きなように縁組ができるわけではない。君の場合は、膨大な魔力量と自分で稼げる才覚とその知識を有効活用するために、上級貴族の養女とする方が良いと判断されたのだ」
神官長の物言いに、わたしがカルステッドの養女となることが決められた背景にも色々とあったことを知る。間違いなく神官長が奔走してくれたのだろう。
「マイン、その赤子は女か?」
「男の子ですが?」
そういえば、昨日、神官長と話をした時点ではまだ性別が判明していなかった。わたしがディルクの性別を述べると、神官長はゆっくりと首を振った。
「……男ならば、養子は更に難しくなるな。次代の魔力は母の魔力量が影響すると言ったはずだ。女の赤子ならば、養女の道もあったかもしれない」
養女というよりは、最初から貴族の娘として、政略結婚の駒として育てられることになるだろう、と神官長は呟く。
わたしは軽く唇を噛んだ。政略結婚の駒も、契約して飼い殺しも、自分で人生を選ぶことができないという点で大して変わらないような気がするのは、わたしが麗乃の記憶を持っているからだろうか。
「魔力不足の今ならば、もしかしたら、養子として欲しがる者もいるかもしれぬが、まずは、赤子の魔力量を測ってみなければ、何とも言えぬ。明日の朝……そうだな、3の鐘が鳴った後、測定するための魔術具を持って、君の部屋へと行く。いいな?」
「かしこまりました。お待ちしております」
わたしが盗聴防止の魔術具を返そうとしたら、神官長がもう一度、それを差し出してきた。言い忘れたことでもあるのか、と首を傾げながら、わたしは魔術具を手に取った。
「マイン、その赤子が身食いだと知っているのは、どれだけいる?」
神官長の言葉にわたしは軽く目を伏せて考える。わたしの側仕えは、身食いには詳しくない者ばかりだ。フランでさえ、ディルクの症状を見てもわからないから、わたしに質問してきたのだ。ルッツはタウの実を欲するわたしの視線で、多分気付いただろうけれど、側仕えは誰もわかっていないと思う。
「ディルクの症状が魔力によるものだとわかっているのは、今のところわたくしくらいだと思います」
「ならば、しばらくは伏せて、そのまま養育しなさい。特に、神殿長には知られぬように気を付けるように」
「……はい」
デリアには身食いのことを隠しておかなければならない。ディルクが身食いだと知らなければ、神殿長に教えることもできないのだから。
良いお姉ちゃんになろうとディルクを可愛がっているデリアに隠さなければならないことが、少し憂鬱に思えた。
次の日、3の鐘が鳴ると、神官長はアルノーを伴ってわたしの部屋へとやってきた。
神官長が来る時間に合わせて、ディルクへの授乳は終えたし、おむつも替えてある。おむつだけは替えた直後に、「やられた」ということも多々あるけれど、それは仕方ない。
ただ、ディルクはあまり泣かない赤子だ。お腹が満たされて、おむつが汚れていなければ、基本的に機嫌良く笑っている。寝る時にぐずることも少ないし、手がかからない赤ちゃんなので、その点は非常に助かっている。
ちなみに、ウチのカミルはディルクに比べるとよく泣く。特に眠たいときのぐずぐずが長い。母さんが抱っこしなければ、なかなか寝ない。月齢が変われば、寝るようになるのか、赤ちゃんの個性なのか、わたしにはよくわからない。
今、わたしの部屋の片隅には藁を詰めた大きなクッションのような物が置かれ、そこにディルクが寝転がらされている。ディルクの隣にはデリアが座り、相手をしているのだ。このクッションはフランが面倒を見る時は一階、ロジーナやデリアが面倒を見る時は二階やそれぞれの部屋へと簡単に移動できるディルクのベッドである。
「おはようございます、神官長」
扉を開ける音がして、一階の方からフランの声が聞こえてきた。
「例の赤子はどこだ?」
「今は二階に。こちらへどうぞ」
神官長を出迎えるフランの声に気付いたデリアが機嫌よく笑っているディルクを抱いたまま、硬い表情で階段の方を振り返る。神官長は、わたしにとって何でもお任せできる相手だが、デリアにとって信頼できる相手ではないのかもしれない。
「わざわざご足労いただきまして、ありがとう存じます」
「マイン、人払いを」
アルノーは持ってきた魔術具をテーブルの上に置くと、一度手を胸の前で交差させて下がって行く。神具に使われている小魔石がずらりと並んだ環のような魔術具だ。
「全員下がってちょうだい」
わたしが人払いをすると、デリアは不安そうにわたしと大きなクッションの上できょとんとしているディルクを見比べながら、ゆっくりと階段を下りていった。
全員が一階に下りたことを確認した上で、神官長は盗聴防止の魔術具を取り出す。
「ここは人払いしても声が筒抜けだからな」
わたしは盗聴防止の魔術具を握った上で、ディルクを寝かせているクッションの方へと向かった。神官長も魔力を測る魔術具を持って、ディルクの方へと向かう。
環の魔石をディルクの額に当てれば、ぴたりと頭の大きさに合わせて魔術具が大きさを変えた。もう魔術具が使う人に合わせて大きさを変えるくらいでは驚かなくなった。
「あ、色が変わってきましたね」
神具に奉納するのと同じように魔力が吸いだされていくのが、石の色の変化でよくわかった。貴族の子供は生まれたら、これで魔力を測るらしい。
色の変化が緩やかになってきたところで、神官長はサークレットを外した。そして、色の変わった石を数えていく。
「ふむ。……少し強めの中級貴族といったところか」
「中級貴族、ですか? わたくしより多いと思っていたのですけれど……」
身食いとして5歳まで生きていたマインより、今にも死にそうなディルクの方がよほど魔力は多いと思ったのだが、違ったらしい。
「魔力を抑えることを知らずに垂れ流す赤子と、見た目は幼子でも成人するほどまで生きたことがある君の精神力は違う。何より、君は誰に教えられることもなく、魔力を圧縮しているだろう?」
魔力を抑え込むことに慣れてくると、魔力が圧縮され、同じ器の中にも溜められる魔力の量が変わってくるのだと神官長は言った。
神官長の話から察するに、元々のマインは5歳で意識を食われるくらいの魔力の持ち主だったのだろう。その時点ではディルクの方が魔力の量は多かったはずだ。
だが、わたしが意識を持ち、熱を奥の方に押し込めることに成功すると、できあがった隙間にどんどん魔力が増えていった。満たされた熱が暴れようとするので、それを更に押し込めて、隙間を作った。その繰り返しで、魔力が馬鹿みたいに増えていったらしい。
今のわたしは幼女の身体にはあり得ないほど、ぎゅぎゅっと魔力を圧縮して身体の中に溜めこんでいるのだ、と神官長は言う。本来は身体の成長する第二次性徴期を前に貴族院で教えられる魔力の扱いなのだそうだ。
「じゃあ、小さい時から訓練すれば、貴族だってもっと魔力を増やすことができるじゃないですか」
「簡単に言うな、馬鹿者。全身に魔力を行き渡らせ、それを精神力で抑え込んでいくのは、死の危険と隣合わせだ。君は経験があるだろう?」
「はい、何度も」
身体に広がる熱を奥に押し込めようと戦ったことは何度もある。どうやら、わたしの魔力が強くなったのは、マインとして生活し始めてから神殿に入るまでの一年半ほどの間、毎日が命の危機だったせいらしい。
「精神力がなければ、魔力を圧縮するのは難しい。成長するまで待って、扱いを教えるのは当たり前だろう。魔力の扱いに失敗して、命の危機にさらされる生徒も毎年数名はいるのだ」
わたしにとっては日常だったが、貴族の子供はそんな危険を冒さず済むように、生まれると魔術具を贈られるのだそうだ。貴族院に行って魔力の扱いを覚えるまでは、基本的にその魔術具に魔力を垂れ流しなのだそうだ。
ちなみに、青色神官は魔力の扱いや増やし方も教えられないので、ずっと神具に魔力を流し続けることになるらしい。
「まぁ、今、君のことはどうでもよい。この赤子の魔力量は、魔力不足の今ならば、養子として欲しがる者もいるかもしれぬな。だが、君の身の安全を考えて情報を抑えている今、あまり情報を広げて希望者を募るのも危険だ」
養子縁組が絶望的ならば、せめて、ディルクにとって良い契約者を探したい。わたしは神官長を見上げた。
「……あの、神官長がディルクと契約することはできるのですか?」
「できるが、しない。私にその赤子の魔力など、全く必要がないからだ」
身食いと契約をするのは、基本的に自分の魔力だけでは心もとない貴族らしい。土地の維持や貴族として扱う魔術具のために魔力を欲して契約するのだそうだ。
あまり大っぴらにしたい契約ではないので、表に出せる者ならば、愛人や側仕えなどとされ、さりげなく周囲に置かれるが、全く教育されていない者は地下室で飼い殺しも珍しくはないらしい。
……ギルド長が大金をはたいてフリーダを貴族らしく育てようとするわけだ。
ディルクの行く先を考えて溜息を吐いていると、神官長がやれやれと呆れたように溜息を吐いた。
「そこまで心配するならば、君がカルステッドの養女となった後、君自身が契約者になれば良い」
「……わたくしが?」
思わぬ言葉にわたしは目を瞬く。わたしが貴族としてディルクの契約者になるという発想はなかった。
「養女となり、貴族の身分を得れば可能だ。それまでは身食いであることを伏せて、孤児院で育てるように」
「ありがとう存じます」
わたしが契約者になれれば、ディルクを育てることに文句を言える人はいなくなる。神官長や養父となるカルステッドの意見を聞く必要はあるけれど。
わたしがカルステッドの養女となるまで、ディルクが身食いであることを隠して育てれば良い。ディルクの将来が予想よりは明るい結果になりそうで、わたしが喜んでいると、神官長は目を細めた。
「マイン、あまり浮かれている場合ではない。神殿長がこの赤子の存在を知れば、確実に利用されるだろう。自分の意のままにならぬ君と、まだ自我の無い赤子、神殿長がどちらを取るかは明らかだ。隠し通せ」
自分が自由にできる魔力を得るために神殿長はディルクを欲しがるだろう。そして、神殿長にディルクを寄こすように、と求められれば、わたしに抗う術はない。
「この赤子を守りきれるかどうかで、君の立場や環境が大きく変わるということを、常に念頭に置いておきなさい」
「はい」
今回の魔力測定で、魔力を吸い取ったので、しばらくは魔力が溢れるほど増えることはなかろう、と言った後、神官長は魔術具を回収して、退室していった。
「マイン様、神官長は何と言ったのです!? ディルクは何か病気なのですか?」
神官長が帰るなり、デリアは階段を駆けあがってくる。わたしはゆっくりと首を振った。
「いえ、特に問題はないようです。このまま孤児院で育てなさいとおっしゃいました」
「そう、ですか。よかった……」
デリアは心底ホッとしたように息を吐き、ディルクを抱きしめて頬擦りする。その様子を見て、他の貴族の養子にしたり、契約させたりはできないな、と改めて思った。
「マイン様、ディルクを預かりに参りました」
「ヴィルマ、よろしくお願いしますね」
午後からはフランとロジーナが休憩に入る。ディルクがいるとゆっくりと休めないので、孤児院へ移動させる。ヴィルマに抱かれて、孤児院へと向かうディルクをデリアが寂しそうに見送った。
「ディルクと一緒に行ってもよろしいのですよ?」
「そのような事をすれば、フランもロジーナも休憩に入るし、ギルは工房へと行っているのに、マイン様のお側に控える側仕えがいなくなるではありませんか」
「では、わたくしも一緒に孤児院へ行きましょうか?」
側仕えの仕事について、キッと睨んだデリアに叱られたので、わたしはデリアが動けるように提案してみた。
「マイン様、あたし、孤児院へは行きたくないと以前に言いましたよね?」
冷たく返されたので、わたしは軽く肩を竦めて執務机へと向かった。
フランとロジーナが休憩するので、わたしもあまり部屋の外をうろうろするわけにはいかない。そのため、わたしはディルク用に白黒絵本の第二弾を作ることにしたのだ。
生まれたてのカミルと違って、寝返りを打とうと頑張っているディルクなら、そろそろ白黒絵本が見えるようになってくると思う。
「マイン様、ディルクはどうしているかしら?」
「お昼寝でもしているのではなくて?」
白い紙にインクで丸や三角を組み合わせた絵を描いた。
あとは、冬の間に乾燥させた膠を使って、板に絵を描いた紙を張り付ければよい。フランが起きたら、膠を溶かしてもらおう。できあがった板を持って帰って、父に穴を開けてもらって、紐で繋げていけば、白黒絵本は完成だ。
「マイン様、ディルクは泣いていたり、寂しい思いをしたりしていないかしら?」
「たくさんの子供達がいるから、寂しくはないでしょう。……うるさくて眠れないことはあっても」
「そんなの、可哀想ではないですか!」
「……わたくしに怒られても困ります。本当にうるさい環境かどうかは、見てみなければわかりませんもの」
デリアの言葉を軽く流して、わたしはこれから先にしなければならないことを書字板に書き出していく。
まず、蝋工房で数種類の蝋を購入する。ガリ版印刷のロウ原紙は、本来ガリ切りしやすいように、蝋だけではなく、松ヤニなどが混ぜられている。けれど、今回は蝋だけでとりあえず、蝋引きをしてみようと思う。わざわざ加工しなくても印刷に問題なく使えたらいいな、と思う。
「マイン様はディルクが心配ではありませんの?」
「ヴィルマがきちんと見ていてくれますわ」
次に、色のついたインクを作成するため、できれば、インク工房の人とも話がしたい。孤児院では食材になりそうな素材は使えなかったけれど、余所の工房にお願いするなら、使えると思う。
「そんなの、わかりませんわよ。……もー! マイン様! あたしの話をちゃんと聞いていらっしゃるの!?」
わたしが適当に流していたら、デリアが噴火した。書字板から目を離し、わたしはデリアを見て、溜息を吐いた。
「それほど気になるなら、デリアが見に行けばよろしいのよ。ヴィルマはダメだとは言いませんわ」
「……あたし、孤児院には行きたくありません」
デリアが悔しそうにキュッと眉を寄せた。行きたいけれど、行きたくないデリアの複雑な感情が顔に透けて見えている。
「そう。では、わたくしはディルクの様子を見てこようかしら?」
「ず、ずるいですわ!」
デリアがガシッとわたしの袖をつかんだ。
けれど、側仕えもいない状態で部屋の外には出ることは、淑女としてあり得ないと言われているので、「孤児院へ行く」というのは言ってみただけだったが、予想以上のデリアの食いつきに吹き出しそうになる。
「ねぇ、デリア。一緒に行きません?」
わたしが問いかけると、デリアは瞳を泳がせ、紅の髪をふるふると振り、しばらくの葛藤していた。顔を上げたデリアは悔しそうに唇を引き結び、目を潤ませて、わたしを睨んだ。
「……行きません」
行かないと決めたデリアに肩を竦めて、わたしはまた執務机に向かう。今度はデリアも何も言ってこない。手持無沙汰にうろうろとしているだけだ。
ディルク可愛さに、デリアが孤児院に向かうのは、それほど先のことではないような気がした。