Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (157)
色作り研究中
作った色インクが詰まった瓶が林立している。それに一つ一つ油と素材の組み合わせを記した小さな木札を付けていった。それを浅い木箱に並べて、ヨゼフが片付けていく。
数時間ずっとインクを混ぜ続けたことでヨゼフとハイディの腕が限界を訴えたことと、お昼が近付いたこと、書字板が二人分いっぱいになってしまったことで、本日の実験は終了にしたのだ。
自分の書字板には書ききれなくなったので、ルッツの書字板も借りて、実験結果を書いていたわたしは、二つの書字板を見ながら、溜息を吐く。
「色が予測不可能というところが困りますね」
「でも、こうして見てみると、多少傾向がわかってきたんじゃない?」
ハイディが嬉しそうにわたしの書字板を覗きこんできた。
仕事に関する分に関しては、数字や単語も覚えているけれど、完全には字が読めないと言うハイディは、色の実験に関しては実験結果を記憶するしかなかったらしい。だから、わたしが書き留めているのを見て、「お嬢様、最高!」と絶賛していた。わたしとしては、大量の実験結果を記憶できるハイディの記憶力こそ最高だと思う。
「残念なことに、ハイディの記憶力は実験でしか生かされないんだ。最高からは程遠い」
「……マインと一緒だ」
ヨゼフとルッツは変なところで気が合ったようで、時々肩を叩きあっている。気が合う人が見つかるっていいよね。毎日がちょっと楽しくなるもん。
「では、明後日には本日の実験結果をまとめてきますね」
「アタシ、書けないから、お嬢様にお願いするわ」
わたしとハイディは笑って握手して別れた。今日はこのまま家に帰って、結果をまとめていこうかと思っていたら、ギルが少し躊躇うような素振りを見せながら、わたしの袖を軽く引いた。
「どうしたの、ギル?」
「マイン様、オレも書字板が欲しいです……」
ギルが目を伏せて、ポツリとそう零した。そういえば、字が読み書きできるようになったので、春になったら作ってあげると言っていたはずだ。
「そうね。今からヨハンの鍛冶工房へ寄って、ギルの鉄筆を注文しましょう。その後は、わたくしはウチへ帰って本日の結果をまとめます」
職人通りにあるので、インク工房と鍛冶工房はそれほど離れていない。お昼の休憩に入る直前のお客になるので、ヨハンは嫌な顔をするかもしれない、と思いながら、わたしは鍛冶工房へと向かった。
「こんにちは。ヨハン、いますか?」
「おぅ、嬢ちゃん」
別のお客の相手をしていた親方がギョロリとした目で扉の方を見、わたしを見つけた途端、笑いを堪えるような顔になった。うっしっしっと笑いながら、空いている席に座るように勧めてくれる。
「ヨハンならすぐに呼んでやる。おーい、グーテンベルク! お前のパトロン様がいらっしゃったぞ!」
「ぶふっ!」
親方のからかい交じりの大声にルッツとギルが慌てて口元を押さえた。鍛冶工房でヨハンは完全にグーテンベルクという呼び名が定着したようだ。
「だから、その名前で呼ばないでくれって言ってるじゃないか、親方!」
グーテンベルクはわたしにとって誇らしくて良い呼び名だが、呼ばれているヨハンは余りに気に入っていないようだ。涙目で親方に抗議しながら、奥から飛び出してきた。
「こんにちは、ヨハン」
「あ、マイン様。いらっしゃいませ」
「お昼前にごめんなさい。注文があるのだけれど、いいかしら?」
「……まだ、前の注文が終わってないんだけど」
わたしが追加注文した金属活字を作っているらしいヨハンが、決まり悪そうな表情になった。神官長に活版印刷を止められたので、金属活字はそれほど急いではいない。二年くらいかけてゆっくり大量に作ってくれればそれでいいのだ。
「こちらの注文を優先してください。以前に注文したことがある鉄筆なのだけれど、ギルの分を作ってほしいのです」
「やります!」
わたしが鉄筆を注文した瞬間、ヨハンの顔がパァッと輝いた。グッと拳を握って、突きあげる。万感が籠った顔で、呟いた。
「くぅっ……久し振りすぎる。金属活字以外の仕事……」
……なんか、ごめん。
わたし以外のパトロンがまだついていないらしいヨハンは、延々と金属活字を作っているそうだ。そして、金属活字を作っていると、親方を始め、職人達にグーテンベルクとからかわれるらしい。たまに違う仕事も頼んであげた方が良いのかもしれない。
「今度は金属活字以外の物も注文に来ますね」
例えば、ロウ原紙を作るためのアイロンとか、ガリ版用の鉄筆とか、ガリ版用のやすりとかはどうだろうか。いくつかヨハンに協力して作ってほしい物が思い浮かんだけれど、どれを作っても印刷のための道具だ。
「金属活字以外の注文、楽しみにしています」
嬉々として鉄筆の注文を受けてくれるヨハンの笑顔にちょっとだけ罪悪感を覚えた。どう考えてもヨハンはグーテンベルクから逃れようがなさそうだ。
ギルの鉄筆を注文し終えて鍛冶工房出ると、お昼を示す4の鐘が鳴り響いた。
「マインは家に帰るんだよな?」
「うん」
「オレ、腹がへったから、早く店に帰りたいんだ。急ぐから負ぶされ」
ルッツはそう言って、その場にしゃがんだ。急いで帰らなければ、昼食の取り分が減るらしい。
急ぐ時には足手まといになるわたしはおとなしくルッツに負ぶさった。ルッツはすっくと立ち上がると、半ば駆け足で、井戸の広場へと戻る。
「マインは昼から家で今日の結果をまとめていろ。オレは昼からマイン工房も見てくるし、旦那様に報告もしなきゃいけないから。外に出るなよ」
井戸の広場にわたしを下ろし、書字板をわたしの手に置くと、ルッツはすぐに店へ向かって駆けだした。よほど昼食が心配らしい。
ルッツを見送った後、わたしは目を瞬いているギルとダームエルに視線を移す。
「……ギルとダームエル様もありがとうございました。今日はもう外出しませんから、お二人も神殿へ戻ってください」
「あぁ、明日は神殿に来るのだな?」
「はい。本当はインク工房に行きたいのですが、フェシュピールの練習を怠ると、ロジーナに叱られるのです」
ルッツの書字板をトートバッグに入れて、わたしは一人で階段を上がり、家へと帰った。
「ただいま」
わたしはなるべく静かに玄関のドアを開く。それでもギギギギッと蝶番が軋む音は避けられない。
滑り込むように入ると、「お帰り、マイン。早かったのね」と母が声をかけてきた。竈の前に立っているところを見るとお昼ご飯の準備をしていたようだ。
「母さん、カミルは? 寝てる? 起きなかった?」
「えぇ、大丈夫よ」
ちらりと寝室の方へと視線を向けながら、問いかけると、母は小さく笑って頷いた。
わたしはカミルを起こさないようにこっそりと寝室に入ると、カミルの寝顔をちらりと見て、荷物を置く。その後、手を洗い、母と昼食を食べ始めた。
「ほわぁ、ほわぁ……」
食事の途中で、カミルがか細い声を上げて泣き始めた。母は自分の食事を慌てて食べて、カミルのところへと駆けて行く。
「マイン、悪いけど片付けてね」
「いいよ」
わたしは自分の分と母の分の食器を洗って片付け、台所のテーブルで自分の書字板とルッツの書字板に書き留めた本日の実験結果を紙に書き写し始めた。
法則性が全くないように見えた実験結果も表にまとめてみると、少し法則が見えてくる。
亜麻仁油は青系に、ミッシュは緑系、ペードは赤系、アイゼは黄色系に変色することが多く、トゥルムは不規則に変化するが、出来上がりはパステルカラーになるようだ。
「うーん、時々、法則に外れた物があるけど、ちょっと傾向が見えてきたかも」
素材の組み合わせで、意外とたくさんの色が作れる。これはどう変色するかを、表にまとめておけば、思ったよりたくさんの色が作れそうだ。
「難しい顔しちゃって、マインは今、何をしているの?」
母が長い布でぐるぐると包みこむベビースリングのような物にカミルを入れて、寝室から戻ってきた。授乳も終わって満腹なのだろう、カミルはパッチリと目を開けている。
「カミルのために絵本を作るの。そのために、今は綺麗な色のインクを作っているところ」
「一から作るの? 先が長そうね」
「うん、長いと思う。カミル、今日はご機嫌?」
わたしはスリングの中に納まっているカミルの顔を撫でる。カミルは瞬きもせずにじっとわたしの顔を見ていた。ディルクとべったりしているデリアには、お姉ちゃん力で完全に負けているけれど、ちょっと泣かれなくなっただけで、わたしは満足だ。
「カミル、カミル。マインお姉ちゃんだよ」
しばらくの間、カミルとの触れ合い時間を取ったら、カミルはまたうとうとし始める。母が寝かせに行くのを見送ると、わたしは自分で書いた表をじっと眺める。
「あれ?」
油の名称を見ていたわたしは、自分にとって馴染みの深いパルゥ油が入っていないことに気付いた。
「パルゥ油はどうなんだろう? ちょっと工房へ持って行ってみようかな? それから、作ったインクを紙に塗ってみても変色しないか、時間がたっても大丈夫か、確認してみないとダメだね。重ね塗りしたらどうなるかも試してみなくちゃ」
思いつくことを次々と書き出していく。今度ハイディに聞いてみて、実験してみなければならない。
次の日は神殿へと行って、フェシュピールの練習と神官長のお手伝いをこなした。午後からはディルクが孤児院へ行ってしまうと暇になるらしいデリアの相手をする。そして、ルッツに頼んで、工房から紙や筆を持って帰ってきてもらった。明日、インク工房に持って行って、インクを実際に塗ってみるのだ。
その次の日は冬の残りのパルゥ油と紙や筆を持って、わたしはギルとダームエルとルッツと一緒にインク工房へと向かった。
よほど待ちかねていたのか、工房の前でハイディがうろうろしていた。わたし達の姿を見つけて、顔を輝かせて大きく手を振る。
「おはよう、お嬢様。待ってたよ!」
「おはようございます、ハイディ。これが実験結果をまとめた表です」
工房に入るとすぐに、わたしは先日の実験結果をまとめた紙を見せる。ハイディは興味深そうに眉を寄せながら、表を覗きこんだ後、ガックリと項垂れた。
「材料はところどころわかるけど、ほとんど読めないよ」
「あと、こちらは表をまとめる時に思いついたことなのですが……」
わたしが試しておきたいことを述べていくと、ハイディは目を輝かせて大きく頷いた。
「パルゥは冬の間しか採れないから、油の数に入れてなかったよ。魔木だから、面白い結果になるかもしれないね。早速やってみよう」
わたしが持ってきたパルゥ油に、ハイディとヨゼフがそれぞれ別の素材を混ぜていく。ハイディが赤、ヨゼフが青の素材を入れて、練って、練って、ぐりぐりと混ぜていくけれど、妙な変色をしない。そのままの色で、インクができあがった。
「パルゥ油は両方とも思った色ですね。すごい」
妙に変色ばかりするインクを見てきたわたしは、普通に色ができただけで、ものすごく感動した。大理石の台の上にできたインクを見て、目を見張る。
ハイディもできあがったインクを見て、ハァ、と感嘆の息を吐いた。
「色も鮮やかですごく良いよ。さすが魔木だね。……これで冬以外にも採れれば良かったんだけどね」
「そうですね」
冬の晴れ間にしか採れないパルゥ油は気安く使える素材ではない。いい油だが、量産には向かない。残念だ。
わたしとハイディが残念がっている横で、ヨゼフはさっさと次の準備を始めていく。
「じゃあ、次は今まで作ったインクを紙に塗っていくか」
ハイディがヨゼフを手伝って、バタバタとこれまで作ったインクを持ってきた。二人が準備するのを見ながら、わたしはルッツに問いかける。
「ねぇ、ルッツ。パルゥの木って、紙にできない?」
トロンベという魔木が良質の紙の素材になっているのだから、もしかしたら、パルゥの木も良質の素材になるかもしれない。パルゥ油の質から期待を込めて尋ねると、ルッツは「無理だ」と即答した。
「火をぶつけたら溶けてなくなるような木だぞ。蒸しただけで消えてなくなるから、皮が剥けるわけがない」
「……そんなヘンテコな木だったんだ?」
わたしは冬の森に行けないので、パルゥの木を見たことがなかった。冬の晴れた朝だけに現れる不思議で綺麗な木だと話だけは聞いているが、未だにどんな木なのか知らない。
「お嬢様、準備できたよ」
ハイディに呼ばれたので、筆を構えているギルに言って、紙に塗ってもらう。紙は一応フォリン紙とトロンベ紙の失敗作をいくつか持ってきた。トロンベ紙で絵本を作ることはないけれど、一応反応は見たいと思ったのだ。
「……うわぁ」
なんと紙の種類によっても発色が違った。トロンベ紙はほとんど作った時のままの色だったが、フォリン紙は少しくすんだ色になる。少しくすむだけでトロンベ紙と並べなければ、それほど気にはならない。大丈夫、と自分に言い聞かせてみたものの、時間を置いて乾いてくると更に色が変化し始めた。どんどん色がくすんでいく。
「これは、紙も他の素材の紙を作って、実験した方が良いかもしれませんね」
わたしがトロンベ紙とフォリン紙を並べて、見比べて、唸っていると、ルッツは軽く肩を竦めた。
「しばらくはフォリン紙だけを使うから、フォリン紙に合わせて色を作ればいいんじゃねぇ?」
ルッツの言うとおり、マイン工房で作る紙はトロンベ紙とフォリン紙だけだ。絵本を作ることになるフォリン紙を中心に色を作っていくことを考えた方が良さそうである。
「この赤なんて、元々はすっごく綺麗なのに、塗って乾いたらちょっとどす黒い赤茶になりますもの。血痕を描くには向いてますね」
「そんな使い道の限定されたインクなんていらねぇよ!」
ルッツのツッコミにわたしは軽く肩を竦めた。もしかしたら、使うことがあるかもしれない。神話の内容では時々流血表現があるのだから。
「これ、ホントに難しいね。……芸術系の工房で絵具の製法が秘密にされている理由がわかるよ」
ハイディがそう言って肩を竦める。
絵具に関して、契約魔術は結ばれておらず、どの工房がどのように作っても問題はないけれど、製法は完全に工房独自の物で秘密にされているし、下町には売りに出されている絵具がない、とベンノが言っていた。
貴族向けには、注文を受けた工房が作って直接納めに行くらしい。芸術巫女の側仕えだったロジーナがそう教えてくれた。同じ工房に注文しなければ、同じ色を取り寄せることができないので、クリスティーネは複数の工房と懇意にしていたらしい。
「お嬢様、どうして変色するのか、調べてみようよ」
「大事なのは結果ですから」
基礎研究が大事なのはわかるが、カミルのために絵本を作りたいわたしは、そんなことを調べている時間がもったいない。手っ取り早くインクが欲しいのだ。
「では、色を重ねてみましょうか。ギル」
「はい、マイン様」
ギルは今まで塗った色とりどりの絵具の上に、青ですぅっと線を引いた。重なった部分の色がすぅっと黒くなっていく。完全な黒ではなく、暗色系の色だが、鮮やかな色は一つとしてない。「混ぜるな。危険」とはこういうことを言うのだろうか。
「……これ、どうする?」
ぴろんと変色した紙を摘まんだギルの言葉に、わたし達は全員で変色した暗い色を見つめて、溜息を吐いた。予想外すぎる結果に、すぐに言葉が出ない。
ヨゼフがふるふると首を振った。
「絵具は基本的に単色で使うのが良さそうだな」
「でも、重ねられないなら絵が描けないよ。絵画工房の絵具にはまだ何か秘密があるんだろうね」
ハイディの言うとおり、別の絵具が重なれば黒く変色してしまうのならば、貴族区域に飾られているような絵が描けるわけがない。ここの絵の具にはわたしが知らない秘密が隠れているのは間違いないようだった。
「今日は終わりにしましょう。いくら色を作ってみても、時間と共にあれだけ色が変わって、塗り重ねることもできないようでは使えませんもの」
どうにか絵画工房に忍び込んで絵具の秘密を探ってこられないだろうか。わたしは、行き詰ったインク作りに、ガックリと落とした。
すぐには使えない以上、色インク作りは事実上失敗だ。項垂れて帰ったわたしは、トゥーリと一緒に夕飯を作りながら、本日の結果を報告していた。
「そんな感じで、行き詰っちゃったんだよ」
「色を重ねたら、黒になるのは困るね」
「うん、ホントに困るよ。印刷できないもん」
むぅっと唇を尖らせながら、わたしはスープをくるりと混ぜていく。わたし達が作るのを見ながら、カミルに授乳している母が不思議そうに首を傾げた。
「定着剤は使ってないの?」
「……定着剤って何?」
麗乃時代には写真用や絵画用の定着剤があったけれど、ここで使われる定着剤が一体どのようなものか、わたしにはわからない。
首を傾げるわたしをちらりと見た後、母は胸元のカミルへと視線を下ろして、口を開く。
「定着剤は、色を定着させるために使う液よ。布を染めた時にも、それ以上色が変わらないように使うんだけど……」
「母さん、詳しく教えて。定着剤ってどうやって作るの?」
わたしがきらりと目を光らせて母を見つめると、母はうーん、と唸った。
「教えちゃっても良いのかしら?」
「契約魔術に引っ掛かるかどうかは、わたしが調べるから」
「……まぁ、作っても良いかどうかをマインが自分で調べられるなら、いいかしら?」
母はそう言いながら、教えてくれた。
グナーデという木の樹液にハイラインという花の茎を入れて、とろりとするまで煮詰めたものが、定着剤の原液になるらしい。実際に使う時は熱湯で20倍ほどに溶いて、使うのだそうだ。
「布と紙では違うかもしれないから、気をつけてちょうだい」
「ありがとう、母さん。やってみる」
定着剤という存在を知ったわたしは、早速ルッツに頼んで、材料を集めてもらえるように頼んだ。ルッツも定着剤の存在を知らなかったようで、感心したように目を見張る。
「そんなものがあるのか。染色工房に勤めてるエーファおばさんがいなかったら、全く気付かなかったな」
「うん。材料が揃ったら早速作ってみようと思うの。母さんにはちゃんと作り方を聞いたし……」
差し込んだ光明にわたしが鼻歌を歌っていると、ルッツとギルが揃って、わたしを止めた。
「マインは作り方だけ教えてくれればいい」
「そう。オレ達が作ります。マイン様はダメだからな」
マイン工房で作るなら、わたしは作業してはならないのだ。一人だけ蚊帳の外に置かれることに唇を尖らせてみたが、誰もわたしの味方はしてくれなかった。
商業ギルドで契約魔術を調べ、ベンノに素材を探してもらい、定着剤を作る準備が整った。その日は朝からルッツもギルも新しい挑戦にうきうきしている。わたしは作り方の詳細を書いた木札を二人に渡しただけで出番は終了だ。
仲間外れがちょっと悔しかったので、わたしはフェシュピールの練習の後、ロジーナに色インクのあれこれを話して、今日は仲間外れだと訴えてみた。
「そんなわけで、今日はわたくしだけ仲間外れで、ギルとルッツは定着剤を作っているのです」
「まぁ。では、マイン様は定着剤をご存じなかったのですね」
ロジーナはわたしが仲間外れになったことではなく、定着剤を知らなかったことに反応して、目を丸くした。
「絵を描くには定着剤は必須ですわ。なければ描けませんもの」
なんと、ここにも定着剤を知っている人がいた。絵を描くには必須のものらしい。しかし、ロジーナはできあがった定着剤しか使ったことがないので、作り方は知らないと言う。
「……もしかすると、マイン様は定着剤の使い方もご存じないのではございませんか?」
「知りません。教えてください」
わたしが即座に頼むと、ロジーナはくすっと笑った。
「定着剤を予め紙に塗って乾かしておくのです。それから絵を描き始めれば、絵具を重ねても変色いたしません。……マイン様は驚く様なことをご存じですのに、当たり前に知られている事をご存じありませんのね」
「今まで絵具やインクを使って絵を描いたことがありませんもの」
ロジーナは「そうですわね」と、呟いた後、ポンと手を打って、ニッコリと笑った。
「定着剤と色インクができれば、ヴィルマに絵を教えてもらえばよろしいのではないですか? 絵画も教養の一つですもの」
「考えておきます」
これ以上自由時間が減るのは嫌だと思いながら、わたしは曖昧に返事をする。二年後には貴族の養女となることが決定しているので、やっておいた方がいいんじゃない、と心のどこかが呟いた。
母から定着剤の製法を聞き出し、ロジーナから使い方を聞いたことで、インクを塗ってもくすんだり、重ね塗りしても黒く変色したりせずに絵が描けるようになった。
色インクの完成である。