Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (16)
わたしを森へ連れて行って
森の雪が溶け始め、ところどころで植物の芽が出始めたらしい。森へ行ってきたトゥーリがそう言っていた。
子供達が森へ採集に行けるようになったということは、読書ができなくて、時間があり余るという体験をわたしにさせてくれた冬籠りが終わるということだ。
やっと粘土板が作れる!
わたしも森へ行って粘土板を作りたい。
トゥーリはまだ雪がたくさん残っているし、足場が悪くて、歩きにくいし、採集できる物も多くはないと言っていた。でも、わたしには採集できる物が多いか少ないかは大した問題ではないのだ。
欲しい物は粘土質の土なのだから、掘ればある。
森にさえいければ、わたしの勝ちだ。
もちろん、わたしが一人で森へ行くなんてさせてもらえるわけがないので、お目付役になるトゥーリが必要だ。
まずは、おねだりするため、ぴとりとトゥーリに擦り寄って甘えてみることにした。
「お願い、トゥーリ。わたしも森に行きたいし、みんなと仲良くしたい。一緒に森へ連れて行って」
「マインは歩けないから無理だよ」
トゥーリの返事は以前と全く変わらない。相変わらずわたしへの信頼はないが、ここで諦めたら試合終了だ。
「ちょっとは体力ついたもん。行けなかったら、門で待ってるから。お願い」
トゥーリは渋ったが、毎日ラジオ体操をしたり、食べ物にできるだけ気を使ったり、皿を洗うトゥーリについて井戸まで行ったり、わたしなりに体力の増強に努めてきたのだ。そろそろ行けると思う。
「……父さんがいいって言ったらね」
トゥーリは自分でわたしを追い払うことを諦めて、可否を父に丸投げした。
実際、体力が足りなくて門で待つことになれば、父に話を通さないわけにはいかないので、仕方がないだろう。
次に、わたしは父を口説き落としにかかった。
「父さん、わたしも森に行っていい? あんまり熱も出さなくなったでしょ?」
「そうだなぁ……」
冬の間、健康にはかなり気を使ったので、熱を出して倒れたのは、なんとたったの5回だった。
あ、多くないよ? めっちゃ減ったからね。
家族にも「すごい、すごい」って、褒められたんだからね。
あまり熱を出さなかったことで、まともなご飯が食べられる回数が増えた。すると、当然のことだが、栄養状態がマシになって身体もちょっと大きくなった。まだまだわたしの年齢の平均には届かないけれど、多分、体力も増えているはずだ。
「どうしても無理なら、門で休憩するから。ね? ね?」
うーんと、父が考え込んでいる。即答で却下されないのだから、トゥーリと違ってまだ希望はあるはずだ。
許可をもらうために、わたしは必死で食い下がる。
「慣れれば何とかなるよ。3歳でも森に連れて行ってもらっている子がいるんでしょ? だったら、わたしに行けないはずがないもん」
「あ~、まぁ、確かにいるが……その3歳は家におとなしくいられない暴れん坊だから、外に出すんだぞ?」
「……つまり、わたしが暴れたら出してくれるってこと?」
「暴れる必要はない。馬鹿なことを考えるな」
何が何でも父から許可を取りつけないと、春になったので、じきに母の仕事も始まってしまう。そうすると、またゲルダばあちゃんのところへ預けられることになるだろう。
あれは精神的にきつい。本気で嫌だ。絶対に行きたくない。放置されている子供を見たくない。
「父さん、体力がないから心配してくれてるんだよね? どうしたら森に行ってもいい? どうしたら、父さんは大丈夫だって思える?」
「そうだなぁ……」
父が軽く目を閉じて、考える。
わたしは父が答えを出すのをじっと待った。
「……しばらく門まで通いなさい」
「門まで? しばらくってどれくらい?」
「一人で門まで歩けるようになるまでだ。みんなに遅れず歩けるようになれば、森に行ってもいい」
やはり、そう簡単に森に出してはくれないようだ。わたしの野望の粘土板が少し遠のいたような気がする。
でも、父の仕事場である門まで通って体力を付けるというのが、信頼度の低いわたしに対する最大限の譲歩だろう。
ちぇ、森に行きたかったなぁ。わたしの粘土板……。
森には行けないけれど、少なくともゲルダばあちゃんのところに行く必要はなくなるのだから、この辺りが落とし所だろう。
「……わかった。父さんの言う通りにするよ」
わたしが一応納得して頷くと、父が安堵したように表情を和らげた。もしかして、納得しなかったら、わたしが暴れ出すとでも思ったのだろうか。
「ねぇ、父さん。門まで歩くって、門まで行ったり来たりするってこと?」
「いや、オットーに字を教えてもらうといい」
「え?……いいの?」
オットーに字を教えてもらうのを、あんなにヤキモチ焼いて嫌がっていた父に一体どんな心境の変化が訪れたのか。
首を傾げるわたしに、父は少しばかり眉を下げた。
「マインは身体が弱いだろう? だが、頭が良いとオットーが言っていた。仕事を探すなら、頭を使う仕事が向いている、と。文字を覚えさせて、少しでも体力的に楽な仕事につけろ、と」
脳筋で親馬鹿の父に対して、そんな説得をしてくれるなんて、オットーが素敵過ぎて、涙がちょちょ切れそうだ。
父公認でオットーから文字を教えてもらえることになるなんて、わたしは全く予想していなかった。
「マインは手先が器用だから、そういう仕事をすればいいと思っていたが、頭を使う仕事の方が実入りは良いし、身体への負担は少ないらしい」
「頭を使う仕事って? どんなの?」
この世界の頭脳労働がわたしには全く思い浮かばない。体力がなくてもできる頭脳労働なんてあるのだろうか。
「そうだな。役所や貴族に出す書類を代わりに作る代筆屋なら、体調の良い時だけに家でできると言っていたな」
代わりに書類を書くということは、行政書士みたいなものだろうか。あれなら、確かに資格さえあれば、一応家でできる仕事だったと思う。資格を取ったことがないからよく知らないけど。
「オットーは兵士だが、元は旅商人だ。商業ギルドとの繋がりが今もある。父さんや母さんが紹介できる仕事はあまりマインに向かないから、オットーとの繋がりは大事にした方がいい」
……オットーさんにヤキモチ焼いていた、おとなげない父さんがすごく良い父親に見えるんだけど!
「ありがとう、父さん。わたし、頑張るよ」
ポンポンと軽くわたしの頭を叩いた父は、トゥーリへと向き合う。
「トゥーリ、協力してくれるか?」
「……マインには無理だよ」
ふるふると首を横に振った。妹のお願いは結構何でも聞いてくれるトゥーリが森に連れていくことだけは絶対に首を縦に振らない。
父もトゥーリの意見を否定する気はないようで、重々しく頷いた。
「わかっている。だが、森まで行けるようにならないと困るのはマインだ」
「それはそうだけど……でも、邪魔なんだもん……」
「そうだ。今のままではみんなの邪魔だ」
トゥーリだけじゃなくて、父までハッキリと邪魔だと言いきった。自分でわかっていても、目の前で断言されるとさすがに傷つく。
「少なくとも同じスピードで歩けるようにならないと、森まで一緒に行動できないから、まずは門まで通うんだ。門まで歩けるようになるまでは父さんがマインと一緒に行く。だから、マインが門まで歩けるようになったら、トゥーリにも協力してほしい」
「……それなら、頑張る」
責任感の強いトゥーリは大きく頷いたけれど、わたしはちょっと肩を落とす。家族の中で認識されている自分の体力評価は相変わらず底辺を這っているようだ。
そうか。わたしって、門まで歩くこともできないと思われているんだ。最近は井戸のところまで行っても、それほど息切れしなくなったのにな。
次の日、日が少し高くなってきた午前中、わたしは父と一緒に門へ向かうことになった。わたしが門に行くのは父が昼番の時だけだ。
門番の仕事は3交代制で、開門前から昼までの朝番、昼前から閉門までの昼番、閉門前から開門までの夜番に別れている。
わたしが門まで歩けるようになるまでは、昼番の父と一緒に門まで歩いて、体調によっては森帰りのトゥーリ達と帰るか、父の仕事が終わるまで待って一緒に帰るか、どちらかにするらしい。
「無理しすぎないようね。父さんはマインのこと、よく見ててね」
「あぁ、わかっている。行くぞ、マイン」
「いってきます」
心配そうな顔で見送ってくれる母に手を振って、わたしは父と手を繋いで門まで歩く。
階段を下りるだけで休憩が必要という状態からは何とか脱したが、大通りに出て、少し歩けば息が切れてくる。
そういえば、背負ってもらったり、荷車だったり、肩車だったり、よく考えると門まで自分の足で歩いたことが今までなかった。
「マイン、大丈夫か?」
「まだ、へい……き……」
ここでリタイアしたら、一生森に行かせてもらえないかもしれない。
そんな強迫観念にかられて、「平気」と言ってみたが、身体は全然平気ではない。もうここで座り込んでしまいたいくらい、身体中が重い。
「全然大丈夫そうじゃないぞ。……よっと」
父は独断でわたしの足を止めると、ひょいっとわたしを抱き上げた。その途端、ぐたーっと父にもたれかかって、ぜいぜいと荒い息を繰り返す。
無理! 死にそう!
家族が正解。わたし、森まで行けない。
半分ほどの距離を父に抱えられたまま移動して、到着早々わたしは宿直室で休憩する。正直、他には何もできそうにない。わたしがあまりにもぐったりしているので、父が宿直室のベンチに寝かしたまま放置してくれたようだ。
お昼を過ぎて、ようやく起き上がれるようになった。
「ねぇ、父さん。わたし、オットーさんに字を教えてもらうことになったけど、そんなことに時間取られて平気なの? オットーさんの仕事は?」
オットーにも門番としての仕事があるはずだ。わたしへ字を教えることは、どう考えても兵士としての仕事ではないと思う。
「オットーの仕事は字を教えることだ。新入りにな」
「新入り?」
「春の洗礼を終えた見習いが5人ほどいる。そいつらに字を教えるのはオットーの仕事だ」
兵士は一応字の読み書きを求められる。人の名前や役職名が読み書きできなければ、門番として立つことができないからだ。
「わたしも一緒に教えてもらうってこと?」
「まぁ、そうだな。だが、立場的にはお前は兵士見習いではなく、オットーの助手だ」
「助手?」
こんな子供を助手扱いにできるのだろうか。自分で言うのもなんだが、見た目年齢が3歳くらいの幼女だ。助手なんて言われても、誰も納得しないと思う。
「マイン。お前、オットーの仕事を手伝ったんだろう?」
「会計報告と予算なら……でも、計算だけだよ?」
オットーの仕事を手伝ったのは一度だけだ。恥を忍んで頼まれたことだったので、口外しない方がいいか、と判断して、父には報告しなかった。けれど、オットーは叱られるかもしれないのに、報告したようだ。
「あぁ。あの仕事をオットーただ一人に任せるのは負担が大きいと以前から言われていたが、手伝える奴がいなくてな。オットーがお前に字を教えて助手にしたいと言い出したんだ」
字を教えてもらうことはわたしから報酬にしたけれど、助手にしたいって気持ちも冗談じゃなくて本気だったんだ。
「オットー個人の助手として雇われたようなもんだが、洗礼前の子供に仕事をさせてはいけない。だから、字を教えるという名目で、門に通わせることにした。給料は石筆。体調が悪い時は休み。予算的にもこれ以上優しい助手はいないとオットーが力説していたな」
どうやら、オットーに字を習いつつ、書類仕事を手伝うというのが、わたしに求められているらしい。来年の予算シーズンへの布石か。
そして、上司に話を通して、わたしを助手扱いにすることで給料の石筆を予算から出すあたり、さすが商人だ。自分の懐を痛めずに、利益を得る方法を熟知している気がする。
「マインちゃん、そろそろ始めるけど、大丈夫かい?」
「はい」
オットーが呼びに来たので、わたしはトートバッグを持って、宿直室から訓練室に移動した。
訓練室の一角に木のテーブルと椅子があり、5人の男の子が座っていた。父が言っていた兵士見習いだろう。
「マインちゃんはここの班長の娘で、書類仕事を手伝ってもらっている。今回は文字を覚えたいということで、参加することになった。余計なちょっかいを出さないように」
わたしのことをそんな風に紹介して、オットー先生の授業が始まった。
石板の上に、アルファベットのような基本文字を書いていく。まずは、これを全て覚えなくては、どうしようもない。
「基本文字はこれで全部だ」
全部で35種類ある文字のうち、今日は5つを発音しながら、石板に書いていく。いくつかの文字は、以前に少し教えてもらっていたので、それほど苦もなく覚えられた。
「……マインちゃんは本当に覚えるのが早いな」
「わたしは、身体を動かすより、こういうのが好きだから」
きっとこの世界の子供と違って、勉強することに慣れているし、私自身が勉強することに全く抵抗がないことも覚えが良いことに繋がると思う。好きこそものの上手なれ、というやつだ。
石筆を持つことさえ初めてで、運筆から始めなければならないような初心者の彼らとわたしを比べたら、彼らが可哀想だ。
「オットーさん、そろそろ文字の勉強は終わりにした方がいいですよ」
「え? もう?」
体感時間から考えると多分30分くらいだが、男の子達にとっては、じっと座って書くという作業が苦痛なのだろう。さっきからもぞもぞ身体を動かし始めた。飽きてきた証拠だ。
「初めて石筆を持った人に長時間の集中は無理ですから。ちょっと文字を練習したら、次は計算をやらせる。街の見取り図を書かせる。兵士の心得を教える。運動も挟む。そんな感じで一日に色々なことを少しずつ体験させた方が身に付きますよ」
彼らの年齢的にも小学生の時間割を参考にした方がいい。一日中、国語でひらがなだけを延々と教えられるなんて、日本の小学生でも耐えられないだろう。座ることに慣れていない世界の子供なら尚更だ。
「次は計算にしましょう。数を数えるところから」
買い物に行くこともあるので、10くらいまでの数は全員数えられた。ただ、ちょっと怪しい子もいるので、声に出して数えながら、0から5までの数字を石板に書いていく。
これもまた、全員が身体をもぞもぞさせ始めたところで、切り上げて、身体の鍛錬へと追い払うことにした。
「今日の勉強はここまでにしましょう。次回までに今日習った文字と数字を全て覚えてきてね。覚えていなかったら、勉強時間がその子だけぐーんと伸びるから。文字や数字を覚えるのは大事な仕事だよ」
そう言って、わたしは早々に子供達を解散させた。
訓練室にいる必要がなくなったわたしを宿直室まで連れて行きながら、オットーが渋い顔をする。
「マインちゃん、あんなに甘いやり方じゃあ、なかなか覚えないって」
「ん~? でも、苦手意識を持つと、余計に時間がかかるから、一回に教えるのはあれくらいの量で充分だよ。わたしと比べちゃダメだからね」
「あ……そうか」
どうやら無意識にわたしと比べていたことに気付いたようで、オットーがポリポリと頬を掻いた。
「それに、復習して覚えてなかったら、次は覚えるまで帰れないんだよ? 自分の責任だからね。そんなに甘くないよ?」
「なるほど。仕事始めたばかりのひよっこに自己責任は厳しいな」
苦い笑いを浮かべたオットーに合わせて、一緒に笑いながら、わたしはそっと息を吐く。
新人教育のお手伝いもするなんて聞いてないし、あの子達がいたら、わたしの勉強が進まないんだよね。
宿直室に戻ると、オットーは残りの時間をわたしの個人授業にしてくれた。
わたしはオットーに単語を書いてもらって、石板でそれを練習する。オットーは練習時間中に書類仕事をする。
「じゃあ、マインちゃんは文字を覚えたみたいだし、単語を覚えようか。よく使う言葉から教えていくよ」
「はい!」
こうして、オットー先生の個人授業で単語を覚えていくことになったのだが、教えてくれる単語が全て備品や門番の仕事に関するものばかりだった。どうやら本気で書類作成を手伝わせるつもりらしい。
多分、少し使えるようになってきたら、来年の予算シーズンまで待つことなく、書類仕事に突っ込まれそうだ。
だって、最初に教えてくれた単語が『人物照会』『貴族』『紹介状』『嘆願書』だよ? 日常では全く使わないんだけど? せめて、備品項目から始めてくれれば、干し草や食料品、武器や防具の名前が覚えられたのに……。
カツカツと石板に文字を綴っていると、父がわたしを呼びに来た。閉門より少し前になったので、トゥーリ達が森から帰ってきたらしい。
わたしは石板をバッグに入れて、みんなと一緒に家に帰ることにした。
「トゥーリ!」
「マイン、帰ろう」
採集のための籠を背負い、道具や採集物や色々持っている数人の子供達がトートバッグ1つだけ持ったわたしをじろじろと見る。
「え? マイン?」
「トゥーリの妹? 初めて見た」
薄汚れた子供達の不躾な視線に思わずトゥーリの後ろに隠れると、トゥーリが苦笑した。
「マインが外に出るのが珍しいから仕方ないよ」
どうやら、地域のイベントごとにも顔を出せることが少なかったマインは、子供達の間でレアモンスターのような扱いをされているらしい。
トゥーリが「見られるだけで苛められるわけじゃないから大丈夫」って、フォローするけれど、視線が痛い。
「マインも一緒に帰るのか?」
「ルッツ!」
知っている顔があったことに心底ホッとして、わたしはラルフの顔も探してみた。しかし、体格が良くて赤い髪の目立つラルフの姿がない。
「あれ? 今日はラルフいないの? 病気?」
「ラルフはこの春で7歳になったから、今日は仕事なんだ」
「へぇ……」
ラルフって、まだ7歳だったんだ。一応年はマインの記憶で知っていたけど、良い体格してるし、面倒見良いし、8歳か9歳くらいだと勝手に思ってたよ。
あれ? ルッツも冬の間に結構背が伸びて大きくなってる? やっぱり、ここにも遺伝の法則ってあるのかも。
つらつらとそんなことを考えながら、家に向かって歩き始めた。森での採集が終わって、たくさんの荷物を持っている子供達は、少しでも早く家に着きたいのか、自然と足が速くなる。
そんな集団から取り残されそうになるわたしをフォローしてくれるのはトゥーリとルッツだ。
「みんな、慌てちゃダメだよ!」
「大丈夫か、マイン?」
わたしも頑張って歩いているつもりだが、どんどん集団に引き離されていく。子供達は容赦ない。遅いわたしを待ってはくれない。
「みんな、速い……」
「ごめん、ルッツ。マインをお願いしていい? わたし、みんなを見てくるよ」
トゥーリは洗礼前の子供達の集団では最年長になるので、妹よりもみんなの面倒を優先にした。
「わかった。マイン、ゆっくり歩け。途中でへばっても、今日は俺も荷物があるから背負ってやれない」
「ん」
取り残されたわたしと一緒にゆっくりと歩いてくれるのはルッツだけだ。これ以上ルッツに面倒をかけることはできないので、遠慮なく速度を落として歩く。
「マインは門で何してたんだ?」
「字を教えてもらってた」
「字? 書けるのか!?」
ルッツがものすごくビックリしたように、わたしを見た。
わたしに対する尊敬でルッツの目が輝いているような気がするが、まだ字が書けるというほど単語を覚えていない。そんなキラキラした目で見られると困る。
「まだ自分の名前くらいしか満足に書けないよ。これから練習するの」
「すげぇ、マイン。自分の名前が書けるなんて!」
あれ? 尊敬が完全に定着したっぽい?
まさか名前が書けるだけで尊敬されるとは思わなかった。
だが、よく考え見ると、農民なら字の読み書きができるのは村長くらいで、人の名前が書けるってレベルの父でも十分すごいと言っていたような記憶がある。
小学一年生レベルって、思ってたけど、この世界では尊敬レベルなんだ……。
書類作成の手伝いができるというのが、どのくらい貴重なことかちょっと理解できた。オットーさんが周りの兵士より先にわたしを育てる気になるはずだ。
人の名前が書けるようになったところで満足されたら、書類作成なんて教えられるわけがない。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「マイン、大丈夫か?」
わたしにとって、文字を覚えることは簡単でも、体力を付けるのは難しい。
心配そうなルッツに付き添われながら、わたしが家に帰りついた時には言葉を発することもできない程に疲れ果てていた。
案の定、熱を出して2日ほど寝込んだ。
「だから、無理はするなって言ったでしょ!」
母はぷりぷり怒っているが、着実に体力はついているようで、普段なら5日ほど寝込むところが3日目には出かけられるようになった。
父と門まで出かけて、半分ほど歩いた後は父に抱えられて移動。昼から文字の練習と計算の手伝い。帰りはみんなと歩いて、すぐに引き離されて、息も絶え絶えになって、ルッツに心配される。家に帰ったら、また寝込む。
一月ほどそんな状態を繰り返していたが、体力はちゃんと向上してきた。
1日行って3日休んでいたのが、2日の休みになり、行って休んでの隔日出勤になった。その頃には、まだスピードは遅いけれど、門まで何とか歩けるようになっていた。
そのうち、2日行って1日休みになり、3日行って1日休みになった。
初めて5日続けて門に行けた時には、家族で盛大に祝った。
「やったね、マイン。初めてお休みせずに全部行けたね」
「ずいぶんと体力が付いたな、父さんは嬉しいぞ!」
「もうそろそろ森へ行けそうね」
家族にせっかく祝ってもらったが、その後、熱を出して、2日寝込んだ。思ったほどうまくはいかないみたいだ。
門に通い始めて三月がたった頃、ようやく森に行く許可がもらえた。ちらほらと夏の気配が見え始める春の終わりのことだった。