Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (161)
いなくなった二人
次の日もその次の日も、ダームエルは来なかった。
井戸の広場に出ることさえ禁止されてはあまりにも暇で、わたしは家に引きこもったまま、カミルのためのぬいぐるみのガラガラをトゥーリと一緒に作ったり、絵本の第三弾の内容を考えたりしていた。トゥーリが作ったガラガラはコリンナの娘のレナーテにプレゼントするらしい。
「コリンナ様のところに赤ちゃんを見に行く時に持っていくの。今度行くんでしょ?」
「あれだけギルベルタ商会にお世話になっていて、さすがに、何もなしというわけにはいかないからね」
不穏な空気が落ち着いたら、遊びに行こうと思っている。トゥーリも一緒に行く気満々だ。女の子の赤ちゃんも可愛いだろう。オットーの親馬鹿具合も、わたしはちょっと楽しみにしている。
「……でも、これ、マインが作った方が可愛いね」
できあがった手元のガラガラを見下ろして、トゥーリが軽く溜息を吐いた。
トゥーリが作ったのは白クマっぽい動物で、わたしが作ったのはウサギっぽい動物だ。白い布の中に詰まっているのは、ぼろ布なので、綿を詰めるのと違ってちょっとでこぼこしている。
「縫い目はトゥーリが圧勝だけどね」
トゥーリが言うように、わたしが作ったガラガラは、少々ちぐはぐな縫い目だけれど、なかなか可愛くできたと思う。わたしが自分の出来に満足していると、横から覗き込んできたトゥーリが軽く肩を竦めた。
「マインはもうちょっと練習しないと、お嫁さんになれないよ?」
「大丈夫! わたし、本に一生を捧げる覚悟ができてるから」
このあたりで望まれている嫁の条件は、健康で気働きができる裁縫上手だ。全く当てはまらないわたしには、嫁にいくなんて、どう考えても無理だ。もう諦めた。麗乃時代と同じく、本を恋人に生きていければ満足である。むしろ、誰かの嫁になるより、本を作って読んでいたい。
これであとは鈴さえあればガラガラが完成するのに、と思っていると、三日目の夕方には、ルッツが店に届いた鈴を持ってきてくれた。
「ヨハンが届けてくれたんだ。これをどうするんだ?」
ルッツは数個の鈴を手のひらで転がしながら、首を傾げた。チリンチリンと可愛らしい音を立てて、鈴が転がる。さすがヨハンだ。よくできている。
「鈴はね、こうして中に入れて、縫っちゃうの。振ったら、音がするでしょ?」
小さい子供が誤飲しないように、鈴は必ず中に入れる。目や口も糸で縫ってあるだけだ。鈴を入れるところだけを開けてあったので、ルッツが見ている前で、すぐにガラガラは完成した。
振ってみると、布の向こうからチリンチリンと可愛らしい音が響いてくる。大成功だ。
「カミル、できたよ。鈴の音、聞こえる?」
カミルの耳元で、ウサギを振って鈴の音を鳴らしてみれば、カミルが何度か瞬きした。まだ首が座っていないカミルは振り向くこともできないけれど、目がほんの少し音源を探してさまよう。
「可愛い! 可愛いよ、カミル」
わたしが作った物に反応してくれたことに、ヘラッと顔が笑み崩れていった直後、泣かれた。
そして、家に引きこもるようになって五日後の朝、フランとダームエルが家まで迎えに来てくれた。
「おはようございます、マイン様」
「おはようございます、ダームエル様、フラン」
「おはよう、巫女見習い」
わたしが挨拶をすると、ダームエルは軽く頷いた。そして、昼勤のため、まだ家にいた父へと声をかける。
「では、巫女見習いを預かる」
「よろしくお願いいたします」
父が胸を二回叩く兵士としての敬礼で、ダームエルに答えると、ダームエルも同じように返礼する。
「ギュンター、フェルディナンド様からの伝言がある。領主は現在中央へと行っているため、しばらくは新しく許可が下りることはない。偽物の許可証が出回るかもしれぬから気を付けるように、とのことだ。確かに伝えたぞ」
「はっ!」
表情を引き締めた父がぐっと顎を引く。門を守る仕事中の父の顔は、カッコいい。
「じゃあ、いってきます」
「気を付けて」
井戸の広場にいたルッツと合流して、神殿へと向かう。神殿に近付くにつれて、フランの表情が厳しくなっていくのがわかった。
「フラン、どうかした? 眉間に皺が寄ってるけれど……」
「後ほど、お話しいたします」
往来で話せる内容ではない、とフランは口を閉ざし、奥歯を噛みしめた。
「神殿に着けば、嫌でもわかる」
そう言ったダームエルを見上げても、何も感じさせない穏やかな笑みを浮かべているだけで、感情らしい感情を見つけることができなかった。
「じゃあ、今日は森へ行くから」
「うん、よろしくね」
いつものように工房前でルッツと別れ、わたしは自室へと向かった。フランがドアを開けてくれるのを待って、中に入る。いつもと違う部屋の雰囲気に、わたしは目を瞬いた。
「……ずいぶん静かですね」
部屋の中は、異様に静かに感じられた。普段ならば、ディルクの声やデリアがディルクを構う声、複数の人間がいる物音や雰囲気が感じられるのに、それがない。厨房で働く料理人の声や物音が小ホールまではっきりと聞こえるほど、部屋が静かだ。
ディルクが寝ているのだろうか、と思いながら、あまり足音を立てないように気を付けて、わたしは二階へと上がった。
そこにはロジーナがテーブルを拭いている姿があった。指を痛めないように、部屋の雑事は基本的にデリアに任せていて、音楽と書類仕事のみをしているロジーナが働いている姿にわたしは戸惑いを隠せない。
「ロジーナ、おはよう。デリアはどうしたの? 体調でも悪いのかしら?」
わたしがぐるりと部屋を見回しながら尋ねると、ロジーナは一度目を伏せた後、クローゼットへと向かった。
「デリアはもうここにはいません。ディルクと共に神殿長のもとへと参りました」
「え?」
あまりにも突然のことで、すぐに理解できなかった。わたしが混乱しながらロジーナを見上げると、青の衣を手に取って、ロジーナは困ったように眉を下げた。
「お話の前にお召替えをいたしましょう。そうでなければ、フランが上に来られませんから」
ロジーナが持ってきた衣装に着替えると、わたしは席に着くように言われた。ロジーナがテーブルの上のベルを鳴らすと、フランが準備していたお茶を持って、上がってくる。
コトリとわたしの前へカップが置かれた。一口飲んだけれど、おいしいはずのフランのお茶に味が感じられない。
わたしがカップを置いて、二人の顔を見回すと、ロジーナが口を開いた。
「昨日、私達がお昼の休憩に入り、起きた時にはディルクのためのクッションやおむつなどが部屋から消えておりました。デリアの姿もなかったので、胸騒ぎを感じて孤児院へと参りました。孤児院にディルクの姿はなかったのです。ヴィルマに話を聞いたところ、家族だから連れていく、と言って、デリアがディルクを連れて行った、と言われました」
孤児院が苦手なデリアが、ディルクのために頑張っている姿を応援したくて、ヴィルマは言われるままにディルクを渡したらしい。まさか、わたしの側仕えが、わたしの部屋以外にディルクを連れていく可能性など、普通は全く考えないだろう。
「ロジーナから話を聞いて、私は神官長に目通りを願いました。神殿内で青色巫女見習いの側仕えが忽然と姿を消したのですから、報告し、探索しなければならないと思ったのです」
フランがゆっくりと息を吐いた。主が不在の時に、青色神官とのトラブルに巻き込まれているならば大変だ。そう思って、神官長のところへと向かう途中で、神殿長と一緒にいるデリアを発見したそうだ。デリアの腕にはディルクがいたらしい。
その場で問い詰めようとすれば、神殿長に阻まれ、神官長に話を通した上で、事情を聴いたようだ。
「神殿長のところって、どうやって? 元々神殿長の側仕えだったデリアはともかく、ディルクは孤児だから孤児院から出してはならないのでしょう?」
わたしが神官長に相談に行く時にも連れ出すなと言われたし、洗礼式が終わるまでは見苦しいから孤児院に閉じ込めておけと言うような神殿長が、孤児を貴族区域に入れているのもおかしい話だ。
フランはそっと目を伏せた。
「……ディルクはもう孤児ではないのです」
「え?」
「ディルクは神殿長の権限により、貴族との養子縁組がなされています」
孤児院長であるわたしのサインがなくても、神官長のサインがなくても、神殿長のサインがあれば、孤児の養子縁組は可能だ。ただし、それは、縁組先が平民であれば、の話である。
「貴族の養子縁組には領主様の許可が必要なのでしょう? 今朝、ダームエル様がおっしゃったじゃない。領主様は不在で、新しく許可は出ない、と……」
「神官長の話によると、領地外の……余所の貴族との縁組にはこの街の領主様の許可は必要ないのだそうです」
法の網の目をくぐるのが得意な者はどこにでもいるということだろう。余所の形式で作成されていても、養父、養子、神殿長の血判がある書類は有効だ。ディルクはすでに余所の貴族の養子となってしまった。
「……喜ばしいとは思えない事態ですよね?」
「はい、神官長も頭を抱えておりました」
フランも眉間に皺を寄せながら、溜息を吐いた。そして、ゆっくりと顔を上げて、真っ直ぐにわたしを見る。
「マイン様、デリアを切り捨ててください。マイン様が情の深い方だということは、存じておりますが、何の一言もなく、勝手をし、主に不利益をもたらすデリアをこのまま側仕えとするわけにはまいりません。神殿長のところへ行くならば、解任しなければならないのです」
わたしが解任宣言するまでは、デリアはここの側仕えである。本来ならば、神殿長のところへと移動する前に、一言あるべきだ、とロジーナも憤慨している。
側仕えになった当初はともかく、最近では上手く付き合っていられただけに、突然の寝返りに胸が痛い。どうして、という思いが胸に渦巻く。
ゆらりと揺れるお茶の表面を見つめながら、わたしは口を開いた。
「……デリアを解任します。話をしたいから、呼んできてちょうだい」
「かしこまりました」
わたしが解任することをもっと渋ると思っていたのか、フランは少しだけホッとしたような表情を見せた。胸の前で手を交差させて、フランは部屋を出ていく。
話が一段落したので、わたしは目の前にあるカップを手に取った。さっきは味を感じなかったお茶が、今度はひどく苦かった。
フランが戻ってきた時には、デリアが一緒だった。苦虫を噛み潰したようなフランと、とても機嫌が良さそうな笑顔のデリアは対照的だ。足取りも軽くデリアは歩いてくる。
「おはようございます、マイン様。あたしにお話とは何ですの?」
デリアの顔には全く悪気がない。いつもと変わらぬ表情、いつもと変わらぬ口調に、眩暈がした。デリアとディルクが神殿長のところに行ったなんて、何かの間違いだったのではないか、と思えてしまう。
デリアの態度に思わず呆然としてしまったけれど、テーブルの横に立つフランとロジーナの強張った表情にハッとして、わたしは軽く頭を振った。
「神殿長のところへ戻ったと聞いたのだけれど……」
「そうですわ」
デリアは顔を輝かせて、むしろ、嬉しそうにわたしに報告をしてくれた。
「神官長が養子先を探してくれたけれど、見つからなかったと話をしたら、神官長には見つけられなかったディルクの養子先を、神殿長は見つけてくださったのです! しかも、貴族との縁組ですの」
すごいでしょう、とデリアの顔は実に得意気だ。
「神殿長自身では領主様の許可が必要で、すぐに縁組ができないから、余所の領地の貴族を探してくれたのです。神殿長ともなると、人脈が違いますから」
「余所の貴族と養子縁組したのでしたら、デリアとディルクは一緒に過ごせないのではなくて?」
すぐに余所に引き取られるのではないのだろうか。それとも、世話係として、デリアも一緒に引き取られるのだろうか。眉を寄せるわたしに、デリアはフフッと笑った。
「ディルクが成人するまでは、神殿長が預かって育てることになっていますの。もうディルクは孤児ではありません。神殿長のお部屋の一室を賜って、あたしとディルクは一緒に住めるようになったのです」
ディルクが成人するまで神殿で育つのならば、貴族の養子となったとは言っても、貴族院へ行けるわけでもなければ、家族として接してもらえるわけでもないはずだ。その貴族は一体何のために、ディルクと養子縁組をしたのだろう。魔力狙いならば、神殿長の元で育てる意味が分からない。
眉を寄せるわたしの前で、デリアは頬を薔薇色に染めて、嬉しそうに笑った。
「これでディルクが成長しても引き離されることはないでしょう? マイン様のところでは、側仕えのあたしとディルクはすぐに別々に住むことになりますもの」
まだ孤児院に行けないデリアにとっては、完全な別れに等しいらしい。孤児院に行けるようになっても、確かに一緒に住めるわけではない。ディルクと一緒に過ごすことだけを考えて、直進してしまったデリアに何が言えるだろうか。
「辛い思いはしていないのね?」
「えぇ、もちろんですわ」
今のところ、神殿長はデリアに対して、良いところしか見せていない。神殿長が好々爺の顔だけをデリアに見せているのならば、わたしが何を言っても受け入れられることはないだろう。
大きく頷いたデリアを見据えて、わたしは一度ゆっくりと深呼吸する。
「では、デリアをわたくしの側仕えから解任いたします。以後は神殿長の側仕えとして、対応します」
「かしこまりました。……マイン様、お話がこれだけでしたら、あたし、ディルクのところへ戻りたいのですけれど。近いうちにディルクの養父様もいらっしゃるのです」
こちらは鉛でも呑み込んだような気分で解任宣言をしたのだが、解任されたデリアは特に何も感じていないようだ。早くディルクのところへ帰りたいという気持ちだけでそわそわとしている。
「呼びつけてごめんなさいね。でも、何の一言もなく二人がいなくなって、フランもロジーナもとても探してくれたのです。孤児院でディルクを預かってくれていたヴィルマも、工房から帰ってきたらガランとした部屋を見たギルも、今朝、話を聞かされたわたくしも本当にビックリしたし、心配したのです。せめて、言付けの一つくらいは残しておいてちょうだい」
恨み言とまでは言わないが、最後に不満を零すと、デリアは困ったように眉を寄せて笑った。
「……ディルクを連れ出すことをマイン様に知られると反対されるだろう、と神殿長がおっしゃったので、こっそりと事を運びました。それについては謝ります。申し訳ございませんでした」
反対されるようなことをしている自覚はあったようだ。デリアはついっと視線を逸らして、神殿長にこう言われたと言い訳する。
「では、ディルクの世話、大変でしょうけれど、頑張って」
「はい。失礼いたします」
朗らかな笑顔を見せて、デリアはディルクのもとへと帰っていた。本人が幸せならば良いけれど、あまり良い将来が見えない。
「……デリアもディルクも大丈夫かしら?」
「デリア本人が選んだことですし、孤児でなくなってしまったディルクに私達がしてあげられることはございませんわ」
「……そうね」
きっぱりと言い切ったロジーナの言葉にわたしはゆっくりと頷いた。
それでも、何か助けになれたら、と考えていると、フランがわたしの隣に跪いた。わたしの手を取り、真剣な眼差しで見上げてくる。
「マイン様、これからはデリアに呼ばれたとしても、決してマイン様から神殿長のもとへは出向かないよう、ご注意ください」
「え?」
首を傾げるわたしにフランは不安そうな顔で言い募る。
「先程、デリアを呼びに行った時も神殿長はマイン様を出向かせようと必死でした。側仕えのために主が足を運ぶことはない、と言って、私はデリアを連れ出しましたが、神殿長の変わりようが怖いのです」
わたしを視界に入れたくない。神殿長の部屋には決して入れない、と言っていた神殿長が、デリアの解任宣言のためにわたしを部屋に呼びつけようとしたらしい。
確かに、それはおかしい。
「それから、先日、東門であった騒動ですが、余所の貴族に紹介状を出したのは、神殿長だったようです」
紹介状にある名前から、騎士団が神殿長に事情を聴きに行ったらしい。神殿長は親交を深めるため、と当り障りのないことを言っていたようだが、時期的にディルクの養子縁組のために余所の貴族を街に入れようとしたのではないか、と神官長は推測しているようだ。
「領主の許可がなければ入れないのに、神殿長が紹介状を出したのは何故なのかしら?」
「ご存じなかったそうです」
意味が分からなくて、わたしが首を傾げると、フランは決まり悪そうな顔で、少し声を低くした。
「冬の間、神殿長は奉納の儀式のために神殿に籠っておりましたから、規則が改変されたのをご存じなかったのです」
厳密には貴族ではない神殿長は冬籠りの間に行われる貴族の社交には招かれず、領主がその場で発表した新しい規則を知らなかったらしい。そのため、以前と同じように余所の貴族を招待したということだ。
「ディルクを余所の貴族を縁組させて、手元に置く神殿長が何を考えているのか、わかりません。マイン様にはくれぐれも慎重に行動してくださるよう、お願いいたします」
心配のためか、小さく震えているフランの手を握り返し、わたしはコクリと頷いた。