Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (162)
誘拐未遂
「マイン様、デリアの代わりに、新しい側仕えを入れませんか?」
フランの突然の問いかけに、わたしはコテリと首を傾げた。冬と違って、わたしが神殿に住んでいるわけではないので、すぐさまデリアの代わりを入れなければならないほど仕事は多くないはずだ。
「すぐに必要かしら?」
「入れた方が良いと思われます」
ディルクがいなくなったので、夜眠れるようになったフランとギルが力仕事を担当すれば何とかなるけれど、ロジーナが指を痛めるような雑事をしたがらないので、いずれ代わりの人員が必要になる、とフランが言った。
「本音といたしましては、この期に及んで、まだデリアの心配をしているマイン様には情に流される甘いところがございますから、デリアに向けている情を他の者に向けていただいた方がこちらとしても安心できます」
自分の甘さを突き付けられて、わたしは、うぐっと言葉に詰まった。少しガランとした空間で何となくデリアの姿を探してしまうところを見られていたらしい。
フランの言う通り、いつまでも出て行ったデリアの心配をするよりは、フランやロジーナの心配を取り除いた方が、今後のためにも良いだろう。わたしはそっと息を吐いて、一度目を伏せた。
「……そうね。新しく灰色巫女を入れるとすれば、モニカとニコラかしら?」
モニカとニコラは、冬の間ずっとエラの料理を手伝ってくれていた二人だ。ヴィルマから推薦された二人はくるくるとよく働くことをすでに知っているし、雑事だけではなく、料理の助手を任せることもできる。
実は、そろそろイタリアンレストランが開店するので、料理人はエラを残して店へと行ってしまうのだ。エラはここにいる方がレシピは増えそうだということで、ここに残る選択をし、ベンノへの交渉は済ませている。そして、ベンノが次に送り込んでくる料理人の指導をすることになっている。モニカとニコラならば、エラも気心が知れているので、仕事がしやすいと思う。
「モニカとニコラ? マイン様、二人も召し抱えて大丈夫ですか?」
この部屋の経済状況を知っているフランが不安そうに眉を寄せた。確かに、季節によっては少しばかり不安だが、冬の手仕事も追加注文が来ているし、このまま絵本が順当に売れれば大丈夫だと思う。
「冬の間、二人とも頑張ってくれていたでしょう? どちらかを選んでしまったら、また冬にお手伝いを頼みにくくなりますから、召し抱えるなら二人一度にお願いしたいです」
「そのようなこと、マイン様が気にしなくても良いと思うのですけれど……」
ロジーナは苦笑するけれど、孤児院で過ごすのと側仕えになるのでは、明らかに待遇が変わる。分かっていて、どちらかを選ぶのがわたしには難しい。
「デリアに側仕えを任せるよりは安心できます。二人に声をかけに行きますか?」
「えぇ。二人とも側仕えの経験はないはずですし、教育期間を考えると早いうちに声をかけた方が良いかもしれないわね。教育係のフランはどう思って?」
イタリアンレストランが開店して、厨房の人員が少なくなる前に二人には部屋の雑務を覚えてもらわなければならない。けれど、ロジーナではお手本が見せられないため、雑務の教育係はフランになる。フランに余裕がなければ、教育は難しい。
「書類仕事をロジーナに回せるようになってきたので、多少余裕はございます」
「では、ヴィルマに連絡して、明日にでも孤児院へ行きましょうか」
明日の予定が決まったところで、コンコンと部屋のドアがノックされた。
わたしの側仕えは勝手に入ってくるし、神官長や側仕え達の神殿関係者はベルを使う。ノックをするのは平民であるルッツやトゥーリだけだ。
「ルッツかしら? でも、帰るには少し早いと思うのだけれど」
5の鐘が鳴ってから、まだそれほど時間はたっていない。出迎えるためにフランが一階へと降りていき、わたしは階段の方へと出て、一階を見下ろす。
警戒した面持ちでダームエルがドアを開けた。そこには予想通りルッツがいた。しかし、ルッツだけではなく、トゥーリも一緒だった。
「お入りください、お二人とも」
フランが二人を招き入れ、ドアを閉めようとした時に、少し遠くから「待ってくれ!」と叫ぶギルの声が聞こえてきた。ドアを開けたままフランが待っていると、ギルが息を切らせて走りこんでくる。
「トゥーリ、どうしたの?」
「マイン、迎えに来たよ。一緒に帰ろう」
トゥーリはわたしが階段を駆け下りていくのを見ながら、ニコリと笑った。
「危ないんでしょ? マインはわたしが守ってあげる」
自分の胸を叩きながらトゥーリがそう言うと、対抗したようにギルも横から出てきて、仁王立ちで胸を逸らす。
「オレもマイン様を守ります! 側仕えだから!」
二人のやる気は嬉しいけれど、人数が増えるのはどうなのだろうか。護衛をすることになるダームエルを見上げると、呆れたように肩を竦めた。
「……護衛対象が増える方が危険なのだが」
「ですよね? わたくしの心配をしてくれたのだから、今日だけはよろしくお願いします、ダームエル様。トゥーリにはもう来ないように言っておきますから」
来てしまったものは仕方がない。いつもに比べると少し早いけれど、さっさと皆で帰ることにする。わたしはロジーナに手伝ってもらって着替えると、手早く帰り支度をする。
「フラン、孤児院への連絡をお願いね。今日は急いで帰ります」
「かしこまりました。お早いお帰りをお待ちしております」
神殿を出ると、前にルッツとギル、二人に続いてわたしとトゥーリが歩き、わたしの後ろをダームエルが歩く形で、ぞろぞろと大通りを歩いていく。
「気持ちは嬉しいけど、トゥーリはもう迎えに来たらダメだからね」
歩きながら、わたしはトゥーリに注意する。トゥーリは意味が分からないというように首を傾げた。
「どうして?」
「危険なことがあっても、わたし一人だけならダームエル様が守れる状況なのに、トゥーリもいたら二人は守れないこともあるから」
いくらダームエルが騎士とはいえ、できることは限られている。そして、わたしの護衛であるダームエルは当然のことだが、緊急時にはわたしの安全が最優先になり、トゥーリを助けてくれるとは限らない。逃げる時に置き去りにされたり、下手したら囮に使われたりするかもしれないのだ。
「本当に何か起こった場合、トゥーリの方が危険なんだよ」
「……わかった」
むすぅっと頬を膨らませて、トゥーリが不満そうにわたしを見た。「わたしだってマインを守るのに」なんて、そんな可愛い顔をしても、ダメだ。自分だけならばともかく、トゥーリが危険な目に遭うかもしれないのは許容できない。
中央広場を通り過ぎ、家へと向かうために職人通りに向ってそのまま南下して、家へと向かって曲がった。大通りから人通りが少ない路地へと入って、少し歩いたところで、オットーと会った。まるでパトロールでもしているようで、手には槍のような武器を持って、きょろきょろしながら歩いている。
「オットーさん、お久しぶりですね」
「マインちゃん!」
わたしを見つけたオットーが顔を輝かせる。
「無事だったんだね。よかった。これで班長にぶっ飛ばされずに済むよ」
第一声に「無事」という単語が入っているところがどうにも不穏だ。もしかして、父にぶっ飛ばされるようなことをしでかしたのだろうか。
「……何かやらかしたんですか?」
「俺じゃないんだけど、東門の番人がね」
そう言ってオットーは肩を竦めた。オットー自身は中で書類仕事をしていたため、門番として門に立っていたわけではないけれど、東門の門番が父にぶっ飛ばされるような失敗をしでかして、その尻拭いに駆り出されているらしい。
「今日の昼過ぎ、班長が各門の士長に重要な話があるって、東門以外の士長に連絡を取って、中央に行っている間の出来事なんだけどさ」
「え?」
オットーの言葉にわたしは目を瞬いた。
もしかしたら、父の重要な話というのは、「領主不在のため、新しい許可証は出ない」というものではないのだろうか。ものすごく嫌な予感がする。
父は昼番だというのに、引継ぎよりも随分と早い時間に仕事場である東門へと行ったらしい。そして、すぐに東門の士長と話をして、各門の士長を召集してもらい、中央に士長を集めてもらった。そこで領主の不在と許可証が偽造される可能性があることを伝えて、東門に戻ったそうだ。
「でも、もう貴族の馬車を通した後だったんだ。士長からは何の連絡もなかったから許可証が偽造だなんて思わなかったんだ。班長がその失態話を聞いたのは、門番の引継ぎの時でさ。どうして重要事項を門番全員に伝達していないんだって、士長に激怒してね。マインちゃんの無事を確認するために、神殿へ走って行ったんだけど、会わなかったかい?」
父と会ったか、会っていないかよりも、通された貴族の馬車という言葉に、わたしは思わずダームエルを仰ぎ見る。ダームエルも信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
「馬車を通しただと!? まさか、先日の……?」
「そう。君、物知りだね。その貴族だよ。今、東門の兵士を門番以外全員動員して探しているんだけど、まだ見つかってないんだ。もう貴族街に行ったのかな?」
貴族街に入る門には騎士がいるから、すぐに見つかると思ったんだけど、とオットーは首を傾げる。余所の貴族が街に入ってくることを領主が禁じているというのに、兵士間では危機感や緊急度が全く共有されていないようだ。
「騎士団には連絡したのだろうな!?」
ダームエルが眦を釣り上げてオットーに怒鳴ったが、オットーは目を細めて顎に手を当てて考え込んだ。
「……どうだろう? 士長がしたかな? 班長はすぐさま飛び出していったし、まだかもしれないな」
「すぐに知らせるんだ、馬鹿者!」
眉を吊り上げてオットーを叱り飛ばしながら、ダームエルはすぐさま光るタクトを取り出した。「え? お貴族様……?」と目を瞬くオットーの前で、ダームエルが救援信号である赤い光を打ち上げる。
これで騎士団が来てくれるはずだ、と少しばかり安堵しながら、ヒュンと空高く上がっていく赤い光を見上げた瞬間、視界の端に映っていたトゥーリの姿が突然消えた。
「え? トゥ……」
振り返る間もなく、わたしの視界が真っ暗になった。ぐわっと浮遊感がしたかと思うと、ガクンガクンと揺れ始める。
「うひゃっ!?」
自分の背中や足を押さえる手の感触から、誰かに担がれて運ばれているのがわかった。慌ててもがいてみたものの、手にごわごわした布のような感触が当たるだけで、ほとんど身動きできない。
ちらちらした光が差し込んでくる様子から考えても、麻袋のようなものを被されて、担ぎ上げられたようだ。
「た、助け……」
「マイン! トゥーリ!」
「二人を返せ!」
暗闇の向こうからルッツやダームエルの叫び声が聞こえ、複数の足音が追いかけてくるのが聞こえた。どうやらトゥーリも一緒にさらわれたらしい。トゥーリの悲鳴が聞こえたような気がする。
大通りの喧騒がどんどん遠くなっていくことから考えても、路地を走っているようだ。
「班長! その袋にマインちゃんが!」
「ウチの娘に何をするっ!」
オットーの叫ぶ声が聞こえ、父の怒号が響いたかと思うと、わたしの体がぐるんと回った。父の攻撃を防ぐために投げ出されたようで、視界が真っ暗の中、自分がどうなっているのか認識もできないまま、どさっと石畳に投げ出され、体のあちこちを打ちつける。
「いたっ!」
「マイン!?」
「マイン様!」
ルッツとギルの焦ったような声と同時に、ぐいっと力任せに袋を引っ張られ、体が起された。暗闇の中で目を白黒させているうちに、バサーッと勢いよく麻袋が除けられ、いきなり視界が良好になった。暗いところから急に明るいところへ出たことで目がチカチカする。
わたしは何度か瞬きをしながら、座り込んだまま辺りを見回した。わたしを覗き込むルッツとギル、そして、わたしを守るために周囲を警戒しているダームエルの後ろ姿が右側に、武器を構えたまま歯ぎしりしている父とその向こうにオットーの姿がある。
「トゥーリは!?」
「あそこ……」
口惜しさと怒りに燃えるギルの紫の目が向かった先には、人質に取られているトゥーリの姿があった。トゥーリにナイフを突きつけながら逃げようとしている男と、ひぅっ、と息を呑んでナイフに視線を固定したまま、恐怖に強張ったトゥーリが見えた。
「い、いや……」
血の気が引いて、涙を浮かべて、小さく震えているトゥーリにピタリと焦点が合った。すぐさま全身の血が滾って、魔力が巡っていく。一瞬でわたしの堪忍袋の緒が切れた。
「マイン!?」
「マイン様!?」
わたしはゆっくりと立ち上がる。体が沸騰するほど熱いのに、頭の芯が冷え切っているようなこの感覚には覚えがあった。
この一年ほど神殿で奉納をし、魔石を使って儀式を行ってきたわたしは、自分で考えるよりもずっと魔力の扱いに慣れてきたようだ。神殿長に向けた時は視界に入る者全てに向けられていた威圧も、今では目標を定めることができるようになっているのがわかる。
「ねぇ、ウチのトゥーリに何するつもり?」
キッと強くトゥーリに刃物を押し付ける男を睨みつければ、男の顔色がどんどん変わっていく。怒りと興奮で赤かった顔が、恐怖に染まったように青くなり、呼吸でも止められたかのように紫じみたどす黒い色に変わっていく。わたしの威圧から逃れようと男がわずかに身を捩ろうとするが、ほとんど動けないのか、目を見開いたまま顔を強張らせていた。
「トゥーリから汚い手を今すぐ退けて。じゃないと、死ぬよ。貴方が」
周囲の時の流れがゆっくりになったような感覚の中、わたしは口の端から泡を吹いて震え始めた男に向ける魔力の圧力を少しずつ強めていく。
「う……あ」
男の口がわずかに動いた瞬間、ヒュンと音を立てて、刃物が飛んでいき、トゥーリを捕えている男の二の腕にぐっさりと刺さった。
「え?」
わたしが驚きに目を瞬いて理性を取り戻すのと、短剣を握った父が男に飛びかかるのはほぼ同時だった。威圧を受けて動けなかった男は避けることもできず、刃を受ける。
「うぁっ!」
男の悲鳴と血飛沫が上がったかと思うと、父に突き飛ばされるようにして、トゥーリが揉み合う二人の間から転がり出てきた。
ギルとルッツは即座にトゥーリに駆け寄り、頬に飛び散った男の返り血を拭う。
「トゥーリ!」
「大丈夫か!?」
「……こ、怖かった」
わたしもへたり込んでいるトゥーリの方へと駆けだそうと一歩踏み出した瞬間、視界の端で何かが光った。バッと振り返ると、父と揉みあっているのとは別の男――おそらくわたしを攫おうとした男――が持つ指輪が光っているのが見える。魔石の指輪が魔力を得て光っているのだと瞬時に理解して、わたしは男に止めを刺していた父に叫んだ。
「父さん、避けて!」
「ギュンター、下がれ!」
「ぐっ!?」
父を突き飛ばしたダームエルの左手に魔力をはじく盾のようなものが浮かび上がり、真っ直ぐに飛んできた魔力の光を弾いた。まさか弾かれると思っていなかったのか、動揺したようにダームエルを見ながら、男は後退しようとする。
「相手は魔力持ちだ。ここは私が相手をする! お前達は神殿へ戻り、フェルディナンド様に知らせよ!」
「了解した! オットー、マインを抱えろ!」
腰を抜かして動けないトゥーリをガッと抱きかかえ、父が大通りへと向かって猛然と走り始める。ハッとしたようにルッツとギルが父に続いた。わたしはオットーに横抱きにされて、大通りをまた神殿へと戻っていく。
「マインちゃん、血が出てる……」
走りながら、オットーが痛そうに顔を歪めた。オットーの視線の先には、膝から流れ出し、脛へと伝っていく血がある。
「さっき、落とされた時ですね」
興奮で全く痛みを感じていなかったけれど、傷口を見た途端、ずくんずくんと痛みが襲ってきた。自分の血を見て、先程の男から上がった血飛沫が思い浮かぶ。
「……オットーさん、今って、助けが必要な、まずい状況ですよね?」
トゥーリを担ぎ上げた父を先頭に、ルッツとギルが大通りの人波を縫うようにして疾走する状況を見ながら、わたしが問いかけると、オットーが悲鳴のような声を上げた。
「それ以外の何に見えるんだ!?」
「助けを求めても怒られないか、確認したかっただけです」
わたしは自分の膝の傷に自分の親指を押し当てて、血を付けると、ずっと身に着けていたネックレスを引き出して、オニキスのような黒い石にぐっと血を押し当てた。
石はほんの一瞬金色に光り、そのあとは黒い石の中に金色の炎が揺らめくだけで、特に何も起こる気配がない。ジルヴェスターに向って何か連絡が飛ぶとか、わたしの居場所を知らせる発信機的な魔術具とか、そういう物なのだろうか。血判を押してみたけれど、全くわからない。
「何だ、それ?」
「お守りです。まずい状況になったら、助けてくれるそうです」
何に使う魔術具なのか、わからないまま、わたしはネックレスをまた服の中に滑り込ませる。その頃にはギルベルタ商会の前に着いていた。
父は店の前でトゥーリを下しながら、すぐさま指示を出す。
「トゥーリとルッツは、オットーと共にオットー宅で待機だ」
ルッツがぜいぜいと荒い息を吐きながら、父を見上げた。
「ギュンターおじさん、オレも……」
「邪魔だ」
「だって、ギルは行くじゃないか」
「ギルは神殿の者だ。お前は違う」
戦えない奴は必要ない、と父はルッツの懇願をにべもなく切り捨てると、わたしを下すオットーに強い視線を向ける。
「オットー、トゥーリを頼む。俺はマインを連れて神殿へと行くからな」
「班長、マインちゃん。くれぐれも気を付けて」
オットーが拳を握って、肘を曲げる。父は同じように拳を握って、肘を曲げると自分の拳を軽くオットーの拳に当てた。
「大丈夫だ。騎士団が動き始めた」
厳しい表情は改めないまま、父が拳を突き上げて、上空を示す。魔石でできた騎獣が空を駆けているのが見えた。おそらくダームエルのところに向っているのだろう。すぐに合流できそうだ。
「行くぞ、マイン」
「うん」
父はわたしを抱き上げると、神殿を目指して駆けだした。