Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (164)
黒いお守り
「巫女見習いっ!」
顔色を変えたダームエルが光るタクトを構えて、わたしと伯爵の間に立ちはだかった。ダームエルの背中に自分の右側を守られる状況で、わたしは勝ち誇って得意気に顔を歪める神殿長に魔力を注ぎ続ける。
「無駄だ」
神殿長がそう言って、低い笑いを漏らした時、黒い魔石に薄い黄色が見え始め、ピキッと小さな音がした。つるりとした球体の魔石に一筋、また一筋とひびが入る。
驚愕する神殿長に構わず、わたしはじっと魔石を睨みつけ、魔力を注ぎ続けた。見る見るうちに、黒から淡い黄色のような色に変色していく。
「……な、何だと!?」
黒の色がなくなり、薄い黄色で満たされ、金色のように見える。細かいひびだらけになった魔石はカッと一度眩く光った後、砂のようにさらさらと崩れ始めた。
淡い金色に変色した魔石が砂となって自分の手から零れていくのを神殿長は、これ以上ないほどに目を見開いて、唇を震わせながら凝視する。その間もわたしは魔力を神殿長に向って流し続けた。
「マイン、お前は何という……ごはっ!」
血走った眼でわたしを見た神殿長が、威圧を正面から受け、胸元を押さえて吐血する。このまま魔力を畳みかけていこうとした瞬間、ダームエルの苦痛に満ちた呻き声が聞こえた。
「うぐっ!」
振り返ると、ダームエルがその場に膝をついていた。手に力がなくなったのか、光るタクトが手から離れ、空気に解けるように掻き消える。ゆっくりとダームエルの体が傾いていき、その場に崩れ落ちた。
「ダームエル様!?」
慌てて駆け寄ると、苦しそうな呼吸音が聞こえたけれど、意識がなかった。「ダームエル様、ダームエル様……」と声をかけてみても、返ってくるのは呻き声だけだ。
「この程度の魔力で騎士とはお粗末な……」
ガマガエルがニヤァッとダームエルを嘲りながら、フンと鼻を鳴らした。
このままではダームエルが危険だ。わたしが助けを求めて辺りを見回すと、三人いた敵側の男達はフラフラしている最後の一人を残すところになっていた。
父が男の後頭部をつかんで、バスケットボールでダンクシュートするように、床に叩きつける。白目を剥いて意識を失った男をその場に放置して、父は力の入らない左腕を庇うようにしながら、わたしの方へと向かってきた。
「マイン!」
「父さん……」
フランも男達との戦いの中で負傷したらしく、貴族門へと続く扉にもたれて荒い息を吐いていた。
わたしの威圧に当てられた神殿長はその場でうずくまってゴホゴホと吐血していて、側仕えらしい灰色巫女は神殿長の周囲でおろおろしている。デリアはぐったりとしたディルクを抱きしめたまま、動かない。
大した怪我もなくその場に立っているのは、わたしと伯爵だけ。そんな混乱に満たされた状況で、突然、神官長の部屋の扉が開いた。
不在だと言われていたはずの神官長が出てきて、廊下の惨状を目にして、ぎょっと目を見開く。
「一体何事だ!?」
確かに、部屋から出た途端、一見死体にしか見えない怪我人がゴロゴロしていれば、誰だって驚くだろう。しかし、部屋の外でここまで大騒ぎをしていて、何故、部屋から出てきた神官長は気付いていないのか。そちらの方が不思議だ。
「アルノーは不在だと言ったはずだ。何故ここにいる!?」
「何故と言われても……。アルノーには不在だと言うように、と言っておきました。実際部屋に来られても会えなかったのですから、嘘は吐いていません」
神殿長のひっくり返ったような声に、神官長は涼しい顔でそう言った。あの部屋の中にいたのに、会えなくて不在ということは、間違いなく説教部屋に籠っていたのだろう。魔力で出入りするあの部屋は完全に隔離されているようで、外の喧騒は全く聞こえてこないのだ。
神官長は軽く眉を上げながら、辺りの様子を見回す。目が合った瞬間、軽く睨まれて、わたしはそそっと父の後ろに隠れた。魔力を暴走させたのが、バレたかもしれない。椅子に縛り付けられて、痛怖い話をされる恐怖に息を呑んでいると、神官長はこめかみを押さえて、神殿長へと向き直った。
「神殿長、私のことより、この事態の説明をしていただきたい。見覚えがない者が神殿内に入っているようですが、彼は一体何者ですか?」
しかし、神殿長は神官長からの質問に答えようとはしない。口を噤んで睨み返すだけだ。視線を向けられた伯爵の手にはすでに光るタクトはなく、傲慢な表情で腹を揺らして、神官長を見た。
「神官相手に名乗る必要があるか? 私は正当な許可をもらってこの場にいる」
「その許可証を見せていただきたい」
「何故、神官長風情に見せねばならない?」
騎士団におけるやりとりで、神官長はかなり地位が高いとわたしは認識していたが、他領から来ている伯爵にとっては神殿にいる者という認識しか持っていないようで、ずいぶんと高圧的な態度である。
「ここにいるのは他領の貴族だ。まさか領主不在時に事を起こすつもりか?」
そんな伯爵の態度に感化されたのか、ゲホゲホと顔を歪めて吐血していた神殿長も口元を拭って、高圧的な言動を取り戻し、立ち上がった。
「事を起こしたのは、神殿長ではないですか。領主不在の今、許可が下りるはずがないのですから」
「ま、前々からもらっていたのだ。よって、事を起こしたのは儂ではない。神殿の平和を乱し、貴族を攻撃したのはマインだ。責任があるとすれば、マインしかいない。貴族への反逆罪として即刻捕えよ」
神殿長が憎々しげにわたしを指差した直後、ゴホッと血を吐き出した。
「こ、これを見よ。一度ならず二度までも、あれは儂に魔力で攻撃したのだ。悪意なくできるわけがない」
「あぁ、私も攻撃されたぞ。青の衣を与えられただけの平民が、貴族たる私に魔力をぶつけたのだ。罰せられるべきは、その子供だろう」
伯爵がわたしを見ながら、ぐふぇふぇと気持ちの悪い笑い声をあげた。シキコーザの時にもあった貴族の理論だ。平民は決して逆らうべからず。
「さぁ、マインを捕えろ。魔力を発動できぬようにしてしまえ」
神殿長の声に神官長が軽く息を吐いて、わたしと父の方へと歩いてくる。父がわたしの手を取って、ぎゅっと握った。
「マイン、また魔力を暴走させたな」
「非常事態だったんです」
「そのようだな。この有様を見ればわかる」
神官長は小さく呟きながら、わたしを同情の籠った悲しげな目で見降ろした。それは、神官長がわたしを庇うことができないことを示している。
「……神官長、わたくしは罪に問われますか?」
「あぁ、神殿長と他領の貴族が相手だからな。君だけではなく、君の家族も、側仕えも罪に問われることになるだろう」
神官長の言葉にわたしは「ごめんね、父さん」とそう言いながら父を見上げた。父はクッと小さく笑いを漏らした。
「マインが神殿に入る時に死ぬ覚悟はしていた。今回も同じだ」
「もういっそ、中途半端な魔力じゃなくて、神官長が出てくる前に神殿長と『ガマガエル』を殺して埋めて証拠隠滅できるだけの力があればよかったのに」
冗談めかしてわたしが肩を竦めると、神官長もわずかに頬を歪めた。「残念ながら、君は迂闊だから、証拠隠滅は無理だ」と。
「ハァ。……ジルヴェスター様のお守り、効果ありませんでしたね。助けてくださるって、おっしゃったのに」
わたしはするりと首元の鎖を引っ張り出した。黒い石の中央で変わらず金色の炎が揺らめいているけれど、何の変化もない。
神官長が信じられないものを見るように、ネックレスを見つめる。
「マイン、これはどうした?」
「下町の森で行った狩りが楽しかったようで、ジルヴェスター様がお礼にくださったんです。お守りだって」
「なるほど。これは強力なお守りになるな」
神官長の言葉に、わたしは目を瞬く。神官長がはっきりと断言するほど、強力なお守りだったらしい。疑ってごめんね、と心の中でジルヴェスターに謝っておく。
「……だが、君達が覚悟を決めればの話だ」
神官長はそう言って、わたしと父を交互に見た。
「何の覚悟ですか?」
「養女となる覚悟だ」
「カルステッド様の養女ですか? それなら……」
もう覚悟してますよ、と言いかけたわたしに、神官長は首を振った。
「カルステッドではなく、ジルヴェスターの養女だ」
頼りがいのあるカルステッドではなく、何をするかわからない中身が小学生男子のようなジルヴェスターの養女。あまりにも予想外で、わたしは何度か目を瞬く。
だが、わけはわからないけれど、ジルヴェスターはわたしを助けたいと思ったから、このお守りをくれたのだ。家族も側仕えも含めて、わたしと繋がる人を守ってくれるならば良い。
「……それで、皆を助けてくれるなら、進んでなります」
「マイン!」
父は目を見開いて、声を上げたけれど、わたしはゆっくりと首を振った。
「ごめんね、父さん。でも、わたしも皆を守りたいの。許して」
「君に覚悟ができたならそれでいい」
そう言いながら、神官長はわたしに指輪を手渡した。黄色の石がはまった指輪がわたしの手のひらに落ちてくる。さっき壊れてしまった証拠品の指輪の魔石とは大きさも透明度も違う。
「マイン、風に祈って守れ。お前の大事なものを、私の魔力から」
「神官長の魔力、から?」
思わぬ言葉にわたしは首を傾げて神官長を見上げると、神官長は今までに見たことがないほどに凶悪な顔でニヤリと笑った。
「あぁ、扉を開けると魔力が漏れて面倒なことになるから、扉の外に魔力が漏れないように、扉を覆う形で風の盾を作れ。せっかくの大義名分だ。この機会に邪魔者を排除する」
どうやらガマガエルと神殿長に頭から押さえこまれた状況は、神官長にとって非常に不愉快なことだったらしい。一体どんな大義名分を得たのか知らないが、愉しそうに唇の端を上げて、くるりとわたしに背を向ける。
「マインの魔力を封じたか?」
「魔術具を与えました」
「そうか。ならば、このような危険人物は領地外へと放り出した方が良かろう」
神官長の言葉を勝手に解釈して、顔を輝かせた神殿長を、神官長はフッと鼻で笑った。するりと光るタクトを取り出した神官長が、神殿長を見据えてタクトを構える。明らかな敵対の姿勢だ。
「な、なんだ?」
神官長が何か唱えながらタクトを振ると、タクトから出てきた光の帯が神殿長に巻き付いて、ぐるぐる巻きにしていく。細長い達磨のようになった神殿長が、ギリッと歯を噛みしめた。
「神官長、これは一体何の真似だ?」
「今、死なれては後で困る。それだけだ」
「……死?」
物騒な言葉に眉を上げる神殿長を放置して、神官長はガマガエルへと向き直った。伯爵は目に見えて狼狽しながら、神官長が持っている光るタクトを指差す。
「何故、神官がそんな物を持っているんだ!?」
「それはもちろん、私が貴族院を卒業した貴族だからに決まっているではないか」
光るタクトは貴族院を卒業した証のような物らしい。神殿で育つはずの神官ならば、光るタクトを持っているはずがない。他領の貴族が知っているわけがないけれど、神官長は神殿育ちの神官ではないのだ。
「では、お相手を願おうか、ビンデバルト伯爵」
「何故、私の名を……」
「領主の許可なく街に入ろうとして失敗し、騎士団の世話になった者の名を私が知らないはずがなかろう」
神官長は全部知っていて、ガマガエルに名前や事情を聞いていたらしい。相変わらずイイ性格をしていると思う。
「この領地を出れば、自分だけは安全だと思っているのかもしれんが、大義名分を得た今、私が簡単に逃がすと思うな」
「大義名分、だと?」
タクトに向って神官長の魔力が流れ込んでいく。
神官長が光るタクトを持ち出したことに目を見開いていた伯爵も流れ込んでいく魔力を感じて、狼狽しながら自分のタクトを構える。
わたしは神官長の魔力の大きさを感じて、うひぃっと息を呑んだ。先程のガマガエルの魔力など比較にならない。
「父さん、すぐにダームエル様をフランのいる扉のところまで運んで!」
わたしは父にそう頼んで、バタバタとフランの元へと駆け寄る。わたしが近寄ると、フランは顔を歪めながら立ち上がろうとした。
「フラン、動いちゃダメ! 座って!」
遠目にはよくわからなかったが、小さい傷やあざがあちらこちらにできている。
「フラン、ごめんなさい。大丈夫?」
「このような事態は慣れておりませんので、お役に立てず申し訳ございません」
戦闘訓練など受けていない、暴力はダメだと教え込まれている灰色神官が、こんな事態に慣れているわけがない。巻き込んだわたしの方が悪い。
「謙遜するな。俺の動きの邪魔をせずに、時折切りかかれたじゃないか。目が良いんだろう。鍛えれば、強くなれるぞ」
ダームエルを担ぎ上げた父が扉の方へとやってきて、フランを労う。足元に寝かされたダームエルとフランと父を背に守るように一歩前に出て、わたしは指輪に魔力を流し込み、祈り文句を唱える。
「守りを司る風の女神 シュツェーリアよ 側に仕える眷属たる十二の女神よ 我の祈りを聞き届け 聖なる力を与え給え 害意持つものを近付けぬ 風の盾を 我が手に」
扉と自分達を包むように風の盾を作り上げる。わたしがこうして魔力を使っているところを見たことがなかった父は呆然としたように呟いた。
「マイン……」
光るタクトへと注ぎ込まれていく神官長と伯爵の魔力が、まだお互いに放ったわけでもないのに、あちらこちらで触れ合ってバチバチと火花を散らした。盾に向って飛んできた火花が風に触れて、パンと弾ける。
「大丈夫。守るから」
膨れ上がる二人の魔力がまるで全方位に向う威圧のようになって、何の守りもない神殿長達は飛び散る火花にその場から動けないように震えている。
デリアだけはディルクを守るようにきつく抱きしめて、安全な場所を探し始めた。わたしが作り出した風の盾を見て、デリアはディルクを抱えて、よろよろと立ち上がる。
「お願い、マイン様、助けて。ディルクを助けてください!」
神官長達からの魔力の圧力に、わたしは神官長から借りた魔石に魔力を注ぎ込んで、硬い風の盾を維持するのが精一杯だ。デリアとディルクを助けに行ける余裕なんて全くない。
「助けてほしかったら、自分で盾に入ってちょうだい。わたくしは動けません」
飛び散る魔力の火花にディルクが触れないよう、大事に自分の腕の中に抱え込んで、デリアが魔力の威圧を必死に撥ね退けながら、重そうな動きでこちらに向って動き始めた。
「マイン様、デリアを助けるのですか?」
「助ける余裕なんてありません。盾に入れるならば、入れば良いというだけのことです」
「ですが……」
不満そうなフランにわたしは軽く目を伏せた。
咎めたくなるフランの気持ちもわかるけれど、ここで神官長達の魔力に晒されて、二人まとめて死んでしまっても当然だとまでは思えない。特にディルクなんて、勝手に契約されて、勝手に魔力を吸い取られて、死にかけているのだ。
わたしの説明にフランは困ったような顔で、「絆されないでください」とだけ呟いた。
デリアがじりじりと動いて、盾の中に入ってきた。力尽きたようにその場に座り込む。それでも、ディルクを離そうとしない。紅の髪をふわりと揺らし、デリアが座ったまま、わたしを見上げた。
「マイン様、ありがとうございます」
「デリア、わたくしは二人に死んでほしいわけではないから、盾に入るのは構わないけれど、行動を許したわけではないから。それは忘れないでちょうだい」
「……はい」
デリアが風の盾に入れたのを見て、言動が許されなくても、命だけは助けてもらえると思ったらしい。神殿長の側仕え達が同じように中に入ってこようとした。
「マイン様、私達も入れていただいてよろしいですか?」
「入れるならどうぞ」
「恐れ入ります」
ただし、風の盾に入れたのは三人のうち、一人の灰色巫女だけだった。あとの二人は盾に弾かれ、風に吹き飛ばされていく。
「……きゃっ!?」
「いやぁっ!?」
風の盾の中、灰色巫女とデリアが飛ばされていく巫女を見て、目を瞬いた。
「……どうして?」
「害意あるものは入れないのです」
彼女達が入れなかったのは、わたしのせいではない。盾に守られている者に害意を持つものは入れないことになっている。神殿長に魔力を当てたわたしか、同僚である灰色巫女を足蹴にした父か、先に助けられたデリアやディルクか、誰かに対して害意を持つものは入れないのだ。
神官長の魔力が大きく膨れ上がり、何かを呟くように口元が動いた。一触即発という状態で、背後の扉がギギッと音を立てて開く。
「待たせたな、マイン」
ニッと笑ったジルヴェスターとカルステッドが入ってくると同時に、神官長と伯爵の魔力がタクトから飛び出した。
「な、何事だ!?」
「二人とも、すぐに盾の中に入って、扉を閉めてください!」