Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (17)
メソポタミア文明、万歳
今日は初めて自分の足で森へ出かける日だ。
石板の入ったトートバッグではなく、みんなよりはちょっと小ぶりの籠をわたしも背負って、土を掘り返すための木べらにしか見えないスコップを持った。
ぶっちゃけ、この木べらで土を掘れって、こどものおもちゃであるプラスチック製のスコップより頼りないと思うのは、わたしだけだろうか。
すぐに壊れそうに見える木べらスコップをブンブン振り回していると、父がガシッとわたしの肩を掴んだ。森に行くと決まってから、耳にたこができるほど聞いた台詞を繰り返す。
「マイン。今日は森へ行って、帰ってくるだけだ。帰りはみんな荷物が多いし、疲れている。マインは森で休憩して、みんなと帰ることを目的にするんだ。わかったか?」
「わかってる」
わたしの返事だけだと不安なのか、もう何回も聞いたよ、という心情が透けて見えているのか、父は苦い表情のまま、トゥーリを振りかえった。
「トゥーリ、大変だと思うが、頼むぞ。閉門までにマインが帰ってこられるようにルッツともよく相談してくれ」
「うん。今日は早目に切り上げるよ」
責任感溢れるトゥーリが、父に頼まれたことで使命感に燃えている。今日のトゥーリはちょっと厳しそうだ。
外に出ると、すでに何人か子供達が同じように籠を背負って集まっていた。わたしとあまり体格が変わらない子から、トゥーリやフェイのようにちょっと体格が良い大きめの子まで8人がいる。
ピンク頭のフェイが先頭で、トゥーリが最後尾を歩く。わたしは歩き始めた時には先頭で、到着の頃にはだいたい最後尾になっている。
「じゃあ、マイン。行くぞ。ペースを崩さないようにな」
門までは普通に歩けるようになったわたしだが、森まで歩くのは初めてだ。そして、わたしのペースメーカーはルッツだ。
約三月の間、家と門を歩くうちに、ルッツはいつの間にか、わたしに無理させないスピードを習得していたらしい。最近、無理せずに歩けているのはルッツのお陰だ。
「ありがとう、ルッツ」
「いや、マインにはウチも世話になってるからな」
この間、ルッツの家でパルゥの搾りかすの最終処分があった。雪の中でしか採れないパルゥは、暑くなると一気に悪くなってしまうらしい。
そこで、普段のお礼&これからもよろしくの付け届け代わりに、オカラで量増しするオカラハンバーグならぬ、パルゥバーグを教えてあげたのだ。
パッと見た感じは黄色のパプリカだが、中身はトマトっぽい味のポメを煮詰めてソースにし、チーズも乗せて完成させた。パルゥの優しい甘みが味に思わぬ深みを出していて、作ったわたしがビックリの出来だった。
ちなみに、ルッツを始め、お兄さん達はマジ泣きしていた。おいしいことはもちろん、食べられる量が普段の倍だったことに感動したらしい。
カルラおばさんにも「マインの料理は家計に優しい」と感激された。確かに、あれだけ食べる男の子が4人もいたら、エンゲル係数がすごいよね?
「なんで、あのパルゥバーグ、冬の間は教えてくれなかったんだよ?」
「新鮮なお肉がなきゃ、ミンチにできないでしょ? それに、ミンチにするの、大変だから。協力してくれるかどうかわからなかったし……」
「あ~、あれは大変だけど、マインの料理のためなら頑張れるな」
わたしは、肉をミンチになるまで包丁で叩き続けられる体力がないし、大変なことがわかっていて母に作ってほしいなんて言えなかったので、今までハンバーグっぽいものは食べられなかった。ルッツの家でみんなに作ってもらえて、一緒に食べられてラッキーだったと思っている。
そんなお喋りをしながら、森まで歩く。お喋りをしながら歩いた方が楽しく長く歩けるのだが、到着した後の疲労感は半端ない。
みんなが採集している間、わたしはちょっと大きめの石に座って、疲労回復だ。
石に座って、荒い息を繰り返すわたしを心配して、背中をさすりながら、ルッツが言った。
「もうじきフェイとトゥーリも洗礼式だから、マインも早く森に慣れないと困るぞ」
「……なんで?」
トゥーリの洗礼式があるのは、服を作ったり、髪飾りを作ったりしていたから知っていたが、洗礼式の後、具体的に何が変わるかは、理解できていなかった。
「トゥーリも洗礼式が終わったら、見習い仕事を始めるだろ? そうしたら、週の半分は森にマイン一人で行かなきゃならないんだから」
ルッツに指摘されて、わたしは大きく目を見開いた。
トゥーリが見習いとして仕事を始めるということは、わたしがトゥーリの代わりに手伝わなければならないことが増えるということだ。
「ど、どうしよう……。ちゃんと考えてなかった」
マインが病弱で、何に関してもトゥーリが世話を焼いてくれるおねえちゃんだったから、今まで平穏に暮らしてこられた。トゥーリがいなくなったら、わたしは多分生活できない。
血の気が引いたわたしに、ルッツが、へへっと笑って鼻を擦る。
「まぁ、トゥーリがいなくても、マインのことはオレが守ってやるよ。マインは弱っちいからな」
「ありがとう、ルッツ。じゃあ、お願いするね」
「あぁ。オレは薪拾いに行ってくるから、マインはちゃんと休憩してろよ。帰れなくなったら困るだろ?」
そう言って、ルッツが薪拾いに行った。
ルッツの足音が遠ざかり、周囲に誰もいなくなると、わたしは早速スコップもどきの木切れで穴を掘りはじめた。
今日のわたしの目的は「森に行って帰ってくる。できれば、熱を出さない」である。それはわかっている。
だがしかし!
森に来て、何の挑戦もせずに帰ること出来ようか。いや、出来ない!
掘るよ、掘るよ、ガンガン掘るよ!
粘土質の土が欲しいけれど、さて、どれくらい掘れば取り出せるのだろうか。地質が地球と同じようなものだと仮定した上で、結構深く掘らなければ、粘土質の土に行きつかなかったような気がする。
「ていっ!」
土を掘るために、スコップを突き刺す。ガッと力一杯やってみた。
けれど、スコップという名の木切れの先は1センチも刺さらなかった。
固っ!
え? これって掘れるの?
まるでよく踏み固められた運動場の土を掘り返す気分だ。森の土って水気も多くて、柔らかめってイメージがあったのに、完全に裏切られた。
土が悪いのか? それとも、スコップが悪いのか?
うん、スコップだよね。
わたしが知っているスコップと雲泥の差がある。木製じゃなくて、せめて、金属製のスコップが欲しい。
だが、スコップが木製だろうが、土が固かろうが、柔らかかろうが、わたしに諦めるという選択肢はない。なかなか進まなくても、とりあえず、もそもそ掘っていくしかないのだ。
ザリザリザリザリ……
木切れスコップでちょっとずつ土を削っていく。
粘土質の土を掘り出すというのは、かなり根気と力の要りそうな作業だ。今日一日ではとてもできそうにない。
粘土板を作るのも結構大変そうだ。パピルスもどきより楽にできることを祈るしかない。
ザリザリザリザリ……
5センチほど掘れたところで、誰かの足音が近づいてくる音がした。
「マイン、何やってんだ?」
両手にいっぱい木切れを拾ってきたルッツが、地面に座り込んでスコップを動かすわたしを見つけて、目を見張った。
「今日は森の中で疲れるようなことはしない約束だろ!?」
確かに、家を出る時に約束をさせられたけれど、目の前にあるとわかっていて、我慢はできない。ルッツが戻る前に止めるつもりだったが、やり始めたら止められない。
……ど、どうしよう?
父なら笑顔とハグで誤魔化せるが、ルッツはトゥーリがお目付役に任命するだけあって、そんなものでは誤魔化せない。
誤魔化そうとしたら、逆に疑いの目を深められて、より一層厳しく問いただされるのは経験済みだ。
「あ、あの……でもね、ルッツ」
「……でも、どうした?」
ルッツが眉間に深い皺を刻んで、両手を腰に当てて、見下ろしてきた。
尋問開始の合図だ。
さて、素直に吐いて、ルッツに協力を求めて「この考えなし!」と怒られるか、誤魔化そうとして失敗して「この俺にマインの嘘が通ると思うな!」と怒られるか、どちらがダメージは浅いだろうか。
「休憩していろと言ったはずなのに、一体何をしてるんだ?」
「……あ、ああ、穴掘ってますっ!」
仁王立ちして怒りのオーラを振りまくルッツに、つい本当のことを零してしまった。
だって、ルッツ、怒ったら怖いんだもん。
下手したら、わたし、閉門までに帰れなくなっちゃう。
「見ればわかる。なんで掘ってるんだよ?」
一応正直に答えたはずなのに、ルッツの怒りは倍増した。見下ろす視線がものすごく冷たくなった。
「えーとね、そのね、『粘土質』の土が欲しいの」
「え? 何が欲しいって?」
ルッツが理解できないというように、首を傾げた。怪訝そうな表情になった分、怒りがちょっと薄れたようだ。
「ぎゅっと詰まってて、べたっと重い感じの水はけの悪い土が欲しいの」
「……それなら、ここじゃなくて、あっちの木や草が少ないところの方が多いぞ?」
粘土質は水はけ悪くて、植物が育ちにくい土だから、植物の少ない方を探した方が確かに効率的だ。
「ルッツ、ありがと!」
「こら! マイン、ちょっと待て!」
そそくさと移動しようとしたら、ルッツに首根っこを引っ掴まれた。体格も力もわたしとルッツでは比べ物にならないので、逃げ出すことなんてできやしない。
「ルッツ、離して」
「今日のマインの仕事は休憩だ。この耳には聞こえないのか? 今すぐに集めなければならないほど必要な物なのか?」
ギュギュッと耳を引っ張られて、わたしはわたわたと腕を振り回しながら叫んだ。
「痛い! 痛い!……だって、生活には関係ない、わたしだけが欲しい物だもん。トゥーリにも誰にも頼めないでしょ!」
うぅ~、と耳を押さえながら、涙目でルッツを睨むと、ルッツがわずかにたじろいだ。
わたしに反論されるとは思っていなかったのか、基本的に物に執着しないわたしの本への愛を恐れたのか、よくわからない。
ただ、本能がこの隙を逃すな、とわたしに言っている。今が攻め時だ。
「わたしがおとなしくしていたら、ルッツが掘ってくれるって言うの!?」
「……今日の分の薪を拾い終わったら、オレが掘る。だから、マインはおとなしくしてろ」
予想外の返事にわたしは思わず固まってしまった。ポカーンとしたまま、ルッツを見つめるしかできない。売り言葉に買い言葉とはいえ、ルッツはもしかして、馬鹿じゃないだろうか。
全く関係のないわたしの粘土板作りを手伝うより、少しでも多く採集した方がいいはずだ。
「ルッツ、あの、気持ちは嬉しいけど、ルッツは自分のこと、した方がいいよ?」
「マインは弱っちくて、土を掘るなんて出来るわけないんだから、オレがやる。その代り、土を何に使うのか、マインが何をしたいのか、ちゃんと言え」
「……なんで?」
「マインが何をしたいのかわかってたら、無駄が省けるから。今だって、欲しい土がはっきりしているのに、見当違いなところを掘ってただろ?」
うっ、痛いところを突かれた。
確かに、わたしの場合、目的は明確でも、ここでの名前がわからなかったり、日本で見た物と見た目が違っていて気付けなかったり、道具が手元になくて、迷走することが多々ある。
きっちりと指摘してくれたお陰で、ルッツの手伝ってくれるって言葉が勢いで出ただけってわけではないことがわかったけれど、手伝ってくれる理由がわからなくてもやもやする。
「なんで、ルッツはわたしを手伝ってくれるの?」
「ん? オレがすっげぇ腹減ってた時に、パルゥケーキ作ってくれただろ? あの時にオレ、マインのこと、手伝うって決めたから」
え? それだけ?
それだけで、粘土掘れちゃうの?
おいしい物の効果ってすごいね。
ぶっちゃけ、ホットケーキ一つでこんな重労働をしてくれるルッツの心境は全く理解できないが、わたしにとっては助かる言葉だ。
本人がやると言っているのだから、遠慮なくルッツに手伝ってもらおう。特に体力的なことは全面的に頼らせてもらうのが一番だ。
「……じゃあ、ルッツに任せる。わたしは待ってるね」
「ん。すぐにやること終わらせる」
本当にルッツはあっという間に薪を拾い集めてきた。
そして、わたしを水はけの悪い土のところに案内してくれる。森の中でも少し斜めになっている低いところだ。
「この辺りだな」
そう言いながら、ルッツはわたしが持ってきたスコップを手に取った。木べらのようなスコップでルッツが土を掘っていく。
「マイン。お前さ、こんな物を準備して持ってきてるってことは、出来心じゃなくて、最初から約束守る気なかったな?」
「ぅえっ!? そ、それは、その……えーと、やっと森に来られたから、我慢できなくて……つい。計画的に」
ひくっと顔を引きつらせたルッツが、感情を爆発させるように力一杯スコップを地面に突き刺した。
「くっそぉ、これだからマインはおとなしそうな顔してるのに、油断できないんだよ!」
「ルッツも油断してていいのに……父さんより鋭いんだから」
「おじさんはお前に甘すぎだ!」
怒りに任せて掘るルッツはわたしと違って、ただの木べらで土が掘れてしまう。ザリザリと削っていたわたしと違って、ガッガッガッと土が抉れていくのが不思議で仕方ない。
これは力の差? 力の入れ方? 何かコツがあるの?
「あれ? 土の色が変わった?」
ルッツが15センチほど掘ったところで、土の色が変わった。
「欲しいのって、これか?」
少し掘り出してくれた土を握ってこねてみる。ひやっとしていて、べたっと重くて、手の中で形を変える土。わたしが探していた粘土で間違いない。
「これ! わたしだけだったら、きっと何日もかかったよ! すごいね、ルッツ。力持ちだね」
「マインより力のない男なんていない」
そう言いながら、ルッツは粘土質の土をどんどん掘りだしていく。
わたしは積み上がる粘土に目を輝かせながら、大きな石の上に少しずつ運んでいった。これでどれくらい粘土板ができるだろうか。
そう考えただけで、この土くれが愛おしくさえ思えてしまう。
「で、これをどうするんだ?」
「んふふ~、『粘土板』作るの」
「ネンドバン?」
「そう」
ルッツの汗の結晶である粘土質の土を、ぐにぐにこねこねして、わたしは薄い粘土板を作っていく。
できあがった粘土板に、近くに落ちていた細い木の棒で、母親が寝物語に教えてくれた民話を日本語で刻みつけていく。
できることなら、ここの文字で書きたいが、オットーが教えてくれる単語は仕事に関係する物ばかりだ。貴族の役職や紹介状の定型文が書けるようになったのに、未だに日常で使う言葉が書けない。
「マインが書いているのって、文字か?」
「うん、そう。こうやって記録しておくと、忘れてもまた読んで思い出せるんだよ。記録ってすごいよね。そんな記録が延々とつづられた本って、もっとすごいよね」
「へぇ……」
「ルッツ、粘土掘ってくれてありがとう。何か集めるなら、行ってきていいよ? わたし、ここで書いてるから」
「わかった」
今、書いているお話は、雰囲気的には『小人の靴屋 異世界編』って感じの話だ。粘土板一枚にびっしりと文字を刻んでも、全部で粘土板10枚に及ぶ大作になった。
「やったぁ。できたー!」
最後まで書き切って、「完」の字を書きつけたわたしはやりきった感動に打ち震える。
すごいよ、粘土板!
できたよ、粘土板!
偉大なるメソポタミア文明、万歳!
この粘土板を竈で焼いて、崩れないようにすれば本当の意味で完成だ。グッと棒を握ったまま、今まで書いてきた粘土板をくるりと振り返った。
「ぎゃあああああああっ!」
次の瞬間、わたしはムンクの叫びのように頬に手を当てて絶叫した。目の前の信じがたい光景に頭の中が真っ白になる。
採集物を抱えて、籠のところに戻ってきていたルッツが、大慌てでわたしのところへと駆け寄ってきた。
「どうした、マイン!?」
「フェイが踏んだっ! ぐちゃぐちゃになってっ!……うわーんっ!」
わたしが一生懸命に書いたお話の前半が、半分以上、フェイとその子分達に踏まれてぐちゃぐちゃになっている。足跡だらけで、形も完全に崩れていて、当然文字なんて読めるはずがない。
「せ、せっかくできたのに……ひどいっ……ぅえーんっ! 森に来るまでどれだけかかったと思ってるの!? この病弱な身体に体力をつけるのにどれだけ苦労してると、思って……。ルッツもトゥーリも巻き込んで、やっと完成したのにぃっ! フェイの頭のピンクは脳内お花畑で考えなしのピンクなの!? バカバカバカ! ぅあああぁぁぁん!」
精神的にいい年した大人がみっともないかもしれないが、大泣きした。涙も嗚咽も止められない。精神はともかく、わたしの見た目は幼女なので問題ないということにしておこう。
わたしの絶叫にトゥーリが血相を変えて走り寄ってきた。周りから前後の状況を聞いて、わたしを宥める。
「マイン、そんなに泣いちゃダメよ。みんな悪気があったわけじゃないんだから、ね?」
悪気があろうとなかろうと、ぐちゃぐちゃになった粘土板が戻るわけではない。せっかくの完成品を踏みにじられたわたしの恨みと怒りは、トゥーリの言葉では全然おさまらない。
「やだ! 絶対に許さないっ!」
ふーっ、ふーっ、涙と鼻水と流しながら、わたしの剣幕にビクビクしているフェイ達を睨みつけていると、ルッツがトントンと背中を叩いた。
「作り直せばいいだろう? その、オレも手伝うし、あいつらだって悪いことをしたと思っているんだから手伝ってくれるって、な?」
「あぁ、手伝う! 悪かったって」
ルッツの取りなしにすがるように、フェイとその子分達がカクカクと首を振って、協力を約束した。
「……わかった。もう一回作る」
ひとまず粘土板は完成したんだから、方向性は間違ってなかった。
パピルスよりは簡単に完成したことで満足しておこう。
けれど、フェイとその子分達に釘をさすのは忘れない。
「二度目があると思わないでね」
子供達の間で噂される「絶対に怒らせてはいけない相手ランキング」で、わたしはしばらくぶっちぎりトップに輝いていたらしい。