Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (171)
閑話 私とフラン
私はアルノー、神官長の筆頭側仕えをしております。年は22歳になったのではないでしょうか。神官長の側仕えとなる前に私がお仕えしていたマルグリット様が亡くなられて5年ですので、22歳で間違いないと思われます。
神殿に余所の貴族が入り、大騒ぎがあり、領主がやってきて神殿長を更迭したのは、昨日のことです。全ての話し合いにおいて、私を含めて側仕えが全員人払いされていたので、まったく事情がわからないまま、夜が明けてしまいました。
「アルノー、これをギルベルタ商会に届けるように、マインの側仕えに言ってくれ。大至急だ」
「かしこまりました」
私が神官長から呼び出しのための招待状を受け取ったのは、朝食を終えた2の鐘が鳴るのとほぼ同時のことでした。このような時間から招待状を出し、色々と動き回っている神官長はほとんど眠っていないような顔をしています。
「他の者に昨夜の騒動に聞かれたら、後日まとめて説明する、と言っておけ」
「はい」
部屋を出る間際、神官長がそう言いました。
昨日は、神官長が工房に籠っている時にフランがやってきて、神官長に話がある、と言われました。「私は不在ということにしておけ」と言われていましたが、工房にいる神官長と連絡を取ることは、やろうと思えばできたのです。敢えて無視してみたら、部屋の外は大変なことになっていました。
融通が利かない、で済まされましたが、敢えて無視をしたと知ったら、フランはどのような顔をするでしょうか。
「おはようございます、フラン」
井戸で水を汲んでいるフランとギルを見つけて、近付きます。マイン様のところは人手不足が深刻なのでしょう。筆頭側仕えがこうして雑務に追われるのですから。デリアが抜けた大変さを目の当たりにして、私はうっすらと笑みを浮かべました。
汲み上げた水をギルの持っている桶に流し入れ、フランは驚いたように私を見ます。今ではマルグリット様もがっかりなさるくらい上背が伸びてがっちりした体格になっていますが、こうして軽く目を見張ると、マルグリット様にお仕えしていた頃の華奢な少年だったフランの面影が色濃くなります。
「おはようございます、アルノー。こんな時間に一体……」
「神官長のお使いです。この招待状を大至急ギルベルタ商会に届けて欲しいとのことです」
フランは私が差し出した招待状を手に取ると、すぐにギルに渡しました。
「かしこまりました。ギル、着替えてこれを……」
「わかった。すぐに行く」
ギルが片手に招待状、もう片手に水の入った桶を持って、部屋の方へと急ぎ始めました。あのとんでもない悪戯小僧が普通の側仕えのように働いている姿を見るのは、不思議でなりません。
「人数が少ないと大変ですね」
「今日から増えることになっているので、少しは楽になる、と思いたいです」
デリアが抜けたので、新しい側仕えを入れるようです。もうしばらく苦労していても良いのですが、と思いながら、私はフランに背を向けました。
「では、よろしくお願いします」
部屋へと向かっていると、騒ぎがあったことを知っている青色神官のエグモント様が私を見つけて駆け寄ってきました。
「アルノー、昨日は一体何があったのだ!? 神殿長のお部屋は鍵も閉まっていて、扉の前に立つ灰色神官もおらぬし、誰に聞いても全く事情がわからぬ。神官長ならば何か知っているだろう!?」
神殿長の取り巻きで、神殿長といる時は時折尊大な態度を神官長にとっていたエグモント様に唾が飛ぶほどに間近で怒鳴られました。私は顔を拭いたいのを我慢しながら、神官長に言われた通りの言葉を返します。
「後ほど、まとめて説明されるそうです。残念ながら、私も人払いされておりまして、詳しくは存じません」
「詳しくは、と言うならば、少しは知っているのではないか! さぁ、何があった!?」
「罪状まではよく存じませんが、領主様と騎士団がいらっしゃって、神殿長は捕えられたようです。本当に何があったのでしょう?」
首を傾げながら様子を伺うと、エグモント様は真っ青になっています。尊大な態度をとれたのは神殿長がいたからです。いなくなれば、神官長が神殿長になるでしょう。エグモント様の立場はどう変わるのでしょうね。溜飲が下がって、すっきりしました。
部屋の近くまで戻ると、神官長が側仕えであるザームを連れて、どこかへ向かっているのが見え、私はそちらへと足を向けました。
「神官長、どちらへいらっしゃるのですか?」
「今日は葬式があるはずなのだ。礼拝室へ行ってくる。アルノーはギルベルタ商会を迎える準備を頼む」
この神殿の礼拝室へ向かう葬式は基本的に平民のもので、死亡の届け出に青色神官が顔を出すことはほとんどありません。何故、神官長がわざわざ向かうのでしょうか。疑問に思いつつ、私は部屋へと戻り、来客に対応できるよう準備を整えます。
しばらくすると、裏門の方からギルベルタ商会の馬車が来たと連絡が入りました。私はギルベルタ商会の面々を出迎えるため、正面玄関へと向かいます。
「お待ちいたしておりました」
神官長はよほど秘密裏に物事を進めたいのか、この会合でも側仕えを排しました。本当に、一体何が起こっているのでしょう。午後にはマイン様のお部屋を訪れると予定を告げられている以外、私も何も知らされていません。
「アルノー、行くぞ」
「はい」
昼食の後、私は神官長の言葉に従い、渡された数枚の植物紙を重ねて持ち、先に立って歩き始めました。
神官長はいつもに増して眉間に深い皺を刻み、難しい顔をしていらっしゃいます。自分の中で納得できないことがある顔ですが、何も知らされていない以上、私があれこれ考える必要もないでしょう。
回廊を歩き、孤児院長室の前に立つと、前孤児院長マルグリット様の側仕えであった頃の感覚に戻ってしまうのでしょうか。孤児院長の部屋の前で自分が来訪のベルを鳴らすのが、未だに不思議な気がいたします。
手にしていたベルを鳴らせば、あの頃と同じようにフランが扉を開けました。
「ようこそおいでくださいました、神官長」
一階のホールの様子はマルグリット様がいらっしゃった頃とほとんど変わりません。同じ家具を使っているからでしょう。扉を開ける人物とホールの様子が変わらないせいで、更に過去の情景がありありと蘇ってきます。
懐かしさに目を細めている私のすぐ隣では、フランと神官長が話をしています。
「あれの様子はどうだ?」
「少し熱があるようですが、身支度は整えています。それから、おっしゃられていたように、側仕えは全員集めました」
フランと共に二階に上がると、思わずぐるりと見回し、マルグリット様の姿を探してしまいます。脳裏に浮かぶ黄金のように豪奢な髪に常に微笑んで細められている青の瞳。フフッと笑う唇の端にあるホクロが酷く妖艶で、たおやかな手で招かれるだけで心が高鳴ったものです。
しかし、私の記憶と違い、二階にいるのは、熱があるせいか、普段より少し顔色の良いマイン様と側仕え達でした。側仕えの中にあまり見たことがない少女が二人、緊張した面持ちでこちらを見ています。デリアの代わりでしょうか。まだ成人はしていないようなので、私との接点はほとんどないと思われます。
「その二人は?」
「モニカとニコラです。デリアの代わりにわたくしの側仕えとして召し上げる話を昨日していたのです。わたくしの身の回りのことと料理の補助をお願いすることになっています」
「そうか。では、これからのことについて話をする」
それから始まった神官長の話は衝撃的でした。正妻の手を逃れるため、平民だと偽って神殿入りしていただけで、マイン様は上級貴族の娘、ローゼマイン様だと言うのです。
平民の家族を何度も見たことがあるのに、何を、と思うより先に、あぁ、そういうことになったのだ、と事実をあっさりと受け入れてしまう自分がいます。神殿は青色神官の横暴が常にまかり通る場所です。貴族の理不尽さに何を言っても無駄です。彼らがそう決めたならば、それが正しいのですから。
マイン様、いえ、ローゼマイン様の側仕えも内心はともかく、すぐに「かしこまりました」と頷きました。彼らにとっては平民の主より上級貴族の主の方が理解しやすいでしょう。
「ローゼマインはこの夏に父親の館で洗礼式を行い、同時に領主と養子縁組をする。そして、領主の養女として、神殿長に就任する」
神官長の言葉にマイン様、あ、いえ、ローゼマイン様の側仕えは何度か目を瞬いています。言葉が聞こえていても、意味が理解できないような顔をしています。私も同じことです。
神殿に洗礼前の幼い貴族の子供が成人の青色神官を後見人として匿われたり、追いやられたりするのは、それほど珍しいことではありません。洗礼式で貴族の子供としてお披露目されるのですから、お披露目されない子供は洗礼前に神殿へと連れてこられるのが当然なのです。
ですから、上級貴族の娘が神官長を後見人として、隠されるように神殿で育てられたのだと言われれば、納得はできます。
しかし、さすがに、マイン様、いえ、ローゼマイン様が神殿長になると言われてもすぐに理解できません。
「神殿長は数々の不正で領主の不興を買い、すでに身柄を捕えられた。ローゼマインが領主の養女として神殿長に就任するまでは、私が一時的に神殿長の職務も受け持つ」
神殿長の職務も受け持つと言っていますが、すでに半分以上は受け持っておられたので、仕事量に大した違いはないでしょう。むしろ、細かい注文をつけられたり、文句を言われたりすることがなくなると思えば、実質的には仕事が減るのではないでしょうか。
「洗礼式までローゼマインは父親の館で洗礼式の準備と教育を受けることになる。洗礼式の後には神殿長への就任式を行うので、ローゼマインの側仕えはその準備に励むように。住居も神殿長室へと移ることになるので、整えるように。この部屋はギルベルタ商会など下町の者との会合の場として使うことになる」
わけがわからないというような顔をしている側仕えの中で、一番に立ち直ったのはフランでした。
「神殿長の就任式に必要な物は何でしょう?」
「衣装はこちらで手配した。神殿長の部屋をローゼマインが使えるように整えることが其方らの仕事だ」
フランはその言葉に頷き、書字板を取り出して、何やら書き込み始めました。神官長はローゼマイン様に視線を向けました。
「午前中にベンノと会談したのだが、印刷業を別の街に広げるため、余所の街の孤児院へ視察に行くことになっている。工房のことを知っている者を出さなけれならないのだが、誰を行かせる?」
ローゼマインが自分の側仕えをぐるりと見回し、期待に目を輝かせているギルにニコリと笑いました。
「孤児院の視察と工房の立ち上げならば、ギルにお願いしても良いかしら? 一番深く関わってきましたし、ギルベルタ商会の人達とも一番馴染みがありますから」
「はい、頑張ります」
てっきりフランを出すものだとばかり思っておりました。正直、街の外に出せるほどギルを信用し、重用していることが不思議でなりません。私が思っていた程フランは重用されていないのでしょうか。
「フランは部屋を整えるための采配を振るってもらわなければならないし、ニコラとモニカの教育もお願いしなければならないでしょう? フランの仕事を増やしてしまうけれど、ギルがいない間、工房の管理もお願いするわ」
「かしこまりました」
どうやらフランは残って大量の仕事に埋もれるようです。それはいい気味なのですが、フランのわずかに笑みが浮かんだ表情が気に障ります。
マルグリット様の側仕え見習いだったころと同じように、フランは今も青色巫女に仕える立場です。それなのに、あの頃より楽しそうにローゼマイン様の命令を受け入れています。マルグリット様の命令にはあれほど嫌そうに眉を寄せ、唇を噛んでいたのに。
「……これから先、ギルが工房を立ち上げるために余所に行くことが増えるなら、誰か灰色神官をここの孤児院の管理者にした方が良いかしら?」
「それはすぐに決める必要もないだろう。むしろ、洗礼式での楽師が必要だ。先々では茶会や宴のたびに必要になる。ロジーナをローゼマインの専属楽師として買い取ろうと思うのだが、どうだ?」
「マイン様、いえ、ローゼマイン様。ぜひ、ぜひお願いいたします」
ロジーナがわかりやすく顔を輝かせました。灰色巫女が貴族の下働きではなく、楽師として買われていくのは実に珍しいです。神官長が認める音楽の才能の持ち主なのでしょう。
「そうですね。気心が知れている者が側にいるのは心強いでしょうから、ロジーナを楽師とするのは構いません。ただ、わたくしが貴族街に移る時までは、フランのお手伝いをお願いいたします」
「ありがとう存じます」
成人していて、仕事をある程度覚えたロジーナが側仕えから抜けるのは、フランにとってかなり負担が大きいでしょう。祝福したいがしきれないというような苦い顔のフランを見て、思わず笑いそうになってしまいました。
「それから、これを。ベンノから君に」
書類を差し出されたローゼマイン様が目を通した後、眉を寄せました。
「わたくしが貴族街へと行く時にお菓子要員としてエラを一緒に連れて行くつもりだったのですけれど、フーゴ達もイタリアンレストランの貴族向けレシピを増やすため、イルゼのところに修行に出すらしいのです。ニコラとモニカでこちらの食事が準備できるかしら?」
「ローゼマイン様に出せるほどの腕ではございませんが、こちらで側仕えが食べる程度の物であれば大丈夫です」
ここの側仕えは料理までしなければならないそうです。一体どれほど人材不足なのでしょう。
目を瞬く私と違って、神官長はわずかに眉を寄せました。
「ローゼマイン、それほど悩まなくても、必要ならば側仕えを増やせばよかろう?」
「神官長、わたくしの収入で賄えるのは、これで精一杯なのです」
「馬鹿者。君は上級貴族の父を持ち、領主の養女として神殿長になるのだ。予算は増えるに決まっているだろう」
呆れたように神官長が言います。上級貴族の娘となり、神殿長となってもまだ自分の収入で全てを賄おうとしているローゼマイン様。すぐに意識が切り替わることはないようです。
しかし、ローゼマイン様が神殿長となるということは、フランが神殿長の筆頭側仕えとなり、建前上は神官長の筆頭側仕えである私の上に立つということではないですか。これは少し面白くないですね。マルグリット様の寵愛を得て、私よりも重用されていたことを思い出します。
……前言を撤回いたします。とても忌々しいです。神官長に見つからない程度の嫌がらせでは我慢できないくらい、腹立たしいです。
マルグリット様が亡くなられてから、神官長は神殿へと入ったので、フランが一時は青色巫女を見るだけで、気分が悪くなっていたことも、この孤児院長室に不快な思い出を持っていることも知らないのです。
だからこそ、私はローゼマイン様の部屋にこの部屋を推薦しましたし、同僚となる側仕えもギルを推薦しました。トロンべ討伐の時も、奉納式の時も、不快そうに眉を寄せるフランを見て、楽しんでいたのです。ローゼマイン様は私の悪意の巻き添えを食らっていますが、フランの主なので仕方がありません。
フランがすでに過去を克服したようにローゼマイン様に接し、平然とこの部屋で過ごしているのを見ると、フランの変化が腹立たしく感じられます。
私が無表情の仮面の下で苛立ちを募らせていると、神官長が大きな青の魔石がはまった指輪の魔術具を取り出しました。
「ローゼマイン、これを。其方の父からの贈り物だ」
神官長の手からローゼマイン様へと渡され、指にはめました。小さい手に不似合いなほどの大きさの魔石です。
「ローゼマイン、こちらの扉に君の魔力を登録しよう。来なさい」
神官長の部屋と同じように、寝台の天幕を退けると、そこには一つの扉が現れます。懐かしくて、心が波立って、とても腹立たしい気分になるその扉。私は少しばかり眉を寄せながら、フランへと視線を向けました。
案の定、フランの顔色は青ざめていて、その目には怯えさえ見てとれました。フランが平気そうな顔をしているように見えましたが、やはり完全に過去が克服できていたわけではなかったようです。
昏い喜びがジワリと胸に広がっていくのがわかります。
「どうかしたの、フラン? 顔色が悪いけれど」
ローゼマイン様が心配そうにフランを覗き込みます。
「何でもございません。お気遣いなく」
「何でもないわけがないでしょう? そんな顔色で」
皆の心配そうな顔に、フランが困り切った顔になりました。そうですよね。毎晩のようにマルグリット様に呼ばれて、連れ込まれたあの部屋の過去の出来事など誰にも知られたくありませんよね。
「神官長、詳しくはこの場では省略させていただきますが、フランはこの奥の部屋にあまり良い思い出がないのです」
「案ずるな。魔力によって空間を作り出すので、前と同じ空間が広がることはない」
事情を知らない神官長は軽くそう言うと、ローゼマイン様と扉の前で、魔力の登録を始めました。
その扉を見るだけで顔色が変わるフランにには、その奥がどうであろうと精神的な負担は大して変わらないのですが、そこまでは気付いていないようです。フランが我慢強く顔色を変えないせいもあるでしょう。
「これで登録は終了だ。ここは側仕えにも聞かれなくない話をする時に使うといい。君の部屋は人払いしても聞こえるからな」
「誰でも入れるのですか?」
「私の工房と違って、特には制限を設けてはいない」
これから日常的にこの扉が使われるようになるのです。文句を言うこともできず、一人でじっと我慢して耐えるフランの様子を見ているだけでも、とても愉しい気分になってきます。
「大丈夫ですか、フラン」
「……助かりました、アルノー」
「神官長に問われた場合はご報告いたします。それについては承知しておいてくださいね」
神官長に聞かれなくても、全て報告するつもりですが、尊敬する神官長に最も知られたくない過去を暴露される気分はいかがですか?
そんな毒を内に秘めて、うっすらと笑みを浮かべる私に対し、仕方なさそうにフランは頷きました。
「神官長はおそらく追及するでしょうが、仕方ありません。マイン様、いえ、ローゼマイン様のお耳に入れずに済んでよかったと思うしかないでしょう」
おや、神官長よりもローゼマイン様にはもっと知られたくないのですか? あぁ、では、いつどこでどのように吹き込んで差し上げましょうか。
私が何よりも欲したマルグリット様の寵愛を受けておきながら、拒否したフラン。
灰色神官と交わったことで、貴族社会に戻ることができなくなり、絶望に陥ったマルグリット様が自害なさるのを救おうともせずに、ただぼんやりと眺めていたフラン。
マルグリット様が亡くなってしまった後に「助かった」と心底安堵したフラン。
私はまだ貴方を許せないのです。