Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (172)
閑話 仕事を減らそう
俺はベンノ。ギルベルタ商会のオーナー、30歳、独身だ。
どいつもこいつも次々と仕事を持ち込みやがって! 俺を殺す気か!?
マインがローゼマインとなったと聞かされた翌日の朝早く、神官長からの呼び出しを受けた。マインに関しては色々な事情を知っているのだから、呼び出しは来るだろうと思っていたが、いくら何でも騒動の翌朝に来るとは思っていなかった。面会予約を取ろうと思ったら何日もかかる貴族のくせに、仕事が早すぎるだろう。
2の鐘が鳴り、開門されると商品を持ち込む者が増えて、店は忙しくなる。その忙しい最中にギルが招待状を持って、駆け込んできた。日時の指定など何もない、「大至急」とだけ書かれた招待状など初めて受け取った。
「お前達、後は任せた!」
慌ててマルクと二人で衣装を着替えて、神殿に向かう。これから先のギルベルタ商会がどのように扱われることになるのか、が決まる極めて大事な会合だ。
上級貴族の娘となるローゼマインにとって不要だと判断されれば、簡単に消されてもおかしくないのだ、とギュンターさんは忠告してくれた。
「よく来たな、ギルベルタ商会のベンノ。アルノー、人払いを頼む」
神官長との面会は側仕えさえも人払いされた内密の話だった。
「何の話か、わかるか?」
「……ローゼマイン様のお話でしょう?」
「耳が早いな。誰が知っている?」
ここで嘘を吐いても意味がないし、神殿におけるローゼマインに一番近い人物である神官長の心証を悪くすのは避けたい。
「マインの家族が店に来た時に、同じ場にいた私とここにいるマルク、ルッツ、それから、もう一人のダプラ。以上です」
俺はルッツとオットーから聞いた下町での騒動とウチに避難してきたこと、マインの家族がルッツを迎えに来たことを告げる。
「そういえば、ルッツが一緒に巻き込まれていたと、ダームエルからも報告があったな」
そう呟いた後、神官長はローゼマインのこれからについて話を始める。神殿に預けられていた上級貴族の娘が、孤児院を救うためにローゼマイン工房を作った。そして、その功績からローゼマインが領主の養女となり、洗礼式の後、神殿長として就任するのだ、と聞かされる。
「孤児に仕事と食事を与えた美談を作り上げることで、洗礼前から工房を持っていた不自然さを隠すことになる。ベンノ、ギルベルタ商会及びマイン工房に関わってきた者をうまく言い含めておくように。いつ消されてもおかしくないということを肝に銘じておけ」
「かしこまりました」
マインの父親からも言われたことだが、貴族である神官長に言われると、重みが全く変わってくる。
「面倒で大変なことを命じていることはわかっているが、下町にはさほど詳しくない領主が面倒になって、ローゼマインに関わったものを端から消すようなことは起こってほしくないと思っている」
ゴクリと喉が鳴った。貴族ならば、都合が悪い平民を消すくらいのことは簡単にする。領地を守る領主が、これから先どんどんと金を生むローゼマインと我々のどちらを取るかなど考えなくてもわかる。
マインとローゼマインに関する情報統制を最優先課題にあげておいた。
「それから、これを。領主からだ」
神官長に押し付けられたのは領主からの命令書。ずらずらと貴族らしい装飾の文章だったけれど、内容を要約すれば、大まかに分けて二つ。
一つは「印刷業に関する例の計画は前倒しでよろしく」というもので、もう一つは「星結びの儀が終わったら、食事処に行くので、店を完成させて待っていろ」だ。
工房見学に来た青色神官が領主だった時の俺の動揺がわかるか?
あの時も相当驚かされたが、今回もまた頭が痛い。二年は余裕があると思っていた印刷事業の拡大がいきなり目の前に倒れこんできた。くらりと頭の芯が揺れる。
だが、驚きに頭を真っ白にしている場合ではない。この無茶苦茶な命令をこなさなければ、命の危機に繋がるのだ。
「近いうちに商会の人間と文官を近隣の町の孤児院に派遣すると言っていた。文官との打ち合わせに行くように、とのことだ」
「それはいつになりますか?」
貴族である文官の打ち合わせは他に任せられる仕事ではない。きっちりと予定を空けておかなければならないし、マルクを同伴するとなれば、店の中の仕事をどうするかの調整も必要になる。
「文官に話を通してからになるので、すぐの話ではないだろう」
「孤児院側からも視察する者を派遣していただいてよろしいでしょうか? できれば、工房ができる前の孤児院と今の孤児院を比較できる人物が良いのですが」
商人を胡散臭い目で見るだけの文官と一緒では進む話も進まない。現場の変化を知っていて、領主の養女となり、神殿長となるローゼマインに近い者がいるのといないでは大違いだ。自分たちの身を守るためにも、借りられる威はいくらでも準備していた方が良い。
「そうだな。ローゼマインの側仕えから、一人は視察に同行させるように伝えておこう」
「恐れ入ります。それから、こちらの領主様からのご要望なのですが、本気、なのですか?」
領主が下町の食事処に来るなど、誰に言っても信じないと思う。命令書をもらっても信じられないくらいだ。
神官長はその命令書を苦々しそうに睨みながら、ゆっくりと頷いた。
「食事をしながら、視察について話を聞きたいと言っていた。謁見室では君の意見を聞くことなどできない、というのが理由らしい」
ちょっと待て。つまり、ただの食事会や試食会ではなく、孤児院の視察や印刷業に関する意見を聞くための報告会にしろということか? まさか。
「それは、文官と打ち合わせをして、視察に出かけ、結果をまとめて、イタリアンレストランで報告しろということで間違いないでしょうか」
「間違いないな」
「期限は星祭りのすぐ後……?」
「……そうなる」
できるか! と叫びたいのを必死に呑み込んで、こめかみを押さえると、神官長から非常に同情の籠った目で見られた。
「其方の能力を測る試練だと思って耐えるしかなかろう」
常に貴族然とした神官長の投げやりな言葉に、軽く目を見張った。珍しく苛立ちのような感情が表に出ている。
よくよく見ると、神官長の顔色は悪く、あまり眠っていないような顔をしているのがわかる。騒動の翌朝に自分を呼び出すのだから、おそらく一晩中、騒動の後始末に奔走していたに違いない。
暴走する領主に振り回されているのが瞬時に理解できてしまった。神官長の方が領主とローゼマインに近い分、苦労は多いのかもしれない。自分よりも大変な人がいると考えれば、少しだけ救いがあるような気がする。
「当店にいらっしゃる貴族の方々について、どれだけの人数でいらっしゃるのか、お伺いしてもよろしいですか? 下町の食事処に領主様自らいらっしゃるというのは前例がないもので……」
「前例などあってたまるか……」
そこで神官長の表情が何とも苦々しいものになった。視線が合ったので、軽く肩を竦めておく。「お互い、苦労しますね」という心の声は、十分に通じたらしい。神官長の雰囲気が少しだけ緩み、苦い笑みを浮かべた。
「ローゼマインと付き合う限り、あの領主ともつながりが切れることはないのだ。私は神殿と貴族街で手いっぱいだ。下町分の苦労は其方に任せる」
「全力でお断りしたいですが、そういうわけにはいかないのでしょうね」
「できるならば、私がしている」
クッとお互いが小さく笑った後、神官長は顔を引き締めた。
「食事処に向かう貴族についてだが、領主、領主の護衛として騎士団長、印刷業の中心人物になるローゼマイン、それから、私だ。護衛の騎士が数人つくだろうが、共に食事をする人数には含めなくても良い。ただ、交代で食事をとることになるので、控えの間の準備は必要になる」
下級貴族が来ても大騒ぎになるに違いないのに、領主が来るのだ。箔付けだなんて言っていられる余裕はない。面倒事を起こさないように、徹底的に隠した方が良い。領主と騎士団長と神殿長と神官長が連れ立ってきてみろ。一体どんなことになるのか、予測できない。
俺は神官長の言葉を書字板に書きながら、眉を寄せる。いくら何でも仕事量が多すぎる。印刷業もイタリアンレストランも、元々のギルベルタ商会の事業ではないため、手伝いに回せる人間が少ない。
しかし、領主から直接命じられた印刷業に関しては手を抜くことなどできるはずもない。いかにして仕事を回していくか。そして、急成長するギルベルタ商会への風当たりを弱めるか、考えなければならないことは山積みだ。
何か申請するたびに小さい文句を付けてくるギルド長を押さえるところから始めなければならない。領主の意向だと言えば、表面上はおとなしくなるだろうが、わかりにくくて陰険なことを始めるに違いない。何か餌が必要だ。
「……領主様を初め、貴族の方々がいらっしゃるならば、料理人に別の場所で修行させたいと存じます。ローゼマイン様のところで今は修行しているのですが、連れ出しても問題ないでしょうか?」
「ローゼマインは洗礼式まで貴族街で教育を行うつもりだ。貴族街へ向かった後ならば問題ないと思われるが、一応聞いてみよう」
「では、こちらを渡していただけますか?」
俺は植物紙にギルド長をイタリアンレストランの共同出資者にしたい旨を記す。イタリアンレストランを餌に今後の協力を得て、仕事と周囲の風当たりの軽減を図りたい。ついでに、フーゴ達をギルド長のところに預けて修行させて、貴族向けのレシピの充実を図りたい。
神官長はその間に棚の上に置かれた包みを持ってきた。
「ローゼマインの洗礼式が終われば、すぐに神殿長の就任式がある。星結びの儀の直前に就任式を予定しているが、それまでに、これをローゼマインの寸法に合わせて仕立ててくれ」
バサリと広げられたのは、神殿長の儀式用の衣装だった。
ローゼマインの洗礼式の衣装は、父親である上級貴族が準備するが、神殿長としての衣装は神殿側で準備しなければ、とても針子が足りないらしい。
「君のところならば、寸法がわかるだろう? 帯は今までの儀式用の衣装を使うので問題ない。何やら仕立て方に思い入れがあったようなので、それで頼む。それから、洗礼式用の簪も注文しておこう。最高級の糸を使って、華やかな物を作ってほしい」
「……かしこまりました」
情報統制、印刷業、イタリアンレストランに加えて、本来の服飾まで仕事を振られた。
死ぬ。このままでは絶対に仕事に押しつぶされて死ぬ。
とんでもない量の仕事を抱えて、店に戻れば、ギルド長のじじいからの呼び出しがあった、とレオンから報告がきた。貴族向けの服を着替えながら、その報告に耳を傾ける。
「ローゼマイン様について話があるそうです。一体どこから情報が漏れたのでしょうね?」
俺はマインの家族から直接聞いたが、ギルド長の情報の出先は確認しておかなければ、今後に差し障るだろう。
舌打ちしながら、会合の日時を午後で指定する。使いがギルド会館から戻ってくるまでに急ぎの仕事を片付けなければならない。
「マルク、鍛冶工房に使いを出せ。活字をどんどん作っていくように依頼するんだ。ビアスのインク工房にも印刷用のインクを作るように依頼しておけ。領主からの命令で、印刷業を領地内に広げることになると話をしてきてくれ」
孤児院の視察の結果はともかく、印刷業が拡大することだけは確実だ。準備はなるべく迅速に進めた方が良い。
マルクも服を着替えて頷き、ゆっくりと溜息を吐いた。
「このような状況になったからには、なるべく早くギルド長を取り込まなければなりませんね。今のように申請書一つに時間をかけられていては到底間に合いません」
「今日、その件に関しては話し合ってくる。あのじじいは利益に敏い分、面倒だが動かせない相手じゃないからな」
そう言い残して、着替え終えた俺は神官長から預かった衣装を抱えてコリンナの家へと階段を駆け上がる。
「コリンナ! 急ぎの仕事だ。この衣装をマインの寸法で仕立て直してくれ」
真っ白の儀式用の衣装を見たコリンナが目を見張った。
「ベンノ兄さん、これは神殿長の衣装でしょう?」
「マインの寸法とそっくり同じだが、袖を通されるのは上級貴族の娘、ローゼマイン様になる。くれぐれも間違えないように、気を付けろ」
オットーからある程度の情報を得ていたのだろう。コリンナは一度目を伏せた後、ゆっくりと頷いた。
コリンナは貴族と付き合う商人だ。理不尽も不可解さも呑み込んで仕事をすることを知っている。
「わかったわ」
「それから、上級貴族の娘の洗礼式で使う華やかな簪も頼まれている。洗礼式なので、白が基調だ。季節の青と瞳の金色を差し色に使え。……職人は手慣れた者が良いと思うがどうだ?」
「そうね」
言外にマインの家族に仕事を振れと言えば、コリンナはくすっと小さく笑った。きちんと意図は通じたらしい。
コリンナに仕事の注文を終えて下に戻ると、商業ギルドに出していた使いが戻ってきたところだった。
「ギルドに行く。マルク、準備を」
「できています」
商業ギルドに行くと、すぐにギルド長の部屋に通された。いつものもったいぶった態度を見せないところから、あちらの焦り具合も見てとれる。
部屋にはギルド長と孫娘のフリーダが二人で待ち構えていた。
「ローゼマインに関して、何か知っているか?」
「単刀直入に聞く。ローゼマインに関する情報は伏せられているはずだ。どこから漏れた? 場合によっては、貴族に潰されるぞ」
「……やはり事情をご存じですのね」
フリーダが目を細めた。
「わたくしの契約している貴族の弟君が青色巫女見習いの護衛だったのです」
フリーダは自分の身の上と、魔術具の交換に訪れた時に起こったことを話し始めた。意識不明で運び込まれた騎士は、いきなり部屋に飛び込んできた光の粉で飛び起きて「無事か、巫女見習い」と叫んで駆け出して行った。巫女見習いはマインしかいないので、生死について調べようと契約魔術の契約書を調べたら、改名されていたのだと言う。
フリーダが言ったのは、マインについていたあの護衛のことだろう。まさかそんなところに繋がりがあるとは思わなかった。
「ベンノ、お前が知っている情報を話せ」
情報をどう隠すか、一瞬考えたけれど、このじじいと孫娘はすでにマインについて詳しく知っている。ある程度の事情を話して、ローゼマインと領主から逃れられないように雁字搦めにしてやった方が、今後楽になるかもしれない。
「教えるのは構わんが、今後、全面的に協力してもらうことになる」
「ほぉ? 儂が、お前に?」
面白がるような余裕のある表情で眉をくっと上げたギルド長の目には、わずかに焦りが見えている。ギルド長がいくら下町で影響力があり、大富豪だとはいえ、貴族に睨まれれば、一溜りもない。
ギルド長側が持っているローゼマインの情報は推測がほとんどだ。きちんと情報を手に入れなければ、どこでどのようなごたごたに巻き込まれるか、わからない。何が何でも情報が欲しいはずだ。
「そうだ。嫌でも俺に従ってもらう」
「ギルド長の座を明け渡せということか?」
「阿呆なことを言うな! この上にギルド長の仕事なぞ、増やしてたまるか! できうる限りの便宜を図れ、と言っているんだ!」
領地内全域に仕事が広がることが目に見えているのに、この街のギルド長まで兼任していられる余裕はない。死ぬかと思うほど、忙しいのだ。
「便宜を図る、か。ずいぶんと上の貴族が関係しているようだな。……いいだろう」
しばらくの睨み合いの後、ギルド長が頷いた。
ギルド長とフリーダにマインが死んだこととその偽装。上級貴族の娘として領主の養女となり、領主が主体となり、本作りを領地の産業として進めていくことを話した。
「……空恐ろしいな」
「いくら何でも領主の養女だなんて、予想外すぎますわ」
領主の養女となるローゼマインは上級貴族の娘ということになった。気軽に手を出せるような対象ではない。それは、たくさんの貴族と接しているギルド長の方がよくわかっているだろう。
「印刷業が領地の産業となるならば、商業ギルドの全面的な協力が必要になる。領主主導の産業に文句を付ける危険さはわかるだろう?」
「うぅむ……」
眉を寄せて、何とか利益を得られないか考えこむギルド長に、俺はぺいっと餌を投げ入れる。
「ウチの料理人をそちらで一時預かってくれないか? 領主と初めとする上級貴族が来店するまでの間に貴族向けの料理を叩きこんでおきたい」
本当に貴族が来店する以上、マインのレシピだけではなく、貴族のレシピも知っておいた方が良い。そして、ギルド長も巻き込むことで、こちらへの風当たりと仕事の軽減を図りたい。
「……こちらへの見返りは?」
「イタリアンレストランの共同出資者にするというのは、どうだ?」
ギルド長のところの料理人に挑発されて始めた食事処だが、領地全体に広がる印刷業を取りまとめようと思えば、とても別業種に手を広げてはいられない。
そして、イタリアンレストランをそのまま営業できるのは、貴族の生活に詳しく、貴族の食事を提供できる料理人を持っているギルド長くらいだ。教育された給仕もギルド長の家にはゴロゴロいるに違いない。
「……いいでしょう。いくら出資すればよろしいのかしら?」
ギラリと目を輝かせたフリーダが、ギルド長よりも先に食いついた。