Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (173)
プロローグ
私はカルステッド、37歳。
エーレンフェストの騎士団長であり、領主の従兄であり、お守役だ。普通ならば、もうお守など必要ではない年なので、とっくにお役御免になっているはずだが、ジルヴェスターにはまだまだ必要なように思える。
領主会議へと戻るジルヴェスターを見送った後、私とフェルディナンドは側仕えもいなくなった無人の神殿長の部屋から、必要な物を持ち出し、誰も入れないように閉鎖した。
その後、フェルディナンドと共にローゼマインに関する話や設定を煮詰めていく。さすがに、ジルヴェスターがその場で適当に即興で作った話をそのまま使うには、問題があった。
ジルヴェスターは「母に似て魔力が高く生まれた娘を領主と養子縁組させることを決意する。そうして、正妻達から引き離し、確かな身分を与えることで愛娘の身を守ることにした」という筋書きを作ったが、魔力だけで養女となれるほど領主の地位は軽くない。養女となるには、それなりの実績が必要だ。
「ふぅむ……。工房の件を使うか。孤児院のあまりの惨状を憐れんで、孤児に仕事と食事を与えた。その献身ぶりと新しい事業が領主の目に留まったことにしよう」
「それだけ聞くと、まるで聖女のようだぞ?」
世間から隠されて神殿で育てられ、孤児院の惨状に心を砕き、孤児に仕事と食事を与え、巨大な魔力を持ち、複数の神の祝福を与えられる娘だなんて、まるで物語の主人公ではないか。
「あぁ、聖女か。それはいい。その方向でいくつか美談を作れば、神殿長に就任させるのも無理がなくなる。それに、ほとんどが嘘ではないぞ? 実際にあれは孤児院を救うために工房を作ったのだ。目的は自分が心安らかに本を読むためだったが、今も玩具や絵本を作っては孤児達に与えている」
そう言ってフェルディナンドは軽く肩を竦めた。孤児院に工房を作った話は聞いていたが、本人を見ると、とてもそんな偉業をなしたようには見えない。
「ローゼマインは祝福も与えられるし、筋書き以外の言葉を喋らなければ、それらしく見えるだろう」
確かに、黙って立っていれば、聖女と言うには幼すぎるが、それらしく見えるとは思われる。
ローゼマインのさらりと流れる夜の色の髪は、よく手入れされていて、上級貴族の娘でもあまり見ない程に艶があり、見慣れぬ髪飾りでくるりと丸めて留められている。そして、感情をよく映す月のような金色の瞳。顔立ちは整っていて、成長が楽しみな子供だ。
虚弱なためか、平民育ちだというのに、日の光をあまり知らぬ白い肌をしていて、全く荒れていない小さな手は労働を知らない柔らかい手をしている。フェルディナンドが教育しているため、立ち居振る舞いも平民とは思えない程に品がある。
「だが……」
フェルディナンドはそう言って、私を見た。
「領主の養女となる理由付けはそれでよいが、正妻の苛めを恐れて、神殿に隠した辺りに少し無理があるのではないか?」
フェルディナンドが難しい顔で指摘した。
「正妻であるエルヴィーラがその設定では納得しないだろう。彼女はそれほど愚かではないぞ」
「だが、エルヴィーラがローゼマリーを疎んでいたのは事実だ」
正妻であるエルヴィーラと第二夫人であるトルデリーデの二人にローゼマリーは疎まれ、爪弾きにされていた。その心労で元々体が弱かったローゼマリーは倒れたのだ。
「それはローゼマリーから聞いただけの話であろう? 両方の言い分をきちんと詳らかにしたのか?」
どうしても被害に遭っていたローゼマリーの肩を持ってしまう私を、フェルディナンドはじっと見据える。
「……根はトルデリーデとローゼマリーの実家の確執だったと聞いている。だが、正妻であり、家庭内で最も影響力が強いエルヴィーラがトルデリーデに肩入れしたことで、ローゼマリーは身の置き所がなくなったのだ」
エルヴィーラが中立である間はよかった。エルヴィーラが片方についたからこそ、状況が大きく変わったのである。
「エルヴィーラがトルデリーデについた理由は?」
「……私がローゼマリーについたからだ、と言っていた。だが、嫌味を言われていたのを見れば、普通は庇うだろう?」
私がローゼマリーを庇うと、エルヴィーラが目を細めて、トルデリーデの肩を持った。そう話をすると、フェルディナンドはこめかみを押さえて、ゆっくりと息を吐く。
「カルステッドがローゼマリーを庇ったから、第二夫人の肩を持ったのならば、エルヴィーラは公平を維持しただけではないか? エルヴィーラには全てを詳らかにして協力を求めた方が良いと思う。これから先、ローゼマインが貴族の女性社会でどのよう生きていくかの位置づけが決まるからな」
領主の母親が失脚した今、貴族の女社会は領主の妻とエルヴィーラがいる派閥が最大勢力となる。ローゼマインが少しでも平和に生活したいならば、この派閥に属することが一番重要だ。女社会は領主も私もフェルディナンドもそう簡単に立ち入れぬ場所だ。
「では、エルヴィーラへの説明に共に来てもらっても良いか? フェルディナンドがいるといないでは、あれの機嫌が変わるからな」
フェルディナンドは領主の異母弟として生まれ、優秀すぎるからこそ疎まれて生きてきた。騎士団へと入れ、私が率先してフェルディナンドに対して領主の息子として敬意を払い、接することで、悪意から庇ってきた。
フェルディナンドが成人して、しばらくたった頃から領主の母方の親族からの嫌がらせがさらにひどくなったため、領主の座には興味がないと宣言し、神殿へと入ることになった。だが、今でもフェルディナンドは領主の仕事を手伝い、騎士団の人員が足りない時には穴埋めをしているのだ。
エルヴィーラは常々「フェルディナンド様がいらっしゃらなければ、エーレンフェストは立ち行かない」と言い、絶賛している。
神殿に入り、結婚が許されないからこそ、フェルディナンドがたまに貴族街で社交場へ出ると女性が甲高い声を上げて歓迎している。先頭に立っているのは大体エルヴィーラだ。
「夕食に招待してくれ。明日の午後までは予定が詰まっているのだ」
「わかった。こちらも騎士団での取り調べがあるので、それくらいの時間の方が助かる」
フェルディナンドとの話を終えて騎士団に戻ると、ダームエルが情けない顔で他の団員から事情を聴かれていた。座って話ができるということは、どうやら騎士団から癒しの魔術が使える者が派遣されたようだ。
「ダームエルの聞き取りが終わったら、本日は解散だ。取り調べの続きは明日にする」
「はっ!」
私の声にダームエルがハッとしたように顔を上げる。情けない顔のままで、おろおろとしたような声を出した。
「カルステッド様、あの、巫女見習いは……」
「無事だ。あれだけの魔力差でよく守った」
伯爵位を継げる魔力の持ち主と下級貴族のダームエルではずいぶんと差がある。よく持ちこたえたものだ。私の労いに、ダームエルは心底安堵したように、肩の力を抜いた。
「……恐れ入ります」
騎士団の寮にある部屋で仮眠を取った。朝から取り調べの予定が入っている。その前に家の方へ帰宅と夕食の準備がいることを伝えなければならない。
軽く手を振ってシュタープを取り出すと、黄色の魔石を軽く叩く。
「オルドナンツ」
魔石がぐにゃりと形を変えて、鳥の形をとると、「本日帰宅する。夕食にフェルディナンド様をお招きするので、準備を頼む」と声を吹き込んだ。家の方向へ向けて、エルヴィーラに届くように念じながら、シュタープを振った。
すぐに戻ってきたオルドナンツは「まぁ、フェルディナンド様がいらっしゃるの? すぐに準備しなくては」という弾んだ声を三回繰り返して、魔石に戻った。
家へ伝言を終えると、すぐに取り調べに向かった。まずは神殿長だ。領主がいなくても、処刑が確実だとわかるのは、フェルディナンドによって作られた神殿長の不正リストがあるからだ。あまりの多い罪状はもちろん、細かいことまできっちりと調べ上げるフェルディナンドの性格に少しばかりげんなりする。だが、一番呆れてしまうのは、これをずっと庇い続けた領主の母親である。
「よくこれだけ庇ったものだ」
罪状を並べられれば、もっと反論したり、いつものように大騒ぎしたりするかと思ったが、神殿長は気力もないように項垂れている。
ジルヴェスターが自分の母親をも断罪したことがよほど堪えているのだろう。
ビンデバルト伯爵の方は無言を貫いているらしい。これはジルヴェスターが領主会議から戻ってきてから記憶を探る魔術具を使うしかなさそうだ。
さて、一体誰が一番魔力を通しやすいのだろうか。あの男の記憶など探りたくはない。自分は魔力の色が似ていないことを祈ろう。
「まぁ、フェルディナンド様。お忙しい中、ようこそいらっしゃいました」
フェルディナンドと共に戻ると、エルヴィーラが深い緑の髪を普段より複雑に結い上げて、いつもの三倍ほど愛想の良い笑顔で出迎えてくれる。食堂で夕食を食べながら、食後に大事な話があることを伝えた。
食事を終えて、人払いをし、ゆっくりと息を吸った後、私はエルヴィーラを見つめる。
「この夏、娘の洗礼式を行う」
「一体どなたの娘ですの?」
エルヴィーラはすぅっと黒い瞳を細めた。
「私と……ローゼマリーの娘、ローゼマインの洗礼式だ」
「あら、ローゼマリーに娘はいないはずですわ。子供がいれば、あの方々が今まで黙っていたはずがないでしょう?」
ローゼマリーが排斥された原因となった彼女の親戚の話を出して、エルヴィーラがじろりと私を睨んだ。
「ローゼマリーが上級貴族と縁続きになったことで気が大きくなったのか、無茶な要求を方々にし始めた愚か者のことをもう覚えていらっしゃらないの? また、トルデリーデとローゼマリーの実家の確執が起こりますわよ?」
「あれは……」
私が口を開いても、言葉を遮るようにエルヴィーラが畳みかける。
「ローゼマリーの娘が現れたら、せっかく騒ぎが収まっているのに、また騒がしくなるのではないかしら? 嫌だわ。……と言いたいところですけれど、フェルディナンド様がご一緒ですもの。何か事情があるのでしょう? 事と次第によっては協力してあげてもよろしくてよ」
「エルヴィーラは実に聡い女性だな。事情がある。貴女の力が必要だ。ぜひ、協力していただきたい」
「まぁ、フェルディナンド様ったら」
フェルディナンドがエルヴィーラに事情を説明し始める。有能なローゼマインという子供を私の娘として洗礼式を行うこと、そして、洗礼式の場で領主の養女となることを。
領主と領主の異母弟が養女に望むということは、この領地の将来に大きく貢献するとすでに認められていることに他ならない。
「それならば、トルデリーデとローゼマリーの実家の勢力争いの中で生まれた娘だということにいたしましょう。ローゼマリーの親族に存在が知られれば、また争いが生まれると憂慮したカルステッド様が神殿に隠されたのです」
「ふむ、悪くないな」
フェルディナンドに褒められて、エルヴィーラが嬉しそうに笑う。
「そして、ローゼマリーの娘だということを、敢えて公表せずに洗礼式を行いましょう。この家の娘として、貴方の娘として、わたくしが母代りとして恥ずかしくないように教育いたします」
お気に入りのフェルディナンドがわざわざ挨拶のためについてきたのだ。予想通りだが、夫である私が頼むより、フェルディナンドから頼む方がよほど効果はあるようで、エルヴィーラの顔から険が完全に消えている。
「神殿で私が多少の手解きはしているので、それほど見苦しいことはないと思うが、領主の館に上がるのに相応しく仕上げてほしいと思う。エルヴィーラならば、心配ないと思うが」
「あら、フェルディナンド様が教育されていらっしゃったのですか?」
エルヴィーラが目を丸くした。
その気持ちはよくわかる。騎士団においても厳しくて、熱血指導だと評判のフェルディナンドに、幼い子供の指導ができるのか、疑っているのだろう。
私も初めて聞いたときは我が耳を疑った。絶対に泣かせている。フェルディナンドを怖がっていると思っていた。
「ローゼマインは書類仕事の助手としては素晴らしく、魔力が豊潤なのだ。思考回路は単純で扱いやすく、使い勝手が良い。常識外れな面が多々あるが、頭は悪くないので、教育し甲斐がある」
上品な動きやフェシュピールの腕前から考えると、ローゼマインは厳しく指導されているはずだが、フェルディナンドを信頼して、懐いていた。子供に懐かれているフェルディナンドなど初めて見た。トロンベ討伐の時に、フェルディナンドの後ろに隠れた姿を見た時の衝撃は忘れられない。
「呑み込みは悪くないのだが、私ではどうしても女性らしさを教えることはできぬからな」
「えぇ、お任せくださいませ。きちんと教育いたしますわ」
その後は、エルヴィーラに洗礼式までの準備を頼む。ローゼマインのための部屋を整え、息子達につけていた行儀作法の教師に洗礼式までの指導を頼んだ後、ローゼマインを貴族街の我が家へと連れて来ることになる。
「女の子のお部屋と衣装を整えるのですわね」
息子しかいないエルヴィーラは珍しく目を輝かせた。任せておいても、大丈夫そうだ。
そして、我が家の準備が整い始めた頃、フェルディナンドはローゼマインの健康診断をすると言った。立ち会うように言われて、私は神殿の神官長室へと向かう。
「えーと、その、お父様、ごきげんよう」
慣れない様子でたどたどしく私を呼ぶ幼い声に思わず頬を緩める。武官向きの息子しかいない身には、男女の違いに驚かされる。ローゼマリーの娘が生まれていれば、このような感じだっただろうか。
「もう少し呼び慣れなければ、周囲に怪しまれるぞ」
うっ、と小さく息を呑んだ後、ローゼマインは小さく何度か「お父様」と真面目な顔で呟きながら、少しでも慣れようと練習する。自分の家族を守るために、貴族社会に身を投じた小さな体を見下ろして、私はそっと息を吐いた。
「……さて、君がカルステッドの家に行く前にしておかなければならないことがある。アルノー、人払いを頼む」
人払いをしたフェルディナンドが部屋の真ん中に魔法陣が書かれた紙を広げ始めた。不思議そうに首を傾げながら、ローゼマインが魔法陣を覗き込む。
「何ですか、これ? 何をするのですか?」
「君の魔力の流れを確認するのだ。身体に一定の魔力を満たしていなければ、動けなくなると以前に言っていただろう?」
「……そんなことがあるのか?」
貴族院に入れば、魔力を満たしておくために必要なシュタープを得たり、体の中に魔力を圧縮して溜める方法を教えられたりするが、それまでは親に贈られた魔術具に魔力を流すのが普通だ。魔力を動かすのは体力も使うし、体の成長にも良くないので、体内に残しておく魔力は少ない方が良いとされている。
「常に体に魔力が満たされているせいで、君の成長が遅いのは間違いないだろう。だが、魔力が多くても少なくても不調になるという話は聞いたことがない」
「え? 普通じゃないんですか?」
そう言いながら、ローゼマインが自分の体を見下ろした。
「あぁ、貴族社会では普通ではない。それを確認するためにも、君の体に流れる魔力を調べるのだ」
「へぇ、そんなことができるのですか。すごいですね」
感心したようにローゼマインは魔法陣を覗き込んで何度か頷く。
体の中を流れる魔力を見ることができる魔法陣があることは知っているが、あれは誰もが持てる物ではなかったはずだ。私はじろりとフェルディナンドを睨んだ。
「人の体内に流れる魔力を調べることができる魔法陣は、本来は医者が使うものだろう? 何故フェルディナンドがそのような物を持っているのだ?」
「魔術具を作る時に使われる一般的な魔法陣を少し応用した自作の魔法陣だ。医者が持っているものと同じかどうかは知らぬ」
欲しいものは自分で作ってしまうフェルディナンドの優秀さに言葉が出ない。
魔法陣を広げて、魔石を四隅に置いて、フェルディナンドがローゼマインの方を振り返る。
「ローゼマイン、服も靴も脱いで、この上に上がりなさい」
「はい!?」
「ちょ、ちょっと待て、フェルディナンド!?」
いきなり服も靴も脱げ、と言ったフェルディナンドにぎょっとする。幼いとはいえ、女性に命じることではない。
しかし、フェルディナンドは何の動揺も見せることなく、軽く眉を上げると、魔法陣を指差した。
「洗礼式が終わって領主の養女となれば、そのようなことできぬからな。今の内だ。早くしなさい」
ローゼマインが私とフェルディナンドを交互に見ながら、顔を赤らめてじりじりと後ろに下がる。
「や、嫌ですよ。恥ずかしいじゃないですか!」
「君には恥らいなどないだろう?」
涼しい顔でフェルディナンドがちらりとローゼマインを見て、肩を竦めた。
「あります!」
「風呂が平気だったのに何を言っている?」
「は!? 風呂!?」
フェルディナンドの口から出た言葉が信じられない。
……風呂が平気だった? え? まさか一緒に入っているのか? フェルディナンドとローゼマインが?
「フェルディナンド、このような幼子に一体何を……」
「か、勘違いするな、カルステッド! 例の魔術具で記憶を覗いた時の話だ。私が一緒に入ったわけではない!」
フェルディナンドがくわっと目を見開くと、焦った様子でこちらに噛みついてきた。普段の無表情が崩れて、素が出ている。
いや、普通は勘違いするだろう。あの魔術具を知らぬ者が聞いたら、幼女趣味確定だ。ジルヴェスターがいたら、嬉々としてつついているに違いない。
「ローゼマイン、あの時は全く動揺していなかったのに、君は今更何を言っている!?」
「だって、あれは、久しぶりの『入浴剤』と『シャンプー』と『リンス』に浮かれてたし、神官長の姿が全く見えないから『電話』しているような気分だったし、夢の中で現実じゃなかったし……とにかく! 誰かがいる前で服を脱ぐなんてできません!」
記憶を覗く中で、風呂に入った情景が出てきたのは間違いなく、その時にローゼマインが大して動揺しなかったのも事実らしい。
「体を調べるだけだぞ? 風呂より抵抗はないだろう?」
「ありますって! 健康診断だと言うなら、お医者さんを呼んでください」
「私を医者だと思えばいいだろう。どうせやることは変わらぬ」
なまじ優秀なせいで、本当に医者の真似事もできてしまうのだ。何より、フェルディナンドは気になったことを自分で調べなければ気が済まないところがある。
「父親とは思えなかった男に服を剥かれても、マインとなって三日で諦めたのだろう? ローゼマインになって三日以上たっている。今回も諦めろ」
「む、むむむ、無理ですっ!」
バタバタと手を振りながら、ローゼマインがフェルディナンドから距離を取り、ダダッと逃げ出した。
「た、助けてください、カルステッド様!」
私から見ると、フェルディナンドの向こうにローゼマインがいる。ローゼマインは大きく迂回しながら、私の方へと駆けてこようとしていたが、フェルディナンドにあっさり捕まった。
「ぎゃー! やめてくださいっ! うわーっ!」
「カルステッドのことはお父様と呼べと何度言えばわかる? 馬鹿者」
フェルディナンドは淡々とそう言いながら、泣いて嫌がるローゼマインの帯を解いて、するりと青の巫女服をはぎとる。躊躇いなど欠片もない。傍から見れば、我儘を言う幼女と、辟易としている保護者にしか見えない。
祈念式の時に見たことがある若草色の衣装になったローゼマインが私に向って、手を伸ばした。
「お父様ぁ! 神官長が幼女趣味です!」
「誤解されそうなことを言うな、この馬鹿者!」
ガシッとローゼマインの頭を掴んで、指に力をこめていくフェルディナンドとぎゃあぎゃあと叫びながら私に助けを求めるローゼマイン。……ずいぶんと仲が良いのではないか?
トロンベ討伐の後、ローゼマインの魔力が強いということを知ったジルヴェスターと二人でふざけて「フェルディナンドの嫁に良いのでは?」と話をしたことがあったが、満更でもないかもしれない。
そんなことを考えていると、ローゼマインの動きが鈍ってきたことに気が付いた。
「フェルディナンド、少しやりすぎだ。ローゼマインの息が上がっているぞ」
ハッとしたようにフェルディナンドが手を緩め、その隙をついてローゼマインが私の懐に飛び込んできた。そのまま私の背後に回って、うーっ、と唸りながらマントの陰からフェルディナンドの方を睨む。
小動物が必死に威嚇しているような姿に、笑いがこみあげてきた。ジルヴェスターの言った通り、シュミルに似ている。これでぷひーっ! と鳴けば完璧だ。
威嚇されたフェルディナンドはすぅっと目を細めて、腕を組むと私とローゼマインをまとめて睨んだ。予定通りに事が進まないことに立腹しているのだろう。
「カルステッド、其方は父親としてローゼマインの虚弱さをどう思う?」
フェルディナンドに「さっさと協力しろ」と言外に要求されて、私はローゼマインとフェルディナンドを見比べる。
フェルディナンドの強引なやり方は少々まずいが、虚弱すぎて、すぐにでも死にそうな体を少しでも健康にできるならば、してもらった方が良いだろう。
「ローゼマイン、フェルディナンドは魔力に関しては優秀だ。診断してもらって、有効な薬があるならば、作ってもらった方が良いのではないか?」
「それは、そうですけど……」
私がローゼマインを抱き上げて、視線を合わせて説得を試みると、ローゼマインは威嚇を止めて、おとなしくなる。
異なる世界とはいえ、一応成人した記憶があるので、他の子供と違って、いきなり泣き出したり、落ち着きなく騒いだりしないのだから、このまま説得してしまえば良い。
そう思っていたのに、それをぶち壊す者がいた。
「カルステッド、そのままローゼマインを捕まえておけ!」
騎士団で命令を下す時と同じ言い方で命じられ、私は反射的にローゼマインを拘束する。大股で歩み寄ってきたフェルディナンドが、ローゼマインの背中に並んだ小さなボタンを素早い指の動きで次々と外していく。
「ひぎゃー! 神官長の『エッチ』! 実は『ロリコン』だったんですね!?」
「何を言っているのか、全くわからないが、あまり時間はないのだ。急ぎなさい」
一番下のボタンまで外し終わったフェルディナンドがくいっと自分の寝台の天幕を指差した。
「あの陰で靴下を脱いできなさい。背中から見るので、上半裸になればそれでよい」
「うぅ~……」
「何だ、その反抗的な目は? 下までここで剥かれたいのか?」
恥じらう娘に冷たすぎる。これだから、フェルディナンドは女と長続きしないのだ。
「行きます! 行けばいいんでしょう!?」
「そうだ。私に手間をかけさせず、手早くすればよい」
涙目でフェルディナンドを睨みながら、ローゼマインが寝台の陰へと駆けていく。
「フェルディナンド、昔から言っているだろう? 女性にはもう少し優しく接しろ」
「時間の無駄だ」
領主の母親には嫌がらせをされ、実の母親は庇ってくれるわけでもなく育ってきたフェルディナンドは基本的に女性を信用していないところがある。優しくした方が合理的だと判断した時以外は、非常に厳しいフェルディナンドに溜息を禁じ得ない。
「相変わらずいくら言っても聞かないところだけはジルヴェスターとお揃いだな」
「嫌なことを言うな」
むっと眉を寄せるフェルディナンドの向こうから、脱いだ衣装で恥ずかしそうに前を隠したローゼマインが裸足でのそのそと歩いてきた。
「その上に立ちなさい」
広げられている魔法陣は、魔術具を作る時に魔力がうまく巡っているか、流れにおかしいところがないか、確認するためのものをフェルディナンドがいじって作った物らしい。
恐る恐るといった感じで、ローゼマインの爪先が魔法陣を踏んで、フェルディナンドに背中を向けた。
軽く手を振ってシュタープを取り出したフェルディナンドが膝立ちになり、トントンと軽く魔法陣をシュタープで叩いて魔力を注ぎ込む。
すると、魔力が満たされた魔法陣が赤い光となって浮かびあがった。魔法陣はローゼマインの足から頭へと上がっていき、ローゼマインの体には魔力の流れが赤く光るように見え始めた。下着を付けている下半身は見えないが、背中や腕にはくっきりと赤い線が見える。
「わぁ!? 何これ?」
「魔力の流れを見ると言っただろう。ローゼマイン、髪が邪魔だ」
「あ、はい」
長い髪を退けられた、小さな背中を難しい顔でフェルディナンドが睨む。
魔力の流れを見ることは私にもローゼマインにも可能だ。しかし、その赤い線を見て、流れのどこが異常なのか診断するのは、ここではフェルディナンドにしかできない。
しばらく背中を睨んでいたフェルディナンドが重い息を吐いて立ち上がった。難しい顔でこめかみを押さえて、ローゼマインを見下ろす。
「君は一度死んだことがあるな」
「え?」
「中心に近い位置で魔力が固まっている」