Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (180)
ふわふわパンの作り方
「ふわふわパンってことは、天然酵母ちゃんの作り方を知りたいってことですか?」
「あぁ、そうだ」
うーん、とわたしは唇を尖らせて考え込んだ。
ふわふわパンを作るのは、元々、他の店に出し抜かれないための……たとえ、レシピを教え込んだ料理人が引き抜かれたとしても、こちらが優位に立つための切り札だった。
想定されるライバルは、ギルド長やイルゼさんくらいしか思い浮かばなかったけれど、彼らはすでに共同出資者として協力体制にあり、フーゴ達とイルゼの間ではレシピが行き来している。
正直、今の状態ならば、ふわふわパンを店に出す必要は特にないと思う。
「養父様は多分変わった食事を楽しみにしているだろうから、領主や神官長達が集まる食事会では、わたしが前もって、天然酵母ちゃんをお渡しします。そうすれば、フーゴ達は使い方を知ってるから、ふわふわパンを作れますよね。でも、製法その他に関しては秘密にします。しばらくはふわふわパンなしで運営してください」
「はぁ!?」
ギルド長の家で食べたイルゼのパンも、お父様の家で食べたパンも、ふわふわパンではなかった。イタリアンレストランは「貴族が食べる食事を出す店」というコンセプトで客寄せをする。ならば、ふわふわパンである必要はない。
「それは何故だ? ふわふわパンを売りにするのではなかったのか?」
ベンノが目を丸くし、マルクもルッツも驚いた顔になった。ベンノはかなり気に入っていたようなので、ベンノ自身もレシピを知りたいのではないか、と思う。
「イタリアンレストランを他の人が真似できないって意味で、必要だったんですよ。でも、ギルド長を取り込んだ今となっては、他の人が真似したいと思っても、この街の一体どの商人がギルド長とベンノさんの組み合わせに正面から立ち向かってくると言うんですか? もう敵なし状態ですよね?」
「……うっ、まぁ、そうだな」
貴族と付き合いのある大店は他にもあるけれど、ギルド長とベンノのタッグを敵に回しても勝ち目がないだろうし、イタリアンレストランは富豪向けの店なので、何店も同じような店があっても共倒れになるだけだ。
ベンノが苦労したように、材料の調達や料理人と給仕を揃える手間と金を考えれば、手を引くのが普通の商人だ。ベンノはイルゼとギルド長への対抗心でやり始めたけれど、売り言葉に買い言葉で新しい事業に手を出すようなバカなことは普通しない。
「それに、ふわふわパンは、むしろ、わたしに必要なんです」
「お前に? すでに日常的に食べているだろう?」
「……領主の養女になった以上、わたしも流行の発信元にならなきゃダメなんですって」
下の者の後追いをするのは美しくない。それはお母様の持論ではなく、上級貴族の女性には必要なことらしい。新しい物を自ら取り上げて、広めていくことで、需要が生まれる。そうやって領地内の経済を活性化させることも貴族の役目だそうだ。
つまり、わたしも領主の養女として、これからは貴族がこぞってお金を落としたくなるような流行を作らなければならない。ならば、わたしとしては、ふわふわパンをお金ではなく、わたしの立場を作るためのアイテムとして使いたい。
「そんな感じのややこしい貴族の事情がありまして、ふわふわパンは領主の城や上級貴族から広げていくつもりなんです。だから、ふわふわパンもそのうち広がると思いますし、お母様の派閥に広がったら、イタリアンレストランにはレシピを流してもいいと思っています。ギルド長のところと協力してやっていくなら、別に天然酵母ちゃんのような切り札は必要ないでしょ?」
「切り札はいくらでもあった方が良いが?」
むっと眉を寄せて、ベンノはわたしを見たけれど、「やはり色々とあるんだな」と一応の理解を示してくれた。
「わたしが欲しいなと思った物は、これからも基本的にギルベルタ商会を通じて、作ってもらって売ってもらうつもりなので、ふわふわパンを最初から店に出すのは諦めてください」
「わかった。物事には順番というものがあるからな」
上から下に流した方が流れやすい。高級な物なら尚更だ。自作して身近にあるので、忘れがちだが、リンシャンも植物紙も髪飾りも絵本も、誰もが手に入れられるほど安価な物ではない。購入層はお金を持っている者に限られる。そして、下の後追いが許されないならば、尚更、上から流さなくてはならない。
「とりあえず、イタリアンレストランの売り文句である、貴族も利用する食事処、という部分は、わたしががっちり守りますから。それで勘弁してください」
「守るって、何をするつもりだ?」
ベンノがひくっと頬を引きつらせた。どうやら、わたし、ものすごく信用がないみたい。……知ってたけど。
「大店の旦那様を集めて行う試食会で、わたしが共同出資者として挨拶します。新しい神殿長のお墨付きということで、店を始めれば、箔付けとしては十分でしょ?」
「……中身はともかく、肩書は神殿長で、領主の養女だからな。客が腰を抜かすぞ」
「挨拶だけで、一緒に食事なんてしませんよ。味がわからなくなったら可哀想じゃないですか」
ちらっと顔を出して、「ぜひ、ご贔屓に」と愛想を振りまくだけでも、十分に効果はあると思う。
そして、大店の旦那様方が領主や貴族との繋がりを求めて、ベンノに擦り寄ってくれば、印刷業を広げる上でも彼らの協力を得やすいはずだ。
「どちらにせよ、イタリアンレストランはなるべくギルド長にお任せして、ベンノさんはそこまで頑張らなくてもいいんじゃないですか?」
「共同出資者はギルド長ではなく、あの孫娘だが?」
共同出資者の中で成人しているのがベンノだけなので、奮闘しなければならないと主張する。けれど、わたしとしてはフリーダに丸投げでも構わない気がした。
「フリーダが共同出資者なら頼もしいですね。何が何でも利益を出してくれそうですし、フリーダだけで手が回らなかったら、あそこの家族はがっつり協力してくれますから。ベンノさんが多少手を抜いても大丈夫ですよ」
フリーダは何だかんだ言っても家族に大事にされているのだ。おまけに、利益に敏感で、少々がめついところがある一族だから、全力でイタリアンレストランに協力してくれるに決まっている。
「手を抜いていたら、乗っ取られるぞ?」
「え? でも、一年もしないうちに、印刷業が忙しすぎて、任せられる相手がいるイタリアンレストランになんて構っていられなくなると思いますけど。共同出資者としての名前が残っていて、その分の利益が得られたら十分ですって」
わたしは理解できないと言いたそうなベンノとマルクとルッツの顔をぐるりと見回した後、肩を竦めた。
「ベンノさん、さっき、文官が本当にやる気があるかわからないって、言ったでしょ? でも、文官のやる気なんて、この際、全く関係ないんですよ」
「計画が頓挫しそうなやる気のなさでもか?」
疑わしそうなベンノを見て、わたしはハッキリと頷いた。
「だって、ついこの間のわたしの洗礼式で領主自らが宣言しちゃいましたから。二十年くらいで領地に広げるって。それに、神官長が悪い顔してたので、あっという間に態度の悪い文官なんていなくなります。むしろ、更なる計画の前倒しや早送りの心配をした方が良いですよ」
あの神官長の顔を見ればわかる。絶対に何かの布石か罠だ。
その罠がやる気のない文官に向けられたものならば良いけれど、これが「ギルベルタ商会は本当に使えるのか」という試練だった場合、気を抜いたら大変なことになる。
「……あんまり適当なことを言うな」
「適当じゃありません。経験に基づいた断言ですから」
まだ疑わしそうな顔をしているベンノの後ろで、マルクがすっと両手を胸の前で交差させた。
「貴重な助言、ありがとうございます。心に留めておきます」
「マルク……」
「いくら現実が忙しすぎるからといって、目を逸らしてはいけません。忠告通り、どのような無茶を言われてもある程度対応できるようにしておかなければ」
マルクの言葉にベンノとルッツと、何故かギルとダームエルまでが、すっと表情を引き締めた。無茶ぶりをする上を持つと大変だね。
「じゃあ、ベンノさんのお話はこれで終了にしてもいいですか?」
「構わないが……」
「わたし、ギルとルッツの話が聞きたいんです」
わたしは少し身を乗り出すようにして、ギルとルッツを見つめる。
余所の町や農村の冬の館には、わたしも行ったけれど、基本的に騎獣に乗っての移動だったし、馬車に乗っている時は貴族を警戒して雰囲気がピリピリしていた。祈りを捧げる以外のことをしていないので、普通の旅ではない。
わたしは普通の旅の話が聞きたいのだ。特に、ルッツなんて、念願の余所の町である。
「ねぇ、二人とも。初めての余所の町はどうだった? エーレンフェストとどう違った? 馬車に揺られるの、気持ち悪くなかった?」
「すっげぇ揺れた! 半日もかからない距離なのに、ギルなんて行きも帰りも酔ってへろんへろんになってたぞ」
「何だよ!? ルッツだって、行きはぐたぁっとしてたじゃないか!」
楽しそうに目を輝かせた二人が、言い合うようにして、初めての旅について話をしてくれる。
町の中を走るのと違ってひどく揺れたこと。貴族の文官が、ぶん殴ってやりたくなるくらい腹の立つ相手だったこと。余所の町の小ささと人の少なさに驚いたこと。孤児院のひどさに一年ほど前を思い出したこと。ボロを着て、生気のない目をした孤児達にもうちょっとマシな生活をさせてやりたいと二人で決意したこと。
「二人とも頑張ったね。ありがとう。ギル、外じゃ撫でちゃダメって言われるから、ここで褒めてあげる」
駆け寄ってきて跪いたギルの頭をわしゃわしゃしたら、ギルが嬉しそうに破顔した。
「……もう、頑張っても褒めてもらえないかと思った」
「こうして撫でて褒めてあげられるのは、ここだけになりそうだけどね。身分って想像以上に面倒だから」
ギルを撫でた後、ルッツも撫でようとしたら、「別にいい」とかわされた。ちょっと悔しかったので、ぎゅーしてやる。
しかし、こうして取り繕ったところのない意見を聞くと、孤児院での印刷業はなかなか厳しそうだ。
「ベンノさん、マルクさん。その孤児院でどうしたら印刷業ができると思いますか?」
「あそこは本当に人数も少ないし、力のあるやつも多くないから、印刷をさせるんじゃなくて、紙作りを中心にさせた方が良いんじゃないか? インゴの作る印刷機を扱うのは難しいと思うぞ」
ベンノが顎を撫でながら、少しばかり目を細めると、マルクも苦笑した。
「領主様がいらっしゃる街ですから、ここが大きいだけで、この周辺は他の町もそれほど大きくありませんからね」
「じゃあ、紙作りと印刷業は分業にした方がいいかもしれませんね。周辺でなるべく紙を作ってもらって、神殿の工房を印刷専用工房にするとか……。なるべく早くガリ版印刷を完成させて、力がなくても印刷ができるようにするとか……」
わたしが何となく思いつくことを指折り並べていると、ベンノは頭をガシガシ掻きながら、溜息を吐いた。
「ローゼマイン、お前、そんな開発をしている余裕があるのか?」
「今のところは全くないです。だから、その町の権力者と色々やり取りして、落としどころを探り合うよりは、せっかくある権力をどーんと使って、孤児院兼工房を新しく作った方が面倒はなさそうだと思いました」
ついでに、神の教えを広げるなんて名目でこぢんまりとした礼拝室のところを付けておけば、わたしが様子を見に行くにも言い訳が立つ。
「ちょっと待て! いきなり権力の暴走か!? お前、喧嘩は嫌だとか言ってなかったか?」
「喧嘩は嫌ですけど、この場合、喧嘩にならないでしょ? 身分差を考えれば、絶対にわたしの要求が通るじゃないですか。だったら、本作りの邪魔者を排除できる手段があるのに、使った方が楽だなって思って……」
正味の話、肩書が多すぎて、付随する責任や仕事や新しく覚えることが多すぎて、わたしも脳みそが破裂しそうなのだ。余所の小さな町の有力者と悠長に腹の探り合いをしながら、落としどころをさぐっていく余裕なんてない。権力で片付くなら、さっさと片付けてしまえばいいじゃない。
「誰だ、こんなのに権力を持たせたヤツ!?」
「領主である養父様です」
「……くっそぉ、文句も言えねぇ」
ベンノが頭を抱えるけれど、物事には優先順位がある。
まず、本を作って増やすこと。これが一番重要で最優先課題だ。そのためには権力もお金も使えた方が良い。
神殿長や領主の養女としての責任を果たすのは、そのための努力なので頑張れるけれど、手に入れた権力で排除できるとわかりきっている邪魔者にかける手間は惜しい。
「まぁ、権力を振り回すとは言ってみても、普通なら、洗礼式を終えたばかりのわたしの思い通りになんてならないとは思うんです。でも、養父様、わたし以上にせっかちなんですよね」
「あぁ~」
思い当たることがあったのか、ベンノが絶望のこもった声を上げる。マルクがそっと額を押さえた。やっぱりジルヴェスターの暴走でギルベルタ商会は大変なことになっているようだ。
イタリアンレストランの食事会で、ジルヴェスターに一体どんな無茶を要求されるのか、強張った顔で話し始めた二人を眺めていると、ルッツが折りたたまれた植物紙を取り出した。
「ここを出る前に渡しておいた方が良いよな。……手紙」
一瞬ルッツの目が周囲を見て、口籠りながら、そっと渡してくれた。
この植物紙は、わたしがマインとして稼いだお金から購入し、家族が気兼ねなく手紙を書けるようにルッツから渡してもらったものだ。マインが死んだことになった後、貴族街に行くまでの間に、神官長と相談して、ベンノに手紙で依頼した。
神官長によると、わたしは貴族に殺されたという設定になっているので、ビンデバルト伯爵から没収したお金の一部が見舞金として出ていたらしい。しかし、娘を金で売ったみたいで嫌だ、とウチの家族にはお金を受け取ってもらえなったそうだ。目に浮かぶ。
なので、見舞金も遺産もこちらで管理して、わたしの好きに使うことにしたのだ。「せめて、お手紙が欲しいな」って、わたしの名前で紙とインクを贈られたら、ウチの家族は嫌でも手紙を書かざるを得ないだろう。そうしたら、わたしの寂しさがちょっと減る。ふふん。わたし、頭いい。
「これは、死んじゃったマインに対する手紙だから、中を見てもローゼマイン様へ、とは書いてないからな」
家族からの初めての手紙に緊張しながら、かさりと広げるとトゥーリの拙い字が紙面に踊っているのが見えた。まだ書き慣れていない上に、初めてのインクを使った文字なので、ところどころインクの染みができている。変な方向に書かれている文字や、文字がつぶれているところもあって、「マイン、わたしは元気だよ」しか読めない。
「えーと、これは……何て書いてあるんだろう?」
「あぁ、そこはコリンナ様のところで裁縫の勉強を始めたって書きたかったはずだ。この辺りはおじさんだな。カミルの首が座ったって。ここら辺がおばさんだと思う。倒れてないかってすげぇ心配してた」
父さんは仕事で字を書いているし、前は読んでいたから、ちょっと癖があるけれど普通に読める。母さんは覚えたてなので、トゥーリよりも読みにくい。そんな三人がそれぞれ好きなように書き込んでいるので、せっかく手紙をもらっても解読不能だ。
「……ルッツ、今度から一人一枚使うように言って。字が重なって読めないから」
「一応言ったんだけどな」
高いのにもったいない、と言われたらしい。そう言っている姿が頭に浮かぶ。高くて、家族からは手紙を出してくれないと思ったから、マインの遺産で植物紙やインクを買ったのだ。わたしが読めるように使って欲しい。
「読めないから一人で一枚ずつ使って欲しい、とは伝えておく」
「ありがとう、ルッツ。後で急いでわたしも返事を書くから届けてくれる?」
「おぅ」
ここにも筆記用具を持ち込まないといけないな、と話し合いのためのテーブルと椅子しかない部屋を見回してそう思っていると、マルクがすっと筆記用具一式を自分の荷物の中から取り出して、テーブルに並べていく。
「お貸しします。ここで書いてしまった方が良いですよ」
「さすがマルクさんですね。かゆいところに手が届く感じが、とても素敵です」
マルクの貸してくれた筆記用具で、わたしはすぐさま返事を書いた。忙しいけれど、わたしは元気だよ、と。
隠し部屋でなければできない話し合いは終わったので、部屋を出て、昼食をとることになった。すでにブリギッテは終えていたので、ブリギッテが護衛をし、ダームエルは一緒に食べる。
「ブリギッテ、昼食はいかがでした? お口に合いまして?」
食事の準備がされるのを待っている間に、わたしはブリギッテに問いかける。ブリギッテは普通の貴族だ。イタリアンレストランの開店を間近に控えているので、少しでも多くの貴族の感想が欲しい。
「えぇ、とても美味しくいただきました。ローゼマイン様の料理人は腕が良いですね。護衛がとても楽しみになりました」
キリッとした表情はほとんど変わらなかったけれど、アメジストの目元は少し柔らかく細められていて、そこまで言ってくれるなら、かなり気に入ってもらえたに違いない。
わたしがホッと安堵の息を吐いていると、視界の端にオレンジに近い赤毛の三つ編みが映った。
「ローゼマイン様、これは半分くらいわたしが作ったのですよ」
にこにこニコラが得意そうに笑いながら、お皿を持ってきた。貴族街に行く前は、わたしに出すには自信がないと言っていたが、どうやら、わたしがいないうちに料理の腕を上げたようだ。
「まぁ、食べるのが楽しみだわ」
「ローゼマイン様、新しいレシピはありますか? もっと色々作ってみたいです、わたし」
美味しいものが大好きで、わたしの側仕えになって一番嬉しいのが食事で、美味しいご飯のために頑張ります、と決意表明していたニコラに、わたしは小さく笑う。
「あります」
「え?」
「今夜にでもレシピを渡しますね。エラと一緒にたくさん練習してください」
まずは門外不出という扱いで、エラとニコラに天然酵母ちゃんを作れるようになってもらおう。それから、上級貴族の女性に流行りそうなお菓子のレシピもマスターしてもらいたい。魔術具の氷室があると言っていたし、今の暑い時期なら冷たいお菓子もいいかもしれない。
……ある程度印刷業が広がったら、「ローゼマインおすすめレシピ集」も作ってみようかな?