Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (187)
閑話 腹の痛い料理人
俺はフーゴ、21歳。
ギルベルタ商会の旦那様であるベンノさんに見出され、およそ一年に渡る神殿の青色巫女見習いのところでの修行を終え、イタリアンレストランの料理人に抜擢された。
貴族である青色巫女見習いのところで料理を作っているということで、箔がついたらしく、最近恋人ができたのだ。来年の星祭りでは、俺が主役だ。次こそ、主役になるんだ。
そのためには本日の食事会は何よりも大事な試練の場だった。領主と騎士団長と神官長の舌を満足させることができなければ、料理人としての先は暗い。
俺も、一緒に巫女見習いのところで修行してきたトッドも、ギルド長のところから派遣されてきたイルゼの助手も、新しく雇われることになった見習いも、息をするのさえ緊張するような空気の中で食事を作っていた。
「大丈夫そうだ。護衛騎士の方々は喜んでる」
護衛騎士に給仕してきた者が少し嬉しそうに顔を綻ばせて、空になった皿を持って戻ってきた。厨房で働いていた料理人が一斉に安堵に息を吐き、いや、大事なのは領主を満足させられるかどうかだ、と気を引き締め直す。
今日のメニューは全てローゼマイン様から教えられたレシピで、イルゼに教え込まれたレシピはない。
俺達がベンノさんに言われて、修行させてもらっていた青色巫女見習いのマイン様は、実は上級貴族の娘だったらしい。上級も中級も、お貴族様であることに変わりはないので、ハァ、そうですか、としか思わなかった。
けれど、マイン様は工房を通じた孤児院に対する献身ぶりを評価され、今回領主の養女となったらしい。領主の養女となれば名前も変わるようで、マイン様はローゼマイン様と呼ばれるようになった。
正直、領主の養女と言われても、全く想像ができないくらいの上の人という印象しかない。俺はすげぇところで修行していたんだな、と思ったくらいだった。
しかし、養女の出資した食事処に領主が興味を示して、食事会をするとなれば、話は別だ。他人事ではない。
貴族の館で料理人をしていたというイルゼのところで貴族向けの料理レシピと同時に、貴族に出すために気を付けること、料理に対する心構えと技術を叩き込まれた。代わりに、俺はローゼマイン様から教えられたレシピの数々を教え、必死に腕を磨いたのだ。きちんと成果が出ていれば良いと思う。
血縁者だったり、養い親だったり、彼らの近くにいるローゼマイン様が決めたレシピで、しかも、ローゼマイン様からは合格をもらっているのだから、大丈夫だ。そう思わなければ、腹がキリキリして、緊張で吐いてしまいそうだった。
「領主様を初め、貴族の方々には、初めて食べた味だと、大変ご満足頂けました」
全ての食事を出し終わって、デザートを配り終わったワゴンと一緒に食堂から退室してきたマルクさんが厨房へと入ってきて、そう声をかけてくれた。「満足」という高評価を得て、どっと力が抜ける。
思わずその場にしゃがみ込んだ俺とトッドを見て、マルクさんがクスリと笑った。
「お疲れ様でした、皆さん。大変だと思いますが、この後、給仕や側仕えの食事があります。もう一頑張り、お願いします」
そう言いながら、マルクさんは厨房の片隅に準備されているサンドイッチを食べていく。同じような作り方の挟みパンは外の屋台でも売っているが、柔らかい白のパンとパンに挟む具が独特なせいで、挟みパンとサンドイッチが同じ料理だとは思えない。
結局、俺達の間では、白いパンを使う時はローゼマイン様が言いだしたサンドイッチと呼ぶように定着してしまった。
「……それにしても、領主様も初めて食べた味、か」
「ローゼマイン様は一体どこでこのレシピを手に入れたんだ?」
何度も何度も思い浮かび、全く答えが得られない疑問が、俺とトッドの頭をまた巡る。イルゼはフンと鼻を鳴らして「夢の中だってさ。きっとクウェカルーラの料理でも食べたんだろう」と肩を竦めていた。料理の神様の話がどこまで本当なのかわからないが、それ以上の答えは返ってこなかった。
自分で入れたお茶を飲みながら、マルクさんが目を細める。
「ローゼマイン様のことについては、考えるだけ無駄です。さぁ、そろそろデザートも終わるでしょうし、会合が始まるはずです。お腹を空かせた給仕達がやってきますよ」
マルクさんは手早く食事を終えると、「ごちそうさまでした」と厨房から出て行く。俺とトッドは軽く顔を見合わせて、慌てて手を動かし始めた。
貴族に出す物と違って、給仕達への賄いは手軽で簡単にできる物だ。それでも、常に貴族の残りを食べている側仕え達は舌が肥えているので、スープだけはコンソメの残りを使う。水とポメソースと野菜を投入して量を増やす。
パンは普通に下町で食べられているパンを使う。あんなに高価な白いパンを賄いに使うなんてできるわけがない。
給仕達のメイン料理はハンバーグではなく、カルフェ芋で量増しした肉団子というより芋団子だが、ハンバーグを煮込んでいたソースにバターを加えて再利用しているので、肉の旨味がソースに出ている。
デザートは余っていれば、回ってくるかもしれない。
賄いの準備をしていると、マルクさんの言った通り、会合が始まるとのことで、給仕や側仕えが食堂から出されてきた。その途端、周囲に人が溢れて狭苦しくなる。
「腹減った、腹減った。フーゴ、早く」
「お前らより側仕えが先だ。運んで来い」
客人である側仕えや楽師が控室で食事を取り、給仕達は先程のマルクさんと同じように、普段は俺達が賄いを食べる厨房の片隅のテーブルや玄関口のホールで昼食を食べ始める。
すでに食事を終えている護衛騎士の三人は扉前に並び、大人の会合には必要ないと食堂から出されたらしいフリーダ様は出入り口のホールに一人で座っていた。
貴族に仕える側仕えや楽師、大店の従業員のように育ちが良いわけではない俺やトッドは、立ち食いで十分だ。皆に食事を出した後、俺達も手早く空腹を満たす。
食事会が成功に終わったと分かって、いきなり腹が減ってきたのだ。今日の俺の飯、自分で感動するほどうまかった。
突然、食堂の扉が開き、騎士達が呼ばれた。何が起こったのか、と食事を中断して様子を伺いに行こうとする給仕達。俺も気になってホールへと向かう。厨房からホールへと向かう俺達とは逆に、皿を抱えてホールから慌てた様子で戻ってくる者もいる。
俺がホールへ着くより先に、颯爽と領主様が食堂から出てきた。「邪魔だ」と言われて、給仕達は震え上がって、壁にへばりつく様子が見える。ホールに出ていない俺も思わず壁に張り付いた。
ぞろぞろと貴族達がホールへと出てきたかと思うと、神官長が突然白い獣を出した。貴族の魔術を初めて目の前で見せられ、叫ぶこともできずに口を押えて、飛び退く。
「扉を開けろ」
神官長の声に側仕えが即座に両開きの扉を開ける。白い獣が飛んでいった。走ったんじゃない。空を飛んでいった。どうなっているんだよ、と呆気にとられていると、直後に領主様はさらにすごい獣を出して、ローゼマイン様を乗せて、飛び去って行く。
目を見開いて、ぎくしゃくとした様子で白い獣に乗っているベンノさんやマルクさんを見ていると、俺は裏方の料理人で良かったと心底思う。あんな貴族と付き合わされるなんて、命がいくらあっても足りない。
女騎士、ベンノさんを乗せた騎士、ギルド長を乗せた騎士、マルクさんを乗せた騎士が同じように白い獣を出しては、続いて出て行き、最後に騎士団長が飛び出した。
店から獣が飛び出してくるなんて普通は思わないだろう。外を行き来していた周辺住民は大混乱で、あちらこちらから悲鳴やら叫び声やらが上がっている。
そして、当然のことながら、獣が飛び出していったこの店に問い合わせがやってきた。
「何だ、あれは!? ここは一体何をしているんだ!?」
しかし、困ったことに責任者がいない。ギルド長も、ベンノさんも、マルクさんも連れ去られた。
どこまでどう説明すればよいのかわからず、あたふたとする従業員を見ながら、俺はそっと一歩引く。俺の仕事は料理をすることで、こういう対応をすることではない。
結局、対応したのはギルド長の孫娘であるフリーダ様とローゼマイン様の側仕えであるフランの二人だった。
丁寧な詫びと貴族の暴走だと説明して、「そのうち戻ってくると思いますが、ご意見があるならば、お名前と共に承り、必ず私の主に報告いたします」とフランが述べる。
貴族に文句を付けて、直接関わりたいと思う者は少ないようで、人々はさっさと立ち去って行った。
その後は後片付けだ。俺達が料理道具を洗い終わる頃には、側仕えと給仕がそれぞれの主の皿を洗い、片付け始めた。貴族の食器は高価で大事な物なので、側仕え以外が触ってはならないらしい。
一生かけても払えないような金額の皿なんて触りたくもないので、片付けを各自してもらえるのはありがたい。
やっと一息つけそうだと思った頃に、外の喧騒が段々近付いて来るのがわかった。飛び出していった時と同じなので、騒がしい一行が戻ってきたのだろう。
慌てた様子で側仕えがホールへと駆けだして扉を開けると、神官長の白い獣が入ってきた。降りた瞬間に獣は消える。一体どうなっているのか、わからない。が、知らなくてよいことだと思う。
次々と入ってきた一行がまた食堂へと入って行った。お茶を準備しなければ、と側仕えが慌ただしく動き始める。その動きにハッとしたように給仕達も動き始めた。
「フーゴ、トッド、大事なお話がございます」
俺とトッドは一人だけ食堂に入らなかったマルクさんに呼ばれた。
「はい?」
「領主様に絡んだ深い事情がありまして、イタリアンレストランの開店は一月、場合によっては二月ほど延期することになりました。もちろん、その間お給料はお支払いいたします。そして、お給料を払う以上、しっかり働いていただきます」
「別にいいけど……」
いきなり職が無くなるというのでなければ、別に構わない。金をもらうならば、働くのは当然だ。
俺とトッドが頷くと、マルクさんがニコリと笑った。
「ありがとうございます。ご理解いただけて嬉しいです。では、開店までの期間、貴族街と神殿、どちらに勤めたいですか?」
「はぁ!?」
「本日、来店くださったお三方にレシピを売るつもりなのです。ですが、ローゼマイン様のレシピは少々特殊でしょう? キッチリと教える立場の人間が必要なので、先方の料理人にレシピの伝授をお願いします」
ローゼマイン様のレシピは確かに特殊だ。おいしく食べるための下拵えの過程が多いし、信じられないような調理法が多々ある。レシピだけ教えられても、本当においしくなるのか疑いの方が先に立つのだ。
多分、料理歴が長いほど、受け入れにくい。俺よりも若いエラの方が馴染むのが早くて、トッドは今でも首を傾げながら作っている。貴族の料理人に俺達が教えたところで、相手が受け入れてくれるかどうかわからない。
「オレ、神殿が良い。フーゴ、頼む。貴族街なんて無理だ」
貴族に緊張しまくって、使い物にならなくなるので、ローゼマイン様ともなるべく顔を合わせないようにしていたトッドがざっと青ざめて俺の腕をつかんだ。
神殿ならば今までも通っていたので、まだしも、と思っているのだろう。俺もさすがにトッドを貴族街にやるのは無理だと思う。……貴族街なんかに行ったら、俺も緊張で毎日吐きそうだけどな!
「では、食堂へ一緒にいらしてください」
俺とトッドは食堂へと連れて行かれ、ローゼマイン様から本日の料理を作った料理人として貴族に紹介される。
「こちらの二人が、本日の料理を作ってくれた料理人です。わたくしが考案したレシピを作ることができる貴重な人材ですの」
にっこりと笑ったローゼマイン様の言葉に領主様を初めとした貴族方の目がギラリと光った。隣に立つトッドがうひっ、と息を呑むのが聞こえる。多分、俺のも聞こえたはずだ。
「この食事会が成功すれば、すぐにでも大店の方々に招待状を送って、イタリアンレストランを開店させる予定だったのですけれど、小神殿を整えなければならないでしょう? ですから、お店の開店は少し延期して、工房を整えることにいたしました」
「……それでは、ここに来ても食べられないではないか」
領主様は不満そうに目を細めて、ローゼマイン様を睨んだ。けれど、ローゼマイン様は何も感じていないような笑顔のままで話を続ける。貴族同士とはいえ、ちっちゃい女の子がすごい度胸だ。むしろ、子供だから怖いもの知らずなのか。
「給仕はそれぞれのお店から引っ張ってきたので、イタリアンレストランが閉まっていても職場があるのですけれど、料理人は職場がございません。イタリアンレストランが開店できるようになるまでの間、有料で料理人を貸し出しいたします」
ローゼマイン様がちらりとマルクさんに視線を向けた。マルクさんが小さく頷く。この発案はきっとマルクさんのものなのだろう。いくら貴族でも幼いローゼマイン様が考えるようなことではない。
「出張費用として一月につき大銀貨5枚。そして、レシピ一つにつき、小金貨1枚を頂きます」
「レシピ一つに小金貨? それは高すぎないか?」
騎士団長がぐっと眉を寄せたが、ローゼマイン様は心外だと言わんばかりに目を見開いた。
「あら? 高いでしょうか? わたくしがフリーダにカトルカールのレシピを教え、一年間の独占契約を結んだ時は、小金貨5枚で契約いたしました。フリーダは想定より安いとその場で即決しております。わたくしとしては、独占契約ではないのですし、身内価格として、かなりお安くしているつもりですけれど?」
フリーダ様とローゼマイン様が契約している姿を思い浮かべて、冷汗が出た。まるで、
飯事
のような情景なのに、小金貨が飛び交っているのだ。子供が持つ金額ではない。なんて契約をしているんだ!?
「私共がローゼマイン様から買い取った簪の作り方と専売権は大金貨1枚と小金貨7枚。知られていない貴重な情報というのは、高いものなのです」
ベンノさんもローゼマイン様との契約内容を口にして、値段の正当性を補強するが、騎士団長はやはり納得できないようだ。
「……お菓子のレシピに値段はなかっただろう?」
「それは、お父様やお母様が、お家とお城と神殿の三つもわたくしのお部屋を整えてくださったり、洗礼式の衣装を二つも整えてくださったり、立場を考えて教師を付けてくださったり、お金も心も込めて歓迎してくださったからですわ。わたくしに返せるものを返したのです。ここから先は有料です」
ぴっと立てた人差し指を交差させて、「ダメです」とローゼマイン様がきっぱりと断る。むぅっと考え込むように眉を寄せた領主と騎士団長と睨み合うローゼマイン様に声をかけたのは、涼しげな無表情で、話を聞いていた神官長だった。
「どうせ孤児院の費用集めの一環だろう? 私は其方の言う通り支払おう。レシピは先程提示されていた三十種類全てで、料理人の拘束期間は一月だ。支払いは料理人と交換にする」
一体いくらになるのか知らないが、とんでもない金額が動いたのだけはわかった。背筋がぞっとする。自分が叩き込まれたレシピの貴重さが身に染みた。ベンノさんかローゼマイン様の許可なく、他にレシピを流さない、という契約魔術を結ばされたのも納得だ。
「二人のうち、どちらが神殿に来るのだ?」
「トッドが、神官長から見て右側に立っている料理人が神殿へと参ります」
神官長の問いかけに、マルクさんから耳打ちされたベンノさんが答える。トッドの様子をちらりと見れば、貴族達から視線を向けられたトッドの顔が、緊張で土気色になっている。
「明日はここを閉めておくための諸々の準備、こちらからのレシピの準備などがございますので、料理人の派遣は明後日からとさせていただきます」
「よろしい、トッド。では、明後日の2の鐘に神殿へ来るように」
「は、はいっ!」
裏返った声で返事をしたトッドがその場に跪いた。……ように見えたが、その場にへたりこんだだけだったと知ったのは、貴族方が帰った後だった。
結局、領主様も騎士団長も、神官長と同額を支払い、レシピを購入することになった。ローゼマイン様と貴族方の間で契約が結ばれ、俺は貴族街で一月の間だけ働くことになる。
「では、手配の方、よろしく頼む」
「かしこまりました。明後日の2の鐘の後、神殿に向かわせます」
「わたくしが城に向かう時に一緒に連れて行きますね」
支払いは領主様がまとめて払ってくださり、周囲を騒がせた詫びと、満足した料理に、と少し多めにいただいた。
貴族の集団と側仕え達がいなくなると、一気に店は静かになった。店に残っている皆の顔に疲労の色が濃く出ている。
「すまん、フーゴとトッド。貴族の厨房で働くのは大変だとは思うが、頼んだ」
ベンノさんに後を託された次の日、マルクさんから俺とトッドはギルベルタ商会に呼び出され、出張費用が渡された。大銀貨3枚だ。一月の給料の倍近くある大金である。
貴族から取っていたのは大銀貨5枚だが、残りの金は店を閉めておく間の維持費に使われるらしい。
「それから、これが相手に教えるレシピです。ここに書かれた物以外は決して教えないように気を付けてください」
「はい」
教えるべき料理名がずらりと並んだ紙が手渡された。
「読めねぇよ!」
「あちらに行けば、読める人間はいます。これは自分が何を教えなければならないかを知るための物ですから」
家族に貴族街で働いて来る、と伝え、彼女にも同じことを伝えれば、「すごいね」と自分のことのように喜んでくれた。
「頑張ってね。戻ってくるの、待ってる」
「おぅ」
その次の日は出発の日だ。前もって言われていたように2の鐘に神殿へと向かう。
門番の灰色神官に名乗ると、通い慣れた孤児院長室ではなく、神殿の奥の奥にある神殿長室へと通された。
「おはようございます、ローゼマイン様」
「おはようございます、フーゴとトッド。大変でしょうけれど、よろしくお願いします。ザーム、トッドが来たわ」
貴族のお嬢様らしい服を着たローゼマイン様が一人の灰色神官を呼ぶと、ザームと呼ばれた灰色神官はテーブルの上に大金貨と大銀貨を並べる。
「確かに頂きました。ザーム、トッドを厨房に案内してちょうだい。フランはお金を片付けて、神官長に連絡を」
「かしこまりました」
不安そうな顔をしたトッドが灰色神官に連れられて神官長の厨房に連れて行かれ、フランは袋を片付けると部屋を出て行く。
そこに明るい赤毛の灰色巫女見習い、料理の助手として厨房にちょこちょこ出入りしていたニコラとエラがやってきた。
「ローゼマイン様、エラをお連れいたしました」
「ありがとう、ニコラ。では、フーゴとエラを側仕え達の馬車へと案内してちょうだい」
「はい」
ニコラに連れられて、俺はエラと一緒に神殿の玄関へと向かう。そこには、貴族用の信じられないくらい綺麗な馬車があった。
今日からローゼマイン様が城で滞在するので、一緒に馬車を出してくれるのだそうだ。貴族の許可なく、平民は貴族街には入れない。
「ローゼマイン様と神官長の準備が整うまで、こちらでお待ちください」
「ありがと、ニコラ。いない間、大変だと思うけど、頑張って」
「灰色神官や灰色巫女が何人も来ましたから、大丈夫です。エラも色々な料理覚えてきて、また教えてくださいね」
俺達を馬車に案内すると、ニコラはくるりと背を向けて去っていく。エラがその後ろ姿に手を振って、見送っていた。冬の間、それから、俺達が神殿を出てから、エラも色々あったのだろう。横顔がずいぶん大人びて見えた。
「あれ? お前、成人したのか?」
馬車の中に入って、やっと体の力が抜けたことで、今まで目に入っていなかったことが目に入った。大人びて見えるはずだ。エラが髪を上げていた。
「春ですよ、成人したの。貴族街にいたので、成人式には出られなかったんです」
「そりゃ、残念だったな」
「ん~、そうでもないかも? ローゼマイン様から成人祝いに新しいレシピと、女で力がないからって、厨房で使える小さいミートチョッパーをいただいたんです。うふふ、いいでしょう? 今回の荷物に入っているので、また見せてあげますね」
ミートチョッパーは肉をミンチにするのに使われる機械だ。街では大量の肉を潰してブルストを作る肉屋が所有している物で、かなり大きな機械だ。個人所有する物ではない。
まさか小さいミートチョッパーがあるとは思わなかった。それがあれば、ハンバーグがかなり楽に作れたはずだ。ずるい。
専属の料理人が可愛いのか、エラが女だから不利を補ってやろうと思うのか、ローゼマイン様が自分のお抱え鍛冶職人に料理道具も少し作らせているらしい。マジでずるい。
「なぁ、エラ。そういえば、貴族街のどこに行くんだ?」
「え? 領主様のお城ですよ? 今更何を言ってるんですか?」
「城!? いや、貴族街とは聞いたけど、それ以上は聞いてないぞ!」
城に行くのはローゼマイン様で、俺は騎士団長の家に放り込まれるのだと思っていた。
しかし、エラに話を聞いてみると、二人揃って城の厨房に行くらしい。エラは成人したばかりの女性で、実力よりも外見で判断されて、どうしても軽んじられる。だから、成人男性である俺と組ませて、城の厨房に馴染ませるのだそうだ。
そして、騎士団長の家からは、料理長がレシピを覚えるために城へと派遣されてくるらしい。エラのことは見習いの小娘、という目で見るけれど、ローゼマイン様のレシピは知りたくて仕方がないそうだ。
「カルステッド様のお屋敷よりもっと大きな厨房に、一人で放り込まれると思っていたから、フーゴさんが一緒で心強いですよ。初めて神殿に行く時もこんな気分だったなぁ。あの時はベンノさんに連れられて、神殿に行ったんですよね? 今回はローゼマイン様に連れられて、領主の城ですよ。期間限定とはいえ、宮廷料理人ですね」
「……考えただけで腹が痛い」
下町の料理人がいきなり宮廷料理人だなんて、考えただけで腹が痛くなる。エラから聞いた貴族の料理人のプライドの高さや傲慢さを思えば尚更だ。
「フーゴさんって、実はトッドさんより気が小さくないですか? せっかくの新しい職場なんですから、新しいレシピ探しましょうよ。目標を持って行けばいいんですよ」
「よし! だったら、俺、貴族街から戻ったら、彼女の親父さんに挨拶に行く」
「……フーゴさん、恋人できたんですか?」
エラがポカンと口を開けて、俺を見た。信じられない、と顔に書いてある。信じられなくてもできたんだよ。
「あぁ、最近な。神殿で料理人をしていたってことで箔がついて、恋人ができたんだ。お前もできるんじゃね? いいぞ、恋人がいると色々なところで張り合いが出るぞ」
「へぇ」
ものすごく興味なさそうにエラが相槌を打つ。こいつは料理馬鹿だから、成人したとはいえ、色恋沙汰にはまだ興味がないお子様なのだろう。
「期間限定とはいえ、宮廷料理人だったら、箔付けにはピッタリだよな? 結婚、許してもらえると思うか?」
「そうですね。フーゴさんがお城に行っている間に振られなければ、大丈夫なんじゃないですか?」
「おっそろしいこと言うな!」
去年も今年も星祭りではタウの実をぶつける側だったが、来年は違う。俺はやる。
城へ行って修行して戻ってきたら、彼女の親父さんに挨拶に行くんだ。