Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (19)
粘土板はダメだ
わたしは熱にうなされながら、フェイ達をいかに恐怖に落としいれるか考えていた。
もうちょっとだったのに!
もうちょっとで本が手に入るところだったのに!
森に行けず、粘土も持ち込みを禁止されれば、もう本が手に入ることはないだろう。
ここはやはり、日本式恐怖にご招待するのが、一番トラウマになる気がする。
この世界の人達が何を怖がるのか全くわからないけど、わたしが髪を下ろして貞子っぽい装いで恨み辛みを言い続けるとか、番町皿屋敷のように粘土板を数えていくとか……どうよ? 怖くない?
せっかく考えたのに、熱が下がって起き上った朝、父は何とも複雑な顔で、何故か森禁止令を取り消してきた。
「……明日」
「ん?」
「明日は森に行ってもいい」
「へ? 森に行ってもいいの? なんで?」
「……不満そうだな」
森へ行けるのは嬉しいけど、せっかくノリノリで考えた日本式恐怖計画が台無しだ。
ぽそぽそと恨み事を並べる練習もしたし、幽霊っぽく見える服も考えた。後は舞台とかシチュエーションに凝ろうと思っていたところだった。井戸の辺りにするか、路地から出てくるか……。
「不満はないけど……」
「けど、何だ?」
「……せっかく色々計画考えたのにぃ……もったいなくない?」
「もったいなくないっ! そんな計画はすぐに捨てるんだ!」
「ちぇ……」
まぁ、森に行って、粘土板を完成させることができるなら、計画なんて必要ない。フェイ達相手に遊んでいる時間がもったいないので、森に行ったら自動的に計画をポイすることになるのは目に見えている。
それにしても、いきなり意見を変えるなんて、一体何があったんだろう?
「体調を見てからだから、明日にするんだ。これは譲らん!」
「はぁい」
さすがに病み上がりでいきなり森に行くような無茶はしない。この身体のポンコツ具合はわたしが一番よく知っている。
今日一日、熱が上がらなかったら森に行ってもいいと言われたので、心躍らせながら、明日の準備を始めた。
物置の中にあった何に使うかわからない板を籠の中に下敷きとして入れる。そして、母が掃除の雑巾にするために取り置いているボロ布をごっそりと持ちだして籠へ入れた。これで粘土板を包んで持ち帰るのだ。
さぁ、粘土板、作って作って作りまくるよぉ!
気合を入れて起きると、大雨だった。
それも、この辺りでは記録的な豪雨。まるで台風のような嵐だ。
窓の板戸を閉めていても、風と雨の音が聞こえる。
「のおおぉぅっ! 雨っ!?」
天気予報のない世界で天気にまで気が回らなかった。正確には、熱出して倒れている方が多いし、家族が「今日は出ても大丈夫」と判断しなければ、外に出してもらえなかったので、天気なんて今まで気にしたことがなかった。
大雨にでろんと崩れる粘土板の映像が脳内を駆け巡る。いくら低木のかげに隠しておいたと言っても、この嵐では無事にはすまないだろう。
にぎゃああぁぁっ!
わたしの粘土板がぁっ! でんでろりんになっちゃうっ!
「ちょっと、マイン! どこに行く気!?」
「森!」
思わず外に飛び出そうとしたが、母に羽交い絞めにされて阻止された。
「ただでさえ、熱を出しやすいのに、こんな嵐の中を外に出るなんて、何考えてるの!? 井戸に行くことさえできない状態なのよ!?」
締めきっていても板戸に当たる雨と風の音が家の中によく響き、どれだけ激しい嵐かを物語っている。
普通の人が井戸に行くことさえためらう時に、わたしが外に出られるわけがない。ガックリとその場に崩れるようにして座り込んだ。
「わたしの『粘土板』が……あうぅ」
「マイン、大丈夫だよ。今度はみんなが手伝ってくれるって言ったんだから、前よりずっと楽に速くできるよ」
トゥーリが落ち込むわたしの頭を撫で撫でしながら、慰めてくれる。ホントにトゥーリはいいお姉ちゃんだ。
珍しい大雨は二日続き、子供達が森へ出かけることを許可されるのはさらに二日後だった。
よく晴れた朝、久し振りに森へ行けるということで、どの子ども達の顔も輝いて見える。
今日は、見習いの仕事がない日なので、大きい子供達が多くて、いつもよりずっと人数が多い。ルッツの兄のラルフも一緒に森に行くようで、大きな籠を背負って、弓矢を持っていた。
「よぉ、マイン。熱下がったのか?」
「おはよう、ラルフ。もう大丈夫って、父さんが言った日から嵐になったの」
「それは災難だったな」
ぐしゃぐしゃとわたしの頭を撫で回して、ラルフはトゥーリのところへと向かった。
「よぅ、トゥーリ」
「ラルフ、なんか久し振りだね」
仕事見習いを始めたせいか、顔つきがしっかりしてきたように見えるラルフ。そして、洗礼式に向けてわたしが磨きをかけているトゥーリの輝く笑顔。
ちょっと奥さん、やっぱりこの二人、結構イイ感じだと思いません?
ラルフもトゥーリも面倒見がいいし、お似合いだと思うんだよね。
わたしが二人をニヨニヨしながら眺めていたら、ルッツに腕をぐっと引き寄せられた。
「わっ!?」
「マイン、ぼんやりするなよ。お前、遅いんだから一番先頭で出発だぞ?」
「あ、ごめん」
森に向かう子供達は集団で歩き、門を通り抜ける。緑が広がっているはずの景色には、嵐の爪痕が残り、農地がところどころひどい有様になっていた。
そういえば、この世界、災害に対する補償はあるのかな?
ぼーっと風景を見ながら足を動かしていると、ルッツがパタパタとわたしの目の前で手を振った。
「え? 何?」
「いや、ちゃんと見えてるのかなと思って。なぁ、マイン。今日も作るんだろ、あのネンドバン? あれ、何だ?」
日本語で書いていなくても、ルッツは字が読めないから、何が書いてあるかわからない。それ以前に、家の中に文字や紙がない生活なのだ。粘土板という記録媒体の素晴らしさを知らないに違いない。
これはぜひ布教しなければ、と妙な使命感に駆られたわたしは、ルッツに語り始めた。
「あれはね、忘れたくないことを書いておくものなの。きちんと書いておけば、忘れないでしょ? それをちゃんと保存しておけば、いつでも見られるでしょ?『記録媒体』はそのためにあって、あの『粘土板』は『記録媒体』の一つなの。粘土こねればできるし、書き間違っても、指で均せば文字が消せるし、焼けば保存もできるんだよ。すごいと思わない?」
立て板に水の説明だったせいか、ルッツはぽかんと口を開けて、わずかに首を傾げた。
「……よくわかんねぇ。で、マインは何を書いたんだ?」
「お話をね、書いたの。母さんが話してくれたお話。書いておけば忘れないでしょ? ホントは本が欲しいんだけど、ここにはないから。わたしが作るの」
「ふぅん。それがマインのやりたいことなのか?」
ルッツに問われて、はたと考えた。
今は周囲に一冊の本もないので、何とか本を作ろうと考えているが、本当にわたしがやりたいことは本を作ることではない。
「うーん、ちょっと違うね。わたしが本当にやりたいのは、本に囲まれて暮らすことだから。一月に何冊も新しい本ができて、それを全部手に入れて、読みふけって暮らしたいんだよね」
「えーと、つまり、本が欲しいのか……?」
「そう! 切実に、今すぐ欲しい。でも、高くて、全然買えないし、手が届かないから、自分で作るしかないでしょ? 紙も高くて買えないから、粘土板を作って、お話を書いて、焼いてみるつもりなの」
そこで、あぁ、とルッツは納得したように手を打った。
「マインは今、本の代わりを作ってるんだな?」
「うん! この間は失敗しちゃったから、今度こそ絶対に成功させるんだ」
「あぁ、オレも協力する」
何となく思いついて作ってあげた料理で、ここまで協力してくれるルッツには、わたしも協力してあげたくなる。
「じゃあ、ルッツのやりたいことは? わたしに聞くくらいだから、ルッツもやりたいことがあるんでしょ?」
「オレは……そうだな。別の街にも行ってみたい。旅商人や吟遊詩人は色んなところに行ってて、いろんな話を知ってるだろ? オレも色々見てみたい」
「いいね、それ」
そういえば、わたしも色んな国の色んな図書館に行って、本を読みふけりたいと思っていた。
もう叶うことがない夢を脳裏に描いて、そっと視線を伏せる。
「……本当にそう思うか? この街を出たいってことだぞ?」
「あ~、旅もいいよね。あっちこっち行くの、楽しそう。わたしね、『世界各国』の『図書館』巡るの、夢だったんだよ、ずっと……」
「ハァ、悩んだ自分がバカバカしくなる。……マインなら、絶対やりたいことやるんだろうな」
「ルッツだってやればいいじゃない」
麗乃だった頃の夢や、やりたかったことで、頭が埋め尽くされてされていたわたしは、この時ルッツがどんな表情をしていたか、全く見てはいなかった。
ようやく乾いた道を歩いて、森に向かう。
森に入ってすぐの少し開けた場所が集合場所だ。
「じゃあ、それぞれ採集してくるんだ。小さい子はあまり遠くに行くな。必ずこの集合場所が見えるところでいるように。いいな?」
大きい子供達はそう言うと、弓矢を持って、森の奥へと駆けていった。
小さい子供達はちらちらとわたしの方を見てくる。
森に到着するだけで、すでにへろへろのわたしだが、粘土板がどうなったかだけでも、すぐにでも調べたくて視線を巡らせた。
「ねぇ、誰か。『粘土板』がどこにあったかわかる?」
目印を付けてくれていた木が見つからない。もう何日も前のことなので、わたしが忘れてしまっただけかと思ったが、誰もが困ったようにきょろきょろと辺りを見回した。
「あの辺りの木に印を付けたんだよな?」
フェイの言葉に子分達が揃って頷く。フェイが指差した辺りはわたしも見当を付けていたところで、嵐で木が何本かなぎ倒されているところだった。
「場所の見当はついてるから、とにかく探すしかないな」
ルッツが低木の陰を探し始めると、みんながわらわらと動き始めて、一緒に探してくれることになった。
フェイ達だけじゃなくて、みんなが手伝ってくれるなんて……ちょっと、みんなイイ子すぎる。
「なぁ、これじゃねぇか?」
目印が折れていて探すことに苦労したが、フェイがしゃがみこんだままでブンブンと手を振った。
わたしが精一杯の速さで駆けつけて覗きこむと、崩れて字が読めなくなっている土くれがあった。予想していた通り、ぐちゃぐちゃになっていて、刻んだ文字はもう見えない。粘土板が土くれに戻ってしまった。
あぁ、また振り出しに戻っちゃったな。
「こ、今回はオレが壊したわけじゃないからな!」
「……うん」
フェイが慌てたように弁解するが、それくらいわざわざ言われなくてもわかる。周囲が気遣うように声をかけようか、どうしようか、とざわめいているのもわかる。気を使わせていることがわかるけれど、出てくる涙は止められない。
わたしがうぅ~っと嗚咽を漏らしていると、足音が近付いてきた。すぐそばで足音が止まったかと思うと、ペチッと軽く頭を叩かれた。
「マイン、泣いてる暇があるなら、もう一回作ろうぜ」
ルッツの声に意識がぐわっと浮上してくる。
そうだ、ルッツの言うとおりだ。せっかく協力してくれるフェイ達がいるうちにもう一回作り直した方がいい。
ズビッと鼻水を拭って、わたしは顔を上げた。
負けるもんか!
第一の失敗原因がフェイ達の人災。
第二の失敗原因が閉門までの時間。
第三の失敗原因は嵐。
もう人災も天災も経験した。これ以上の失敗原因なんてないだろう。何が何でも完成させるんだ。
粘土自体は固まりになってその場にあったので、こねて、粘土板にすれば、書き始められるし、足りなくなってもどの辺りに粘土があったか覚えている。土を探すところから始めた前回と比べると、スタート地点で雲泥の差だ。
大丈夫。まだ振り出しまでは戻ってない。
これまでの失敗で、晴れた日に一気に仕上げるか、屋根のあるところで作業しなければダメだと学習した。
今日は天候にも恵まれているし、涙と怒りをフル活用したことで、罪悪感に訴えることに成功したのか、勢いにのまれたのか、力と元気があり余る助手が3人も増えている。
これだけ手伝ってくれる人数が増えたら、きっとそれほど時間をかけずに、作れるだろう。
「手伝いはルッツとフェイ達だけいればいいよ。トゥーリは採集してきて」
「わかった。……頑張ってね、みんな」
「うん!」
トゥーリの応援にわたしは気を取り直して、粘土板作りにもう一回挑戦する。
フェイと子分その1に粘土を掘り出してもらって、ルッツと子分その2には粘土をこねて、成形までしてもらう。
わたしがするのは細い木の先で文字を刻むだけだ。
うんうん、イイ調子。
「お話を書くのに必要だった『粘土板』は10枚だったから、それだけ作ったら、採集に行って。ありがとね」
「お、おぉ」
次々と成形された粘土板が並べられていき、手早く10枚の粘土版を完成させたフェイ達は先を争うように採集へ向かった。
それなのに、ルッツはまた粘土を掘り始める。
「ルッツは行かないの?」
「今日はラルフがいるから、俺はマインの手伝いをしてやるよ」
「ふぅん。じゃあ、粘土はもういいから、これ、地面に書いて練習する?」
わたしは雨に濡れたことで柔らかくなっている地面に、粘土板に字を刻んでいた木の棒を突き刺して、ここの文字で「ルッツ」と書いた。
「何だ、これ?」
「ルッツの名前。自分の名前くらい書けるようにならないと他の街には行けないでしょ?」
この街の人間がこの街の門を出入りするのは、基本的に顔パスだが、他の街に入る時には名前を聞かれたり、書かされたりするらしい。元旅商人のオットーがそう言っていた。
実際、門の出入りもこの街の人間と他の街の人間では並ぶ列が違って、他の街の人間にはチェックが厳しい。
ルッツがいつか他の街に行きたいなら、自分の名前くらいは書けた方がいい。
「なぁ、マイン。これが、オレの名前?」
「そう、色んなところに行きたいなら、ちゃんと字を練習しておいた方がいいよ」
ルッツが目を輝かせながら地面に名前の練習をしている間、わたしはせっせと粘土板を作り続けた。
この世界で初めて聞いたお話を、日本語で刻み続ける。絶対に本を完成させるんだ、と心の中で何度も唱えながら。
「できた!」
母から聞いた民話の一つが完成した。
この調子で「母の民話集」を作りたい。わたしにとっては、この世界に来て初めて知ったお話の数々が詰まった本になる。
出来上がった粘土板を持ってきたボロ布に包んで、崩れたり、文字が消えたりしないように、そっと籠の中に積み重ねていく。
全てを籠に入れ終わると、はふぅ、と大きく息を吐き出した。目が熱くなって、じわりと涙が浮かんでくる。
初めての完成だ。
粘土板なんて、とても本と呼べるような物ではない記録媒体だけれど、わたしにとって誰が何と言おうと初めて手に入れた本だ。
この世界で生活するようになったのが、秋の終わりで、今が春の終わり。最初の本を手にするまで、ずいぶんと長い時間がかかった。
でも、本が作れると実感したことで、やっと地に足が付いたような気がする。
「この世界でも、本は読めるんだ。……だったら、大丈夫」
高価すぎて貧民には本が読めない世界で、何かしたらすぐに熱を出す病弱な身体への転生だったから、多少無茶しても、死んでしまっても、別によかった。
こんな病弱な子供の体が自分の体と思えなかったし、本がない世界を自分が生きる世界だなんて考えられなかったし、愛着なんて欠片も持てなかった。
けれど、本が一つ手に入ったことで、ここでも大事にしたいものができた。ちゃんとこの世界で生きていこうと思える、自分の生きる道を見つけた気がした。
「マイン、出来たの?」
「うん、出来た。トゥーリとルッツのおかげだよ」
トゥーリとルッツが向ける感情が、わたしじゃないマインに向けられたものだとしても、この本を作る上で助かったのは事実だ。
一番上の布を取り払って、トゥーリとルッツに出来上がった粘土板を見せる。
「ねぇ、マイン。これ、何が書いてあるの?」
「これはね、星の子供達のお話だよ。最初の夜、母さんが話してくれたやつ」
「最初?」
トゥーリが怪訝そうに眉を寄せる。
「そう。わたしが覚えてる最初のお話」
熱が高くて寝られなかったわたしに母さんが低い声で語ってくれた話だ。愛情のこもった声は自分だけれど、自分ではない存在に向けられたもの。言葉も感情もわたしを素通りしていくようで、受け入れられなくて、わたしの精神だけ切り離されて孤独感を深める愛情がこの上なく不愉快だった。
それなのに、ここで本を作ると決めた時に、本の内容がこれしか浮かばなかった。母の寝物語がわたしにとって大事な本になれば、寝物語にこもった愛情を受け入れられる気がした。
「わたしね、母さんが話してくれたお話を忘れないように全部記録しておきたいの」
「でも、また消えちゃうんじゃない?」
不安そうなトゥーリに笑って答える。
「このままだったら消えちゃうから、焼いて固めるの。そうしたら、いつでも母さんのお話が読めるでしょ?」
ここで生活を始めて、約半年。
やっと自然に笑えた気がした。
……ここで綺麗に終われたら感動的だったが、終わらなかった。
帰って早速粘土板を焼いてみたら、爆発した。
いや、ホントに。
何を言っているかわからないかもしれないが、嘘じゃない。
竈で焼いたら、ボン! って。
わたしの作った初めての本は、土煙と土の破片になって飛び散った。
原因を究明する暇もなく、呆然としたまま、とりあえず、母にしこたま叱られて、二度と粘土板を作らないと約束させられた。
あれ? 完全に振り出しに戻っちゃった?
あ、いや、でも、一回完成して気分的に余裕ができたから、三歩進んで二歩下がった感じ?
……次、どうするよ?