Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (190)
ロウ原紙作成にむけて
城で生活したとしても、呼び出しでもない限り、領主家族と顔を合わせるのは夕食の時間だけだ。朝食は各部屋で取るし、領主夫妻の昼食は会食が多いため、一緒に食べることはない。
そのため、この夕食の時間が唯一会話できる時間になる。
「養父様、わたくし、明日から一月ほど神殿に戻ります」
「……食事処の件は片付いただろう? 何があるのだ?」
ジルヴェスターが眉を寄せてわたしを見る。深緑の目が何か面白いことはないか、探しているのがわかった。
「印刷の技術を向上させるために、作り手達と話し合わなければならないことが多々あるのです。新しい技術ができ次第、報告に参ります」
「ふむ、わかった」
神妙な顔で頷いているけれど、絶対途中で視察だとか、様子見だとか適当な理由を付けて神殿にやってくる気がする。
「養父様、視察に来る場合は、必ず事前に連絡をくださいませ」
「わかっている」
絶対にわかっていないでしょ、というツッコミを呑み込んで、食事を終えた。
おやすみなさいの挨拶を終えると、部屋へ戻るのだが、この時はヴィルフリートと一緒に北の離れに向かうことになる。
「ローゼマインはずるい」
食事の間、ずっと不機嫌だったヴィルフリートがジルヴェスターによく似た深緑の目でわたしを睨んできた。ずるいと言われる意味がわからなくて、わたしは首を傾げる。
「……どの辺りが、ずるいのでしょうか?」
「私がずるいと言ったら、ずるいのだ!」
答えになっていなくて、わけがわからない。わたしが困ってランプレヒト兄様を見上げると、ランプレヒト兄様は困ったような顔で軽く肩を竦めた。ここで説明できることではないらしい。
「大変申し訳ございませんでした、ヴィルフリート兄様。わたくし、一月程は留守にするので、心安らかにお過ごしください。では、お休みなさいませ」
北の離れに着くと、わたしはさっさと階段を上がる。「全然わかっていないではないか!」と癇癪を起こす声が聞こえてきたが、無視だ。わたしは忙しい。
部屋に戻って、ぴらりと紙を取り出すと、神殿に戻っている一月の間に終わらせておくことを箇条書きにしていった。そして、神殿へと持って戻らなければならない物をリストアップする。
「……書字板が欲しい。紙がもったいないよ」
わたしの書字板はマインの荷物として家族が持って帰ってしまっている。今はトゥーリが使っているとルッツが言っていた。
手元にあっても、木を削って作られている装飾的でもない書字板を使わせてくれるとは思えない。領主の養女には不似合いな物として処分されたかもしれないことを考えれば、トゥーリが使ってくれた方が良いのだが、自分用の書字板が欲しい。
……忙しくて嫌がられるだろうけど、ベンノさんに注文しようっと。
ハァ、と溜息を吐いたわたしの目に留まるのは、リヒャルダによって本を片付けられてしまった戸棚だ。あそこにあるのに読めないなんて、辛すぎる。
わたしはじっとりした未練がましい目で戸棚を見ていると、リヒャルダがコホンと咳払いした。
「今日はもうお休みなさいませ、姫様」
「……はい」
いいもん、明日の朝、早起きして読むんだから。
次の日は、早朝に目覚めた。早速読書を始めようとしたら、戸棚には鍵がかかっていて開かなかった。悶々としながら、リヒャルダがやってくるのを待っていたら、休息が足りていないでしょう、と叱られる。おまけに、朝食を終えるとすぐにリヒャルダによって神殿へと追い立てられた。
その理由が「姫様は読み始めるとお約束を忘れるのでしょう? フェルディナンド坊ちゃまがおっしゃいましたよ」だって。
……おのれ、神官長!
むぅっと唇を尖らせ、胸の内に黒い感情を抱きながら、わたしは馬車に乗って神殿へと向かう。ブリギッテとダームエルも一緒だ。
「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」
「ただいま戻りました、フラン」
迎えに出てくれていたフランと一緒に神殿長室へと戻る。
「しばらくお城に滞在すると言われていたので、昨日の昼間に、神官長からローゼマイン様のお帰りの話を聞いた時には驚きました」
「えぇ、わたくしも神官長に戻ってくるように、と言われた時には驚きました」
本が読めないまま出発させられた苛立ちがどんどん募ってくる。神官長が積み上げた本はお城の図書室の本なので、城の外へは持ち出し禁止なのだ。読めるのは城に戻ってからになる。
「ローゼマイン様、ずいぶんと気が立っているようですが、何かございましたか?」
「神官長に読書をお預けにされたのです。わたくしが読書を我慢してまで帰ってこなければならなかったのですもの。よほど、楽曲とレシピが必要なのでしょう」
ふんぬぅ、と怒りに任せて、わたしが言うと、フランが驚いたように目を見張った。
「……そうなのですか? 神官長からは寄付金が集まったので、ギルベルタ商会に連絡を取るように言われておりまして、そろそろ彼らが到着する頃なのですが」
わたしもフランの言葉に驚いて目を見張る。確かに、寄付金は集まったし、早目にベンノに渡したいとは思っていたけれど、神官長がそのお膳立てをしてくれているとは思わなかった。
「お召替えをされたら、院長室へ向かいましょう。ニコラがお菓子を準備して待っています」
「そう、楽しみだわ」
わたしが小さく笑うと、フランはホッとしたように息を吐いた。
モニカに着替えをさせてもらい、フランに寄付金で集まった金額を確認してもらい、わたしは孤児院の院長室へと移動する。
慣れた部屋の方が落ち着くなぁ、とわたしは軽く息を吐きながら、隠し部屋の扉を開けた。
「モニカ、ここを軽く掃除して、筆記用具をこちらにも入れてちょうだい」
「かしこまりました」
フランは平気そうな顔をしているけれど、やはり、隠し扉を見るとわずかに顔が強張るので、隠し部屋の掃除などはモニカに任せている。
「フラン、ギルとヴィルマはどうしているかしら?」
「ギルはギルベルタ商会の出迎えに門で待機しています。ヴィルマに話があるならば、呼んで参りましょうか?」
「ヴィルマに絵の依頼をしたいのだけれど、ルッツ達とのお話が終わった後で良いわ」
フランから不在の間に起こったことの報告を聞いているうちに、ベンノとルッツがやってきた。小神殿に関する仕事が大量で、マルクは店で采配を振るっているらしい。
「ルッツ、こちらへいらして。側仕えはギル、護衛はダームエルでお願いするわ」
わたしは隠し部屋へと入り、扉を閉めた瞬間、ルッツに飛びついた。完全に予想されていたようで、ルッツは驚きもなく、受け止めてくれる。
「ルッツ、ルッツ、ルッツ! ちょっと聞いてよ、神官長ったらひどいんだよ!」
「……あのさ、オレ、今すげぇ忙しんだけど」
「わたしだって忙しいよ! 寄付金集めのお茶会を開催してもらって、愛想笑いし続けて熱出したり、更に金策を練っていたら神官長の八つ当たり魔術特訓させられたり、神官長からの嫌がらせを受けたり、大変なんだから」
わたしの訴えにルッツがぐっと眉を寄せて、険しい表情になった。
「神官長の嫌がらせって何だよ? 何されたんだ?」
「わたしの前に読んだことがない本を積み上げて見せびらかしながら、予定を次々と入れて、監視役を付けて、読ませてくれないの。ひどいでしょ?」
「……それはすげぇな。命知らずというか、後が怖いというか……」
ルッツは呆れた声を出しつつ、わたしの顔を見て、ひくっと顔を引きつらせた。本を取り上げられた時のわたしの暴走っぷりを一番間近で見てきたのはルッツだ。あ~、と困ったような声を出した後、わたしの頭をゆっくり撫でる。
「よく我慢してるな。うん、偉いぞ」
「ううん、もう我慢するのは止めたんだよ。あんまり悔しいから、ロウ原紙を作ることにしたの」
「繋がりがわからねぇよ!」
ルッツが叫んだけれど、繋がりはそれほど重要ではない。重要なのは、ロウ原紙を作って、神官長にぎゃふんと言わせてやることだ。
「いいから、作ろう。ね?」
わたしがルッツに抱き着いたまま、誘っていると、ベンノがくわっと目を開いて、雷を落とす。
「この阿呆! こっちがどれだけ忙しいのか、わかって言っているのか!?」
「わたしの金策にはロウ原紙が必須なんですよ! ベンノさんは貴族間でお金を掻き集める苦労を知って言っているんですか!?」
ガーッ! とわたしが怒鳴り返すと、ベンノが驚いたように目を見張った。ベンノの勢いが止まった瞬間を逃さずに、わたしは畳みかける。本をお預けにされた怒りはベンノの雷程度では揺るがない。
「儲けられる機会はたった一回限りなんですよ。ロウ原紙があるかどうかで、集まる金額が馬鹿みたいに変わるんです。とにかく、ルッツは一月お借りします」
「おい、勝手に決めるな」
わたしがルッツにしがみついたままで宣言すると、ルッツがピシッとわたしのおでこを弾いた。わたしは弾かれたおでこを押さえながら、唇を尖らせる。
「わたしが考える物はルッツが作るんでしょ? その前提、崩していいの?」
「それは、ダメだけどさ……」
「ルッツを貸し出してやりたいが、こっちも大変なんだ」
ベンノがガシガシと頭を掻きながら、必要な物資集めもお金が足りない、と零した。ローゼマイン工房の余剰金では、もう足りなくなっているらしく、ギルド長とどちらがどの程度負担するかの話し合いに時間をとられているらしい。
「お金に関しては大丈夫です、ベンノさん。一応寄付金を集めてきたので、後で渡します。初期費用分は集まりました」
「……何だと?」
金策は商人にとって、一番頭を悩ませるところだ。そして、今一番時間がかかっているのは、費用の分担で、その悩みが一気に解決したのだから、ベンノが目を見張るのは当然だろう。
「よし、ルッツは貸し出す。金さえあれば、注文もしやすいし、必要物資を買い漁るのも簡単だからな。次の金策に必要なら、きっちりやれ」
ベンノはキラリと目を光らせて、ルッツとわたしを見た。ベンノからもやってしまえ、と許可が出たのだ。遠慮なくやってしまおう。
「それから、これ。上級貴族への繋がりを作ってくれたローゼマインにお礼の贈り物だ。必要だろう?」
ベンノがくいっと顎を動かすと、ルッツがバッグの中から、布に包まれた四角の物を丁寧に取り出した。
「どうぞお納めください」
ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべて、ルッツが気取った仕草で包みを差し出す。
わたしはルッツから少し離れて、目の前に差し出された包みを手に取った。硬い四角に首を傾げながら、そっと布を解く。
「……書字板!」
貴族でも使えるように、細かい装飾がされ、ニスのような物を塗られて艶が出された豪奢な書字板だ。目を輝かせて、あたらしい書字板に見入っていると、ベンノが小さく笑って肩を竦める。
「お前の書字板はトゥーリが使っているからな。必要だろうと思って作らせた。書字板の表はローゼマイン工房の紋章を元に、裏は騎士団長の紋章を元に絵柄を決めて、ここに名前代わりに領主の紋章を刻んである」
ベンノが書字板を指差しながら、それぞれの意匠について説明してくれる。ルッツは書字板に付けられている鉄筆を指差した。
「この鉄筆は、ヨハンに頼んで以前と同じ重さや長さで注文したから、同じように使えるはずだ」
「書字板、すごく欲しかったの。ありがとう、ベンノさん。それに、ルッツも」
手に馴染むサイズの書字板を持って、わたしはふふっと笑った。欲しい物をちょうどぴったりタイミングよく贈られた時の嬉しさに、顔が自然と緩んでいく。ちゃんと自分のことを見ていて、考えていてくれたことが嬉しい。
「それで、集めた寄付金はどこだ?」
「フランに任せてあるので、出なきゃダメですね。ホントはもうちょっとルッツ分を補充したいんだけど、一月は神殿にいるから、明日でもいいかな? うふふん」
書字板を手にしたことで、かなり心が潤った。わたしは機嫌良く部屋から出て、フランに声をかける。
「フラン、ベンノに寄付金を渡してください。ベンノ、この寄付金がどのように使われたのか、お母様方に報告するので、使い道に関しては明確に、詳細な報告をお願いします」
「かしこまりました」
詳細な報告があり、自分の出したお金がどのように使われたかわかれば、次の寄付金も集まりやすくなるかもしれない。
「ベンノとのお話は以上です。小神殿の準備大変だとは思うけれど、よろしくお願いしますね。ルッツとギルには工房のことを聞きたいので、こちらに残って」
「恐れ入ります」
ベンノは大金貨3枚以上が入った財布を懐に入れて、モニカに案内されながら帰っていく。
わたしはテーブルで今の工房での進展状況を聞くことにした。
「ギル、工房の方はどうかしら? ロウ原紙になりそうな薄い紙はできている?」
「にょきにょっ木の紙はかなり薄く作れるけど、普通の紙ではどうしても薄くなりません。他の木を探さないと難しいです」
「……やっぱり」
トロンベはかなり薄い紙が作れるようになったらしい。ただ、これを型紙にするとかなり高価になる。そう簡単には使えない。この周辺で簡単に採れる木ではフォリンが値段も伐採量も一番よかったのだが、フォリンではロウ原紙にならないようだ。
今回の神官長のイラストだけなら、トロンベ紙の原紙にしても利益は出ると思う。ロウ原紙を完成させるためならば、お金を惜しんではいられない。わたしは、トロンベ紙でひとまずロウ原紙の試作品を作ることに決めた。
「ヨハンが作ってくれたアイロンでの蝋引きはどう? 蝋の種類を変えても、やはり均一にはならない?」
「均一にならないし、ヨハンが作ったやすりの上で試しにガリ切りしてみたら、蝋が割れて、ひびが入って使い物になりませんでした」
そのひび割れは蝋が厚いか、硬いことが原因でできる物だ。やはり、松脂のような樹脂を入れて、柔軟性を出さなくてはならないらしい。……割合、どれくらいだったっけ? 細かくは覚えてないよ。
「ローゼマイン様は以前、ヴィルマの絵の版紙を保護するためにロウ引きした時は、ちょっとデコボコでも、布の目の形が付いても問題ないって、おっしゃったと思うのですが、ロウ原紙にするには布の目が付くのは……」
「絶対にダメです」
麗乃時代はクッキングシートを使っていたが、クッキングシートなんて作れない。代用品も思い浮かばない。
わたしの頭に思い浮かぶのは、ロウ原紙を作る職人が使っていたローラーの機械だ。二つのローラーで挟みながら、蝋を引くので、均一に薄く引けるのだ。
「やっぱりローラーで作るのが一番なのかもしれないけど……あんな機械、ヨハンに作れるかしら?」
こうしたらこうなって、と説明はできるけれど、正確な設計が作れるわけではない。むしろ、試行錯誤しながら作っていかなければならない物だ。細密な設計図が必要なヨハンに試行錯誤ができるかどうかわからない。
「ルッツ、一度相談したいから、明日には鍛冶工房のヨハンも呼んでちょうだい」
「わかりました」
「それから、どれくらいの薄い紙ができるようになったか確認したいので、これから工房へ参ります」
わたしが立ち上がると、当然のことだが、護衛騎士の二人も動いた。けれど、工房に来られるのは正直困る。
「……商品の秘密があるから、二人はここで待っていてくれないかしら?」
「それはできません。ローゼマイン様に護衛の一人も付けないわけにはいきませんから」
ブリギッテの言葉に、わたしは目を細めた。
「では、ダームエルだけでお願いします。ダームエルならば、こちらが弱みを握っている分、何を見ても口を噤んでくれるでしょうから」
「……ローゼマイン様、わたくしは信用なりませんか?」
きゅっと眉を寄せた険しい表情とブリギッテの苦い声に、わたしは軽く目を閉じる。
「汚くて臭いと皆が拒否する下町でも付いてきてくれるブリギッテには感謝していますし、とてもよく仕事をしてくれていると思っています。けれど、それとこれは話が別なのです」
ブリギッテはよくわからないと言うように、わずかに首を傾げた。
家族に対する想いも知っているし、応援してあげたいとは思う。けれど、商売する上での損得勘定に加えて、貴族の柵が関わってくるとなると、無条件で情報を渡すわけにはいかない。
「信頼はしていますが、ブリギッテは土地を持っている貴族に連なる者ですから。お金になる情報を知ってしまっても、家族に黙秘できるかどうか、わたくしにはまだ判別できません。その点、ダームエルは土地を持つ貴族ではありませんし、貴族街に家族がいるので、何かあった時に押さえるのが容易なのです」
「……かしこまりました」
ブリギッテは納得と同時に、恐れを抱くような顔でわたしを見た。そして、少しばかり同情めいた視線をダームエルに向ける。
「ローゼマイン様、弱みとは何でしょう?」
「今はまだ秘密です。ふふっ」
わたしはがくがくぶるぶるしているダームエルを護衛に、ルッツとギルを連れて、工房に行った。いつもどおり、灰色神官や子供達が紙作りの作業をしている。
「礼は良いから、作業を続けてちょうだい」
わたしはそう言って、ギルにロウ原紙用に薄く漉かれたトロンベ紙を持って来てもらって、検分する。やはり、トロンベ紙は優秀だ。フォリン紙とは全く出来が違う。
「……全然品質が違うわね。仕方がないわ。やりましょう」
そう言って、わたしが工房の隅に確保されたままのタウの実に視線を向けると、ルッツがちらりとダームエルを見た。
「良いのですか?」
正直な話、良くはない。秘密を知る者は一人でも少ない方が良いからだ。けれど、護衛が絶対について来るならば、消去法でダームエルが一番危険性が低くて、マシだと思う。
「ダームエル、これから見るものは、絶対に喋ってはダメ。他の誰にも、お父様にも、神官長にも、養父様にも、よ。約束できるかしら?」
ダームエルは戸惑ったように視線を揺らす。
「もし、ダームエルが喋ってしまったら、わたくしもぽろっと喋ってしまうかもしれません。養父様にいじられ、いびられる重要な秘密を」
「え? あの、領主様に、ですか?」
祈念式の間、散々ジルヴェスターにいじられ、人身御供となっていたダームエルは、今にも泣きそうな情けない顔になった。
「黙っていてくれるでしょう。ね、ダームエル?」