Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (193)
お母様とランプレヒト兄様の来襲
「ギル、ルッツ、これをプログラムの裏面に印刷してちょうだい」
トゥーリと会った次の日、心は満たされた気がしたけれど、寂しさの方が強くなってしまったわたしは、隠し部屋でルッツにべったり引っ付いていた。
ここにいるのはギルとダームエルだ。わたしはヴィルマの作ってくれた版紙を差し出して、工房への依頼をする。
「何部刷るんだ?」
「えーと、予定では30席を準備するから……一人当たり観賞用と保存用と布教用の購入を目指して、90部かな?」
「はぁ!? いくら何でも多すぎるだろ!?」
ルッツが素っ頓狂な声を上げて、わたしを見下ろした。多すぎる、とルッツは言うけれど、もう少し刷っても大丈夫だと思う。ただの勘だけど。
「ロウ原紙が仕上がらなかったら、演奏会に出すのはこれが唯一の印刷物になるし、絶対に売れると思うんだよね」
「根拠はあるのか? なかったら、ただの無駄になるんだぞ?」
無駄金を使うのは許さない、とルッツがベンノによく似てきた商人の目で、わたしを睨んだ。順調に商人として成長しているルッツを頼もしく思いつつ、わたしは自分の根拠を示す。
「ヴィルマ達の熱狂ぶりが根拠だよ。演奏会に来られなかった人も、後で欲しがると思うし、多少残ったとしても凸版印刷で初めて作った印刷物ということで、そのうち……数十年後から百年後くらいには値段と価値がババーンと上がってるはずだから、大丈夫」
「数十年後って何だよ!? 全然根拠になってないだろ!」
わたしの中では、しっかり根拠になっているのだけれど、どうやらルッツには理解できないようだった。それでも、90部で押し切って作ってもらう。
「90部か、すぱっと思い切りよく100部。どっちかでお願いね」
「なんで多くなるんだよ!?」
こらっ! と怒られたけれど、個人的には100部でも少ないと思う。全く譲る気がないわたしを見て、ギルがルッツの肩を叩いた。
「ルッツ、今のローゼマイン様を説得しようとしても無駄だ」
「わかってる。言ってみただけだ」
今日はダームエルがお休みの日なので、孤児院の隠し部屋に入ったり、工房に入ったりできない。そのため、わたしはフランとブリギッテを連れて神官長の部屋に行き、お仕事の手伝いをしていた。
正確には、わたしが神殿長としての職務をほとんど神官長に任せているので、本来は自分でやらなければならない仕事を少ししているだけだ。
「……何だか、春から夏にかけて支出がずいぶん減りましたね。収入も少し減ってますけど」
「神殿長が交代したからな」
神官長は当然のことのように理由を述べたけれど、神殿長が交代しただけでこんなに変わるものだろうか。
「……あの神殿長は一体何にお金を使っていたのですか?」
「神殿の金と自分の金の区別ができなかった人だからな。報告もなくこっそり使われた分に関しては、私もさすがに全てを把握しているわけではない」
神官長はそう答えると、軽く肩を竦めた。神官長が神殿のお金を管理するようになったのも、ここ二年ほどのことらしい。中央へ向かう前任者から引き継いだ時は、あまりのひどさに眩暈がしたそうだ。
神殿育ちで、全てを何となく適当に済ませてきた青色神官と、貴族院で学び、領主の片腕をこなす神官長では、色々なことに雲泥の差があるだろう。
「……大変ですね」
「君が神殿長の間に予算関係は、もっと明確に、きっちりさせるつもりだ」
神官長がそう言った時、オルドナンツが窓の向こうから飛び込んできた。バサバサと羽を震わせ、部屋を一周すると、神官長の机の上へと降り立つ。
「フェルディナンド様、ランプレヒトです。大変申し訳ございませんが、ローゼマインとの面会をお願いしたいのです。ヴィルフリート様のことで少し話したいことがございます」
ランプレヒト兄様の声で三回告げると、オルドナンツは鳥の姿から魔石に戻った。
貴族間でのやり取りはこのオルドナンツを使う。貴族院に行くようになれば、一年としないうちに使えるようになる簡単なものらしい。
しかし、わたしは貴族院に入る前に親元を離れてしまっているので、連絡は庇護者である神官長を通じて行われることになっている。
「ローゼマイン、いつならば面会可能だ?」
そういえば、神殿に戻る前にヴィルフリートから「ずるい」と言われていた。それに関する話だろうか。他に思い当たることはない。
わたしとしては、話をするくらい別にいつでもいいけれど、今からどうぞ、と言えないのが、貴族の面倒なところだ。神官長に面会依頼を出す時はいつも三日くらい先の日付で返事が来る。
「……そうですね、三日後くらいが適当でしょうか」
「そうだな。では、これに向かって話せ」
神官長がシュタープを取り出して、魔石を軽く叩きながら、「オルドナンツ」と言うと、魔石はぐにゃりと歪んで、鳥へと姿を変える。
鳥に向かって、わたしは声をかけた。留守電に声を残すようでちょっと緊張してしまう。
「ランプレヒト兄様、ローゼマインです。三日後の午後にお待ちしております」
神官長にオルドナンツを飛ばしてもらい、これでよし、と思っていたら、すぐにオルドナンツが戻ってきた。
「話し合いは昼前で頼む。その後、滅多に会えない妹と昼食をともにしながら、語り合いたい。母上も昼食を共に取りたいそうだ」
戻ってきたオルドナンツは慌てたように時間を指定してきた。ヴィルフリートの話は口実で、真の目的はお昼ご飯のようだ。
「大方、カルステッドやコルネリウスが自慢したのだろう」
神官長が面白がるように唇の端を上げる。
お母様はエラのお菓子を食べているけれど、食事は食べていないし、ランプレヒト兄様はどちらも食べていない。料理長もまだ城で、フーゴのレシピを覚えているところだ。食べられる場所として、専属料理人のエラを連れているわたしのところを選んだのだろう。
「お父様やお兄様方が食べたのと同じメニューを準備しておきますね」
そう返答しておけば、「あぁ、頼む」と安堵したような、見透かされて恥ずかしがっているような声で返事が返ってきた。
そして、面会の日。
せっかくお母様が来るので、プログラムの出来も確認してもらおうと、両面に印刷できたばかりのプログラムを一部、それから、ヴィルマが描いた絵を数枚選んで部屋に準備した。
昼食はエラとニコラが頑張ってくれている。ここしばらく、新しい孤児院に向かう人員にも料理を教えているから、男手もある。力仕事が任せられるので、一安心だ。
「やぁ、ローゼマイン。元気そうだな。無理を言ってすまなかった。体調を崩していないか、心配していたよ」
貴族門へと迎えに行っていたフランがお母様とランプレヒト兄様を案内してきてくれた。
昼食に対する期待に満ちた明るい笑顔でランプレヒト兄様が入ってくる。部屋には神殿における保護者である神官長も待機済みなので、お母様は最初から笑顔全開だ。
「元気そうで良かったわ、ローゼマイン。フェルディナンド様がよく見てくださっているおかげですわね」
そして、長々とした挨拶を交わした後、二人に席を勧め、フランにお茶の準備をしてもらう。ニコラが緊張した顔で、お茶菓子の入ったお皿を持ってきて、そっとテーブルの上に置いた。
身を乗り出しそうなランプレヒト兄様の前に、そっと皿を差し出し、わたしは一枚食べて見せる。
「こちらはラングドシャというお菓子です。口当たりが軽いのですが、昼食前ですから食べすぎには注意してくださいませ」
わたしが毒見を終えると、兄様はすぐさまラングドシャに手を伸ばした。お菓子を前にしたコルネリウス兄様と全く同じ表情に思わず吹き出しそうになる。
ランプレヒト兄様は、しゃくしゃくと一枚食べて、軽く目を見張った。
「コルネリウスはこれを食べていたのか」
「いえ、これは本日初めてお客様に出したので、まだコルネリウス兄様も召し上がったことはありません」
「そうか……」
優越感に浸っているランプレヒト兄様に、お茶を飲んだ神官長が問いかける。本日の口実についての話だ。
「ランプレヒト、ヴィルフリートの話とは一体何だ?」
ゆっくりと頷いたランプレヒト兄様が貴族らしい回りくどい言葉で説明してくれた。神官長は頷いて聞いているけれど、わたしには全く理解できない。
「ごめんなさい、ランプレヒト兄様。難しすぎて、わたくしには理解できないようです」
「えーと……」
どう説明すればよいのか、とランプレヒト兄様も困ったように眉を下げる。わたしは神官長に視線を向けた。
「ローゼマインが勉強をしていないのがずるいそうだ」
神官長が教えてくれたのは、体を動かす方が好きで教師からどのようにして逃げるかばかりを考えているヴィルフリートから見ると、わたしは教師も付けられていなくて、城から抜け出してばかりでずるいということだった。
「ランプレヒト、馬鹿なことを言うな、とヴィルフリートを叱り飛ばしておきなさい。ローゼマインが勉強していないわけがなかろう。神殿で私の教育に加えて、カルステッドの屋敷で教育を受けたから、ヴィルフリートが文字を覚えるのを待っている状態なのだ」
競争相手がいる方が負けず嫌いのヴィルフリートには良いだろう、というジルヴェスターの考えにより、ヴィルフリートが文字を覚え次第、わたしはヴィルフリートと一緒に歴史や地理の勉強をすることになっているらしい。
「わたくしは一日中勉強で良いので、本が読みたくて仕方がないのです。早く文字を覚えてください、とヴィルフリート兄様にお願いしておいてください」
わたしの答えにランプレヒト兄様が頭を抱えた。「絶対に分かり合えない二人だ」と。
それはそうだろう。勉強から逃げ出したいヴィルフリートと、一日と言わず、何日でも部屋に籠って本を読んでいたいわたしが分かり合えるはずがない。
積み上げられるほど存在する本のお預けを食らっているわたしから見れば、ヴィルフリートの方がずるいのだから。
「勉強に関しては、我々も領主様から聞かされているので、ヴィルフリート様が呑み込むしかない。できれば、ローゼマインには一度一緒に勉強して、歴然とした差を見せてほしいと思っているけれど……」
「そのような暇はない」
わたしに協力を要請するランプレヒト兄様の言葉を、神官長がびしっと切って捨てた。
「ローゼマインには優先しなければならないことがたくさんある。魔術の特訓に素材採集、神殿長としての職務、孤児院と工房の経営。それに加えて、体調管理だ。ヴィルフリートのことはヴィルフリート本人とその周囲が考えることだろう。ローゼマインの仕事ではない。其方らの仕事だ」
保護者として、わたしの生活を管理している神官長の言葉にランプレヒト兄様が口をパクパクさせた。
「それは多忙すぎるのではないでしょうか。洗礼式を終えたばかりの子供がやることではないと……」
「だから、言っている。これ以上、こちらに余計な仕事を増やさないでくれ」
改めて、自分がしなければならないことを述べられると、かなり忙しい感じだ。しかし、わたしは神官長に言われるままに動いている感じだし、自分で作業するのが禁じられるので、周囲に丸投げすることが多い。城でいる時と違って、神殿にいる間は体調管理ができるフランがいて、倒れることもないので、あまり忙しい気分ではない。
「ローゼマインの場合、知識を得るだけならば、目の前に本だけ積んでおけば勝手に勉強することがわかっているのだから、勉強など片手間で良いのだ」
「えぇ!? 読書に関しては、たっぷり時間を取ってください」
わたしの抗議は神官長の鼻息一つで吹き飛ばされてしまった。考慮はしてくれないようだ。
「勉強の他には、食事の時にローゼマインばかりが自分の父親と話をしているのがずるいらしい」
城での食事の時間は、その日一日の行動について話をするのだが、抜け出したり、逃げ出したりが多いヴィルフリートは母親からのお小言が会話の大半を占め、父親は特に何も言わずに終わることが多い。
多分、同じことをしてきたジルヴェスターは息子にお説教することもできないし、もっとやれ、と激励することもできないので、黙っている以外に何もできないのだろう。容易に想像できる。
「わたくしの場合は事業に関する報告ですから、一応会話が成立しますものね。ヴィルフリート兄様にも何かお仕事をさせれば良いのではないですか?」
下町の子供ならば、見習い仕事が始まっているはずだ。簡単な仕事を任せるようにすれば、多少は責任感を持てるのではないだろうか。
「……それにしても、すごく遅くないですか? 商人の子供なら、洗礼式までに読み書きと多少の計算くらいはできます。ウチの孤児院の子供達だってできるのに……。領主の息子だからと甘やかして洗礼式の後からお勉強するのではなく、もっと幼い頃から教えた方が良いのでは?」
「幼い頃から教えていても覚えないから、ジルヴェスターが孤児院を視察した時に驚いていたのだ」
そういえば、カルタと絵本を見た時にものすごく驚いた顔をしていた。アレは絵本やカルタに驚いていたわけではなくて、冬の間に読めるようになった子供達に驚いていたのか。
カルタや絵本で遊びながら覚えると、すぐに覚えるのは実証済みだが、競争相手というか、遊び相手が必要になる。
「側仕えの負担は増えるかもしれませんが、カルタを準備しましょう」
「ヴィルフリートの面倒まで見る必要はない。余計な仕事を増やすなと言っているだろう。まったく、君は……」
神官長は苦い顔をしたけれど、さすがにヴィルフリートが文字の読み書きさえ覚束ないのは困るだろう。ついでに、わたしは早くお勉強時間を取って、本が読みたい。
4の鐘が鳴って、昼食の時間となったので、神官長は自室へと帰って行った。後は家族で話すと良い、と言って。
昼食はランプレヒト兄様がすごい勢いで食べていた。お母様も「料理長に早く戻ってほしいものだわ」と言っていたので、満足してもらえたようだ。
昼食後はお母様と演奏会の話を詰めることになった。どうやらチケットが全く足りないらしい。お母様は自分達の派閥の女性だけに声をかけるつもりだったようだが、別の派閥の女性も興味を示したのだそうだ。
「今まではフェルディナンド様に全く興味のない素振りをしていたのに、突然くるりと意見を翻してきたのですよ」
お母様は憤慨しているが、領主の母に睨まれていた神官長に近付かないのは、保身を考えれば当然のことだ。神官長はどうやら今まで領主の母を恐れる人々からは敬遠され、表立って騒がれることが少なかったらしい。つまり、領主の母がいなくなったことで、今までは抑えられていたものが爆発することになる。
「……席はどのくらい増やしますか?」
「そうね、貴族女性がほとんど来ると考えて間違いないわ。会場選びからやり直しかしら?」
貴族街に住んでいる貴族が約三百人。これは洗礼式を終えた者の数だ。およそ半数が女性と考えると、百五十人くらいが該当する。その中には神官長に興味がない人もいるに違いない。
けれど、上級貴族がこぞって出かければ、追従するのが下級貴族だ。チケット代が負担になる下級貴族は多いと思う。
「お母様、席はあと30くらい増やして、立見席を準備しましょう。立って見なければならないことが、チケット購入を断る口実になりますし、立見席を格安にしておけば、無理して高いチケットを買おうとする下級貴族も減るのではないでしょうか」
立見席を設けておけば、会場には入れるし、勧めてきた上級貴族にもひとまず顔が立つ。プログラムは別売りなので、懐にも比較的優しいはずだ。
「立見ですって? そのようなこと、考えたこともなかったわ。でも、確かにチケットは高価ですもの。断る理由を作ってあげられるのは良いわね」
そして、わたしは神官長と演奏会で弾く曲を決めたことを報告し、仕上がったプログラムをお母様に見てもらった。切り絵だが、今までこのようなものは作られていなかったので、うっとりしている。
書字板にプログラム増刷必須。あと100部、と書き込みながら、わたしはお母様に告げた。
「このプログラムはチケットとは別売りです。この売り上げも寄付金となります」
「えぇ、買いましょう。これを購入するのは寄付ですもの。慈善活動ですもの。そうでしょう?」
お母様の目が輝いている。慈善事業という口実で、神官長の絵を買い漁るお母様の姿が容易に想像できる。……お父様、ごめんなさい。
「それにしても、次から次へとよく考えるな」
昼食を食べたのに、ラングドシャを次々と口に放り込んでいる育ちざかりのランプレヒト兄様が、感心したように目を瞬いた。
「あの、ランプレヒト兄様。当日会場に騎士団を配置してほしいのですが、どなたにお願いすれば良いですか? お父様でしょうか? それとも、養父様でしょうか?」
人数が増えるなら、尚更、警備員は必要だ。
「演奏会に騎士団ですって? まぁ、それは何故?」
「興奮のあまり気を失ったり、我を忘れたりする方が後を絶たないと思うからです。救護室の準備も必要だと思います」
「ちょっと待て。演奏会、だろう?」
疑わしそうなランプレヒト兄様を見て、わたしは軽く溜息を吐いた。わたしもフェシュピールを演奏する神官長と周囲の反応を見ていなければ、こんな心配はしなかった。
ヴィルマやロジーナでもあんな状態になったのだ。元々ミーハーなお母様なんて大変なことになると思う。
「口で言うより、見せる方がわかりやすいと思います」
わたしは席を立つと、ヴィルマから預かったイラストを一枚、引き出しから取り出して、ぴらりと広げて見せた。
「まああぁぁぁ! それは何? よく見せてちょうだい」
ガタッと立ち上がったお母様がつかつかとこちらへ向かってくる。動きは優雅だが、勢いがすごい。お母様にイラストをそっと差し出しながら、わたしはランプレヒト兄様に視線を向けた。
「騎士団の動員が必要だと思うのです」
「……父上に頼んでみよう。救護室は大広間の近くにある休憩室が使えるだろう。他に必要な物はあるか?」
「演奏するフェルディナンド様に近付けないように、洗礼式や星結びの儀式の時のように舞台を設置していただきたいです」
アイドルコンサートを思い浮かべながら、いくつかの注意点や安全上の話し合いをランプレヒト兄様としている間、お母様は、ほぉ、と感嘆の溜息を吐きながら、絵に見入っていた。
「ローゼマイン、これをいただいても良いかしら?」
「ロウ原紙が完成すれば、これを原画として、印刷物を出すつもりなので、印刷された物を当日お買い上げください。ロウ原紙ができなかった場合は、お譲りします」
「わかりました」
お母様は名残惜しそうに手を離し、絵を返してくれる。あまりにも視線が絵から離れないので、プログラムを一枚プレゼントした。
「このプログラムと全く同じものを一度にたくさん作るのが印刷業です。プログラムはすでに100部できています。もっと増やすつもりですから、当日はお財布を持ってくるように、ぜひ宣伝しておいてくださいませ」
演奏会を成功させるために、もっと頑張ってください。
ヨハンとザックが工房に部品を持ち込むようになってきて、蝋引きの機械が少しずつ形になってきているらしい。隠し部屋で報告を受けていたわたしは、機械ができるまでの間に、ルッツとギルに頼んで、蝋を作ってもらうことにした。ほんの少し松脂を入れて、柔軟性を出すのだ。
「ほんの少しってどのくらいですか?」
首を傾げるギルに、ルッツは肩を落として息を吐いた。
「少しずつ分量を変えたり、蝋の種類を変えたりして、何種類も作って試すんだよ。紙作りの時もちょうどいい配分を決めるために、マインはずっとそうしてた」
「マジかよ……」
今までは作り方を教えてもらうだけだったギルは、配分の研究開発にげんなりとした顔を見せながら、ルッツと工房へと向かう。
二人を見送った後、わたしは図書室で神殿長の秘密のお手紙を全て読破した。
純愛のお手紙だけではなく、きな臭いお手紙も他の箱にたくさん詰まっていたのだ。貴族との密約っぽいものや賄賂のやり取り、花捧げの依頼など多岐に渡っている。
「ゲルラッハ子爵はやっぱり神殿長と繋がりが深かったんだ」
祈念式の時にヴェールをかぶって挨拶させられた貴族達のほとんどが、神殿長と繋がりがあったようだ。犯罪臭がするお手紙を元に、付き合いたくない要注意人物リストを作成しておく。
「これは神官長に見せた方が良さそうですね。フラン、運んでいただいてよろしくて?」
「かしこまりました」
今後の政治関係で領主や神官長には役立つかもしれない。純愛の手紙だけは何となくそっとしておいてあげたくて、元の書棚に戻した。
「神官長、お届け物です」
四冊の本に見える箱をフランに運んでもらって、わたしは神官長の部屋を訪ねた。神官長は持ち込まれた本を見て、怪訝な顔になる。
「君が持ってくるなど、一体それは何だ? 普通の本ではないだろう?」
「神殿長だけが開けられる書棚に入っていた本……に見せかけた箱で、中には悪巧みとその証拠になる手紙がたくさん入っていました。養父様との陰謀の足しにいかがですか?」
フランに運んでもらった本の形の箱を一つ開けてみせると、神官長がくっと眉を寄せた。一つ二つを手に取って、差出人を確認して、悪い笑みを浮かべる。
「ほぉ、これは大量だな」
「中身は全部差し上げますから、できれば、箱はください。こういうの、大好きなんです」
革や宝石で飾られた本型の箱を指差すと、神官長は呆れたように溜息を吐いて、軽く手を振った。
「こちらは中身だけあれば良い。箱は好きにすると良い。中身を移せ」
「ありがとうございます」
神官長の側仕えが一つの木箱に手紙を詰め込み始めた。
仕事に一区切りがついたのか、神官長は手を止めて、ペンを置く。
「ローゼマイン、予定はないのか?」
「はい。今日はもうギルとルッツから報告も聞きましたし、指示を出し終わりました。ハッセの町の孤児院も少しずつ整い始めているようです。……何かお手伝いしましょうか?」
わたしが申し出ると、神官長は首を振って、机の上を片付け始めた。
「いや、それよりも魔術の訓練を優先したい。なるべく早く騎獣を作れるようになってもらわなければ、収穫祭に間に合わぬ。城に向かおう」
「では、着替えてきます」
部屋でわたしは神殿長の服から貴族用の服に着替えさせてもらい、ベルトを付ける。これは神官長にもらった物だ。魔術具を下げておくために貴族には必須の物らしい。
わたしは前に自分の魔力で染めた団子のような魔石が入っている鳥籠のような金属の飾りを神官長達と同じようにベルトに引っかけた。
「参りましょう、ローゼマイン様」
わたしはブリギッテに乗せてもらい、城の魔術訓練場へと向かう。今回こそ、わたしの騎獣を作らなくては。