Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (21)
木簡作るよ
トゥーリが初めての見習い仕事に行ったその日、わたしは愕然としていた。任された手伝いがどれもこれもろくにできない。
現代知識があるし、その気になればできると思っていたけれど、知識なんて何の役にも立たない。
トゥーリは偉大な姉だった。
まず、わたしには水が運べなかった。井戸から汲めないのだ。力がなさすぎて。
ほんのちょっとずつしか汲み上げられず、階段を上がるのも大変で、桶一杯の水を運ぶのに、5往復しなければならなかった。もちろん、必要な水は桶一杯ではない。水瓶いっぱいだ。
母が一緒に水を運んでいたが、母が水瓶を一杯にするのとわたしが桶を一杯にするのが同じペースだった。
わたし、使えない。
お昼の準備をするから、竈に火をつけてと言われた。
学生時代の宿泊訓練で習ったから、薪を組むのはできる。太めの木と燃えやすい細い木を組み合わせて、空気の通り道を作って、種火が付けやすいように乾燥した草を置く。そこまではできた。
しかし、火がつけられない。宿泊訓練で使ったのはチャッカマンだった。火打石を使った経験はない。トゥーリがやっているのを見よう見まねでやってみた。
「うひゃっ!?」
勢いよく石と石を打ち合わせたら、当たり前だが、火花が散った。目の前でチカッと光った火花にビックリして思わず石を取り落とした。まるで花火みたいで火傷しそうと思ったら、その後は、怖くて勢いよく打ちつけることができなくなった。
結局、母に途中で取り上げられた。
わたし、マジ使えない。
料理の手伝いならできる。そう思ったが、出来なかった。
包丁が重すぎて、両手じゃないと持ち上げられない。締められている鳥を見ると、固まってしまう。
わたしにできるのは、ある程度まで切ってくれた食材を小さなナイフで切ったり、レシピを提供したりするくらいだ。自分でできることはごく少ない。身長が足りないので、台に乗っても鍋を掻き回せない。
母はレシピを褒めてくれたが、自分の不出来さに正直凹む。
わたし、ホント役立たず。
「どうしたの、マイン?」
初めてのお仕事から帰ってきたトゥーリが、どんよりと凹んでいるわたしに声をかけた。凹むわたしの代わりに母が苦笑しながら、答える。
「……今日、お手伝いをさせたんだけど、自分が何もできなかったことに落ち込んでるみたい」
「え? 今更?」
そう、今更だ。
今更だけど、思い知った。
わたし、役に立たない。
「……色々やってみたけど、全然できなかった」
「まぁ、現状がわかったなら、努力すればいいんじゃない?」
「それに、お掃除だけはマインが一番だよ」
ほうきで掃いて、雑巾で拭くだけなら、経験があるし、それほど力がなくても何とかなる。気合入れ過ぎると熱出るけど。
それに、掃除はわたしにとってお手伝いじゃない。わたしが不潔な環境に耐えられなかっただけ。ただでさえ病弱なのに、さらに病状を悪化させそうな環境を改善しただけ。自分のためであって、家族のためじゃない。
現代日本では全部機械任せだったので、掃除も洗濯も料理も一通りできたけれど、ここでは何の役にも立たない。
正直、あんなに大変だとは思わなかった。一歳違いのトゥーリにできるのに、わたしはどうしてこんなに貧弱な身体で、役立たずなんだろう。
どうせ転生するなら、もっと丈夫な体がよかった。せめて、足手まといにならないくらいの。
「ははは、マイン。役立たずって、お前、そんなことを気にしていたのか?」
「……気にするよ」
「まぁ、そうだが……。父さんはもともとマインに期待はしてないからなぁ」
「え?」
あれ? なんか笑顔で意外とひどいこと言われてない?
期待されるような人間だとは思っていなかったけれど、この親馬鹿の父に面と向かって「もともと期待していない」なんて言われるのは予想外だった。
呆然としているわたしの頭をポンポンと軽く叩きながら、父は何故か目に涙をにじませ始めた。
「いつ死ぬか、今度倒れたら駄目かもしれない。ずっとそう思っていたから、今元気になっていくだけで十分だ」
父の言葉に肩を竦めたのはトゥーリだった。
「父さんの言うとおりだと思うけど、このままじゃどこもマインを雇ってくれないよ? だって、マインは何にもできないじゃない」
トゥーリの言葉に父がふるりと首を振った。
「いや、門で雇える」
「え? マインに何の仕事ができるの?」
トゥーリと母が不思議そうに首を傾げるけれど、わたしはどうして不思議そうにするのか、理解できない。
今までだって、門で何をしているのか話をしたことがあるのに聞いていなかったってこと? それとも、本当だと思ってなかったってこと?
「何の仕事って、書類仕事だ。今でも門に行ったら、一応オットーの手伝いしてるんだよ。……半分以上は字を教えてもらってるけどな」
「えぇ!? いつも休憩だけするために門に行ってたわけじゃないんだ?」
「マインが大袈裟に言ってたわけじゃなかったのね!?」
トゥーリ、なんでそんなにビックリしてるの? それに、母さん、ひどい。
二人の正直すぎる反応に胸が痛いよ。
「マインは特に計算仕事に関する評価は高いんだ。マインに希望がなければ洗礼式の後は門で働けばいい。マインだって父さんと一緒に働きたいよな?」
「え? やだ。だって、わたし、『本屋』か『司書』になるから」
わたしの将来の予定に、門番の書類仕事をするために父と出勤するという項目は、残念ながら皆無だ。
しかし、こちらで一度も見かけていない本屋も司書も、案の定、通じなかったようで、みんなが首を傾げている。
「……あ~、マイン。それは一体何だ?」
「本を売る人……だから、商人? うーん、商人って柄でもないんだけど、本に係わる仕事をする」
「まぁ、よくわからんが、やりたいことができたならいい。とりあえず、できることからやればいい。半年前のマインは森まで歩けなかった。外に出るのも嫌がってた。今は自分で行って帰ってこられるんだからな」
「……うん」
今日は薪を頑張って拾っておいで、と言われて、トゥーリも一緒に籠を背負って家を出た。
家族が言うとおり、森まで歩けるようにはなったが、到着したら休憩しないと動けないし、かなり気をつけて動かないと次の日には寝込むことになる。
虚弱すぎるこの身体が憎い。
森に着いて、息が整ってきたら、薪を拾い始めた。わたしは落ちているのを探して拾うだけだが、トゥーリは枝ぶりを見て、鉈のような刃物で切れる。コンコン、スパーン! って!
「トゥーリはすごいなぁ」
トゥーリの手際の良さを改めて感じる。
「わたしも、できるところからコツコツとやるしかないよね」
枝を拾っていると息が上がってきた。
石に座って休憩しながら、早速木簡を作るためにナイフを取り出す。
「う、結構重い」
鈍く光るナイフを手にとって、わたしは溜息を吐いた。
刃物を扱ったことが全くないわけではない。日本でだって包丁は使っていたし、カッターくらいは日常生活で使っていた。
でも、木を削った経験がほとんどない。
そういえば、小学生の時に小刀で鉛筆削る、なんて課題があった。鉛筆なんて鉛筆削りで削ればいいなんて言って、ろくに触ってこなかったのを、今、切実に後悔している。
我ながら危なっかしくて、木簡を作ろうにもナイフがろくに使えないんですけど!
へっぴり腰で鉛筆を削ったことしかないのに、こんなナイフをうまく扱えるわけがない。本当に木簡が作れるのだろうか。
試しに、拾った枝の中でも細い枝をちょっと削ってみた。
力がない小さい手なので苦労したが、木の皮がはがれて、中の色が見えた。
あ、ちょっと苦労するけど、何とかなりそう!
ナイフの練習にもなるし、木簡もできるし、一石二鳥だ。
わたしはうきうきしながら拾ってきた木を、ナイフで平らに削っていく。同じくらいの長さに揃えて切った細長い木切れをたくさん作り始めた。それを紐で結んでいけば、立派な木簡だ。メモ用紙代わりにはなるだろう。
古代中国&ご先祖様、素晴らしい知恵をありがとう。
父さん、母さん、素敵なナイフをありがとう。おかげで木簡が作れます。
枝を拾って削ればいいので、ちまちまと繊維を編んだパピルスもどきや土から掘り出す粘土板に比べると労力もそれほどではない。
これはいい。
手元にある木をシュッシュッと少しずつ削って、書くための面をなるべく平らにする。スパーンと一発で削れるような力と技があればいいけれど、無い物ねだりしても仕方ない。
地道に削って、次々と木簡を増やしていく。今のわたしの手では細い枝しか削れず、一本の木簡につき一行しか書けないので、数が大事だ。
「マイン、粘土板の代わりに今度は何を始めたんだ?」
薪を集め終わったらしいルッツがわたしの手元を覗きこんで問いかけてきた。
予想外な問いかけにわたしは首を傾げる。
「……え? なんで、これが粘土板の代わりってわかったの?」
「だって、マイン、すっげぇ楽しそうじゃん?」
「え? 楽しそう?」
「今にも木に頬ずりしそうな顔してる。粘土板の時も粘土見てうっとりしてただろ?」
え? 今にも頬ずりしそうな顔で、一人シャコシャコ木を削ってるってこと? それって変人っぽくない?
……うひぃっ! 無自覚って最悪! 恥ずかしい!
予想外の指摘をされた恥ずかしさに、心の中だけでわたしがのたうっていると、ルッツはわたしが削った木簡をしげしげと観察する。
「で、何作ってるんだ?」
「……『木簡』作ってる」
「モッカン? 今度はこれに字を書くのか?」
「そう。だから、いっぱいいるの。わたしの力じゃ板みたいに大きいのは作れないから」
わたしは再度ナイフを構えて、枝を削り始める。
ルッツが隣に座り込んで、ちょっと太めの枝を手に取った。
「手伝ってやるよ。その代りさ……前にマインが言ってたオットーさんって人に会わせてくれねぇ?」
「なんで?」
「旅商人の話、聞いてみたくてさ……」
ルッツが周りの目をはばかり、小さい声でぽそぽそと付け加える様子は前にも見たことがあった。あの時、ルッツは将来、旅商人や吟遊詩人のようにこの街を出て、色々な場所に行ってみたいと言っていたはずだ。
人目を気にしたり、声をひそめたりするのだから、この世界で旅商人や吟遊詩人はあまり褒められない職業なのだろうか。よくわからない。
常識知らずのわたしの勝手な意見よりは、オットーの意見を聞かせてもらう方が、ルッツのためになるはずだ。
「忙しそうな人だけど、一応聞いてみるよ。断られたらごめんね」
「それでもいい」
ホッとしたように息を吐いたルッツは重荷を下ろしたような顔をしている。今まで誰にも相談できなかったのが、何となく伝わってきた。
その後は何となく会話が少ないまま、二人でせこせこ木簡を作る。ルッツはやはりトゥーリと同じような鉈のようなものを持っていて、太めの枝から何枚かの大きな木簡を作ってくれた。
わたしはナイフでその表面をショリショリと削って、整えていく。木簡にするための板は増えたが、両面共に真っ白だ。
門で使ってるインク、分けてもらったり、譲ってもらったりできるかな?
インクは基本的に紙と一緒に使うものだから、その辺りの店には売っていない。
そういえば、インクは羊皮紙と一緒に厳重に保管されている。もしかしたら、紙だけじゃなくて、インクも高いのかもしれない。
できれば、オットーに以後の給料を石筆ではなく、インクにしてもらえないか交渉してみよう。ついでに、ルッツのお願いも伝えておこう。
明日は門だ。
トゥーリがお仕事に行く日は、お目付役がいないので、わたしも門でお勉強だ。最近は日常で使う単語も増えてきたので、とても楽しい。
そういえば、今日からトゥーリ達と同期の兵士見習いが三人入ってきた。
彼らにまた文字と数字を教えなければならないオットーは忙しい。新人の教育を終えて、宿直室に戻ってから、普段の仕事を片付けなければならないのだから。
わたしは単語の練習をしたり、頼まれた計算をしたりしながら、話ができそうな機会を伺っていた。
書類仕事が一段落したのか、オットーがインクを片付け始めたのを機会に、声をかける。
「オットーさん、質問があるんですけど、いいですか?」
「いいよ?」
「旅商人って、どうやってなるんですか?」
「ハァ!? マインちゃん、旅商人になりたいのか!? え? ちょっと待って! それって、もしかして俺のせいか? 班長に殺される!」
大きく目を見開いて、オットーが机に身を乗り出すようにして、素っ頓狂な声を上げた。
あまりの驚き様に、わたしの方がビックリだ。慌ててパタパタと手を振って、否定する。
「いえ、わたしじゃなくて、友達が」
「なんだ。じゃあ、止めた方がいいって教えてやって」
「あ、やっぱり?」
オットーの簡潔な返事から、旅商人というのは、反対される職業らしいことが確定した。
「やっぱりって、どういうこと?」
わたしの反応にオットーがすっと目を細める。
どう説明したら伝えやすいか考えながら、わたしは口を開いた。
「えーと、その子が話をする時に人目をはばかったり、声を潜めたりしていたから、なりたいって言ったら反対される職業なのかな、と思ってたんです」
「まぁ、親からは大目玉食らうだろうな」
「それに、旅商人って、ずっと移動する生活でしょ? ここで何を仕入れて、こっちには何を卸すって考えながら、広い地域を行ったり来たりするんでしょ? 定住とは生活が根本から違うだろうし、親から子へ伝えられるコネとか、お得意さんだってあるだろうし、街の子供がなりたいと思っていきなりなれるものじゃないのかなって……」
その地への定住が決まっている農民の子供が、自由に土地を動きまわる遊牧民に憧れるようなものだと思う。生活の基本が全く違うし、自分の中の常識が全く通じない中で生活して、仕事をするのは予想以上に厳しい。
良かれと思ってやったことが裏目に出ることが日常で、どうしてそれが裏目になるのかわからない。何もしないのが正解に思えるけれど、何もしなくても責められる。
日常の中で積み重ねられてきた暗黙のルールにはマニュアルがない。
突然の異世界で何をすれば正解かわからなくて、引きこもりたいわたしには、常識の壁の厚みがよくわかる。
まぁ、わたしは引きこもるにも本がないとどうしようもないから、仕方なく外に出てるけど。
「……そこまでわかってるなら、言ってあげれば?」
「うーん、同じように街に住んでるわたしが言うより、オットーさんが現実を教えてあげた方が素直に聞ける気がして。それに、父さんが言ってたけど、オットーさんは商業ギルドに多少繋がりがあるんでしょ? 旅商人は無理でも、商人見習いになれば買い付けで街を出るくらいならできるようになるんじゃないかなと思ったの」
家族にとっては未知の世界となる放浪の旅に出るのではなく、定住する地を持ちながら、仕事で出張なら、家族だってそれほど反対はしないと思う。
「ふぅん、なるほどね。わざわざ口利きをするってことは、その子はマインちゃんのお気に入りかい?」
ニヤニヤとオットーさんの口元がつり上がる。恋バナを嗅ぎ分けて面白がる顔に、わたしは軽く肩を竦めた。
「お気に入りっていうよりは、ルッツには常にお世話になってるから、返せる時に恩返ししないと恩ばかりが積み重なっちゃって大変なんです」
「マインちゃんがお世話になってるってことは、あの金髪の坊やかな?」
森の帰りにへろへろになっているわたしのペースメーカーをしているルッツは、門で父さんにその日の行動を報告してお小遣いをもらっているので、オットーも見たことがあるのだろう。
「そうです。でも、新人教育が増えて、オットーさん、忙しそうだし、無理なら……」
「今が一番暇な季節だから、この季節ならいいよ。次の休日でどうだい?」
「ありがとう、オットーさん!」
それにしても、雑務がこれだけある今の季節が一番暇ということは、わたしに手伝いを頼んできた会計報告&予算編成の時期の仕事量はどれだけだろうか。わたしもお手伝いが決まっているだけに、考えたくないことだ。
「あ! もう一つ聞きたいことがあるんですけど、このインクって、少し譲ってもらうこと、できますか?」
「インクって、これだよな?」
眉を寄せたオットーが蓋を閉めたインク壺を指でトントンと叩いた。ガラスの向こうの黒い液体がわずか揺れるのを見ながら、わたしは大きく頷く。
「お給料、石筆じゃなくて、今度からインクにすることってできませんか?」
「三年ただ働き。前借り不可」
「へ!?」
さらっと言われたことが理解できなくて、思わず目を瞬いた。聞き間違いであってほしいが、オットーは真剣な目で指折り何かを数え始める。
「お手伝いから見習いになれば、給与が変わるけど、今のお手伝いじゃあ、予算の時の特別給料も含めて三年分くらいかな?」
「三年!?……高ッ!」
まさかそこまで高いとは思わなかったわたしの反応に、オットーが苦笑混じりに「今度は予算項目の単語覚えような」と言う。
「ここでも貴族相手の書類の時しか基本的に使わないだろ? 子供のおもちゃにはできない値段だ」
つまり、今のわたしには全然手が届かないってことですね。了解です。
……だったら、木簡には何を使って書けばいいんだろう?
板だけあっても、書けなきゃ意味ないんだけど?