Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (210)
ハッセの契約
カントーナが入室してきた。中肉中背のおじさんだが、第一印象というか、見た瞬間に頭に浮かんだ単語は「小物」だった。長い物には巻かれろ、という性格が完全に人相として出ている。
良い知らせなのか、悪い知らせなのか、探ろうとする目がわたしと神官長の間を行き来する様子が、いかにもこすっからい小役人という感じだった。身分が下の者には威張り散らして、身分が上の者には必要以上に媚びへつらうタイプだ。
貴族の挨拶を交わし、神官長が席を勧めると、カントーナの視線は更に落着きなくきょどきょどと行き来する。
「フェルディナンド様、一体何のご用でしょうか?」
「我々が揃っていることでわからぬか?」
神官長がわずかに眉を寄せた。カントーナは本当に身に覚えがないような顔で、必死に記憶を探り始める。
自分の仕事を覚えていないのか、すでに担当を外されているのか、それとも、ハッセの案件にわたし達が関与していることを知らないのか、どれだろうか。
「大変申し訳ございませんが、心当たりがございません」
「……ハッセの町のことだ」
ほんの一瞬、目元が動いたけれど、それ以外は笑顔を崩さずに「ハッセでございますか? 何があったのでしょう?」と続ける。
「ハッセの町に孤児院と印刷工房を作る計画は、領主より直々に命じられたもので、ローゼマインとその後見として私が中心に進めている事業だ。先だって、懇意にしている商人やローゼマインの側仕えを下見にやったのだが、彼等からの報告によると、其方、ずいぶんと非協力的な態度であったらしいな」
「いえ、そのようなことは……」
カントーナはめまぐるしく色々なことを計算しているような、少し焦点が合っていないような目で、にっこりと笑う。笑っているが、それでも「まずい」と必死に保身を考えている様が透けて見える。
「まるで計画を頓挫させたいのではないか、と疑わしいほどだったと聞いたが?」
「それは何かの間違いでは……? もしくは、商人達が揃って何か企んでいるのでしょう。彼らはお金でコロリと意見を変えますから」
それは貴方の自己紹介ですか? と喉まで出かかった言葉を、んぐっと呑み込んだ。今日は貴族のやり方を知るために一緒にいるのだ。わたしが下手に口を出してはならない。
「では、彼らの報告が嘘だ、と……そう言うのか?」
「いえ、そのように断言するわけではございませんが、お互いに何やら行き違いや考え違いがあるかもしれません。何しろ、相手は利益のみを追求する商人ですから」
愛想笑いを張り付けて、商人、商人と言っているが、カントーナは一行の中にわたしの側仕えであるギルがいたことを知らないのだろうか。
神官長に「本当に君は空気を読まないな」と言われているわたしは、我慢と自重をぺいっと放り投げて、口を開く。
「彼等では我々貴族のやり方には馴染まないでしょう」
「カントーナは、わたくしの側仕えも貴族のやり方に馴染まないとおっしゃるのですか?」
全然馴染まないけどね、と心の中で付け加えながら、わたしは相手の反応を見る。
まさか、わたしが口を出すとは思っていなかったようで、カントーナは目を白黒させながら、しどろもどろに「そういう意味では……」と言葉を濁した。
わたしとしては「じゃあ、どういう意味?」と問い詰めてみたかったけれど、神官長にテーブルの下で軽く足をはたかれたので断念する。
目を伏せて溜息を吐いた神官長が「其方の言い分は理解した」と言った後、顔を上げてカントーナに視線を向ける。
「今日の用件だが、其方、ハッセの町長と孤児を買う契約をしたのだろう?」
「え? は、はい。それが……?」
「ローゼマインがその孤児を気に入ってしまって、半ば強引に連れ帰ってしまったのだ。だが、町長より其方とすでに契約していたと聞いてな。事実を確認しなければならぬと考えて、こうして呼び出したのだ」
神官長はうっすらとした笑みを浮かべて、カントーナにそう言った。「まるで横取りになってしまったようで、こちらとしては少々心苦しいが……」と一度言葉を切り、いかにも心配そうな表情になる。
「悋気の強い其方の奥方は、其方が町を出た理由を疑っているようだな。そのような状況で成人を目前にした女の孤児を買うほど、其方が愚かだと思えぬし、よほどの理由があったのだろう?」
事情を尋ねるような心配顔で、脅しも入れる神官長の黒さに内心拍手していると、カントーナはざっと血の気が引いたように一瞬で青ざめた。青ざめながらも、へらへらとした笑顔は崩さない辺り、とても貴族らしいと思う。
「えぇ、えぇ。深くて大変な事情がございます。けれど、ローゼマイン様のお気に入りでしたら、快くお譲りいたしましょう。こちらは契約を撤回いたします。契約書を取ってまいりますので、少々お待ちくださいませ」
逃げるようにカントーナが一度退室していく。パタリと閉められた扉を見た後、わたしは神官長を見上げた。
「フェルディナンド様はカントーナの奥方のことまで、よくご存じですのね」
「貴族同士で交渉する前には、どれだけ相手の情報を得ているかが、鍵になることが多い。ユストクスの情報は雑多なので、使えるものを探し出すのは大変だが、非常に役立つ」
情報ならば何でも掻き集めてくるユストクスを、恐ろしく記憶力が良くて取捨選択が得意な神官長が使えば、最強で最凶だろう。「自分をうまく使うのはフェルディナンド様だけだ」とユストクスが言っていたように、雑多な情報から必要な情報を探し出すのが、普通は大変なのだと思う。
敵に回るつもりがなくても、下町での関係や行動を調べられていたわたしとしては、ユストクスと神官長に一体何を知られているのか、わからない。
わたしの場合、弱みしか存在しない気がするので、神官長の敵に回った瞬間、ぷちっとやられそうだ。
「わたくし、フェルディナンド様の敵には絶対に回りませんから安心してください」
「……何だ、その唐突な宣言は? エックハルトかユストクスにでも何か吹き込まれたのか? 揃いも揃って、何の脈絡もなく唐突で、わけがわからぬ」
……きっと皆、神官長のことが怖いって思ったんだよ。
後々聞いたところによると、怖いから敵に回らないと決めたへたれなわたしと違って、二人はそれぞれのきっかけで神官長に心酔した結果、一生仕える主として決意した言葉だったらしい。「一緒にしないでくれ」とエックハルト兄様に言われてしまった。
……ごめんね、兄様。わたし、一生仕える主って感覚がよくわからない。
わたしの唐突な宣言によって、神官長が難しい顔をしているところに、カントーナが契約書を持って戻ってきた。
神官長の顔にビクッとなりながら、すぐさま契約書を差し出す。
「こちらが契約書になります」
「あぁ、すまぬな。……違約金はこちらが払っておくので、間違ってもハッセへ取りに行くような真似はせぬように」
この契約書をハッセに持って行って、町長と話をすれば、終了だ。
ハァ、終わった、とわたしがホッと息を吐くと、カントーナはちらちらと神官長を見ながら、言い訳じみた声と態度で何やら言い始めた。
「それにしても、困ったものです。先程も申し上げたように、深い事情がありまして、この契約は別に私が望んだものではなく、私も頼まれたものなのです」
ただの奥方への言い訳と口止めかと思ったが、カントーナも別の人に頼まれて、成人女性を探しているらしい。
「どなたに頼まれたのですか? その方ともお話は必要ですか?」
ハッセの町にとって、わたし達が悪者の立場にならないように契約書を取り戻したのだ。カントーナとその依頼人にとっても横取りで悪者の立場にならないようにしたい。どちらかというと、町長より貴族の恨みを買う方がよほど面倒くさいことになりそうだ。
「わたくし、その方にも、真摯に、誠実に、お話したいと存じます」
「いえ、それは……ローゼマイン様のお耳に入れる類のお話ではございませんので……」
カントーナが脂汗を流しながら、辞退する。視線だけで神官長に「助けてください」と訴えながら。
「ローゼマイン、ここはもう良い。ヴィルフリートと共に勉強してきなさい。ブリギッテ、アンゲリカ。ローゼマインを連れて一足先に戻れ」
わたしがいてはできない話だと判断したようだ。神官長はそう言って、わたし達に退室を促す。わたしは従順に頷いて、部屋を出た。
そして、レッサーバスでヴィルフリートの部屋へと向かう。中に入ると、ヴィルフリートを持ち上げるような生ぬるいカルタの真っ最中だった。読み札を読み終えた後の10秒が長い、長い。太鼓持ちに囲まれたヴィルフリートがつまらなそうな顔で絵札を見ている。
部屋全体を見渡せるところでリヒャルダが静かに立っているのが見えた。多分、使えない側仕えを見極めているのだろう。リヒャルダの目が怒りに燃えているのに、静かなところが逆に怖い。
「ヴィルフリート兄様、途中からで良いので、わたくしも入れてくださいな」
かなりゆっくりと10まで数えている側仕えを笑顔で制しつつ、わたしが普通に10まで数えて、即座に絵札を取る。その中には今日ヴィルフリートが憶えたばかりの文字も入っていたようだ。
「なっ!? ローゼマイン、速すぎるぞ!」
「違います。兄様が遅いのです。ご自分が憶えている絵札がどこにあるかくらいは、最初に並べた時にわかっているでしょう? 読み札を読み始めた瞬間に手を伸ばすくらいできなくてどうします? こちらは10数えて待っているのですから」
途中参加でヴィルフリートに勝利し、わたしはカルタの数を数えながら、側仕え達をぐるりと見回す。あれとあれとあれは入れ替えだ。
「もう一度やりましょうか、兄様? 今度は今日、兄様が憶えた文字を確実に取れば、兄様の勝ちです」
「憶えた分だけならば簡単だ」
一回目は普通に勝たせてあげたが、二回目は時折絵札の位置をぐちゃぐちゃに置き直し、絵札の探し直しをさせて難易度を上げてみた。
「くっ! もう一回だ!」
負けず嫌いな性格に火が付いたらしい。何度かカルタを繰り返すうちに、自分の名前に使われる基本文字は大体押さえられるようになってきた。
「兄様、それ、間違っています。『お手つき』と言って、間違ったものを取った場合は一枚没収です」
「何っ!?」
その一枚が大きな差となり、敗北したヴィルフリートは地団太を踏んで悔しがる。
「次までにたっぷり練習しておいてくださいませ」
「今日一日でこれだけ取れるようになったのだ。次は私が全部取るからな!」
「わたくしも負けませんよ」
そうは言ってみたものの、気が付いたら孤児院の子供達に負けるようになっていたように、あっという間にヴィルフリートに負けるようになる気がする。
……うーん、ヴィルフリート兄様って、基本スペックが高い気がする。かなり記憶力良いんじゃない? それとも、興味のあることには全力投球する養父様と同じってことかな?
「では、次はトランプで数字の勉強をしましょうか」
「……数字か」
トランプを1から10まで並べていく。
「先程、カルタを取る時に10まで何度も数えましたよね? では、順番に並んでいるので、数字を押さえながら、前から読んでいってください」
「いち、に、さん……」
10まで問題なく読めた。そして、トランプを数の大きい順に並べ替えさせたり、言った数字のカードを取らせたりする。
その後、七並べをした。マークの数を読めるようになったので、少々時間はかかるが、七並べができるようになった。
「リヒャルダ、入れ替える側仕えは決まったかしら?」
「えぇ、もちろんですわ。姫様」
お勉強の時間、じっと部屋を見ていたリヒャルダに声をかけると、リヒャルダは目を細めてニコリと笑った。
「姫様は、ゲームに30回負ければ入れ替える、とおっしゃいましたけれど、負けなければ入れ替えないとは一言もおっしゃっておりませんもの。真剣さが足りない者はどんどん入れ替えていけばよろしいでしょう」
オズヴァルトも部屋の中を見回し、「本当に危機感が足りない者が多いようですね」と呟く。フロレンツィアから「失望した」と言われた自身が一番の入れ替え候補であることを知っているオズヴァルトは、リヒャルダの指示のもと、今日は別人のように働いている。
このまま主従揃って成長してくれれば良いと思う。
6の鐘が鳴る寸前に神官長から「神殿に戻るぞ」という連絡がきた。北の離れには許可がなければ入れないので、待合室で待ってくれているらしい。
「では、ヴィルフリート兄様。わたくしは神殿に戻ります。今日のように練習すれば、フェシュピールも弾けるようになると思いますよ」
「うむ、わかった」
自信に満ちた顔でヴィルフリートが大きく頷いた。
午前中に暗譜させられた曲を午後も忘れずに憶えていたので、フェシュピールの練習はそれほど大変でもなかった。ロジーナに教え込まれた音階を、一小節だけ繰り返して滑らかに指が動くまで練習した。たった5つの音を弾くだけなので、最初はぶつぶつと途切れ途切れの音でも、すぐに弾けるようになったのだ。
「思ったよりも簡単ではないか」
達成できたら塗りつぶしていく課題表が予想外に塗りつぶされている。途中で飽きなければ、冬のお披露目には間に合いそうだ。
「本当に、やればできるのですから、この調子でどんどん塗りつぶしてくださいね。今日はこの課題表を夕食の席で養父様と養母様に見せると良いですよ。きっと、とても褒めてくださいます。兄様の努力が目に見えてわかるのですから」
「そうか」
「皆、よくやってくれました。わたくしはとても嬉しいですし、主として誇らしいです」
わたしは騎獣で神殿へと戻ると、自分の側仕え達を褒め倒した。ウチの側仕えが頑張ってくれなければ、ヴィルフリートは廃嫡ルートまっしぐらだったのだ。真の功労者はウチの側仕えだ。
「ローゼマイン様の唐突で理解できないお願いには慣れてきましたから」
フランが困ったようにそう言って笑う。そして、ヴィルフリートが神殿でどのように過ごしていたのか、側仕えから見た風景を尋ねた。
「青色神官として神殿に入ってくる洗礼前の貴族の子供として考えれば特に珍しくもございませんでした。こちらの言葉を多少なりとも聞く耳をお持ちだった分、よほど素直でしたよ」
これから先、神殿に来る青色神官見習いや青色巫女見習いのことを考えると、少し頭が痛くなった。
次の日は、普通の日だ。わたしはいつも通りにフェシュピールの練習を行い、神官長のお手伝いに行く。
すると、神官長に盗聴防止の魔術具を差し出された。
「昨日、其方の退席後、カントーナから聞いた話だが……」
神官長によると、今、貴族間に供給される灰色巫女の数が極端に減っているらしい。今までは神殿長に言えば、簡単に灰色巫女が手に入った。けれど、神殿長が食い扶持を減らすために、見目の良いものだけを残して数を減らしたのと、領主の娘であるわたしが工房で使い、孤児院で使いと、灰色巫女に役目を与えているため、手に入らなくなった。
今、灰色巫女を側仕えとして使っている青色神官に譲るように頼んでも、希少なせいか、値段を吊り上げられているらしい。「神官長にも神殿長にも新しい側仕えを頼みにくい」というのが、青色神官の弁らしい。
貴族達にしても、前神殿長と違って花捧げに全く興味もない神官長には、灰色巫女を斡旋してほしいとは頼みにくいし、灰色巫女は安価だからよかったのだ。高価な金をかけてまで青色神官から買いたいほどのものでもない。
結果として、周辺の町の孤児院へちょうど良い年頃の孤児がいないか、探しに行くようになったらしい。
「ローゼマイン、どうする? 灰色巫女を貴族に売るか?」
神官長がわたしを試すような目でじっと見ながら、問いかける。
「……灰色巫女でいるよりも貴族の愛人の方が良い、と言う灰色巫女がいれば、心情的には嫌ですけれど、就職先だと思って斡旋を考えてもよいかもしれません。でも、嫌がる灰色巫女を売る気は微塵もありません。今のところ工房で養えていますし、孤児の動向を最終的に握っているのは、わたくしですから」
わたしの回答に神官長はすぅっと目を細めた。
「ならば、周囲の孤児院で貴族が孤児を買うことに関してはどうするつもりだ?」
孤児の売り買いに気分が悪いと思うのは、わたしがまだこの世界の倫理観に合わせられていないからだ。けれど、以前に比べて嫌悪感は薄れている。
「……周辺の町の孤児は、町長を初め町民が養い、町民の冬の蓄えを買うための共有財産でもある、とベンノから伺いました。わたくしが権力で勝手をして良い対象ではないのです。全ての孤児を助けることができるわけではないのですから、目に入らないところに関しては、関知しません」
領主の養女という権力を使えば簡単に介入して、ハッセの孤児達を全員引き取ることは可能だろう。しかし、孤児がいるのはハッセだけではないのだ。わたしには全ての孤児を救うような力はない。
そして、神殿長であるわたしが考えなければならないのは、神殿の孤児院のことだ。余所の町の孤児院にまで考えなしに手を広げるのは間違っている、と言われている。
ハッセの小神殿については、わたしの管轄内なので、何とかする。それ以外の目に入らないところは関知しない。
納得はしたくないが、呑み込まなければ、やっていけない。
「そうか。少しは学習しているようで何よりだ」
わたしの回答に神官長は満足したように頷いた後、意地の悪い顔になって、更に質問を重ねた。
「では、ローゼマイン。ハッセの町長のところにいる孤児に関してはどうする? あれは一応其方の目に入っただろう?」
わたしは一度唇を噛んだ後、軽く頭を振った。
「神殿の孤児院と違って、他の町の孤児達は、男の子の場合は成人したら、町民として畑がもらえるそうです。女の子も畑を得られて結婚先の斡旋がされるようです。ならば、孤児として、神官として生きていくより、自分の見知った土地と習慣の中で、一人の町民として生きていく方が幸せなのかもしれません」
それまでの習慣を全て否定され、教育を受け直して、神殿の孤児院で神官や巫女として先が見えないままに貴族のすぐ近くで生きていくのと、生活は厳しいかもしれないが、自分の理解が及ぶ世界の中で生きていくのと、どちらが正解かなど、本人にしかわからない。
周囲からどのように見えようとも、わたしはできることならば、領主の養女ではなく、家族と一緒にいたかったのだから。
「……一度選択肢は与えています。どちらにせよ、彼らがこちらの孤児院を選ばなかった時点で、わたくしが手を出す対象ではありません」
わたしの回答に、神官長は「よろしい」と言って、頷いた。満足そうな神官長を見て、間違えずに済んだことに安堵する。
……あぁ、嫌だ。
これが領主の娘としては正しい答えなのだろうとわかる。それと同時に、自分の中の常識がまた一つ塗りつぶされた感じがした。