Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (215)
後始末
「きゃあっ!?」
ぶわっと膨れ上がった魔獣は爆発したのではなかった。大人の膝程の大きさだった猫のような魔獣がほんの一瞬で十倍以上の大きさになったのだ。
騎獣に乗って空中にいるわたしより、まだ頭の部分が上にあった。その大きさで月が隠れて、暗い影を落としてくる。
「ゴルツェだと!?」
リュエルを取り戻そうと追いかけていたエックハルト兄様は、すぐさまその場を飛び退き、騎獣に乗って戻ってくる。
ダームエルとブリギッテも騎獣に乗って、驚愕の目でゴルツェを見上げた。
「ゴルツェって何ですか?」
「ザンツェの上位種ですが、ザンツェがゴルツェになるのは初めて見ました」
ユストクスの説明によると、その辺りに大量にいる猫っぽい魔獣がザンツェで、魔力を得ることで何段階かの変化を経て、最終的にゴルツェになるらしい。
リュエルの実を食べたり、他の魔獣を食べたりして、ザンツェが少し大きくなったとしても、フェルツェに変化するかどうか、というくらいらしい。
「姫様の魔力を取り込んだせいでしょうが、普通はあり得ない変化です」
二階建ての建物くらいの大きさがあるゴルツェがのっそりと動いた。ぐわっと大きな口を開けたかと思うと、周囲の小さい魔獣を食らい始める。
突然すぎる巨大で魔力が強すぎるゴルツェの登場に、小さい魔獣達が混乱して、逃げ惑い、少しでも力を求めて弱っている魔獣に食らいつこうとし、その場が一気に混乱に陥った。
「オルドナンツ」
ユストクスがオルドナンツを作り出し、神官長へと緊急の連絡を飛ばす。
「フェルディナンド様、姫様の魔力が籠ったリュエルの実をザンツェが食べ、ゴルツェへと変貌。至急退治の必要性があります。騎士団への応援要請をお願いいたします」
ギリッと奥歯を噛みしめながら、その報告を聞いていたエックハルト兄様がシュタープを両手で握る大振りの長剣へと変形させた。
「エックハルト、何とかなるのか?」
グッと両手で長剣を握るエックハルト兄様を見て、ユストクスが眉を寄せる。
長剣へと魔力を注ぎ込みながら、エックハルト兄様はゴルツェを睨みつけたまま、視線を外さない。
「やってみなければわからない。ゴルツェ自身、突然の変容でまだ取り込んだ魔力や体の大きさや力に馴染んでいないのだろう。攻撃できるとしたら、動きが鈍い今しかない」
ゴルツェが巨大な舌で小さな魔獣達をべろりと巻き取るようにして口へと運んでいく。下しか見ていないゴルツェの頭上へと騎獣を向けたエックハルト兄様が、大きく剣を振りかぶる。
「うおおおおぉぉぉぉ!」
エックハルト兄様が剣を振り抜いた瞬間、カッと眩しい光が真っ直ぐにゴルツェに向かって飛び出した。
威力は小さいが、祈念式で襲撃を受けた時にお父様が見せた攻撃とそっくりだった。エックハルト兄様とお父様は見た目が似ているので、余計にそう見える。
眩く光る光の斬撃がゴルツェに向かい、気付いたゴルツェが頭を動かしたところに直撃した。
痛みと怒りの声を上げるゴルツェを見れば、攻撃が一応効いていることがわかるけれど、エックハルト兄様一人で何とかできる相手ではないことも明白だった。
それでも、多少の手応えは感じているのか、エックハルト兄様がもう一度長剣を振りかぶる。
眩い光に驚いたのか、巻き添えを恐れたのか、小さな魔獣達が藪の中へと我先に逃げ込んでいく。
そんな中、リュエルの実を流れるような手つきで次々と採集しながら、ユストクスが指示を飛ばした。
「ブリギッテ、ダームエル! 姫様を連れて即座に退却! 農村にて待機!」
「はっ!」
わたしはブリギッテに先導されて、騎獣でその場を離れる。
森を抜けて、人のいない農村まで戻ってきた。待機を命じられているので、一度止まって、後ろを振り返る。
森の木々の不自然な揺れ具合から、ゴルツェが暴れているのがわかった。
……どうすればいいんだろう。
小さなザンツェならば、倒すのは簡単だった。大した被害もない小物だ。しかし、ゴルツェは上級貴族であるエックハルト兄様でも簡単には倒せない。こうなったのは、わたしの魔力が原因であることが明らかだ。
今まで、わたしが魔力を使う時は大体が怒りに我を忘れている時か、祝福を与える時なので、自分の魔力の大きさを客観的に見つめる機会がなかった。
神官長から魔力が強大で、制御の方法や身を守る方法を覚えなければ危険だと言われたり、領地にとって有害かどうか確認しなければならないと言われたりしていた。その度に何となくわかったつもりになっていたが、全くわかっていなかったようだ。
「……わたくしの魔力があんな魔獣を作り出すなんて、知りませんでした。わたくしのせいですね」
「いいえ、ローゼマイン様。お守りできなかった我々の責任です」
キッパリとしたブリギッテの言葉に、ダームエルが胃の辺りを押さえて、ぎゅっと眉を寄せる。
「どうすればいいのでしょう。……ゴルツェをこのまま放っておくことはできません」
「ローゼマイン様、騎士団にお任せください。そのために騎士団はあるのです」
ブリギッテが胸を張って、そう請け負ってくれる。それでも、エックハルト兄様の攻撃があまり効いていなかったのを見ていると、それほど楽観的にはなれない。
「ほら、ローゼマイン様。エックハルト様も戻っていらっしゃいました。もう大丈夫です」
森から騎獣の影が二つ飛び出してきて、こちらへと向かってくる。ユストクスとエックハルト兄様だ。
合流するとほぼ同時に、神官長の元からオルドナンツが飛んできた。ユストクスの腕に降り立ち、神官長の声を届ける。
「すぐにそちらに向かう。ロートを上げろ。ゴルツェが暴れて周囲を襲う前に対処が必要だ。まず、エックハルトの攻撃。それでゴルツェを倒せぬならば、ローゼマインが風の盾を裏返すような感じで、風で
檻
を作って魔獣を出さぬように閉じ込めるのだ。君の魔力を得た魔獣を押さえこめるのは、そこにいる中では君だけだ」
神官長の指示を三回繰り返し、オルドナンツは魔石へと戻った。すぐさまダームエルがシュタープを取り出し、「ロート」と赤い光を打ち上げる。
「風で檻を作る?……できるのか、そのようなことが?」
「風の盾を裏返すように、と助言もいただきましたから、やります。自分がやってしまったことの後始末は自分でやらなければならないのですよね?」
これから先の採集でも同じようなことが起こる可能性はある。わたしが魔力を魔石に籠めたり、魔獣に襲われたりすれば、同じようなことが起こるだろう。対処の方法は学んでおいた方が良い。
何より、助言をもらえたことがわたしの気を軽くしていた。自分の魔力でこのような事態を引き起こしているのに、何もできないより、事態を収束するためにできることがある方がマシだ。
「やります、と簡単に言うが、ローゼマインの小さな体のどこにそれだけの魔力があると言うのだ? 複数人に神の祝福を与え、あれだけの魔力をリュエルに籠めて、この上、神に祈って風の盾が作れるわけがないだろう。無謀だ」
まだ風の盾を作るくらいならば、余裕でできるが、本来は無謀扱いされるようなことらしい。
どうやら、わたしの魔力についてはあまり周囲にはっきりと知らされていないようだ。洗礼式の祝福で強い魔力を持っていることは知られているが、それがどの程度か、までは知られていないのだろう。
わたしも他人と比べたことがないので、自分の魔力がどの程度なのかわからない。兄様に何と言えばいいのか、考えていると、ユストクスが軽く肩を竦めた。
「エックハルト、姫様の魔力を食らった魔獣がどのくらい強大になるのか、一番よく分かっているのは姫様の庇護者であるフェルディナンド様だ。そのフェルディナンド様が対処できるのが姫様しかいないとおっしゃったのだ。ゴルツェを閉じ込められるように、其方らは姫様の補佐を最優先に考えよ」
ユストクスの一言にエックハルト兄様は心配そうな表情をわたしに向けたけれど、頭を一度振って頷いた。
「わかった。全力で補佐しよう。風の盾に魔力を使うので、ローゼマインの騎獣は片付けて、ブリギッテに同乗すること。小物が近寄らぬよう、全員が騎獣に乗ったままローゼマインを守ること。いいな?」
「はっ!」
わたしはレッサーバスを魔石に戻し、ブリギッテに同乗させてもらう。そして、またゴルツェのいる森の奥へと戻っていく。
先程よりも魔力が馴染んできたのか、自分の大きさに慣れてきたのか、動きが速くなっているゴルツェがわたし達に気付いてこちらを見た。
ギラリと光る大きくて縦に長い瞳孔がピタリとわたしに向けられる。軽く見開かれた巨大な目が、わたしを餌だと認識したのがわかった。
捕食しようとする肉食獣の目にぞっと背筋が震える。
「ローゼマイン、神に祈れ!」
わたしが魔力の固まりであることを見抜き、食らおうとしてくるゴルツェの顔面にエックハルト兄様が斬撃を叩き込みながら、叫んだ。
「守りを司る風の女神 シュツェーリアよ 側に仕える眷属たる十二の女神よ」
魔力を指輪に流し込みながら、わたしはいつもどおりに祈りの言葉を口にする。
神が身近にいるような感覚にざわりと肌が粟立ち、わたしは思わず紫の月を見上げた。いつもと違う月のせいなのか、それとも、本当に何かがいるのか、わからない。
「我の祈りを聞き届け 聖なる力を与え給え 害意持つものを近付けぬ 風の盾を 我が手に」
ひっくり返った傘でゴルツェを閉じ込めるようなイメージで、風の盾を作っていく。わたしが頭に思い描いたそのままに、琥珀のように透き通った盾が裏返っている。内側に模様が刻まれているところまでそのままだ。
大きなドームに閉じ込められた形になったゴルツェが盾に向かって突進し、吹き飛ばされる。周囲で安堵の息が漏れた。
けれど、わたしは思わず眉を寄せる。盾がゴルツェの攻撃を受けた途端、ぐんと魔力を吸い取られたような気がしたのだ。
最初は勘違いかと思ったが、そうではない。ゴルツェが暴れて風の盾に攻撃すれば、魔力を吸い出される。
「ローゼマイン、顔色が良くない。魔力は大丈夫なのか?」
「……まだ平気です。ただ、今までと違うのです」
風の盾を作るという点では、魔力を半分くらいしか使ってはいない。けれど、この調子で魔力を吸い出されたら、神官長が到着するまで盾を維持できるかどうか、わからない。
「エックハルト兄様、わたくし、何度か風の盾を使ったことがありますけれど、攻撃を受ける度に魔力が吸い出されるのは初めてなのです」
「それは、ゴルツェが攻撃に使う魔力を相殺するためだろう。今までの相手は魔力が低かったのではないか」
エックハルト兄様の言葉にわたしは、コクリと息を呑んだ。指摘された通りだ。祈念式で初めて使った時は農民が相手だったし、神殿で皆を守った時は神官長の魔力を正面から受けたわけではない。ガマガエル伯爵に向けられた魔力のとばっちりから皆を守るものだった。
風の盾を維持するのに、ここまで魔力が必要になるとは思わなかった。暴れて風の盾を打ち破ろうと突進を繰り返すゴルツェを睨みながら、わたしはぐっと奥歯を噛みしめる。
……神官長、早く来て。
「ローゼマイン、顔色が悪い。魔力がないのではないか?」
「……魔力はまだ平気ですけれど」
ずっと攻撃を受ける風の盾を維持するのは、魔力の量も大変だが、それより大変なのは集中が切れそうになることだ。作って放っておいても問題なかった今までと違い、集中して魔力を流していなければ、風の盾が破られそうになる。
「わたくし、今はゴルツェより強大な敵と戦っているのです」
「ゴルツェより!? 何だ、それは!?」
「睡魔です」
疲れと時間経過も相まって、最大の敵との戦いが始まっているのだ。
いくら昼寝をしたとはいえ、出発したのが7の鐘が鳴ってからだった。リュエルの花が散り、実がなり始め、魔力を注ぎ込んだ実を取られた頃には真夜中で、それからまだ睨み合いが続いているのだ。子供の体には限界が近い。
おまけに、わたしは今ブリギッテと同乗していて、落ちないように片腕で抱えられている。わたしが頭を打たないように、柔らかくしてくれた胸当てのおかげで、実に心地良い胸枕になっているのだ。
……このまま寝たい!
「しっかりしろ、ローゼマイン! これだけの盾を作って維持するのは、他の誰にもできない」
「わかってます! ですから、どなたでも結構です。わたくしの眠気が飛ぶような面白い、興味深いお話でもしてくださいませ」
閉じそうになる目を必死にこじ開けて、わたしはゴルツェを睨みながら、時折飛びかかってくる小さい魔獣をいなしている周囲に協力を要請する。
「いきなり難問だな。私より情報を集めているユストクスが適任だろう。任せた」
「いや、任せられても困る。私が得意なのは集めることで、情報を披露することではない。何より、姫様の好みをよく知らぬから、興味のある話などできぬ。長期間、お仕えしているダームエルが適任だろう」
二人から視線を向けられたダームエルがざっと青ざめて、ふるふると頭を振った。
「ローゼマイン様がお好みになるのは、本や図書室についてのお話です。私には満足できるような話はできません!」
ダームエルの悲鳴のような声に、ユストクスが軽く眉を上げた。
「図書室? ならば、貴族院の図書室の話でもしますか?」
「ぜひお願いしますっ! 蔵書数、取り扱っている本の種類、何でも伺います」
眠気が吹き飛んだ。10歳になれば行くことになる貴族院は、つまり、貴族の学校で、その図書館は学校図書館だ。ぜひ、詳しく色々な話が聞きたい。
ギラリと目を光らせたわたしの言葉にユストクスが笑い出した。
「そんな情報を聞きたがる方がいるとは思いませんでした」
ユストクスは貴族院の図書室の情報を話し始めた。他の人にはどうでもよい情報でもわたしにはとても有益で楽しい情報だ。
作られた年代から蔵書数、本の種類に、一番多く寄贈してくれた人、図書室で働く司書の名前や年、そして、開かずの書庫の話など、盛りだくさんだった。
「待たせた!」
わたしがすぐにでも貴族院に行きたくなった頃、神官長が到着した。白いライオンがバサリと羽を動かし止まる。
「……あのゴルツェか。よく閉じ込められたな、ローゼマイン。集中力も魔力もかなり必要だっただろう。よくやった」
風の盾とその中で暴れるゴルツェを見ながら、神官長が褒めてくれる。
「ユストクスが面白いお話をしてくださったお蔭で、集中できました」
「そうか。周りの顔を見る限り、詳しく聞くのは止めておこう。さっさとゴルツェを片付けるぞ、エックハルト」
「はっ!」
神官長はさっさとわたしから視線をエックハルト兄様に向けると、シュタープを取り出し、大振りの長剣に変化させる。その長剣に今までに見たことがないほどの魔力を流し込みながら、神官長は騎獣を駆って上空へと上がっていった。
エックハルト兄様は厳しい顔で神官長を一度見た後、わたし達を背に守るようにして、長剣に魔力を流し込みながら、ゆっくりと持ち上げていく。
ゴルツェの頭上に騎獣を移動させた神官長の長剣が虹色に輝いていて、その輝きはどんどん強くなっている気がする。
「全力で行くぞ! 構えろ!」
そう怒鳴ったかと思うと、神官長が長剣を振りかぶり、ゴルツェに向かって落下するような勢いで突っ込んでいった。
「ローゼマイン、消せ!」
わたしが慌てて風の盾を終了させると同時に神官長とエックハルト兄様が剣を振りぬいた。
巨大な光の斬撃がゴルツェの頭上から降り注ぎ、轟音と同時にものすごい衝撃が来た。木々が倒れて地面が抉れ、土や石が舞い上がり、飛んでくる。
それでも周囲に比べて、わたし達の被害が少なかったのは、エックハルト兄様の斬撃により、兄様の背中付近だけは守られたからだった。
神官長の一撃でゴルツェは溶けるように消えていった。残ったのは、大きな魔石だ。神官長はそれを拾い、じっくりと眺めて、首を振る。
「駄目だな。これでは使えない」
ゴルツェを倒して得た魔石は、すでにリュエルの実ではなくなっている。わたしの魔力だけではなく雑多な魔獣の魔力も大量に籠っているので、薬の素材としては使えないらしい。
「エックハルト、あとで分けておけ」
神官長はそう言って、魔石をエックハルト兄様に向かって放り投げる。エックハルト兄様はそれを受け取って、大事そうに革袋に入れた。
わたしは衝撃で倒れてしまった森の木々の中、変わらずにそこにあるリュエルの木を見遣った。
ユストクスが採集した分とそれ以外は魔獣に食われて、リュエルの実はもう一つも残っていない。
「……採集、失敗しちゃいました」
皆に協力してもらって、ここまで来て、一度は手に入れたはずなのに、ザンツェに取られてしまった。ザンツェがゴルツェへと変化したことで、神官長を呼び出す羽目になり、後始末に奔走したけれど、手元に残ったものはない。
項垂れるわたしの頭にぽすっと大きな手が置かれた。
「仕方がない。今年はシュツェーリアの夜に関する情報が少なすぎた。来年は万端の準備を整えればよかろう。……泣くな」
「な、泣いてません。眠たくて、欠伸しただけですから」
急いでごしごしと目元を擦って、わたしが顔を上げると、神官長が軽く眉を上げて、フンと鼻を鳴らした。