Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (217)
インゴと印刷機の改良
神官長に縋るような視線を向ける文官と養父様を「お仕事、頑張ってくださいね」と笑顔で激励して、わたしは神官長と領主の執務室を出た。
そして、すぐさま神殿へと帰る。城でのんびりしていたら文官が頼ってきそうだったし、仕事人間の神官長が何もしない状況に、そわそわと落ち着かなさそうだったからだ。
……あぁ、もう! 主従が似すぎなんですけど!
星結びの儀式で貴族街に連れて来られて、「休め」と言われても落ち着かなくて、結局側仕え全員が集まって仕事の話をしていたというフランの話を思い出した。
「そんなに仕事がしたいなら、城ではなく神殿で仕事をして、ついでに、後進を育ててください。青色神官が絶望的なら、灰色神官を鍛えてくださってもよろしいのですから」
仕事に余裕ができた神官長が、暇に任せて本気で後進を育ててくれれば、わたしへの期待が分散されて、わたしへの課題が少しは減るに違いない。そんなに甘くないよ、と頭のどこかで声がしたけれど、それは聞かなかったことにする。
それと同時に、わたしは後進を育てるということで、ヴィルマに言われたことをふと思い出した。ウチの側仕えは仕事の負担が大きい、という話だ。わたしも後進を育てて、側仕えの負担を軽くしてあげなければならないのではないだろうか。
「神官長、わたくし、孤児院長、工房長、神殿長と肩書が多い割に、側仕えが少ないのではないか、と言われたのですけれど、どう思われますか?」
「……円滑に執務が進んでいるかどうかは、君が判断すればよかろう。足りないならば、増やせばよいし、特に問題がないならば増やす必要もない。君は自分でも稼いでいるし、神殿長に与えられる費用の他に、養父から預かっている養育費があるので、増やそうと思えば増やせる。相談はフランとしなさい」
お金の問題は解決されているので、本当にわたしの考え一つでどうにでもできることらしい。
わたしは神殿に戻ると、早速フランに尋ねてみた。
「……と、神官長に言われたのですけれど、フランは側仕えを増やすことに関して、どう思いますか?」
ヴィルマに言われ、神官長に相談にした結果を伝えると、フランは少しばかり目を細めた。
「工房の管理者を増やすことには賛成いたします。今はギルが一手に引き受けておりますが、これから先、ハッセのような工房を増やす度にギルが不在となるのでしたら、こちらの工房の管理ができる者は必要でしょう」
工房を増やすということになれば、ギルベルタ商会が動き、ギルベルタ商会と一番繋がりが深く、外に出ることに慣れているギルが出ることになる。すると、ギルがいない間の皺寄せは全てフランに向かう。工房が男子棟の地階にあるので、最終的な管理はどうしても男であるフランに頼んでしまうからだ。
「灰色神官を一人、側仕えにします。工房で働いている灰色神官の中から、ギルとルッツに選んでもらいます。あの二人とうまくやっていける人でなければ意味がありませんから。……孤児院はどうしましょう?」
「工房はそれで良いと思いますが、孤児院の管理者を増やす必要はありません。ローゼマイン様がヴィルマを孤児院に据え置くため、幼い者に目が届かないことを懸念したために管理者を置きましたが、元々、孤児院に管理者はいません。孤児院長が管理者でしたから」
子供を育てる灰色巫女がいなくなったので、子供達を見るためにわたしが側仕えを置いただけ、という体裁をとっている。わたしが孤児院長でなくなった時に、孤児院に管理者が何人もいたら、次の孤児院長が困るだろう、とフランが言った。
「では、神殿長室には?」
一番必要そうなところに関して質問してみると、フランは非常に複雑な笑みを浮かべた。
「すでに仕事ができる……神官長の側仕えを引き抜けるならば、ぜひお願いしたいところですが、育てなければならない側仕えはこれ以上必要ありません。正直な話、日常業務とモニカとニコラの教育で手一杯です」
そして、モニカがとても努力家なので、きちんと育ってからで良い、とフランは言った。フランの負担になるならば、増やすのは止めておこう。
「神殿長室の側仕えを増やすよりも、料理人を増やすことを考慮いただきたいです。エラ一人では無理がありますし、ローゼマイン様が神殿にいらっしゃらない時はモニカとニコラが料理をしておりますから、二人の教育があまり進んでいません」
緊急で必要なのは、むしろ料理人らしい。しかし、ニコラが楽しそうに厨房へと向かう様子を見ていると、ニコラには側仕えより料理人の助手の方が合っている気がする。
「うーん、ニコラは料理が好きで、好きで、楽しく助手をしているようなので、料理の方へと移動させて、別の側仕えを入れることを考えてもよいのですけれど」
「その辺りの采配はローゼマイン様にお任せいたします」
料理人は、今まで通りイタリアンレストランの新人をこちらで育てられないか、ベンノに相談してみようと考えながら、わたしは話を終えた。
「ローゼマイン様、こちらをルッツから預かりました」
就寝前に行われる今日の報告で、ギルが手紙を差し出してきた。
普段は工房にいるルッツを呼んでもらって、「今度都合が良い時にベンノさんも呼んでくれると助かる」というような頼み方をすることが多く、逆にルッツを通して、こちらの都合を聞かれることが多い。このような手紙を受け取ることが少ないので、わたしは首を傾げた。
カサリと手紙を広げて、わたしは目を通す。ギルベルタ商会からの正式な面会依頼で、印刷機の改良について、インゴがわたしと話をしたいという内容だった。
神殿長であるわたしが、工房でうろうろしながら話をするわけにはいかないので、隠し部屋で話ができないか、という相談に、うーん、と唸る。
わたしの素を知る者は、できるだけ少ない方が良い。あまり馴染みのないインゴを隠し部屋に入れて話をすることに、少しばかり躊躇ってしまうのだ。
「ギル、この手紙の返事を書く前に、一度詳しい話がしたい、とルッツに伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
次の日、ギルはルッツを呼んでくれて、わたしは隠し部屋で話をした。
まずは、工房の管理のために灰色神官を一人、側仕えにするという話だ。
「これからも、印刷工房を増やしていくから、ギルが不在になるでしょ? だから、二人で相談して、二人が任せられると思う灰色神官を推薦して欲しいの。ギルベルタ商会ともうまく付き合ってくれなきゃ困るし、ギルと仲が良くない人では困るもの」
「フリッツかバルツだな」
「ノルトかフリッツなら、任せられる」
わたしの言葉に少し考え込んでいたルッツとギルがそれぞれ思い当たる人物を挙げた。どちらにも共通しているのが、フリッツなので、フリッツを側仕えにすることに決める。
「じゃあ、部屋や生活用品などの迎える準備ができたら、フリッツを側仕えにするわ。……本題に入るけど、どうしてインゴがわたしと話をしたいと言ったの? 灰色神官達と改良していく、って話じゃなかった?」
「インゴが工房に来てくれて、改良する話をしていたんだけどさ……」
今、工房にある印刷機は一番シンプルな形に作られている。
金属活字で版を組んで、組版を固定して置く箱のような物を作ってもらっているので、版にインクを塗って、紙をセットした後、その箱を圧縮盤の下に置いてプレスできるようになっている。一応圧搾機を改造したものだが、形も何もほぼ圧搾機だ。
インクや紙を置く場所は隣に台を準備しているし、本来ならば、版や紙をセットした台を押したり引いたりすることで、圧縮盤にセットできるはずなのに、それさえ手動でやっているのだから、印刷機として考えると、かなりシンプルで使い勝手が悪い。
今回は印刷機を使ってみた灰色神官達からの改良案を聞き、少しずつ手を加えていくという話になったのだが、ルッツは一応わたしが何となく、こんな感じで、と言っていた完成形の話もしてみたらしい。
「……木工工房の親方なら、わかる部分もあるかもしれないと思ったんだ」
ふんふん、と相槌を打ちながらルッツの話を聞いていたインゴは、話が終わると怖い顔で「詳しく知っている奴がいるだろう」と言ったそうだ。
「改良するんだから、より良く完成された物を知っている者がいるなら、意見を出させろ。無駄な試行錯誤をさせる気か、って怒鳴られてさ……」
ルッツはそう言って溜息を吐いた。
わたしが知っている印刷機より、もっと良い物が生まれるかもしれないので、試行錯誤は無駄ではないと思うのだが、職人として参考にしたいと言われれば、反論の余地はない。
「一応神殿長になったから、もう外には出られなくなったし、簡単に話もできなくなったとは言ったんだけどさ、下町をひょいひょいと歩く変わったお嬢様だったんだから、下町の人間でも直接話をしようと思えばできるだろう、と言われたんだ。現に、お前は印刷機の話をしているはずだ、と言われて、何も言い返せなかった」
ルッツがわたしと印刷機について話をするならば、実際に作るインゴとも話ができるはずだ、とずいぶん粘られたらしい。
インゴは、下町を気ままに歩いて、ベンノやルッツと一緒に注文に行ったわたしを知っている。たとえ、貴族でも下町の職人と普通に話ができるお嬢様だと認識されてしまっているようだ。貴族の危険さを知っているはずの下町の人間が、そこまで食い下がるとは珍しい。
「なるべく貴族には深入りしないのが普通の職人だと思うのだけれど……」
「それはそうだけどさ、お前からの注文は、絶対に満足できる物に仕上げなければ、この先に関わるから、インゴも必死なんだよ」
ルッツによると、インゴは若くして親方となり、独立した木工工房の親方だ。若いとは言っても、ベンノより少し年上の33歳だそうだ。親方と呼ばれる人が大体40歳以上の人が多いことを考えると、30代なら若い部類に入る。
そのため、まだ木工協会の親方の中では下っ端で、大きな仕事がなかなか回ってこないらしい。本物の祝福を与えられる神殿長として、下町の噂になっているわたしの専属として協会に認められれば、待遇も全く変わってくるのだそうだ。
「……あれ? インゴって、わたしの専属扱いじゃないの?」
冬の手仕事の注文も、印刷機の注文もしているので、わたしは自分の専属はインゴだと思っていたし、勝手にグーテンベルク仲間に入れていた。
「それが微妙なんだよ。お前が神殿長として、ハッセの神殿の大規模注文をした時も、完成の早さを最優先にしただろ? 専属のインゴを優先にしたわけじゃない。本来の専属なら、お前からインゴにまず話が行って、それから、インゴが采配を振るって仕事を分けたはずなんだ」
神殿長であるわたしが一番の権力者なので、ハッセの小神殿に関する依頼はわたしの名前で行われている。実際はギルド長やベンノが依頼したのだが、依頼主はわたしで、二人は代理人という扱いになっている。
そのため、本来ならば、わたしが専属であるインゴに仕事を与え、それを皆で分けるはずだったが、その形が崩れた。わたしは下町の職人に依頼することに関しては、ベンノやギルド長に丸投げしていたし、二人も完成までの早さを最優先にしたため、誰の専属も通さず、木工協会に依頼を出した形になった。
簡単に言うと、どこからどこまでを誰の専属が……と話し合う時間さえ惜しかったので、木工協会に仕事の割り振りを丸投げしたのだ。おかげで、ハッセの小神殿は期限内にできあがったけれど、インゴの立場は微妙なのだそうだ。
「今までに神殿長の依頼を受けたことがあるけど、満足されなかったのか、専属扱いされていない、という評価なんだってさ」
それは職人生命に関わる評価だ。多少の危険を冒してでも専属を勝ち取りたいと思っても不思議はない。
忙しさと効率で周りが見えていなかったため、わたしが引き起こした事態なので、インゴの名誉を回復させるのは、わたしがしなければならない後始末だ。
「……わかった。ここでお話しよう。わたしもできれば直接話がしたいと思っていたんだよね」
どの程度の改良がされるのか、どんな風に変わるのか、わたしもインゴから話を聞きたいとは思っていたのだ。インゴに貴族と関わる覚悟があるならば、話をするのは構わない。
面会依頼の手紙に返事を出し、約束した日、ベンノとルッツがインゴを連れて孤児院長室へとやってきた。
貴族と会うのだから、とインゴは全身を洗われたようで、わたしの記憶にある汗臭くて、無用髭の生えた職人の姿とはずいぶん違って見える。
工房で見た時はタオルのような布を頭に巻いて、バンダナのようにしていたのでわからなかったが、髪は黄土色で、目は明るい青色だ。薄汚れた作業着ではなく、晴れ着を着せられているので、工房で見た親方の姿とはまるで別人だった。
ベンノが貴族に向ける長い挨拶をして、わたしもそれに返事を返す。職人であり、直接貴族とやり取りすることはないインゴは黙って跪いているだけだ。
「では、あちらへ参りましょうか」
「恐れ入ります」
隠し部屋へ入り、扉を閉ざすとベンノがインゴの肩を軽く叩いた。
「インゴ、ここでは喋っても良い。目溢ししてくれることになっている。今日は言葉遣いにはうるさく言わんが、態度や暴言には気を付けろ」
「そうか。それはよかった。旦那と一緒に来たものの、何の話もできねぇんじゃ、と思っていたからな」
インゴがゆっくりと息を吐いた。そして、真剣な青の目でわたしを見る。貴族に相対する緊張と不安と恐れが交じり、それでも、逃げ出すことはできないと決意したような強い目だ。
「嬢ちゃん、いや、神殿長か。一つ聞きたい。重要なことなんだ。俺は神殿長の専属なのか?」
「わたくしは専属だと思っています。……ハッセに関しては、期限の問題があったため、木工協会に直接依頼をしてしまって、インゴにはずいぶんと大変な思いをさせてしまったようですけれど、インゴはわたくしの期待に足る仕事をしていると評価しております」
「……そうか」
ふぅっと安堵の息を吐き、インゴの肩から力が抜けた。かなり思い詰めていたようだ。
悪いことをしたな、と思っているわたしの前で、インゴはぐるりと一度肩を回し、今度は職人らしい妥協を許さない顔でわたしに向き合った。
「じゃあ、印刷機の改良について、神殿長が知っていることを全部教えてもらいたい。少しでも良い物を作りたいんだ」
作るならば、より良い物を作りたい。より良い物を知っているなら、洗いざらい喋れ、と青い目が雄弁に物語っている。
グーテンベルクが作ったブドウの圧搾機を改造した印刷機も、段々と改良が加えられて、金属の物へと変化していった。今の工房にある印刷機は完全に木製で、グーテンベルクが作った印刷機にさえ機能が追い付いていない可能性が高い。
それを一体どこまで改良できるだろうか。
わたしは映像で見たプランタン・モレトゥス博物館の印刷機を思い出す。最古の印刷工房。できれば、あのレベルまで改良したいと思っているが、詳細な設計図を描けるほど、わたしは詳しく知らないのだ。
「今は組版の箱に紙を置いて、直接圧縮盤の下に置いていますよね? でも、できれば、こういう台を付けて、押したり引いたりして出し入れできるようにすると、すごく楽になるのです。わたくしが知っている物は、横にあるハンドルをこんな風にぐるぐると回したら、出し入れできたのですけれど……」
わたしが紙に簡単な図を描いたり、身振り手振りで訴えたりしてみても、インゴは難しい顔で唸るばかりだ。知らないものを想像するのは難しいと思う。まして、それを作るとなれば尚更だ。
「それに、今は圧搾機を元にしているので、ネジ式ですが、『てこの原理』を利用した方が楽に印刷できるのです」
ただ、どんな風にてこの原理が利用されていて、どんな風に設計されているかはわからない。
「テコノゲンリ? 何だ、それは?」
わたしは書字板に書き込んで、支点、力点、作用点と、てこの原理を説明したけれど、インゴは不可解そうに首を傾げるだけだった。
まだ大幅な改良は難しいようだ。
「うーん、台を作って出し入れくらいは何とかなるかもしれんが、木材が重いからな。滑らせるなら、金属が必要になるだろう」
「はい。一部に金属を使うことで、安定性や速さが向上すると思います。わたくしの専属の鍛冶職人に声をかけましょうか?」
強度や安定性を得るために、金属を使おうと思うのならば、ヨハンとザックにも声をかけた方が良いだろう。それに、ロウ原紙を作るためのローラーを何種類も設計してくれたザックならば、わたしの説明をできる範囲で形にしてくれるかもしれない。
「とりあえず、神殿長の頭の中に、ずっとすごい改良版があることはわかった。そして、それが難しすぎて、他の奴には通じないこともな。……できる範囲で形になるように、鍛冶職人とも話をしてみたい。神殿長の依頼を受けてきた職人なんだろう?」
「はい。成人したての二人なのですが、色々な依頼を受けてもらっています。グーテンベルクとして、印刷業を広げてもらう、わたくしの自慢の職人です」
わたしがヨハンとザックについて話をすると、インゴは興味深そうに目を輝かせた。