Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (22)
インク作りと木簡の結末
「くぅっ! 紙の問題が解決したかと思ったら、次はインクだなんて! どうしてくれよう!」
使い慣れたボールペンやシャープペン、鉛筆、万年筆はもちろん、墨やインクでさえ周りに売ってない。
インクさえ自由に使えれば、木を尖らせて書くこともできたけど、そのインクが高くて手に入らない。
石筆一本の値段は知っていても、予算編成時期の特別給料がいくらになるかわからないわたしには、インクの値段を計算することもできない。
三年ただ働きっていくらよ?
買う、拾う、もらう、盗む、作る……と手に入れるプロセスを考えたら、結局作るに行きついてしまう。
さすがに宿直室から盗んでくるわけにもいかないしねぇ……。
本だけではなく、どうやらインクも手作りしなければならないようだ。それにしても、インクってどうしたらできるのだろうか。顔料と乾性油ってことは知ってるけど、ここで手に入る顔料と乾性油ってどこで手に入れるのさ。
「いっそ『タコ』とか『イカ』とか捕ってくればいいってこと? 海どこよ!?」
作りかけの木簡を握りしめて思わず叫んだら、ルッツがビクッとして振り向いた。
「いきなり何だ!?」
「ルッツ、ここのインクって何でできてると思う!? どうやったらわたしが作れると思う!?」
さすがに海を探して旅して、タコやイカを捕るのが現実的でないことはわかる。しかし、自分の身の回りにある物で、インクや墨が作れるかどうかがわからない。
「インクってさ、そもそもどんな物?」
「えーと、黒い液体で、こういう板に字を書くためのもので……」
普段目にしていない人に説明するのは難しい。思いつくまま並べていると、ルッツが首をひねりながら、言った。
「黒いもの? 汚れが付くという感じでもいいなら、灰や煤で何とかならないか?」
「それ、いい! やってみよう!」
煤や灰なら、薪の燃えかすだし、いくらでも家にある。今日だって作られている物だ。すぐに手に入るに違いない。
わたしは家に帰ると、早速母に頼んでみた。
「母さん、この灰、使っていい?」
「ダメよ」
即答で拒否された。
「え? なんで?」
「灰は石鹸を作ったり、雪を溶かしたり、染め物に使ったり、農家に売ったり、いくらでも使い道があるでしょ? 勝手に持っていかないでちょうだい」
そういえば、春先に灰を撒くのを手伝わされて、わけがわからないまま花さか爺さんの気分で灰を撒いたけど、雪を溶かすためだったのか。今頃知ったよ。
石鹸を作った時にも大量に使ってたから、確かに灰は大事だよね。
余れば売ることもできる灰を手に入れるのは難しそうだが、もう一つの候補である煤も使い道があるのだろうか。
「じゃあ、母さん。煤ならいい?」
わたしが第二案を提示すると、母は少し眉をひそめた後、何故かニッコリと笑って許可してくれた。
「何をしたいのか知らないけど、煤ならいいわ」
「よかった」
「マインが竈の中を掃除してくれるってことでしょ? ついでに煙突も掃除すると、もっと集まるわよ?」
「ぅえっ!?……あ~、うん。……そう、なるのかな」
笑顔の母に押し切られて、竈と煙突の掃除をすることになってしまった。こんなはずではなかったが、煤を手に入れるためならば仕方ない。
気合を入れて煤を払うための掃除道具を手にとると、血相を変えた母がわたしを止めた。
「ちょっと待ちなさい、マイン! その服で掃除するつもり!?」
「……え? ダメ?」
すでに薄汚れていて、ボロボロな服で掃除することに何の問題があるのかわからない。
首を傾げるわたしの前に、母が裁縫箱と雑巾籠を持ってきた。
「すぐに作るから、待ってなさい」
母がご機嫌で、あっという間に雑巾を繋ぎ合わせた服を作りだす。
雑巾服に着替え、髪が少しでも汚れないようにNGと言われようが簪でアップにして、これまた雑巾を三角巾代わりにする。
わぁお、シンデレラのコスプレだとでも思わなきゃ、やってられないよ。
竈からまず灰を掻き出した。その後、内部に頭を突っ込んで、こびりついていた煤を掃除して、回収する。小柄な体で初めて助かったことかもしれない。
母の笑顔に抗えず、ついでに煙突も掃除して、煤を集めた。黒い物がボロボロと落ちてきて、中が綺麗になっていき、自分が欲しかった煤が溜まって行く。
やり始めると意外と楽しくなってきて、夢中になりすぎたようだ。次の日、熱を出して倒れた。
自分も煤まみれになって、ぶっ倒れたが、何とか煤は回収できた。体調も回復した。
今日はこの煤を何とか字が書ける状態にしたい。
「マイン、これ、どうするんだ?」
「まずは水かな?」
一番に思いついたのは水で溶いてみる方法だった。
墨っぽくなる気がする。何となく。
木の器に川の水を少し入れて、煤と一緒に木切れでぐるぐると掻き回してみた。煤が水に浮いているだけで、いまいち溶けない。
「こんなもんかな?」
「とりあえず書いてみたらどうだ?」
ルッツの言葉に頷いて、ペン代わりに先を削った棒を突っ込んで、木簡にページ数を表す「1」を書いてみた。
だが、板に書ける分より、棒に引っ付く方が多いし、書ける字が薄くて読みにくい。
「ダメだ~。失敗」
「次はどうする?」
「うーん、油で溶いてみるっていうのが、インク作りのセオリーだと思うんだけど……」
これは母に欲しいと頼めない。
なぜなら、植物性の油は食べる方にも、簡易ちゃんリンシャンにも使っていて、ウチでは常に不足気味だ。
そして、動物性の油はろうそくや石鹸に使うので、これも簡単にもらえるとは思えなかった。多分、灰と同じくらい簡単に却下されるだろう。
「油は使うからな。もらえないよな?」
「うん、無理だね。他に何かないかな……」
ヒントを探って、日本で使っていた筆記用具を次々と思い浮かべていく。
「あ、『日本画』の『絵具』が確か、『
膠
』を使ってた……けど、火が使えないから、無理だ」
将来的には膠を使うことが選択肢に入るだろうけれど、今の時点では準備できない。
膠が使えたら、自然材料から絵具っぽい物も作れそうだから、かなりできることが増えそうだ。自分が成長するのを待つしかない。
「おーい、マイン、大丈夫か? 帰ってこい」
ルッツが目の前で手をパタパタと振るのが意識の端の方で見えているが、今はまだ戻るわけにはいかない。
「うーん、別に液体じゃなくてもいいんだよね。『クレヨン』とか『チョーク』とか『鉛筆』とか……そうだ、粘土! 粘土と混ぜてみよう!」
「はぁ?」
「確か、『鉛筆の芯』は『黒鉛』と粘土を混ぜた物だった気がする。あれ? 『コンテ』だっけ? まぁ、いいや。『黒鉛』じゃなくて煤だけど、何とかなるかも!」
粘土と煤を混ぜて、丸めて細くして、乾燥させる。これで固まれば、書けるかもしれない。
「ルッツ、『粘土板』を作った時の粘土って、あの辺りを掘ったよね?」
「わざわざ掘らなくても、使いきれなくて放っておいたのが、あの石の辺りにあったはずだ」
ルッツの言った通り、粘土が小さな山になっていた。
そこから、少し粘土をとって、煤を混ぜてこねていく。イメージはクーピーとか鉛筆の芯だ。触って真っ黒にならなければ、使える色にならない。
自分の手も、台の代わりに使った石の上も真っ黒にしながら、煤鉛筆を細く丸めていく。そして、鉛筆くらいの長さに分けた。
これで乾いて固くなってくれたら成功だ。
川の水で手足を洗ってもあまり綺麗にならない。帰ったら石鹸を使わなければ。
しかし、このしつこい汚れなら、板にも書ける気がする。
「どのくらい乾かしたらいいんだろうね?」
「さぁ?」
「いっそ焼いてみようか?」
「余計な事しない方がいい。また、爆発するぞ」
「うぅっ」
数日間放置して、乾燥させると段々固まってきた。
煤鉛筆にぼろきれを巻いて、手が汚れないように持つところを作る。その後、ナイフで先を削って尖らせて文字を書いてみた。
書けた!
ちょっとぼろぼろに崩れやすいけど、一応書けてる。
本というより、古代の記録媒体だけど、成功だ。
「やった! 書けたよ、ルッツ!」
「おぉ、やったな」
筆記用具が作成できたわたしは、うきうきしながら木簡を増やし始めた。
薪拾いのついでに材料が確保できるので、かなりお手軽に増やすことができる。自分だけの力でもちょっとずつ増やしていけるのが何よりの魅力だ。
嵩張るので増えると置く場所に困るが、それは粘土板でも同じことだった。大人になって独り立ちするまでの辛抱だ。
わたしは出来上がった木簡におおむね満足していたが、ある日忽然と木簡が姿を消した。
森から帰ってきたら、置いてあった場所にないのだ。
「ないっ!? ないよ? あれっ!?」
「どうしたの、マイン?」
わたしがどこかに移動されたのかもしれない木簡を探していると、母が物置に顔を出した。
「母さん、ここに置いてあった『木簡』知らない?」
「モッカン? さぁ? どんなもの?」
首を傾げる母にわたしは自分が作った木簡について、なるべく詳しく説明する。
「えーと、細いのや太いのでサイズは違うけど、全部表面を削って、字が書いてある木なんだけど……」
「あぁ、マインが拾ってきた薪でしょ? それなら使ったわよ?」
「え? え? 使った? なんで?」
頭が一瞬で真っ白になった。
「やっとお手伝いができるようになったマインが一生懸命森で拾ってきた薪だもの。ちゃんと使ってあげないといけないと思ってね」
「でも、薪はこっちに積み上げてる分でしょ? なんでわざわざ除けてある分、使っちゃうの? それ、わたしが作った、母さんが寝物語に話してくれた民話集だったんだよ!」
「あら、寝る前にお話してほしいなら、またしてあげるわよ」
いつまでたってもマインは甘えん坊ね、なんて嬉しそうに笑って、頭を撫でられた。
「そういう意味じゃない……」
一つも残っていない。木簡があった空間を目にして、気力が全部抜けていく。
木簡はいくら頑張って作っても無駄だ。また燃やされる。そう考えると、もう何もかもやる気になれなかった。
身体から力が抜けた瞬間、身体の中で今まで抑えられていた熱量がぐんと増したように暴れ出した。興奮や疲れから熱を出す時間を一瞬に縮めたような感覚で、手足が痺れて身体が動かせなくなる。
「何これ……?」
自分の中で何が起こっているのか把握できないまま、わたしはいきなり倒れ、突然の高熱にうなされることになった。
自分の中をぐるぐる回っている熱に自分が段々呑みこまれていくようで、意識がゆらゆらと揺れる。熱に食われて自分が少しずつなくなっていく感じだ。
この状態になって初めて、本当のマインはこの熱に呑みこまれてしまったのかもしれないと理解した。
抗うだけの気力もなくわたしも少しずつ呑みこまれていく中、心配そうに家族が覗きこんでくるのが時々映る。
その中で何故かルッツの顔が見えた。
…なんでルッツが?…
ルッツに視点を合わせようと力を入れると、呑みこまれかけた意識がふわっと浮上した。
こめかみのあたりにさらに力を入れて、よく見ようとすると、ぼんやりと浮かぶのではなく、自分の意思できちんと視界にルッツが入ってきた。
「マイン?」
「……ルッツ?」
「おばさん! マインが目ぇ覚ました!」
ルッツの声に母が飛び込んでくる。
「マイン。いきなり倒れて、全然意識が戻らないから心配したのよ」
「うん。時々、顔が見えてた。心配かけてごめんね。……母さん。喉が、ひりひりする。それに、すごくベタベタするから、身体を拭きたいの。水、持ってきてくれる?」
「えぇ、すぐに持ってくるわ」
母が踵を返したのを見て、ルッツの手をぎゅっと握った。寝転がったまま、まだ頭を上げることもできない。
「……ルッツ、またダメだった。母さんに木簡、燃やされた」
「あぁ~……。まぁ、変な模様のついた木切れにしか見えないからなぁ」
「せっかく作って、わざわざ別に置いたのに……」
もうやだ。
わたしの本は、絶対に完成しない運命にあるんだ。
ハァ、と溜息を吐くと、身体の中の熱が勢いを持った。意識が沈んでいきそうになるのを、わたしは首を振って、振り払う。
「そんなに落ち込むなって。だったら、燃やされない素材にすればいいだろ?」
木製だから、薪にされてしまう。それなら、燃やされない素材にすればいい。
ルッツの言葉に一条の光を見出した。
熱を出している場合じゃない。何かいい素材がないか考えなきゃ。
全身に力を入れると、身体の中の熱が中心に向かって集まるように小さくなっていく気がした。
「……何で作れば燃やされないと思う?」
考えてみても、燃やされない素材が全く思い浮かばない。熱のせいで頭がぼんやりするせいか、この辺りで採れる素材をあまり知らないせいか。
「えーと、ほら、竹、とかさ」
「っ!……ルッツ、天才」
竹は燃やすと爆ぜるので、そう簡単に燃やされないだろう。
希望が湧いてきた。すると、何故か熱が少し小さくなって、呼吸が楽になる。
「あら、何の話?」
母さんが水の入った桶を持って、入ってきた。
ルッツと顔を見合わせて、小さく笑う。
「母さんには秘密」
「オレが採ってきてやる。だから、絶対に元気になれ」
「ありがとう、ルッツ。優しいね」
「こ、これは、オットーさんに紹介してもらうためだからな! 先払いしてるんだから、マインは絶対に元気にならないとダメだ! いいな?」
ルッツがそう言って飛び出していったので、わたしは母が持ってきてくれた水で身体を拭いていく。
今回の発熱は、おかしい。
突然身体の中から襲い掛かってくるような感覚がして、ゆっくりと意識が食われていくような熱は、わたしが知っている病気ではない。いきなり広がったり、集中したら小さくなったりする熱をわたしは知らない。
今も身体の中をうごめいているこの熱は一体何だろうか。
わたしがここに来たばかりの頃は、熱が出ているのが普通だったから、それほどおかしく思わなかった。
けれど、最近は少し身体を鍛えて動けるようになってきていたから、おかしさが明確になった。この身体、一体何の病気なのだろう。
しかし、この世界の医者に診てもらえるほど裕福じゃないし、家庭の病気百科みたいな本があるはずもないので、すぐに調べることはできないだろう。
……意識を集中して小さくしようと思えば、段々小さくなっていくから、しばらくは様子見かな?
熱との付き合い方を考えながら二日たった夕方、ルッツは本当に竹を竹簡にするのにちょうどいい大きさに切って持ってきてくれた。 表面の皮も削り取られていて、すぐにでも書ける状態になっている。
「熱が下がるまでは絶対に触るなよ。いいな? この約束は破ったら、これから手伝わないからな」
「うん。ありがと、ルッツ」
一本だけ手に握って、それ以外は母に頼んで、物置に置いてもらった。
まだベッドから出られないけれど、完全に熱が下がったら、これに文字を書いていって、完成させるんだ。
まずは元気にならないと。
ルッツが持ってきてくれた竹を握ったまま、うとうとと瞼が下がってくる。このまま眠ろうと意識が途切れかけた時、パパパパン! とけたたましい音が響いた。
「きゃあっ!?」
「な、何っ!? 何があったの!?」
台所の方から、パパン! パパパン! と断続的に何かが爆ぜるような音が続いている。
顔を引きつらせた母が寝室に飛び込んできた。
「マイン! ルッツは何を持ってきたの!?」
「……竹、だけど?」
「まぁっ! 紛らわしい! マインの代わりに薪を集めてきてくれたんじゃなかったのね!?」
母の言葉で破裂音の原因を理解した。薪として竹を焼いたらしい。わたしが知っている竹より、ずいぶんと勢いよく爆ぜている気がするけれど、世界差だろうか。
「もしかして、表面が削られていたから、薪と間違えたの?……あれ? 木と竹って、見てもわからないものなの?」
「竹とバニヒツの木は繊維がよく似ていているでしょ?」
「わたし、その木、見たことないからわからないんだけど……」
名前を上げられてもわからない。少なくともわたしが森に行った時に、竹やそれに似た木を見たことはない。
「何言ってるの? 冬の手仕事でトゥーリが籠を作るために使っていた木よ。マインも籠を作っていたじゃない」
「あ、思い出した。確かに皮を剥いちゃうと紛らわしいね」
トゥーリが手仕事の準備をしているのを見たから、知っている。皮が付いている時は普通の木に見えるのに、皮をむくと竹のように見える木だった。
「とにかく、危険だから、竹は家の中に持ち込まないで。わかったわね?」
「……はぁい」
竹も禁止されちゃったよ。
うん、竹が爆ぜた時から、こうなる気がしてた。
せっかく頑張ってくれたのに、ごめん、ルッツ。