Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (235)
フリュートレーネの夜
わたしはブリギッテと一緒に、再度女神の水浴場に向かった。
木々が作ってくれる急カーブの道を通り抜け、明るく日が差し込む泉の前へと進んでいく。
先頭の神官長が泉へと騎獣を駆っていくと、ずもももっと泉の表面が膨れ上がり始めた。
「タルクロッシュだ!」
泉のほぼ中央付近に、ぶわっと影が現れる。3つ、いや、4つほどの影が泉から大きく跳ねて、飛び出してきた。
「ローゼマイン、祝福を!」
「はい!」
先頭で突っ込んでいく神官長からの指示に、わたしは指輪に魔力を込めていく。もう何度も武勇の神の祝福は祈っているので、慣れてきた。
「炎の神 ライデンシャフトが眷属 武勇の神アングリーフの御加護が皆にありますように」
青い光が指輪から飛び出し、皆に降り注ぐ。戦力としては最底辺で、体力の無さからも足を引っ張るしかできないわたしが唯一役に立てることだ。
「ダームエルとブリギッテはローゼマインと共に待機! エックハルト、行くぞ」
「はっ!」
泉から飛び出してきたタルクロッシュは大人が両手を広げたくらいの大きさがあるガマガエルだった。秋の採集で戦ったゴルツェや冬の主だったシュネティルムに比べるとずいぶんと小さく感じる。見た目の気持ち悪さでは、他の追従を許さないけれど。
「どうしてわたくしの敵として立ちはだかるのは『ガマガエル』ばっかりなのでしょうね」
ハァ、とわたしが思わず溜息を吐くと、ブリギッテとダームエルがよくわからないというように首を傾げた。
「……ガマガエル、とは?」
「タルクロッシュによく似ている生き物です。ビンデバルト伯爵そっくりだと思いません? 神官長に討伐されるところまで」
ダームエルが吹き出す。ガシャっと音をさせて、鎧の手で口元を押さえて前を向いたけれど、小刻みに妙な動きをしているので、ツボにはまったようだ。
ブリギッテは直接ビンデバルト伯爵を見たことがないようで、「タルクロッシュと似ている人物ですか。……近寄りたくはないですね」と呟いた。
「合体するぞ」
エックハルト兄様の声に振り向くと、一番大きいタルクロッシュが長い舌を出して、すぐ隣にいたやや小さ目のタルクロッシュを絡めとると、ごくんと呑み込んだ。
呑み込むと同時にタルクロッシュが、ぐぐぐっと巨大化していく。そして、またもや舌をしゅるんと出すと、小さい方のタルクロッシュを次々と呑み込んでいく。
「わわわっ!」
「落ち着いてくださいませ、ローゼマイン様。タルクロッシュごとき、恐れるほどのものではございません。……気持ちが悪いだけです」
ブリギッテはタルクロッシュが気持ち悪くて嫌いらしい。気持ちはよくわかる。わたしを抱えておくための左手には普段よりも力が籠っている。
神官長とエックハルト兄様はシュタープを剣の形に変形させて、タルクロッシュを睨み上げながら、魔力を込めていった。
どんどんと仲間を呑み込んで大きくなっていくタルクロッシュのぼわっと膨らんだお腹を目がけて、攻撃しようと二人が剣を振り上げる。
次の瞬間、タルクロッシュから長い、長い舌が高速で飛び出してきた。何が起こったのか、わからない程のスピードでブリギッテの騎獣ごと絡めとられて、わたし達は空中を飛んでいく。
「なっ!?」
「ぅひゃっ!?」
ブリギッテがシュタープを取り出して、変形させるよりも早く、わたし達はタルクロッシュの大きく開いた口の中に飛び込んでいった。
舌が縮んでいき、口が閉じられると、そこは光も刺さない真っ暗で、生温かく生臭い場所になる。
口の中で解放されると同時にブリギッテが騎獣を消して、薙刀のような身長よりも長い武器へとシュタープを変形させた。魔力のせいか、ほんのりと武器の周辺が光って見える。
「ローゼマイン様、お怪我は?」
タルクロッシュがわたし達を嚥下しようとしたら、武器が口内に刺さる状態にして、ブリギッテはわたしの無事をまず確認する。
ブリギッテに抱きしめられていたわたしは、怪我など全くしていない。鎧の強度を変えないままに抱きしめられていたので、柔らかな胸でやや窒息しそうだっただけだ。
「あちらこちらがベタベタねばねばするだけで、怪我はありません」
「では、採集用のナイフに魔力を込めて、舌を刺してくださいませんか? わたくしの武器は今動かせないのです」
嚥下されないように構えた武器を持つ右手に力を入れながら、ブリギッテは左手でわたしを小脇に抱えるようにしてしゃがむ。足の裏と膝に感じる生温かくて弾力のある柔らかな足元にお互いが顔を引きつらせた。
「やります」
わたしがナイフを取り出して、魔力を込めていくと、お腹に回されているブリギッテの左手に力が籠る。
何が何でも守る、というブリギッテの意思を感じながら、わたしはたっぷりと魔力を込めた採取用のナイフでタルクロッシュの舌を力一杯突き刺した。
「……あ、あれ?」
何も変化がない。
悲鳴も上がらなければ、口が開けられることもない。
まさかここまで変化がないとは思わなくて、わたしは冷汗を垂らしながら、もう少し魔力を込めて、再度ナイフを突き刺す。
「えい、えい、えい!」
突如、真っ暗だった視界に眩しい光が差し込んできて、わたしは思わず目を閉じる。
ぐらんと足元が揺れて、体が斜めになったのがわかった。ナイフをつかんだまま、わたしはバランスを崩した。
斜めになった足元に合わせてブリギッテと共にゴロンゴロンと転がり、お腹に回されたままのブリギッテの腕に力が籠り、ブリギッテがわたしを抱えて飛んだような感触がする。
明るくなったのは、カパッと口が開けられたせいだ、と気付いた時には、ブリギッテに抱えられたまま、わたしは再び空中に放り出されていた。
周囲の空気が綺麗になった。
色々な音が聞こえるようになった。
ビシビシと肌を空気に叩かれるような感触がする。
「そのまま泉に飛び込め!」
神官長の怒鳴り声が聞こえ、ブリギッテは自由落下のスピードで泉に向かって落ちていく。ものすごい衝撃を覚悟してわたしはきつく目を閉じて、ブリギッテにしがみついた。
ものすごい音と共に泉へ落ちる。
しかし、水は予想以上に柔らかくわたし達を受け入れてくれた。硬くも痛くもなく、わたしは泉の中にいた。
不思議な感覚だった。
本来ならば、泉の水は雪解け水で、落ちた途端に心臓まひで死んでもおかしくないくらいの温度のはずだ。けれど、冷たくも熱くもない。
目を開ければ、ゆらゆらと揺らぐ水面が見えた。
こぽこぽと自分の口から吐き出される空気の泡が上がっていく。
光が降り注ぐ青い空が見え、大きな影とそれに向かって、眩い光が飛んでいくのが見える。神官長とエックハルト兄様の攻撃がタルクロッシュに向かって飛んだようだ。
タルクロッシュは下から攻撃に打ち上げられて、爆発した。
「ぷはぁ……」
わたしとブリギッテが浮かびあがって、水面に顔を出した時には、二人の攻撃による余波が収まろうとしているところだった。
「……終わりましたね」
「いいえ、来ます!」
わたしがホッと息を吐いたのとは逆に、ブリギッテは上を向いて、緊張感に満ちた険しい声を出して再度シュタープを身構え始めた。
「え?」
ブリギッテにつられて上を見上げると、何かが降ってくるのが見える。爆散したタルクロッシュの内臓か何かだろうか、と眉を寄せた瞬間、降ってくるカエルと目が合った。
「ぅひっ!?」
指先ほどの小さいのから、大人の拳サイズまで、様々な大きさのカエル、いや、タルクロッシュが降ってきた。
頭に、顔に、肩に、次々とタルクロッシュが張り付く。ぬるっとした感触が頬に張り付いた。
「……ひぎゃあああ!」
バタバタと手足と頭を振って、振り解こうとするが、飛ばされたくないタルクロッシュはびったりと張り付いて離れない。
「取って、取って、取ってぇ!」
「ローゼマイン、叫んでいないで、剥がして倒せ! 君のナイフでも倒せるはずだ。放置しておくとすぐに合体するぞ」
神官長は無情にもそう言って、周囲のタルクロッシュを潰して回っている。エックハルト兄様も同様だ。
タルクロッシュは攻撃しても分裂するだけらしい。最小の状態で倒さなければならないそうだ。
「無理、無理、無理! せめて、鼻の上のだけでも取って!」
「ローゼマイン様、こちらへ! 私が取りますから!」
「ダームエルが最高にカッコよく見えます!」
水面でじたばたと暴れているわたしを騎獣に乗ったダームエルがブリギッテの手から受け取って、引き上げてくれる。
ダームエルにタルクロッシュを摘み上げて取ってもらい、わたしはやっと涙と鼻水を拭いた。
「もう嫌です! 二度とこの泉には参りません!」
「馬鹿者。明日の夜明けに蜜を採るための討伐だ。来ないわけがなかろう」
即座に神官長から叱責と冷たい視線が飛んでくる。
「タルクロッシュは倒した。これで、明日は安全に採集ができるはずだ」
「絶対ですね?」
「しつこい! フリュートレーネの夜である今夜は早く寝て、夜明けに備えるぞ」
わたしは野営地に戻るとすぐさまレッサーバスの窓を半分以上閉めた状態にして、外から見えない状態を作ると、モニカとロジーナに手伝ってもらって、ブリギッテと一緒に着替えをする。
「ローゼマイン様の騎獣は素晴らしいですね。このようにゆったりと着替えることができるとは思っておりませんでした」
わたしのレッサーバスがなかったら、ブリギッテは木々の間にマントを張って、雪の中で着替えるつもりだったらしい。何ということでしょう。貴族の令嬢がすることではないと思う。
「それにしても、この季節に泉に落ちるなんて、死んでしまいますよ。ローゼマイン様はそれでなくても虚弱なのですから」
「明日、お熱を出したら、採集できなくなってしまいます。お気を付け下さいませ」
二人にそうお説教されながら、濡れた服を脱がしてもらって、全身をお湯に浸したタオルで拭ってもらった。
側仕え達が準備してくれていた食事を取って、神官長から蜜の採集の仕方を教えてもらう。花の中央に溜まっている蜜を瓶に入れるのだが、必ず持っていく金属製のスプーンですくうこと、と言われた。
「これは魔力の影響を受けないようにするためのスプーンだ。蜜は必ずこれですくって瓶に入れていくように。シュツェーリアの夜に採れたリュエルの花も実も、他の季節の物とは全く違う性質を持っていた。今回のライレーネの蜜も他の季節とは違う性質があるかもしれぬ」
神官長の顔がマッドサイエンティストの顔になっている。趣味に没頭する時間ができてよかったですね、と素直に言えないのは、わたしの読書時間が確保できないせいだろう。心が狭いと言われようと、ずるいと思う。
「蜜はいくつかの瓶に分けて入れるように。君の魔力を含んだ物とそれ以外の蜜の差も研究してみたい」
神官長が素材の研究をするのは別に構わないのだけれど、わたしの素材採集という目的から少し外れているような気がするのは、わたしだけだろうか。
そのような話をした後、わたし達は早目の睡眠を取ることになった。
わたしは早速レッサーバスの座席を後ろに倒して、足を伸ばして寝られるようにする。いくつか積み込んでいた毛布を側仕え達が敷いているのを見て、神官長が呆れた顔になった。
「君の騎獣は実に非常識だ」
「便利だから良いのです。『キャンピングカー』にしなかっただけ、理性的だと思います」
「まったく……。これだけの広さがあるのだ。ここは女性の寝床として使うと良い。フランはこちらに来なさい」
神官長の言葉により、レッサーバスは女の子の寝場所として使われることになった。ブリギッテが入ってきて、フランは少しばかりホッとした顔で出て行く。
その夜、レッサーバスがゆらりゆらりと揺れるような不思議な感覚で目が覚めた。のっそりと体を起こすと、窓から女神の水浴場が見える。
……野営地にいたはずなのに、どうして?
夢かと思いながら、わたしは外を見つめる。夜の泉は昼と全く違う姿を見せていた。
フリュートレーネの夜だからだろうか。濃いピンクにも見えるような赤い月が水面に映っている。
蛍よりももっと明るい、キラキラとした不思議な丸い光が泉から次々と出てきては、その辺りをふよふよと飛び回るせいで、幻想的な光景になっていた。
泉が光っている。月に照られて光っているのではなく、泉から少しずつ大きさの違う泡のような小さな丸が飛び出してくるのだ。
「わぁ、素敵ですね。ピカピカしてます」
突然ニコラの声がして、わたしが思わず振り向くと、ニコラは寝ぼけているのか起きているのかわからないような、ほにゃっとした顔で窓の外を見ていた。
その声に飛び起きたのはブリギッテだった。即座にシュタープを構えて、目を細めて外の様子を伺う。そして、困ったようにわたしを見た。
「……これは、何でしょう? とても魔力が満ちているのを感じます」
「わかりません。けれど、とても綺麗ですし、敵意はないようです」
光が泉から飛び出す瞬間、シャランと澄んだ音がする。それがいくつも重なると、音の連なりとなって、不思議な音楽になっていた。
ロジーナが寝言で音階を口ずさみ始めたかと思うと、飛び起きる。
「フェシュピールはどこですか!?」
「ロジーナ、落ち着いて」
その頃には、さすがにエラもモニカも起き始めた。そして、外を見て、目を瞬く。
「何が起こっているのでしょう?」
「わかりません」
泉から光が浮かび上がる音楽にロジーナの手がそわそわとし始める。荷物として当たり前に乗せられているフェシュピールへと視線が向かうのがわかった。
「皆、起きてしまったし、このままでは眠れませんから、少し弾いても良いですよ?」
「ありがとう存じます」
ロジーナはいそいそとフェシュピールを取り出すと、泉から零れてくる音楽に合わせて、弾き始めた。泉からの高い音に合わせて、ロジーナがフェシュピールを奏でる。
「ローゼマイン様の楽師は本当に腕が良いですね」
泉とロジーナの競演にうっとりと聞き惚れていると、レッサーバスの周辺にキラキラが次々とやってきた。まるでそれぞれの意思があるように、窓のところへと飛んできては入って来ようとする。
「この光はロジーナの音楽が好きなのかもしれませんね」
「せっかくだから、外に出て聴かせてあげたらいかがです?」
モニカとニコラがくすくす笑いながらそう言うと、賛成するように光が点滅した。
「では、音楽の奉納に参りましょう。春の女神様方は音楽がお好きですもの。フリュートレーネの夜に奉納すれば、お喜びになるかもしれません」
「ローゼマイン様、こちらの女神様は甘い物もお好きなのですよ。残っているクッキーも持って行って、捧げましょう」
ニコラの提案に、エラが笑いながら賛成する。エラとニコラが甘い物が詰まった木箱を持って、ロジーナがフェシュピールを持って、ブリギッテはさり気なく辺りを警戒しながら、モニカは仕方なさそうに、レッサーバスから出て行く。
わたしは夜中のピクニック気分で外に飛び出した。
全く寒さを感じない不思議な空間に、泉からはまだキラキラとした光が生まれだしている。高く響く音も綺麗で、心が浮き立つ感じだ。
泉を覗き込むとまだまだ奥から次々と不思議な光が出てきている。その光を数匹のタルクロッシュが食べているのを見つけた。
「ブリギッテ、タルクロッシュが……」
わたしが泉を指差すと、ブリギッテが即座にシュタープを取り出して、タルクロッシュを狩っていく。
泉から飛び出してきた光がブリギッテに懐くように取り囲む。タルクロッシュを倒したことを感謝しているようだ。
わたしがくるりと辺りを見回すと、全体的にふよふよとしていた光が今は三つに分かれて集っているのが見えた。
ロジーナのフェシュピール、エラとニコラとモニカがいるお菓子の周辺、タルクロッシュを討ったブリギッテの周りを点滅しながら飛び回っている。
この光は音楽が好きなようで、ロジーナのフェシュピールに点滅を繰り返している。中でも、麗乃時代の曲をアレンジしたものがお気に入りなのか、拍手するように点滅を繰り返しているのがわかった。
「ローゼマイン様の曲がお好きなようですよ。ローゼマイン様もお歌を奉納されてはいかがですか?」
「……では、せっかくですから、新しい歌を奉納しましょう」
わたしのフェシュピールは持って来ていないけれど、歌だけならば何とかなる。初めて聴く音楽が好きなようなので、麗乃時代の歌を一つ披露することにした。神官長に何かお願いする時のために、歌詞をこちらの言葉に直していた春の歌だ。
泉の前に立ち、ゆっくりと息を吸い込む。
「春の水は~……」
わたしが歌い始めると同時に、指輪が勝手に魔力を吸い取り、歌と共に魔力が辺りに広がっていった。泉のキラキラが更に増えて、辺りがどんどんと眩しくなっていく。
そして、水の中からライレーネの花の蕾がするすると伸びてきた。無数の蕾が伸び始め、絡み合っていく。まるで巨大な木のように泉の中心で成長していき、花が開き始めた。
「女神様、ライレーネの蜜を頂いてもよろしいでしょうか?」
歌を終えて、伺いを立てると、中心にあった葉っぱが大きく広がり、わたしの前へと伸びてきた。
光に押されるようにして、わたしが足を乗せると、葉っぱは更に大きくなる。わたしが葉っぱの上に完全に乗ると、今度はゆっくりと高く上に向かって伸び始めた。
「わぁ」
咲いているライレーネの前まで連れて来てくれたので、わたしは腰に付けたままの採集道具から、神官長に言われた通り、スプーンを取り出して蜜を採集し始めた。
複数持たされている瓶の全てに蜜を入れて蓋をする。
「よし、完璧」
高く、高く上がった葉っぱの上だったので、森の向こうの空が白み、朝日が昇るのが見えた。
その朝日と共に泉の周辺を飛び回っていた光がどんどんと薄れて消えていく。
高く伸びていた花がするすると縮んでいって、水面の方へと戻っていく。同時に、わたしが足場にしていた大きな葉もどんどん小さくなっていく。
わたしの体重を支えられなくなった茎が、ポキリと音を立てて折れた。