Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (24)
会合への道
竈で竹が爆ぜた後、ただ一本だけ残った竹を握ったまま、わたしは高熱にうなされて、またうごめく熱の中にいた。
自分が作った物を燃やされた怒り。
怒りを全く理解してくれなかった悔しさ。
何度挑戦しても、わたしの手に本が残ることはない現実への絶望。
全てを突き抜けた向こう側には、何もかもを手放したくなる無気力が広がっていた。
何もする気になれない。
抗う気力がなかった。
母に木簡を燃やされ、ルッツが持ってきてくれた竹簡になるはずのものを燃やされたのに、もう怒りさえ湧いてこない。
この身体が健康で腕力も体力もある大人だったらよかったのに。
わたしが大人だったら、パピルスも粘土板も木簡も全部すっ飛ばして、和紙が作れた。
せめて、トゥーリやルッツのように健康で、ある程度の仕事ができる腕力と体力があれば、挑戦できた。
こんな病弱で貧弱な子供の手では、紙を作るのに必要な木を切ることさえできやしない。
もしかしたら、大人になるまで待てば、解決する問題かもしれない。
でも、それはあまりにも長い時間に思えた。
それに、大人になったからと言って、わたしが人並みに成長するだろうか。腕力や体力が付いて、身体は大きくなるのだろうか。
希望が持てるはずもない。
何もかも無駄なら、もういっそ、身体の中で暴れる熱に身を委ねてしまってもいいんじゃないだろうか。
努力しても本が手に入らない場所で、不便で汚い環境と折り合いをつけて、我慢を重ねながら、生きていくことに、何か意味はあるんだろうか。
もう、消えちゃってもいいんじゃないかな。
ちらっと考えただけでも、身体の中の熱はわたしを呑みこもうと動きを活発にする。何もかも考えるのを止めて、呑みこまれてしまえ、と熱が誘うように広がっていく。
心残りはひとつだけだ。ルッツに謝ってない。
せっかく燃やされない素材を一生懸命考えて準備してくれたのに、竹簡がダメになったことを謝ってない。
竹を取ってくると言っていた時のルッツの声が脳裏に蘇る。
「これは、オットーさんに紹介してもらうためだからな! 先払いしてるんだから、マインは絶対に元気にならないとダメだ! いいな?」
そんな約束が残ってた。
あれだけ手伝ってもらって、約束したのに、しらばっくれて、この熱の中に逃げ込んでもいいのだろうか。
確かにルッツは前払いしてくれた。
熱に呑まれて消えるのは簡単だけれど、竹簡を受け取ってしまったわたしは、元気になってオットーを紹介しなければならない。
ルッツのためだ、と自分に言い聞かせて、熱を押し込めていく。熱に食われるにしても、ルッツとの約束は果たしてからの方がいい。
身辺整理は大事だ。前は突然過ぎて、そんな時間はなかったのだから。
そうそう、地震で死んだ時は、全然整理できてなかっ……ああぁぁぁぁ! あの黒歴史の固まり、どうなったんだろう!? のおおおぉぉぉっ! 気になる、気になるよ! やばい! 死んでる場合じゃない!
きっちりと処分しておきたかった前世での黒歴史が次々と浮かんできて、「死んでも死にきれないっ!」と飛び起きた時には、何故か身体の中の熱がかなり小さくなっていた。
黒歴史を頭の隅に押しやって、考えないようにしようと心に決めてから二日後。
やっと父同伴で門までなら、と外出を許されたわたしは、宿直室でオットーと顔を合わせていた。
「オットーさん、すみません。こちらからお願いしたのに、熱出しちゃって……」
そう、熱を出して倒れている間に、約束していた休日は過ぎてしまい、オットーとルッツを会わせることはできなかった。
「5日も熱が下がらなかった、って班長から聞いたよ。もう大丈夫なのか?」
「はい、おかげさまで」
笑って見せても、オットーは少し眉を寄せたまま、じっとわたしの顔を見る。
「本当に大丈夫か? 顔色、よくないぞ?」
顔色が悪く見えるのは、熱のせいではない。
むしろ、頑張っても作れそうにない紙のことだ。
「あ~、解決しない悩み事がありまして。……オットーさんならどうするか、聞いてもいいですか?」
「え? その悩み事、俺が聞いていいの?」
オットーが目を丸くして、わたしの顔を覗きこんだ。
旅商人として、わたしには想像もできないような経験を積んでいるだろうオットーなら、わたしには考えつかない答えを返してくれないだろうか。
「はい。わたし、今すぐに欲しい物があるんですけど、力も体力もない今のわたしじゃ作れないんです。大人になったらできるかもしれないけど、こんな体じゃあ、本当に健康になれるかわからないし、人並みに大きくなれるかわからない。そもそも、そんな長い時間待てない。オットーさんなら、こういう時どうしますか?」
ふんふんと頷きながら聞いていたオットーは、ほとんど考えることもなく、軽く眉を上げて答えを出した。
「自分でできないなら、できるヤツを雇えばいいだろ? 悩みってそれだけ?」
「!?」
目から鱗がポロポロ落ちた。
自分が欲しい物を手に入れるために他人を雇うという発想はなかった。さすが元商人だ。
何故だろう。わたしが誰かに雇われて働くことは考えられても、自分が誰かを雇うことを考えたことはなかった。
「……すごく名案だと思うんですけど、先立つ物がないんですよ」
「まぁ、その年で持ってるはずがない。そうだな。俺なら、できるヤツを誘導して、自主的にやるように仕向ける。簡単なことじゃないが、相手が自分からやればこっちの懐は痛まない」
さすが、元商人さん。爽やかで柔和な笑顔なのに、黒くて素敵です。
わたしも間違いなく誘導されてますよね? 計算能力が高いのに、石筆で雇える助手は予算に優しいって言ってましたもんね?
「……参考にしてみます」
やってくれそうな誰かを巻き込んで、相手に自主的にやらせる……か。
わたしにはかなり難しそうだ。
ふんぬぅ、と悩んでいると、オットーがポンと肩を叩いて、石板を差し出してきた。お喋りは終わり。黙って勉強しましょう、の合図だ。
「あ、そうそう。マインちゃんが元気なら、明後日の休日に会えないか? 場所は、そうだなぁ……。中央広場がいい。中央広場で三の鐘の頃でどうだい?」
「こちらからお願いしようと思っていたんです。わざわざありがとうございます」
忘れるとは思わないが、何となく癖で石板の隅に中央広場で三の鐘とメモしておく。
視線を上げると、オットーが顎をゆっくりと撫でながら、目を細めてニコリと笑っていた。
何故か背筋がぞわりとするような危険を感じさせる笑顔で、思わず背筋を伸ばしてオットーを凝視する。
「あぁ、マインちゃんが紹介してくる子だから、面白い子だろうな。楽しい休日になるのを期待してるよ」
今の言葉が「つまらんヤツを紹介するなよ。貴重な休日を潰すんだからな」って聞こえたんですけど、気のせいですよね? あれ? 旅商人の話を聞くって気軽な会合じゃないんですか?
わたしは内心の動揺を抑え込んでニッコリと笑って頷くと、石板に視線を落とした。
ぶわっと冷や汗が吹き出してくる。
まずい。時間がないのに、会合の意味がわからない。
準備する時間の少なさに歯噛みした。明後日が会合なら、時間はほとんどない。ルッツを紹介するわたしが、会合の意味を理解していないなんて、言えない。
石板にカツカツと単語を練習しながら、必死で意味を考える。
「マイン、今日はもう帰れ」
「父さん」
帰るには早い時間だったが、父が呼びに来たので帰り支度をして、宿直室を出た。
「ねぇ、父さん。ルッツがオットーさんに紹介してほしいって言ったんだけど、この紹介って、何か意味がある?」
「今の時期なら、見習い先を探してるってことか? 兄達と同じような仕事につくと思っていたが、ルッツは商人になりたいのか?」
就職の斡旋!? いやいや、そんな重大なことじゃないはず! だって、わたしみたいな子供がコネになるはずがない。
「ちょっと話を聞きたいって……」
「じゃあ、間違いなく見習い先を紹介してほしいってことだな。マインの友人じゃあ厳しいだろうが」
「厳しい?」
「当たり前だ。見習いを抱えるっていうのは、一人の面倒をずっと見るっていうことだ。独立しても完全に縁は切れないんだからな」
思っていたより大変な事態だった。話を聞くだけではなかった。ルッツは旅商人になりたくて、元旅商人だったオットーに誰かを紹介してほしいということらしい。
あ~、つまり、明後日の会合って、就職の面接みたいなものってことだよね!? そんな重大な会合のセッティングをわたしがしていたなんて!
家に帰ってから、父や母に仕事見習いの話を詳しく聞いて、事の重大さを理解した次の日、わたしは大量の荷物を籠に入れて、森へとやって来た。
森までの道中でルッツには竹簡の末路を話して謝罪し、会合の日が明日に決まったことを伝えてある。竹簡については「バニヒツか。間違えることもあるよな」と溜息を吐き、会合については「ありがとな、マイン」と素直に喜んでいた。
森に着くと、みんなが採集に散っていく。わたしはルッツの手を取って、川へと向かった。
「じゃあ、ルッツ。ここでいいから、全身綺麗に洗おうね」
「は?」
オットーは元商人だったせいか、結構身綺麗にしている。初対面の相手に与える印象の大切さを知っているせいだと思う。
仕事を手伝っている間にちょこちょこ見えるオットーの商人らしい計算高さを知っているわたしとしては、万全の状態で臨みたい。
一度会う価値がないと判断されてしまえば、ルッツは旅商人どころか、商人へ紹介されることもないはずだ。
「人と会うのに第一印象って大事なんだよ。準備する時間があるなら尚更ちゃんとした方がいい。わたし、見た目だけでルッツが低く見られるのは嫌なの」
「洗ったところで、大して変わらないと思うけどな」
ラルフの晴れ着を借りることができれば、一番だけど、貸してもらえるかどうかはわからない。
大した服なんて、わたしもルッツも持っていないので、普段のままでも仕方がないけれど、整えることができる部分だけでも整えたい。
見た目のもたらす影響について諭しながら、往生際の悪いルッツを、簡易ちゃんリンシャンで洗っていく。
ピカピカに磨き上げるつもりで、重たい思いをして、桶や布や櫛を持参したのだ。頭だけじゃなくて、絶対に全身洗う。
桶に川の水と簡易ちゃんリンシャンを入れて、普段トゥーリにしているように何度も何度も髪にかけて、洗っていく。
何となく美容師気分で、わたしは髪を洗いながらルッツに話しかけた。
「ねぇ、ルッツ。旅商人の話が聞きたいってことは、旅商人になりたいってことでいいんだよね? 旅商人の見習いになりたくて、紹介してほしいんだよね?」
「ん? あぁ」
ルッツの髪は布で拭けば拭くほど、金髪の艶が増していく。髪の色を取り変えてほしいくらい綺麗な金だ。
櫛を入れて、さらに輝きが増すのを、少しばかり妬ましく思いながら、わたしは質問を重ねた。
「じゃあ、ルッツは旅商人になって、何がしたいの? あちこちに行くだけ?」
「何だよ、急に」
「ちゃんと考えないとダメだよ」
「なんで?」
「オットーさんは、ルッツのことを全く知らない人だよ。親とか親戚みたいによく知っている人が紹介してくれるわけじゃないから、自分で全部考えておかなきゃ」
昨日、両親に話を聞いたところ、この街の子供達は基本的に親や親戚の紹介で、見習い仕事を始めるらしい。そのため、大体は親の仕事に関連した職種につく。
例えば、トゥーリが染色をしている母の紹介で、母の友人の職場で針子見習いになったように。
甘えが出やすいので、同じ職種でも親の仕事場に行くことは少ないらしい。ただ、似たような職種の仕事について、目の届く範囲にいれば、親も安心だし、周りに縁者の目があるので、子供達も真面目に取り組む。
ルッツのように親から反対される職業につきたくて、他の人に紹介してもらうことは、かなり少数だ。
「オットーさんは今回義理で会ってくれるけど、そんなに優しくないよ。元商人だから、損得勘定をしっかりする人なの。ルッツが何も考えてなかったら、二度目は会ってくれないと思う」
明日の会合は、就職活動の面接だ。
就職活動なら、身だしなみを整えて、志望動機と自己アピールの内容くらいは考えておかないと、相手にされない可能性もある。
「……マインは?」
「え?」
「マインは商人になって何するかって、そんなこと聞かれて、すぐに答えられるのかよ?」
すぐに答えが浮かんでこなかったのか、悔しそうに唇を尖らせたルッツがわたしを睨んできた。
「うん。紙を売りたい。商人見習いになったら、誰かに紙の作り方を教えて、作ってもらいたいと思ってる」
本は自分が欲しい、自分のための物だ。なるべく他人に頼まないで、自分でできる範囲内で本の代わりになる物を作ろうと思っていた。
けれど、ぶっちゃけ、もう限界だ。何やっても全部ダメになる。
もう、知識だけ出して、作るのは最初から最後まで誰かに丸投げしたい。情報料を取って利益を譲ったら、作ってくれる人はいると思う。
「紙? 本じゃないのか?」
「本を作るのに必要なの。本はね、ここじゃあ、わたし以外欲しいって思う人がいないんだよね」
「欲しいのがマインだけなら、それ、売れないだろ?」
呆れたようにルッツが言った言葉をわたしは笑って肯定した。
「うん、本はそう簡単に売れないと思う。でも、紙なら……羊皮紙より値段抑えられると思うし、売れると思う。少なくとも作り方を知ってるわたしを拾ってくれる、利に敏い商人はいるよ」
「……そっか。マインはちゃんと考えてるんだな。オレもちょっと考える」
「オットーさんの助手の友人って繋がりは、断られる方が多いんだって。でも、ルッツが自分のしたいことをはっきり言って、それが相手にとって利益になると思えば、商人はルッツの面倒を見てくれるんじゃないかな?」
水面を睨んで考え込むルッツを川に追い立てて、全身を綺麗に洗わせた。
考えながら手も動かさないと、時間がないんだよ。
できるなら、ラルフの晴れ着を借りておいで、と話をしておいたが、汚されたら困ると晴れ着は貸してもらえなかったらしい。
三の鐘が鳴るよりもずっと早い時間に、わたしは普段通りの服で、しかし、いつもよりずっと綺麗になったルッツと二人で中央広場へと向かって歩いた。
「おい、三の鐘だろ? 早すぎねぇ?」
「いいの。遅れる方が致命的だから。座って話でもしていれば、時間なんてすぐにすぎるよ」
時間は2~3時間くらいの間隔で響く神殿の鐘で判別する。
時計がないこの街では、遅刻にそれほど厳しくないのかもしれないが、お願いする立場のわたし達が遅れるのは、相手の心証を考えるとどうしても避けたい。
「そういえば、昨日、母さんにこの髪、どうしたんだ? って聞かれて大変だったんだぞ」
ルッツは艶々になった金髪を情けない顔で引っ張った。
カルラおばさんの気持ちはわかる。息子の髪がたった一日でつるつる艶々になっていたら、気になるだろう。
「女にとって美容は一番心惹かれる話題だからね」
「マインにしてもらったって、言っておいたからな。聞きたいことはマインに聞けって」
「えぇ!?」
押しが強くて、声が大きくて、一度捕まったら放してくれないカルラおばさんの質問攻めに遭うことを考えたら、頭が痛い。
「作り方教えるから、自分で作ってよ。わたしもあまり持ってないんだから」
「……あ、悪い。大事なもん、使わせたんだな?」
「いいよ。ルッツにはお世話になってるから」
ずっとわたしを手伝ってくれたルッツに使う分は惜しくないが、カルラおばさんに使うのは惜しい。わたしだって、基本は水洗いで、簡易ちゃんリンシャンを使って頭を洗うのは五日に一度で我慢しているのだ。
「でもさ……」
「そんなに気になるなら、わたしの分も作ってくれればいいよ。わたし、力無さ過ぎて、油がうまく搾れないんだよね」
「なんだ、そんなことか」
そんな話をしているうちに、オットーが中央広場に現れた。
入口に立ったオットーがぐるりと広場を見回し、わたし達の姿を見つけて、ニヤッと笑ったのが遠目からでもはっきりとわかった。
あぁ、やっぱり試されてた。
鐘が鳴る頃という曖昧な指定に、あの危険そうな笑顔を向けられた時から用心していたが、やはり鐘が鳴る以前に来られるかどうか、試されていたらしい。
ほぅ、と小さくオットーの口が動いた後、別方向に向けて手を振ると、もう一人男性が現れて、オットーと一緒にこちらに向かって歩いてきた。
たらりと冷や汗がわたしの背筋を伝う。無意識に隣のルッツの手をぎゅっと握った。
「来たよ、ルッツ。まずは挨拶からね」
「お、おう」
話をしながら歩いてくる二人の親しげな様子から、オットーの友人の商人だとわかる。その友人がちらりとこちらを見た目が、値踏みをするように鋭く光った。
面接官がオットーさん以外にもいるなんて、聞いてないよ!
うぅ、ルッツの面接なのに、わたしの方が緊張してきた!