Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (243)
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アンゲリカに知識を与えるためのお説教剣ができあがって数日がたったけれど、これがなかなか面白い代物だった。
神官長の魔力から人格や口調を得た魔剣だが、何に関しても知識自体はまだ全くないらしい。これから、主であるアンゲリカが教えたり、周囲の話を聞いたりすることで憶えていくそうだ。
つまり、現状では何も知らない相手にお説教されていることになる。
「ただ、お説教臭いだけですか」
それはかなりうざい、と心の中で呟くと、魔剣がきらりと光って「まず、我が主が知識を蓄えることが重要だ」と重々しい口調で言った。物言いだけは完全に神官長だ。
「とりあえず魔剣が知識を得るためには、アンゲリカが勉強しなければなりませんね」
「わたくしと違って、シュティンルークは忘れませんから、教え甲斐があります」
「シュティンルーク?」
「この魔剣の名前です」
アンゲリカがニコリと笑いながら、魔剣をゆっくりと撫でた。
神官長の口調で話す魔剣を何とも言えない顔で見下ろしていたダームエルが、ゆっくりと溜息を吐いた。
「では、シュティンルークの知識を蓄えるためにも、今度は四年生の予習をしておいたらどうだろうか?」
「そうだな。兄上に頂いた資料の中には四年生の資料もある」
アンゲリカが理解するまで何度も説明する必要がなくなった分、ずっと負担が少ないだろう、とダームエルが呟いた。
「そうですね。また補講の嵐に見舞われることがないように、予習しておいた方が良いと思います」
アンゲリカがコクリコクリと神妙な顔で頷いたかと思うと、きらりと青の瞳を輝かせた。そして、ダームエルに向かって、そっと魔剣を差し出す。
「シュティンルーク、頑張ってください」
「我が主! まずは主が勉強しなくてどうする!? 魔力を流されていなければ、私は周囲の声を拾えないのだ。勉強した分をまとめて、私に教えられるようにならなければ、主の魔力がもたないぞ」
一日中魔力を流し続けるようなことはできないようで、アンゲリカは魔剣を握りしめたまま、ショックを受けたように大きく目を見開いた。
「つまり、勉強からは逃れられないのですか?」
「当たり前だ、馬鹿者!」
……さすが神官長もどき。
その調子でどんどんアンゲリカに勉強させてほしいものである。
「アンゲリカがシュティンルークと一緒に勉強できるように、なるべく内容をまとめておくか」
「ダームエル、助かります」
ダームエルとコルネリウス兄様がアンゲリカへの教育計画を立て始めたのを横目で見ながら、わたしは積み上げられている資料を手に取った。
参考書でも資料でも読んだことがない物はひとまず読む。それがわたしの生きる道。
新しい学年になって、新しい教科書を手に入れた時の幸せを思い出しながら、わたしはエックハルト兄様が提供してくれた資料を読んでいく。
恐らく神官長に教えを乞っていたのだろう。あちらこちらに神官長の注釈が入った資料を見ながら、わたしはむむっと眉を寄せた。
「ねぇ、ブリギッテ」
「何でしょうか、ローゼマイン様?」
「エックハルト兄様やフェルディナンド様の持っている貴族院の資料から、参考書を作れば売れるかしら?」
成績優秀者のノートは麗乃時代でも見せてもらう価値があった。ここのように教科書がなく、教師の講義を各自でまとめる形態の授業ならば、この参考書はかなりの価値があるのではないだろうか。
「確かに売れると思います。ただ……」
ブリギッテはそう言いながら、苦笑を含んだアメジストの瞳でちらりとダームエルを見た。わたしがブリギッテの視線を追いかけると、ダームエルが困った顔をしているのが見える。
「ダームエル、何か問題があるのかしら?」
「講義内容をまとめた木札を売ったり、講義内容を代理で書き留めたりするのは、自由になるお金が少ない下級貴族にとっては良いお小遣い稼ぎになっていました。フェルディナンド様やエックハルト様の資料を元に、ローゼマイン様がまとめた参考書が売られると金銭的に困る学生も出てくると思います」
「なるほどねぇ……」
貧乏学生の貴重な収入源を潰すわけにはいかない。参考書を売るならば、別の手段で学生達が稼げるようにしてあげなければならないだろう。
「エーレンフェストの学力を上げるためには良い案だと思ったのですけれど、もう少し考えてみた方が良いですね」
「恐れ入ります」
そんな話をしていると、神官長からブリギッテの下へとオルドナンツが飛んできた。バサバサと飛び込んできた白い鳥がブリギッテの手首に降り立って、神官長の声で話し始める。
どうやらプランタン商会からわたしに面会依頼が届いているらしい。夏になるまでに相談したいことがあるということだ。
土の日はお休みなので、それを利用して神殿に戻るのが良いだろう。わたしはブリギッテに返信用のオルドナンツを作ってもらい、話しかける。
「ローゼマインです。明後日の実の日の魔力供給を終えてから神殿に戻り、水の日の魔力供給までに城へ戻ります。プランタン商会との面会は水の日の午前中にしたいとギルに伝えてください」
「了解した。土の日にはこちらの仕事を片付けるように。3の鐘が鳴ったら、私の部屋に来なさい」
神官長からの返事で今週はお休みが消えることが確定した。しばらくお城でのんびりと本を読む週末を過ごしていた我が身には、ちょっと厳しい週末になりそうだ。
夕食の席でわたしはボニファティウスおじい様とヴィルフリート兄様に週末の予定を告げる。
「工房や孤児院の様子を確認したいと思っているので、実の日の魔力供給を終えた後、水の日の魔力供給まで留守に致します」
「うむ。あまり無理はせぬように」
言葉少なくボニファティウスおじい様が頷いた。
ボニファティウスおじい様は容貌がお父様に似ていて、年の割にかなり大柄で筋肉むきむきだ。お父様より物言いがぶっきらぼうだったり、眼光が鋭かったりするせいで怖い感じがする。
けれど、コルネリウス兄様に言わせると、わたしには甘いらしい。
ボニファティウスおじい様が他人の体調を気遣うことなど滅多にないそうだ。少なくとも、兄様達は体調を崩せば「軟弱な!」と喝を入れられるのが常らしい。
わたしの場合、「父上の大音声で喝を入れたら、ローゼマインは死ぬ」とお父様に脅されている上に、何度か城で倒れて虚弱さが嘘ではないことが知られているため、あまり近寄らないようにしているとコルネリウス兄様が言っていた。雪玉一つで意識を失うような子供に近付くのは怖いそうだ。
道理で何だか遠巻きにされているわけだ。
「ローゼマインは魔力供給を終えた後に神殿まで移動できるのか。其方、変なところで頑丈だな」
ヴィルフリート兄様がうにゅっと眉を寄せて、そう呟いた。魔石の魔力を動かすだけでもへとへとになっているヴィルフリート兄様には、魔力供給を終えた後にわたしが神殿へ移動するのが信じられないようだ。
「走り回っただけで死にかけるくせに、魔力供給では平気な顔をしているなんて」
「体力と魔力は別物ですから」
魔力が体内を動き回ることに慣れたということもあるだろうし、ちょくちょくと魔力を使っているので、体内に魔力が溜まりすぎることがないのだ。体内で魔力が膨れ上がっていた平民時代に比べれば、今はかなり生きやすい。
そして、実の日。予定通り、わたしが魔力供給を終えてから神殿に戻ると、7の鐘が鳴るくらいの夜遅い時間になっていた。
「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」
ずらりと側仕えが勢揃いで出迎えてくれた。久し振りですごく懐かしい気がする。
「ただいま戻りました。皆、変わりはありませんか?」
部屋に戻るとすぐに準備されていたお風呂に入った。その後は、フランに入れてもらったお茶を飲みながら、就寝前の報告会だ。
最初に神殿長室を管理していたフランとザームの報告を聞く。フランとザームとモニカが神殿長室ではなく、神官長の部屋に行って執務をしていること以外、特に変化はなかった。
「部屋の中の変化はございませんが、神殿の中は少しずつ変化しております」
「カンフェル様とフリターク様が最近神官長に重用されていることを知って、数人の青色神官も執務に興味を示すようになってまいりました」
元々中立の立場だった青色神官が、カンフェルやフリタークの様子を見て、神官長に擦り寄ってきているらしい。以前から中立だったので、それほどの害はないだろう、という神官長の判断のもと、彼等に対しても教育が始まったそうだ。
今まで特に何も仕事らしい仕事をしていなかった青色神官達は初期のカンフェルとフリタークのような形相になっていて、カンフェルとフリタークは自分達の通ってきた道を思い返し、生温かい目になっているらしい。
「神官長が生き生きしています。それから、ローゼマイン様が心配していらっしゃった薬の服用回数は激減いたしました」
「仕事を少しずつ回す相手ができたからでしょうか。余裕が出てきたように感じられます」
神官長が薬に頼ることなく仕事をこなしている上に、順調に後進が育っているようだ。熱血教育を受けている青色神官は大変だろうが、よかった、よかった。
「……ギル、フリッツ、工房の方はどうですか?」
フランとザームの報告を聞いた後は、ギルとフリッツからの報告を聞く。工房での印刷の進み具合がどうなっているのかが、わたしの一番の関心事だ。
ギルが手にしている絵本をじいっと見ながら尋ねると、わたしの視線に気付いたギルが笑いながら差し出してくれた。
「冬の眷属の絵本が仕上がりました」
ギルが差し出した絵本を受け取って、わたしはゆっくりと表紙を撫でた。頬擦りするとインクの匂いが鼻を突く。とてもいい匂いだ。
わたしは自分の部屋に置かれている全ての絵本をテーブルの上に並べてみた。最高神と五柱の大神の絵本とそれぞれの季節の眷属に関する絵本がずらりと並んだ。
子供用の聖典絵本が完成した様を見て、うっとりとする。知らず知らず、感嘆の溜息が漏れた。
「ハァ、全部揃った本というのは殊の外美しいですね。素晴らしいです。わたくしのグーテンベルク達に感謝を捧げ、神に祈りを捧げましょう。英知の女神 メスティオノーラと芸術の女神 キュントズィールに祈りを!」
ビシッと両手を上げて祈りを捧げていると、得意そうに黒に近い紫の瞳を輝かせてギルが大きく頷いた。
「ローゼマイン様が喜んでくださって嬉しいです」
「よくやってくれました、ギル。わたくしは働き者の側仕えがいて幸せです。さぁ、次は何を印刷しましょう? この調子でどんどん本を増やさなくてはね。うふふん」
フランが溜息を吐きながら、わたしの肩を軽く叩く。
「……ローゼマイン様、興奮しすぎです。少し押さえてください。ザームとフリッツが驚いていますよ」
本への愛がほんの少しほとばしっただけなのに、ザームとフリッツが顔を引きつらせ、わずかに引いているのが見えた。
「二人とも、これが本を前にしたローゼマイン様の普通の反応です。慣れてください」
フランがそう言っている前で、わたしは絵本を重ねて抱えると、丁寧に棚に並べた。少し離れたところから、自分の部屋に並ぶ本を見ているだけで満足の息が漏れる。
……はぁん、素敵。
図書室だけではなく、自分の部屋に本が増えていくというのが実に良い。少しずつ本が増えていくこの幸せをどう表現すればいいだろうか。
「世界中の皆とこの幸せを分かち合いたいわ」
「……星結びの儀式の後で、皆に売って、幸せを分かち合うのではありませんか?」
ギルが良いことを言った。わたしは目を輝かせてギルを見上げる。
「そう。皆にも幸せのお裾分けをするのです。でも、せっかくですから、もう少し本を増やしておきたいですね。ギル、星結びの儀式までに騎士物語集は仕上がるかしら?」
わたしの問いかけにギルは、うーん、と首を捻って、指を立てて何かを数えた後、残念そうに頭を振った。
「短編3つは終わりましたが、全てを印刷するには時間が足りないと思います」
「金属活字を組むのにも、校正にも、とても時間がかかりますから、星結びの儀式までにあと2つ短編が仕上がるかどうか、というところでしょう」
フリッツもギルの意見に付け加えながら、途中までできている短編を取り出した。
「ローゼマイン様、騎士物語はどのように綴じますか? 全部仕上がってから綴じるのか、短編一つ一つで綴じるのか、ご指示を頂きたく存じます」
フリッツに渡された騎士物語の短編3つをざっと流し読みしながら、わたしはどのように販売するか考える。
どうせ表紙はそれぞれに整えることができるようにするのだから、短編一つで綴じても問題ないだろう。それに、全ては買えなくても、短編一つなら買える者もいるかもしれない。
「短編一つで綴じていってちょうだい。できている分だけでも売り出します」
「かしこまりました」
「ローゼマイン様、ガリ版印刷は絵本の印刷が終わったので、空いています。そちらで印刷できる物が何かありますか?」
どんどん印刷します、というギルの頼もしい言葉にわたしは机の引き出しから、「作りたいものリスト」を取り出した。
「文字が詰まった本は金属活字を使って凸版印刷で印刷した方が、文字が整然としていて美しいですから、ガリ版印刷を使うならば、イラストが多かったり、図を多用したりしている印刷物が良いでしょう。何が良いかしら?」
星結びの儀式の後に販売するならば、子供部屋で販売した冬と違って大人が満足できる本がある方が良いだろう。
余裕ができたら印刷しようと思っていた楽譜やレシピ本の印刷に乗り出しても良いかもしれない。
「楽譜やレシピ集がガリ版印刷には向いていると思うのですけれど、明日、神官長に相談してから決めますね」
「かしこまりました」
わたしが神殿にいられる時間はそれほど多くない。予定を全てこなそうと思ったら、かなり忙しくなりそうだ。
3の鐘が鳴ったら神官長の部屋でお手伝いなので、その時に楽譜やレシピ集を作っても良いか尋ねておこう。
予定を書字板に書き込んで、フランにも告げると、わたしはもそもそとベッドに上がった。
土の日は城にいたならば休息日で一日中図書室に籠れる素敵な日だが、神殿にいると全く変わらぬ日常だ。3の鐘が鳴ると同時にわたしは神官長の部屋へと向かった。
「失礼いたします、神官長」
「あぁ、来たか。では、神官長の部屋で新しく仕事をするようになった青色神官の紹介をしよう」
神官長が書類から視線を上げてそう言うと、あまり見たことがない青色神官達が仕事の手を止めて跪く。彼等が新しく教育中の青色神官らしい。わたしと同じように木札が積み上げられ、計算機と格闘していたようだ。
「左から紹介する」
青色神官の一通りの紹介が終わった後、城での生活についていくつか質問され、やっと本題に入ることができた。
わたしは神官長の執務机に身を乗り出すようにして、これから作りたい本の相談を始める。
「それで、神様に関する絵本が仕上がったので、今度はガリ版印刷で楽譜やレシピ本を印刷しようと思うのです。神官長が演奏会で弾いていた楽譜を印刷して販売してもよろしいですか?」
元になったのはわたしの鼻歌だが、フェシュピールで弾けるようにアレンジして楽譜に起こしたのは神官長とロジーナだ。わたしが許可を求めると、神官長は軽く肩を竦めた。
「あれらは私の曲ではないから、妙な絵を付けるのでなければ、君の好きにすれば良いのではないか?」
「え? でも、作曲者の欄に神官長の名前を入れるつもりなのです。わたくしでは楽譜がまだ書けませんし、フェシュピールで弾けるようにしたのは神官長ですよね?」
「私がしたのは編曲だ。作曲はしていないので、作曲者に名前を連ねることはできない」
神官長はそう言って、作曲者になることを拒否した。
ここで作曲者に自分の名前を入れるのは、わたしも抵抗がある。麗乃時代の記憶から知っていただけで、わたしが作曲したわけではないのだから。
「わたくしが作曲者のところに名前を乗せても、自分で弾くことさえできないのですけれど」
「作曲と弾けるかどうかは別だ。表記は正しく行いなさい」
「……はい」
目立つのは神官長に丸投げしようと思っていたのに、阻止されてしまった。仕方がない。編曲者の欄に神官長とロジーナの名前を目立つように入れて、作曲者ではなく「原案 ローゼマイン」とわたしの名前は小さく入れておこう。
「ついでに、ローゼマイン厳選レシピ集も作っておきたいのですけれど、注意点はありますか?」
「レシピ集を作るのは良いが、販売は次の冬に行いなさい。全ての貴族が集まる場で販売した方が良い。星結びの儀式でも新しい料理を出して関心を引き、それとなくレシピ本の販売について情報を流して、金額を噂として流しておくように。他の本と違って、レシピ集は高価だからな」
レシピ集に関しては、まだ値段の設定さえきっちりとは決めていない。養父様が払ったお金とレシピ集の釣り合いを考えるのか、限定販売でプレミア感を出して金額をつり上げるのか、ベンノとも相談した方が良いかもしれない。
「では、楽譜とレシピ集の印刷に向けて準備します。楽譜はロジーナに書いてもらう予定ですけれど、よろしいですか?」
「あぁ。彼女ならば、問題ない」
ロジーナは字も美しいし、音楽にも造詣が深い。一緒に編曲していた時にロジーナが書く楽譜を見ている神官長は軽く頷いた。
「君の話が終わりならば、仕事に取り掛かりなさい。計算仕事が溜まっているぞ」
「はい」
久し振りに大量の木札を抱え、わたしは石板にガシガシ書き込んで計算をしていく。新入りの青色神官が目を見張って、「早すぎる」と呟いた。どうやら、新入り達は神官長が満足するスピードでの計算ができていないようだ。
「其方らはぼんやりするな。ただでさえ遅いのだから、手を休めずに計算しなさい」
書類から視線を上げることなく飛んできた神官長の叱責に、ひっと息を呑んで青色神官達が計算機を動かし始める。使えるようになるまでにはちょっと時間がかかりそうな手つきだった。
4の鐘が鳴ると昼食の時間だ。
わたしは計算を終えて自室に戻ると、フェシュピールを弾いていたロジーナに足早に近付いた。
「ロジーナ、神官長の許可が下りました。楽譜の作成をお願いします」
「どの楽譜でしょう?」
フェシュピールを弾く手を止めて、ロジーナがパチパチと何度か目を瞬かせ、ゆるりと首を傾げた。相変わらず優雅で見惚れるような動きだ。
「フェシュピールの演奏会で神官長が弾いていた曲、全てです。楽譜として売り出すので、丁寧に書いてください。曲名や編曲者は飾り文字のように美しくお願いいたします」
「かしこまりました。ローゼマイン様の専属楽師として恥ずかしくないように丁寧に仕上げます」
音楽に関係することは基本的に何でも好きなロジーナは快く楽譜作成を請け負ってくれた。
編曲者は神官長で、原案としてわたしの名前を小さく入れるように指示すると、ロジーナは少し考え込むように頬に手を当てて視線をさまよわせる。
「ローゼマイン様、神官長が編曲した楽譜とは別に、わたくしが編曲した楽譜も作成してよろしいですか?」
ロジーナの質問にわたしは顔を輝かせて、手を打った。
「もちろんです。本が増えるのは大歓迎ですもの。楽譜が作成できたら、フリッツかギルに渡してくださいね。印刷するように言っておきます」
「ローゼマイン様、楽しいのはわかりますが、印刷のお話よりも先に昼食を終えてください」
印刷物が増えることが嬉しくて浮かれていると、フランの呆れたような声が響いた。何だか麗乃時代の母さんを彷彿とさせる物言いだ。本を読むことに没頭して食事を忘れるわたしに、よくこんな感じの呆れた声を出していた。
「今行きます」
わたしが肩を竦めて着席すると、ニコラが料理を運んできてくれた。「今日はフーゴとエラがいるので、いつもより手が込んでいますよ。私も食べるのが楽しみなんです」と嬉しそうに笑っている。
「ニコラ、今度ローゼマイン特選レシピ集を作ることになったのです」
「わぁ、レシピ集ですか? 皆においしいものが広がるなんて、楽しみですね」
ぽふっと手を打って喜ぶニコラに、わたしはフーゴとエラとの橋渡し役をお願いする。本当はわたしが直接料理人と話ができれば簡単なのだが、領主の養女という立場では厨房に立ち入ることさえ容易ではない。
「フーゴやエラとも相談して進めて欲しいのだけれど、まず、知っているレシピを書き出してください。それから、作りやすくて比較的馴染みがある料理と下拵えの過程が複雑でレシピを見てもわからない料理を分けてもらって良いかしら? どのレシピを載せるか決めたら……」
「ローゼマイン様。先程も申し上げたように、印刷に関するお話は昼食後にお願いいたします」
コップに注ぐための水差しを抱えたままのフランの笑顔がひんやりし始めた。これはやばい。
「ごめんなさい。いただきます」
わたしは即座に謝ってカトラリーを手に取った。「次の料理を準備してまいります」と言いながら、ニコラもそそくさと厨房へと退散する。
季節のサラダをもしゃもしゃ口に入れていたわたしは、ハッと思い出した。
「モニカ、悪いけれど、工房へ行って、本を綴じるための針と糸を借りて来てちょうだい」
「ローゼマイン様、印刷の話は……」
「い、印刷の話ではありません。製本の話、いえ、午後の予定とその準備の話ですからね」
わたしは慌ててフランに言い繕う。フランは神官長と同じようにこめかみを押さえた。神官長だったら「まったく君は」と言っているに違いない。
相変わらずよく似た主従だ。わたしが城に行っている間、神官長の執務をずっと手伝っていたせいで、前より神官長に似てきたのかもしれない。
モニカが部屋を出て行くのを見ながら、わたしは今度こそ黙って食事をした。
昼食を終えたら、製本作業だ。わたしが冬からずっとこつこつ書いてきた母さんの寝物語集を綴じるのだ。
ちなみに、表紙はわたしが描いた家族のイラストである。デフォルメしているので、こちらでの受けは悪いだろうけれど、写真がないのだから仕方がない。
世界に一つの手作り絵本を完成させたら、明日、ルッツに渡して、家族に届けてもらうんだ。