Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (244)
プランタン商会との話し合い
今日はプランタン商会とお話合いをすることになっている。3の鐘が鳴ると同時にわたしは完成させた母さんの寝物語集と家族への手紙を抱えて孤児院長室へと向かった。
……うふふん、うふふん、ルッツと会える~。
「お待たせいたしました」
わたしが孤児院長室に到着した時には、すでにベンノとマルクとルッツに加えて、オットーがニコラに入れてもらったお茶を飲みながら一階で待っていた。型通りの長い挨拶を終えると、二階へ上がってさっさと隠し部屋へと入る。
「わーい! ルッツ、ルッツ、ルッツ~、会いたかったよぉ」
とぉっと勢いよく飛びつくと、ルッツは予想済みだったように「あぁ、はいはい」と軽く答えながら受け止めてくれる。ぽすぽすとわたしの頭を軽く叩きながら、ルッツはニッと笑った。
「領主様のお留守番をするから夏まで城から戻らないって、オレが言ったら、ギュンターおじさん達がすっげぇ心配していたぞ。お前が城で何かやらかなさいだろうかって」
「皆、ひどいっ! わたし、真面目にお勤めしてたよ!」
自分の信頼のなさにガックリだ。最近、周囲では聖女伝説が加速しているので、一番信頼がないのが、自分の家族かもしれない。
「トゥーリのために頑張って本も作ってたのに……」
「本?」
「これ、トゥーリにあげるの。この夏で10歳でしょ? だから、お祝い。トゥーリに届けてくれる?」
ここでは7歳で洗礼式を終えて、見習いとして契約する。そして、10歳は見習いとしての三年間の契約が切れる年で、別の工房と契約するのか、契約を更新するのか、はたまた、才能を見出されてダプラ契約を行うのか、ある意味区切りの年と言える。
スカート丈も膝丈から脛くらいの長さに変わって、完全な子供扱いではなくなるのだ。麗乃時代で言うならば、中学生とか高校生の扱いだろうか。未成年だが、完全な子供扱いではないという感じだ。
今回トゥーリの10歳のプレゼントとして、母さんの寝物語集を作ったのである。
「あ、そうだ。トゥーリは10歳になったら見習いとして仕事をしている工房とのダルア契約が終わるから、コリンナさんの工房に移りたい、って前に言ってたけど、どうなりました?」
わたしがルッツに抱きついたままプランタン商会の皆を見回すと、ベンノがゆっくりと視線をオットーに向けながら、口を開いた。
「それが今日の本題だ。お前の意見が欲しい」
「へ?」
ベンノとマルクに促され、わたしがルッツから離れて座ると、正面にベンノとオットーが座り、マルクとルッツがその後ろに立った。
「ここでは態度が崩れても良いから、お前が言え。ギルベルタ商会はもう俺の店じゃないからな」
ベンノに軽く肘で突かれたオットーがわたしを見て、ほんの少し視線を泳がせる。
「あ、呼び方はマインちゃんじゃまずいよな? ローゼマイン様でいいのか? うわぁ、なんか変な感じだ」
独り言のように呟いた後、オットーは一度息を吸い込んで、口を開いた。
「春の終わりでトゥーリのダルア契約は終了することは知っているだろう? 夏までにトゥーリは次の働き口を決めなければならない。だから、俺がベンノに頼んでローゼマイン様を呼んでもらったんだ」
急ぎの案件はトゥーリのことだった。けれど、トゥーリに関することでわたしの意見が必要だという意味がわからない。
「一応トゥーリとギルベルタ商会は契約する方向で話が進んでいる。ギルベルタ商会にとって、トゥーリは重要な存在なんだ。裏事情を知っている者は少ないけど、領主の養女であるローゼマイン様との繋がりを持っているし、髪飾りを作る上で重要な職人になっているからね」
トゥーリは頑張って新しい花や編み方を考えているし、今のところ、わたしはトゥーリと母さんの髪飾りしか買っていない。領主の養女という上客を捕まえておくために、トゥーリとダプラ契約を交わしたいそうだ。
「今までコリンナは自分の関心事以外の仕事はベンノに任せておけばよかった。でも、ベンノがプランタン商会として独立してしまい、ベンノもマルクもルッツも……ローゼマイン様と関係が深い人が揃ってプランタン商会の所属となっただろう?」
「だから、トゥーリが必要なんですか?」
「まぁ、そうだね」
コリンナはギルベルタ商会のとわたしの繋がりを必要としていて、トゥーリを欲しているのだそうだ。
オットーの言葉を「ふぅん」と頷いて聞いているわたしに、ベンノが付け加える。
「髪飾りだけじゃない。女騎士のために新しい衣装を考案しただろう? あれでコリンナは何とかお前との繋がりを保っておきたいと考えたみたいだな」
「そうなんですか……」
「お前、全く興味なさそうだな」
ルッツの言葉にわたしは大きく頷く。ものすごくどうでもいい話にしか聞こえない。
「トゥーリを店のために利用して泣かせたら絶対に許さないけれど、トゥーリがコリンナさんの工房に入りたくて、コリンナさんもトゥーリに価値を感じているなら、何も問題ないでしょう? わたしに一体何の相談があるって言うんですか?」
ダプラ契約したいならばすればいい。それだけの話だ。相談内容が全く見えて来なくて、興味を持てないわたしに、オットーは困ったように笑った。
「もちろん、トゥーリ本人もコリンナの工房に入ることを望んでいるから、その方向で動く予定なんだけれど、ダルア契約にするか、ダプラ契約にするかが難しいところなんだ。それを相談したい」
ルッツのいざこざで多少は知っているけれど、ダプラとダルアの違いを未だにきちんと知っているとは言えないわたしは、ベンノに視線を向けて問いかける。
「ダルアとダプラでは待遇が違うんですよね?」
「あぁ、そうだ。基本的にダルアよりダプラの方が待遇は良いが、当然足枷もある」
三年ごとの契約を行うダルアは色々な店で修行することができる。様々なやり方を身に付けることができるし、人脈を広げることも可能だ。ただし、保障は少ない。腕が悪ければ次の更新は断られるし、紹介もしてもらえない可能性がある。次の仕事先が見つからなかったら、いきなり生活に困るのだ。
それに比べて、ダプラは生活の面倒を見てもらえたり、次の仕事を探す必要がなかったり、優遇されていることが多い。ただし、その店に一生縛られる。ザックやヨハンが言っていたように独立することもできないし、余所の店に移動することもできない。
ルッツやマルクはプランタン商会がギルベルタ商会から独立したので、共に移動したということで、現在はプランタン商会のダプラになっている。けれど、もう別の店となってしまったので、ギルベルタ商会に戻ることはできないそうだ。
「トゥーリがギルベルタ商会とダプラ契約を行う上で、一番の足枷となるのが、お前だ」
「え!? わたしの何がトゥーリの足を引っ張っているんですか!?」
邪魔をしている自覚がなかったわたしは両方の頬を押さえて、ひぃっと息を呑む。お世話になってばかりのトゥーリの足を引っ張っているなんて知らなかった。
適当に話を聞いている場合ではない。血の気が引くのを感じながら、身を乗り出して話を聞く態勢になると、ルッツが笑いながら手を振った。
「あ~、違う。足を引っ張っているわけじゃねぇよ」
「ホントに?」
「トゥーリはお前がどこかに移動した時、一緒に行きたいんだってさ」
ルッツは軽く肩を竦めてそう言ったけれど、意味がよくわからない。
わたしが「どういうこと?」とルッツに尋ねると、ルッツはベンノを一度見た後、小さく頷いて口を開く。
「オレも旦那様もだけど、プランタン商会はお前がどこか別の街に移動した場合、付いていく覚悟ができている。プランタン商会が印刷業を行い、本を売り出すなら、お前の側にいるのが一番だからな」
印刷に一番熱心な後援者はわたしに違いないので、プランタン商会は植物紙協会と印刷協会を広げるためにも、わたしと行動してくれるらしい。それは心強い。
「そういう話をしたら、わたしも一緒に連れて行って、ってトゥーリに言われたんだ」
ルッツもトゥーリも今まではギルベルタ商会のコリンナの工房に入ればそれでいいと思っていたらしい。ギルベルタ商会に入ってルッツやベンノに付いて行けば、わたしのいるところに移動できるはずだった。
けれど、印刷業を主とするプランタン商会と服飾を主とするギルベルタ商会は分かれてしまった。
ここでギルベルタ商会のダプラになってしまうと、トゥーリはギルベルタ商会から抜けることはできなくなる。わたしを追いかけて移動することを決意しているプランタン商会と違って、エーレンフェストで商売をするギルベルタ商会が外に出ることはないのだ。
「ん~? それってトゥーリがダルア契約を望んでいるってことですか? でも、多分、わたしはエーレンフェストにいますよ? 領主が手放さないだろうって、神官長は言っていました。次代への嫁入りが濃厚だそうです」
あくまで神官長がそれらしいことを言っていただけだが、聖女伝説が加速し、印刷業が広がれば、尚更わたしが他領に動くことはないと思う。
「それはあくまで現時点での領主の希望だろう? エーレンフェストより強い領地はいくらでもある。政治的な力が働いて、強引に縁談がまとめられる可能性がないわけじゃない」
ベンノの言葉にわたしは「それはそうですけど」と小さく呟いた。
よく考えてみれば、エーレンフェスト内の地理に関しては習ったけれど、まだエーレンフェストの外に関する知識はほとんどない。国中の貴族が集まる貴族院での順位が真ん中辺りと聞いただけだ。
ベンノの心配が当たるかもしれない。
「お前がずっとエーレンフェストにいるなら、それでいいと思っている。だが……」
そう言いながら、ベンノの赤褐色の目がギラリと光って、じろりとわたしを睨んだ。
「俺が恐れているのは政治的な力より、むしろ、お前の暴走だ。図書室を発見して、本読みたさに突然神殿入りしたように、蔵書量でいきなり嫁入り先を変えるんじゃないか、不安で仕方がない」
「うぐぅっ……」
悪しき前例を出されては反論できない。長いお付き合いをしてきたせいか、わたしの行動をよく読まれていると思う。「そんなことしません」とは言えない。
「暴走されたら、お前がどこに行くかなんて、こちらには全く予想できないからな」
……あ~、それはわたしにも予想できないね。
在宅仕事をしながら商品開発をするはずだったのに、洗礼式で図書室を見つけて暴走し、青色巫女見習いになった。予想外の展開で、今、領主の養女と神殿長をしている現状を思い返せば、ベンノの心配は大袈裟とは言えない。
えへっ、と笑って誤魔化すと、わたしを睨むベンノの目に更に力が籠った。
「笑い事じゃないぞ、この阿呆」
ベンノから視線を逸らして、わたしはオットーに向かって話しかけて話題を逸らす。
「えーと、つまり、ギルベルタ商会側としてはダプラ契約でトゥーリを縛っておきたい。トゥーリはわたしと行動できるように身軽にしておきたいってことですよね?」
「何か良い考えがあるかい?」
「……うーん、ダプラ契約をして、いざという時には『のれん分け』すればどうですか?」
「ノレンワケ? 何だい、それ?」
ここではチェーン店なんて存在しないし、街の住人が余所に移ることは多くない。一つの店を盛り立てていったり、余所の店と結婚して縁続きになったりすることはあっても、歩いて行動できてしまう一つの街に、いくつも同じ店を作る意味などない。
「ギルベルタ商会二号店を別の街に作って、ダプラに任せるんです」
「独立するのではなく?」
「はい。独立じゃなくて、もう一つギルベルタ商会を作るんですから、当然、ギルベルタ商会の人間は行き来できるし、情報の伝達も同じ店の中の扱いで行えます。そうすれば、トゥーリはダプラの立場で別の街のギルベルタ商会に移動できますよ」
のれん分けの説明をしてみたけれど、ベンノもマルクもオットーもよくわからないと言うように首を傾げている。
そんな店が存在しないのだから、のれん分けが理解できなくても仕方がないと思う。
「まぁ、そんなに面倒なことを考えなくても、わたしはダルア契約で良いと思いますけど」
一応の妥協案を出したものの、わたしとしてはトゥーリの好きにすればいいと思っている。コリンナが憧れの針子だと言うから、工房に入りたいトゥーリを応援はするけれど、別にギルベルタ商会に縛られる必要はないのだ。
「トゥーリをダプラとして確保しておきたいのはギルベルタ商会の都合でしょ? トゥーリがわたしについてきてくれるなら、わたしはトゥーリのための工房くらいすぐに用意できます。移動しやすいようにダルアでいてくれた方が個人的には嬉しいですよ」
他領の人と結婚でもしない限り、わたしがエーレンフェストから動くことはない。例え移動することになっても、今現在貯めこんでいるお金と、マインの遺産として家族用に取ってあるお金を使えば、市民権を買って、工房や住居を準備することは可能だ。
エーレンフェストにずっと住む場合も、トゥーリの実力が伴う年齢になれば、領主の養女の後援で自分の工房を持たせることは難しくない。
「……今の君にはトゥーリを独立させるだけのお金も権力もあるもんな」
ずっと旅商人で、貯めたお金も市民権とコリンナの結婚に注ぎ込んでしまったオットーの言葉には苦いものが混じっている。
「まぁ、エーレンフェストでずっと住むなら、待遇や周囲への体裁を考えると、コリンナさんの工房でダプラとして契約できる方がトゥーリのためになると思いますけどね」
わたしの言葉にオットーは何度か頷いた。
「ノレンワケって言ったっけ? 一応、そういう考え方があることをコリンナに伝えて、よく考えてみるよ」
「じゃあ、オレはトゥーリに伝えておくな。ノレンワケについても、いざとなったらお前が工房を準備するってことも」
ルッツにわたしが頷いて、話にひとまず区切りが付くと、ベンノは思考を切り替えるように軽く頭を振り、ぐっと身を乗り出した。
「じゃあ、トゥーリの話は終わりだ。……次はプランタン商会からのお願いだ。イルクナーにルッツを派遣できる環境が整った。ギーベ・イルクナーと話を付けて欲しい」
「え? 貴族対応は大丈夫なんですか?」
確か、以前は貴族との商売が増えたのに、対応できる人がいなくて、外にルッツを出す余裕がないと言っていたと思う。
ベンノはガシガシと頭を掻きながら、「あ~」と曖昧な声を出した。そんなベンノの後ろにずっと控えていたマルクがやんわりと深緑の目を細める。
「プランタン商会が独立した折に、各店から送り込まれてきたダルアはそれぞれの店の精鋭で、予想以上に貴族対応を難なくこなしています。おかげで、店には少し余裕ができました」
ベンノが抱え込んでいるパイを奪い、元の自分の店にも利益をもたらそうとするダルア達は、マルクから見ても実に優秀らしい。
「プランタン商会の商品は、正直まだそれほど多くない。貴族達が関心を持ってくれている今のうちに少しでも多くの新商品が欲しいし、新商品を作るのはルッツであって欲しいと思っている」
「新しい紙の研究なら、紙作りをしてきたオレが適任だからな」
ルッツは「お前が考える物はオレが作るって約束しただろ?」と言って、グッと胸を張る。
「確かに、印刷機作りや絵本作りが一段落したところだから、新商品の開発を始めるタイミングとしては悪くないと思います。ギーベ・イルクナーと話ができるのは、星結びの儀式の頃ですね」
「……予想以上に早いな。冬になると思っていたが」
「わたしが考えた衣装をブリギッテが着て、星結びの儀式でお披露目することを報告したので、ギーベ・イルクナーもエーレンフェストにくるそうです。その時に話ができれば、プランタン商会をイルクナーに派遣して新しい紙の研究を行うことはできると思います」
ギーベ・イルクナーはわたしとの繋がりが欲しいようだったし、特産品が欲しいと言っていたし、新しい紙の開発には乗り気だった。身分上、わたしが声をかければ拒否はしない。できない。権力を振りかざして、無理やりにならないように気を付けなければならないくらいだ。
「そうか。遠方の貴族と話ができるのは冬だと思っていたが、夏ならば早目に準備が必要だな」
「ただ、イルクナーは遠いですから、研究のために移動するとしばらくはエーレンフェストに戻ってこられなくなると思うんですけど、本当にマルクさんとルッツが移動してもプランタン商会は大丈夫なんですか?」
いくら各店からやってきたダルアが優秀とは言っても統率する人間がベンノだけでは大変ではないだろうか。わたしの心配を聞いたベンノは苦い笑いと共に頭を軽く振った。
「マルクは店の統率のために残す。代わりに、貴族対応ができるヤツをルッツにつけることになっている」
……そんな人、いたっけ?
わたしはマルクの代わりにイルクナーに行けるような人物が思い浮かばず、眉を寄せる。
「……どなたですか? わたしの騎獣でイルクナーに向かう予定ですけど、その方は大丈夫ですか?」
「問題ない。ある意味、お前のことを知っているし、お前とも一度だけ顔を合わせて話をしたことがあるらしい」
ベンノとマルクとルッツが揃ってげんなりとした表情になった。わたしが顔を合わせたことがある人物と言われて、更にわからなくなった。
自慢にもならないが、わたしは知り合いが少なかった。プランタン商会に関係がありそうな、貴族の対応ができる顔見知りなどいないと思う。
「全然わかりません。どなたですか?」
「ダミアン……フリーダの兄だ」
商魂たくましいフリーダが自分の兄をプランタン商会のダルアとして送り込んできたらしい。商人ならば、わたしが関係している新事業に積極的に関わらなくてどうする、と兄を焚きつけたそうだ。
「あぁ、確かにフリーダの洗礼式の時、一度だけ。ギルド長のお宅でお世話になった時に顔を合わせましたね。顔はあんまり覚えてないですけれど、揃いも揃って強引で人の話を聞いていない一家だったような……」
「あぁ、お前の認識は正しい。利に敏くて、強引だ」
ベンノの表情から察するに、プランタン商会でもダルアとして色々と自分達の利益のために暗躍しているのではないだろうか。フリーダが一番祖父であるギルド長に似ていると言われているようだが、フリーダの兄も相当強引だった。
「ルッツ、大丈夫? やり込められない?」
何だか一緒にイルクナーへと向かうルッツの方が心配になってきた。ルッツ一人だけでは、対抗できないのではないだろうか。
ルッツも「ハハッ」と乾いた笑みを浮かべ、不安そうにベンノに視線を向けた。
「確かにルッツのことは心配だが、ダミアンを外すことはできない」
「どうしてですか?」
「貴族への対応はお手の物。利益を見据えて我慢することも知っている。何より、販売ではなく、新商品の開発を重視しての立候補だ。あのじじいのごり押しもあって、断りようがない。ここ最近何だかんだと融通を利かせてもらっているからな」
ハァ、と大きく溜息を吐いたベンノがガシガシと頭を掻く。
「ひとまず、イルクナーに植物紙協会を作るため、俺も最初は一緒に行くつもりだ。ルッツ達をイルクナーに置いて、お前がエーレンフェストへ戻る時に一緒に戻る。そうして、色々なところで根回しして牽制しておくしかないな」
「ルッツのためにもきちんと牽制してあげてくださいね」
その後は、イルクナーで植物紙を作る上での利益に関する話し合いをした。利益関係は前もって決めておかなければ、ギーベ・イルクナーとも交渉できない。お互いの利益やイルクナーに滞在中の生活に関して、条件や要望を聞いて書き留めていく。
「えーと、じゃあ、ルッツとフリーダのお兄さんのダミアンがイルクナーに行くので間違いないですか?」
「あぁ」
ベンノとの話し合いで決まったことについて、書字板を見ながら確認していると、ルッツがそろりと手を挙げた。
「あのさ、工房からギルと作業に慣れた灰色神官を数人寄越してほしいんだけど、いいか?さすがに、オレ一人で紙作りは無理だし、ダミアンと二人しかいなかったら息が詰まる。道具はこっちで準備するからさ」
「植物紙の研究はわたしがしたいから、という理由でイルクナーに向かうことになるんだもん。もちろんウチの工房からも人を出すよ。ギルとルッツに人選してもらう予定だから」
「助かる」
ルッツは心底ホッとしたように息を吐いた。
「ねぇ、ルッツ。新しい紙の研究をしたいのはわたしで、本来なら、わたしが足を運んで自分の手で研究しなければならないことなんだよ。わたしの代わりに頑張ってくれるルッツやギルが困らないようにするから、要望があればきちんと言ってね」
「あぁ。でも、あんまり気にしなくていいぞ。オレ、イルクナーに行くのは楽しみだからな」
へへっ、と笑ったルッツの肩から強張りが取れたような気がして、わたしもホッとする。
「せっかくイルクナーに行くんだもん。新しい木材やエディルやスラーモ虫の代わりになる物が見つかればいいね」
「そうだな。新しい紙ができて、商品が増えると良いな」
ルッツが商人らしい笑みを見せると、ベンノも「新商品は必要だからな」と頷いた。
「新商品ならできますよ。本をどんどん増やしますから。これから楽譜を刷る予定ですし、冬までにはローゼマイン特選レシピ集も作る予定です」
ふふん、と胸を張っていたわたしは、レシピ集の値段設定について相談しようと思っていたことを思い出した。
「あ、そうそう。レシピ集の値段をどうしようか思案中なんです。養父様やお父様に売った値段を考慮した値段設定をするか、限定販売にして養父様達に売った時より値段をつり上げるか……」
「そりゃ当然、限定販売だろう?」
ベンノが当たり前のことを聞くな、と言わんばかりに眉を上げ、マルクもベンノの後ろでニコリと笑いながら頷いた。
「フーゴが言っていたが、お前のレシピは手間がかかって面倒だから、ある程度の腕がないと再現は難しいんだってな。おまけに、他にはないレシピなんだぞ。高価で当然だ。安売りして広げるものじゃない」
プレミア感を付けまくってできるだけ高額で売れ、とベンノは目を光らせた。領主にも高額を支払わせたレシピが安いものではありがたみが減るらしい。わたしの知識には高値を付けておいた方が良いそうだ。
ここは商売に関する師匠の言い分を聞き入れておこうと思う。
「それにしてもレシピ集か。……イルゼの知らないレシピを少し入れれば、あのじじいには確実に売れるぞ。ガッツリ儲けてやれ」
「ベンノさん、今、すごく悪い顔になってますよ」