Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (25)
商人との会合
ルッツが嫌な顔をしても全身洗って、付け焼き刃にせよ、面接の心得を教えておいて正解だった。
オットーもその友人も、中央広場を行き交う人達の中で上等な部類に入るようなきちんとした身なりをしている。やはり、わたし達は晴れ着でも着てきた方がよかったようだ。
デザインは変……いや、わたしにはちょっと見慣れないデザインの服だけれど、使う布が多くなるドレープが多くて、汚れや継ぎ接ぎが全く見当たらない服は、布も糸もできるだけ節約するのが当然だというわたしの生活圏内では滅多に見られないものだった。
服装から察するに、オットーの友人はかなり儲けている人だと思う。服装、物腰、眼光、どれもが、わたしが見たことがある市場の商人とは全く違う。
儲けている商人とは言っても、どっしり構えた老舗の社長ではなく、どんどん伸し上がっているベンチャー企業の社長に通じる迫力があった。一見、ミルクティーのような淡い色の癖毛に優しげな容貌をしているのに、赤褐色の瞳が自信に溢れていて、ギラギラしていて、肉食獣のような獰猛さを感じさせるのだ。
「やぁ、マイン。そっちがルッツで間違いないか?」
「おはようございます、オットーさん。わたしの友人のルッツです。今日はお時間頂いてありがとうございます」
どう挨拶をするのが適当かわからなかったので、いつもどおり胸を二回叩いて敬礼しておく。オットーも同じように返してくれたので、大きく間違ってはいなかったと思う。
「はじめまして、ルッツです。よろしくお願いします」
ルッツも緊張しているようだが、二人の眼光や見下ろしてくる威圧感に負けず、どもることもなく、声が震えることもなく、慣れない挨拶ができた。
第一関門はクリアだ。
「ベンノ、俺の助手をしてくれているマイン、班長の娘さんだ。マイン、こちらはベンノ。俺が旅商人だった頃の知り合いだ」
「はじめまして、マインです。どうぞよろしくお願いします」
頭を下げる習慣のないここで、頭を下げないように気をつけて、とりあえず笑顔だけは忘れずに挨拶する。
「これは、ご丁寧に。ベンノといいます。どうぞよしなに。……小さいのにずいぶんしっかりと躾をされたお嬢さんだな」
「見た目ほど子供じゃない。6歳だ」
おそらく3~4歳に見えているだろうわたしについて、オットーがベンノに言い添えた。
ベンノは、少しばかり眉を寄せた後、面白がるようにオットーを見て、唇の端を上げる。
「……まだ洗礼前の子供が助手か?」
「あぁ、いや、そうだな。助手になれるように、俺が読み書きを教えているところだ」
「お前の言い方なら、既に助手として活躍していそうだけどな?」
「……余計なことは言うなよ」
言葉の端々から情報を読みとる二人のやりとりに背筋が冷たくなる。わたしとルッツでこの人達を納得させるような面接ができるだろうか。
何だろう。洗礼前の子供だからといって、容赦なんて全くしてくれない気がひしひしとしている。
ベンノが怪訝そうに、わたしの視線の高さよりやや上をじっと見つめながら、口を開いた。
「ものすごく気になるから、先に聞きたいんだが、いいか?」
「はい、何でしょう?」
「その頭に刺さってる棒は何だ?」
なるほど。不合格出したり、出されたりした後で、他愛ない質問ってしにくいですよね?
もしかして、不合格にする気満々ですか?
愛想笑いを張り付けたまま、ベンノの一挙手一投足に注意して少しでも多くの情報を得ようと凝視しながら、わたしはするりと簪を外して、ベンノに差し出した。
「これは『簪』です。髪をまとめるためのものなんです」
オットーも気になっていたのか、ベンノと一緒にしげしげと簪を調べる。上下にしたり、裏返してみたり、じろじろを見ている。
ただの棒だよ? 種も仕掛けもないよ?
「……ただの棒だな」
「えぇ、父が作ってくれた、木を削っただけの棒です」
「これだけで、髪をまとめられるのか」
「はい」
返してもらった簪で、いつも通りの髪型にする。
ハーフアップにする分の髪をすくって、簪にねじって巻き付けて、ぐるりと回転させて、グイッと差し込んで固定する。毎日しているので、手慣れたものだ。
「ほほぉ……。すごいな」
髪を結うところは初めて見せたので、ルッツもオットーも目を丸くして、わたしの髪を見ている。
ベンノがわたしの髪を触って、眉を寄せた。
「なぁ、嬢ちゃん。この髪もすごいな。一体何をつけているんだ?」
わたしの髪を品定めするように触る指の丁寧さと違って、向けられる眼光は息を呑むほど鋭い。
価値を見出してギラつくベンノの目と、洗礼式のおばさま方の食いつき具合からも、簡易ちゃんリンシャンには結構商品価値があると見た。
「わりとありふれた物の組み合わせですが、詳しくは秘密です」
「坊主も同じ物つけているのか?」
「昨日マインが綺麗にしろって、付けてくれたから……」
あ、ベンノさん。今、軽く舌打ちしましたね?
子供だから簡単に教えてもらえるかもしれない、と甘く見てましたね?
残念でした。
まだルッツとの面談が始まっていないのに、こんな前哨戦で利用価値のありそうな手札は切れません。
ニッコリと引きつった笑顔の応酬をわたしがベンノと繰り広げていると、オットーが軽く溜息を吐いて、髪をぐしゃっと掻き上げた。
「それで、ルッツが旅商人になりたいということだったか?」
本題が来た。
ルッツが隣でゴクリと息を呑んだのが聞こえた。
応援する気持ちが伝わればいい、とわたしはルッツの手をこっそり握って力を入れる。
昨日から頑張って考えたんだよね?
さぁ、今こそ踏ん張りどころだ。志望動機を並べて、合格を勝ち取れ!
「あ、はい。オレ……」
「止めとけ」
「え?」
志望動機を口に出す前に止められた。
せっかく考えてきたんだから聞いてあげて、と心の中で叫んでいると、オットーは苦虫を噛み潰したような顔で、ルッツを見下ろした。
「市民権を手放すのは馬鹿のすることだ」
「……オットーさん、市民権って、何ですか?」
ついつい、疑問が声になって口から飛び出した。
そんな言葉、初めて聞いた。市民権というくらいだから、この街に住む人の権利だということはわかる。
けれど、日本国憲法で保障された権利を勉強するまで知らずに享受していたように、わたしはここの街に住む住人が当たり前に持っているらしい権利というものが、一体どんなものか知らない。
「この街に住むことができる権利だ。同時に身元を証明するものでもある。7歳の洗礼式で神殿に街の人間として登録され、仕事につくにも、結婚するにも、家を借りるにも市民権のある者とない者では対応が変わってくる。余所者が神殿に登録してもらって、市民権を得て、街に定住しようと思ったら、とんでもない金がかかるんだ」
「オットーさんも、お金、払ったんですか?」
「あぁ、そうだ」
当時を思い出したのか、苦い顔でオットーさんが頷いた。
ベンノが隣で苦笑しながら、オットーを指差した。
「こいつはコリンナと結婚するために、全財産をはたいたんだ」
「できれば、店を持ってここで商売したかったが、俺の金じゃあ市民権を得るだけで精一杯だったんだよ」
旅商人が貯めたお金が一体どれだけあったのか知らないが、市民権に、結婚資金に、開店資金では、いくらあっても足りない気がする。
「それに、街の暮らしと旅の暮らしは全く違う。なぁ、ルッツ。生活のほとんどを馬車の上で過ごすっていうのが、いったいどんなものかわかるか?」
「……いえ」
ふるりとルッツが首を振った。
街を端から端まで歩いても二時間ほどなのだから、街の子供の移動方法は基本的に全て徒歩だ。荷車ならともかく、馬車に乗ったことさえないだろうルッツに馬車での旅なんてわかるはずがない。
「例えば、水。お前は必要になったらどうする?」
「井戸から汲む」
「そうだよな? でも、旅の間は決まった井戸なんかない。まず水場を探すところから始まるんだ」
「川なら……」
森に行った時に利用している川が水場としてルッツの頭にはすぐに浮かんだようだ。
しかし、旅をするうえで常に川の側を移動するわけがない。そして、紙が高価で手に入らないのに、地図を持っている旅商人が一体どれくらいいるだろうか。
「旅商人として初めて外に出た時は、多分、その川もどこにあるかわからないんだよ、ルッツ。ずっと川に沿って移動するわけじゃないだろうし……」
「マインちゃんの言う通りだ。だから、大体同じルートをたどって商売をする。年を重ねるごとに知人が増え、情報をやり取りして、使える水場や安全な道がわかってくる。それを子供に教えて、子供はそのルートを継いでいく。狭い馬車の中での生活に他人が入れる余地はないんだ。……そして、一番重要なのが、旅商人の行く末だ。旅商人が望む物が何か、お前はわかるか?」
「……」
「市民権だよ」
「え!?」
「厳しい旅の生活を止めて、いつかは街で暮らしたい。街で店を持って安全に商売がしたい。そのために金を貯めたい。それが旅商人の夢だ。すでに市民権を持っているお前が旅商人に受け入れられることはない。どうしてもやりたいなら自分で始めるしかない。旅商人には見習いなんて制度はないんだ」
市民権が旅商人の夢なら、オットーはすでに夢を叶えたことになる。
本当はこの街で店を持ちたかったらしいけれど、商人が兵士になった理由がわからない。
「どうして、オットーさんは兵士になろうと思ったんですか?」
「待て、聞……んぐっ!」
何か言いかけたベンノの口を押さえて、オットーさんが堂々ときっぱりと言い切った。
「コリンナと結婚するためだ」
「く、詳しく聞きたいですっ!」
「俺は聞きたくないぞ、嬢ちゃん」
ベンノが慌てたように止めたが、オットーは目を輝かせて語り始めた。
「そう、あれは、俺が成人して間もない頃だった。この街に来た時に、コリンナに一目惚れしたんだ。心臓を貫かれたというか、天啓がひらめいたというか、とにかく、コリンナしか見えなかった。結婚するなら彼女しかいない、そう思って、即座に口説いた」
「……オットーさんって、意外と情熱的だったんですね」
爽やか柔和笑顔の裏で黒いことを考える計算高い元商人は、恋に突っ走る情熱家でもあったらしい。
焦げ茶の髪に茶色の瞳というとても落ち着いた色彩で、誠実そうに見える外見からは、恋に情熱を注ぐ姿が想像できなかった。
「それだけコリンナが魅力的だっただけだ。まぁ、果敢にアタックしたが、最初は断られたな。彼女は腕の良い有名な針子で、仕事をするうえで地縁は大事にしたい。旅を続ける生活なんてできない、と言ったんだ」
あぁ、確かにお得意さんって大事だし、腕が良いってことはある程度満足するくらいは稼げていたのだろうし、安定した生活捨てて、不安定な旅生活はできないよね。
それに、コリンナさんからすれば、いきなり口説きに来た旅商人って、結構胡散臭い相手じゃない? 騙されてるかもしれないって思ったんじゃないかな?
ほぅほぅと頷きながら聞いているうちに、オットーの恋物語はどんどん加速し、加熱していく。声に力が入り始めて、手振り身振りが大きくなり始めた。
「コリンナに結婚はこの街の男とするつもりだ、と言われた時は雷が落ちたと思ったほどに衝撃を受けた。俺はコリンナが他の男と結婚するなんて考えられなくて、どうすればいいか必死で考えた結果、その足で神殿に行って、市民権を得た」
「え? ちょっと待ってください。恋心が暴走しすぎてませんか?」
この世界ではオットーの行動が普通なのか、わからなくてベンノを見上げると、疲れきったような表情でこめかみを押さえていた。
「……子供の嬢ちゃんでもそう思うよな? しかも、オットーがこの街の市民権につぎ込んだ金ってさ、親が市民権を得た街まで行って、開店資金にする予定だった金なんだぜ?」
「えぇ!?」
親が市民権を得ている街なら、半額ほどで市民権を得られるから、残りを開店資金にするはずだったとベンノが言う。
厳しい旅商人の生活で溜めてきた大事な開店資金を、一目惚れにつぎ込んでしまうなんて、計算高い商人じゃなくて、恋する相手しか見えていないただの暴れ馬だ。
「この街に店を持ちたいが、店を持つには金がかかるし、融通してくれるだけの縁もその頃はまだなかった。商人を辞めて、この街に居続ける覚悟をコリンナに見せられる仕事が兵士だったから、この街に来るたびに仲良くしていた班長に頼みこんで、書類仕事を主にする兵士として雇ってもらったんだ。……そういえば、市民権を買って、兵士になって、プロポーズしたら、コリンナは驚いていたな」
いや、そりゃ、驚くでしょ。旅の生活はできないって断ったら、全財産はたいて市民権買って、兵士になったなんて聞いて、驚かない年頃のお嬢さんはいないと思う。
ちゃんと手綱握っておかなきゃ、って思ったのか、こんなにも私のことを想ってくれているなんて、ってキュンとしちゃったのか、コリンナさん視点の話が聞いてみたい。オットーさんとは全然違う話が聞けそうだ。
「何日も口説き続けて、コリンナのところに婿入りって感じで結婚したんだ。もうしょうがない人って笑ったコリンナの可愛さと言ったら! それで、今は……」
そこからは自分の嫁がどれだけ可愛いか、延々と語り始めた。オットーの口は止まらない。商人として培った一流の営業力とプレゼン力を嫁自慢に使わないでほしい。
ルッツも立て板に水の嫁自慢に圧倒されて、ポカンとしている。
妻しか目に入らない愛妻家だとは聞いていたが、父が誇張しているのだと思っていた。けれど、誇張でも何でもなかったらしい。
どうしよう、オットーさんがこんな人だったなんて知らなかった。
助けを求めてベンノを見ると、目が合った瞬間、慣れているのか、軽く肩を竦めて、溜息を吐いた。
「オットー、もう旅商人の話じゃねぇよ。嫁の話はそれくらいにして、本題に戻れ」
「コホン! 悪い。そういうわけで、旅商人は諦めろ」
どういうわけだよ、とツッコミを入れたかったが、そこはグッと我慢する。
かなり脱線したが、旅商人には見習い制度がないことと、旅商人になった時の苦労と、わたし達が持っている市民権の大事さと、恋に溺れる怖さはよくわかった。
諦めろ、とはっきり言われてしまったルッツは項垂れて、可哀想なほど落ち込んでいる。
せっかく志望動機も考えてきたのに、発言する前に無理だと言われて、旅商人の厳しさと嫁自慢を叩きこまれては、落ち込むのも仕方ない。
「……ルッツ、これはマインからの提案だが、旅商人ではなく、商人見習いになればどうだ? 買い付けで街を出るくらいなら、できるようになる」
「マイン!?」
バッと顔を上げて、ルッツがわたしを見た。
怒りに燃える緑の目が「旅商人になれないって、知っていたのか?」と雄弁に語っている。
「ちゃんと旅商人の話を聞いた方がルッツのためだと思ったの。同じ街で過ごしてきたわたしの言葉より、素直に聞けるでしょ?」
「……あ」
ルッツは図星だというような表情で、バツが悪そうに視線を逸らす。
「オットーさんに話を聞いた時、旅商人は難しそうだと思ったから、できれば、親に反対されず、お仕事で街の外に出られる機会がないかな、って考えたんだよ。それに、わたしも今まで知らなかったけど、市民権を手放してまで旅商人になるのは止めた方がいいと思う」
「……そうだな」
オットーの話を聞いて、やはり、考えることはあったのだろう。外からやって来た人たちの土産話を聞くのと、現実の生活を聞くのでは全く違ったはずだ。
「オットーさんはこの街の商人さんとも繋がりがあるって、父さんから聞いたから、ルッツにやる気があるなら紹介してもらえないかなって、相談しただけ。断るのはルッツの自由だよ?」
「……そっか。色々考えてくれたんだな」
ハァ、と息を吐いたルッツが顔を上げて、ベンノを見上げた。
わたしも顔を上げて、ベンノを見つめる。商人見習いになりたいなら、乗り越えなければならない相手はオットーではなく、ベンノだ。
「で、俺が紹介されたわけだけど……お前、商人になりたいのか?」
「はい」
ルッツが頷くと、ベンノがすぅっと赤褐色の目を細めた。
オットーの嫁自慢を聞いていた時のような緩い雰囲気はもう微塵もない。屈服させる相手を見つけた肉食獣のような酷薄な目でルッツを見下ろす。
「ふぅん。それで、何が売れる? 商人になって何を売りたいんだ?」
「え?」
就職の面接に志望動機を聞くのは当たり前だが、ルッツが昨日考えてきたのは旅商人の志望理由だ。いきなり商人見習いの志望動機をひねり出せと言われても、そう簡単にできるものではない。
「商人になって何がしたいか、やれるかを聞いてるんだよ」
「それは……」
ひぃぃ! 洗礼前の子供相手に圧迫面接ですよ!
そんな意地悪しないで、と言いたいが、商人にとっては見習いが一人増えるということは、出費が大きく増えるということだ。オットーの助手の友人という繋がりならば、損を覚悟で抱え込まなければならないような義理もない。
よほどの根性とか、やる気とか、売れそうな商品の情報とか、ベンノにとって利になるものがなければ、即刻切られても文句は言えない。むしろ、会ってもらえただけでも感謝しなければならない立場なのだ。
「ないなら、話は終わりだ」
ベンノの言葉にルッツがわずかに俯いて唇を噛んだのがわかった。
今から言う言葉が助け船になるのか、しなくていい苦労への一歩になるのか、わたしにはわからない。選ぶのはルッツだ。
わたしはルッツだけに聞こえるくらいの声で、こそっと小さく問いかけた。
「……わたしの紙、ルッツが作る?」
「やる」
「ぁん?」
ルッツがグッと顔を上げた。ぎゅっとわたしの手を握る手に力がこもる。その手が震えているけれど、ルッツは片眉を上げて獰猛な顔をしているベンノをキッと睨んだ。
「オレにだってやりたいことはちゃんとある! マインが考えたものは全部オレが作るんだ!」
「うん。ずっとそうしてきたもんね」
「マインはすぐに無茶するから、オレがやる」
ルッツ、よく頑張ったね。ちゃんと言えたね。ベンノさんが目を丸くしてるよ。
わたしがルッツを巻き込んだのか、ルッツがわたしを巻き込んだのか、よくわからない結果になったけれど、ルッツがわたしにできないことを引きうけてくれるなら、ルッツにできないことはわたしが引き受ければいい。
ルッツと違って、わたしは入試の面接も就職の面接も経験してるんだよ。
わたしは、ベンノさんを見上げたまま、ニコリと笑顔を浮かべる。すぅっと息を吸って、ゆっくり吐いて、呼吸を整えてから、口を開いた。
「動物の皮じゃない紙を作って売りたいと考えています。製作費が羊皮紙より安く抑えられるので、利益のでる売り物になると思います」
わたしの言葉にベンノが苦虫を噛み潰したような顔になる。ルッツに向けていたよりもずっと獰猛な光を宿す目で、唸るような低い声を出した。
「……嬢ちゃんも商人志望か?」
「はい。第二希望ですけど」
わたしが笑顔のまま頷くと、ベンノの隣にいたオットーが緩く首を傾げた。
「第一希望は門で書類仕事?」
「いえ、『司書』です」
わたしの言葉に三人が揃って怪訝そうな表情になる。やはり、言葉が通じなかったようだ。
「……聞いたことないな」
「本がたくさんあるところで本を管理する仕事をしたいんです」
司書の仕事を噛み砕いて説明すると、ベンノが吹き出して笑い始めた。
「ぶっ……ははは、それはお貴族様じゃないとできない仕事だ」
「……やっぱりそうなんですか」
お貴族様め。
本を持っているのが基本的に貴族なら、それを管理する司書も貴族だろうとは思っていた。何となく予想していたことだが、やっぱり身分差が腹立たしい。
「それにしても、羊皮紙じゃない紙、ねぇ……。現物はあるのか?」
ちらりとわたしを見る目に警戒が浮かんでいる。多分、ベンノの頭の中では、羊皮紙以外の紙が出てきた時の影響や利益がぐるぐるしているに違いない。
「今はないです」
「話にならんな」
話にならないと言っているが、興味を持っているのは間違いない。もう一言で落とし所に持っていけるだろう。
わたしは笑顔を深めた。
「現物があればいいなら、作ります。わたしたちの洗礼式は来年の夏だから、春までに紙の試作を作るので、それが使えるかどうかで、判断してください」
「……いいだろう」
不合格にするつもりだったベンノから猶予をもぎ取れたのだ。
これは立派な勝利だろう。
「ありがとうございます、ベンノさん」
「まだ決まったわけじゃない」
「それでも、挑戦できる機会をくれたわけですから」
あとはルッツが頑張るだけだ。自分の就職がかかっているのだから、必死でやってくれるだろう。
唐突に降って湧いた、紙が手に入りそうな状況に思わずにんまりしてしまう。
「ルッツ、頑張ろうね」
「あぁ」
わたし達のやり取りをニヤニヤと笑いながら見ていたオットーにも感謝を伝える。
オットーのお陰で、ルッツは旅商人を諦めて、商人見習いへの第一歩を踏み出した。これはわたしが考えていた中で最善の結果だった。
「オットーさん、ベンノさんを紹介してくださってありがとうございました」
「なかなか楽しい休日になったよ。次に門に来る日を楽しみにしてる」
「はい」
どうやらオットーにも合格点をもらえたようだ。
ホッと胸を撫で下ろし、オットーのセリフから解散を促されていることに気付いたわたしはルッツと一緒に歩き出そうと足を一歩踏み出す。
……あ、忘れてた。
わたしは足を止めて振り返り、同じように歩きだそうとしていたオットーとベンノを呼びとめる。
「あの! オットーさんとベンノさんにお伺いしたいことがあったんです」
「うん、何かな?」
「自分の中にある熱が急に広がったり、小さくなったりする病気に心当たりありませんか?」
あちらこちらに行っていたオットーか、色々なところに繋がりがありそうなベンノなら、わたしの中の熱のことを知っているかもしれない。
「熱に食べられそうになるような感じがしたり、必死で退けようと思ったら小さくなったりするんです。主観的で申し訳ないんですけど……」
「さぁ? 聞いたことないな」
オットーがゆるく首を振った。
ベンノに視線を移すと、一度目を伏せた後、ゆっくりと首を振る。
「……知らんな」
この二人が知らないということは、わたしの生活圏内で知っている人はいないと思っていい。
わたしの病気はどうやら相当珍しいものらしい。
……もしかして、結構ヤバい病気なのかな?
一抹の不安を抱いて、会合はお開きとなった。