Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (251)
リーズファルケの卵
神官長から受け取った革袋をエックハルト兄様は腰のベルトに素早く結び付ける。魔石と魔石がぶつかり合う、少し高い音が耳に届いた。
「フェルディナンド様があのアイデロートを捕えたら、即座に動くぞ」
低く響いたエックハルト兄様の言葉に皆がコクリと頷く。わたしはレッサーバスのハンドルをぎゅっときつく握りしめた。
視線の先では神官長がシュタープを取り出し、アイデロートに向ける。
武器を向けられた瞬間、アイデロートがくわっと口を大きく開けて炎を吐き出した。
「ひゃっ!?」
「ゲッティルト」
アイデロートの口からぶわっと吐かれた炎は大道芸人が吐き出した炎のようで、それほど大きくもなければ、射程距離も短かったけれど、威嚇という意味では十分だった。
わたしは思わず炎を避けようとして片腕を顔の位置に上げて、ぎゅっと目を瞑る。
次の瞬間、キンと硬質な音が響、「ぐげぇっ!」という魔物の悲鳴のような低い声が聞こえた。
わたしが腕を下ろして目を開けた時には、アイデロートは数メートルほど吹き飛ばされ、急いで態勢を立て直していた。
どうやら炎で驚かせて、体当たりで攻撃するつもりだったようだが、神官長がシュツェーリアの盾を作り出す方が速かったらしい。神官長はシュツェーリアの盾を裏返すように使って、再度突進して来ようとしたアイデロートを捕えた。
シュツェーリアの夜にわたしがゴルツェを捕えた時と全く同じだ。ただし、わたしと違って、魔力の扱いが上手く、慣れている神官長は、徐々にシュツェーリアの盾を小さくしていく。
「行け!」
シュツェーリアの盾を維持する神官長の横を通り過ぎ、盾の中に閉じ込められて暴れるアイデロートの横を走り抜け、わたし達は奥の泉へと向かって走り出す。
「神官長、もう一匹来てます!」
バックミラーに映ったもう一匹のアイデロートを発見した。後ろに向かって叫ぶと、「問題ない」という力強い言葉が返ってきた。
細い通路を駆け抜けると、少し開けた場所に出る。そこには今まで移動してきた洞窟とは全く違う光景が広がっていた。
周囲が目薬による暗いオレンジに染まる中、その泉だけが青白く、ほんのりと光っている。彩度の高い青の水面からは白い湯気がゆらゆらと揺れながら立ち上り、その湯気で視界がうっすらと白く煙って、光景をより幻想的に見せていた。
コポコポ、コポコポ、と微かな音を立てて、地下からお湯が湧き出ているのがわかる。あちらこちらから湧き出ているのか、水面はずっと複雑に揺れていた。
わたしがゆらゆらとしている水面を覗くと、見えるか見えないかというくらいにうっすらと卵の輪郭が見える。十個近くの卵が固まって置かれているようだ。
「あれがリーズファルケの卵だ」
エックハルト兄様が泉を指差して、そう言った。同じ物を見ていたわたしもコクリと頷く。
「他の者の魔力を混ぜるわけに行かないので、ローゼマインが取ってこなければならない。それは他の素材と同じだ。わかるな?」
「……はい。でも、この中に入るのですか? すごく熱そうなのですけれど」
温度計を持っていないので、何度とハッキリ調べることはできないけれど周囲の熱気だけで、普段入っているお風呂より熱いことくらいはすぐにわかる。
「このまま入れるわけがない」
エックハルト兄様は苦笑気味にそう言いながら、手甲を外し、代わりに魔力を切断するための革の手袋をぎゅっとはめる。そして、先程神官長から預かっていた革袋から、巾着のようになっている網をずるりと取り出した。
網の中にはたくさんの魔石が詰まっている。神官長が言っていた魔力が空っぽになっている魔石だろうか。麗乃時代に網の中に詰められて売られていたみかんを思い出した。
エックハルト兄様は巾着の紐部分を手首に引っかけ、革袋の中から拳よりも少し大きな魔石を一つ取り出すと、卵のある辺りを目がけて投げ込んだ。
そして、魔石の網を手首に引っかけたまま、鎧で泉に入っていく。
「エックハルト兄様?」
「魔石が熱を吸収しているから、そろそろ入れるだろう。来なさい、ローゼマイン」
わたしはエックハルト兄様に言われるまま、泉にそっと指先を入れてみた。ちょっと熱いお風呂くらいの温度になっている。魔石、すごい。
「温度が下がるのは魔石が魔力を吸収している間だけだ。魔力が満たされると、泉の温度はまた上がる」
わたしが服のまま温泉に入るのを躊躇っていると、エックハルト兄様がグイッと抱き上げて、温泉の中に入っていく。あっという間にわたしは足がつかない深さになり、エックハルト兄様の腕にしがみついた。
……わぁお、良いお湯~。
温度が程よい感じだけれど、はふぅ、と満足の息を吐くにはふわふわとお湯に揺れる服が邪魔だ。いっそ裸になって温泉に入りたいけれど、さすがにそんなことができる立場ではないし、魔石に魔力が満たされたら温度が上がるような温泉には悠長に浸かっていられないだろう。
足元に卵のある場所までくると、エックハルト兄様の肩辺りの深さになっていた。
「ローゼマイン、同時に座る形で潜るからすぐに卵を取るように」
「はい」
「大きく息を吸って……」
息を大きく吸った次の瞬間、エックハルト兄様がしゃがむ動きに合わせて、わたしの体はドブンと勢いよく沈められた。そのまま兄様の足元へと潜る。
お湯が白っぽくやや濁り、ゆらゆらとして視界が悪い温泉の中、わたしは一番近くにあった卵を手に取った。ダチョウの卵くらいの大きさがあるのではないだろうか。わたしにとっては両手でなければ持てない大きさの卵だ。妙なマーブルカラーで、食べるのは一瞬躊躇してしまう色をしている。
……採取完了。
振り返ってエックハルト兄様に頷くと、エックハルト兄様はわたしの脇をつかんでいた手に力を入れて、ぐわっと立ち上がる。
浮かびあがる途中、お湯の中で何かが近付いて来るのが見えた。わたしが浮かび上がるのについてきているようだ。
ぷはっと水面の上に顔を出すと、小さい猿がぷふっと水面に顔を出し、人懐こい感じで目をくりくりさせて、すいすいと泳ぎながら近寄ってくる。
……子猿?
可愛いかもしれない、とほんのちょっと思った次の瞬間、キラリと目を光らせてリーズファルケの卵を目がけ、ひゅっと前足を出してきた。
「ローゼマイン!」
エックハルト兄様がグイッと引き寄せてくれたおかげで、猿の前足は届かず、卵は無事だった。
「それはバートアッフェという魔獣だ。ローゼマイン、今回は絶対に卵を盗られるな!」
大して強くはないが、ここで攻撃して殺してしまうわけにはいかないと、エックハルト兄様は左腕にわたしを抱え、右手で温泉を掻き分けるようにして、即座に岸に向かって大股で歩き始める。
「バートアッフェは群れで行動する魔獣だ。一匹見つけたら、三十匹はいると思え!」
まるで麗乃時代のわたしの天敵の一つ、黒い悪魔のようではないか。エックハルト兄様の言葉にバートアッフェに対する嫌悪感がいや増した。同時に、せっかくわたしの魔力で染めたリュエルの実を盗られたことを思い出す。
……絶対に渡さない。これはわたしの温泉卵だもん。
わたしは卵をぎゅっと抱え直して、バートアッフェを睨みつけた。
卵を取り損なったバートアッフェは顔を醜く歪ませ、歯を剥き出しにしながら、わたしとエックハルト兄様を追いかけて泳いでくる。わたしを威嚇してくるその顔には先程の可愛げなど欠片もない。
「ふきーっ! うきーっ!」
少しでも強く見せるつもりなのか、先程違って、バシバシと水面を叩くように泳ぎながら、卵を狙ってくる。
「これはわたしのっ!」
バートアッフェは「うきーっ!」と威嚇しながら、またしても前足を伸ばしてくる。今度は卵ではなく、わたしに対して攻撃してきた。
わたしは卵を守るために胸に抱えると、怒りに任せて「むきーっ!」と力一杯魔力を叩きつけて威圧した。
まさか反撃されると思っていなかったのか、魔力を叩きつけられたことに驚いたのか、バートアッフェが目を大きく見開く。
……ふっふっふ、驚いたか? わたしもやる時はやるのだよ。
わたしが勝ち誇ってバートアッフェを見ていると、バートアッフェは口から泡を吹いて、ぷこっと温泉に浮かんだ。
……しまった。やりすぎた!?
あわあわと周囲を見回すと、わたし達が入ってきた入り口とは対岸にある穴からたくさんのバートアッフェがが歯を剥き出しにして、泉に飛び込んでくるのが見えた。
よくよく見てみると、温泉の中には複数の影があって、こちらへ向かって泳いできている。
「エックハルト兄様! バートアッフェがたくさん来ます!」
「エックハルト様、リーズファルケが!」
わたしとほぼ同時に、ダームエルがそう叫んで上を指差した。
はるか上の方にある穴から猛禽類のような形の、かなり大きな鳥が急降下してくる。体の大きさの割に太くて大きな足とぐるりと勾玉のように曲がった鋭い爪やくちばし、獲物を見つけた鋭い目をしているのがわかった。
神官長が捕えているアイデロートより、たくさん向かってくるバートアッフェより、今飛んでくるリーズファルケが一番強そうだ。
そんなリーズファルケが、卵を抱えたわたしを敵だと認識している。真っ直ぐにこちらに向かって飛び込んでくる勢いからもそれがわかって、思わず息を呑んだ。
「くっ!」
エックハルト兄様はぷこっと浮いているバートアッフェを空いている右手でむんずをひっつかむと、力一杯リーズファルケに向かって投げつける。
「がぼべっ!」
左腕で抱きかかえられていたわたしは反動で温泉に沈むことになったが、投げつけられたバートアッフェを回避したリーズファルケが、一度様子を見るように舞い上がったので、よしとしよう。ものすごく鼻の奥が痛いけど、許すよ。
一度舞い上がったリーズファルケは、岸に上がったわたし達と、卵の真上辺りの水面に浮かび上がってきて、「きーきー」とわめきながら、じたばたともがいて撤退を始めたバートアッフェを見比べるように旋回し、まさに今卵を狙っているバートアッフェに狙いを定めたように急降下し始めた。
「げほっ、ごほっ……」
岸に上がったエックハルト兄様は、鼻から温泉を垂らしながら咳き込むわたしを騎獣の中に放り込むと、魔石の入った網と革手袋も次々と投げ入れていく。
そして、ダームエルが抱えていた手甲を付け直しながら「走れ!」と怒鳴り、エックハルト兄様自身も走り出す。
いくら鼻の奥が痛くても悠長に鼻をかんでいる時間はないので、わたしは卵を自分の革袋に入れると、急いでハンドルをつかんだ。先頭を走るブリギッテの後ろを騎獣で追いかけていく。緊急事態なのでシートベルトも後回しだ。
細い通路を抜けて神官長のところへと戻ると、神官長はシュツェーリアの盾を一度に数個発動させて、アイデロートを五匹ほど捕えていた。同じ盾の中に閉じ込められたアイデロートはお互いを敵をと認識し、攻撃しあっている。
わたしがゴルツェを捕えていた時は逃げられないように必死だったのに、神官長は別々に五匹も取り押さえているのに余裕綽々だ。
わたし達が戻ってきたのに気付いた神官長が「首尾は?」と問うと、先頭を走っていたブリギッテが即座に答えた。
「無事完了いたしました」
「奥の泉にリーズファルケが帰還。卵を狙ったバートアッフェに向かっているのを確認して撤退しましたが、ローゼマインが卵を盗んだことを認識されています。いつこちらに向かってくるかわかりません」
後ろからかけてきたエックハルト兄様が更に現状の報告をする。奥の泉の現状を聞いた神官長が眉を寄せた。
「ならば、急いで撤退した方が良いな。私はギリギリまでアイデロートを抑える。できるだけ走って距離を取れ!」
「はっ!」
神官長の言葉に頷いたエックハルト兄様が今度は先頭になり、出口を目指す。アイデロートを捕えている神官長が殿だ。
来る時には小休止を数回取りながら歩いてきた道のりを、今度は休みなしに直走る。わたしは騎獣に乗っているだけだからまだ良いが、皆は大変だ。
もう追いかけてくることはないだろう、と神官長が判断して足を止めたのは、出入り口に程近いところだった。
わたしが鼻をかんで顔を拭いている間に、どうせ休憩するならば、いっそ洞窟から出て昼食を取ろうという結論になったらしい。
皆が荒い息を繰り返しながら、歩いて出口を目指す。
外に出たら、暑いけれど空気はカラッと乾いていて、硫黄臭がしなくて、とても新鮮な空気が広がっていた。
騎士の皆が騎獣を出して、野営した辺りへと戻る。
少し遅い昼食のために、皆がお湯を沸かしたり、携帯食料の準備をしたりしている間、わたしは一人だけぐってりとしていた。温泉から出て、碌に体を拭くことも着替えることもできないまま、逃亡を最優先にしていたので、あっという間に風邪を引いたようだ。
心配するブリギッテに洗浄の魔術で体も服も整えてもらったけれど、妙な悪寒は止まらない。首筋がぞわぞわして、全身に鳥肌が立つような感じがする。
「ほら、ローゼマイン。食べなさい。食べなければ薬が飲めぬ」
朝と同じ携帯食料を神官長に差し出された。正直食欲はそれほどないので、食べたくはなかったけれど、薬を飲まないと回復しない。
仕方なく一口食べると、何故か朝よりもおいしい気がした。どろどろのお粥っぽい感じなので、体調が悪い今はおいしく感じられるのだろうか。
「……この携帯食料、朝よりおいしいです。不思議」
「だから、朝は君が湯を入れすぎたと言っただろう? 我々の半分も食べないくせにお湯は同量入れていたではないか。味が薄くて当然だ」
「そういう意味だったのですか。同じだけ入れたはずなのに、神官長は何を言っているのかと思っていました。今回は適量をご存知の神官長が作ってくれたからおいしいんですね。ありがとうございます」
神官長はハァ、と呆れきったような深い溜息を吐き、自分の食事を食べ始めた。
「……ふ……ふぇ、ふぇくしゅん!」
「想定内だ。問題ない」
そう言って苦すぎる薬を取り出した神官長に無理やり飲まされた。「想定内でも問題はあるでしょう」と返す気力はもうない。疲れた。
誰の目から見ても明らかに熱が出ているとわかる状態になってしまったわたしは、皆が休憩できるように騎獣を大きくすると、運転席のシートを倒して横になった。「ローゼマイン様、これで少しは楽になりませんか?」と心配顔のブリギッテが氷室で冷やしていたタオルを額に乗せてくれる。
薬を飲んで無理やり体調を立て直すことが常だった神官長や風邪を引いたら「軟弱な」とボニファティウスおじい様に追い回されていたエックハルト兄様には思いつかないだろう優しさに涙が出そうだ。
「エックハルト、革袋はどこだ?」
「申し訳ございません、フェルディナンド様。ここにございます」
騎獣の中に放り出されていた魔石の網を片付け、投げ入れられたままの革手袋をエックハルト兄様に向かって「片付けろ」と投げつけていた神官長は、助手席に置かれているわたしの革ベルトに目を留めた。
ベルトから採集袋を外して、わたしに差し出す。
「薬が効くまでは動けぬ。どうせならば、リーズファルケの卵を抱えて寝ていなさい。君の魔力に満ちた騎獣の中ならば、染めるのにそれほど時間はかからないだろう」
病人相手にも効率を要求する神官長から、わたしは溜息交じりに採集袋を受け取ると、リーズファルケの卵を取りだして、抱える。
「あとは、秋のリュエルの実だけですね」
「あぁ、そうだ」
「今度こそ絶対に採ります」
去年の失敗を思い出して眉を寄せると、神官長も同じように眉を寄せていた。
「当然だ。二度も失敗するつもりはない。必ず採らせるから、今はおとなしく寝るように。君が回復しなければ、ここから動けないからな」
「はい」
リーズファルケの卵を抱えて、魔力を注ぎながら寝ていたら、熱が下がった時には卵は青い魔石になっていた。