Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (254)
ゲオルギーネ様の見送りとハッセ
神官長から「見送りは明日だそうだ」という伝言を受け取った直後、ブリギッテのところにもイルクナーからオルドナンツがやってきた。
ギーベ・イルクナーの声で同じ言葉が三度繰り返される。
「新しい紙ができたのですが、インクがどのように付くのかわからないそうです。城へ完成した紙を転移するので、近いうちに城へ行って受け取っていただけますか? インクの付着具合によって、量産するか否か考えたいと工房の者が言っています」
わたしは胸の前で指を組んで、ほぅ、と感嘆の溜息を吐いた。一月と少しで新しい紙の配分を発見するとは、思わなかった。ルッツもギルも頑張っているようだ。
「もう新しい紙ができたのですか? さすがわたくしのグーテンベルク。明日、城に向かう用件がございますので、早速受け取りに行きます」
次の日の朝、朝食を終えるとすぐに城に向かうことになっていたわたしは、神官長にイルクナーからのお届け物を受け取りに行きたい、とお願いする。着替えた後は見送りまで待機なので、たっぷりと時間はあるはずだ。
神官長は「勝手なことを」と溜息を吐いたけれど、神官長が時間潰しのお仕事セットを準備して、レッサーバスに積み込んだ事を指摘すると、転移陣がある文官の仕事部屋へと連れて行ってくれることになった。
城に着くと、待ち構えていたリヒャルダに着替えさせられ、髪を結い直しされ、ヴェールを付けられた。そして、見送りのための待合室へと連れて行かれる。
待合室には一度自宅に戻っていたはずの神官長がすでに着替えて戻ってきていて、お仕事セットを広げていた。
「予想通り、まだ見送りに出るまでには時間がかなりあるようだ。届け物を取りに行くとしよう」
「ありがとう存じます」
転移陣のある部屋は、徴税のための倉庫とはまた別で、領地の各地の貴族から木札や書類が届く場所になっているらしい。いくつもの箱が並んでいて、転移陣に送ってこられたものが文官に分類されていく様子は、麗乃時代の運送業や郵便局を彷彿とさせた。
「フェルディナンド様、どうされました?」
驚いたように文官の一人がこちらに向かってくる。
「イルクナーからローゼマイン宛ての荷物が届いていないか?」
「文箱が届いております。中身をご確認ください」
神官長は慣れた様子で文箱を受け取ると、結び付けられた荷札の宛名を確認し、文箱を開けた。そして、新しくできた紙と手紙と小さな金属の札を取り出していく。
「ローゼマイン、この札に名前を書きなさい。受け取ったという印になる」
わたしは指で示された金属の札に、神官長から渡された魔力で書けるペンで受け取りのサインをした。神官長はさっと一瞥した後、文箱に入れて、文官に返した。
「では、戻るぞ」
「はい。お世話になりました」
わたしは新しい紙と手紙を抱えて、一人用のレッサーバスに乗る。
ほんの少し触っただけだが、新しい紙は硬くてつるつるとした素材で、これにインクでうまく印刷ができれば、トランプを作るのに、とても向いていると思う。
……ハイディに連絡付けてもらわなきゃ。新素材、大喜びだろうな。
待合室に戻ると、わたしは早速手紙を読んだ。ルッツとギルからでオルドナンツで聞いた通り「新しい紙をハイディに届けてインクの研究をしてほしい」と書かれていた。灰色神官も含めて、元気に紙作りをしているようだ。
わたしは新しい紙を折ってみることにした。インクの付き方を調べるために、以前もこうして紙を折って、小さく切っていったのだ。
さて、この硬い紙は折れるだろうか。折れなかったり、変な線が付いたりするならば、印を付けてカッターで切らなくてはならない。
最初は山折りにしてみたけれど、硬いからといって割れたり、変なひびが入ったりすることもなく、普通に折れた。そこで、山折りと谷折りを繰り返し、蛇腹折りにしていく。
「あ、『ハリセン』みたいになった」
硬さが程良い感じだ。わたしは端を持って、自分の手のひらにパシンパシンと当ててみる。かなりイイ音が鳴りそうだ。
「ローゼマイン、それは何だ? 一体何に使うのだ?」
お仕事セットを広げて、エックハルト兄様に手伝わせていた神官長が、わたしがハリセンを振っているのを見て、軽く眉を上げた。
「んふふ~、こうして使うのです。とぉっ!」
訝しむ神官長に向けてハリセンを振り上げる。不意打ちだったにもかかわらず、神官長は左肘を上げて、ハリセンの攻撃を防ぎ、右手ですぐさまハリセンを取り上げた。そのままわたしの頭をスパーンと叩く。
「ひゃんっ!」
「ふむ、なるほど。こうして使うのか」
神官長はハリセンを持って、手のひらにパシパシと打ち付けながら、してやったりと言わんばかりにニヤリと笑う。黒い笑顔が絶好調だ。
「うぐぅ……。返してください」
ハリセンは「神殿に戻ったら返す」と言われて取り上げられ、「暇ならば手伝え」と言われ、わたしは見送りの時間まで計算仕事に精を出すことになった。
「ローゼマイン、其方、何をしているのだ?」
だらりと長い袖が汚れないように、リヒャルダに頼んで持って来てもらった紐でたすき掛けをして、お手伝いをしているとヴィルフリートも待合室へと入ってきた。
「フェルディナンド様のお手伝いですけれど? ヴィルフリート兄様もしますか?」
「いや、私は伯母上への挨拶の練習をしなければならぬ。残念だが、そちらの手伝いは無理だ」
「そうですか」
ヴィルフリートはオズヴァルトに指導されながら、貴族の別れの挨拶を練習させられている。「またいつか時の女神 ドレッファングーアの紡ぐ糸が重なる日まで、神々の御加護と共に健やかに過ごされされますように」という挨拶だ。簡単に言うならば、「またいつかお会いできれば良いですね」という感じで、次の約束を今すぐにしよう、という気分ではない時に使う社交辞令の挨拶である。
しばらくたって、見送りに出るように側仕えの一人が呼びに来て、わたし達は正面玄関の前へと向かう。騎獣を見られて騒がれると困るということで、わたしは神官長の指示によりエックハルト兄様に玄関近くまで運ばれた。
玄関に到着する頃には神官長の顔が仏頂面から爽やか笑顔になっていた。その笑顔のままゲオルギーネに挨拶をする。わたしも恙なく終えた。
皆の挨拶が一通り終わったところで、何を思ったのか、ヴィルフリートが突然駆けだした。
「今回はほとんどお話しできませんでしたから、今度は伯母上とゆっくりお話ししたいです」
「そう、ヴィルフリートはわたくしとお話がしたかったのですね? では、また……来年の今頃、こちらに参りますわ」
「楽しみにしています!」
皆で「またいつか会えたらいいね」という雰囲気を作っていたのに、完全にぶち壊しである。来年もゲオルギーネがエーレンフェストへやって来る、と確定してしまった。
養母様の藍色の瞳が驚きに見開かれ、ヴィルフリート兄様を見下ろしているのがわかった。ついで、神官長から冷気が漂ってきている気がする。顔は爽やか笑顔のままなのに、すごく怖い。
一人だけ無邪気に馬車を見送り、完全に馬車が去ってしまうと、神官長は爽やかな作り笑顔をあっという間に消し去って、眉間にくっきりと皺を刻み込んだ。冷たい怒りに金色の目を光らせた神官長がヴィルフリートを見下ろす。
「やってしまえ、ローゼマイン」
そんな言葉と共に神官長に差し出されたのは、先程没収されたハリセンだった。
……なんでここに持って来てるんだろう?
ものすごく不思議だったが、疑問を口にするのも怖い感じで、わたしはコクリと頷きながらハリセンを手に取る。ヴィルフリートの護衛騎士と側仕えに頭を抱えさせ、領主夫妻を驚かせ、神官長を怒らせたのだ。心置きなくつっこませてもらおう。
わたしはハリセンを大きく振りかぶり、ヴィルフリートの頭を目がけて振り下ろした。
「ヴィルフリート兄様のおバカ! 口にして良いことと悪いことがあります。少しは空気を読んでくださいませ!」
わたしの怒鳴り声と共に、スパーンと小気味よい音が響き、ヴィルフリートが目を丸くする。
「何をするのだ!?」
「それはこちらが言いたいことです。ゲオルギーネ様に来年の約束を取り付けるなんて、何を考えてあのような愚かな真似をしたのですか!?」
領主夫妻が頷いているのが視界の端に映った。
「なっ……伯母上と話がしたいと言っただけだぞ、私は!」
「それが悪いのです! 教えられた挨拶の言葉は何です? どういう時に使う挨拶です? その挨拶を選んだ領主夫妻がどのように考えていたと思うのです?」
ヴィルフリートが眉を寄せて、首を傾げる。先程の待合室で教えられていたはずだ。
「ローゼマイン、この先は中に入って話をした方が良いだろう。それから、興奮しすぎるな。倒れるぞ」
「……はい」
ハリセンを渡したのは誰ですか、とつっこみたいのを呑み込んで、わたしは屋内に入る。
領主が本館で一番近くにある小会議室に入ったことで、そのまま会議室で話が続けられることになった。
「……私は伯母上とお話したいと思ったのですが、父上や母上はお話したくないということですか?」
皆に静かな視線を向けられたヴィルフリートは困ったように眉を下げる。
ヴィルフリートの言い分に、領主夫妻はもちろん、ヴィルフリートの側仕えも大きく息を吐いた。
「そうだ。余所の領主や第一夫人ともなれば、姉弟といえども、城にはあまり入れない。どこでどのような情報を握られ、何をどのように利用されるか、身内だからこそわかりにくいからな」
「今日のご挨拶は教えられたはずです。それ以外の勝手な行動を目上の方の前でしてはなりません。隙を作ってはならないのです。……ヴィルフリートはもう少し勉強しなければ、貴族院に出せませんね」
貴族院ではエーレンフェストより大きい領地や強い領地、そして、中央を支配する王族の子供もやってくる。エーレンフェストでは両親以外に頭を下げる必要がないヴィルフリートが礼を尽くし、跪かなければならない相手がいる、と養母様は言う。
けれど、ヴィルフリートには自分より目上の相手という存在がどうにもピンと来ないようだ。
「ヴィルフリート兄様はゲオルギーネ様を伯母上と呼んで、礼を尽くそうとするのですから、まずは、フェルディナンド様を叔父上と呼んで、礼を尽くし、跪くことを覚えたらいかがです? ヴィルフリート兄様はフェルディナンド様のことを呼び捨てますし、目上に対する態度ではないと前々から思っていたのです」
わたしの言葉に、ヴィルフリートは信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
「フェルディナンドは目上ではない。おばあ様は私にそうおっしゃった!」
「貴方のおばあ様はもういらっしゃいません。犯罪者として幽閉され、表に出てくることはないのです。周囲が変化して一年半がたっているのに、ご存じなかったのですか?」
「ローゼマイン様、それはもう少し成長してから教えることに……」
オズヴァルトが慌てたようにわたしとヴィルフリートの間に割って入った。言ってしまったか、と養父様がきつく目を閉じたのが見える。
「オズヴァルト、ヴィルフリート兄様に現実を見せなければならないのは、去年の秋に痛感したのではございませんの?」
軽く目を見張ったオズヴァルトから、わたしは養父様と養母様に視線を移した。
貴族との付き合い方は、わたしが神官長に叩き込まれている最中なのに、跡取りがこの様でどうするつもりなのだろうか。
「前回はお披露を目前にして、必要なことを大急ぎで叩き込みましたけれど、毎回同じやり方が通用するとは限りません。貴族院に入る直前にまた教育が足りず、同じことを繰り返すような愚かな真似はなさいませんよね?」
「今まではフェルディナンドが異母弟とはいえ、神官だったから明らかに地位は低かったが、すでに還俗しているからな。ヴィルフリート、ローゼマインの言う通り、これからはフェルディナンドに礼を尽くせ」
「父上!?」
その後、ヴィルフリートの教育について、再度話し合いの場が持たれることになったが、細かい話し合いは側仕えや領主夫妻に任せて、わたしは神官長と一緒に神殿へと戻ることにした。教育計画にまで関わっている時間はない。わたしはやることがたくさんあるのだ。
……プランタン商会に連絡を取って、新しい紙をハイディに渡してもらわなきゃ。それに……
神殿の自室へと向かいながら、わたしはゲオルギーネが来ていたことで、できなかった用件を思い浮かべ、ハッとして神官長を見上げた。
「神官長、ゲオルギーネ様も帰られたことですし、わたくし、もうハッセに向かっても良いですか?」
ハッセからお願いがあるということで、少し前から面会依頼の手紙が届いていたのだが、わたしがうろうろできないので、保留にしてあったのだ。
面会の内容としては、ハッセの冬支度で孤児を買い取ってほしい、というお願いだ。祈念式が行われず、去年よりも収穫量が落ちているので、本格的な冬支度が始まる前に現金を準備したいのだと思う。
「私も同行しなければならないからな。日時は明後日の午後で指定しておきなさい」
「わかりました。それから、冬の間、ハッセに灰色神官を派遣してもよろしいですか?」
「一体何のためだ?」
「実は……」
送ってきた面会依頼の手紙が結構ひどい文面で、他の貴族が相手ならば「無礼」と叱られても仕方がないものだった。
字が汚いとか、貴族らしい言葉が使えていないとか、そういうのではない。「神々の御使いに果実の甘露と季節で最も美しい花を供え、布を準備し、香を焚いて信仰の心を示します」という飾られた綺麗な言葉が使われているのだが、その意味は「酒と女と金品を準備しておきますから、こちらのお願いを聞いてください」というものなのだ。
前神殿長の在位が長すぎたことで、手紙の結びとして使う貴族向けの決まり文句と思われている可能性が高い。わたしに向けた手紙に使うくらいだ。ハッセの人達には意味がわかっていないと思われる。
「さすがに、教えてあげた方が良いと思うのです。本当の意味を知っている町民がいないのではないでしょうか?」
「……なるほど。これほど堂々と賄賂を贈るので、要求を聞き入れて欲しいとあれば、初めて受け取った者は目を剥くな」
神官長も頭が痛い事態のようで、大きな溜息を吐いた。
「ですから、ハッセの冬の館へ灰色神官を二人か三人派遣しようと思うのです。表面的な理由としては冬の館の監視という名目にすれば、何とかなりませんか? そうですね、反抗心がないか、本当に反省しているか、確認するという感じで。……そして、その冬の間に新町長を含めて、手紙の代筆をするような立場の人に書類の書き方や貴族特有の言い回しを教えるのです」
「今年の冬ならば、誤魔化せるであろう。そのような手紙を何度も受け取りたくはないからな」
神官長の呆れたような溜息と共にお許しが出た。わたしはグッと拳を握る。早速、ハッセに日時指定の返事を書かなければ。
わたしはハッセに日時を指定する手紙を書き、同時に、ハッセの小神殿にも新しく孤児が入るので、部屋の準備を整えておくように手紙を書いた。
そして、プランタン商会にはハッセに行った次の日に新しい紙を取りに来てもらえるようにフリッツを通して連絡する。プランタン商会からはすぐに了解の返事が来た。
モニカにはヴィルマに連絡してもらい、余っている生活必需品を5組ほど準備してもらう。ハッセの小神殿にも多少の余裕はあるだろうが、足りなかった時に困るのだ。
指定していた日の午後、昼食を終えたわたしと神官長はハッセへと向かう。同行するのは、わたしの護衛騎士二人と側仕えのフランとモニカ、神官長の護衛騎士としてエックハルト兄様、そして、文官代表ユストクスである。
「姫様の騎獣に乗れるのを楽しみにしておりました」
「残念ですけれど、ユストクスは乗せられません」
「何故ですか!?」
まさか断られると思っていなかったとでもいうようなショックを受けた顔にこちらが驚く。
「ユストクスはずっと話かけるので、とても気が散るのです。騎獣を動かすのに、すごく邪魔なのですよ」
「姫様。お言葉がきついと思われますが……」
「柔らかく言ってもユストクスはわかってくださらないでしょう? わたくしも学習したのです」
ユストクスが傷ついたような顔をしたけれど、仕方がない。ビシッと言わなければ、強引に物事を進めようとするのは誰なのか。
「ローゼマインに断られた以上、諦めて自分の騎獣で行け、ユストクス」
「あぁ、私の楽しみが……」
神官長の言葉にもまだ未練がましく、ユストクスはレッサーバスを見る。神官長は軽く息を吐いて、自分の騎獣を出した。
「騎獣を出すか、貴族街へ戻るか、好きな方を選べ。さぁ、ローゼマイン。準備が整ったら出発するぞ」
「はい!」
レッサーバスを運転して、ハッセに到着する。連絡していたので、リヒトを初め、周囲の農村の村長が玄関前に集まり、跪いて待っていた。収穫が始まる季節にご苦労様である。
長い挨拶を終えて中に入ると、応接室の中には仄かに香が焚かれていて、花が飾られ、きちんと搾りたての果汁が準備されていた。やはり、あの手紙の結び文句を理解していなかったようだ。
「お越しいただけて嬉しく存じます、神殿長」
「お久しぶりですね、リヒト。今年の収穫はいかがでしょう?」
「……やはり、少し厳しいです」
肩を落とすリヒトに村長達も項垂れる。丹精を籠めて畑の世話をしても、祝福がない土地ではどうしても作物が育ちにくいのだ。
わたしは軽く頷くと、先に自分の用件を述べる。
「リヒト、今年の冬、ハッセに灰色神官を二人、滞在させることになりました。領主への反抗心がないか、春に祈念式を行うに相応しく本当に反省しているのか、確認するためです」
弾かれたようにリヒトが顔を上げた。まだ信用されていないのか、という感情が顔に出ている。町で一丸となって努力しているのだから、その感情はわかるけれど、貴族相手に感情を出さないようにする練習も必要かもしれない。
「確認も確かに必要なのですけれど、わたくしの真の目的は別にあります」
「真の目的、ですか?」
目を瞬くリヒトにわたしはなるべく重々しく見えるように頷いた。
「えぇ。冬の館に滞在する間、貴方達に正しい貴族への対応や書類の書き方を教えるのが目的です。……前神殿長の在位が長かったため、ずいぶんと対応方法に誤りがあるようですから」
「……そうなのですか? 一体どのような?」
自分達が間違えていることには気付いていなかったようで、戸惑ったようにリヒトの瞳が揺れる。前町長が「天に続く階段を上っていった」という言葉が死亡を表すことを知らずに尊大な態度を取り続けたことを思い出したのかもしれない。
「わたくしが毎回頂くお手紙に、神々の御使いに果実の甘露と季節で最も美しい花を供え、布を準備し、香を焚いて信仰の心を示します、という一文があるのですけれど、意味を理解していないでしょう?」
「意味、ですか?」
首を傾げるリヒトに、神官長がゆっくりと頷き、部屋に飾られている花へと視線を移す。リヒトもつられたように花へと視線を向けた。
「その言葉は、神官が訪れる時にはお酒と女と金品を準備しておくので、頼み事を聞き入れてください、という意味だ。理解していれば、今の神殿長には使わぬだろう? 実際、ここには準備されていない」
「なっ!? そ、そのような意味だとは思わず……」
意味を知って血の気が引いたらしいリヒトが、真っ青になって弁解しようとする。それはそうだろう。何十年と手紙の結びに使ってきた言葉がそんな意味だったとはおもわなかっただろう。
またしても、無礼なことをしてしまったのか、と村長達も目を見開き、顔色を変えた。やっと罰が終わろうとしている時に、新しい罪が重なるのか、と顔に出ているのがわかる。
そんな反応を見て、神官長が緩く手を振った。
「町長が代替わりするうちに本来の意味が伝わっていなくても不思議ではないし、この部屋の様子を見れば、意味がわかっていないことは明らかだ。神殿長も私も特に罰するつもりはない。だが、初めて受け取った貴族が良い感情を持たないのはわかるか?」
「わかります。大変申し訳ございません」
リヒトはザッと跪き、首を垂れた。
「ですから、ハッセに灰色神官を派遣するのです。貴族特有の言い回しを知らなければ、これから先もまた同じような事態に陥ります。わたくしはハッセにこれ以上不幸な行き違いが起こってほしくないのです」
「神殿長のお心配りに深く感謝し、灰色神官から教えを乞いたいと存じます」
リヒトと村長達が感動の目でわたしを見てくる。慈悲深い聖女様扱いされているようだが、わたしは別に聖女ではない。なので、皆が感動している今のうちに、灰色神官達の待遇についてきちんと約束させておきたいと思う。
「派遣される灰色神官はわたくしの代理です。灰色神官を孤児と蔑み、嘲るようなことがあった場合、灰色神官は即座に小神殿まで戻ります。確認も教育もハッセのためだという周知の徹底をお願いいたしますね」
「かしこまりました」
これだけ脅しておけば、派遣する灰色神官が表立って嫌な思いをすることはないだろう。
「そして、冬に何の問題もなければ、春の祈念式を行うことができると思います。あと少し、気を抜かないでくださいませ」
「恐れ入ります」
リヒトが肩の力を抜き、冬の館に集まっている他の農村の村長達も少しばかり緊張を解いた。
「では、リヒト達の用件を伺いましょう」
「……手紙で依頼した通り、孤児を数人、買い取っていただきたいのです。正直な話、冬を越すのが厳しい状態ですが、領主様の罰を受けているため、他では買い取ってもらえないのです」
領主の罰が続行中のハッセに近付く者は少ないだろう。孤児を売ろうにも買い叩かれることは容易に想像できる。
買い取られる孤児は可哀想だけれど、自分のした事の後始末の一環として、買い取ることは構わない。
「買い取ることは構いません。けれど、神殿の孤児院に入ってしまうと、それから先は神官や巫女として扱うことになります。おそらく、二度とハッセの町民には戻れません。ですから、幼い子供の方が良いでしょうね」
一度神殿に入ると、出るのは難しい。特に、ハッセの子供ならば、今のまま、町長の館の孤児院で成人すれば土地がもらえる。けれど、神殿に入れば、ずっと神官や巫女として貴族の思うままに動かされることになるのだ。
「幼い子供でよろしいのですか?」
ある程度成長していなければ、労働力として使えない。孤児を売るのに、幼い者はあまり選ばれない。どう考えても高値はつかないからだ。
「もうじき成人で、土地をもらって独立できる者の将来を潰すわけにはまいりませんし、幼い方が神殿のやり方に馴染みやすいのです。何を教えても吸収が早いですから。去年買い取ったノーラは、成人が近かったためか、神殿の生活に馴染むのにとても苦労しているようですわ」
「そうですか」
10歳以下の孤児達が連れて来られた。以前と違って、襤褸を着ているけれど、体罰等はないようで、傷だらけの子供はいない。そして、わたしが見ることがわかっていたためだろう。皆、きちんと清められていた。
あまりひどい扱いをされていないことに安堵の息を吐き、わたしはリヒトを見る。
「何人引き取れば良いですか?」
「できれば、四人ほど、お願いできますか?」
「わかりました」
リヒトと洗礼前後の子供を四人買い取ることで合意し、文官であるユストクスが書類を作り、わたしの代理で決済した。
「では、参りましょう。ノーラ達がいるので、全く知らない顔ばかりということではありませんよ」
わたしはレッサーバスに乗せてハッセの小神殿に、新しい孤児達を連れて行く。連絡してあったので、色々と準備はされているようだ。
「皆、新しい仲間です。しばらくここで過ごして、神殿の生活に慣れてもらいます。この子達は収穫祭が終わったら、エーレンフェストの孤児院に移動させます。ノーラ達は自分達が慣れなかった時代を思い出して、助言してあげてくださいね」
「かしこまりました」
ハッセの孤児院に新しい孤児が増えました。