Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (258)
ハッセと灰色神官
ハッセまでの空の旅は短く、すぐに到着する。わたしは先に小神殿へと降り立ち、フラン以外の側仕えや専属を降ろした。
「では、こちらでお部屋やお食事の準備をお願いいたしますね」
「かしこまりました」
そして、荷物を運び終えると、すぐにハッセの冬の館へと向かう。冬の館の上空で、わたしは眉を寄せた。
……あれ? 誰もいない?
去年の収穫祭では、運動場のような広場に祭りの準備がされ、大騒ぎしている人々が大勢ひしめき合って待っていた。けれど、今年は祭りの準備がされている形跡はなく、人の気配はない。
……日付、間違えたかな?
事前に「この日に行きますよ」という書簡を出しているのだが、日付を書き間違えたか、それとも、読み間違えたか。
首を傾げるわたしの前を駆けていたブリギッテが、すっと下を指差し、騎獣を降下させていった。冬の館の正面玄関に当たる場所に数人の人影が見える。目を凝らすと、リヒトや各農村の町長が跪いて待っていた。
「神殿長、ようこそおいでくださいました」
わたしが皆を降ろすと、フランとアヒムとエゴンはそれぞれ荷物の詰まった木箱を降ろし、積み上げていく。二人の生活必需品と教育用の木札箱と娯楽用品で意外と荷物が多い。
わたしは騎獣を片付け、リヒトに問いかけた。
「リヒト、収穫祭はいたしませんの?」
「……さすがにハッセは領主様より睨まれている状態ですから、大規模に行うのは自粛いたしました。徴税と儀式のみ行っていただければ、と」
リヒトの説明によると、近隣の者や通り過ぎていく商人の視線もあり、普段通りのお祭りがどうにもしにくい状態だったそうだ。
それでも、洗礼式や成人式、結婚式を行わないわけにはいかないので、冬の館にある広間でひっそりと行うことにしたらしい。
「……そうですか」
一年間祝福もなく耐えてきて、年に一度の楽しみであるお祭りもなく、神殿長代理である灰色神官の監視下に置かれる住民の感情を考えて、わたしは少し眉を寄せる。
……そんなに不満が溜まった状態の冬の館に二人を入れて大丈夫かな?
何となく視線をアヒムとエゴンの二人に向けると、フランが一歩前に進み出て、リヒト達に二人を紹介し始めた。
「こちらが冬の間、こちらに滞在することになる神殿長代理の灰色神官です」
「アヒムと申します」
「エゴンと申します」
アヒムとエゴンが手を胸の前で交差させ、軽く腰を落とす。
二人を見たリヒト達の顔に緊張が走った。灰色神官とはいえ、わたしの代理で教師役である。ハッセの先を左右するとわかっている相手がどのような人物なのか、と警戒しているのだろう。
「リヒト、二人を部屋に案内してくださる? この通り、荷物を置かねばなりませんし、二人がどのようなところに滞在するのか、わたくしも見ておきたいのです」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
わたしは冬の館に入り、アヒムとエゴンが使用する部屋へと歩き始めた。木箱を持った側仕えと護衛騎士とユストクスが後ろをついて来る。
リヒトの指示を受けた村長の一人が、先触れのように駆け出して行った。それと同時に、がやがやとした騒がしさやはしゃぐ子供の声が静まっていく。
……あちらこちらから視線を感じるんだけど。
ギシギシと音を立てる階段を上がり、居住区へと入っていくと、ドアの影や曲がり角からこちらの様子を伺っている子供達の顔が見えた。目が合ったので笑ってみたが、驚いたような顔をされたり、ぴゃっと隠れられたりする。ものすごく怖いものとして認識されているようだ。
……貴族は怖いものとして認識した方が良いから、間違ってはいないんだろうけど、度胸試し的な男の子の近付き方を見ると不安で仕方ないよ。
時折ドアが開けられていたり、隙間があったりして、中が見える部屋がある。その感じから考えると、雰囲気は下町のわたしの家に似ていると思う。それも、昔の。
基本的に家族単位で一部屋を使用しているようで、部屋の大きさも様々だった。教室くらいの大きさの部屋で藁を布団に十数人が生活している部屋もあれば、広くはないけれどベッドがある部屋もあった。
「こちらがお二人の部屋になります。私の執務室から一番近い部屋を準備しました。……住民との接触を減らそうと思えば減らせるように」
リヒトが案内してくれたのは、二人部屋だった。ベッドが二つ準備されていることから考えても、比較的上等な部屋を準備してくれていると思う。
フランとアヒムとエゴンは木箱を降ろすと、三人揃って軽く眉を寄せた。
「恐れ入りますが、部屋を整えたいので、掃除道具と井戸の場所を教えていただけますか?」
毎日清められている神殿や孤児院しか知らない者には耐えられないだろう。わたしも下町のあの部屋で、元気になって最初にしたのは、掃除だった。
村長の一人が目を白黒させながら、掃除道具の在処を女性に聞きに行くのを見て、わたしは軽く肩を竦める。
「アヒム、エゴン。この部屋の中を自分達が少しでも過ごしやすいようにするのは構いません。けれど、自分達の部屋の外に関しては、神殿のやり方を強要しないようにね。ここは神殿ではないのですから」
「かしこまりました」
村長の一人が持ってきた掃除道具を見て、三人が揃って眉を寄せた。掃除道具も生活必需品として支給した方が良いかもしれない。
「アヒム、エゴン。明日には小神殿から掃除道具一式を運ばせましょう。他に必要な物があれば、フランに伝えておいてちょうだい」
「お心遣い、感謝いたします」
今夜一晩は我慢して、明日は二人で朝から大掃除することが決定したようだ。灰色神官三人で、掃除道具の他には身を清めるための盥も必要かもしれない、洗濯に必要な道具はあるのだろうか、と真剣な顔で話し合っているのが少し面白い。
「リヒト、儀式の準備できていて?」
「はい、ローゼマイン様。広間の方にお越しください」
冬の館の広間は、城の大広間と違って天井は高くないし、宴会が良く行われる場所なのか、何かの汁や油の染みが壁や床に模様を描いていた。ちょっと変な匂いがして、全体的に汚れているけれど、我慢できなくはない。
……多分、これでも必死で掃除したんだろうな。
祭りは外で行われるのが通常なので、神官や徴税官が冬の館の屋内に入るなんて想定外だったに違いない。
広間にも舞台が設置されていて、壇上に上がれるようになっている。去年の収穫祭と同じように、わたしと徴税官のユストクス、護衛騎士の二人、儀式の補佐も行うフランが壇上に上がった。
屋内で行われたとはいえ、儀式自体には大きな違いはない。洗礼式を迎える子供を壇上に上げ、神々のお話を絵本で行い、祝福を行う。成人式と結婚式も同様である。
ただ、節目を迎えたはずの皆の顔色は悪く、広間の雰囲気がずっしりと重い。
「ハッセの皆さん、この一年、祝福がない中でよく働いてくれたと思います。領主は本当に反意がないか、冬の館で皆をよく見るように、と仰せになり、灰色神官を二人、こちらに派遣することにしました。アヒムとエゴンの二人です。彼らはわたくしの代理の監視役であり、同時に、貴方達の教師でもあります」
全ての儀式を終えたわたしは、冬の館に派遣したアヒムとエゴンを舞台に上げて紹介する。「教師」という言葉に、広間がざわりとしたのがわかった。
「先日、ハッセとの書類でのやり取りに大変な不備がございました。他の貴族宛てならば、怒りを買ってもおかしくない言葉があったのです。前町長の失敗も貴族との付き合い方を知らないことが原因でしたが、ハッセはまた悪気なく同じ過ちを犯そうとしていたのです」
また貴族の怒りを買うのか、という驚きと、町長は何をしているんだ、という怒りに満ちた声が上がる。
「これから先、ハッセの者が同じ失敗を繰り返さないように、わたくしは貴族とのやり取りをよく知る灰色神官を派遣し、町長達の教育を行うことにしました。町長達が真面目に学んでくだされば、これから先の失敗はないでしょう」
罰もなく、教育の機会が与えられたということで、住民達の怒りは引いていく。安心したところでぐっさりと大きく釘を刺しておかねばならない。
「灰色神官は確かに孤児ですが、神殿長であるわたくしの代理です。あまりに不快なことがあれば、小神殿へ向かうように言っています。罰がもうすぐ終わろうとしている時期に、ハッセの民がそのような愚かなことはしないと信じていますが、気を付けてくださいませ」
広間に集う人々の顔に「本当にこの罰は終わるのか」「いつまで続くのか」というような暗い表情と感情が満ちているのが舞台の上から見ただけでもよくわかった。
……一年間、祝福もないままにずっと頑張ってきたんだもん。少しは楽しみもあった方が良いんじゃないかな。
わたしは唇を尖らせるようにして考えながら、舞台の中央から、舞台の端で待機しているエックハルト兄様達のところへと戻る。
「エックハルト」
「何でしょう、ローゼマイン様」
「ボルフェの許可を出しても良いかしら? 自粛しすぎては精神的に良くないと思うのです」
わたしの提案に「勝手なことをすれば、フェルディナンド様に叱られるぞ」とエックハルト兄様は苦い顔をしたけれど、ユストクスは「息抜きは大事ですし、姫様の許しがあったと伝わることで、住民の感情も大きく変わります。私は良いと思いますよ」と面白がるように笑った。普通の貴族は平民の感情など気にしない、と言いながら。
ユストクスの意見を採用したわたしは、アヒムとエゴンを連れてリヒトのところへと向かった。
そして、「リヒトに付いていなさい」とアヒムとエゴンをリヒトの背後に立たせた後、声を潜めてリヒトに問いかける。
「リヒト、祭りの自粛は結構ですけれど、ある程度発散させておかなければ、閉じこもることになる冬の生活が大変になるのではございませんか?」
「……そうかもしれません」
「わたくしは会議室でリヒトからお話を伺います。外でハッセの者が騒いでも、きっと気付きませんわね。目に触れなければ、咎めようもありませんよ?」
どのような意味で取れば良いのか、困っているリヒトを見て、わたしはアヒムに視線を向けた。
「アヒム、早速お仕事ですよ。リヒト町長にわたくしの言葉の意味を教えて差し上げて」
アヒムは不思議そうに目を瞬いた後、「これが通じないのですか」と呟いた。エゴンも驚いたように目を軽く見張っている。
「ハッセの方々はすでに色々と間違えているので、解釈に自信がないだけでしょう。全くわかっていないわけではないのです」
「そうなのですか。リヒト町長、ローゼマイン様は会議室でお話をする間、外で騒ぐ分は目溢しするとおっしゃられています」
「ボルフェの許可を頂きました」
アヒムとエゴンの言葉に、リヒトが顔を綻ばせる。
「恐れ入ります。血の気が多い若者がたくさんいるので、喜ぶでしょう」
村長の一人にボルフェ大会の仕切りを任せ、リヒトはわたし達を会議室へと案内するために広間を後にする。わたし達が広間を出た直後、大きな声が背後から響いてきた。
「神殿長のお許しが出たぞ! ボルフェの準備だ!」
「おおおぉぉぉ!」
抑圧されていた不満と感情が一気に爆発したような荒々しい雄叫びだ。
ビクッとしたように、アヒムとエゴンが肩を震わせて振り返り、広間の方を見る。建物が揺れそうになるほどの雄叫びなど神殿で聞くことはないので、心底驚いたのだろう。
二人のこれからの生活が少しでも平穏になるように、ハッセの住民には外で存分に運動して、不満を発散してきてほしいものである。
会議室では、今年の収穫量と税、わたしに対する寄贈分についての話が行われた。
周辺に比べて収穫量が少なかったものの、祝福がない割にはかなり頑張った収穫量だったようだ。
去年と同じように、明日の朝、ユストクスがエーレンフェストの城に送ることになり、わたしへの寄贈分の一部は神官二人の冬支度分とすること、残りはハッセの小神殿の冬支度の材料として、城ではなく小神殿へと運ぶことに決まった。
外でのボルフェ大会が終わったようだ。わいわいがやがやとした声と空気が伝わってくる。声が明るく、少し楽しそうに弾んでいるように聞こえるので、ボルフェを許可した甲斐はあったようだ。
この後は広間で夕食だそうだ。イルクナーでの灰色神官の固まり方を見ているので、わたしは共に食事を取ることにした。こちらでの生活の仕方を教えてあげなければならないだろう。
二つの木箱の上に板を渡した低いテーブルの上に料理が並ぶと、藁をバサッと置いた上に腰を下ろし、皆が好き勝手に食事を始める。料理の側に肉を切るためのナイフは置かれているが、それ以外のカトラリーは木のしゃもじのようなスプーンだけで、スープのような汁物を食べる時以外は手づかみで食べているのがほとんどだ。
予想通り、アヒムとエゴンは見知らぬ世界に衝撃を受けて固まっている。エックハルト兄様とユストクスの給仕をしていたのだが、驚きに見開かれ、手が止まっていた。
それは、エックハルト兄様達も同じだ。今までは広場の舞台の上と舞台から遠く離れた場所、しかも、日が落ち始めて暗くなる時間に食事が出てきていたので、あまり間近に見たことはなかったようだ。ハッセの孤児達の食事風景を初めて見た神官長のように眉を寄せている。
「不快に思うのでしたら、視界に入れないようにした方が良いですよ。彼等にはこれが普通なのですから」
わたしの給仕をしているフランが軽く肩を竦めた。
「視界に入れないことはできますが、音は防げませんね」
「ローゼマイン様、我々はこれからどこで食事をすればよいのでしょうか?」
不安そうな顔でアヒムとエゴンが尋ねてきた。わたし達は貴族席としてテーブルと椅子が準備されているけれど、灰色神官にはない。
「こちらの習慣にいきなり慣れるのは難しいでしょうから、無理だと思ったら、部屋で食事を取るといいですよ。テーブルと椅子を準備してもらえるようにリヒトに頼んでおきます。今日は神殿と同じように、わたくし達の後で、このテーブルを使って食べなさい」
「恐れ入ります、ローゼマイン様」
ホッとしたようにアヒムとエゴンが胸を撫で下ろした。
グリム計画のためとはいえ、灰色神官を冬の館に派遣するのは難しいかもしれない。灰色神官の生活環境を整えるのがなかなか大変だ。
「リヒト、二人は書き物をするので、テーブルと椅子が必要です。部屋にテーブルを入れるか、テーブルがある部屋を二人の執務室としてください」
「かしこまりました」
「それから、リヒトが貴族のやり方を知らないように、神殿という閉ざされた場所で育った灰色神官は外のやり方を知りません。食事の仕方一つ、掃除の仕方一つ取っても全く違います。なるべく、目を配ってください」
アヒムとエゴンに回せるように、かなり控えめに食べたわたしの食事が終わる頃には、ハッセの人々も酒が入って、口が滑るようになってきていた。気が大きくなっているのか、わたし達が舞台の上にいるから視界に入っていないのか、ちょっとした不満が出始める。
「この間、神殿に売られた孤児を見かけたが、俺達より神殿へ行った孤児の方が良い物を食べているようだったぞ。ずいぶんと顔色が良くなって、肥えていた」
「はぁ、羨ましいもんだね。お腹いっぱい食べられるならアタシも孤児院に行きたいよ」
そんな言葉を聞いて、フランがむっとしたように眉を震わせる。逆に、わたしは期待に目を輝かせて、手を胸の前で組んだ。
ハッセに四人移動させたけれど、まだまだ労力は欲しい。作った本が貴族向けによく売れたので、今は懐も温かい。孤児扱いされれば、完全に差別される対象となるので、孤児院に入りたがる奇特な人はいない。もし、進んで孤児院に入りたい人がいるならば嬉しい。
わたしは張り切って勧誘しようと、舞台の上から声をかけた。
「ぜひいらしてくださいませ。歓迎いたしますよ。実は印刷機が増えたので、労力を増やしたいと思っていたところなのです」
「え?」
まさか神殿長からの返事が返ってくると思っていなかったのか、その場で話していた人達は一瞬で酔いが冷めたような顔になり、だんだんと顔色が悪くなっていく。
それに構わず、わたしは孤児院の良いところを一生懸命にアピールすることにした。
「孤児院に入ると、三食が与えられますし、寝床と服も支給されます。教育は徹底して行われるので、言葉遣いも立ち居振る舞いもずいぶん洗練されると思います。洗礼式を終えた年頃の子供ならば、数年で貴族に仕えられるようになりますね。孤児院育ちで洗礼式を迎える子供達の識字率はなんと十割。誰でも字が書けて、簡単な計算くらいはできるのです。文字や計算を憶えるために、絵本やカルタ、トランプも完備しております」
これだけを聞くと、とても良い環境のように思えるが、欠点もある。それを隠して勧誘するつもりはない。わたしは誠実に事実を教えて、その上で、孤児院に来てほしいのだ。
「もちろん、欠点もございますよ。孤児院に入ると、世間からは孤児と蔑まれます。それに、神官や巫女として、常に貴族の動向を気にかけ、貴族の指示の下で生活することになります。農村の生活とは全く違うようで、こちらから最初に入った孤児達はずいぶんと常識の違いに苦労したようです」
「え、と」
「あの、神殿長……?」
戸惑っている彼らに、わたしは伝えることを忘れていないか考える。
「あとは、そうですね。神殿の孤児院では成人しても畑をもらえることもなく、結婚も許されず、土の日も休みはなく、毎日が貴族である青色神官のためにあります。突然、見知らぬ貴族に売られることも珍しくはありませんし、それに関して孤児達に拒否権はございません」
「……な」
「え?」
戸惑いから恐怖へと顔色が変わっていく。
「今はわたくしが孤児院長を兼ねているので、食べ物もある程度お腹が満たせるように準備されていますが、わたくしが孤児院長に就く前はひどい状態でした。わたくしが神殿長でなくなれば、その先の生活はどうなるかわかりません。孤児院はそのようなところですから、希望者がほとんどいないのです。希望してくださるならば、わたくしは心から歓迎いたします!」
さぁ、カモン! と手を広げて、大歓迎を表現してみた。
それなのに、嘘など全く述べていない誠実この上ないわたしのお誘いは、その場の皆に全力でお断りされた。
「い、いや、俺はハッセで土地をもらっているから。な?」
「おぅ、俺は来年結婚することになったからな。アイツを泣かせるわけにはいかねぇんだ」
「あ、あぁ、何だかんだ言っても住み慣れた土地が一番だよ」
住み慣れたハッセを離れるつもりはないという気持ちはわかる。わたしも下町を離れるつもりなんてなかった。どんなに不便で貧しくても、離れられないことはある。
「故郷を離れたくない気持ちはわたくしにも理解できます。孤児院にいらしていただけないのは少し残念ですけれど、仕方ありませんね」
わたしが残念だと引き下がると、その場にいた皆は明らかにホッとした顔になる。そして、ぎくしゃくとした雰囲気ながら、飲み直すように杯を手に取った。
舞台から見下ろす宴会風景は嫌でも下町の集まりを思い出させ、わたしはぎゅっと服の袖をつかむ。
……なんか今、すごく父さんに会いたくなった。
「リヒト、わたくしはそろそろ小神殿へ下がります」
わたしの言葉を聞いたエックハルト兄様が、主に対するように跪いた。
「ブリギッテがいるので、護衛は大丈夫でしょう。明日の朝、寄贈分の移動のため、こちらにいらしてください」
「はい」
わたしはその後リヒトに暇を告げると、フランとブリギッテを連れて小神殿に戻った。
小神殿でも食事会が盛り上がっていた。
わたしの世話をモニカとニコラに任せ、フランは食事へと行った。どうやら、こちらで食べるため、我慢していたようだ。
わたしは部屋から白い紙を綴って作ったノートとペンを持って、食堂へと向かい、モニカに兵士達のテーブルの近くへ椅子を持って来てもらった。
「ギュンター、わたくし、今、本を作るためにお話を集めております。下町ではどのようなお話を聞いて育つのか、伺ってもよろしいかしら?」
母さんの寝物語集は作ったけれど、父さんのお話はあまり聞いたことがない。「そういえば、幼い頃に母親から聞かされた話がありました」と、しばらく考え込んでいた父さんが顔を上げた。
「あるところにとても仲の良い姉弟がいた。姉弟の名前はトゥーリとマインとカミル……」
そんな出だしから始まったのは、トゥーリとカミルという姉弟が、森の魔物にさらわれたマインを助けに行く話だった。
「……こうして、マインは家族のもとに帰ることができ、姉弟仲良くずっと一緒に暮らしました」
「なんて良いお話でしょう」
わたしが感動に目を潤ませ、鼻をグスグス言わせながら、父さんのお話を書き留めると、もう二人の兵士も先を争うようにしてお話を教えてくれる。
全部で三つのお話を書き留めた頃にはもう寝る時間を少し過ぎていた。フランに声をかけられて、わたしは席を立つ。
「おやすみなさい、皆様」
「おやすみなさい、神殿長。良い夢を」
その日、わたしは夢を見た。
マインに戻ったわたしが下町の家に帰って、家族と一緒に笑い合う、とても幸せな夢だった。