Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (26)
閑話 俺の助手
俺はオットー。
美人で可愛い嫁、コリンナを世界一愛している男だ。
クリーム色の髪にグレイの瞳。全体的に淡い色彩は清らかで、やんわりとした雰囲気のコリンナによく似合っている。
鼻すじはすっと通っているけど、頬に丸みがあって少し童顔に見られることを気にしているコリンナが可愛い。
しょうがない人って言いながら、笑って俺を受け入れてくれるコリンナが愛しい。
見ればわかる巨乳で、抱きしめたらふかふかして、いい匂いがするコリンナは最高だ。
世界の中心で叫べる。俺のコリンナは世界一!
今日は助手であるマインの紹介で、旅商人になりたいなんて言うルッツ少年と会った。現実を優しく叩きつけて、ルッツの夢を粉々に壊してきたところだ。
「ただいま、コリンナ。今帰ったよ。ベンノも一緒だ」
「おかえりなさい。……洗礼前の子供を苛めて、よくそんな笑顔で帰ってこられるわね」
「その唇を尖らせた顔も可愛いな」
ついつい本音を述べると、コリンナは呆れたように、ハァ、と溜息を吐いた。
本格的に呆れられたらしいことを悟って、俺は軽く肩を竦めて、弁解する。別に苛めたくて苛めたわけではない。おとぎ話に憧れる子供に現実を教えただけだ。
「仕方がない。旅商人になってもいいことなんかないからな。確かに希望を粉々に粉砕したけど、その方が彼のためだ」
「それはそうだけど……」
コリンナのグレイの瞳が伏せられて、痛々しげに眉が寄せられた。子供とはいえ、他の男のための憂い顔が少しばかり俺の心を波立たせる。
「コリンナは優しいな。会ったこともない子供のためにそんなに心を痛めるなんて……」
「邪魔だ、オットー。さっさと中に入ってくれ」
肩を抱いて、コリンナの頬に口付けようとしたら、後ろからベンノに背中をげしっと蹴られた。
慌てたようにコリンナが俺を脇に退けて、ベンノを迎え入れる。
「いらっしゃい、ベンノ兄さん。……ずいぶん不機嫌そうね。お断りした罪悪感かしら?」
眉間に深い皺が刻まれ、普段の愛想の良さは欠片も見当たらないベンノを見て、コリンナはそう言ったが、ベンノはルッツをお断りなんてしていないので、もちろん、罪悪感など覚えているはずがない。
「コリンナ、違う、違う。商人見習いになりたいと言ったルッツをベンノが怖がらせて追い払おうとしたのに、追い払えなかったばかりか、マインちゃんに突きつけられた条件を呑むことになったんだ。マインちゃんに返り討ちにされたんだよ。不機嫌なのはそのせいだ」
「オットー」
低い声でベンノが凄むが、俺は無視してコリンナと家の中に入って行く。
子供にしてやられた気分なのだろう。
いい気味だ。いつもマインに驚かされている俺の気分をたっぷりと味わうと良い。
コリンナの腰を抱いて、クリーム色の髪に何度も唇を落としながら、応接室へと向かえば、ベンノに「俺がいない時にやれ」とげんこつを落とされた。
夫婦の寛ぎ時間を邪魔するな、と思うが、コリンナの前で言うと、いい加減にして、と怒られるので、我慢する。
応接室は普段コリンナが客と商談をするための部屋だ。いつ客が来ても大丈夫なように、いつも片付けられている。
部屋の中央に、食堂とは違って丸い形の木のテーブルがあり、椅子が4脚準備されている。服以外に布を使えるのは富の証しなので、この応接室は、ウチの中で一番布が多い。
たとえば、右側の壁際には棚があり、コリンナが作る服のパターンがわかるような見本が飾られていたり、左側の壁には残った端切れを縫い合わせたタペストリーがかかっていたりして、色鮮やかだ。
用がないので、この応接室に俺が入ることはあまりないが、ここにはコリンナの作品が飾られているので、それを見るだけでも楽しい気分になれる。
椅子の一つに座って、俺は正面に座るベンノにニヤリと笑った。
「いやぁ、あの展開にはビックリしたな。まさか、ベンノが譲歩させられるとは……」
「え? ベンノ兄さんが? 詳しく聞かせてちょうだい、オットー」
コリンナがグレイの目を輝かせて、甘えるように話をねだる。可愛い。
そして、俺の隣の椅子に座った後、少しばかり椅子を俺の方へと寄せてくる。本当に可愛い。
コリンナがこんな風にねだってくることは滅多にないので、俺は心の中でマインに称賛の拍手を送りながら、軽く今日の流れを話して聞かせた。
話を聞き終わったコリンナが目を丸くして、ベンノを見つめる。
「人と会うためにできるだけ身だしなみを整えて、鐘が鳴るよりずっと早くから広場にいて待っていられるなんて……ベンノ兄さん、最初から完全に負けているじゃない」
「うるさい」
ベンノの機嫌はますます悪くなっていく。コリンナが出したお酒に口をつけても、眉間の皺は緩みもしない。
最低限の身だしなみを整えることと、お願いした相手より早く待ち合わせ場所で待つことは商人にとっては当たり前のことだ。それができているかどうかで、心構えを見てやろうと思っていたが、ルッツはどちらもクリアしていた。
多分、マインが誘導したのだろうけれど。
広場で二人を見つけた時のマインの反応を考えれば、そうとしか思えない。
今日の勝者はマインで間違いないだろう。おかげで、ベンノが譲歩する場面を見ることができたわけだ。
「いやぁ、マインちゃんのお陰で予想以上に面白い会合だったよ」
「マインちゃんって、班長さんのお嬢さんでしょ? とても頭が良いって貴方が言っていた」
「あぁ、そうだよ。でも、俺の助手になって、半年以上がたったが、未だにつかみきれないんだ。どうすれば、こんな子供が育つんだろうと思うくらい変わった子だよ」
旅商人として、色々な土地で色々な階級の人間と接してきた俺にはマインの異様さが際立って見える。
そして、それは本日同行したベンノにとっても同じことだったようだ。ベンノも商人として、色々な階級の人間を知っている。俺が浅く広く知っているなら、ベンノは狭く深く知っているのだ。
「なぁ、オットー。あれは何だ?」
「言っただろう? 俺の助手だ」
「違う。わかってるくせに、誤魔化すな。あれは本当に兵士の娘か?」
「それは間違いない。けど、俺だって変だと思っている」
「どういうこと?」
コリンナが不思議そうに首を傾げた。
マインのことを頭が良いとか、身体が弱いとか、その日あったことを交えながら話をしたことはあったけれど、変だということは言ったことがない。マインの異常さは実際に見てみないとわからないと思ったからだ。
「まず、見た目がおかしいんだよ。マインちゃんはいつだって兵士の娘とは思えないくらい小奇麗だ。着ている服自体はその辺りの子供と大差ない。継ぎ接ぎの当たったぼろぼろの服なのに、肌と髪の艶が綺麗過ぎる。班長はそこらの兵士と同じようなおっさんなのに、二人の娘は肌も薄汚れていないし、髪も艶があるんだ」
「お母様がお手入れされているんじゃない?」
裕福な商人の娘として育ったコリンナは、貧民の生活を見て知っていても、明確には理解できていない。肌や髪の手入れをするには、時間も金も品物もかかる。貧しいとそんなものにかける余裕などないのだ。
「……冬に見たけど、母親が率先して手入れをしているようじゃなかった。班長にはもったいない美人さんだったけど」
冬の晴れ間にパルゥを採るため、マインが門に預けられていた。引き取りに来た母親を見たが、特筆するほど小奇麗だった印象はない。
ただ、マインと似た顔立ちで、美人だな、とは思ったのだ。
「ふぅん、そうなんだ?」
俺が他の女性を褒めることは滅多にないので、面白がるようにコリンナのグレイの瞳が光る。
「もちろん俺にはコリンナが一番だ。それは絶対に変わらない」
「はいはい。もういいわ。……それで、マインちゃんは、ベンノ兄さんから見ても変だと思うの?」
コリンナに話を向けられたベンノは杯を置いて、天井の梁を見上げながら、ゆっくりと息を吐く。
「あぁ。光が浮き上がるように艶のある夜色の髪に、真っ白で汚れがない肌で、労働と生活感を感じさせない手だった。歯も白かったな。全てがボロの服とちぐはぐな印象で、どう考えても不自然だった」
「光が浮き上がるほど艶がある……ですって!? 何をしたらそうなるの!?」
「え? コリンナはそのままでも十分だよ?」
「オットーは黙ってて。ベンノ兄さんに聞いてるの」
女性にとって、髪の艶はかなりの関心事になるようだ。コリンナが裁縫以外でここまで興味を示すのは珍しい。
「何か付けて手入れしているようだが、何をつけているのか教えてもらえなかったな」
「秘密って言われたもんな、ベンノ」
「オットーは教えてもらえるの?」
「……多分、これから先は警戒されて、聞き出せないと思う」
マインの髪の艶の秘密を知りたがるコリンナのために、駄目でもともと、今度会ったらマインに聞いてみよう。
「髪の艶はともかく、手が綺麗なのは、身体が小さくて、腕力がないから、大した手伝いもできないせいだよ。それに、マインちゃんの肌の白さは病弱ですぐに寝込むから、外に出ることがなくて、日に当たることが少ないせいだと思う。実際、外に出るようになったのは、春以降のことだし」
「……そういえば、前回は嬢ちゃんが熱を出したから、会合が流れたんだったな」
五日も熱が下がらなかったせいで、班長がピリピリして大変だったことを思い出して、俺はうんざりとした表情を隠せないまま頷いた。
「つまり、マインちゃんのそういう外見は病弱なせいでしょ? 変わっていると言うほどでもないんじゃない?」
コリンナは話を聞いて、大したことがないと判断したらしい。興味を失ったように、肩を竦めるコリンナにベンノが首を振った。
「いや、外見だけじゃない。俺が気になったのは姿勢や口調だ。……これは躾をされていないと身につくわけがない。まさか、親が落ちぶれた貴族で躾に厳しいってわけでもないんだろう?」
班長の家庭事情について、そこまで詳しいわけではないけれど、マイン以外の家族を見れば、貴族と繋がりがあるかどうかはわかる。
「班長にはもう一人娘がいるけれど、そっちは結構普通。髪に艶があって、比較的綺麗な肌をしているけど。それだけ。マインちゃんと違って周りから浮くほどじゃない」
俺の言葉に軽く頷いたベンノは、コリンナを見据えて言った。
「コリンナ、あの嬢ちゃんの異常さは見た目だけじゃない。俺に睨まれても目を逸らさない胆力、髪の艶については情報を伏せて有利に事を運ぼうとする頭の回転、現物がなくてもハッタリかます度胸、条件つけてくる交渉……どれをとっても洗礼前の子供のものじゃない」
「ベンノ兄さんに睨まれても目を逸らさない子供なんていたの!? その子、変だわ。間違いなく、変よ」
目を見開いて、コリンナが叫んだ。
威圧的になったベンノは肉食獣のように鋭い目になる。
ベンノが長男でコリンナが末っ子で、コリンナが幼い頃に父親を亡くしたことで、ベンノはコリンナの父親代わりでもあった。幼い頃から叱られてきたコリンナは、大人でも目を逸らしたくなるベンノの怖さを嫌というほど知っている。
「あ~、計算能力に記憶力もすごいぞ。そういえば、石板を与えた時もビックリしたんだ。誰に教えられることもなく、正しく石筆を持って書いていたんだぜ。まるで、書き方を知っているように」
「貴方がお手本を見せたんじゃないの?」
首を傾げたコリンナが俺の杯が空になったことに気付いて、おかわりを注いでくれる。
そりゃあ、見せたけどね、と答えて、俺はコリンナが入れてくれた酒を一口飲んだ。酒で口を湿らせながら、何と言えばいいか、逡巡する。
「見てすぐにすらすら書くのは、そう簡単にできることじゃないって。季節ごとに入ってくる見習い兵士に字を教えているからわかるんだけどさ。石筆の持ち方を教えて、思ったように線を引けるようにならないと、字は書けないんだ」
「そういえばそうね……」
コリンナも見習いに物を教えることが多いため、見せれば覚えるのではないことをよく知っているのだろう。
「マインちゃんは計算能力もおかしい。本人は市場で数字を母親に教えてもらったと言っていたけど、数字を教えてもらっただけで計算ができるはずがないだろう?」
「いや、ウチに来る見習いだって、少しの計算くらいはできる。親がしていれば多少は覚えているものだぜ?」
商人の見習いになるのは基本的に親が商人なので、洗礼式の頃に文字の読み書きや計算が多少できる子供も少なくはない。俺だって、小さい頃から旅商人の親について回っていたので、計算も文字も教えられた。
だが、マインができる計算は桁が違う。
「少しなんてもんじゃないんだ。会計報告なんて、南門で使われる備品の数や値段を計算するものだろ? 市場で使われているような小さい数字だけじゃなくて、合計していくとかなり大きな桁の数になる。それを当たり前のように、計算できるんだ。それも、計算機も使わずに、石板に数字を並べて書くだけで」
「……やっぱり助手として活躍してんじゃねぇか。あんな子供に会計報告を手伝わせるなんて」
面白がるベンノを軽く睨んで、俺は二人を驚かせるために、誰にも言ったことがないことを告げた。
「ここだけの話だけどさ、書類仕事は七割方、任せられる」
「……はぁ!?」
「……七割って、貴方……」
予想以上に驚いてくれたようだ。目を見開いて一瞬固まった顔がよく似ていて、思わず笑ってしまう。
「まだ覚えている単語数が少なくて、それだからな。末恐ろしいぞ。俺の留守中に、貴族の紹介状に対して完璧な対応をしてのけたんだ」
アレには驚いた。
溺愛している娘の洗礼式の日に会議があって、そわそわうずうずいらいらしている班長にやきもきしながら会議を終えると、マインから報告を受けた。下級貴族の紹介状を持った商人が待っている、と。
本来、貴族から貴族へ紹介されている客は、確認が取れ次第、できるだけ速く城壁へと行けるよう便宜を図ることになっている。客が平民でも下級貴族のように扱うのだ。
その日はたまたま上級貴族によって招集された会議だった。どちらを優先するかと言われれば、当然上級貴族だ。
しかし、対応を誤ると客が「無礼だ!」と怒りだしたり、下級貴族の紹介状を盾に高圧的に振る舞ったり、会議に押し掛けてきて上級貴族の怒りを買ったり、とんでもないことになる。
そんな中、マインは貴族ではない商人に下級貴族用の待合室を使うことで商人の自尊心をくすぐり、上級貴族が招集した会議だと説明することで納得させた。そして、会議終了すぐに報告してもらったことで、士長と行き違いにもならず、速やかに処理することができた。
ついでに、右往左往する新人兵士に子供から教えてもらうようでは駄目だと奮起させることができたのだ。完璧だ。
「すごい子、なのね?」
「すごいというか……異常。おかしい。でも、多分、父親であるギュンター班長はマインの特異性に気付いていないと思う。班長の接し方を見れば、病弱で可愛い娘に対するものでしかないんだ。俺が助手にしたいと言わなかったら、優秀さにも気付いていなかったんじゃないかな? 今も「ウチの子、賢い」レベルで、異常なほど賢いことはよくわかっていないと思う」
「鈍い親でよかったじゃねぇか。気味悪がって捨てられてもおかしくないぞ」
ベンノの言葉にコリンナが悲しげに眉を寄せる。
「そんなこと、冗談でも言わないで。想像もしたくないわ」
「大丈夫だよ、コリンナ。たとえ、親が気味悪がって捨てたとしても、ベンノが拾ってくれるさ。マインちゃんはベンノを返り討ちにできるくらい優秀なんだから」
俺が笑ってそう言うと、コリンナがくすりと笑った。
うん、コリンナはやっぱり笑っている方が可愛い。
「なぁ、あの嬢ちゃんは本当に作ってくると思うか?」
ベンノが指先でテーブルをトントンと軽く叩きながら、俺を見据える。赤褐色の目が先を読もうとする商人の目になっていた。
「羊皮紙じゃない紙、だっけ? 確実にやるさ」
「ずいぶんと信頼してるんだな?」
「ん~……今すぐにでも欲しくて、作りたいけど、自分では力がなくてできないって言ってたのが、それじゃないかな? 自分でできないなら、他の奴にやらせろって、俺がこの間焚きつけた。ルッツがマインちゃんの要求通りの手足になれたら、完成するさ」
力も体力もない、と悔しそうに言っていたが、それはつまり、作り方はわかっているということだ。
マインは勝算があるからこそ、現物を作ると言ったんだと思う。多分、ハッタリではない。
「……実現したら市場がひっくり返るぞ。あの嬢ちゃん、どう扱うかな?」
「もしかして、マインちゃんを抱え込む気か?」
ベンノの言葉から、ルッツだけではなくマインまで見習いとして抱え込むつもりだと推測して問いかけると、くわっとベンノが目を見開いた。
「当たり前だ! あんなもの、余所にやれるか!? あの嬢ちゃん一人だけで一体どれだけの商品が作れる? あのカンザシ、髪の艶を出す物、羊皮紙じゃない紙……俺が今日知ったのはこれだけだが、絶対に色々隠し持っている。市場をひっくり返す災害になる」
「ちょっと待て! アレは俺の助手だ。勝手に連れていくなよ」
ベンノの主張に間違いはないだろうが、反論はある。
マインは俺が半年かけて、決算時期のために育ててきた貴重な戦力だ。横から掻っ攫われるのを黙って見ているわけにはいかない。
しかし、ベンノは鼻でフンと笑って、唇の端を釣り上げる。
「本人の第二希望が商人だ。助手に興味はないってよ。半年仕込んだだけだろ? 他を当たれ」
「半年であれだけ使えるようになるヤツが他にいるわけないだろ! マインちゃんが考えて、ルッツが作るなら、マインちゃんは門で仕事していても問題ないじゃないか!」
特に決算時期だけは譲れない。力一杯睨んだが、ベンノも全く譲ろうとしない。
杯を置いて、グッと身を乗り出してくる。
「駄目だ! 商業ギルドと契約させる。他に取られるような危険は冒せない」
「マインちゃんの体力を考えると、商業ギルドは無理だ!」
「体力?」
ベンノが虚をつかれたように、勢いを失くす。
それを好機とみて、俺は一気に畳みかけた。
「ビックリするほど虚弱で病弱なんだぞ? 身体を使うような仕事は無理だ!」
「……そんなに虚弱なのか?」
「あぁ、豚の処理に農村に行ったマインちゃんがそこで倒れて、班長が宿直室に連れてきたのが初めてきちんと接した時だけどさ。暖炉がある部屋だから大丈夫だろうと、暇潰し用の石板与えて鐘一つ分放っておいたら、熱出して倒れてた」
「は?」
見張りに立たなければならないので、暖炉のある部屋に置いておいたのに、様子を見に行ったら、熱を出して倒れていた。迎えに来た班長が「気にするな。いつものことだ」と言っていたので、その虚弱さは家族にとって当たり前のものらしい。
「春になったばかりの頃はひどかったぞ。家から門まで歩けなかったんだ」
「門まで、だと?」
「街のどこに家があっても、門まで歩くのってそれほど遠くないわよ?」
街の回りを外壁がぐるりと取り巻くのだから、街自体、それほど大きなものではない。子供の足でも西門から東門まで、鐘一つ分の時間があれば歩けるはずだ。
「そう、班長の家は南門から大して遠くない。でも、駄目だったんだ。途中でへたれて、班長に抱えられてやってきた後、宿直室で倒れて昼まで動けない。ついでに、2~3日は確実に寝込んでいた」
「おい、それ、本当に大丈夫なのかよ? 仕事させたら死ぬんじゃないのか?」
その恐れがないとは言えない。
特に、今勢いがあるベンノの仕事場は活気に溢れている分、忙しい。マインの体力で務まるとは思えない。
「うーん、春の中頃にやっと門まで歩けるようになって、寝込む日数も減ってきて、春の終わり頃に森に行けるようになったけど、まだ普通の仕事ができる体力はないと思う。だからこそ、書類仕事専用で門が面倒見ようと思っていたんだし……」
「むぅ……」
病弱と言っても、そこまで虚弱だとは思っていなかったのだろう。ベンノが眉間を押さえて考え込む。今まで考えてきた計画では駄目だと方向転換するのだろう。
それなら、もう一つ情報を与えておいた方がいいかもしれない。
「そんなマインちゃんの面倒をずっと見てきたのがルッツなんだ。子供達の集団から遅れるマインに付き添って森まで行くんだ。班長に多少の小遣いをもらっていたとはいえ、献身的で責任感は強いみたいだぞ」
走り回りたい年頃の男の子が虚弱なマインに付き添うのだ。誰にでもできることではない。
ちなみに、俺はよほどの義理がない限り、コリンナ以外へ献身的にしてやるつもりはない。
「……あの嬢ちゃんの異常性に隠れてわかりにくいが、坊主も相当変だぞ」
「ん?」
何かを思い出そうとするように軽く顎を撫でていたベンノが、だんだん苦々しい顔になっていく。
「俺の睨みに耐えて、自分の意見を言ったのは、嬢ちゃんだけじゃないってことだ。それに、普通はそれだけ病弱な嬢ちゃんの面倒をみていたんだったら、嬢ちゃんは庇護対象だろう? もっと全面的に前へ出て、俺から嬢ちゃんを守ろうとするはずだ。それなのに、坊主は嬢ちゃんが交渉し始めたら、当然のように一歩下がった」
「あぁ、そういえば……」
確かにベンノの言うとおり、一度ハッキリと宣言した後は、発言の場をマインに譲っていた。普通の保護者と庇護対象の関係では見られないだろう。一体どういう関係なんだろうか。
「出る時と譲る時を考えられる子供は少ない。それに、俺には情報を出さなかったあの嬢ちゃんが、坊主には自分の考えた物を作らせるんだ。嬢ちゃんだけいても、情報が引き出せなかったら意味がない。坊主だけいても嬢ちゃんが他の奴に作らせるようになれば意味がない。あれは、二人で一組にしておいた方がいいんだ」
ベンノの商人としての勘の良さには笑うしかない。
商人の目で見るとマインのおまけに見えるはずのルッツの有用性に、たった一度顔を合わせただけでしっかり気が付いているのだから、目端が利くなんてものではない。
「相変わらず嗅覚が鋭い……。班長もルッツを信頼しているみたいだ。ルッツが一番うまくマインを動かすって。倒れるギリギリを見計らい、自分の手に余ることをやりたがるマインを暴走させないように、うまく助けたり、流したりできるんだってさ」
「ふぅん、マインが考えた物は全部オレが作るって自信は、一応裏付けがあるんだな」
マインがずっとそうだった、と言っていたくらいだ。俺が知っている以外にも、色々やったのだろう。
「何か、変なもん、一緒に作ってたらしいからな。ネンドバンとか言ってたっけ?」
「……変なもん? くっそ、何が出てくるのか、全然予想できないんだよ! とにかく、あいつらは二人で一組。俺がとる。お前にはどっちも譲らん」
そこで一度、話題に決着がついたので、コリンナが食事の準備をするために席を立った。
テーブルの上にはランプが置かれ、おかわりのための小さな樽と、つまみとして干し肉が乗った皿が残されている。
少し塩気が強い干し肉をガニガニと噛みながら、俺は酒のおかわりを入れているベンノを見た。
「なぁ、ベンノ。お前、マインちゃんが言っていた身体の中で熱がうごめく病気って心当たりあるか?」
「……」
「身体の中で熱が暴れまくって、食われそうになるように感じる病気なんて俺は知らない」
マインに質問を受けた時の反応で、もしかしたら知っているのではないかと思った。やはり知っていたようだ。言った方がいいのかどうか悩んで、視線が少しばかり上へと向く。
しばらく考え込んだ後、ベンノにしては聞きとりにくい声で、ぼそりとこぼす。
「身食い、かもしれないとは思った。ただ、確証はない」
「……身食い? なんだそれ?」
「病気じゃない。魔力が自分の中で増加しすぎてもどうすることもできなくて、魔力に食われて死ぬんだ」
「は、はぁ!? 魔力って貴族だけが持っているものじゃなかったのか?」
普段耳にすることもない単語が出てきて、俺はぎょっと目を剥いた。
魔力というのは、平民は持たない、不思議で強大な力らしい。滅多に見るものではないから、よく知らないが、魔力がなければ国を動かすことはできないと言われている。
だからこそ、魔力を持つ貴族は国民の上に立ち、国を治めるのだ。
「……それほど数は多くないが、貴族以外にも魔力を持つヤツはいる。ただ、魔力を放出するための魔術具が高価だから、貴族以外はろくに魔力が使えないというのが正しいな」
貴族とも付き合いのある商会へと伸し上がっているベンノは、この国のことに関しては俺よりも知識が深い。
「ふぅん、マインちゃんは魔力を持っていたのか。変なのってそのせいかな?」
「確証はないと言っているだろう? だが、身食いなら、あの嬢ちゃんが年齢よりずっとちっこくてすぐに倒れるのも説明はつく」
「魔力って、危険なものなのか?」
不思議で便利なものだと漠然と考えていたが、マインの虚弱さが魔力のせいなら、かなり危険なものではないだろうか。
「もし、身食いだったとしたら……の話だ。身食いなら、魔術具がないと、あの嬢ちゃんは……近いうちに死ぬ」
「なっ!?」
マインを溺愛する班長の姿が脳裏に浮かび、冷水を浴びせられたような気分でベンノを凝視する。
ベンノの表情も真剣で、冗談やからかいを口にしているわけではないらしい。
「成長と共に増えてくる魔力に心が食われるらしい。放出するための魔術具がない平民なら洗礼式までもたないことが多いそうだ」
「何か方法はないのか?」
ベンノならば何か良い手段を知っているのではないか。すがるような気分で尋ねると、ぐしゃりと髪を掻き上げて、溜息を吐いた。
「貴族の後援があれば、魔術具を借りることができるから、死は免れる。……だが、一生飼い殺しだ。その貴族のためだけに力を使わされ、生きることになる。このまま家族のもとで死を迎えるのと、一生飼い殺しと、どちらがいいかはわからんな」
「……」
ベンノの言葉は救いでも何でもなかった。
確かにどちらがいいのか、俺にはわからない。死にたくはないが、貴族に飼い殺しにされるのもごめんだ、と心底思う。
「意思の強さによって、抑えられる力は違うらしいから、いつまでもつかは知らんが、子供の精神力ではそれほどもたない。……あの嬢ちゃんはどうだろうな?」
「……」
マインを見ていると、子供にしては精神力が強い方だと思う。ただ、それが身食いという自分の魔力を抑えられるようなものかどうかはわからない。
今は抑えられても、成長と同時に魔力も強くなっていくなら、いつ限界がくるのか、誰にもわからないことになる。
「オットー、あまり深刻になるな。まだ身食いだと決まったわけじゃない。だいたい、本当に身食いだったら、そろそろ死にかけている。あんな風に外を歩き回れるような身体じゃないはずなんだ」
「そう、なのか……」
わずかな安堵と多大な不安が同時に胸に押し寄せてきた。
そう、マインは何度も死にかけている。
外を歩き回れるようになったのは、春からの努力の成果で、それまではほとんど外に出られない子供だったと聞いている。
本当に大丈夫なのか?
班長に報告した方がいいのだろうか。
胸の内をぐるぐると回る、何とも言えない感情を、俺は酒で腹の奥に流し込んだ。