Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (268)
囚われた姫君
大きく開かれた窓の向こうの夜空に、羽ばたく天馬とシャルロッテの白い衣装が浮かび上がっている。段々と小さくなっていくその姿にわたしは大きく目を見開いた。
一瞬で全身が怒りに染まり、魔力が全身に
漲
っていく。体が沸騰するほど熱いのに、頭の芯が冷え切っているようなこの感覚には覚えがあった。
「シャルロッテ!」
威圧は遠すぎて、視線が合わずに効かない。わたしは怒りに身を任せたまま、すぐさまシャルロッテを取り戻すべく、座席に座り直して、ハンドルをきつくつかんだ。そのまま叩きつけるような勢いでハンドルに魔力をどっと流し込む。
……許すまじ! わたしの可愛い妹をかっさらうような真似をする者は、誰が許してもわたしが許さん!
「待て、主の主!」
「ローゼマイン様! お伴いたしますので、失礼いたします!」
アンゲリカの魔剣シュティンルークから神官長の声が響いて、思わずビクッとなった次の瞬間、アンゲリカの声と共に天井の上に衝撃があり、一人乗りのレッサーバスがぐらんと揺れた。
アンゲリカの手が両方の窓の辺りをつかんだことで、アンゲリカがレッサーバスの上に飛び乗って、天井に張り付いたことがわかった。予想外のアンゲリカの行動にわたしは思わず目を丸くする。
「アンゲリカ、危ないですよ!?」
「騎獣を出す魔力が惜しいので、このまま行きます! お早く!」
アンゲリカに鋭い声で「逃げられます」と叫ばれ、わたしは一度頷くと即座にアクセルを最大限まで踏み込んだ。レッサーバスが勢いよく走り出し、窓を目がけて猛ダッシュする。
「無茶をするな、二人とも!」
わたし達を追いかけて駆けてくるコルネリウス兄様の叫びが背後から聞こえたが、もう遅い。怒りに駆られたわたしの魔力を大量に叩きこまれているレッサーバスは、シャルロッテを救うため、小さくなっていく白い騎獣を目がけて、夜空へと飛び出していった。
冬の澄み切った夜空の中を、レッサーバスは天井にアンゲリカを張り付かせた状態で直走る。明るく光る月のおかげで、目標である騎獣とシャルロッテは白く浮かび上がっていて、見失う心配はない。
「シャルロッテを返しなさい!」
「お姉様!?」
黒ずくめの腕の中、わたしのレッサーバスを視認したシャルロッテが助けを求めて、わたしに向かって精一杯に手を伸ばした。シャルロッテの顔が恐怖に強張り、藍色の目は涙に濡れて赤くなっている。
……可愛いシャルロッテを泣かせるなんて絶対に許さない。
伸ばされているあの手を取るのだ。妹は絶対に救い出す。わたしはキッと誘拐犯を睨みながら、どんどんと魔力を流していく。
シャルロッテをさらった黒ずくめの誘拐犯は、助けを求めるシャルロッテを馬鹿にするように目を細めた状態で後ろを振り返り、ぎょっとしたように目を見開いた。
「そ、空を飛べるだと!? 翼もないグリュンもどきが、何故!?」
驚愕しているとわかる慌てた声は男のものだった。目の部分しか見えないが、余裕と嘲笑があった誘拐時と違って、今は驚きと焦りが見えている。
どうやらこの男は、わたしのレッサーバスが普通の騎獣と同じように空を飛べることを知らなかったらしい。城で移動用に使われているところしか見たことがないか、城の文官から話を聞いただけなのかわからないけれど、北の離れに付いている側仕え達とはあまり繋がりがないようだ。
仰天した声を上げている男のところへ、わたしは怒りの感情に任せてレッサーバスで突っ込んでいく。
「絶対に許しませんからねっ!」
「お姉様、助けてっ!」
少しでも速く逃げようと騎獣のスピードを上げる男を追って、わたしも更にレッサーバスのスピードを上げる。見る見るうちに距離が縮まっていくのがわかった。振り返ってはわたしの位置を確認する男の目が焦燥感と狼狽と恐怖に満ちているのが確認できるようになってくる。
何度も何度も振り返っては、追いかけるわたしと、わたしを呼ぶシャルロッテを見比べ、男は一度シャルロッテを抱き直すと、勢いよく空中へと投げ出した。そのままシャルロッテとは反対方向へ勢いよく逃げていく。
何もない空中へ投げ出されたシャルロッテの白い衣装がふわりと揺れて、シャルロッテの藍色の瞳が驚きに大きく見開かれる。何度か空中に投げ出されたことがあるわたしは、あの浮遊感と頼りなさと恐怖を知っていた。
「シャルロッテ!」
わたしは即座に投げ出されたシャルロッテへとハンドルを切る。シャルロッテの救出が最優先だ。黒ずくめには逃げられるかもしれないが、それはどうでも良い。捕まえるのは騎士の仕事だ。
シャルロッテに向かって全力で駆けだした途端、シュティンルークの指摘が上から響いてきた。
「ならぬ、主の主! このままでは姫にぶつかるぞ!」
「へわっ!?」
シャルロッテをはねてしまう、と指摘されて、わたしは慌てて急ブレーキをかけた。ダン!と力一杯にブレーキを踏めば、レッサーバスは毛を逆立てるようにして足を止める。ガクンという衝撃と共にレッサーバスが前のめりになった。
次の瞬間、レッサーバスの天井に張り付いていたアンゲリカが、ぴゅーん、と勢いよく吹っ飛んでいった。
「わぁっ!? アンゲリカ!?」
「身体強化中につき、心配無用です!」
アンゲリカは空中でくるりと体勢を変えながら、勢いよくシャルロッテへと突っ込んでいって、空中でシャルロッテを抱き留める。シャルロッテの手がアンゲリカの背中に回され、必死につかまったのがわかった。
「姫を救出!」
シュティンルークの声が心なしか誇らしげに夜空に響く。
わたしがシャルロッテをはねずに済んだ安堵、無事にシャルロッテを助け出せた喜び、アンゲリカの見事な動きに対する感動など、色々なものが混ざってわたしの胸から湧き出してきた。
「アンゲリカ! 素晴らしいです!」
わたしが両手を上げて称賛する前で、アンゲリカはシャルロッテを抱きしめたまま、放物線を描きながら、二人で共に落ちていく。
「主! このままでは姫と共に落ちるぞ! どうするつもりだ!?」
「困る!」
シュティンルークの声とアンゲリカの声が響いた。先程の喜びと感動はどこへやら。わたしは一瞬で真っ青になった。
「無策ですか、アンゲリカ!?」
「はい!」
落下していくアンゲリカにはきはきと答えられてしまった。アンゲリカはシャルロッテの身柄を助け出すということしか考えていなかったらしい。
「ぎゃー! 誰かっ!」
わたしが窓から身を乗り出すようにして、落下先を確認し、アンゲリカとシャルロッテが落ちていく方へと騎獣を動かそうとした時、わたしの下方を勢いよく狼っぽい騎獣がとてつもない速さで駆け抜けていく。
エックハルト兄様の騎獣とよく似た狼のような騎獣は、家の紋章に描かれているものと同じだ。
「コルネリウス兄様!」
「間に合わせます!」
騎獣を出してわたし達を追いかけてきていたらしいコルネリウス兄様が、そんな声を残して、落ちていくアンゲリカとシャルロッテに向かって突っ込んでいく。
「コルネリウス兄様、頑張れ!」
わたしが手に汗を握りながら見つめる先で、全速力を出したコルネリウス兄様の騎獣は、すぐに落ちていく二人に追いついた。
そして、落下する二人に並走するように近付いたコルネリウス兄様がアンゲリカのマントをつかんで引っ張り、そのまま二人を自分の後ろに座らせるように誘導して、見事に捕まえる。
「きゃー! コルネリウス兄様、カッコいい!」
急激な方向転換をすると体に負担がかかるためだろう、コルネリウス兄様は二人を捕まえた後も下に向かって駆けながら、次第に横方向へと方向を変えていく。大きな曲線を描きながら、また少し上に向かって駆けだし、こちらへと向かってくる。
騎獣の安定感のある動きと三人が騎獣にいる様子を確認して、わたしはやっと皆の無事に確信が持てた。
「すごい、すごい! やったー!」
わたしが手を叩いて大喜びしていると、くんっとレッサーバスが勝手に動いた。ハンドルも握っていない、アクセルも踏んでいない状態なのに、突然レッサーバスが傾き、ガクンと体が斜めになる。
「へ?」
わたしのレッサーバスがまるで何かに引っ張られるように落ち始めた。何が起こったのかわからないまま、わたしはドスンと尻餅をつくような形で座席に座った。わたしは目を白黒させながら、何とかレッサーバスの体勢を整えようとハンドルをつかんで、アクセルを踏み込む。
「あれ? あれれ?」
アクセルを踏み込めば、最初はレッサーバスの足がわちゃわちゃと動いていたけれど、まるで何かが絡まったようにすぐに足が動かなくなった。
「何これ!?」
その場で静止していることもできず、レッサーバスは何かに引っ張られるように、斜め下へと引きずられて落ちていく。
「わわわっ!? ひゃああああぁぁぁぁっ!」
こちらへ向かってきていたコルネリウス兄様が、落下していくレッサーバスを見て、大きく目を見開いた。
「ローゼマイン!」
城の周囲、森のように背の高い木々が生い茂った部分へ向かってレッサーバスが落ちていく。
悲鳴を上げながらハンドルをつかんでいたわたしは、森に突っ込む寸前、月の光でレッサーバスが細い光の網に絡めとられているのを見つけた。レッサーバスの故障や不調ではなく、悪意の網に囚われていることを知った途端、ザッと全身に鳥肌が立つ。
うろたえながらババッと周囲を見回すと、魔力でできた網を木々の陰で引いている存在があることに気付いた。誘拐犯達の仲間なのだろう、黒ずくめで姿は見えないけれど、かすかな光の網をつかむ黒い手だけが見えている。
逃げなきゃ、と思った時には、今まで以上に強い力でグンと引かれて、わたしはレッサーバスごと地面に落ちていった。ガンガンと周囲の木々にぶつかりながら落下していき、ドン! という大きな音と共に地面に叩きつけられる。
衝撃は予想以上に小さかったけれど、車内で体が浮いて、あちらこちらを打った。
「いたぁ……」
やっぱりシートベルトは必須だ。それから、エアバッグの導入も検討した方がいいかもしれない。
そんなことを考えながら、わたしは横転した一人用のレッサーバスの中で起き上がって立ち上がった。自動的に窓から上半身が出る。
「ひゃっ!?」
立ち上がった瞬間、光の帯が飛び込んできて、わたしにぐるぐると巻きついてくる。
光の帯が飛び出してきた先には、目の部分だけが出ている黒ずくめがシュタープを握っていた。
神官長のシュタープから出た光の帯で前神殿長がぐるぐる巻きにされた場面とシュネティルムとの戦いの時に一本釣りされた思い出が頭を過った次の瞬間、わたしは黒ずくめに一本釣りされてしまった。ぐんと強く引かれて、黒ずくめに向かって勢いよく、空中を飛んでいく。
他人の魔力でできた光の帯で巻かれたせいか、わたしの集中力が切れて魔力供給が途切れたのか、レッサーバスが魔石へと戻るのが視界の隅に映った。
「あぅっ!」
わたしを一本釣りした黒ずくめは、神官長と違って受け止めれくれるはずもなく、わたしの体は地面に叩きつけられ、ザザッと滑る。
シュタープを握った黒ずくめが地面に転がるわたしを見て、酷薄な灰色の目を薄く細めた。
「やっと捕まえたぞ。青色巫女見習いが領主の養女になるとは、本当に手こずらせてくれたな。だが、其方がいれば、あの方もきっとお喜びになる」
目の部分しか見えないけれど、それでもわかる。この男はわたしをモノのようにしか見ていない。わたしの意思など全く認めていない、平民を見る貴族の目だった。
見慣れていたけれど、ここ一年ほどは全く見なかった視線に、わたしは今までに経験してきた貴族関係の数々の危険を思い出す。前神殿長、シキコーザ、ビンデバルト伯爵……こういう視線には碌な思い出がない。
背筋がぞっとして、身震いし、自分の身を守ろうとわたしは指輪に魔力を込めた。
「風の女神 シュツェーリアよ 側に仕え……けふっ!?」
詠唱を唱え始めた途端にぐっとお腹を踏みつけられ、詠唱を中断させられる。わたしはお腹の痛みと重みに何とか身を捩って逃れようとするが、男はさらに体重をかけてくる。
「あぁ、そういえば、エーレンフェストの聖女は祝福が使えるのでしたか?」
嘲笑うように男はそう言いながら、懐へと手を入れて、薬入れを取り出した。カチンと音を立てて、薬入れの蓋が開く。どこからどう見ても有害な薬が入っているとしか思えない。
わたしは必死にもがいてみるが、大人の男に押さえつけられた状態では芋虫ほども動けなかった。
ガッとわたしの顎をつかんだつかんだ男がわたしの口に薬を流し込む。同時に、苦い液体がわたしの口の中に広がっていく。
舌で流れ込むのを防ぎ、何とか飲み込まずに薬を吐き出そうと奮闘するが、わたしの小さな抵抗に気付いた男に鼻をきつく摘ままれた。
息苦しくなり、体が酸素を求めた瞬間、喉の奥に薬は流れ込んでいった。酸素を求めたにもかかわらず、流れ込んできたのは薬だったせいか、気管に液体が入って、わたしは激しくむせる。
「げほっ! ごほっ!……」
「黙れ」
男は短くそう言って、わたしの口を押さえて周囲の様子を探るように視線を巡らせる。
押さえこまれている間に、液体が流れたところからだんだんと感覚がなくなっていく。まるで歯医者で麻酔をかけられた時のように、唇や舌が動かなくなり、感覚がぼんやりしていくのがわかって、わたしは恐怖に駆られながら、足や手の動かせる部分を必死に動かす。
「ローゼマイン! ローゼマイン!」
わたしを探して森へと駆け下りてきたらしいコルネリウス兄様の声が少し遠くで響いた。
コルネリウス兄様、と叫ぼうとしたが、わたしはいつの間にか口を動かすことも声を出すこともできなくなっていた。先程の薬のせいだろう、口が自由に動かなくなって、ひゅーひゅーという呼吸音以外の声が出せない。
「……っ!?」
助けを呼ぶことも、祈りを捧げて風の盾を使うこともできなくなった恐怖に血の気が引いていく。先程までは自由に動いていた手足さえ、どんどん重くなっていって、自分の意思に反するように動かなくなってきた。
……怖い。
「効いてきたか」
ニヤリと目を細めてそう言った男に光の帯が解かれても、もうわたしの体は全身が痺れていて動かない。
この近距離に男の顔があるのだから、せめて、威圧だけでも発動できればよかったが、怒りよりも恐怖が先に立っているせいか、うまく体の中の魔力が動かない。
……怖い。
黒ずくめの男はわたしを小脇に抱えると、少し離れたところで馬と共に待っていた二人に向かって、わたしを無造作に放り投げた。
「馬車に運んでおけ」
それだけ言うと、黒ずくめの男は闇にまぎれるように木々の間へと姿を消した。
わたしを受け止めたのは、どこかの側仕え、いや、下働きのような格好の男達だ。黒ずくめではない男達の登場にわたしは二人の特徴を少しでも覚えようと視線を動かす。
それを阻むように、二人の男によってわたしは荷物のように全身を布で包まれていき、わたしの視界が生成りの布だけになる。
……怖い。
グイッと持ち上げられた浮遊感の直後、どこかに固定されるような感触がした。多分馬に乗せられたのだろうと思った次の瞬間、馬が
嘶
きと共に走り出した。ガクンガクンと全身が揺れ、お腹の辺りに衝撃がドコンドコンとやってくる。
けれど、先程の薬で感覚が鈍くなっているのか、わたしのお腹に伝わってくるのは痛みではなく、妙な違和感だけだ。自分の感覚がおかしいことに恐怖だけはやおら増していく。
……怖い。
「ローゼマイン!」
馬の
嘶
きや足音に気付いたのか、コルネリウス兄様の声がこちらへと向いたのがわかった。けれど、この木々の多い場所では羽を大きく広げる騎獣は使いにくいだろう。
焦りを含んだコルネリウス兄様の声が段々遠くなる。
……助けて!
護衛騎士、神官長、お父様、養父様、父さん、ルッツと頭の中には次々と顔が浮かんでは消えていく。
わたしは声にならない声で必死に助けを呼んだ。
……助けて!