Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (269)
救出
馬が走って移動していた。ガックガックと揺れるたびに、わたしのお腹に鈍い衝撃がくる。
わたしは布に包まれたままなので、周囲の様子が全く見えない。ただ揺られて、どこかに運ばれていくのがわかるだけだ。
……あれ?
瞼
が動かなくなってる?
目が開いたり閉じたりするのが、揺れの衝撃によるもので、自力では瞬きさえできなくなってきたことに気付いた。自分で動かせる部分がもう残っていないことに首筋がひやりとする。
全ての感覚がなくなり、このまま死ぬのではないだろうか、という考えがふっと浮かんできた。今の状況では、そうなりそうな可能性が高い気がして、わたしはその恐ろしい考えを必死で振り払う。
……いやいや、あの黒ずくめは「馬車に運べ」とか「あの方が喜ぶ」とか言っていたから、わたしが死ぬような薬を飲ませたわけじゃないよね?
敵の言葉に縋るというのも変だが、こうしてゆっくりと死に近づいているような感覚の中では、溺れる者が藁をもつかむように敵の言葉さえ拠り所にしたくなる。
わたしが抵抗できないようにしただけで、殺すつもりはないはずだ。あの灰色の目はわたしを物扱いするような冷たい目だったけれど、殺意を持っている目ではなかった。殺すつもりならば、あの場で殺すのが一番確実だった。
大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせ、ほんの少しの安寧を得ていたところに、もう一つ、嫌な予感が浮かんでくる。
……他の人にはセーフだけど、わたしには致死量ってことはないよね?
わたしは「ありそう」という答えが浮かんできた最悪の予想を必死に振り払う。
まだお城の敷地内だ。ヴィルフリート達が本館に戻って、襲撃を報告していれば、そろそろ救援が来るに決まっている。
……襲撃があった北の離れの方へ行って、シャルロッテの誘拐騒ぎについて話を聞いて、それから、こっち……
わたしは冷汗の出る思いで、救援の動きを予測する。
果たして、救援がわたしのところまでくるだろうか。森のように木々が生い茂った中を走る馬に気付いてくれるだろうか。息が止まるくらい薬が回るまでに間に合うだろうか。
……神官長なら、間に合うかも。
毒薬を飲まされていても、薬に詳しいマッドサイエンティストな神官長が何とかしてくれるはずだ。わたしは神官長の万能さを信じている。
……神官長、助けて!
突然爆音が響いた。
今まで規則正しい足音を立てて走っていた馬が、近くで起こった爆音に驚き、悲鳴のような
嘶
きを上げながら、勢いよく後ろ足で立ち上がる。
荷物のように縛りつけられていたわたしは、ちょっと体が跳ねただけだったが、騎乗していた男は、爆音にも突然棹立ちになった馬にも驚いたようで、悲鳴を上げた。
「うわああぁっ!」
その声で更に恐怖に駆られたのだろうか、馬が暴れてめちゃくちゃに走り出した。隣を走っていたもう一頭の馬も暴走したようで、駆けていく足音が別方向へと離れていく。
「落ち着けっ! 止まれっ!」
爆発音により驚いた馬が暴れて走るせいで揺れがひどくなり、馬が御せなくなった男の上ずった声が聞こえるけれど、わたしの目に映る景色も、状況も変わりない。
それまでは馬の足音しかしないくらい静かだった夜の森が、けたたましい爆音の直後からにわかに騒がしくなった。周囲の鳥や獣が驚きの鳴き声を上げて逃げ惑う鳴き声が聞こえてくる。
直後、布にぐるぐる巻きにされているにもかかわらず、体中が震えるほどの大音声が響いてきた。
「私の唯一の孫娘をさらった愚か者は、お前かああぁぁぁっ!」
耳に飛び込んでくる空気がビリビリ震えているようで、全ての感覚がおかしいはずのわたしの心臓が縮み上がった。その大音声と内容に、わたしは救援に来てくれた人の正体を知る。
……おじい様!?
深い怒りを感じさせる、先程の爆発音よりも大きな怒鳴り声に、馬が再び棹立ちになって、そのまま動かなくなった。
……え? 馬が立ったまま止まった?
その後、馬がゆっくりと倒れていく。横転という倒れ方を感じて、わたしは真っ青になった。倒れ方によっては、縛り付けられているわたしが馬の下敷きになってしまう。
……おじい様、手加減プリーズ!
ひいいぃぃっ! と悲鳴にならない悲鳴を上げていると、わたしを馬に縛り付けてあった戒めが切られて、素早く誰かに持ち上げられる感触がした。
「ローゼマイン、入っているか?」
わたしが包まれている布を持ち上げて、無造作に振りながら、安否確認の声をかけてくれるのは、間違いなくおじい様だ。だが、全身が動かなくなっているわたしには返事もできないし、文句を言うこともできない。
……おじい様、上下逆! 感覚はないけど、頭に血が上っちゃう! やめて! 振らないで!
「返事がない! まさか、死んでいるのではないか!? ローゼマイン、今すぐ出してやるからな!」
そんな声がしたかと思うと、上下逆に振られていた体の位置が横向きになった。だが、ホッとしたのも束の間のことだった。
おじい様が布の端を持って、「ふん!」と気合の入った声を上げた。バサッと振って、布を剥がそうとする動きを感じて、わたしは心の中で必死にストップをかける。
おじい様の全力で布をブンと振られれば、わたしなど飛んで行ってしまうに違いない。
……待って、待って、止めて! 誰か、おじい様を止めて! わたし、死んじゃう!
わたしの声にならないストップがおじい様に届くはずもなく、わたしを手っ取り早く布から出すことを考えたおじい様がグッと布をつかんで、バッと振った。
直後、わたしは布の動きに合わせて、ぐるぐるぐるん! と高速で体が回り、布から飛び出し、予想していた通り、勢いよく空中に投げ出された。
高速で横回転しながら、わたしの体は飛んでいく。
……ひゃああああぁぁぁぁ!
「うわああぁぁっ! ローゼマイン!?」
慌てふためくおじい様の叫ぶ声が聞こえると同時に、誰かがガシッとわたしを捕まえてくれた。
「ボニファティウス様! 扱いを間違えたら死ぬ、とカルステッドに言われていたのではなかったのですか!? ローゼマインが白目を剥いているではありませんか!」
「……フェルディナンド、死んでおらぬよな?」
怒鳴られて、少ししょぼんとしたようなおじい様の声が聞こえる。
神官長は軽くわたしの頬を叩いたり、脈を計ったりしながら、冷たく返した。
「全く反応がないので、無事とは言い切れませんが、脈はあります」
……神官長はわたしの命の恩人です。
おじい様の扱いの後では、神官長の扱いがこの上なく優しくて丁寧に思える。おじい様を遠ざけていたお父様に感謝したい気持ちでいっぱいだ。
「まったく。心配なのはわかりますが、あれでは元気な者でも死にかねません。大丈夫か、ローゼマイン?」
そう言いながら、神官長はてきぱきとわたしの容体を調べていく。体温や脈を計った後、神官長がかなり顔を近付けてきた。口元で吐息を感じる。
「薬の臭いがする」
その呟きで、周囲に緊張が走ったのがわかった。ガサガサと音がして、紙片のような物がわたしの口に突っ込まれる。その後、神官長が「よりにもよって、あれを使ったか」と怒りをにじませた低い声で呟いた。
「……まずい」
「どうした、フェルディナンド?」
「至急解毒しなければ、このままではローゼマインが死ぬ」
「なっ!?」
おじい様とわたしの心の叫びがぴったり合った。もしかしたら、このままでは死ぬのではないかと思っていたが、神官長に断言されると、可能性ではなく、確実な未来としか思えない。
神官長がカチャカチャと金属音をさせた。直後、薬の臭いが鼻に飛び込んでくる。腰に下げてある薬入れの一つを取り出したのか、と思った直後、ガッと口をこじ開けられて、薬を染み込ませた布を突っ込まれた。
正確には、神官長は人差し指に薬を染み込ませた布を巻いて、わたしの口の中に突っ込んだようだ。まるで歯磨きでもさせるように、わたしの口の中に薬を塗りたくる。
……あががががが!
「これはあくまで薬の効果を弱め、抑えるための薬で、ただの時間稼ぎです。工房に行かねば、解毒薬はない」
わたしの口に布を突っ込んだまま、神官長は自分の指だけを抜く。
「ならば、すぐ医師に……」
「いや、ローゼマインの虚弱さと投薬できる適量を一番知っているのは私だ。神殿の工房で治療と療養を行います」
神官長はそう言いながら、再びわたしの体を布で包んだ。顔に空気が当たっているので、物のように包まれたわけではないらしい。そして、わたしの体を抱き上げる。神官長が頭の位置を整えることで呼吸が楽になってホッとした。
「神殿だと!? そのようなところでローゼマインの治療など……」
貴族にとって神殿は好んで足を向けるようなところではない。だからこそ、おじい様も神殿での治療に難色を示すのだろう。しかし、わたしにとっては、城よりも気を許せる側仕え達がいて、神官長の工房も作ったユレーヴェもある安心できる場所だ。
「余計な貴族が寄ってこないという点だけでも、城より優れています。こうしている時間が惜しいので、失礼します」
「フェルディナンド、待て! ローゼマインは我が家で面倒を見る」
「今ローゼマインを救えるのは私だけだ! 邪魔をするな!」
丁寧な態度をかなぐり捨てて、神官長がおじい様に怒鳴った。そこに含まれる怒りにわたしは肝を冷やす。
ここで神官長とおじい様の戦いが始まってしまったら、わたしは確実に死ぬだろう。
わたしを抱き上げている神官長の腕に力が籠った。
「おじい様、ローゼマインはフェルディナンド様に任せてください。フェルディナンド様、これを! ローゼマインの魔石です」
コルネリウス兄様の声がした。どうやら騎獣用の魔石をコルネリウス兄様が拾っていてくれたらしい。腰の金具に片付けてくれるのがわかった。
お礼を言おうと口を動かそうとしたが、やはり口は動かない。
「ローゼマイン、守れなくてすまない」
コルネリウス兄様がわたしの頬を撫でたのがわかった。シャルロッテとアンゲリカを助けてくれただけで十分だったが、コルネリウス兄様の声は暗い。「気にしないでください」と言いたいけれど、声が出ないのがもどかしい。
「コルネリウス、すまないと思うのならば、ローゼマインを害した者を捕まえろ。相手は貴族だったはずだ。そこでボニファティウス様に潰されたのはただの下働きで、貴族ではない」
神官長の声がひんやりしている。ものすごく怒っていることがひしひしと伝わってくる。
「……おじい様、私が耳にした馬の足音は二頭分でした。もう一人、森のどこかにいると思われます」
「ボニファティウス様にもローゼマインをこのような目に遭わせた犯人の検挙をお願いいたします。情報が取れる状態で捕えてください。くれぐれもそこの男のように頭を潰してしまわぬようにお願いします。記憶を探ることさえできなくなりますから」
神官長の言葉に、わたしは今、自分が目を開けていなくて良かった、と心から思った。おじい様によって頭を潰された男なんて見たくない。
「わかった。行くぞ、コルネリウス! フェルディナンド、私の孫娘を頼む」
「確かに承りました」
おじい様は即座に「犯人を捕らえてくる」と駆け出して行く。「祖父の暴走は孫が止めろ」と神官長に言われたコルネリウス兄様も急いでおじい様の後を追っていく。
神官長が動き、抱き直されたかな、と感じた直後、羽がバサリと動いた音がした。神官長の騎獣が動き出した音だった。
「ローゼマイン、絶対に助ける。だから、最後まで薬に抗え」
口に突っ込まれたままの布の動きから、恐ろしいほどのスピードで神殿に向かって駆けているのがわかる。
おそらく他の誰も付いていくことができないようなスピードで、神官長は神殿へと戻った。
神官長が大股で早足で歩き始め、ふわりと全体的に漂っている香の匂いに、わたしは神殿へと戻ってきたことを実感する。
すでに7の鐘が鳴り終わっている時間だ。神殿の中には人の気配がほとんどなく、しーんと静まりかえっている。その中を神官長の足音だけがカツカツと響いていた。
「通せ」
神官長がそう言うと、ヒッと息を呑む声がして慌てたように扉が開いていく音がした。「フラン」と神官長が呼びかけたことで神殿長室にいることがわかる。
「神官長、一体どうされ……ローゼマイン様!?」
フランが寝ずの番として部屋にいたようで、驚いたような声が上がった。神官長はフランにわたしの身柄を預けながら、説明する。
「襲撃を受け、毒を受けた。これから解毒を行う。工房から薬を取ってくるので、服を白の物に着替えさせておけ。それから、口に入れてあるハンカチは取るな。毒の進行を抑える薬を含ませている」
「かしこまりました」
フランはわたしを抱き上げたまま、片手で側仕えを呼ぶためのベルを鳴らした。すぐにバタバタと複数の足音がして、側仕えが集まってくる。
「ニコラ、モニカ! すぐにローゼマイン様を白の服に着替えさせてください。ザーム、フリッツ、ギル。部屋の明かりや温度を整えてください」
「はい!」
全身に全く力の入らないわたしを着替えさせるのはニコラとモニカだけでは不可能で、フランがわたしを支えたまま、背中のボタンが外されていき、髪飾りが外されていく。
「ローゼマイン様、しっかりしてください」
「フラン、ローゼマイン様は大丈夫ですか?」
わたしが全く反応を示さないことが不安なようで、ニコラとモニカがフランに問いかける。
「神官長がいらっしゃいます」
そう答えるフランの声も硬く、わたしを支える手が微かに震えているのがわかった。
「入るぞ」
そう宣言して、側仕えが返事を返すよりも早く神官長が入ってくると、コンコンとテーブルに何やら物を置いていく。
意識がないとはいえ、部屋の主が着替え中であるのに、神官長が全く頓着していない。その性急さが、わたしの命の危険性を示しているようで、心臓が速くなった気がした。
「あぁ、もうその肌着のままで良い。寒くないように布で包んでおけ。時間が惜しい。どうせ解毒を終えたらユレーヴェを使うからな」
神官長の言葉通り、寒くないように布で包まれたかと思うと、「こちらに貸せ、フラン」という声が聞こえてきた。
椅子に座る神官長に渡されたようだ。そう思っていると、口のハンカチを引っ張り出され、代わりに細長い棒を突っ込まれた。スポイトのようなものだろうか。少しずつ薬が口の中に入ってくる。何の味もしない。
……薬に味がないのか、わたしに味覚がないのか、どっちだろう?
薬を流し込み終わった神官長がわたしの脈を取って、ふぅと軽く息を吐いた。
「まだ脈はある。おそらく間に合ったと思う。……フラン、薬が効いてくるまで、この体勢を崩さないように抱いて支えていろ。舌の位置によっては呼吸ができなくなるから、注意するように」
「わかりました」
再びフランが神官長からわたしの体を受け取り、頭の位置や体の位置に気を付けながら、支えてくれる。
「私はユレーヴェの支度をしてくる」
神官長の足音が遠ざかっていくのがわかる。
でろん、とわたしがフランにもたれかかっていると、何人もの気配が近付いてきた。
「フラン、ローゼマイン様は大丈夫ですか?」
「神官長のお薬を頂いたのですから、大丈夫に決まっています。神官長は間に合った、とおっしゃいました」
神官長を信頼しているフランの声は幾分柔らかい。そして、フランが確信を持っているように請け負ったことで、周囲の雰囲気からも悲壮感が少し薄れていく。
「本を読んであげます。だから、元気になってください、ローゼマイン様」
そう言って、ギルが絵本の音読を始めた。心が温かくなって和んでいるうちに神官長の薬が効いてきたようだ。わたしの唇が少しだけ動いたらしい。
「あ! ローゼマイン様が笑ってますよ、ギル。聞こえていらっしゃるみたい」
ニコラが嬉しそうな声を出した。ギルの音読が少し大きくなった。そして、少し安心したようにニコラとモニカが髪飾りや衣装の片付けを始めた。
一冊の絵本をギルが読み終わる頃には口元が少し動き、瞼に少し力が入るようになってきた。何度か力を入れて、やっと目が開けられる。
「ローゼマイン様!」
よかった、とわたしを取り囲んで喜ぶ側仕え達の顔が見えた。唇がなかなか動かなかったけれど、わたしは何とか声を出そうとしてみる。
「……しんぱい、かけ……」
「無理をしないでくださいませ」
「薬が効くまで、おとなしくしていてください」
寄って集って心配してくれる側仕え達の存在が嬉しくて、殺伐としていた環境が遠ざかったことを実感して、ホッとする。
「……少し、声が出るようになってきました」
「まだ体は動かないようですから、もうしばらくこのままでいてください」
わたしはフランにもたれかかったまま、「はい」と返事をする。下手に頷こうとしたら、頭がガクンと落ちて自力で顔が挙げられない危険性があるのだ。
「ねぇ、フラン。わたくし、これからユレーヴェを使うのでしょう?」
「神官長がそうおっしゃいましたから、そうなるでしょう」
ユレーヴェを使うと、しばらく意識を失うことになる、と神官長に聞かされている。ならば、ユレーヴェを使う前に指示だけは出しておいた方が良いだろう。
「では、準備している手紙を下町の皆に届けてください。それから、城に置いてきたわたしの専属達も神殿に戻してもらえるように神官長に頼んでください。……神殿に関しては、わたくしが城へ向かった時の長期不在と同じです。わたくしの側仕えは優秀ですから、ユレーヴェを使っている間も滞りないと思いますけれど、よろしくお願いしますね」
「お任せくださいませ」
いくつかの注意事項と共に後のことを頼むと、わたしは隠し部屋へ向かうことにする。
解毒薬で体は少しずつ動くようになってきているのに、体内の魔力があまり動かないのだ。勝手な自己判断かもしれないが、良い状態だとは思えない。
「フラン、隠し部屋へ参ります。悪いけれど、運んでもらって良いかしら? わたくしと一緒ならば、入れるはずです」
「かしこまりました」
フランに抱き上げてもらって、わたしはまだ自分の自由にはならない震える手を伸ばし、隠し部屋の扉の魔石に触れる。少しずつ魔力が流れていくのがわかるけれど、いつもの状態ではない。
「神官長、ローゼマイン様がお目覚めになりました」
何とか隠し扉を開くと、神官長は白い水差しでお風呂だか棺桶だかわからないような白い箱の中をユレーヴェで満たしていた。
「神官長、魔力があまり動きません。固まってきているみたいです」
「すぐにユレーヴェを飲みなさい」
顔色を変えた神官長が杯にユレーヴェを注ぎ、フランに渡した。わたしはまだ完全に自由にならない手でそっと杯に手を添えながら、フランに支えてもらってユレーヴェを飲んでいく。少し甘いと感じることで、味覚が戻ってきていることがわかった。
わたしがユレーヴェを飲んでいる間にも、神官長はずっと白い水差しからユレーヴェを注ぎ続けている。それほど大きくはない水差しからずっとユレーヴェが出てきていて、代わりに鍋には触れてもないのに、鍋の中身が減っているように感じた。
「まるで繋がっているみたいですね」
「まるで、ではなく、繋がっている。……これくらいか」
そう言った神官長が水差しをコトリと置いた。そして、わたしを抱き上げて、ユレーヴェで満たされた白い箱の中へと座らせる。白い箱の中には魔法陣が敷かれていて、わたしが座った瞬間、わたしの体には魔力の線が赤く浮かび上がった。
「魔法陣には問題なさそうだな。……ただ、君の魔力は……」
低く呟きながら、神官長はわたしの腕や首筋の流れを注視する。神官長がいくつか検査しているうちにどんどんと瞼が重くなってくる。
「……何だか眠いです、神官長」
「あぁ、薬が効いてきたのだろう。このままここで眠ると良い。おやすみ、ローゼマイン」
「おやすみなさい、神官長。後のことはお願いします」
「あぁ、君の眠りを妨げる者は、私が排除する。安心して眠りなさい」
神官長の大きな手がわたしの目元を覆う。それと同時に、意識がすぅっと落ちていく。ゆっくりと自分の体がユレーヴェに浸けられていくのを感じていた。
ゆらゆらと揺れる液体に全身が浸かる感覚は、何故かひどく懐かしくて、ひどく安心できるものだった。