Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (272)
閑話 洗礼式の日のおじい様 後編
「ボニファティウス様がいらっしゃいました」
扉の前を守る兵士達の声と共に、ゆっくりと領主の執務室への扉が開けられた。コルネリウスを先頭に、私はジョイソターク子爵を引きずって、アンゲリカは下働きの男を引っ張って入っていく。
領主の執務室に並ぶのはエーレンフェストの首脳陣だ。
領主夫妻、ローゼマインの後見人であるフェルディナンド、ローゼマインの両親である騎士団長夫妻が正面の壁を背にするように並んでいる。
そして、右側には騎士団の役付きが五名と、領主一族の護衛騎士から代表が一名ずつ。左側には城の側仕えを統率するノルベルト、それから、リヒャルダやオズヴァルト達領主一族の筆頭側仕えが揃っていた。
私は居並ぶ者を見回し、皆の視線が引きずってこられたジョイソターク子爵に向いていることを認めながら、ジルヴェスターに一つ頷いた。
「お召に従い、参上いたしました」
「ボニファティウス、ご苦労だった」
そして、今一番大事なことを聞くために、私はフェルディナンドへと視線を向ける。
「これを尋問する前に聞いておきたいことがございます。……フェルディナンド、ローゼマイン様は?」
「命に別状はありません。ですが、詳しいお話は人払いをしてからが良いかと……犯罪者に余計な情報を与える必要もありません」
ジョイソターク子爵を示すように言葉を吐きながら、フェルディナンドは視線だけでそれとなく側仕えや護衛騎士の中に、今回の事件と通じている者がいる可能性がある、と示す。
私としては、すぐに捻り潰せそうな小物の話を聞くよりも、ローゼマインの容体が聞きたいのだが、仕方がない。
「では、ボニファティウス。其方が大広間を飛び出してからの話を聞こうか」
アウブ・エーレンフェストの言葉によって、尋問は開始される。私は大広間を出てから先の出来事を語った。身体強化によって一番乗りで交戦している現場に到着したこと、殴ったら爆散したこと、ローゼマインを救い出したこと、下働きの男を捕えたこと、ロートを発見した先でアンゲリカがジョイソターク子爵を捕えていたことを述べていく。
「そちらの下働きの男は、黒ずくめの貴族の男に命令されただけのようです。馬で荷物を運び、最も下働き達の仕事場に近い位置にある紋章のない馬車に乗せるように言われただけだそうです」
「アウブ・エーレンフェスト。ボニファティウス様のおっしゃる通り、確かにその位置に馬車がございました」
貴族達を帰宅させるために見張っていた騎士団からの情報によると、下働きの男が指示された位置に、紋章のない馬車があったと言う。
紋章のない馬車は、側仕えや下働きを乗せるための馬車だ。紋章はついていなくても、下働きの者達の間では、自分達の馬車がわかるように印が入れられている。ただ、その印は主でもない貴族では見てもわからない。
「大広間にいた全ての貴族が帰った後も、ジョイソターク子爵の紋章が付いた馬車と紋章なしの馬車が三台残っておりました。おそらく、従者や側仕えと共に黒ずくめを連れ込んだのだと思われます。ジョイソターク子爵の馬車で間違いないでしょう」
「……ですが、ジョイソターク子爵の紋章が付いた馬車から、たった一台だけ、馬車がずいぶんと離れてあったのです。仮にローゼマイン様をさらうことに成功しても、周囲には奇異に映ったと思われます」
役職付きの騎士達がそれぞれの意見を述べ始める。だが、どの意見もジョイソターク子爵が犯人であることを前提とした証言ばかりだ。大広間にいた貴族で不在だったのがジョイソターク子爵なので、無理もない。
だが、猿轡を噛まされたままのジョイソターク子爵は必死に首を振って、彼等の意見を否定していた。涙さえ浮かべてブルブルと首を振っている。誘拐犯には違いないだろうが、その必死さが私には少し気になった。
ちらりとジルヴェスターに視線を送ると、同じような不可解さを感じているようで、ジルヴェスターが小さく頷く。
「ジョイソターク子爵の意見も聞きたい」
猿轡を取られるや否や、ジョイソターク子爵が悲鳴のような声を上げた。
「アウブ・エーレンフェスト、私の馬車は紋章付きが一台と紋章なしが二台でございます。その離れた場所にあったという一台は存じません。それに、私はローゼマイン様をさらってなどいません。私がさらったのはシャルロッテ様ではございませんか。それは私を捕えた騎士が知っているはずです」
ローゼマインの誘拐には全く関与していない、とジョイソターク子爵が言い募る。その分、自分のしでかしたことに関しては、べらべらと喋っているようだが。
「アンゲリカ、どうだ?」
「はい、確かにジョイソターク子爵がさらったのはシャルロッテ様でございます。そして、シャルロッテ様を放り出して逃げ出した先は東。ローゼマイン様が助け出された南からは距離がありました。両方の犯人と考えるには、少し無理があると思われます」
アンゲリカの言葉に周囲がざわめき、ジルヴェスターはすっと目を細めた。
「では、他にも貴族の中に犯人がいるということか?」
「……わたくしにはわかりません。落下するシャルロッテ様をわたくし達がお助けする間に、東の森に飛び込んでから南に向かって急旋回し、ローゼマイン様を魔力の網で捕えて、薬を飲ませた後、下働きの男に渡し、すぐにまた東の遠く離れた管理小屋に逃げ出すことができれば、何とかできたかもしれません」
アンゲリカは真面目な顔で言っているが、それが普通の人間には無理だということは誰もがわかることだ。
私はジョイソターク子爵の捕獲現場を思い返した。確かに、コルネリウスが騎獣で降りていった場所から離れていた。森の中では羽を広げる騎獣を使うのが難しい以上、馬を準備していてもジョイソターク子爵には両方の誘拐を成功させることは不可能だ。
……私ならば可能だがな。
私が身体強化を使って全力で走れば、ギリギリ間に合うかもしれない。だが、ジョイソターク子爵には無理だ。しかも、それだけの身体強化ができて、魔力が豊富にあれば、アンゲリカに捕えられるはずがない。
トントンと軽く指先で机を叩いたジルヴェスターが、アンゲリカからジョイソターク子爵へと視線を移した。
「ジョイソターク子爵、共犯者は誰だ?」
「共犯者などおりません。このような計画が他人の口から漏れることを考えれば、自分一人の力で行うのが確実でございます」
どう考えても、そのように誘導されて踊らされているようにしか思えない。大それた計画を考えて実行するには、ジョイソターク子爵はあまりにも力不足だ。
「では、ジョイソターク子爵。其方の行いを子細に述べよ」
そこから始まったジョイソターク子爵の言い分は、ひどく頭の痛いものだった。愚かすぎて、頭を使うことが得意ではない私でも声が出せない程だ。何かする時には綿密な計画を立てるフェルディナンドなど、こめかみを押さえたまま動けなくなっている。
簡単に述べると、ジョイソターク子爵は領主の子供の内の誰かを誘拐して、狩猟大会の折に発見した管理小屋に隠す予定だったそうだ。
ヴィルフリートかシャルロッテをさらった場合は、ローゼマインにその場所の情報を教えたり、一緒に救出したりすることでローゼマインの心証を良くしようと考えたらしい。そして、ローゼマインをさらった場合は、自分が一番に助けに行って、恩を売るつもりだったそうだ。
……今でも警戒されてローゼマインに近付けていないのに、どのようにして情報を流すつもりだったのだろうか。おまけに、ローゼマインを一番に助けに行くのは私に決まっている。考えなしめ。
身食いの黒ずくめを従者として馬車に隠して連れ込み、護衛騎士の足止めをする。自分が逃げ切った後は、爆発させて証拠隠滅を図れば、連れてきた馬車には紋章も付いていないので、バレるはずがないと考えたらしい。穴だらけで行き当たりばったりの計画だった。
そして、この愚か者は、ローゼマインの騎獣が空を飛べることを知らず、騎獣で追いかけられたのが予想外だったそうだ。
絶対に捕まるわけにはいかなかったので、シャルロッテを放り出して逃げたが、逃げ切ったと思ったところをアンゲリカに捕えられたのが、更に予想外だったらしい。
もっとも、計画の根本がひっくり返ったのは、ローゼマインの行動だったそうだ。まさか洗礼式で会ったばかりの義理の妹を助けるために、騎獣で飛び出すほどの愛情をローゼマインが持っているとは思わなかったらしい。
これだけの愚か者が派手に動いてくれれば、ローゼマインをかどわかそうとした者も、ずいぶんと楽に動けたに違いない。
ジョイソターク子爵の言い分に、エルヴィーラが呆れ果てたような溜息を吐いた。
「ローゼマイン様は孤児にさえ心を砕くエーレンフェストの聖女でしてよ。親族を自称するというのに、ご存知ないのかしら?」
「ローゼマイン様は私の妹だったローゼマリーの娘で、私の姪で……」
「思い違いをしていてよ、ジョイソターク子爵」
エルヴィーラが冷ややかな笑みを浮かべて、ピシリと言葉を遮った。そして、静かに漆黒の瞳でジョイソターク子爵を見つめる。
「貴方はローゼマイン様の親族ではございません。ローゼマイン様は、わたくしの娘ですもの。洗礼式でもわたくしが正式に母親として対応しましたし、ローゼマイン様もお母様とわたくしを慕ってくれております」
エルヴィーラの言う通り、貴族の子として認められるのは、洗礼式の時だ。その時に対応する者で、父親と母親がはっきりと決まる。愛人の子が優秀なため、第一夫人の子として洗礼式を受けるということも珍しくはない。その場合は生さぬ仲なので、良好な関係が結べることは珍しいが。
「本当に、ローゼマイン様と貴方に何の関係も生まれていなくてよかったこと。さらわれ、毒まで飲まされたというのに、これ以上、自称親戚のことで煩わされてはローゼマイン様が可哀想ですもの。全く良い影響など与えない自称親族など、必要ございませんわ。ジョイソターク子爵にもわたくしの親心は理解できるでしょう?」
くすりと笑いながらエルヴィーラが、ジョイソターク子爵の血縁者をローゼマインの周辺から徹底的に退けると宣言した。晴れ晴れとして見える表情に、ずいぶんと鬱屈した感情が溜まっていたことが知れる。
……元々エルヴィーラは第三夫人のことで色々と煩わされていたようだから、本当に容赦なく排除するであろうな。
カルステッドの留守中に何度か相談を受けたことがある私は、軽く息を吐いた。
もちろん、私もローゼマインを危険に晒した者に対して容赦するつもりなどない。捻り潰すのを我慢していたくらいだ。さっさと処分してしまいたい。
「領主の養女であるローゼマイン様に毒を盛った以上、極刑は決定でしょう?」
「エルヴィーラ様、私は毒など盛っておりません! 何故そのような、ローゼマイン様に危害を加えるようなことをするとお思いですか!? 私の姪ですよ!?」
「姪ではございません。それに、どのような思惑があろうとも関係ございませんわ。ローゼマイン様に危害を加えていなくても、貴方は領主の館を襲撃し、シャルロッテ様に危害を加えたのですもの」
エルヴィーラの言葉に、ジョイソターク子爵はガックリと項垂れた。
明らかに罪を犯しているので、ジョイソターク子爵を処分するのは問題ない。だが、彼を踊らせた陰で、ローゼマインに危害を加えた貴族がわからない。
「……カルステッド様、閉ざした大広間の貴族は全員確認できたのでしょう?」
エルヴィーラが夫であり、騎士団長であるカルステッドを見上げて、首を傾げた。大広間の騎士団を統率していたのだろうカルステッドは重々しく頷く。
「あぁ、お手水から戻った者も含めて、全て確認済みだ。外に出ていた貴族はおらぬ」
大広間にいた貴族達の現場不在証明は騎士団が行ったことなので、並んでいた騎士達の数人がカルステッドの言葉に同意して頷いた。
嘘を見逃さぬという強い目でジルヴェスターがジョイソターク子爵を見据える。
「ジョイソターク子爵、共犯者や協力者の類はおらぬのだな?」
「……はい」
こめかみを押さえたまま、じっと話を聞いていたフェルディナンドが、ゆっくりを口を開いた。
「私が気になっているのは、北の館近くを襲撃した私兵だ。あれは本当に其方の私兵か?」
「フェルディナンド様、あの私兵はビンデバルト伯爵の私兵でした。私は戦闘の最中に指輪を確認いたしました。神殿でも同じ指輪を見たことがあります。私一人の証言では信用されないかもしれませんが、間違いありません」
意を決したように顔を上げたローゼマインの護衛騎士がそう発言した。ローゼマインの洗礼式前から護衛騎士として側にいた下級騎士だ。
領主の許しなく街に入り、領主の養女であるローゼマイン、領主の異母弟であるフェルディナンドに攻撃を仕掛けたことで罪に問われたアーレンスバッハの貴族の名に、ざわりと周囲がざわめいた。
「ビンデバルト伯爵だと?」
「誰か、他に気付いた者はおらぬか?」
戦っていた護衛騎士の中には黒ずくめが指輪をしていることに気付いた者もいたが、紋章までは認識しておらず、証拠集めをさせられた騎士達によると、爆散してしまった黒ずくめには、指輪のような証拠などなかったらしい。
戦いの最中に指輪の紋章まで確認しているのが下級騎士一人というのが、証言や証拠としては弱いが、フェルディナンドは一つ頷いた。
「ジョイソターク子爵、あれはどこから手に入れた? 何故、其方が所有している? 従属の指輪を付けている以上、あの私兵はビンデバルト伯爵の所有物のはずだ」
「わ、私は存じません。以前、なくしても惜しくない私兵として、ゲルラッハ子爵にお譲りいただいただけで……そのような、他領の犯罪者と関係のある者だったなど、私は……」
愕然とした顔で目を見開いて首を振るジョイソターク子爵は、本当に操り人形だったのだろう。これ以上の有益な情報が欲しければ、記憶を覗く以外に方法はないと思われる。
「……其方はもう良い。領主一族に手を出した以上、極刑は免れぬ」
ジルヴェスターが軽く手を振って、ジョイソターク子爵を連れ出すように指示した。即座に騎士団の二人が動いて連れ出していく。
「明日はゲルラッハ子爵を呼び出せ」
「はっ!」
ゲルラッハ子爵は、私の妻の実家であるライゼガング伯爵領と隣り合ったところに領地があり、昔から軋轢がひどい、と聞いたことがある。他にも何か有益な情報がなかったか、私は記憶を探った。
……そういえば、ゲルラッハ子爵の妻が茶会を開いてゲオルギーネを招いた、と言っていたな。
次の日はゲルラッハ子爵が呼び出され、問いただされることになった。ただ、昨夜と違い、この場にいる者は少ない。領主夫妻とフェルディナンド、そして、私とカルステッド、騎士団の役付きが五名だけだ。
「さて、ゲルラッハ子爵、其方に聞きたいことがある」
「何でしょう?」
裕福さを見せつけるような、と言えば聞こえは良いが、鍛えることがないらしい、少しばかりたるんだゲルラッハ子爵の腹がわずかに揺れたのがわかった。
……上背はそこそこあるのだから、少しは鍛えればよいだろう、まったく。まだ若いのにみっともない。私の腹筋を見習え。
私が自分の腹を押さえながら、文官の鍛錬の必要性について考えていると、ジルヴェスターに質問されたゲルラッハ子爵は、何故呼び出されたのか全くわからない、というように首を傾げる。
「何故ビンデバルト伯爵の私兵を所有していた?」
「はて、ビンデバルト伯爵の私兵、でございますか? 私はそのようなものを所有していたことはございませんが?」
「昨夜、北の離れに近いところで襲撃があったことは其方も知っているだろう? その際に使われた私兵がビンデバルト伯爵のものだったのだ」
全くわからぬ、と言うようにゲルラッハ子爵が眉を寄せる。完全に知らぬ存ぜぬを貫くつもりのようだ。
「それが一体私とどのような関係があるとおっしゃるのでしょう?」
おっとりとした穏やかな笑みで問いかけられ、ジルヴェスターもやんわりとした笑みを浮かべる。
「襲撃犯は捕えたのだが、私兵をゲルラッハ子爵から譲ってもらった、と言ったのでな。参考までに話を聞かねばならぬ、と思ったのだ。其方はビンデバルト伯爵と交流が深かったようだが?」
「……ほほぅ、昨夜、そのようなことがございましたか」
ゲルラッハ子爵が灰色の目を細めた。そして、「私も困っていたのですよ」と言いながら、同情を求めるように周囲を見回し、肩を竦めた。
「ビンデバルト伯爵とは交流があったのは事実ですし、私兵を預けられていたのも事実です。ですが、私が所有していたことはございません」
「ふむ、続けろ」
ジルヴェスターが軽く手を振ると、ゲルラッハ子爵は「御意」と答えて、私兵について話し出した。
「私兵に関しては、エーレンフェストの街へと向かうのに、私兵を大量に連れて行くわけにはいかない、と言われ、伯爵からお預かりしていたのです。ですが、当人は罪を犯して引き取りにいらっしゃらない。伯爵の関係者もアーレンスバッハ側で何らかの処分があったのでしょう、連絡が付かなくなってしまいました」
「それで?」
「私兵の面倒を見るだけでも無駄な金がかかるのに、当人が死んでいない以上、契約解除も勝手にはできません。ですから、契約解除ができなくても良ければ従者にどうか、とずいぶん前にジョイソターク子爵にお譲りしたのです。まさか城内で騒ぎを起こすために使われるなど、露ほども考えておりませんでした」
……あぁ、この男が犯人だ。
何の脈絡もなく私はそう思った。何がどうとは言えない。ただ、はっきりと自分の勘がそう告げている。穏やかに見える笑みの中の目が濁った笑みを浮かべているのがわかって、非常に不愉快極まりない。
いっそのこと、この場で叩き潰してしまえば、すっきりするだろうが、それをしてはならないと昔から言われている。貴族社会に通用するだけの建前が必要なのだそうだ。面倒くさいことである。
「ビンデバルト伯爵の私兵をジョイソターク子爵にお譲りしたのは私ですが、今回の件に私は無関係です。騎士団が確認してくださった通り、私は大広間にいましたし、そのような大それた計画があることも、実行されることも存知ませんでした」
本人が自信たっぷりに言う通り、ゲルラッハ子爵は大広間にいたことが確認されている。
黒ずくめを譲って、混乱をもたらしたのは間違いないが、直接領主の子に危害を加えることはできなかったはずだ。そう言葉を重ねる。
こちらを見て「まだ、何か?」と灰色の目を細めたゲルラッハ子爵が腹立たしくてならない。おそらく皆がゲルラッハ子爵には嫌な雰囲気を感じているが、現場不在証明は騎士達によってなされているため、この場でこれ以上の言及はできない。
……どうすれば、アレが犯行に及べる?
私はゲルラッハ子爵を犯人だと断定した上で、ローゼマインを捕え、薬を飲ませ、大広間で現場不在証明ができる方法がないか、必死に考える。本来、こういう役目は私の仕事ではない。だが、何らかのやり方があったはずだ。
……私が身体強化を使えないならば、どうする?
私は騎士団が大広間を封鎖して現場不在証明を行ったという言葉とローゼマインを助け出した場所、コルネリウスが騎獣で降りていった場所を思い返し、むむっと眉を寄せた。
「ゲルラッハ子爵、ビンデバルト伯爵の私兵を譲ったのはジョイソターク子爵だけか?」
「えぇ、そうです、フェルディナンド様」
フェルディナンドの質問にゲルラッハ子爵はすぐさま頷いた。フェルディナンドは眉間の皺を深くして、さらに言葉を重ねる。
「其方自身も、私兵をもう抱えていないのだな?」
「……もちろん。ビンデバルト伯爵の私兵はもう手元には残っておりません」
濁って見える灰色の目が細められ、口元の笑みも深くなる。それに対して、フェルディナンドの眉間の皺が深くなった。
「もう良い。ゲルラッハ子爵、下がれ」
ジルヴェスターがクッと顎を上げて退室を促すと、ゲルラッハ子爵は慇懃に礼をして、退室していく。
扉が閉まるのを待って、私はジルヴェスターに呼びかけた。
「ジルヴェスター」
私は視線を上げて、ジルヴェスターの背後にあるタペストリーを見上げた。この奥には魔力供給の間がある。領主一族以外には話せない話がある、という意味だ。
私の視線の意味に気付いたジルヴェスターが小さく頷いて立ち上がった。
「カルステッド、この場を守れ」
「はっ!」
「ジルヴェスターと私は魔力供給の間に入る。他の者は待機だ」
カルステッド達にその場を任せ、私とジルヴェスターと二人で魔力供給の間へと向かった。
ジルヴェスターから執務室で見せていた領主の顔が剥がれ、疲れ切った素顔が出てくる。私も同様に取り繕った顔を止めて、一度肩を力を抜いた。
「伯父上、何だ?」
「ジルヴェスター、其方、大広間を封鎖したと言ったな?」
先程のゲルラッハ子爵の態度を思い出したのか、非常に歯痒そうな表情でジルヴェスターが頷く。
「あぁ、騎士団により、完全に封鎖した」
「それは本当に全てか?」
ジルヴェスターが眉間に深く皺を刻んだ。疑われる不快さと何を思いついたのかという期待が
綯
い交ぜになった深緑の目が、私に向けられる。
「……どういう意味だ?」
「下働きの動く通路や次期領主となる者に教えられる抜け道まで含めて、全てか?」
私の言及にジルヴェスターは驚いたように軽く目を見張った。そして、大広間でのやり取りを思い出すようにわずかに俯く。
「下働きの通路は封鎖したはずだ。だが、抜け道までは……」
基本的に領主が知らされる抜け道で、騎士団にさえ知らされることはない非常用の抜け道だ。騎士団が大広間を完全に封鎖するとは言っても、抜け道の存在を知らせるようなことはしないはずなので、抜け道の出入り口を見張っていた騎士がいるとは思えない。
「私がローゼマインを発見したのは、下働きの使う森の辺りだった。だが、コルネリウスが騎獣を降ろし、ローゼマインの魔石を発見した場所はもっと離れていた。下働きの男達がゲルラッハ子爵からローゼマインを受け取って馬で移動したことを考えると、ゲルラッハ子爵はコルネリウスが降り立った辺りにいたはずだ」
わたしの言葉にジルヴェスターが呆然とした顔になった。考えられない、と言いたげな顔に、私は更に付け加えた。
「かなり昔の記憶だから定かではないが、私が父上から聞いた限りでは、あの近くに大広間と繋がる抜け道が一つあったはずだ。違うか?」
「そうだ。確かに抜け道はある。だが、あれは領主にしか知らされぬものではないのか?」
ジルヴェスターは苦々しそうな顔で、抜け道の存在を肯定した。何故知っている、と視線で問われて、私は肩を竦めた。
「其方の父と私は年が少し離れていただろう? 私も領主教育を一通り受けたのだ」
私の弟であり、領主となったジルヴェスターの父親が幼い時分、先々代領主である父上が危篤の状態になったことがある。父上は何とか持ち直した。だが、いくら私が領主になりたくないとはいえ、弟が成人するまで中継ぎくらいはできなくてどうする、と言われて領主教育を一通り受けたのだ。
「あの抜け道を使われた可能性が高い気がする。その存在がゲオルギーネからゲルラッハ子爵に漏れている可能性はないか?……ただの勘だが」
「っ!?……姉上は抜け道の在処を知っているのか? 私のせいで領主になれぬ、とあれほど騒いでいたのだぞ?」
予想外と言いたげなジルヴェスターの顔から、私はジルヴェスターの認識と周囲の認識に少しずれがあることを知った。
ジルヴェスターにとっては、領主になれずに他領に嫁がされた姉なのだろうが、ゲオルギーネが生まれたころから知っている私にとっては、領主となるべく教育された娘だ。
ゲオルギーネが領主の地位に固執したため、ジルヴェスターとどう考えてもうまくやっていけぬ、と弟夫妻から判断された。そのためにゲオルギーネは祖母の出身地であるアーレンスバッハへと出されたが、本来は私と同じように、ジルヴェスターの補佐をして、共にエーレンフェストを支えていくことを希望されていたのだ。
ゲオルギーネがジルヴェスターの補佐をしてくれるだろう、と弟夫妻が甘い期待を抱いたのは、領主教育を受けた私が、領主の地位に固執せずに弟の治世を支えたせいではないか、と思っている。
「ジルヴェスター、其方は北の離れに移ってからほんの数年間しかゲオルギーネを知らぬであろう。だが、ゲオルギーネは其方が洗礼式を迎え、北の離れに移る時期まで領主教育を受けていた。其方が知っていることは知っていると思っておいた方が良いぞ」
きつく目を瞑ったジルヴェスターがゆっくりと頷いた。
「姉上が関わっているという証拠はあるのか? ゲルラッハ子爵が犯人だという証拠は? 何かあるのならば、それで……」
「だから、全部勘だ。勘だが、あれが犯人に違いない。フェルディナンドにそれとなく相談して、証拠を上げるなり、罠にかけるなりするがいい。証拠集めは私の役目ではない。そういう細かい仕事は向かぬ。私が得意なのは敵を見定めて、叩き潰すだけだ。許可が出るならば、すぐにでもゲルラッハ子爵を潰してやろう」
私の言葉を聞いていたジルヴェスターが難しい顔で顎を撫でて、思案し始める。
「ちょっと待て。さすがにそれは困る。だが、伯父上の野生の勘は、無視できない鋭さがあるからな。ゲルラッハ子爵を犯人だと仮定してフェルディナンドに調べさせよう。仕事を増やすな、と怒られるだろうが……」
「うむ。頭を使う作業はフェルディナンドに任せた方が良かろう。私はもちろん、其方向きの案件でもないからな」
ジルヴェスターが動くと相手に丸わかりになってしまう。こういう仕事はフェルディナンドとその子飼いの文官に任せておくのが一番だ。
「だが、これでゲオルギーネの来訪は問題なく断れるであろう? 招待したヴィルフリートの失態と処分、それに加えて、アーレンスバッハの貴族が所有する私兵が城内で暴れたのだ。警戒のためにも来訪は拒否できよう。数年は時間が稼げるのではないか?」
「伯父上の言う通り、姉上の来訪を拒否して時間を稼ぎつつ、エーレンフェストを立て直さねばならぬな」
ビンデバルト伯爵関係で領主一族の周囲に何度も危険が及んでいることを理由に、アーレンスバッハの貴族の往来を禁止して先代派の権力を削りつつ、自分の側近や派閥を育てていかねばならない。
「領主の役目だ。しっかりやれ。私はエーレンフェストのためにも領主一族の護衛騎士を叩き直し、騎士団の強化をしてやろう」
「よろしくお願いします、伯父上」
先を見据えたジルヴェスターの目がきらりと光った。
ちなみに、やる気満々で魔力供給の間を出た直後、フェルディナンドから毒薬のせいでローゼマインが一年以上目覚めぬだろうと言われて、ゲルラッハ子爵を追いかけて叩き潰してやろうかと思った。
「孫娘との触れ合いを延期させられた恨みを込めて、一撃くらいは許されるだろう?」
「許して欲しかったら、勘ではなく、証拠を持って来るんだ! それまでは駄目だ!」
……私の勘では絶対にあれが犯人なのだが、現実は儘ならぬものだ。