Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (273)
閑話 お姉様の代わり
わたくしはシャルロッテ。洗礼式を終えたばかりのアウブ・エーレンフェストの娘でございます。
わたくしは今、お姉様の手紙を胸に、お兄様と一緒に子供部屋へと向かっているところです。わたくしにはお姉様から託されたお願いがあるのです。
……必ずやり遂げなくては!
今朝、朝食を終えてすぐくらいの時間に、お父様とお母様、それから、フェルディナンド叔父様が護衛騎士を連れて、北の離れへとやってきました。
わたくしもお兄様の部屋へと呼ばれ、昨夜の襲撃についての顛末を聞かされました。襲撃犯が一人捕まったけれど、複数の貴族が絡んでいる可能性が高いこと。毒を受けて瀕死の状態に陥ったお姉様が魔力を解かすためにユレーヴェという薬に浸かっていて、一年以上は目覚めないことを聞かされました。
……わたくしを助けるためにご自分の護衛騎士を使ってくださったせいで、お姉様が。
自分を責めて泣くわたくしに、フェルディナンド叔父様は厳しい顔で「無駄な体力を使うな」とおっしゃいました。
「泣くより先に償うことを考えなさい。嘆くのはいつでもできる。だが、正直なところ、時間の無駄なので、できる限りのローゼマインの穴埋めをする努力をしてくれないだろうか」
お父様が「厳しすぎるぞ、フェルディナンド」と眉を寄せる隣で、お母様は「自分のためにシャルロッテが泣くことをローゼマインは決して喜ばないと思いますよ」とおっしゃいます。
わたくしが涙を拭いて叔父様を見上げると、「ヴィルフリートとシャルロッテの二人には、子供部屋の統率と春の祈念式での祝福を頼みたい」と言われました。
……泣いているよりも償いをしろ、とおっしゃるならば、わたくしは精一杯お姉様の代わりを務めます。
「子供部屋の統率は二人に。春の祈念式については、魔力の扱いに慣れておらぬシャルロッテには無理なので、春の領主会議で留守を預かったヴィルフリートに頼みたいのだが……」
そう決意した直後、叔父様はわたくしを祈念式の祝福から外しました。冗談ではありません。いきなり償いの場を取り上げられてしまったら、わたくしはどうすればよいのでしょう。
「叔父様、無理ではございませんわ。魔力の扱いに慣れていれば良いならば、練習すれば良いのでしょう? お兄様が領主会議の間に練習したのであれば、わたくしも冬の間に練習いたします。わたくしとて、領主の娘ですもの。わたくしのせいで毒を受けたお姉様の代わりにできるだけのことをいたします」
課題から逃げ出してばかりいるお兄様より、わたくしの方が優秀だ、と今までの先生は皆口を揃えておっしゃいました。ならば、わたくしが努力すれば、きっとお姉様の代わりになれるはずです。
「シャルロッテ、魔力を扱うのは難しい。慣れぬうちは辛いし、厳しいぞ。……それでも、やりたいと望むならば、やってみなさい。魔力を扱う練習も、ローゼマインが今までなしてきたことをその目で見ることは、良い糧になると思う」
「はい、お父様」
「祈念式には私も行くぞ。ローゼマインに助けられてばかりではいられぬからな」
お兄様もグッと拳を握って、叔父様にそう宣言します。それは、わたくしが知っている、優しいけれど怠惰なお兄様の姿ではなく、わたくしは目を見開いてお兄様を凝視してしまいました。
「では、二人とも。冬の間に礎の魔術に魔力を注ぐことで、魔力を扱う練習をし、春の祈念式に備えるように。二人の補助はボニファティウス様と両親が当たることになっている」
「フェルディナンド……」
苦い顔をするお父様に、叔父様はフッと笑みを見せて、慇懃に礼をしました。
「二人に関する祈念式の手配も頼みます、アウブ・エーレンフェスト」
お父様に祈念式の手配と魔力の練習について頼むと、叔父様はわたくしとお兄様にお手紙を差し出しました。
「これはローゼマインが書き残していた手紙だ。子供部屋に関しての予定や計画が書かれている。ローゼマインがやっていた通りに、とまでは行かぬだろうが、ある程度子供部屋の統率をするように」
「はい!」
そんなわけで、まずは、冬の子供部屋の統率です。お姉様の手紙に書かれている内容を、お兄様と二人で協力して行わなければなりません。「ローゼマインの筆頭側仕えと護衛騎士は子供部屋に差し向けるが、専属は神殿に戻すように言われている。自分達の専属をうまく使い、周囲に話を聞きながら、行いなさい」だそうです。
……お姉様と同じようにとは行かないと思うが、と叔父様はおっしゃいましたけれど、わたくしと同じ年のお姉様にできたのですもの。わたくしもきっとうまくやってみせます。
「ごきげんよう、皆様」
なるべく多くの人に助力を乞うように、と言われていたので、わたくしはモーリッツ先生を初め、お姉様の護衛騎士や側仕えも呼んで、お姉様の手紙を見せました。
手紙には、貴族院の学生に他領の情報を集めること、講義内容をまとめた参考書の作成を行うことを頼む文面が書かれています。情報の有益さや講義内容の詳しさによって、報酬を出すということになっていました。
「報酬とは何でしょう?」
「お金です。ただ、ローゼマイン様のお金はどこから出るのかわかりません。シャルロッテ様やヴィルフリート様の予算はどのようになっていますか? 筆頭側仕えですか? それとも、アウブ・エーレンフェストにお話をすればよいのですか?」
わたくしがお姉様の護衛騎士見習いに自分の予算について話をしようとしましたが、もう一人の護衛騎士が軽く手を挙げました。
「コルネリウス、城と神殿を行き来するローゼマイン様の予算は、後見人のフェルディナンド様がまとめて管理されているはずだ。情報の有益性はローゼマイン様が決めることだから、ひとまずそれほど高くはない値段で一律に払っておいて、有益だった場合は、後日ローゼマイン様から上乗せするという形を取ればよいのではないか?」
「なるほど。では、ダームエルとブリギッテに情報の管理と報酬の支払いを頼む。私は貴族院で情報を集めたり、参考書を作ったりするように学生達に働きかけていくから」
「わかった」
ささっとお姉様の護衛騎士達の間で分担が決まってしまいました。ただ、わたくしを助ける時に見事な動きを見せたアンゲリカは、何故か皆から一歩引いた位置にいます。
「貴族院での活動に関しては、ヴィルフリート様やシャルロッテ様の護衛騎士見習いにもご協力いただいてよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろんですわ。貴族院ではよろしくお願いしますね、エルネスタ」
「お任せくださいませ、シャルロッテ様」
コルネリウスの要請に、わたくしの護衛騎士見習いだけではなく、お兄様の護衛騎士見習いも頷いてくださいました。
「シャルロッテ姫様、コルネリウス達にお任せしておけば、貴族院に関しては大丈夫でしょう。子供部屋はいかがです? ローゼマイン姫様はどのような指示を出していらっしゃるのでしょう?」
お姉様の筆頭側仕えとなったリヒャルダがそう尋ねました。リヒャルダは以前、お父様の筆頭側仕えをしていたので、わたくしもよく知っています。安心して、わたくしはリヒャルダにも手紙を見せました。
子供部屋に関しては、今年は絵本が増えているので、個々の力量に応じた書き取りを続けること、算数については掛け算や割り算の桁を増やすこと、そして、去年貸し出した絵本やおもちゃの回収と今年もお話と引き換えに貸し出すことができると伝えてほしい、と書かれています。
「モーリッツ先生、お姉様が行っていたことを今年もできるでしょうか?」
わたくしが問いかけると、先生はゆっくりと頷いてくださいました。
「……やりましょう。去年のローゼマイン様は実に上手く子供達を動かし、様々な方法でやる気を引き出しておられました。私も教師としてこちらにいるのです。去年のローゼマイン様を参考に、この冬を乗り切りましょう」
「うむ、私もローゼマインの代わりに頑張るぞ」
去年の子供部屋を経験しているお兄様が張り切って拳を握りました。
首を傾げるようにして考え込んでいたリヒャルダが、話し合いを遮るようにスッと手を挙げます。
「やる気になっているところ申し訳ありませんけれど、今日はシャルロッテ姫様へのご挨拶と、ローゼマイン様がしばらくいらっしゃらないという説明と、今年の子供部屋での進め方を述べるだけで済ませた方が良いですよ」
「まぁ、どうしてかしら? わたくしもお手紙の通りにできますわ」
「シャルロッテ姫様、何事にも準備が必要なのです。ローゼマイン姫様はゲームに勝った子供達に配る賞品としてお菓子を準備されていらっしゃいましたが、専属に頼んでいらっしゃいますか?」
そのような準備に関しては全く予定にありませんでした。ポカンとするわたくしにリヒャルダはお姉様がしていたことを思い出すように視線を少し上に上げます。
「姫様はフェシュピールの練習に関する専属楽師の分担、それぞれの実力に合わせた書き取りの本の選出、カルタやトランプのゲームでの組分け、賞品となるお菓子の準備などを予めしておりました。去年の子供部屋の様子を知らないシャルロッテ姫様には難しいと思われます。今日一日は皆に担当を割り振って、準備に当てた方がよろしいですよ」
リヒャルダが述べた事前準備は、どれもこれも手紙には書かれていない事柄でした。
「準備と言われてもどうすれば良いのかわからぬぞ。リヒャルダは知っているのか?」
「えぇ、存じておりますよ、ヴィルフリート坊ちゃま」
「よし。では、教えろ」
リヒャルダの采配によって、モーリッツ先生が子供達の実力を測る試験作成、専属楽師達が授業の分担について、それぞれの準備を始めました。そして、お兄様の護衛騎士が子供達の鍛錬のために騎士団との交渉に出されました。
わたくしは皆が慌ただしく動き出すのを見ながら、子供達から初対面の挨拶を受けます。秋の狩猟大会でお兄様をはめた子供達の名前は予め教えられているので、その顔をよく覚えておかなくてはなりません。この子供達とどのように付き合うかも、わたくし達のこの冬の課題なのです。
「シャルロッテ様、ローゼマイン様が長いお休みにつかれたというお話でしたが、どのくらい長くなるのでしょう?」
最後に挨拶を終えた下級貴族のフィリーネが周囲を気にしながら、小さな声で問いかけて来ました。フィリーネの若葉のような瞳は、お姉様への心配に揺れています。
「ごめんなさいね。わたくしも詳しくは存じませんの」
「ローゼマイン様はわたくしのお母様のお話を本にしてくださるとおっしゃっいました。今年はローゼマイン様にお話するだけではなく、頑張って自分でも書いてきたので、ご覧になってほしかったのですけれど……」
フィリーネはそう言って、悲しげに目を伏せました。わたくしでは本を作ってあげることはできません。
……わたくしではお姉様と同じようにはできませんね。
初日からいきなりの挫折です。お兄様より優秀と言われてきて、領主の子に相応しい努力をしていると褒められていたわたくしの自信には、ピキリとひびが入りました。
次の日から、わたくし達の挑戦が始まりました。急いで作成した試験を元に、モーリッツ先生が一人一人の実力を測っていきます。その間、ヴィルフリート兄様の記憶を元に、ゲームの組分けをして、カルタやトランプをすることになりました。
……今日はお菓子の準備もできていますもの。
わたくしは洗礼式を終えたばかりの子が集まるグループを任されました。ここで勝って、去年のお姉様のように越えられない壁となるのです。
わたくしのそんな決意はあっという間に散ってしまいました。兄弟間でカルタやトランプをの練習をしていた子達はとても強くて、たまに持って来て下さるお兄様としか練習したことがないわたくしは、完敗してしまったのです。
……悔しいです。
領主の子として、このまま項垂れているわけにはまいりません。
再戦しようとしたところで、わたくしはダームエルという護衛騎士にそっと腕を引かれました。教材回収のために、お姉様の手紙を見せてほしいというのです。
「教材の回収、とは何かしら?」
「ローゼマイン様は自分で買えない下級貴族達のために、お話と引き替えに、教材を貸出ししていたのです。……あぁ、やはり貸し出し表も入っていますね」
何が書かれているのかよくわからなかった名前の一覧表は、貸し出した教材と受け取ったお話が控えられたものだったようです。
ダームエルに「シャルロッテ様とヴィルフリート様から皆にお声をかけていただけますか?」と促され、わたくし達は下級貴族達に教材を返却するように声をかけました。
借りていた教材を持って、下級貴族達がやってきます。それをブリギッテという護衛騎士が木箱に丁寧に入れていき、ダームエルが一覧表に返却の印を入れていきます。
二人の息の合った動きを何となく見ていると、お兄様達の方でもカルタに決着がつきました。
「では、勝った方にお菓子を配りますね」
「やった! 楽しみにしていたのです!」
わたくしは準備していたお菓子を勝った子達に配っていきました。大喜び受け取った子達がお菓子を食べると、揃って一瞬微妙な顔になり、少しばかり取り繕ったような笑顔で「おいしいです」と言います。
不可解な反応にわたくしが首を傾げていると、お兄様が「あ」と小さな声を上げました。
「……皆、すまぬ。今年はローゼマインが治療中のため、ローゼマインの専属料理人がおらぬのだ。去年と同じ菓子にはならぬ」
わたくしはお姉様との初めてのお茶会で出てきたお菓子を思い出し、納得いたしました。初めて食べるお菓子ばかりで、とてもおいしいものだったのです。わたくしの専属料理人には作れません。
少しばかり俯いてしまったわたくしの手をフィリーネがそっと取ってくれました。
「ご褒美があるだけでも十分です。シャルロッテ様がそのように落ち込むことではありません。わたくしはあまり家でお菓子を食べることがないので、ご褒美のお菓子がとても嬉しいです」
「そうだ、シャルロッテ。私の専属料理人が作ったところで同じようなお菓子しか作れぬ。あれはローゼマインが考えたお菓子だから、ローゼマインが特別なのだ」
ローゼマインの側仕えがそう言っていた、とお兄様が教えてくれました。お姉様は絵本だけでなく、お菓子まで作っていたようです。
……わたくし、本当にお姉様の代わりが務まるでしょうか。
全くうまくできた手応えがないまま夕食を終え、初めての魔術特訓です。わたくしはお父様の執務室で魔力の登録をし、魔力供給の間へと初めて入りました。
大がかりな魔術具がある不思議な部屋で、魔力の供給を行います。魔力供給とは言っても、自分の魔力ではなく、魔石に蓄えられている魔力を注ぐというものです。お兄様の補佐をボニファティウス様が、わたくしの補佐をお母様が担当してくださいます。
「シャルロッテ、こうして魔石の上に手を置いて、魔力を奥に奥に流していくように流し込んでいくのです」
お母様がそう説明し、わたくしの手の甲に手を重ねてくださいました。今度こそうまくやりたい、とわたくしは魔石に置く手に力を込めます。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
お父様のお祈りと共に、手のひらに当てている魔石から魔力が逆流して来るような感じがしました。自分のものではない魔力が入ってこようとする気持ち悪さに、わたくしは慌てて反対側に流れていくように魔力を押し込んでいきます。
勢いに抗って押し込むのは非常に力が必要で、集中しているつもりでも、段々と頭がぼんやりしてくる感じがしました。
「そこまでだ」
お父様の声と共に、お母様はわたくしの手から魔石を取り上げました。必死に抗ってきた圧力が一気になくなったことで、どっと疲れが押し寄せてきます。体中にものすごく負担がかかっていたようで、思わずその場に座り込んでしまいました。とても動く元気などありません。
口を利くのも億劫なわたくしと違って、お兄様は「やっぱり疲れるな」と言いながら立ち上がりました。
「……お兄様、お元気ですね」
「初めて魔力供給をしたヴィルフリートも、今のシャルロッテと同じような状態だったぞ」
フッとお父様が笑いながらそう言い、お兄様も「うむ」と大きく頷きました。
「春に毎日供給したから多少慣れたのだと思う。魔石ではなく自分の魔力を供給しているローゼマインは、奉納式でいつもしていることだと言って、何でもない顔をしていたぞ。走ったら倒れるのに、魔力供給は全く平気だったのだ」
だんだんと慣れてくる、とお兄様に慰められましたが、わたくしはその言葉に思わず涙があふれてきました。
「どうした、シャルロッテ!? 泣くほど大変だったのか!?」
「違います。まさか自分がここまで何もできないとは思わなかったのです。お姉様の代わりが、わたくしには全然できません」
自分の中ではもっとうまくやれるはずでした。わたくしのせいで眠りについてしまったのですから、せめて償いとしてお姉様の代わりを立派に務めて、お姉様が目覚めた時に恥ずかしくない自分でいたいと思ったのです。けれど、全くうまくできません。
「シャルロッテ、ローゼマインと自分を比べるな。ローゼマインは豊富な魔力と他に類を見ない知識で領主の養女に迎えられることになったエーレンフェストの聖女だ。全く同じことをする必要はない。できる限り、頑張れば良いんだ。お前はよくやっている」
お父様にはそう言われましたが、それでも悔しいのです。たった一歳しか違わないのに、これほどに差があると思いませんでした。わたくしは自分がしてしまったことの償いである、お姉様の代わりも満足にできないのです。挫折感だけで終わった一日でした。
貴族院へと向かう学生達がいなくなると、本格的に子供達だけの勉強が始まります。その間も様々な問題が起こりました。
書き取りや計算の授業時間の区切り、フェシュピールの練習に関する専属楽師の分担と交代、実力に合わせたカルタやトランプのゲームでの組分け、賞品となるお菓子の準備、勝てない壁として君臨してやる気を煽る先導役、子供達から持ち込まれたお話の管理。
一つ一つに躓いては、周囲の意見を聞いて、わたくしとお兄様は子供部屋の統率に奮闘しました。
「……お姉様は本当にこれを一人で行っていたのですか?」
わたくしの呆れ混じりの呟きに、モーリッツ先生も溜息を吐いて肩を竦めました。
「授業が始まる前にローゼマイン様から色々と提案されたのは覚えておりますが、むしろ、一日にこれだけ細々としたことを行っていたとは思いませんでした。……その、ローゼマイン様は時折ゲームに交じる以外はいつも本を読んでいるか、お話を書き留めているような印象しかございませんでしたから」
書き取りの時間には絵本にするお話を書きながら、子供達の顔を見て、「そろそろ計算をいたしましょう」と声をかけてくれていたことを今更知ったとモーリッツ先生が苦い笑いを浮かべました。一対一で向かい合って教えている時はともかく、大人数を相手にすると時間感覚が狂うそうです。
そんな感じで子供部屋の統率も未だ満足にできていないわたくしとお兄様に、叔父様から新しい課題が増えました。祈念式のために覚えなければならないこととして、大量の木札が届けられたのです。
最低限の挨拶と祈り文句が木札三枚分、できるならば覚えておいた方が良いことが木札五枚分、お姉様と同じように完璧にこなしたいならば木札十枚分、覚えることがあるそうです。
「ローゼマインは全て覚えたらしい。神殿の側仕えが言っていた。……私はとりあえず三枚分だ。その代わり、これは完璧に覚える」
お姉様の代わりするのですから十枚分、と言いたいところでしたが、すでにお姉様と同じことができる自信などありません。すでにわたくしの自信など粉々になっています。わたくしもお兄様と同じように三枚分の木札を手に取りました。
「……お姉様はすごいですね」
ずらずらと並ぶ祈り文句を見ながらわたくしがぐったりとした気分でそう呟くと、お兄様は「うむ」と笑って答えます。
「そうだ。ローゼマインはすごい。だから、私はローゼマインが寝ている間に少しでも追いつくのだ」
お姉様を目標に掲げ、努力しているお兄様もすごいとわたくしは素直に思いました。お姉様は特別だから、何をしても届きそうもないと思っていたわたくしの暗い心に真っ直ぐな光が入ってくるような感じです。
「お姉様にも、お兄様にも、わたくしだって追いつきますから」
二人で争うようにして祈り文句を覚え、お姉様と全く同じようにとはいかなくても、子供部屋の統率が少しずつ形になってきた頃には、もう春が近付いていました。
……なんて時間が過ぎるのが早いのでしょう。
忙しい冬もそろそろ終わり、と安堵の息を吐いているところに、フィリーネがやってきました。「シャルロッテ様、今年も教材の販売や貸し出しをしていただけるのでしょうか?」と問われたのです。去年は冬の終わりに教材の販売があったことを指摘され、何も考えていなかったわたくしは、真っ青になりました。
……そういえば、お姉様のお手紙に書かれていました! どうしましょう!?
おろおろとするわたくしを助けてくれたのは、ダームエルでした。この護衛騎士は文官かしら、と思うほどに物事の準備や段取りに長けている方です。泣きそうになりながらわたくしが相談すると、ダームエルはすぐさま神殿にいる叔父様にオルドナンツで話を通し、お父様から子供部屋での販売許可を取り、冬の終わりにプランタン商会を呼んでくださいました。
「助かりました、ダームエル」
「このくらいローゼマイン様の無茶振りに比べたら、何でもないです」
ダームエルから穏やかな笑みでそう返されて、わたくしは思ったのです。普通ではない特別なお姉様に仕えるのは、騎士でも文官仕事ができなければ務まらないくらい、とても大変なことなのでしょう、と。
……わたくしにはお姉様と同じなんて無理ですね。お姉様は特別なのです。
わたくしが自分の中で折り合いを付けた頃には、春になっており、祈念式のため、わたくしとお兄様は初めてエーレンフェストの街から出て直轄地を回ることになりました。半月ほどかけて回るため、移動のためには馬車を三台は準備しなければならず、荷物の準備も非常に大変です。
神事に関することは城の側仕えではわかりませんので、お兄様には叔父様の側仕えが、わたくしにはフランというお姉様の側仕えが付けられることになりました。
「よろしくお願いいたします、シャルロッテ様」
「こちらこそどうぞよろしくね、フラン。お姉様のことを聞かせてくださる?」
「私に答えられることでしたら……」
馬車に揺られ、最初はハッセという町に向かいます。その道中、わたくしはフランからハッセとお姉様の関係について説明されました。知らずに領主への反逆を行ってしまったハッセの民を救うために、叔父様に交渉したり、ハッセの教育をしたり、お姉様は聖女と呼ばれるに相応しい行いをしていたそうです。
「ローゼマイン様は、人が死ぬことを殊の外お厭いになります。誰かが死なずにすむ方法ばかりを模索して、ご自分が大変な目に遭っているような気がいたします」
だからこそ、私のような灰色神官や孤児達でさえ大事にしてくださるのです、とフランは誇らしげに口元を緩めました。
わたくしは自分が側仕えや護衛騎士にこれほど慕われているのか、少し心配になりました。下にいる者をうまく使うことができるのが良い主だと教えられてきましたが、お姉様のように慕われる主でありたい、と初めて思ったのです。
「では、フラン。お姉様がお好きな物は何ですの? わたくし、お姉様が目を覚ました時に、助けてくださったお礼に贈り物をしたいのです」
「ローゼマイン様がお好きな物は本です。それ以外の物は思い浮かびません。神殿の側仕えは皆どれほど本がお好きか存じ上げているので、ローゼマイン様のために新しい本を作ろうと努力しているのですよ」
わたくし達がハッセに着くと熱狂的な歓迎を受けました。一年を耐え忍んだハッセにとって、この祈念式は特別で、領主の許しなのだそうです。
祈念式のための舞台がすでに誂えられているようで、神具の聖杯を持ったフランが先に舞台へと行って神具の設置や町民への説明をしてくれることになりました。
わたくしはその間に馬車の中でお姉様の神殿長の儀式服へと着替えさせられます。白の衣装に、春の髪飾り、どちらもお姉様の物です。ちなみに、お兄様はお姉様が昔作った青い儀式服の丈だけを少しお直しして持って行きました。子供用の儀式服がお姉様の分しかなかったので、仕方ありません。
「お待たせいたしました」
「シャルロッテ様、裾が汚れますので、失礼いたします」
馬車から降りようとしたところで、フランに抱きかかえられて、わたくしは舞台へと向かうことになりました。このように運ばれることは城ではないので、驚きに目を見張ると、フランは少しばかりバツが悪そうな笑みを見せます。
「ローゼマイン様は歩くのが遅いですし、よく裾を踏んで転びそうになるので、こうして運んでおります。シャルロッテ様には慣れなくて不快と存じますが、地面がぬかるんでおりますので、ご寛恕ください」
フランと共に舞台へと上がり、わたくしは神具の設置された台の上へと上がりました。
正面にはお披露目の時に集まっていた貴族達よりも多くの人数がいて、痛いほど見つめられています。熱をはらんだような強い視線は、思わずこの場から逃げ出してしまいたくなるほどに強いものでした。
洗礼式のお披露目の時よりもよほど緊張が強くなっていくのが自分でもわかります。あの時は入場したらお姉様が笑いかけてくれて、フェシュピールを演奏する時には声をかけてくれて、緊張が少し解れたのです。たった季節一つ分前のことなのに、ずっとずっと前のことのような気がしました。
わたくしが緊張で強張る中、祝福を受ける村長達が大きな入れ物を持って舞台へと上がってきます。足音と共に皆の期待の眼差しが近付いて来るようで、喉がカラカラに干上がっていくような気がいたしました。
……失敗してしまったらどうしましょう。お姉様と同じにできなかったら、きっとがっかりされてしまいます。
そんな思いで自分の中がいっぱいになった時、フランがそっとわたくしの目の前に一つの魔石を差し出しました。
「シャルロッテ様、こちらが今回の祝福に使う魔石です。……ローゼマイン様の魔力が籠った物だそうです」
薄い黄色に染まった魔石をフランに手渡され、わたくしはまじまじとその魔石を見つめました。
「ずっとハッセを心配していたローゼマイン様の魔力をハッセの民に届けてください。シャルロッテ様にしかできないことです。この日のためにたくさん練習されたのでしょう? 祈り文句と共にローゼマイン様の魔力を捧げてください」
……ハッセにお姉様の魔力を届ける。
それはお姉様の代わりをすると宣言したわたくしが、絶対に行わなくてはならないことでした。
深く息を吸いながら、わたくしはお姉様の魔力が籠った魔石を神具の魔石に触れさせます。そして、ゆっくりと口を開きました。
「癒しと変化をもたらす水の女神 フリュートレーネよ 側に仕える眷属たる十二の女神よ 命の神 エーヴィリーベより解放されし 御身が妹 土の女神 ゲドゥルリーヒに 新たな命を育む力を 与え給え」
聖杯に魔力が流れ込んでいくように、わたくしはどんどんと魔石の魔力を押し込んでいきます。すると、突然聖杯がカッと金色の光を放ちました。広場の民衆からはどよめきの声が上がりましたが、わたくしは目を伏せたまま最後まで祈り文句を続けます。
「御身に捧ぐは命喜ぶ歓喜の歌 祈りと感謝を捧げて 清らかなる御加護を賜わらん 広く浩浩たる大地に在る万物を 御身が貴色で満たし給え」
わたくしが祈り文句を終えると、フランがそっと聖杯を傾けていきました。聖杯から緑に光る液体が流れ出し、順番に並んでいる村長の入れ物へと注がれていきます。
魔力の扱いに少し慣れてきたとはいえ、これだけの人数に見つめられながら、初めての神事を行うのは相当に負担だったようで、わたくしは恥ずかしくも台の上で座り込んだまま動けなくなってしまいました。
「大変素晴らしい出来でした、シャルロッテ様。こちらをどうぞ。神官長からの労いのお気持ちが籠った疲労回復のためのお薬です」
「助かります」
フランに笑顔で差し出された薬を受け取り、わたくしはそれを飲もうとしました。蓋を開けただけでわかる異臭に、わたくしは嫌がらせをされているのではないか、と思わずフランを見つめます。
「……フラン、ひどい臭いがするのですが、これは本当に飲むためのお薬ですか?」
「ローゼマイン様も初めての時は同じようなことをおっしゃいました。けれど、飲み薬で間違いございません。神官長もローゼマイン様も早急に体調を立て直さなければならない時にお使いになる薬です。匂いも味もひどいですが、よく効くそうです」
フランの言葉に泣きそうになりながら、わたくしはその薬を飲みました。吐き出すこともできず、必死に飲みこみましたが、舌が痺れたようにジンジンとして、しばらく涙が止まらなくなるくらいひどい味です。すぐに疲労回復して動けるようになりましたけれど、もう二度と飲みたくありません。
「ローゼマイン様はこれで魔力と体力を回復しては神事を行い、魔力と体力が尽きたらこの薬で回復して次の場所で神事という形で祈念式や収穫祭を行っています。シャルロッテ様も必要になれば、ご遠慮なさらずいつでもお声をかけてください。神官長からたくさん預かっております。先は長いですからね」
……このような薬を飲みながら、神事を繰り返し、エーレンフェストのために魔力を注いで回るだなんて、ローゼマインお姉様は聖女と言うより、もはや、女神ではないでしょうか。
もう驚きとか、呆れとか、憧れとか、嫉妬とか、全部突き抜けてしまい、わたくしはお姉様を信仰したい気分になりました。