Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (283)
冬の子供部屋と出発
授与式の後は昼食で、昼食を終えたら貴族達による社交が始まるのだが、わたしは神官長によって、部屋に戻るように言われた。今日はすでに動きすぎらしい。
「でも、この後、お父様の第二夫人とその子、ニコラウスの挨拶があると言われているのですけれど……」
「そんな挨拶より、君の体調の方が大事だろう? 君は魔術具で動けている状態だということを忘れないように。今、倒れたら明日からの予定にも差し支える。貴族院に出発するまでには時間がないぞ。その程度のことは考えなくてもわかるだろう?」
体調を崩した場合に起こることについて、くどくどと述べ始めた神官長にわたしはかくりと項垂れる。神官長に心配されているという感動は、神官長が言葉を重ねる時間に反比例して一気に減った。
……最初の言葉だけで止めておいたら、すごく良い人だったよ、神官長。
今のところ、わたしの体調に誰よりも詳しいのは神官長だ。長々とした神官長の言葉を止めるためにも、わたしはおとなしく部屋に戻ることにする。
「わかりました。フェルディナンド様のおっしゃる通り、今日はお部屋に戻ります。けれど、明日は初日ですから、午前中わたくしは子供部屋に顔を出します。洗礼式を終えた子供達の挨拶もありますし、現状把握もしたいですから。午後からはフェルディナンド様の執務室に参りますので、先日お渡しした資料にあった情報提供者を集めておいてくださいませ」
それだけで神官長にはわたしが何をしたいのかわかったようだ。「ふむ」と言いながら、わずかに眉を寄せる。
「情報料は貴族院で渡すのではないのか?」
「フェルディナンド様にお渡しした資料に載っているのは、わたくしが寝ている二年間に卒業している者です。貴族院に在学している方の分は、貴族院で支払います」
貴族院で集められた情報をダームエルがまとめてくれた資料は、エーレンフェストの首脳陣にも読んでもらった。神官長とわたしで情報の価値が違うように、わたしにはあまり必要のない情報でも喜ぶ人はいるのではないかと思ったのだ。
そうしたら、案の定、それぞれ重要と感じる情報には違いがあり、続報を望むような情報もあったようだ。そういう重要情報をもたらしてくれた者を選出し、わたしは情報を得て喜んだ者の部署の予算からしっかりと情報料を取った。
わたしにあまり馴染みのない文官は情報料を請求されて呆然としていたけれど、領主夫妻と騎士団長が苦笑と共に気前よく払っているのを見ては逃れようもなく、快く支払ってくれた。
こうして、わたしは当初の予定通りにお金を準備したのである。
「そういえば、色々なところに情報を売っていたな。わかった。午後には集まるように手配しておこう」
「助かります」
「では、お姉様が子供部屋にいらっしゃるのは、明日だけですの?」
わたしと神官長が明日の予定について話に区切りをつけると、シャルロッテが悲しげに眉を下げて、わたしを見つめてきた。城にいても奉納舞と夕食でしか一緒にいる時間がなくて寂しい、と言っていたシャルロッテを思い出し、わたしは言葉に詰まる。
「……そうなるかもしれません。子供達への挨拶と顔合わせだけではするつもりですけれど、わたくしが二年間の遅れを取り戻すためには、本当に時間がないのです」
授与式でヴィルフリートとシャルロッテの、そして、同期の皆の成長を見て、わたしは自分の成長のなさを痛感し、危機感を覚えている。外見が全く成長していないことで侮られることは確実だ。このうえ、10歳ならば当たり前にできることができなければ、領主候補生として失格だ。だからこそ、せめて、勉強して周囲に遅れずついて行くくらいのことはできるようになっていたい。
それに、エーレンフェスト全体の成績を上げようと考えるのであれば、まず、わたしが自分の成績を上げなければ誰もついてきてくれないだろう。子供部屋の現状把握ができれば、わたしは自分の勉強に時間を費やしたい。
「お姉様の気持ちはわかりました。では、明日の初日に子供達へ配るご褒美をご準備頂いてよろしいですか? お姉様の料理人が作ったお菓子を心待ちにしていた子供達がいるのです」
「えぇ、もちろんですわ。明日からはわたくしが準備いたしますね」
笑って答えたが、内心冷や汗をかいていた。
わたしがいない間は、二人の専属料理人が景品のお菓子を準備していたということにまで意識が回らなかったので、下手したら、準備が重複するところだった。
……よかった。シャルロッテが指摘してくれて。
それにしても、と思う。お菓子を準備するのは、とてもお金がかかる。砂糖がバカみたいに高いのだ。砂糖に比べるとまだ安価な蜂蜜を使うにしても、毎日甘味を準備するとなれば、非常に大変だったはずである。自分で稼いでいるわたしはともかく、二人はお金が足りたのだろうか。
……今更聞いて、わたしがお金を払うっていうのも変かもしれないけど、わたしが勝手に始めたことで、二人は巻き込まれただけなんだよね。
うーん、とわたしが考え込んでいると、ヴィルフリートがむむっと深緑の目を細めた。
「ローゼマイン、其方、子供部屋の運営をまた一人で全部やるつもりだろう?」
「えぇ、わたくしの思い付きで勝手に始めたことですし、薬で寝込んでいる間ならばともかく、元気になったのですから、これ以上二人に負担をかけるわけには参りませんわ」
わたしがそう言うと、シャルロッテもむむっとした顔になった藍色の目でわたしを睨んだ。可愛い妹に詰るような目で睨まれて、わたしは正直困惑する。
「お姉様、ご自分の準備でお忙しい時に、お一人で抱え込むのはいかがなものでしょう?」
「え?」
「子供部屋で教育を行い、エーレンフェストの成績を上げるのは、領主の子として行うべきお仕事だとお父様がおっしゃいましたよね?」
「そ、そうですわね」
ずずいっと少し上にある顔を下げるようにして近付いてくるシャルロッテが笑顔でわたしを叱る。妹に叱られることにたじたじとしていると、ヴィルフリートにもポンと肩を叩かれた。
「だからな、ローゼマイン。その仕事は領主の子である私達も行わなければならないのだ。其方が独占してはならない。何もしなければ、私達が無能扱いされるのだ。賢い其方ならば理解できるであろう?」
二人とも完全にわたしが守らなければならない存在ではなくなっていた。対等に領主の子として、仕事をしようとしている。ならば、わたしは二人にできる範囲を見定めて、仕事を割り振っていけばよい。
「わかりました。では、明日の子供部屋を見て、仕事の分担をいたしましょう」
仕事を分担しようと提案すると、ヴィルフリートがぱぁっと表情を明るくした。そして、ふふん、と得意そうに胸を張りながら、わたしの頭を撫でる。
「うむ。では、其方は今日のところは休め。明日から大変だからな」
「お姉様がまた倒れるようなことになっては困りますものね」
シャルロッテもわたしから仕事を得たことが嬉しいのか、表情を綻ばせた。
二人が仕事をしたがっているならばいいか、と思いつつ、わたしは食堂から出ようと扉へと向かう。
「ローゼマイン」
「何でしょう、フェルディナンド様?」
神官長に呼び止められて、わたしはくるりと振り返った。
「体は休める必要があるが、頭はまだまだ動かして大丈夫だ。渡している資料はどんどん読んでおくように」
「喜んで」
わたしは部屋に戻り、リヒャルダとオティーリエに手伝ってもらってお風呂と着替えを済ませると、神官長に渡されている資料の木箱を寝台のそばまで運んでもらった。
「まったく、フェルディナンド坊ちゃまは。体に良くないと姫様にお休みを与えるならば、読書も禁止してくださらないと」
リヒャルダはぷりぷりと怒りながらそう言ったけれど、わたしは木箱から本を取り出してベッドの上で広げて、ホッと安堵の息を吐く。体調を心配してくれるリヒャルダには悪いが、わたしは読書をしている時間が一番落ち着くのだ。読書をしていろ、と神官長に言われた時には、神官長が神様に見えた。
「貴族院に行くまでに覚えなければならないことがたくさんあるのですもの。読まなくてはね。うふふん」
休め、と言いながら課題を課している神官長にリヒャルダは怒っているけれど、神官長は多分、貴族からわたしを隠してくれたのだと思う。大広間では二年間成長していないわたしを好奇心に満ちた目で見る視線、嘲るような明らかに好意的ではない視線ばかりだった。
一応覚悟はしていたつもりだが、予想以上の視線の多さと交わされる囁き声にうんざりしたのだ。ヴィルフリートとシャルロッテに庇われていたけれど、その場にいるだけで正直なところすごく疲れていた。
そして、次の日、わたしはエラに準備してもらったお菓子をリヒャルダとオティーリエに持ってもらって、子供部屋へと向かう。
今日から貴族院への移動が始まり、フーゴは第一陣として貴族院の厨房へと移動することになっていた。
フーゴには「エラが安心して生活できるように、フーゴがしっかりと守るように。何かあったらすぐにわたくしに報告するのですよ」と言ってあるので、きちんと住環境も整えてくれるはずだ。
わたしは基本的に若い女の子を主の目が届かない場所には出したくないと思っている。そのため、エラはわたしが貴族院へと向かう日に移動することになっている。
料理人や下働きの者だけではなく、当然のことながら、学生の移動も行われる。今日は最終学年であるアンゲリカが貴族院へと出発する日なので、わたしについている護衛騎士はダームエルとコルネリウス兄様の二人だけだ。
「明日にはコルネリウスも貴族院に向かうのですよね?」
「はい。慣れている上級生から入寮し、下級生を迎え入れるための準備をするのです」
わたしはダームエルとコルネリウス兄様から入寮や進級式の話を聞きながら、子供部屋へと入った。
「ごきげんよう、お姉様」
「ごきげんよう、シャルロッテ」
わたしが入ると、子供部屋がざわりとざわめいた。学生達はともかく、わたしが眠っている二年間で洗礼式を終えた子供達とは全く顔を合わせていないので、「話では聞いていたが、本当にいたのか」というような顔になっている子もいるし、そもそも存在が知られていないのか、誰だろうというような不思議な顔で見ている子もいた。
そんな中、ヴィルフリートがわたしの手を引いて皆の前に立ち、注目せよ、と手を挙げた。
「二年に渡る長い間、治療のために眠っていたので、顔を知らぬ者もいるだろう。紹介する。私の妹であり、シャルロッテの姉であるローゼマインだ。ここで使われている絵本やカルタ、トランプや他にはない甘味を作り出したことを、年嵩の者ならば知っているだろう」
……な、ななな、何て紹介をしてくれるんですか!?
ひいいぃぃぃっ! とわたしが息を呑んでいる横にシャルロッテがすすすっと寄ってきて、ニコリとした可愛らしい笑顔で更に付け加える。
「ローゼマインお姉様は、眠っていても尚、大量の魔力でエーレンフェストに多くの祝福を与えるエーレンフェストの聖女ですわ。お姿を見たことがなくても、皆様もお話くらいは聞いているでしょう? わたくしはお姉様をとても尊敬しているのです」
……止めてぇ! 信じ込んでいる子供達の期待に輝く目が痛い! これ以上ハードルを上げないで!
もう聖女じゃないよ、と全力で否定して逃げ出したかった。けれど、ヴィルフリートとシャルロッテに挟まれ、更に護衛騎士に取り囲まれているわたしに逃げ場などない。
ヴィルフリートに手を引かれたわたしは、リヒャルダが準備した椅子に座らされ、頬を引きつらせながら、とりあえず微笑むしかなかった。
「ローゼマインへの挨拶を許す」
ヴィルフリートの言葉によって、わたしの前には挨拶のための列ができる。そうは言っても、貴族院に向かうまでの子供達だけなので、全員の挨拶を受けても30人ちょっとだ。
わたしの隣にはヴィルフリートとシャルロッテがいて、二人の前には洗礼式を終えたばかりの子供達が並んで挨拶を始めた。
「命の神 エーヴィリーベの厳しき選別を受けし類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許します」
小さな祝福の光を受けながら、わたしは笑顔で挨拶に答える。その中に、昨日のお披露目で見た異母弟ニコラウスの姿があった。
わたしの前に跪き、両手を交差させる。明るい栗色の髪がふわりと動く。
「命の神 エーヴィリーベの厳しき選別を受けし類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許します」
「お初にお目にかかります。騎士団長カルステッドとトルデリーデの子、ニコラウスと申します。以後、お見知りおきを」
「こちらこそよろしくお願いします」
型通りの挨拶を終えると、ニコラウスはその場を去っていく。お姉様として、もう少し親しく……、と思った瞬間、コルネリウス兄様に「ローゼマイン様」と呼ばれた。
お母様に似た笑顔を浮かべたコルネリウス兄様がわたしを見下ろしている。「昨日の注意を忘れていませんか?」と尋ねている笑顔に、わたしも笑顔を返した。
「……覚えております」
「安心いたしました」
挨拶を終えると、新しく入った子供達には石板が配られ、基本文字と計算がどの程度できるのかという簡単な試験をモーリッツが行い始めた。
同時に、ヴィルフリートとシャルロッテを中心に、去年の最後のチーム分けでカルタやトランプのゲームが始められた。春から秋の間にどれだけ実力をつけているか、調べるためだそうだ。
わたしは、その様子を椅子に座ったままで、ほぅほぅと見回す。二年の間に彼らなりの工夫をして、子供部屋は問題なく運営されていたことがよくわかった。
「本日の賞品は、二年ぶりにローゼマインが準備したお菓子だ」
ヴィルフリートの言葉に、エラのお菓子を食べたことがない子供達はきょとんとした顔で首を傾げただけだった。目の色を変えて準備されたお菓子を見たのは、学生達だ。
「ヴィルフリート様、ここは本気を出させていただきます」
「絶対に負けられない戦いがあるのです」
「フッ、迎え討つ私とて容赦はせぬぞ」
たかがカルタに本気になった男子は、一枚を誰かが取るたびに悲喜こもごもの叫び声が上がる。
「ローゼマイン様、この二年間の子供部屋について、私がまとめた資料になります。ご覧になりますか?」
「もちろんですわ、モーリッツ先生」
今までの成果をモーリッツから受け取り、資料に目を通した。
「わたくしが見た限りでは、上手く運営できているようです。こちらの資料からも基礎の徹底はできているようですから、計算問題はもう少し難易度を上げても良いようですね」
「まだ上げますか?」
驚いたように目を見張ったモーリッツにわたしはコクリと頷く。
「アウブ・エーレンフェストより、できるだけ領地全体の成績を上げるように、という命を受けました。モーリッツ先生にはぜひご協力いただきたいのです」
「かしこまりました」
「それにしても、モーリッツ先生には迷惑をかけてしまいましたね。わたくし、冬に眠る予定ではなかったので、子供部屋に関しては覚書しか残していなかったのです。詳しい指示がなくて大変だったでしょう?」
冬の子供部屋でしておかなければならないことと、してみたいことを箇条書きにしただけの覚書が神官長によって、わたしの指示として渡されたと聞いている。受け取った人は何をどうすれば良いのかわからなくて、大変だったと思う。
「……正直なところ、一年目は色々なところで躓き、大変でした。ローゼマイン様の細かい準備や気遣いにこちらが気付かされては、試行錯誤を繰り返しておりました。二年目はそれを改良していくことで子供部屋が動くための流れを作ることができたのです」
モーリッツの顔には二年間努力した自信が見えていた。この分ならば、モーリッツに任せておいても問題なさそうだ。
「わたくし、二年間眠っていた分を埋めなければならないので、明日からは子供部屋に来られませんの。後のことは頼みますね」
「確かに、承りました」
モーリッツが跪き、両手を交差させる。その時、カルタの勝負がついたらしい。勝者が「勝ったー!」と拳を突き上げ、ヴィルフリートが悔しそうに床に拳を叩きつけているのが見えた。
勝利した者をチームごとに呼んで、賞品であるお菓子を渡していく。皆が羨ましそうに見守る中、口に入れた勝者が感無量というように打ち震えた。
「くっ! もう一勝負だ!」
「ヴィルフリート兄様、チーム分けが先ですよ」
「ぐぬっ!」
勝負に我を忘れていたらしいヴィルフリートが口をへの字にしながら立ち上がり、勝敗から学生達のチーム分けを、シャルロッテは子供達のチーム分けを新しくしていく。
上手く手分けをしているようで、二人を手伝う子供達の様子からも、子供部屋の中が大体ヴィルフリート派とシャルロッテ派に分かれているのが何となくわかった。
「ローゼマイン様」
そんな中、フィリーネがもじもじと様子を伺うようにしながら、わたしに声をかけてくる。その手に抱えた木札を見て、わたしはフィリーネが何を持っているのか、すぐにわかった。
「フィリーネ、見せてくださる?」
「はい、ローゼマイン様」
顔を輝かせて、フィリーネはこつこつと自分でまとめたお話集を見せてくれた。初期に書いたものは字がつたなく、子供の話し言葉で書かれていて読みにくいけれど、二年の間に書き慣れてきてどんどんと字が上達している。話し言葉が書き言葉になってきた様子まで一目でわかる木札にはフィリーネの努力がいっぱい詰まっていて、わたしは頬が緩むのを感じていた。
「たくさん書いてくれたのですね」
「ローゼマイン様は、わたくしのお母様の話してくださった騎士のお話を本にしてくださいました。他の貴族の方も、わたくしのお母様のお話を読んで、喜んでくださっている姿がとても嬉しかったのです」
わたしが作った騎士物語集は子供達から集めたお話もいくつか収められていた。わたしが眠ってしまった後の子供部屋で貸し出された本の中に自分のお話を見つけた下級貴族の子供達は大変な喜びようだったそうだ。
……その様子、見たかったな。
「まさか教材欲しさに自分が話したものが本になるとは思っていなかったローデリヒがあれから必死にお話集めをしています」
「ローデリヒのお話は読みました。とても楽しかったですわ。書き言葉に直して、また本にする予定ですの。フィリーネはお母様のお話を全て書けたのですか?」
わたしの問いかけにフィリーネは悲しげに目を伏せて、ふるふると頭を振った。
「全ては書けませんでした。いくつか忘れてしまったお話もあって……それがとても寂しいです」
「フィリーネ、物語にはいくつかの決まった型があって、遠く離れた土地のお話にも不思議と似ている物語があるのです。貴族院には色々な領地から学生が集まっているでしょう? 色々なお話を聞いているうちに、思い出すこともあるかもしれませんよ」
色々な方にお話を聞いてみてはどうかしら? とわたしが提案すると、フィリーネは若葉のような瞳を丸くした後、くすくすと笑いだした。
「ローゼマイン様、もしかして、貴族院でもお話集めをするおつもりですか?」
「えぇ、そうです。エーレンフェスト以外のお話を集める絶好の機会ではありませんか」
わたしが胸を張ってそう答えると、フィリーネがその場に跪き、両手を交差させた。
「わたくし、フィリーネは各地の情報を集める文官見習いとして、ローゼマイン様に各地のお話を捧げることをお約束いたします」
「楽しみにしています」
次の瞬間、ざわりと部屋の中に動揺が走った。一瞬で妙な緊張が部屋中に満たされる。学生達の一部が目を見開き、慌てたようにこちらへと向かってきた。
「ローゼマイン様、フィリーネを側近に迎え入れたのですか?」
「……側近?」
わけがわからなくて、わたしはコルネリウス兄様に視線を向けた。すっとコルネリウス兄様が前に出て、首を振る。
「いいや、違う。私はローゼマイン様の隣で見ていたが、そのような言葉はなかった。ローゼマイン様のお願いをフィリーネが受け入れただけのことだ。以後、側近として取り立てられることがあるかもしれないが、現時点ではない」
皆を鎮めるようにコルネリウス兄様がそう言った途端、ところどころで安堵の息が漏れた。同時に、フィリーネは身の置き所がないような顔で木札を抱えて後ろへ下がっていく。
何かを決意したように少女が一人、口を開いた。
「ローゼマイン様はまだ側近をお決めになりませんの?」
それで、やっと事情がわかった。ヴィルフリートはすでに取り巻きと言っても良い集団ができている。シャルロッテにもいる。当然、わたしも自分の側近を決めなければならない。二人の側近になれそうもない子から考えると、わたしの側近はこれから急いで任命しなければならないし、狙い目なのに違いない。
だが、子供の背後には親がいる。わたしの好みで安易に側近を決めることはできないのだ。
「もちろん、側近は必要ですもの。筆頭側仕えのリヒャルダとも相談して、新しく入れるつもりです。貴族院で仕えてくれる者を中心に、新しく決めるのは当然でしょう?」
「……もう、決まっていらっしゃるのですか?」
貴族院の学生でお母様の派閥に属する者を優先するとなれば、おおよそ決まっていると言っても過言ではない。
……わたしは誰が候補なのか、知らないけどね。ここは笑って誤魔化して引き伸ばし、リヒャルダやお母様に尋ねなければ。
「候補は決まっております。正式に発表するのは入寮してからですわ」
その言葉に妙な緊張は解けて消え、学生達は散って行った。
……そうか、側近か。それも考えなきゃいけないんだ。
四の鐘が鳴り、昼食の時間となった。わたしは昼食を取ると、今度はリヒャルダにお金を持ってもらって神官長の部屋へと向かう。
「リヒャルダ、わたくしの側近は候補くらい決まっているのですよね? その派閥で……」
「えぇ、もちろんですわ」
「後で教えてください。二年の間に派閥も色々と変化があったでしょうから」
「かしこまりました」
道中に色々と聞いた結果、今、わたしの側近と言えるのは、護衛騎士の三人とリヒャルダとオティーリエだけらしい。わたしがいないので、側仕え見習いは一旦外したのだそうだ。そうすれば、シャルロッテに仕えることもできる。
「貴族院の寮は生活する場ですからね。ずっと取り繕った態度ではいられません。その者の素の姿が見られるでしょう。選定の場とするのは、悪くございませんよ」
……逆に言うと、わたしも素の姿が見られるわけである。これは困った。
神官長の執務室に行くと、すでに情報提供者が集められていた。
領主の異母弟である神官長に呼び出されたせいだろう。身の置き所のなさそうな若い者とその上司と思われる年嵩の者がセットになって、顔色の悪いまま並んでいた。
「皆の顔色が悪いのですけれど、どのように集められたのですか?」
「昼食を終えたらすぐに来るように、と伝えさせたが?」
……そんな呼び出され方されたら、そりゃ、お昼ご飯も喉を通らず、上司共々飛んでくるよ!
こちらの胃がキリキリしてきた。申し訳なさすぎる。
「お呼び立てしたのは叱責のためではございません。むしろ、労いと褒め言葉をかけるためですから、少し楽にしてくださいませ」
わたしがそう声をかけると、若い者達はホッとしたように胸を撫で下ろし、上司は一体何が起こるのかと興味深そうにわたしを見た。
「わたくしが長い眠りについている間、貴族院での情報収集に尽力してくださったことを感謝いたします。遅くなりましたけれど、報酬をお渡しいたしますね」
すでにそのようなことは忘れていたというような表情で若い者達が顔を上げた。
「騎士団の副団長がお喜びでした」
「アウブ・エーレンフェストが着眼点に感心しておられました」
わたしはそれぞれの名前を呼んで、労いとお礼が遅くなったことに対するお詫びと、これからもよろしくと激励の言葉をかけて、お金を渡していった。
「エーレンフェストの首脳陣が着目する情報を得られる優秀な人材ですもの。皆のこれからの活躍に期待しております」
「たゆまぬ努力をするように」
やる気に満ちた顔で退室していった皆を見送ると、すぐに勉強が始められる。貴族院に向かうまでには、本当に時間がない。
「フェルディナンド様、わたくし、貴族院に向かっても大丈夫でしょうか?」
「君が今行っている勉強は全て自分のためだ。合格はするだろうが、それ以上が必要になる。私が君に教育する理由など一つしかない。わかるな?」
神官長の厳しい金の目がわたしを見た。自分の仕事が溜まっている中、神官長がわたしに付きっきりで勉強を教えてくれる理由など一つしかない。
「領主の子として恥ずかしくないように、ということですよね?」
「……まぁ、そういう事だ」
そして、ギリギリまで詰め込み授業を行い、わたしが貴族院へと旅立つ日がやってきた。貴族院へと向かうため、黒を基調とした衣装に山吹色に近い黄土色のマントとブローチを身に付けたわたしはリヒャルダと共に転移陣のある部屋へと向かった。
窓のない暗い部屋の中、転移陣が浮かび上がって見える。身の回りの物が詰められた大量の荷物を下働き男達が転移陣へと積み重ねていた。
見送りに来てくれているのは、領主夫妻とシャルロッテ、そして、おじい様と騎士団長夫妻、神官長とその護衛騎士であるエックハルト兄様だ。わたしの次にヴィルフリートが移動するので、ヴィルフリートもランプレヒト兄様もいる。家族勢揃いだ。
「ローゼマイン、体に気を付けるのですよ。貴女が戻ってきて、お茶会ができる日を心待ちにしておりますからね」
「わたくしも楽しみです、お母様」
「あちらにはコルネリウスがいるからな。さほど心配していないが、体には気を付けるように」
「私が鍛えたからな。アンゲリカとコルネリウスがいれば、大丈夫だろう。其方が不在の間、ダームエルはしっかりと鍛えておくから安心して貴族院に行くと良い」
おじい様の言葉にダームエルが震え上がっているようだが、わたしにはどうすることもできない。
……頑張れ、ダームエル。
「アーレンスバッハには気を付けて生活をするように。情報を得たい時は文官見習いを差し向け、其方自身は不用意に関わらぬようにな」
「かしこまりました」
養父様の言葉に頷き、養母様からは「ヴィルフリートをよろしくね」と言われる。ここ最近の成長を見ていると、よろしくされるのはわたしの方だと思うけれど、頷いておく。
「お姉様の貴族院でのお話を楽しみにしておりますね」
「シャルロッテ、子供部屋をよろしくね」
「お任せくださいませ」
最後に、わたしに声をかけてきたのは神官長だった。
「では、ローゼマイン。奉納式までには全ての試験に合格して戻ってくるように」
「……フェルディナンド様、それは少々無謀ではございませんか?」
奉納式は冬の半ばだ。二年間も寝ていて準備が足りていないわたしには無謀すぎると思う。
わたしの言葉に神官長は不敵な笑みを浮かべた。
「私の仕事がどんどんと溜まっていく中、一体何のために短期集中講座を行ったと思っている?」
「確か先日、この勉強は自分のためだ、とおっしゃいましたよね?」
「そう、自分のためだ」
毒を含んだような笑みでニッコリと頷く神官長に、わたしはひくっと頬を引きつらせる。
「あの、この場合の自分って、もしかして、フェルディナンド様のことですか!?」
神官長は胡散臭いほどのキラキラ笑顔を浮かべると、答えに関する明言を避けた。
「君ならばできる、と私は信じている。できるだけ早く試験を終え、余計なことをしでかす前に必ず帰ってくるように。返事は?」
……ふんぬー!
わたしも答えを明言するのは避けて、笑顔だけを向けると転移陣に乗り込んだ。