Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (288)
算術・神学・魔力の扱い
明日から講義が始まる。そうは言っても、最初の時間はオリエンテーションで、新入生向けに講義や施設に関する説明があるそうだ。
わたしは夕食の席で、側近達に問いかけた。
「講義はどの鐘で始まるのですか?」
「講義のある日の貴族院は、鐘の鳴る回数が変わるのです。2の鐘と3の鐘の間で半の鐘が鳴ります。それが講義開始の合図です」
2の鐘で朝食が始まり、2と半の鐘で午前の講義が始まる。そして、3の鐘が鳴ると講義の科目が変わり、3と半の鐘でも科目は変わるそうだ。
4の鐘で昼食のためにそれぞれが寮に戻り、4と半の鐘で午後の講義の始まりとなる。6の鐘まで講義で、その後は夕食。7の鐘が施錠の時間で、寮の玄関扉が閉ざされる。
「つまり、昼食後、4と半の鐘までは自由時間ではありませんか。わたくし、お昼休みは図書館に……」
「自由時間ではないですよ、ローゼマイン様。午後の講義のために準備する時間です」
コルネリウス兄様が笑顔を深めて、わたしを見た。わたしも笑顔を深めて応戦する。お昼休みの図書館は学校生活に必要不可欠な読書タイムだと麗乃時代から決まっているのだ。
……図書館とお昼休みがあるのに、読書タイムがないなんて、あり得ない!
「朝の出発前に一日分の準備を全て終わらせますから、図書館に……」
「ダメです」
「うぐぐ……」
……負けないっ! わたしは読書タイムを勝ち取るまで絶対に譲らないからねっ!
「図書館に行かせてくださいませ! 午後の講義の鐘が鳴ったら帰りますから」
「だから、ダメだって言っているじゃないか。鐘が鳴ったところで、ローゼマインはどうせ聞こえていなくて、戻って来ないだろう?」
痛いところを突かれた。その可能性は非常に高い。麗乃時代も予鈴と同時に司書の先生に図書室から追い出されていた。
「でも、わたくし、本と少しでも親睦を深めたいのです。せめて、図書館にどのような本があるのかだけでも、じっくりと……いざとなれば、昼食を抜いても良いですから」
「ダメだ。健康にも良くないし、ローゼマインが昼食抜いたら、側近全員が食べられない」
「そ、そんな……わたくしの図書館が……」
貴族院では図書館に行くと、わたしの中では決まっている。それなのに、図書館に向かわせてくれないなんて、コルネリウス兄様はひどい。
うぅ~っと涙目になりながらコルネリウス兄様を睨んでいると、隣のテーブルで夕食を食べていたヴィルフリートの溜息がわたしとコルネリウス兄様の間に割って入ってきた。
「ローゼマイン、その辺にしておけ。其方、見た目が幼いのだから、そのように駄々をこねると本当に子供が紛れ込んでいるようにしか見えぬぞ」
……え? わたし、駄々っ子!?
ヴィルフリートの指摘にショックを受けて、わたしは周囲を見回した。確かに、14歳のコルネリウス兄様に何度も却下され、ダメだと言い聞かされているのに、それを受け入れられない6~7歳児のわたしは、傍から見れば、ただの駄々っ子だ。
「ローゼマインは外見が幼いのだから、言動は私達よりも更に気を付けねば。他領の者に付け入る隙を与えてはならぬぞ」
「……はい。お昼は諦めて、放課後に毎日通います」
わたしはしょぼんと項垂れながら、頷いた。二年の間にヴィルフリートが成長していて、本当にわたしは妹になってしまっている。子供の内の二年の歳月は大きい。
「上手に姫様をお止めできましたね、ヴィルフリート坊ちゃま」
リヒャルダが笑顔でヴィルフリートを褒めながら、わたしの前に笑顔で膝をついた。
「それから、姫様の図書館への入室ですが、全ての試験に合格するまで禁止するように、とフェルディナンド坊ちゃまから申し付かっております。奉納式に戻ることができるように、まず、試験の合格を最優先にするように、とのことです」
「のぉぅ……」
……くぅっ! 神官長め!
どこまでわたしの図書館引きこもり計画は邪魔されるのだろうか。わたしの最大の敵は神官長かもしれない。
「図書館に行きたければ、全ての試験に合格すれば良いのですよ、姫様」
「わかりました。試験に合格すれば良いのですね?」
わたしがくっと顔を上げてリヒャルダを見ると、ヴィルフリートが首を振った。
「ローゼマインだけではなく、一年生全員が合格しなければならぬぞ。図書館に入り浸って、成績向上委員会の活動を放置されては困る。其方は領主候補生だからな」
「……そうですか。わかりました。全力で行きましょう」
うふふふ、とわたしは笑いながら、明日の予定を思い返す。そして、食堂内の一年生をぐるりと見回した。
「とりあえず、明日の講義は説明会と算術と神学でしたよね? 算術と神学は去年もその前も、冬の子供部屋を経験した者は全員初日に合格したと聞いています。つまり、今年も全員合格できるはずです。落ちるような無様な真似は許しません」
「は、はいっ!」
わたしと目が合うたびに、びくっとしながら一年生全員が姿勢を正していく。良いお返事にわたしは満足して一つ頷いた。
「午後の実技は魔力の扱いですね。終わり次第、即座に寮へ戻って、次の日に行われる歴史、地理、魔術の試験に合格できるように勉強をしてください。昨日指摘した弱点の補強を各自でしていただき、わたくしは全員分の勉強を見ます。全員の一発合格を目指しましょう」
「全員の一発合格だと!? ローゼマイン、正気か!?」
ヴィルフリートが真っ青になって立ち上がったが、今更何を言っているのか。全員が合格するまで図書館がお預けになるならば、全員を最速で合格させるしかないではないか。
「わたくしは全力で行く、と言ったはずですよ、ヴィルフリート兄様。わたくしが皆のために図書館を我慢するのです。当然のことながら、わたくしが図書館を我慢するのに匹敵するだけの努力を皆にも求めます」
ごくりと唾を呑む音が聞こえるほどの静寂の中、ハルトムートが嬉しそうに微笑んだ。
「新しい聖女伝説の幕開けになりそうですね」
夕食後、7の鐘が鳴るまで、一年生には歴史と地理の勉強をさせた。すでにげんなりしている子もいるが、まだ講義さえ始まっていないのに、気合が全く足りていない。
7の鐘の後、お風呂を終えて就寝し、1の鐘が鳴ると同時にわたしは早起きして合格ラインに足りない5人分の弱点補強資料をまとめる。
「ローゼマイン様、どうして起きていらっしゃるのですか!?」
わたしを起こす前に部屋を整えにやってきたリヒャルダが、寝間着のまま勉強机に向かっているわたしを見て仰天した声を上げた。
「試験までに時間がないからです」
「姫様、根を詰めすぎですわ。体に良くありません」
「詰めすぎではないですよ。シャルロッテの洗礼式に向けての準備期間に比べたら、わたしがやることなど、ほとんどないくらいです。自分だけならば合格は簡単ですけれど、他人をいかに動かすかというのは非常に難しいですね」
今日一日で一体どれだけ詰め込めるだろうか。むーん、とわたしは唸る。
わたしはそれぞれのためにまとめた資料を抱えて朝食の場へと赴くと、5人に配って回った。
「これで勉強してください。それぞれがまだ覚えきれていないところを書いておきました」
「……はい」
顔色が悪い一年生に次々と資料を渡していく。それを見ていたヴィルフリートが眉を寄せた。
「ローゼマイン、自分の図書館のために皆を追い込みすぎてはならぬ」
「何故ですか?」
「な、何故って、其方……」
「追い立てて、追い詰めてでも全員を最速で合格させたいから、一年生全員合格を条件に出したのでしょう? わたくしは全力で取り掛かると言ったはずです」
朝食を終えたら、すぐに講義へと向かう準備を整えて、多目的ホールでお勉強だ。
「フィリーネ、こちらの王の名前が違いますよ」
「申し訳ございません」
「ローデリヒ、こことそこ、領地の名前が逆ですわ」
「すぐに直します」
中級と下級の5人を相手にスパルタ特訓を行っているとすぐに講義の時間となる。5人の進歩状況を見ながら、わたしは軽く眉を寄せた。なかなかうまく進まない。
「……時間ですね。今日の試験は特に問題ないでしょうから、必ず合格してくださいませ」
「はいっ!」
わたしが声をかけると、ホッとしたように5人が体の力を抜いた。
「……姫様、少々厳しすぎるのではないでしょうか?」
「少々ではありません、リヒャルダ。一年生全員が合格するまで図書館を我慢しなければならないなんて、わたくしにとっては、本当に厳しいです。けれど、絶対に諦めません。わたくしは誰からも文句をつけられないようにして、最速で図書館に向かいます」
グッと拳を握ってわたしが宣言すると、隅の方で「皆、すまぬ」というヴィルフリートの声が聞こえた。
わたしは勉強道具をリヒャルダに持ってもらって、昨日と同じ講堂へと向かう。側近達も講堂まではやってきた。わたしを送り込んだ後、護衛は扉の前に並ぶ中央の兵と交代することになる。
「迎えに来るまで決して講堂から出てはなりませんよ」
そんな注意と共に、リヒャルダや他の側仕えは去っていく。わたしは一年生の皆と一緒に講堂へと入り、13の数字がついた席に並んで座った。
「これから説明を始めます。よく聞いて、貴族院の生活に役立てるように」
大きな講堂で、貴族院の講義に関する説明が始まった。どの科目も初日に試験があり、合格しなかった者だけが講義を受けるという形式になっているそうだ。
「例年、一年生の座学については、初日に合格される方も多いですが、実技には時間がかかるようです」
どの学年も共通の座学は講堂で行われるが、実技は魔力量によって色々と違いがあるため、階級ごとに分けられて行われるらしい。昨日親睦会が行われた場所でそれぞれの講義が行われ、人数が減ると教室が変えられるそうだ。
そして、図書館に関する説明もあり、今日から開館しているので、各自図書館に行って、手続きをすれば図書館が利用できると教えられた。ソランジュという図書館の管理人、つまり、司書教諭が表にいる時でなければ登録ができないので、必ず面会予約をしてから登録に行くようにと言われた。
面会予約をして、返事が来て、それから当日……。図書館に行けるようになるまでには意外と時間がかかりそうだ。
……昼食に帰った時に面会予約を入れておかなきゃ。
更に、図書館で登録するにはお金が必要で、下級貴族は払えないことも多いため、各領地の領主候補生や上級貴族は下級貴族に仕事を与えるように、という注意もあった。
……下級貴族には城の図書室にない本の写本をさせよう、そうしよう。
後は、他領との交流を持つことは良いことなので、今から社交に励むように、と言われた。他領の寮には入れないため、お茶会のための部屋も番号が振られていて、決まっているのだそうだ。
長々とした説明が行われ、3の鐘が鳴った。この次は算術の試験である。教師が入れ替わるほんの短い時間が休憩時間だ。
「では、各領地から一名、試験用紙を取りに来てください」
文官見習いのローデリヒが代表して取りに行った。羊皮紙のようだ。最近は植物紙しか使っていないので、少しだけ新鮮な気分である。
「筆記具を準備してください。問題を読み上げますから、記入していってください。問題は三度繰り返します。問題を書いてから、答えを考えてください」
筆記用具は魔術具のペンである。自分の魔力を使って書ける不思議ペンだ。講義中のメモはともかく、貴族院の試験はこの魔術具を使って受けるように、と言われている。魔力を解かす液につけると、字が消えて、紙を再利用できるのだそうだ。ものすごく興味を引かれる。
「始めます」
ローデリヒが持ってきた紙を自分の前に置き、皆がそれぞれのペンを取りだした。
試験は至極簡単だった。二桁までの足し算引き算である。先生が問題を三回繰り返して読み上げる間に終わる。周囲を見れば、エーレンフェストの皆が余裕の表情で試験に取り組んでいるのがわかった。この分ならば問題なさそうだ。
「試験が終わった時はどうすれば良いですか?」
「領地の者全員が終わるまで、静かにお待ちください」
「全員が終わった場合はどうするのですか?」
「……領地全員分の試験用紙を提出すれば、次の試験に向けてのお勉強をしていても良いですよ。ただし、静かにお願いいたします」
わたしは端から試験用紙を隣に送ってくるように指示を出して、エーレンフェストの8人分を集めると、先生に渡した。そして、勉強に取り掛かるように小声で指示した。もちろん、明日の歴史と地理の勉強である。
皆が必死に勉強する中、わたしは更に先の試験について考えていた。
「エーレンフェスト、全員合格です」
すぐに採点がされたようで、先生の声が講堂に響く。「やった」と喜ぶ声より「よかった」と安心する声が漏れてきた。そして、すぐに不安の残る科目の勉強へと意識を戻す。
エーレンフェストは全員が優秀な成績で合格したが、一年生の講義は大して難しいものではないので、同じように抜けて行く者はたくさんいる。
次の神学の試験もエーレンフェストは一番乗りで試験を終えて、全員合格を果たした。全員合格はさほど珍しくないが、両方を一番乗りで終えたことで少し注目されたらしい。4の鐘が鳴って、昼食に戻った時にヴィルフリートがそう言っていた。
「ローゼマイン、其方、周囲の視線に気付かなかったのか?」
「明日の試験のことを考えれば、周囲を見ている余裕などありませんよ。大事なのは、全員が合格して図書館に行くことです。成績が悪かったならばともかく、良かったならば、周囲の評価などどうでも良いではありませんか」
「いや、良くないぞ。周囲の反応は大事だ」
「では、周囲の確認は余裕のあるヴィルフリート兄様にお任せします。兄様は全教科合格できそうなのですから、周囲に気を配っておいてください」
ヴィルフリートに仕事を任せて、わたしはお昼休みも5人の勉強を見つつ、図書館司書のソランジュ先生に向けた面会依頼の手紙を書いて、ブリュンヒルデに届けてくれるように頼んでおいた。
……お返事が早く届きますように。
午後からは二年生が講堂を使うので、一年生は階級ごとに分かれて実技が行われる。領主候補生の数は少ないので、上級貴族と共に行われることになっている。
今日は魔力の扱いだ。
ヒルシュールが広い部屋の前に立ち、ドンと教卓に木箱を置いた。
「ここに魔石が入っています。各自、その魔石を手に取って、自分の魔力で染めてください。魔石に向かって魔力を流していくのです。完全に染まったら、わたくしに見せてください。その後、魔石から完全に魔力を抜きます。それができれば、本日の課題は終了です」
自分の魔力を込めたり、抜いたりするのは、何をするにも必要な能力で、それを素早く正確に行うことが求められる。
「この先に行う騎獣の作成にも魔石を魔力で染めることは必要ですからね」
領地の順番で魔石を取りに行く。わたしも魔石を手に取った。しかし、席に着くと、手の中に魔石がなかった。さらりとした金色の粉があるだけだ。
「あ、あれ?」
……魔石が消えた!
自分の手の中を見て、目を瞬いていると、ヴィルフリートが怪訝そうな顔になった。
「ローゼマイン、其方、魔石は持って来なかったのか?」
「いえ、持ってきました。ちゃんと手に握ったはずなのですけれど……」
全員が取りに行った後、わたしはもう一度並んで魔石を取ってきた。今度は手のひらの上にそっと乗せて、消えないように見張りながら自分の席へと戻る。
じっと見ていると、席に戻るより先に、透明だった魔石はあっという間に薄い黄色に染まった。そして、一度小さく光ると形を崩して金色の砂へと変化していく。
この変化には見覚えがあった。前神殿長に黒い魔石を向けられて、どんどんと魔力を注ぎ続けたらなったのと同じだ。石の大きさも違うし、透明と黒の魔石で属性も違うけれど、起こった現象は同じに違いない。
……でも、なんで? わたし、何もしてないよ。魔力を込めようなんて、これっぽっちも考えてないのに、魔石が勝手に魔力を吸って崩れちゃう。
金色の砂を見つめながら、わたしは眉を寄せた。
「では、魔力を込めてください」
ヒルシュールがパンと軽く手を叩くと、皆が魔石に集中する。隣に座っているヴィルフリートはこの二年間でずいぶんと魔力の扱いに慣れたようで、すぐに魔石を染めることができた。
「よし、できた。……ローゼマイン、其方の魔石はどうした?」
「失敗いたしました」
わたしは自分の手の中にある金色の砂を見つめて途方に暮れる。
「其方が失敗するなど珍しいな。もう一度魔石をもらってくればどうだ?」
「……そうですね」
多分、同じ結果にしかならないと思う。魔力を込めたつもりがないのに、勝手に魔力を吸われる現象を何とかしなければ、意味がない。どうしようかな、と眉を寄せるわたしと違って、ヴィルフリートは意気揚々と魔石を持ってヒルシュールに見せに行く。
「とても速く、そして、よくできています。素晴らしいですね」
ヒルシュールに褒められたヴィルフリートは喜色満面で戻ってきて、そして、すぐに魔力を完全に抜いて魔石を空っぽにした。
「ローゼマインより私の方が速く実技を終えるとは思わなかったな」
ヴィルフリートは得意そうにそう言うと、弾む足取りで駆けだすようにして、一番乗りで教室を出て行った。
わたしは少し魔力を込めながら、「引っ付け、引っ付け、丸まれ、丸まれ」と唱えて、金色の粉を何とか魔石の形に直そうと奮闘するが、金色の粉は全く変化なしだ。
上級貴族や領主候補生は魔力が十分にあるせいか、皆がほとんど苦労することなく、魔石を染めて、魔力を抜いて、実技を終えていく。
「領主候補生が実技で居残りか」
そんな嘲笑が向けられるようになった頃には片手で数えるほどしか学生が残っておらず、すぐに一人だけになった。
「ローゼマイン様、魔石に魔力を込めるのは、それほど難しいことではございませんでしょう? この程度ができなくて……あぁ、そういうことですか。そうでしたね。すっかり忘れておりました」
ヒルシュールが呆れたような声を出しながら、わたしの席へとやってきたが、わたしの机の上にある金の砂を見て、納得の声を出した。
「どういうことですか? わたくし、魔力を込めようと意識していないのに、勝手に魔石が染まって、崩れてしまって、どうすれば良いのか、わからないのです」
「フェルディナンド様から、ローゼマイン様は身体強化のための魔術具を身に付けていると聞いています。それが原因ですよ。大量の魔力に包まれている状態なので、このくらいの小さな魔石ではすぐに容量を超えてしまうのでしょう。左だけ魔術具を外してください」
ヒルシュールはコトンとわたしの前にもう一つの魔石を置きながら、そう言った。そして、ニコニコとした嬉しそうな笑顔で、金色の砂を掻き集めて行く。
「あの、ヒルシュール先生。申し訳ございません。魔石を崩してしまって……」
「構いませんよ。魔力が飽和状態になってできる金の砂は貴重な素材ですからね」
……貴重なんだ。じゃあ、前神殿長の魔石が崩れた砂はどうなったんだろう? マッドサイエンティストな神官長が回収したのかな?
わたしはそんなことを考えながら、ヒルシュールに言われた通りに左腕の魔術具を外す。次の瞬間、自分の左腕がガクンと重みを増して、自由に動かなくなった。魔術具を付けている右手で支えるようにして持ち上げる。
「最初は魔石に触れるだけです。魔力を流さずに触れることができるかどうか、確認してください。魔術具を付けている右手で触れてはなりません」
なかなか思うようには動かない左手を動かして、わたしはそっと魔石に触れる。魔力を流さないように気を付けて、魔石に指を乗せた。
数秒間そのままにしていても、魔石の色は変わらない。
「問題なさそうですね。では、魔力を込めてください」
「はい!」
わたしは魔石を染めるため、自分の意思で魔力を流し込んだ。その瞬間、パァン! と魔石が弾けて飛び散った。
「ひゃあっ!?」
「いきなり大量に魔力を込めすぎです。もっと少なく、丁寧に……」
「はい」
ヒルシュールがそう言いながら、次の魔石をわたしの前に置いた。予想外の事態に心臓をバクバク言わせながら、わたしはもう一度震える指先を魔石に乗せる。
……ちょっとだけ。ほんのちょっとだけだからね。
そろそろと魔力を流していく。わたしの意識としてはちょっとずつのつもりだったが、パァン! とまたもや魔石は弾け飛んだ。
「わっ!?」
「やり直しです」
パァン!
「のぅっ!」
「はい、次」
結局、わたしが魔石を染めて、魔力を戻すのに成功したのは十個の魔石を犠牲にした後だった。
「魔力は十分過ぎる程にあるので、細かい制御ができるようになることがローゼマイン様の今後の課題ですね。はい、これを全て粉に変えてくださいませ」
ヒルシュールは弾けて飛び散った魔石の欠片をざざっとわたしの前に置いて、そう言った。わたしは左腕に魔術具の腕輪を付け直し、欠片に触る。すると、小さな欠片がどんどんと金色の粉に変わっていく。
「ヒルシュール先生、どうすれば制御が上手くできるようになるでしょう?」
「それは貴女の師であるフェルディナンド様に質問すれば良いと思いますよ。あの方も入学当初は多すぎる魔力を持て余しておりました。そのくせ、魔力圧縮を学べば、どこまで増やせるか挑戦する生徒でした。本人は平気な顔でどんどんと圧縮していくのですが、見ている方がハラハラしたものです」
……実は今も薬を飲んで魔力を回復させては新しい魔力圧縮法を試すような危険でハラハラすることをやっています。
「フェルディナンド様は変わっていませんね。今でも似たようなことをしています。研究バカなのです」
「そうですか。昔は城での生活より貴族院の生活が良いと言っていましたが、伸び伸びと過ごされているようで安心いたしました」
ヒルシュールが懐かしそうに目を細めてそう言った。