Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (294)
宮廷作法とヒルシュールの来訪
図書館を出ると、文官と側仕えの専門棟へと続く回廊がある。わたしとヴィルフリートの側近の文官見習い達と側仕え見習いにそれぞれの専門棟へと向かうように言って、わたしはリヒャルダと騎士見習いと一年生でぞろぞろと本館の中心部分へと向かう。
下級貴族が使う教室へとフィリーネ達が入っていき、中級貴族が使う教室へとローデリヒ達が入っていく。
そして、領主候補生はいつも通りの小広間だが、上級貴族が別の教室へと向かった。宮廷作法ではそれぞれの階級ごとに求められるものが違い、細かいところを見るので、今日は上級貴族と領主候補生で教室が違うのだ。
「後ほどまたお迎えに参ります」
小広間に着いた後、騎士見習いとリヒャルダがそう言って去っていく。わたしとヴィルフリートは中に入った。
「ずいぶんとやる気に満ちた顔だな、ローゼマイン」
「当然ではございませんか。わたくしが図書館に向かうためには、少しでも早く講義に合格しなければならないのです。この宮廷作法も今日中に合格をいただくつもりですから」
図書館を見学しただけで、一冊も本を読むことができなかったのだ。わたしは何が何でも合格を勝ち取り、図書館に籠ってみせる。
「わたくし、講義に死力を尽くします」
「……うむ、頑張るのは良いことだな」
ヴィルフリートは「それほど上手くいくとは思えぬが」と呟きながら、13番の椅子に座った。
「一年生の宮廷作法で求められるのは、挨拶とお茶会での振る舞いです。様々な講義を終えるにしたがって、他領と交流を持つためのお茶会が開かれるようになります。それはご存知でしょう? その時にお互いが不愉快な思いをしないように、共通の礼儀を身に付けることが求められます」
これまでの教育で一通りの作法を学んでいても、それぞれの領地では緩く崩していたり、領主候補生は自分が最上位ということで礼を尽くすことには慣れていなかったりすることもある。そのため、貴族院では自分よりも上位の王族のお茶会に招かれたという設定で、宮廷における作法を確認し、今後に役立てるように、とプリムヴェールという先生が述べた。
宮廷作法の実技は、お茶会を模しているため、主催者の王族という設定の先生への挨拶はもちろん、会話の内容、表情、食べ方、飲み方などが三人の先生によって色々とチェックされることになる。細かいチェックをするために、上から10位までの領主候補生と11位から下の領主候補生に分かれて、行われることになった。
「では、先に上位の領主候補生から始めましょう」
プリムヴェールの言葉に、上位の領主候補生が立ち上がった。最初はお茶会に招いてくれた主催者への挨拶だ。これは上位の者から始めなければならない。皆、経験があるのだろう。ずっと順番に並んで、特に気負った様子もなく、挨拶が始まった。
フィリーネからは「宮廷作法の先生方はおっとりとしていて、優しい方が多くて、あまり不合格になる者はいませんでした」と聞いていたので、最初ゆったりとした気分でわたしは座って、上位の領主候補生を見ていた。
「もう一度やり直してくださいませ」
「……え?」
最初の挨拶の時点で、次々と不合格が付けられていく。挨拶を受けるプリムヴェールは有無を言わせぬ雰囲気で、おっとりニッコリと笑いながら口を開いた。
「王族からお茶会へ招待される可能性がある領主候補生がそのような姿勢では困ります。特に、次期領主は領主会議で必ず王族との会食やお茶会がございます。気を引き締めてくださいませ」
言っていることは間違っていないが、一発合格は予想以上に厳しそうだ。わたしは背筋を伸ばすと、身を入れて上位の領主候補生を見つめた。正直、型通りの挨拶のどこが悪くて落とされているのか、全くわからない。
少なくとも一人一回はやり直しをさせられた後、どこかぎくしゃくとした雰囲気のお茶会が始まる。
……まるで圧迫面接みたい。
わたしは何度もやり直しをさせて、静かに生徒達の反応を見ているプリムヴェールの姿に、就職試験の面接官の視線を思い出した。
……領主候補生は領地では最上位に位置するから、王族に無茶振りされた時の反応でも見ているのかな?
わたし達は少し離れたところから見ていたので、お茶会における会話の内容まではわからなかった。けれど、挨拶の時点で何度もやり直しをさせられた子が委縮してしまったのは、わかった。また不合格と言われるのではないか、と不安になるようで、自分のやることが間違っていないか、視線が忙しなく周囲を見ている。
「厳しいな」
小さな声でぼそりとヴィルフリートが呟いた。挨拶の後は、「やり直してください」という言葉は全く聞こえない。代わりに、先生方の背後に立つ側仕え役の人達が何やらせっせと書き留めていた。その様子から察するに、他の側仕え役も面接官のようなものだと考えた方が良さそうだ。
「時の女神 ドレッファングーアの本日の糸紡ぎはとても円滑に行われたようですわ」
プリムヴェールが「楽しい時間はとても早く過ぎてしまうものですね」という意味の言葉で、お茶会の終了を告げた。別れの挨拶を行い、上位の領主候補生達はわたし達が座っていた椅子の方へと疲れた顔でやってきて座っていく。
側仕え役の人達がお茶会の後片付けをし、下位の領主候補生であるわたし達の実技を行うことができるように、次々と新しいお菓子やお茶を準備し始めた。
その間に先生方は自分の側仕え役に書かせていた木札を持って、上位の領主候補生に評価を述べていく。
「9番、優雅さを忘れてはなりません。指先の動きまで気を付けてくださいませ」
「申し訳ありません」
「3番はご自分の話ばかりをするのではなく、周囲のお話にも耳を傾けてくださいませ」
「2番は大領地の領主候補生ですから、もう少し威厳を持ってくださいませ」
「7番は……」
三人の先生方から次々と下される評価を聞いている限りでは、貴族らしさを失わないことが重要な気がした。圧迫面接で萎縮するな、と言われているような感じだ。
わたしが貴族として生活するようになってから、ずっと言われ続けてきたように、常に余裕のある笑顔で胸を張って、決して俯かない。優雅さを忘れず、周囲をよく見る。
……お母様に教えられた通りにすれば、きっと大丈夫。
「13番ヴィルフリート様、ローゼマイン様」
呼ばれた時にはもう試験が始まっている。就職試験では待ち時間や入室さえ採点範囲に入っていると言われていた。
わたしはできるだけ姿勢が綺麗に見えるように背筋を伸ばし、ヴィルフリートに向かってニコリと笑って手を差し出した。「さぁ、エスコートしろ」と伸ばされた手を見て、一瞬目を丸くしたヴィルフリートだったが、すぐにわたしの手を取って、エスコートしてくれる。
エスコートしてもらわなければ、今のわたしは優雅に椅子から立つことも難しいのだ。
ヴィルフリートにエスコートされた状態で、わたしはプリムヴェールの前へと挨拶に向かった。先に挨拶をするのはヴィルフリートだ。跪いて、両手を胸の前で交差させ、首を垂れる。
「命の神 エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「やり直してください」
やはりか、というようにヴィルフリートが軽く目を伏せて、もう一度挨拶をした。プリムヴェールが静かにその様子を見ながら、更に二回のやり直しをさせる。ヴィルフリートが悔しそうに奥歯を噛んだのがわかった。
「ヴィルフリート様はもうよろしいですわ」
軽い溜息と共にプリムヴェールがふわりと手を振って、その場を退くように、指示する。ヴィルフリートは静かに立ち上がり、その場を退いた。
ヴィルフリートが退いた場に、次はわたしが進み出る。静かにこちらを見ているプリムヴェールと視線を合わせ、一度ニコリと笑顔を見せた後、丁寧に跪く。そして、両手を胸の前で交差させた。
「命の神 エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「やり直してください」
「かしこまりました」
営業スマイルのような愛想笑いを深めて、わたしはもう一度、殊更丁寧に挨拶する。
「命の神 エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許します」
一度のやり直しで合格をもぎとり、わたしはお茶会の席へと向かう。エスコート役として待っていてくれたヴィルフリートが小声でぼそりと「其方は一度のやり直しで合格できるのだな」と悔しそうに呟いた。
「コツは相手を先生ではなく、王族だと思うことです」
「思っているが?」
前を向いて、笑顔を崩さないまま、わたしは小声でヴィルフリートに助言する。よくわからないというようにヴィルフリートが首を傾げた。
プリムヴェールが言っていたように、自分より上位の者と接することがほとんどないヴィルフリートは、先生を王族と思え、と言われて、頭ではわかっているつもりでも、わかっていない。
「ヴィルフリート様のお席はこちらですわよ」
一人の先生から声をかけられた、ヴィルフリートが反射的にそちらへ向かおうとした。
わたしはぐっとヴィルフリートの腕をつかんで、ニッコリと笑みを深める。「エスコートを放り出す気ですか?」という無言の質問は通じたらしい。
わたしを席まで案内する、と先生に向かって軽く手を挙げると、ヴィルフリートが足を進め始めた。
先生方はもちろん、側仕え役の者も皆が周囲に目を光らせている中、あまり大きな声でコツについて話し合うことはできない。なるべく短い一言でヴィルフリートに伝わる言い方がないだろうか。
本当に上位の領主候補生で頭を下げる相手がほとんどいない者達と違って、ヴィルフリートは色々と失敗を重ね、最初はあれ程嫌がっていた神官長にも礼を尽くすことができるようになった。あれが出せれば、この実技をクリアするのはそれほど難しいことではないと思う。
「ヴィルフリート兄様、このお茶会はフェルディナンド様に見張られています」
わたしが小さく囁いた瞬間、ヴィルフリートの背筋がしゅっと伸びた。視線は笑顔で前に固定されているが、周囲を探るような緊張感が漲っている。
かなり効果があったようだ。
「ここがわたくしの席のようです。ヴィルフリート兄様、ありがとう存じます」
わたしは自分の席までエスコートしてくれたヴィルフリートに礼を言って、「この調子で頑張ってください」とニコリと笑う。ヴィルフリートは先程までとは違う、自信に満ちた笑みを返して、自分の席へと向かった。
「ローゼマイン様、どうぞ」
カタリと側仕え役の者が席を引いてくれた。わたしはその椅子の高さを見て、わずかに目を細めた。頑張れば座れないわけではないが、高すぎてどう考えても優雅には座れない。
わたしは側仕え役を見上げて、頬に手を当てて、「困ったわ」と首を傾げる。フランを初め、色々なところで活用しているのだ。側仕えとして教育を受けた者にわからないはずがない。
しかし、側仕え役もまた少し首を傾げるだけで、わたしを椅子に上げようとはしてくれなかった。
……これも試験の一種かな?
わたしは「困ったわ」のポーズのままで考える。ここでの最適解は何だろうか。すんなりと椅子に上げてくれれば良かったのだが、どうやら気の利かない側仕え役に対する反応を見られているようだ。
ここで椅子によじ登るのは完全にアウトだし、馬鹿正直に「一人では座れないので、椅子に上げてください」とお願いするのも、領主の令嬢に相応しい言動ではない。「できない」と言うのがダメなのだ。
……それとなく分かってもらえるやり方を見つけるのが正解なのか、それとも、側仕え役に対する苦情を言うのが正解なのか。相手は王族って設定なんだよね? うーん。
しばらく見つめ合った後、わたしは席に座れていないのが、自分だけであるということに気付いた。お茶会に臨んでいる領主候補生はもちろん、すでに実技を終えた上位の領主候補生もじっとこちらを見ているのがわかる。
「どうかなさいましたの、ローゼマイン様?」
こちらの様子を伺う主催者であるプリムヴェールの声に、わたしは「困ったわ」のポーズのままで振り返った。
「プリムヴェール先生、このお茶会は王族のお茶会を想定していると伺いましたけれど、間違いないでしょうか?」
「えぇ、間違いございませんわ」
そう言いながら、プリムヴェールは興味深そうに笑みを浮かべ、目をきらりと光らせた。これがおそらくわたしにとって一番重要な問題に違いない。
ならば、貴族らしさを保ったまま、悠然と構えているのが正解だろう。わたしは王族に招待された客なのだ。側仕えのために、わたしが気を利かせる必要はない。
「プリムヴェール先生、こちらの側仕えはまだ不慣れなのかしら? わたくし、少し驚いてしまったのですけれど、彼女をあまり強く叱らないであげてくださいませ」
主催者が招待客について知らないというのは、失礼極まりないことなので、絶対にしてはならない。誰を招き、何が好みか、席順をどうするのか、個人個人にどのような対応をしなければならないか、お茶会の度にお母様は何度もそう言って、必要な物を準備し、当日テーブルに付いて働く側仕え達には注意することを丁寧に教えていた。客に接する側仕えの失態は主の失態に等しい。
今回のお茶会において、わたしの体が周囲よりも小さくて、椅子に座ることに難儀することは主催者が知っていなければならない情報だ。その上で不便がないように取り計らわなければならない。
わたしが言った「側仕えが不慣れですね」は、主催者が情報収集を怠っていたり、側仕えへの連絡が不十分だったり、質の良い側仕えを揃える力がなかったりすることを指摘する言葉だ。「このお茶会、ちょっと手を抜いているんじゃない?」と言うのに等しい。
プリムヴェールは「まぁ、何ということでしょう」と言いながら、わたしの席を引いている側仕え役に下がるように言って、手元の小さなベルを鳴らした。すぐに別の側仕え役がやってきて、わたしを椅子に座らせてくれる。
ベルを鳴らすだけで全ての対応を終えることで、プリムヴェールは情報収集はきちんとしていたし、側仕えにも連絡をしていた。あの側仕え個人の質が悪かったようです、と示してみせた。
「本当に不慣れな側仕えで失礼いたしましたわ、ローゼマイン様」
「わたくしは気にしませんわ。最近は質の良い側仕えを得るのも難しいですもの」
椅子に座らせてもらって、わたしは優雅に笑って見せた。プリムヴェールの背後に立っている側仕え役が何やら書き込んだのが目に入った。
それからお茶会が始まったわけだが、これはまるで飲食を含めたグループディスカッションだと考えて、わたしは対応した。無言でお茶を飲んでいる子に当り障りのない話題を振ってみたり、熱弁を振るってアピールする子に相槌を打ったり、お菓子やお茶の話題で主催者を持ち上げてみたりと頑張った。
途中で小さな引っかけや咄嗟のことに対応する能力を見ているのがわかる部分がちょこちょことあり、わたしは周囲を見回しながら、自分ならばどうするか考える。
ヴィルフリートも挑発されるような場面があったけれど、挨拶と違って笑顔でするりと切り抜けていた。「神官長が見ている」という一言にはかなり効果があったようだ。
「今回の合格者は13番のヴィルフリート様とローゼマイン様です。貴族院でお茶会に招かれても、問題ないでしょう」
宮廷作法の実技に合格したのは、わたしとヴィルフリートだけだった。プリムヴェールから合格をもらえたのだ。
飛び上がって喜びたいのを堪えて、わたしは笑顔を深めるに止めた。
「恐れ入ります」
まだプリムヴェールの視線を感じる。わたしは心の中で「家に帰るまでが試験です」と繰り返し、楚々とした動きを心掛けて、寮まで戻った。
「わたくし、宮廷作法に合格しました!」
寮の玄関扉が閉まると同時に、わたしはリヒャルダに全開の笑顔で報告した。わたしの声に、周囲を取り囲んでいた側近達がビクッとして、ヴィルフリートの側近達は自分の主を気遣うようにそっと声をかける。
「ヴィルフリート様は……?」
「私も合格した。ローゼマインのおかげだ。あの一言がなければ、おそらく不合格であった」
しみじみとした口調でヴィルフリートがそう言った。その様子に興味を引かれたのか、リヒャルダが何度か瞬きをする。
「ヴィルフリート坊ちゃま、姫様は何をおっしゃったのですか?」
「わたくしは、フェルディナンド様がご覧ですよ、と言っただけですわ」
「まぁ!」
二年間、わたしの代わりにヴィルフリートは冬の子供部屋の統率と祈念式や収穫祭の神殿行事を行った。その間、嫌でも神官長と付き合わざるを得なかったヴィルフリートの苦労を知っているリヒャルダはくすくすと笑った。
「坊ちゃま、何事もいずれ糧になると申し上げましたが、ずいぶんと早かったようですわね」
「うむ」
着替えを終えたわたしは、多目的ホールで皆の参考書作りを見たり、情報等の買取りがあれば、それを控えたりしていた。わたしが参考書作りをすると、下級貴族の仕事を奪うことになるので、なるべく任せることにしている。乱雑な字やおかしい言葉遣いを指摘する程度だ。
わたしは皆が何とかお金を稼ごうと試行錯誤をしている中で、今後の講義の対策を立てることにした。なるべく早く図書館に向かうためにはどうすれば良いだろうか。
宮廷作法をクリアしたのだから、残っている実技は奉納舞と音楽と騎獣とシュタープの取得だ。
奉納舞については、どうせ今年は練習だけなので、それほどのレベルは要求されないと思う。一通りは舞えるので、忘れていないか、一応復習しておこう。余計な騒ぎを起こさないように、神には祈らないように気を付けることが大事だろう。
音楽に関しては、先生方のお茶会にも招かれているので、基準はクリアしていると考えて間違いない。だったら、新しい曲の披露と引き換えに合格をもぎ取れないか、交渉してみるのはどうだろうか。
騎獣は、フラウレルムが倒れて中断してしまったので、前回の続きから始まることになるだろう。ヒルシュールによると、最終的に騎獣で外に出て、貴族院の敷地をぐるっと一周できたら合格だと言っていたので、問題ないと思う。
……フラウレルム先生が倒れなかったら、多分、大丈夫。
いっそ、前回倒れたフラウレルム先生を心配して、ヒルシュール先生が補助として騎獣の講義に来てくれれば、簡単に終わると思う。けれど、研究室に籠っていたいヒルシュールがそんな余計な仕事を抱え込むとは思えない。頼み込むとすれば、それ相応のメリットの提示が必要になる。
……そして、明日は、シュタープの取得だ……
一年生全員で最奥の間と呼ばれるところに入ることになっている。そこでシュタープの原石となる、「神の意思」と呼ばれる魔石を採ってこなければならないそうだ。わたしに採集ができるかどうか心配になったけれど、コルネリウス兄様は「大丈夫だ。絶対に採れる」と言っていた。「その場に行けばわかる」のだそうだ。
ただ、原石を採集するだけで終わりではない。シュタープを作り上げ、基本的な使い方を覚えなければならないらしい。それほど難しいことではないようだが。
「ローゼマイン様はいらっしゃいますか?」
ある程度講義の合格に目途がついたところでヒルシュールが寮に飛び込んできた。上級生が「最初と最後にしか寮に来ない寮監だ」と言っていた割に、よく寮に来ている気がする。
多目的ホールに入ってきたヒルシュールを見て、わたしは目を瞬いた。
「本日は何でしょう?」
「先程、講義の後にある生徒から伺ったのですけれど、シュバルツとヴァイスを復活させたのですって? どのようにしたのです? 主以外の者が彼等に不用意に触れることはできなかったはずです」
興奮した面持ちで畳みかけるようにヒルシュールがそう言った。どうやら不用意に触ってシュバルツとヴァイスに撃退されたことがあるようだ。お守りの効力を意外なところで知ってしまった。
それにしても、閲覧室にいた生徒にはエーレンフェストの誰が復活させたか、わからなかったはずだ。何故、わたしが復活させたと思ったのだろうか。
わたしの疑問にヒルシュールが当たり前の顔で肩を竦めた。
「エーレンフェストの一年生達が集団で図書館を見て回り、黒と白の大きなシュミルが案内するように歩いていたと聞けば、誰の仕業か、すぐにわかるではありませんか。そのような非常識なことをするのは、ローゼマイン様に決まっています。わたくし、オルドナンツでの報告も受けておりませんよ」
「……シュバルツとヴァイスを動かしたことがヒルシュール先生の手を煩わせるような事態だとは思わなかったもので、報告義務があるとは全く考えていませんでした」
ヒルシュールのどことなくわくわくしている紫の瞳を見る限りでは、寮監として事態を把握しておきたいというよりも、シュバルツとヴァイスを研究したいという方が正しい気がする。
新しい主として、わたしがシュバルツとヴァイスを守らなければならない。
「シュバルツとヴァイスは図書館から出しませんよ」
「……主と一緒ならば出られるでしょう?」
「ヒルシュール先生に分解されそうですから嫌です」
わたしが目を細めて睨むと、ヒルシュールが「あら、嫌だ」と笑みを浮かべた。
「分解だなんて、人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいませ。少し服を脱がせるだけですわ」
「……ヒルシュール先生には魔術具の服を脱がせる趣味がおありなのですか?」
変態か、とわたしが警戒心を強めると、ヒルシュールが苦い表情になった。
「わたくしは専ら魔術具を作っている教師ですよ。製法が伝わっていない魔術具について詳しく知りたいと思うのは当然ではありませんか。わたくしが知る限りの情報では、シュバルツとヴァイスは服に覆い隠されている部分に製法に関わるものがあるようです。それをこの目で確認したいのです」
先生らしいキリッとした顔で言っているが、つまり、脱がしたいだけである。わたしの心配は当たっていた。
「わたくしには主としてシュバルツとヴァイスを守る義務があります。あの子達がいないとソランジュ先生の図書館業務は大変なのです」
ヒルシュールが目を細めて、細い眉を歪める。そして、神官長が考え込む時によくしているように、指先でトントンと軽くこめかみを叩き始めた。
……神官長は多分ヒルシュール先生の癖が移ったんだ。
内心、ぷぷっと笑っていると、何を思いついたのか、ヒルシュールがくいっと顎を上げて、唇の端を上げた。
「ローゼマイン様、確か……新しい主は新しい服を与える必要がございましたよね?」
「……何のことでしょう?」
長年貴族院にいるヒルシュールが何をどこまで知っているのかわからない。わたしが愛想笑いで流したけれど、ほんの一瞬の戸惑いで確信を得たのか、ヒルシュールが笑みを深めた。
「採寸や着替えをする場にわたくしを同行させてくださいませ。もちろん、わたくしが手を触れたり、脱がしたりはいたしません」
自分の手では脱がさないけれど、風呂場に同行させろと言っているような変態臭さを感じていると、ヒルシュールが笑みを深めた。
「そうすれば、わたくし、残っている魔術関係の実技でローゼマイン様の担当になる事ができましてよ」
「え?」
「全てに合格しなければ、図書館に入れないのでしょう? フラウレルムに疎まれた現状では騎獣の実技での合格が遠いですものね」
……悪魔です! ここに生徒を悪い道に誘う悪魔がいます!
しばらくの攻防の後、卒業まで便宜を図ってくれるという悪魔の誘惑に、わたしはあえなく敗北した。