Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (3)
おうち探索
三日たって、ようやく熱も下がってきたし、やっと食事も少しずつ喉を通るようになってきた。
その食事は細かく切られた野菜がちょろちょろと浮かぶかなり薄味な塩スープなので、病人にはいいけれど、健康体に戻ったら舌を合わせるのが大変だ。
それから、マインと呼ばれることにも慣れてきた。これからはマインとして生きていかなければならないのだ。諦めてさっさと慣れたほうがいい。
「マイン、終わった?」
「うん」
食器を下げに来たトゥーリへ空になった食器を渡して、わたしはおとなしくベッドに横になった。
「ちゃんと寝ててね、マイン」
実は、この三日間、寝室から出ていないんだよ?
トイレ以外でベッドから降りたら、ベッドに強制送還されちゃうなんて、ひどくない?
しかも、トイレって、寝室でおまる使うんだよ? すごい羞恥プレイだから。
ちなみに、家族も寝室でおまる使う上に、その中身、窓から外に放り投げるんだよ?
やっぱりお風呂もなかったよ。
我慢できなくて、身体拭いてもらったけど、めっちゃ変な顔された。
もう耐えられない! こんな生活!
耐えられなくても、幼い病人がいきなり家を飛び出したところで、自分が望む生活なんてできるわけがない。一応精神年齢は大人なんだから、それくらいはわかっている。どんなに嫌でも、後先考えずに家を飛び出したりしない。
この家の状況を見れば、外が安全とも思えないからだ。児童相談所や保護施設なんてあるかどうかもわからないし、ここより生活が向上するかどうかもわからない。
きっと、汚物が嫌で逃げ出したのに、上から降ってくる汚物に悲鳴を上げながら、逃げ惑って野垂れ死にするのが関の山だ。
さっさと回復して、生活環境を整えるしかない。
第一目標はベッドから出ても怒られなくなること。――目標、低っ!
そして、何はさて置き、本だ。
生活環境を整える第一歩に本がいる。本さえあれば、色んな不愉快も多少我慢できると思う。というか、我慢する。
そんなわけで、今日こそは、家の中の探索することに決めた。あまりにも長いこと本を読めてないので、禁断症状が出そうになっている。
本寄こせ、がおー! 泣くよ! 大の大人が人目もはばからず泣いちゃうよ!?
トゥーリという姉がいるので、家中探せばどこかに絵本の10冊くらいあるはずだ。間違いなく、字は読めないだろうけれど、絵を見ながら想像して、文字を推測するくらいはできるかもしれない。
「マイン、寝てる?」
ひょこっとトゥーリがドアを開けて、顔を出した。わたしがおとなしくベッドにいるのを見て、満足そうに一つ頷く。
意識が戻る度に、ベッドから抜け出して本を探して家の中をうろつこうとしてはぶっ倒れるので、看病役のトゥーリから完全に警戒されている。
昼間は仕事に出かける母親から子守りを頼まれているトゥーリはわたしをベッドから出さないように必死だ。いくら逃げようとしても小柄なわたしの身体がトゥーリに勝てるはずがない。
「いつか絶対に『下剋上』してやる」
「マイン、何て?」
「……ん? 大きくなりたいなって」
やんわりとオブラートに包んだわたしの言葉の真意に気付くはずもなく、トゥーリは困ったように笑った。
「マインが病気しなくなったら、大きくなれるよ。病気ばっかりだから、ご飯も食べられなくて、5歳なのに3歳に間違われることもあるんだから」
そうか、わたしは5歳だったのか。そして、虚弱で小柄なのか。初めて知った。
記憶の中では特に誕生日なんて祝ってなかったもんね。 それとも、祝ってくれたけど、言葉が理解できなかったのかな?
「トゥーリは大きい?」
「あたしは6歳だけど、7~8歳に間違われることが多いから、ちょっと大きい方じゃない?」
「そっか」
年子でこの体格差か。
どうやら下剋上は難しいらしい。諦めないけど。
食事と衛生環境に気を付けて、健康になろう。
「母さん、お仕事に行ったから、お皿洗ってくるね。絶対にベッドから出ちゃダメよ。寝てないと病気治らないし、治らなかったら大きくなれないよ?」
「わかった」
ベッドを抜け出す前科持ちは、昨夜からトゥーリの警戒心を解くためにおとなしい良い子を演じている。トゥーリがマインを寝室に残して、出かける時間を待っているのだ。
「じゃあ、行ってくるね。いいこで待ってて」
「はぁい」
素直でいい返事をすると、トゥーリがバタンと寝室のドアを閉めた。
そのまま、トゥーリが食器の入った籠を抱えて外に行くのをマインは静かに待った。どこで洗っているのか知らないが、いつも20~30分くらい外に出かけるのだ。どうやら各家庭に水道はないようで、多分共用の水場があるのだと思う。
ふっふっふ……。さぁ、早く行け。
おそらく玄関だろう、ガチャンと鍵を閉める音がして、階段を下りていくトゥーリの足音が小さくなっていく。
完全に聞こえなくなったのを確認してから、マインはそっとベッドから足を下ろした。ざりざりと砂や土の感触がして、少しばかり顔をしかめる。
家族が土足で歩く床の上を裸足で歩くのは汚くて嫌だが、わたしが動き回らないように靴をトゥーリに取り上げられてしまった以上、仕方ない。
足が汚れることより本を探すことが優先だ。
「ここにあれば、話は早かったんだけど……」
熱が下がりきっていないわたしが閉じ込められている寝室には、ベッドが2つ、服やちょっとした物を入れておく木の箱が3つほどと、細々したものを入れておく籠がいくつかある。
ベッドの横の籠の中には木や藁で作られたこどものおもちゃが入っているが、本はない。本棚があるとすれば、リビングだろうか。
「ぃやぁ……」
一歩足を動かすたびに、足の裏が小さな砂でじゃりじゃりする。ここは家の中まで土足で上がる生活習慣のようだから、文句を言ってもどうしようもないとわかっている。
わかっているけど、日本の習慣が染みついているわたしにはどうにも馴染めない。マインとして生きていくならば、慣れなければならないことは大量にありそうだ。
「くっ、高すぎ……」
お家探検の第一関門は寝室のドアだ。
必死に背伸びすれば、手が届かないわけではないが、ギリギリ届くだけの高さにあるノブを回すのは予想以上に困難だった。
踏み台になるものを探して部屋を見回し、わたしは服が入っている木箱に目を付けた。
「ふんぬぅ……」
大人ならば木箱を動かすこともできたかもしれないが、幼い子供の手では押しても引いてもびくともしない。
おもちゃの入っている籠をひっくり返して乗ることも考えたが、体重によっては踏み抜きそうだ。
「マジで早く大きくならなきゃできないことが多すぎるよ、これ」
寝室の中を見回して、色々考えた結果、親の布団を丸めて踏み台にしてみた。
自分の布団を土足で歩く床に下ろすのは絶対に嫌だが、この生活環境で普通に生活できる親の布団なら問題ない、きっと。
本を手に入れるためならば、親にちょっと怒られるくらいわたしにとっては大した障害ではない。
「よいしょ」
丸めて布団に乗って背伸びして、全体重をかけて何とかドアノブを回す。ギッと音を立ててドアが開いた。内側に。
「へわっ!?」
結構な勢いで自分に向かってくるドアで頭を打ちそうになったわたしは、慌てて手を離したが、そのままコロンと後ろ向きに倒れる。
「うわわわっ!」
ゴロンゴロン……ゴン!
丸めた布団からも転がり落ちて、頭を打った。
「いったぁ……」
頭を押さえながら身体を起こすと、一応ドアはちょっとだけ開いている。頭の痛みは名誉の負傷だ。
「やった。開いた!」
勢いよく立ちあがって、わたしはドアの隙間に手を突っ込んで開け放った。
両親の布団が床の上をズザザザとスライディングして、床の一部が綺麗になった気がしたが、見なかったことにする。
「あ、台所だ」
寝室を出ると、そこは台所だった。キッチンなんておしゃれなところではない。お勝手とか炊事場と言う方がしっくりくる場所だ。
隅にはかまどがあり、金属製の鍋やおたま、フライパンらしきものが壁に打ち付けられた釘に引っ掛けられている。
壁から壁に紐が張られ、そこには薄汚れた雑巾らしき布が引っかけられている。あれで拭いたら余計に汚れそうだ。
「この衛生状態なら、病弱なのも仕方ない気がしてきた」
部屋の中央にはそれほど大きくはないテーブルと三本脚の椅子が二つ。椅子としても使っているのだろう木箱が一つ。
右側には食器棚なのだろう、取っ手のついた木の戸棚がある。かまどと反対の隅には大きな籠があり、芋や玉ねぎっぽい食材が積まれている。大きな水瓶と水が流せそうな流し台っぽいものはあるけれど、やはり水道はないようだ。
ぐるりと部屋を見回せば、麗乃が出てきた寝室に入るドア以外に二つドアがあった。
「うふふ~ん、どっちのドアが正解かな?」
この台所はどう見ても本棚がありそうな雰囲気ではない。わたしは台所からもう一つ別の部屋に繋がるドアを開けてみた。
「うーん、物置?」
何に使うものなのか麗乃には理解できない物がごちゃごちゃと詰め込まれた部屋だった。一応棚に置かれているが、雑然とした印象で、普段使っている部屋ではなさそうだ。
「はずれかぁ」
諦めて、わたしはもう一つのドアを開けようとした。ガチッと音がして鍵が閉まっているのがわかる。何度かガチャガチャ回してみたが、一向に開く気配はない。
「……もしかして、トゥーリが出ていったドア? え? どっちもはずれ!? あたりなし!?」
声に出して呟いたわたしは思わず頭を抱えた。
これが外に繋がるドアならば、この家は風呂なし、トイレなし、水道なし、本棚なしでないない尽くしの2DKだ。どう見ても他に部屋はない。
ちょっと、神様、わたしに何の恨みがっ!?
小説に出てくる転生物なら、転生先は貴族や金持ちが多数で、少なくとも生活に困窮していることは少なかった。日本人としての記憶と感覚、常識を持ちながら、風呂もトイレも水道も自分の家にないなんて、あり得ない。
そして、何より困るのが、本が見当たらないことだ。倉庫になっている部屋にも本らしきものは見当たらなかった。
「……もしかして、本って高い?」
地球でも機械で生産できるようになるまで、本は非常に高価なものだった。上流階級でなければ本を読む機会などほとんどなかったはずだ。
「仕方ない。こうなったら、まずは、活字を探すところから始めよう」
本がなくても、字の勉強が全くできないわけではない。
折り込み広告、新聞紙、回覧板、説明書、カレンダーなど、字が書かれているものはいくらでもある――はずだった。少なくとも、日本では。
「……ない。全然ないっ! 一つもない! 何なの、この家!?」
台所の食器棚や物置の棚の中を次々と探して歩くが、この家の中には本はもちろん、活字のついているものが全く見当たらない。
活字以前に、紙自体が見当たらない。
「どういうことなの?」
一気に熱が上がったように、頭がずきずきと痛みだした。心臓の鼓動がバクバクと音を立て、鼓膜がキーンと張りつめる。
張りつめていた糸が切れたように、わたしの身体はその場にうずくまった。
目の奥が熱い。
本に潰されて死んだのは、本望。
転生できたのも、まぁ、いい。
でもね、わたし、本当にここで生きていくの?
何して生きていくの?
本が存在しない世界に転生なんて予想外すぎる。一体何のために生まれてきたんだろうか。
生きるための意味が見出せず、あまりの絶望に涙が止まらない。
「マイン! なんで寝てないの!? 靴もないのにベッドから降りちゃダメでしょ!」
いつの間にか帰ってきたトゥーリが、台所の床にへたりこんでいるわたしを見つけて、声を張り上げた。
「……トゥーリ、『本』がない」
こんなに本が読みたいのに、本がない。
何をどうやって、これから生きていけばいいのかわからない。
「どうしたの? どこが痛いの?」
呆然としたままで、ぼろぼろぼろぼろと涙を零すわたしにトゥーリが心配そうな声をかけてくる。
本がないことに何の疑問も抱いていないトゥーリに訴えても、気持ちをわかってもらえるはずがない。
本が欲しい。
本が読みたい。
ねぇ、誰に言えば、わかってくれるの?
どこに行けば本があるの?
誰か教えて。