Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (30)
契約魔術
わたし達のテーブルを女性従業員に片付けさせたマルクが、色々な物を乗せたお盆をもってきた。
トレイと言った方が、セバスチャンっぽいマルクには合うかもしれないけれど、木を削って作られている平たい円は、お盆としか表現できなかった。
マルクがテーブルの上に、持ってきた物を並べていく。何枚か重ねられた板、インク壺、細い竹のような葦のような植物でできたペン、石板、石筆、布。
全てを歪みなく、ピシッと置いて、マルクは顔を上げた。
「では、発注書の書き方を教えます」
「よろしくお願いします」
「お、お願いします」
マルクはわたしとルッツを見比べた後、ルッツに声をかけた。
「ルッツ、字は書けますか?」
「……オレ、自分の名前しか書けない」
粘土板を作っている時にわたしが教えた名前の書き方をルッツはしっかりと覚えていたらしい。しかし、ここで使われるのは自分の名前だけではないだろうと、困ったように顔を伏せる。
ルッツの話を聞いたマルクは、ふむ、と一つ頷いて、石板を取り上げて、ルッツの前に置いた。
「自分の名前が書けるのですか? 商人の子ではないと聞いていたのですが……驚きました。契約には問題ありません。ですが、文字は見習いになれば全員が覚えることです。マインが発注書を書く間に基本文字の練習をしましょう」
商人の子ではないルッツが自分の名前を書けるとは思っていなかったようで、契約までに覚えさせる予定になっていたようだ。
予定を変更したマルクは石板に基本文字を5つほど書いて、ルッツに練習させ始める。見習いの教育係だろうか。教え方や進め方が非常に手慣れているように見えた。
「マイン、貴女は書けますか?」
「わからない単語があるかもしれませんが、単語を教えてもらえれば書けます」
「よろしい」
マルクがわたしの前に板を二つ並べた。
全く何も書いていない板と、文字がすでに書かれた板だ。お手本だろう。わからない単語もあるが、7割方読める。
「これが発注書という文字です」
一番上に書かれた文字を指差して、マルクが言う。
そして、発注書の書式を教えてもらう。発注主、発注品、品数など、教えてもらえば、それほど難しいものではない。
「では、発注する道具や材料はわかりますか?」
「はい」
大きく頷いて書き始めたのだが、ガタガタしている板の上に書くのが思ったよりも難しい。そして、使い慣れないペンが更に書きにくくて、嫌になる。
このペンなら、わたしが作った煤鉛筆の方がよほど書きやすい。ちょっと擦ったら字が崩れて真っ黒になって、読めなくなるけどね。
「うぅ、石筆と違って書きにくいですね」
「初めてにしては、よく書けている方ですよ」
褒められているので、調子に乗って頑張る。
カリカリと書いていると、マルクが発注書を見て、やや眉を寄せた。
「……マイン、鍋とありますが、大きさは?」
「えーと……ウチの二番目に大きいくらいの鍋がいいかなって思っていたんだけど……」
マルクが更に眉を寄せた。その説明ではわかりません、と顔に書いてある。
うん、そうだよね。ウチの鍋なんて言われてもわからないよね?
でも、鍋の大きさを表す単位がわからないんだよ。センチじゃないと思うんだけど、なんて説明すればいい?
「ねぇ、ルッツ。ルッツが水を入れて運べる鍋の大きさってどれくらい?」
「あ? うーん、これくらい」
ルッツが自分の腕で丸を作る。
この世界の子供に説明を丸投げして正解……げふんげふん、一番使うことになるルッツに意見を聞いて正解だったようで、マルクが即座にメジャーのようなものを取り出して、さっとルッツが作った丸を測った。
「深さは?」
「ルッツ、どれくらい?」
「これくらい」
またもや、マルクがさっと測る。
身の回りにメジャーなんてなかったし、今までは大体の目分量で何とかなっていた。正確な長さを知る必要がなかった。
しかし、自分達で作るならともかく、他のところに発注するなら曖昧では話にならない。
わたしは頭を抱えて、小さく呻いた後、マルクに向かって手を上げた。
「……マルクさん、発注書を書く前に長さの単位、教えてもらっていいですか?」
「もちろんです」
「それと、今日、帰ってから長さを測らないと発注できない物もあるので、メジャーを借りてもいいですか?」
すでに作ってしまった桁の長さを測らなければ、簀が作れない。
「メジャーも発注しておきましょう。これから必要になるでしょう」
試作品を作る段階では葉書くらいのサイズで、木の種類や混ぜる割合など色々と試すつもりだが、最善が決まったら、もっと大きい紙を作る。
そうすると、当然、道具も大きい物が必要となる。メジャーは必須だ。
マルクからメジャーを借りて、測り方を教えてもらいながら、発注書を書いていく。
蒸し器、鍋、角材、灰、たらい、簀桁、紙床、重石、平たい板。そして、原料、トロロ。
できるだけ早く紙作りを始めたいので、全てを書こうと思ったが、鍋が来ないと蒸し器の大きさはわからない。そうすると蒸し器を作るのに必要となる木の大きさもわからない。
角材はこれくらいで、こうやって使って、とマルクに説明して、大きさや重さを決めていく。灰も一度紙を作ってみなければ、必要な量がわからない。ひとまず小さい袋一つ分を注文してみる。
何を注文するにも、どう説明すればいいのかわからなくて、頭を抱えた。
「あぁ、難しい。簀に関しては、すでにできている桁を持っていって、直接職人さんと話したいです」
「そうですね。この簀というものについては、その方がいいかもしれません。石板に描かれた図を見ても、よく理解できないので」
マルクもお手上げだった簀以外の物については、何とか発注書を書くことができた。
わたしが発注書と格闘している間、ルッツも頑張って字を練習していた。座って長時間書くことには慣れていないはずなのに、ビックリするほど長い集中力を見せた。
門にやってくる兵士見習いとは全然違った。やはり自分にとって必要だと思うものに関しては、集中力も変わってくるのだろう。
しかし、集中しすぎたのか、どことなくルッツが無表情になっているのが気になる。
「では、時間もあるようなので、次は計算も覚えましょう。ここでは計算機を使って、計算します」
少しの休憩をはさんだ後、ルッツは計算機の使い方を教えてもらうことになった。
ここの計算機の使い方を知らないわたしも隣で一緒に聴く。そろばんに似ているなと思いながら、計算機をいじっているとマルクが不思議そうに首を傾げた。
「マインは計算をするのでしょう? 旦那様からそう伺っていますが?」
「わたし、実は、計算機が使えないんです」
「では、どうのように計算をするのですか?」
「石板を使ってます」
石筆で筆算をして、マルクに出された計算問題を解いていく。
計算機もなく大きな数の計算をするのが信じられないと言われ、何故かわたしがマルクに筆算の仕方を教えることになった。
「計算機が使えれば、『筆算』を覚える必要はないですよ?」
「計算機がない時には必要です。それに、計算機の使い方は知っていますが、どうしてその数字が出てくるかは知りませんでした。実に興味深い」
小学生向けの算数講座でマルクが満足している姿を見ると不思議な感じがする。
自分にとっては当たり前のことが当たり前ではない。改めて、日本の義務教育のすごさを思い知った。
こういうのって、下手に広げない方がいいんだっけ?
知識の共有はした方がいいと個人的には思うけれど、それがここの常識と噛み合うのかがわからない。もしかしたら、余計な事をしてしまったかもしれない。
「そろそろ旦那様が戻られる時刻です。契約魔術の準備をしますね」
「契約魔術って何ですか?」
初めて聞いたファンタジーっぽい言葉に胸が高鳴るのを止めることができない。
わたしにとっては、本の中にしか出てこないような不潔で不便な昔の世界だったのに、まさか魔術なんてものがあるファンタジーな世界だったとは。
もしかして、わたしも魔法が使えるかも? 転生チート!?
うきうきしながら、マルクの答えを待っていると、くすりと笑われた。
「魔力は知っての通り、貴族だけが持つ力です」
「……貴族だけ?」
「えぇ、そうです。普段は目にしませんから、我々にはよくわからない力ですけれど」
魔法がある世界にドキドキわくわくした気分は一瞬で打ち砕かれた。
貴族だけが持つ力って、何それ。
本ばかりか魔力まで持っているなんて、お貴族様め。
「契約魔術はもともと横暴な貴族に対して拘束力を持たせるための物でした。そのため、魔力のこもった特殊なインクと紙が必要になります。これで契約すると魔力による縛りができます。強力で契約者の同意なしに解約できない契約になります」
「へぇ、便利ですね」
魔力で縛られて、勝手に破棄できない契約は違反やずるを考えない場合はとても役に立つと思う。
「便利ですが、紙やインクが魔術具でとても高価で珍しいので、よほどの利益が見込める契約でなければ使われません」
なるほど。
どうやら、簡易ちゃんリンシャンにはよほどの利益が見込まれているらしい。
確かに、日常で使う消耗品は強い。なくなったら、次が必要になるし、一度つやつやさらさらの髪を知ってしまえば、無かった時代に戻れる女性は少ない。特にお金があって、見栄えを気にする貴族女性なら尚更だ。
……もしかして、安売りしすぎたかな?
一瞬頭の中をそんな考えが過ったが、欲張ったら碌なことにならない。
わたし達に必要だったのは、安心と安定と先立つものだ。それで満足しておこう。
「すまない。待たせたな」
ベンノが早足で部屋に入ってきた。
わたし達を待たせているのを気にしてくれていたようだ。
「発注書は書き終わったか?」
「今書ける分は書けました」
わたしが積み重なった板を示すと、ベンノが「ずいぶんあるな」と呟いた。
まだ測れていないものがあるから、もっと増えるけれど、よろしくね。
「ルッツはどうだ?」
ベンノの言葉に、マルクが胸に手を当てて答える。
「最初から自分の名前は書けたので、それ以外の勉強に時間を費やしていました。彼はなかなか覚えがいいです」
「そうか」
マルクに褒められても、ルッツは何かを考えているような顔で小さく頷いただけだった。
半日を勉強に費やしたので、かなり疲れたのかもしれない。慣れないことをすると疲労感がすごいからね。
「マルクからも説明があったと思うが、これが契約魔術に使われる契約用紙と特殊なインクだ。貴族の御用達と認められた商人だけに与えられるものだ」
ベンノが取り出したのは、変わったデザインのインク壺だった。中身は一見普通のインクに見えるが、全く違うものらしい。
興味津々で見つめるわたしの前で、ベンノが丁寧に契約用紙を広げた。
「……そんな高価そうで、希少なもの、使って大丈夫なんですか?」
「契約の価値があると思わなければ使わないから気にするな」
……気にするなって言われても、気になるよ。
ベンノはインク壺にペンをつけて、すらすらと契約内容を書いていく。インクが黒ではなく青いインクだ。書き慣れた流暢な字が書かれていく様子をじっと見つめる。
《マインは簡易ちゃんリンシャンに関する権利を全てベンノに譲ること。
代わりに、洗礼式までの間、マインとルッツが作る紙の制作にかかる費用は全てベンノが出すこと。
紙を作る相手を決める権利をマインが、紙を売る権利をルッツが持つこと。
しかし、値段や利益に関する権利は二人とも有しないこと》
そんなことが書かれている契約書をマインは端から端までよく読んだ。
何か変なことが書かれていないかの確認のためという名目で、インクの匂いを胸いっぱいに吸いこむ。
あぁ、早く紙を作って、本が作りたいなぁ。
「……何か問題があったか?」
ベンノの怪訝そうな声にハッと我に返った。ベンノの訝しげな目とルッツの呆れたような目がわたしに向かっている。何となくルッツにはインクの匂いにうっとりしていたのがバレている気がする。
「へわっ!? だ、大丈夫です! 話しあった通りのことが書かれているので、これで問題ないです」
「……オレもそれでいい」
ルッツの言葉にベンノは頷いて、ペンをインクにつけた。
契約書の最後にベンノが名前を書く。
くるりと回したペンを差し出され、ちらりとルッツと視線を交わした後、わたしが受け取った。
わたしが知っている紙より少し柔らかい羊皮紙を指先でそっと撫でて、感触を堪能しながら、ペンを構えた。
そっとインク壺に入れて、インクをつけて、ペン先に少し引っ掛かりを感じながら、ベンノの下に自分の名前を書く。板に書いた発注書と違って、とても書きやすい。
やっぱり板じゃなくて、紙に書く感覚はいいなぁ。
「はい、ルッツ」
唇を引き結んだルッツが緊張したようにペンを受け取って、インクをつけて名前を書く。
まだ書き慣れていないのが一目でわかる字だが、間違うことなくちゃんと書けている。
「じゃあ……」
「ひゃあっ!? ベンノさん!?」
ベンノが突然ナイフを取り出して、自分の指を傷つけた。
ぎょっとしているわたしとルッツの前で、ぷくりと盛り上がった血を別の指でなじませるようにしてベンノが自分の名前に被せるように血判を押す。
ぎゅっと押しつけた赤い血を吸いこんだ瞬間、青いインクが黒に変わった。
こんな怖い魔法、嫌っ!
「じゃあ、次は……」
ベンノがわたしに視線を向けてきた。
ベンノのナイフと指から滴る赤い滴に怖気づいて血の気が引いているわたしを見て、ルッツが溜息と共にナイフを取り出した。
「手ぇ出せ、マイン」
「うひぃっ!」
思わず自分の手を後ろに引っ込める。
「どうせ、自分でできないんだろ?」
「そ、そうだけど……」
自分で自分の指に傷をつけるのも怖いけれど、誰かにしてもらうのも怖い。
痛いのは嫌いなの。
「契約するって決めたのは誰だ?」
「わ、わたし……」
覚悟を決めて、ぎゅっと目を閉じたまま、恐る恐る手を前に出すと、ルッツがわたしの左手の小指をスッと切った。ジンと熱くて痛い感覚と共に血がにじんで滴ってくる。
「その血を親指につけて押すんだ」
「ぅうっ……えいっ」
泣きそうになりながら、親指に血をつけて自分の名前のところにぐっと押しつけると、ベンノと同じようにインクの色が変わった。
マルクがわたしの小指を止血して、布を巻いてくれている間に、ルッツはさっさと自分の指を切って同じように血判を押した。
どうして躊躇いもなく切れるの!? 怖くないの!?
ルッツが手を離すと同時にインクの部分が光って、燃えるようにインクの部分から穴が開いて広がっていき、契約用紙そのものが消えていく。
目の前で起こっているのに、まるでCGで構成された映画でも見ているようだ。
ぅわぉ、ファンタジー。
まさか自分がいるのが、こんなファンタジーな世界だったとは!
常識外の契約方法に呆然としながら、わたしは契約書が消えてしまうのを見ていたが、はたと我に返った。
契約書の控えってどうするの?
「これで契約は完了だ。契約違反の度合いによっては命に係わるから、違反するなよ」
「命!?」
恐ろしい言葉にビクッと飛び上がったが、ベンノはびくつくわたしをニヤニヤと愉しそうに見下ろすだけだ。
「違反しなきゃいいんだよ。でも、これで嬢ちゃんが望んだ保障は得られたぞ?」
「……ありがとうございます。お世話になりました」
結局、契約書に控えなんてものはなかった。
契約魔術を終えてベンノの店を出ると、かなり日が傾いていて、赤みを帯びた金色の太陽がゆっくりと沈んでいくのが見える。
昼間とはまた違った顔を見せる夕暮れの街を、来た時と同じようにわたしはルッツと二人で歩き始めた。
「思ったより遅くなったね。急いで帰ろう」
周囲の人達も忙しなく帰宅しているようで、心もち足早に歩いているように見える。そんな人々の波に乗って、夕暮れの街の中をわたしはルッツと並んで歩く。
「今日は疲れたよね?」
「……あぁ」
書き足さなければならない発注書がいくつかあるけれど、今日、わたしが一生懸命に書いた発注書が処理されて、材料が届いたら、紙作りに専念できる。
それに、契約魔術でわたしとルッツの権利も保障されたので、紙さえ完成すれば、店を放り出されることはなくなった。
大変だったけれど、実りの多い一日だったと思う。
「後は紙だけ作れば、安泰だねぇ、ルッツ」
「……ん」
喧騒に掻き消されて聞こえないくらい隣を歩くルッツの口がひどく重い。
普段は足が遅いわたしの気を紛らわせようと話をしてくれるルッツの反応が鈍いことが気になった。
森に行くよりも疲れたのだろうか?
文字を覚えたり、計算をしたりするのが嫌になったのだろうか?
隣を歩くルッツを見た。
夕日に照らされ、金髪が眩しいほどに赤く染まって見えるのに、ほんの少し見上げる位置にあるルッツの顔が影になって見えない。
「ねぇ、ルッツ。どうしたの?」
問いかけても、ルッツは何も答えない。
何か言いかけたように少し開いた口はすぐに閉ざされ、ぎゅっと引き結ばれた。そのまま、何か考え込んでいるように、やや俯いて、黙って歩き続ける。
いつもわたしのペースメーカーをしてくれているルッツの本来のスピードなのだろう。今は小走りにならなければ追いつけない。
常とは違うルッツの姿に、嫌な予感がして心がざわつく。
「待って、ルッツ」
中央広場で足を止めたルッツがくるりと横を向いた。
唇を引き結んで、真剣な眼で、ルッツがわたしを見据えている顔が半分くらい夕日に照らされて浮かび上がる。
覚悟をしたように開かれた口から、少しかすれた声が出てきた。
「お前さ……マインだよな?」
「え?」
喉の奥がヒュッと鳴った。心臓を鷲掴みにされたようで、一瞬、身体中の血が止まったように感じた。
周囲のざわめきが耳鳴りに掻き消されて、バクンバクンと血の流れる音が耳の中で響くように大きく聞こえる。
「マインなら……なんで、あんな話ができるんだ?」
「あんな話?」
「今日の旦那さんとの話だよ。オレには半分もわからなかった。オレの知らないことを、大人と対等に話せるマインなんて……変だ」
耳の奥で耳鳴りが続いている。
ゴクリと唾を飲み込みながら、ルッツの言葉を聞いた。
「お前、本当にマインだよな?」
確認するようなルッツの声に、ヒリヒリとする喉を何とか動かす。
わたしは何もわからない風を装って、こてりと首を傾げた。
「それって……ルッツには、わたしがマイン以外に見えるってこと?」
「……悪い。変な事言った。……大人と対等に話すマインに、ちょっと、ビックリしたんだ」
ルッツは何とか笑みらしきものを顔に浮かべて、歩き始めた。
立ち止まっていたら変に思われる。
少しずつ小さくなるルッツの背中を見て、わたしも足を動かし始めた。
……失敗、したなぁ。
そう思った。
今までは接する人が少なかった。腕力も体力もないわたしが役に立つこともほとんどなかった。
門でオットーの仕事を手伝ってきたが、それだって、せいぜい他よりちょっと計算が得意な子供程度のものだったし、その場には普段わたしと接する子供がいなかった。
ルッツと一緒にしてきたのは、粘土を掘ったり、木を削ったりした程度だ。目的はともかく、していることは子供でもできること、子供がしてもおかしくないことばかりだった。
だが、今日はベンノの良いように振り回されないように、自分とルッツの位置を確保するために、頑張ってしまった。頑張りすぎてしまった。
きっとルッツにとって、今日のわたしは病弱で守ってあげなければならない妹分のマインじゃなかった。
これから先、紙を作る過程で、大人とやり合うことが必然的に増えるはずだ。道具を集めるにも、作ってもらうにも提案や指示が必要になる。
明らかに子供じゃない言動が増えるけれど、紙を手に入れるためには手段を選んでいられない。
ルッツの知っているマインからはどんどん離れていくことになるだろう。
わたしがマインではないと、一緒に行動するルッツが確信を抱くのは、きっとそう遠くのことではない。
ルッツがそれを知ったらどう思うんだろう?
マインじゃないわたしをどうするんだろう?
ルッツの顔が見えない夕暮れの帰り道、わたしにはルッツの隣に並んで帰ることができなくなった。